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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
サークルについて詳しくはこちらへ→公式WEBサイト

2020-07

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気になっている言葉⑬

7月上旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀ステイホーム
 よく考えると、この言葉は家があることを前提にしています。家のない人にはどうせよと言うのでしょうか。

②PE
 なぜ小学校の英語活動では体育を略してPEとして教えるのですか。physical educationはそこまで長くないと思うのですが。

③列島が泣いた
 日本人全体を日本列島で代表してとらえる言説はいつから生まれたのでしょう。まさか伊能忠敬の地図製作のころからではありますまい。

④起こる、起きる
 「起こる」と「起きる」の使い分けにはどんな法則があるのでしょう。

⑤エスニック料理
 東南アジアの民族料理風の料理をエスニック料理と言います。しかし、直訳すると民族的料理ですから、何とも奇妙に見えます。

⑥卒業
 本来「業を卒(お)える」ですから、何かを終えて去っていくことを指す言葉であるはずです。しかし、最近は単に番組のMCを引退するときなどに、「4月で番組を卒業される○○さんは~」などと言い、単にやめることを意味するようになっていますね。

⑦人間力
 そんな得体のしれないものを求められても困りますよ。

⑧元祖、本家
 元祖と本家で争っているのをよく見かけますが、どう違うのですか。

⑨コロナ禍
 この言葉の初出はどこですか。最近急に使われ始めた気がします。

⑩新しい時代
 去年からよく聞きます。ですが、本当に新しい時代が始まったかは、始まった瞬間ではなく、100年後くらいにわかるものだと思います。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

Edit 17:41 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

オリキャラの名前の話

こんにちは、リアルタイムではこんばんは、6月下旬担当の青戸奏です。
このブログでは、初めましてになります。というか、どのブログも自分にとっては初めましてです。

突然ですが、自分のペンネームの苗字パート「青戸」は「アオノベ」と読みます。一応本名由来ではありますが、正直キャラクターに名前をつけるのと同じ感覚で名付けました。というのも、そのまま「アオト」もしくは「アオド」と読ませたくなかったのです。この謎の拘りのおかげで、割と気に入っています。

(敬語で文章を書くのが違和感あるので、ここからは外すぞっ☆)

さて、この流れでオリジナルキャラクターの名前について書こうと思う。
自分は、上記の通り特殊な──実際に会ったことがない、珍しい、または現実にいないであろう、聞いたこともない創作の(かつ、じゃなくて、または)──苗字をつけるのが好きだ。(逆に、名はよくある名前をつけがち。)
理由は明快、カッコいいから。
個人的なお気に入りは、東雲。響き自体はダントツに好きというわけでもないけれど、この漢字でこの読みというのが、おそらくストライクの理由だ。「簡単な漢字+特殊読み」がツボ。

──余談だが、原則、自分のキャラでは名前が被らないようにしている。しかし、ある時気づくと「東雲オトハ」という名前のキャラが、名の漢字が違うとはいえ、すっかり忘れていて二人存在していた。しかもどっちも主役級。この時「ああ、この名前好きなんだな」と実感した。余談おわり。

珍しい苗字がカッコイイ、というよりはカッコイイ苗字を考えると珍しくなる、の方が近いのかもしれない。
名が体を表す、は自分の場合あまり当てはまらない。意味よりは、字面と響きが大事。けれど、苗字の中の漢字を対にしたり(朝夜、悠瞬などなど)、複数人で揃えたり(木火土金水とか)するのは大好きである。

名前に謎の拘りを持つと、ネーミングが楽しい。しかし、一部のキャラは名前が降ってくるまで待つ必要がある。──我ながら矛盾を感じる。でもやっぱり、ビジュアルにしっくりこない名前というのは存在するのだ。

また、このサークルに入って短編を考える機会が増えたが、その場合そもそも名前をつけないということが起こり始めた。きっと、ビビッとくる名前が思いつくより先に作品が出来上がってしまうからだろう。この場合、特徴や作品タイトルでキャラを呼ぶしかなくなる──言い方を変えれば、名前がなくてもそのキャラを指すことは可能ではある。が、それでは何となく寂しい。
今描いている作品に登場する二人にも名前をつけられていない。至急考えようと思う。え、降ってくるのを待つんじゃないのかって?降ってくるには、まず考える必要があるのだ。これは名前に限った話ではないが、なかなかシビアなシステムである。


思いつくままに書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまったがネタが切れたのでそろそろ終わろうと思う。ブログならではの〆方なんかは知らないので、それでは!

──超のつく余談、というか追伸? アニメの次回予告で、毎回最後に主役が決まったセリフ言うタイプ、結構好きです。次回予告で本編と(ほぼ)関係のない面白トークが繰り広げられるタイプと同じくらい好きです。

Edit 21:09 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑫

こんにちは、6月中旬担当の葱です。今回も気になった言葉について書きます。
➀ヘゲモニー
 英語だと「ヒジェマニー」になるのに、なぜ日本語読みするとこうも違うのですか。

②サクサク進む
 作業などがスムーズに進むさまをサクサクといいます。最初は食感の意味だったはずなのに、いつからスムーズなさまを意味するようになったのでしょう。

③転換の時代
 十年以上そう言われていますね。私たちは、「今が転換点だ」と言って、その場をぐるぐる回っているのですかね。


④~論
 思い込みや独断を~論と呼ぶのはいかがなものでしょう。論というのは、根拠に基づき論理だてた、読み手を説得する文章のことのはずです。

⑤清楚
 中国語では「はっきり」という意味ですが、なぜ日本語と意味が違ってしまったでしょう。

⑥新春シャンソンショー
 やっているのを見たことがありません。また、ちゃんと発音できたことがありません。

⑦バスガス爆発
 そんな悲惨な事故を早口言葉にしなくても。

⑧イクメン
 育児をする男性のことをイクメンと言うのに、育児をする女性をイク女と呼ぶ人はいませんね。

⑨シェイシェイ
 謝謝をカタカナで「シェイシェイ」と書いてあるのをよく見ます。しかし、実際の発音は「xiexie」で、「シィエシィエ」に近いのに、なぜこのようにカタカナ語表記されるのですか。

⑩デカルト以来の西洋合理主義は~
 たまに現代文の問題で見かけた文章ですが、そんなに簡単にまとめてはいけませんよ。

こんなに小さなことにかみつく私は、どうかしていますね。病んではいないのでご安心ください。
追記 前回「聖徳太子は7人の話を同時に聞き分けた」と書きましたが、諸説あるようです。何人なのか未確認です。

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日記を書くのが苦手です

 六月上旬担当の入ヶ岳です。度重なる遅延とすっぽかしを経て、恥ずかしながら本日投稿までたどり着きました。にしてはブログタイトルが舐めすぎかもしれませんが、ブログと日記は違うということで、悪しからずご了承ください。


 幼稚園頃の朧気な思い出ですが、私は一時期自分のことを「ウチ」と呼んでいました。きっかけは一体何だったのか、大阪に住んでいた従姉妹の影響かもしれませんし、同じ組や近所の女の子から口調が移ったのかもしれません。何か信念を持ってそうしていたというわけではなく、ただその時の私には「ウチ」という響きがしっくり来たのだと思います。私が「ウチ」だったのはごく短い間、恐らく一ヶ月未満で、その後の私は数年の間「ぼく」でした。どういう心境で再び一人称を変えたのかは思い出せないのですが、それを言ったら「ウチ」の前が何だったのかも分かりません。四歳、五歳の記憶というのは普通、それくらいあやふやなものかと思います。
 別に大きな事件ではありませんが、そうした幼少の記憶がふと思い出されるのは、懐かしくも楽しい体験です。その日の夕食の席で、家族にも雑談の種として「ウチ」の件を語ってみました。すると目の前に座る母親は首を傾げ、「そんな時期があったとは覚えていない」と言うのです。しまった、と思いました。私はてっきり、母も私の一人称について何か覚えていると思っていたのです。しかしこう否定されてしまうと、あれがはたして本当にあったことなのかすらも怪しくなってきます。私はかつて少しの間一人称を変えたのかもしれませんし、変えたという誤った記憶を抱えているだけなのかもしれません。一人の古い記憶ほど当てにならないものもそう無いでしょう。過去に自信を持てなくなったのが、何より寂しいことでした。

 記憶をはっきり留めておきたいのなら、四六時中ビデオを回せば良いのかもしれません。しかしそれで見えるのは世界の外面、その中にいる人間の人となりまでは残りませんから、なんだか不十分な気もします。では、小さい頃から日記でも書いておくというのはどうでしょう。人によってはある程度有効な気がします。ですが私の場合は、日記というのがどうにも苦手で書く気になれません。続かないというのもありますが、その日あったことについて、自ら改めて語り直すのが躊躇われるのです。何があったか、ならまだ書けます。今日の夕食はアジフライでした。これが書いているうちにアジの開きに変わるようなことはありません。しかし形にならぬ思考や心情は、刻一刻と移ろう上にひどく複雑です。たとえば、今日は街でたまたま友人と会ったとしましょう。私はその時嬉しかったのでしょうか、気まずかったのでしょうか。あるいはただの一言で語り得ぬ心情がそこにあったのだとしたら、「嬉しかった」と書くだけでは不正確ということになります。しかし難儀なことに、私の心情は書いたものに追従する形で変化します。違うと思いつつも一度「嬉しかった」と書けば、何となく嬉しかったような気がしてきて、他の複雑なあれこれは捨象され形を失うのです。思考の整理とはまた違う、これは歪曲に近い。数年後の私が日記を見返した時、そこに残るのは「嬉しかった」という実体の無い文字列でしかありません。
 あるがままを書く、というのがそもそも不可能なことは理解しているつもりです。私自身、そんな究極を求めているわけではありません。作文は常に選択と解釈を伴いますから、書かれていることは徹底的に著者の主観、推敲された物語と言えるでしょう。しかし、捏造は選択でも解釈でもない。「私は怒っている」と日記に書く私は、多分怒っていません。根深い悪癖として、私は現実を文字に起こそうとした時、事実あったことよりも物語としての骨格に拘ってしまうのです。自らの内心を吐露する気も、生活を写し取る気もきっとありません。常に物語としてより良い像を求めている。あるいは求めるものなど無く、ただ自分と向き合うことから逃げているだけなのかもしれません。私が「ウチ」の件を家族に伝えたのは夕食の席でなく休日の午後です。私はその時「しまった」なんて思わなかった。しかしそう書いた方が、物語のテーマは伝わりやすいでしょう、読者に。つまり私は現実を書いているように見せかけて、書きたい虚構を初めから据え置いている。本当に悪い癖です。ありがちなことなのだとして、私はあって良いことだと思いません。
 私は日記を書くのが苦手です。自分が書いた自分の主観を、主観であるとすら信じられないからです。文字にしていない記憶とて抗い難く歪んでしまいますが、文字だけは特に恐ろしい。それでも克服すべきとは思っていますので、こうしてキーボードを前に両手を揉み合わせつつ、考え考えブログを書いています。「ウチ」の件は、既に記憶から霧散しつつあり、瑣末事であるからこそ書こうという気になったのですが(なってない! 後付けで理由を書くな。私はこの文章を、記事を仕上げた果てに調味料のように挟み込んでいる。しかしこの一文を私は消さずにおきたいと思う)、残念ながら今回もあまり上手くいっていません。

 こんな人間ではありますが、創作は私にとって大変楽しい営みです。それはなぜか。現実を無視できるからでしょうか。きっと違います。小説は何でも書けますが、何を書いてもいいわけではないからです。現実に起こる出来事と物語は常に影響しあい、共鳴しています。もちろん、自分の内心から目を背けてもいられません。むしろ強く向き合うことになるでしょう(創作サークルのブログとして念の為に述べておきます。本記事、特にこの前後に書かれた創作に纏わるあれこれは、あくまで私がそう思っているというだけです。これは半分予防線ですが、半分は「こう考えなければいけない」と思ってほしくないが故の補足です)。
 私が好きなのは、物語が本質的に作者である私自身からも束縛されないという点です。それが創作であるならば、私は当初の構想と違う物語が描かれるのを恐れなくて良いのです(全く思い通りに書けないとなるとやはり歯痒いですし、もう少し手綱を握っていたいとは思いますが)。初めに書きたかったことから作品が歪んでくるのは茶飯事です。しかし、書きたくないものが書き上げられた経験は私の場合ありません。まあ多分、書きたくないものが書かれようとしている時はまず完成できていないのでしょうが。
 机に向かって小説を書いていると、まだ見ぬ白紙の中にふと書きたい一節を発見することがあります。前から書きたいと思っていた物語と自然に繋がりを見せ始めることもあります。あるいは、全く私の意識していなかった知らない物語が、ふいに目前へ立ち上がってくることもあります。想定外でありながら、気付けばそれらを書きたいと思う自分がいるのです。その時私は、「自分はこれが書きたかったのか」と眼を見開きます。今まで知らなかった、これから大好きになる物語を読んだ時の気持ちにも似ています。大きな喜びの一つです。
 あるいは私はここでも、創作という舞台においてすらも、書いたものに内心を合わせるという過ちを犯してしまっているのかもしれません。それを否定はできないでしょう。しかし、過去の内心を塗り替えることと、新しく物語を編んでいくことは私には別物に見えます。今まで自分の意識の内に存在しなかったものを彫り出し、それをうつくしいと、胸の内に温めて育て上げたいと初めて思えたのならば、それこそが豊かさであると信じたいのです。

Edit 23:36 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑪

5月下旬担当の葱です。遅くなってすみません。今回も気になった言葉について書きます。
➀ 幼稚園からやりなおせ!
 「やり直させてください」とつい言いたくなりますね。
②中二病
 日本と学校制度の違う英米人には、何と訳せば伝わるでしょうか。
③地盤・かばん・看板
 英語にも同様の表現はありますかね。
④バブル時代
 バブルがはじけるまでの時代を、特徴を持った1つの時代としてとらえる言説は、いつから生じたのですか。
⑤ファシズム
 同調圧力の意味で誤用されている気がしますね。例えば、浅田真央に感動せよという同調圧力が働くのを「真央ちゃんファシズム」と言ったりしますが。
⑥我が国
 国は誰のものでもないから、「我が国」という言葉は奇妙に見えませんか。
⑦全員一致の深イイ話
 全員一致でその話を深いと思う必要はあるのですか。
⑧聖徳太子は7人の話を同時に聞き分けた。
 一人ずつ話せば済む話ではありませんか。
⑨愛と勇気だけが友だちさ
 何があったのですか、アンパンマンさん。
⑩キレる
 本来は激怒するの意味だったのに、今では普通に怒ることをキレるといい、激怒することをガチギレすると言いますね。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんから、ご安心ください。

Edit 07:57 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

不眠症

5月上旬担当のいとらです。

世間では新型コロナウイルスが騒がれているようですね。京都大学でも五月以降の授業が全てオンラインになり、まともに外出して人と会うことなどできない状況となっています。ずっと家にこもっているというのもなかなかストレスの溜まりますよね。

私なんかは、もとから引きこもり性でしたので、外出自粛ということ自体は大した苦痛ではないのです。図書館で借りたり、あるいは書店で買った本を日がな一日読みふける毎日を送っておりまして、ある意味充実した生活であると思います。ただ一点、最近私を悩ませているものがありまして。
それは「不眠症」です。
もともと私は不眠症質でして、ときたま夜に寝付けないなんてことはありました。しかし、最近は毎日のように眠れない日が続いています。しかも夜寝つきが悪いだけでなく、眠ってから三時間ほどで目が覚めてしまうということがしょっちゅうなのです。うまく眠れなかった次の日は、勉強も小説を書くのも捗らず、ほとほと困っているところです。
今では不眠症にもだいぶ慣れてしまい、不眠をそういうものとして諦めつつあります。寝れないときはさっさと起きてしまって、徹夜のつもりで一日過ごしたり、まあ割り切ってしまえば苦痛というほどでもないような気がしています(さすがにそんなことはないですが)。

さて、コロナ騒動で外出自粛が叫ばれている中、私のように不眠に悩んでいる人も少なくないのではないでしょうか。睡眠は生活サイクルと密接に結びついていますから、昨今の「外に出ない」「人と会わない」というのはことごとく生活サイクルを破壊するもので、睡眠にも悪影響を及ぼしかねないでしょう。
私は専門家でもなんでもありませんので、不眠症の対策などは何も言うことができません(というか知ってたら治してます)。しかし、何よりも大事なことは苦しみを理解してもらうことではないでしょうか。一人で抱え込んでふさぎ込むよりも、誰かに苦しみを共感してもらったほうがきっと気は楽になると思います。そのために私もこうして、自らのことを書いているわけですから。

不眠症に限らず、辛い状況が続いていますが、少しでも楽しく健やかに毎日を過ごせることを願っています。
それでは皆さま、良き眠りのあらんことを。

Edit 05:51 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑩

4月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀いい大学に入る
 いい大学とは何なのか、わからなくなってきました。

②○○大学の○○容疑者
 大学生が罪を犯すと、大学名が出ます。東大・京大は特にクローズアップされます。犯罪に学歴は関係ないはずですが。

③ワンチーム
 「一丸となって」とは違うのですか。

④京大生が選ぶ偉人百人
 どこの大学の学生に選ばせても同じはずですから、わざわざ京大を冠しなくてもいいでしょう。

⑤軽薄短小
 つい自分のことかと思ってしまいます。

⑥ミッチーブーム
 今は炎上が怖くて、皇族にあだ名などつけられませんね。

⑦~さま、カウンターまでお越しください
 お店で「~さま」と呼ばれると、何とも妙な気がします。さん付けで十分だと思いますが。

⑧歴史的固有の領土
この言葉を聞くと、「ローマ市がヨーロッパを歴史的固有の領土だと主張し始めたらどうしようか」と思います。

⑨水神の祟り
 日本の神様は祟るという話を英語で欧米人にわかってもらうには、どう言えばいいでしょう。

⑩新婦様からの熱烈なアタック
 attackは本来攻撃の意味ですから、何とも変な気がします。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

Edit 18:26 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑨

こんにちは、4月中旬担当の葱です。今回は、新入生向けに、大学の不思議な言葉について述べます。

➀オンライン講義
 ライオン講義に見えるのは私だけでしょうか。ついライオンのたてがみをつけた教授を想像してしまいます。

②一般教養科目(全学共通科目)
 単位は取り終えても教養が身についたのか私は心配です。

③変人は誉め言葉です
 いや、履歴書に書けない特性があっても得しません。

④何で私が○○大に?
 聞くまでもなく、周りの支えがあったからです。

⑤京大は変人が多い
 何でこういう偏見を持たれたのですか。変人であることは誉められたものではありませんのに。

⑥1回生
 関西では年生を回生と言います。この東西での違いはどこから生じたのですか。

⑦絶起
 寝坊して授業に出られないことを絶起(または寝ぶっち)と言いますが、何の略ですか。

⑧KULINE、KULASIS、KUMOI
順に、大学図書館蔵書検索サイト、大学情報の総合掲示板(履修登録などをする)、学生用メールサービスのことです。KUから始まるものが多すぎませんか。

⑨ピカピカの1回生
 今や私はカピピカの4回生です。

⑩自由の学風
 卒業式でコスプレできるというだけの意味ではないはずですが。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

Edit 10:22 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

おいで、はじめるよ


みなさん、こんにちは。
4月上旬担当の光彩です。

新年度を迎えても、春特有の賑々しさのない大学構内は、いささか寂しく感じられます。
授業の多くがお休みなので、まるで終わらない春休みのよう。
そして、終わりがなければ、はじまりもまた曖昧なもの。私も、進級したという意識がいまひとつありません。
だからこそ、あえてはっきりと、宣言させてください。
私たち、創作サークル「名称未定」は、新歓活動をはじめます。

毎週水曜日、18:30から、会員たちとおはなししませんか。
創作活動のこと、好きな作品のこと、なんでもかまいません。作品を持ち込んでいただいたら、感想ももらえるかも。
来るもの拒まず、去るもの追わず。気が向いたら、気が向いただけ、お好きなだけいらっしゃい。
少しでも楽しい時間を過ごしていただけたら幸いです。
公式Twitter、メールアドレスより、どうぞお気軽にお越しくださいませ。

それでは、不安ばかりがあおられる毎日ですが、どうか日の暖かさに頬が緩むような明るい気持ちでお過ごしください。お読みいただきありがとうございました。


Edit 15:36 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

大学生活のしのぎ方

3月下旬担当の葱です。今回は、新入生向けに、大学での注意点について述べます。

➀教室の略称
 4共は吉田南4号館、1共は吉田南1号館、共東・共西は吉田南総合館東棟・西棟のことです。シラバスには略称しか書いていないので、教室を探す際はご注意ください。

②自転車
 正門前の東一条通の歩道を自転車で走らない、吉田南構内の正門に自転車で入らない、なるべく歩道を走らない、など自転車の乗り方にはご注意ください。田舎の人がいない道とは違って、京都は人が多いので、歩道を自転車で行くと危険です。また、歩行者に向かってベルを鳴らしてはいけません。道路交通法違反です。
 また、京都では歩道を自転車が前からも後ろからも走るので、2列になって歩くと危険です。

③教室移動
休み時間は15分です。吉田南と本部、北部構内を移動するには短いです。吉田南と本部構内の間の東一条通は、自動車や歩行者の通りも多く、なかなか渡れません。できるならば、無理に移動距離の長い授業の取り方をしない方がいいです。また、特に用事がなければ、自転車の通行の妨げにならないように、休み時間に出歩かない方がいいです。
 
④怪しいサークル
怪しいサークルに詳しい友によれば、見分け方は、
A 大学内のボックスやルネではなく、大学外の場所に連れていこうとする。
B 団体名の由来を聞いても、答えない、知らないふりをする。
C 合宿にしきりに誘う。(GWあるいは7月初)
D やけに公認団体であることを強調する。(公認団体でも怪しいサークルはあります。)
E 駐輪場などでアンケートなどと称して近づき、サークルの紹介をした後、連絡先を教えるようにしつこく求める。アンケート内容は、自転車のルールや、人生でがんばったこと、大学でやりたいこと、など普通の内容を聞いてくる。愛や神について聞いてくる団体はまれ。

⑤昼食
食堂も生協ショップも混みますから、昼食を持参した方がいいです。また、匂いがこもりますから、教室の中では食べない方がいいです。

⑥講義
学生のフリーペーパーで、「楽単」(楽に単位が取れる科目)と言われる科目もあります。ですが、履修人数制限がかかって履修できないことも多いので、おすすめはしません。
 私のおすすめは2つあります。
 1つは、加藤真先生の「生物自然史」です。実物の標本を見たり、文理融合的な話が聞けたりと、文系でも面白い生物学の講義です。
 もう1つは、柴山桂太先生の「社会経済システム論」です。経済学、社会学、政治学を融合させて現代世界を論じる講義です。わかりやすくてドラマチックで面白い話をぜひ一度。

⑦ 図書館
授業で紹介された参考文献は、早く借りましょう。テスト前には借りられて読めません。
テスト前は、図書館が人でいっぱいになるので、行かない方がいいです。(USJのアトラクションなみに人が並びます。)
また、図書の撮影は、著作権法違反です。

⑧ 寝坊
目覚ましを二つつけ、日光が入るようにカーテンを少し開けて寝ると、何とか起きられます。また、8時15分を過ぎると、大学は自転車でいっぱいになりますから、早めに登校した方がいいです。寝坊癖がつかないように。

⑨ 英語
英語の講義では不十分で、受験で得た貯金はすぐになくなります。gorillaという毎週のリスニングテストは、リスニング力の維持には少ないです。青谷正妥の英語勉強法(VOAを聞く、15秒考えて45秒話す練習など)がおすすめです。また、『京大学術語彙データベース基本英単語1110』は、毎週のテストが終わった後も使える優れた単語帳です。

⑩ 本の探し方
探し方はいろいろあります。
kuline(京都大学蔵書検索システム)やCiNii Articles(論文検索サイト)に関連ワード・先生の名前を入れる。
『~研究入門』と題した本を見る。
本の参考文献覧を見て、面白そうな本を探す。
『講座○○』(例 『岩波講座日本歴史』)を読む。

⑪ レポート
『理科系の作文技術』などを読むと書きやすいです。また、レポートを書くためには、普段の講義で疑問を持って、それを自分で調べておくことが必要です。講義に出ても板書を写すだけでは、7月に一からレポートを書くことになり、大変です。


⑫ 自力
 大学は大学に損害がなければ学生を助けません。困ったら、信頼できる先輩に相談してください。

以上長話を失礼しました。詳しく聞きたい方は、名称未定の新歓にお越しください。 

Edit 16:20 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

バカは風邪を引かないなら

どうも、お久しぶりでございます。最近例会に全然行けてないだいぽんです。

最近は新型コロナウイルスが流行っていますが、皆様はしっかりと手洗いうがい、励行していますでしょうか(まあ、コロナウイルスは単に風邪のウイルスらしいっすけどね。笑)。2月中はずっとバイトで稼いでいました、というのも3月の上旬に四国遠征を予定していたからなんですよね。ところが、そこでトラブルが発生いたしました。

2月末。初めはバイト帰りの電車で、腰に妙な痛みを覚えたという感じでした。なんとなく自分の身に何が起こっているか察しつつも、それを受け入れたくない、どうせすぐに良くなるだろう、そう思っていた自分が何処かにいたんでしょうね。しかし、その判断は今思い返すと愚かだったと思っています。それから、「病状」はどんどん悪化して、腰の痛みに加えて寒気、頭痛は増すばかり。恐る恐る親と相談して、診療所に行った結果—————。

「インフルB、陽性ですね」

—————終わった。
ご存知の方も多いかと思いますが、インフルエンザにかかった場合、最低でも5日間の自宅療養が必要です。日数をカウントしたところ、なんとなんと、四国遠征の直前まで自宅療養しないといけないじゃないですか。病み上がりの状態で青春18きっぷで遠征するのはかなり危険、との判断に基づき中止せざるを得ませんでした。

ところで、罹患の原因はすぐに判明しました。
「和泉セガの交流会行った人みんなインフルBやん」
そうTwitterで呟いたフォロワー。どうやら数日前このゲーセンで行われた交流会に、インフルBの感染者が居たようです。
「(そうか...つまりこの時からこうなることは避けられなかったんだ...)」ものすごい虚無感と喪失感が僕を襲いました。今まで僕は何の為にバイトしてきたんだよ。ふざけんじゃねえ。
しかしながら、インフルエンザにかかってしまったのは変えることの出来ない事実。僕は療養に最善を尽くしたとまではいわなくとも、それなりの療養生活を送りました。
いざインフルから回復すると、「四国遠征に行きたい」という思いが一層強くなりましたが、それは現実的ではありませんでした。結果、出発の日にちを遅らせて、四国全土を回る予定のところを、香川県だけ訪ねて帰ることにしました。
ここから香川県に行った時の写真を載せたいと思います。

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1、瀬戸大橋線快速マリンライナー

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2、高松駅

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3、お宿

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4、琴電こと高松琴平電気鉄道、瓦町駅にて

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5、現地のうどん

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6、戦利品の数々

といったところでしょうか、短縮版の遠征とはいえ、かなり充実していました。たったひとつ確かなことがあるとするならば、「姫路〜岡山を普通列車で行くのが一番暇だった」といったところでしょうか。

それはそうとして、だいぽんは今日から3月末まで、敦賀に免許合宿に行きます。今この記事は、特急サンダーバードの中で書いています。実は留年していないか心配でそれどころじゃないと言いたいところですが、折角の合宿。取るもんは取っとかないと。語学さえ落とさなきゃ農学部に留年はないから。知らんけど。
ほな、いってきます。

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無為に過ごした2月末のあれこれ

2月下旬担当のいとらです。

ブログ担当だということをすっかり忘れて、気づけばもう2月の最終日になっていました。今年が閏年だったおかげでギリギリセーフでしょうか。春休みに入ったときは、まだまだ時間はたっぷりあると思っていたのですが、思ったよりもあっという間です。
この2月29日という日付があるのは、実は4年に一度なんですよ。日数でいえば1461日に一度。計算してみると、私が2月29日という日を過ごすのは5回目だそうです。って言っても、多いんだか少ないんだかわかんないですね。とはいえ、この珍しさに興奮してしまうのも事実。正月や七夕は毎年ありますが、閏日はたった4年に一度なんですよ。次に閏年が来るときには、もう学部を卒業しちゃっています。まあ変なミスをしなければの話ですけど。

そういえば、先日、京大入試の二次試験がありましたね。今年入ってくる新入生が受験に来ていると思うと、何か不思議な気分ですね。去年までは私がそっち側でしたし。
懐かしいですね、大学受験。私はろくに勉強もしてこずに、むしろ大学入ってからのほうが数倍勉強しているという一般的に珍しい人種なのですが、それでも合格発表のときの緊張具合はよく覚えています。前日の夜はうまく寝付けず、当日は他に何も手がつかないような状態でした。今では京大にいるのが日常になってしまっていますが、それでもふと落ちていたらと思ってぞっとするほどです。

ところで、この受験というもの、あるいはより広く勉強というものは、高校生活を描く上で非常に面白い要素であるような気がします。
現代の高校生は、基本的に大学受験のために生きてるので(精一杯の皮肉)、勉強(それも受験のためのもの)は高校生にとっての義務であり、ほとんどの人がいやおうなしに勉強させられることになります。この結果生じる、「勉強することは良いことだし、積極的にやるべきである」という意識と、「勉強は嫌いで面倒くさい」という気持ちは、高校生の勉強との間の独特の距離感を作り出します。あいにく私は前者の意識が欠如していたのであまりわからないのですが、周りの人は程度の差こそあれ、テスト勉強や受験勉強などで、嫌々ながらも進んで勉強する、そんな様子が見られたように思います。
もう一つ重要な要素が、定期試験です。すべての生徒が、定期試験を受け、その結果に一喜一憂するというのは、学校生活における強制イベントとして扱いやすいですし、何より勉強の優劣を意識させられるわけですから、競争心や嫉妬心なんかが出やすいわけです。私が高校生のときは、定期テストが周りにアドバンテージをとる数少ない機会だったので、ありがたいと思っていたのですが、ともかく、生徒それぞれの意識が出やすい機会なんじゃないかなと思います。

脈絡もない話でしたが、最近思ったあれこれでした。
……結局間に合いませんでした。

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気になっている言葉⑧

2月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。
➀義理チョコ
 英訳は何が適切ですか。
②ため口
 「ため」の語源は何ですか。
③花見
 酒を飲むほうがメインですから、「花の下飲み会」と言った方が正しいです。
④超、めっちゃ
 超とめっちゃの用法に違いはありますか。
⑤武力行使
 戦争を知らない我々には、その言葉が何を意味しているかわかりにくくなりましたね。
⑥ドンマイ
 ドントマインドを略してドンマイというようになったのはいつからですか。
⑦日本人なら誰もが知っている○○
 勝手に日本人を定義するのはやめましょう。
⑧育児休暇
 育児は仕事以上にきついというのに、仕事上は休暇扱いされるのは、少し不思議ですね。
⑨新しい時代
 年号が変わっても、人間が進歩しなければ、新しい時代にはなりません。
⑩ユニバ
 関東ではUSJをUSJと言い、関西ではユニバと呼ぶようになったのはなぜですか。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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春休みに頑張ること

2月上旬担当をすっかり忘れておりました、あしたしです。

春休みに入り、皆さんも自由な時間が増えるでしょう。
大学生は人生の夏休みといいますが、何も目標を持たずにダラダラ過ごすのはもったいない!

ということで次の学年になるに向けて春休みのうちに頑張ろうと思うことを綴っていこうと思います。

①絵の練習
1回生のときは2次創作、しかも既存の写真やイラストをアレンジする作品を多く書いていました。そのためっクオリティーは高められても、自分の実力はあまり高められていないような気がしていたため、何も水にしっかりかける練習を続けていきたいです。まずは体の構造・各部分のバランスから考えなければ・・・

②プログラミングの練習
情報系なのにプログラミングに苦手意識を持ってしまっていることをなんとか解決せねば・・・。今は参考書買って独学でPythonから始めています。(Pythonは比較的取り組みやすくて面白いからみなさんにもおすすめ!)

③動画制作の練習
完全に趣味。好きこそものの上手なれとはよくいったものです。

④バイトでめっちゃ稼ぐ
一ヶ月でバイトで24万稼いでいる友人がいて自分も変に燃えています。一日何時間入ればいいんだ・・・

⑤漫画の読破
漫画は一気に読む派なので、時間プラスある程度の気力を要します。それがいっぺんに手に入るのが大学生の長期休み。鬼滅読むぞ。

⑥生活習慣の改善
おそねおそおきはだいぶ改善されたが、健康と呼ぶにはまだまだ。祖母が「やっぱり最後は健康が一番」といっていたのを思い出しながらもうちょっと改善していきたい。


まだ頑張りたいことは色々あるけど、書き出したら終わらないのでこれくらいで。みなさんもなにか目標も持って取り組んでみてはいかが?

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気になっている言葉⑦

1月下旬担当の葱です。今回も気になった言葉について書きます。
➀母性本能
 母性本能という言葉はあっても、父性本能という言葉はあまり聞かないのはなぜでしょう。

②○○令和バージョン
 こう言って歌番組で歌を披露することがありますが、多くは通常版と変わりません。年号さえ新しくなれば、新しく聞こえるのですか。

③心霊写真
 幽霊写真と呼ばずに、心霊写真というのはなぜですか。

④おかいさん(お粥)、おつい(すまし汁)
 関西弁は、「ゆ」が「い」になることがありますが、言語学的にはどう説明するのですか。

⑤いただく
 「させていただく」のように謙譲語として使うときもあれば、「していただけますか」のように尊敬語として使う場合もあります。果たして敬語としてあっているのか、心配です。

⑥コメント
 暴言や悪口とは違います。

⑦このうどん、だしがきいていておいしいね
 英語では何と言うのですか。

⑧エモい
 エモーション、すなわち感情がこみあげるさまをエモいと言いますが、感無量とはどう違うのですか。

⑨ともだち
 なぜ一人でも複数形なのですか。

⑩総選挙
 コンビニで「人気スナック総選挙」、「人気お惣菜総選挙」などという企画がしばしばあります。選挙が人気投票の意味に使われるのを見たら、中江兆民は卒倒しますかね。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。健康ではありますのでご心配なく。

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「時日表記に辞んでみること」

ごきげんよう☆彡1月中旬担当のゆっくりです!
構成員各位におかれましては、昨年は大変お世話になりましたことを深く感謝申し上げます。本年も皆様おひとりおひとりにとりまして、充実した一年となりますよう祈念申し上げます。今回もどうかお付き合い下されば幸いです♪
さて、今回のトピックは以下の通り。
①時日表記の再現前性――その、あまりにもおぼろげな――
②未来への確からしさ――その、あまりにもさやけくあれと――
 修士論文を終える。伴った辛酸は筆舌に尽くしがたい。しかし、通過儀礼として重要な経験だったと思う。病気も挟んだとはいえ、6年もの歳月をかけたにしてはあまりに乏しいものだが、一つのステップにしたい。
 たくさんの史料や、先行研究の束、ノート、B6カードを眼下にしている。よせばいいのに、日付を振ってあるものも多い。それらは、スキャンを経たことで、今一度の時間性を帯す。時日表記の持つ呪力は、形態素単位よりも漠然とし、自らを包み込む時代的気質をそこに再現前する。現代においては、写真、通話、記録などに、頼みもしないのに打刻される。それらの参照可能性は、概ね、こちらの意思に拘束されないことが多く、必要性の堤防を氾濫する。
 個人的な能力の限界か、2年以上前のイベントに対しては、その前後関係は曖昧である。それは私の専攻する実証史学の史料批判の必要性と、大略その根源性を一にする。時日表記を見た瞬間、脳内では数直線が形成される。自身の様々な想い出が、その数直線に極めて曖昧に座標を取る。この中途半端な確実性と、自身の意識から乖離した提示とが、脳内で傷む。果たして、過去は幻想だった。エクリチュールの持つ代補性の横溢、すなわち、肥大化して宿主を、いや、母屋から庇にかけて襲来するこの幻想に、立ち向かう術を私は知らない。ただし、救いを求めることは許されようか。
 卑近な例で恐縮だが、修士論文を作成していて、私は極限状態だった。何事にもよらず堪え性のない私が、研究室でひたすら古記録、古文書から平安時代後期の歌人や漢詩人の政治的事績のデータを取り、パソコンに打ち込む。下宿への途上、東方に暁闇を見やりながら、自分の認知能力の低下すら実感できなくなっていた。しかし、《救い》がなかった訳ではない。修士論文を提出後には、指導教授と夕飯をご一緒させていただく。史料を、和歌を、漢詩を読んでも、何が正しくて何が不確定か、全く融解し切っていた私には、それが茜差す久方の《出口》だったのかも知れない。
 2001年にゲームボーイアドバンスというハードで任天堂から発売された『ナポレオン』というゲームがある。そこでジヌディーヌ・オージュローという指揮官(シャルル・ピエール・フランソワ・オージュローをモデルとする)が口にする「未来への光がオレには見える」というセリフが少年の時分より好きだった。今回愚見は、悠久に至る未来への本質性を心に戴いていながら、そうした直線運動が取れないほどの満身創痍状態の中、眼前に像を為したものである。
 ≪イマ・ココ≫をきちんと認識することに越したことはなかろう。しかし、その営為は必ずしも優しい行為ではない。これ以上は素人がものすに無用だろう。
 この数カ月、確実に、そして着実に螺旋階段を下っていた。しかし、究極的には孤独なのだが、同行者、いや、すれ違う人々を目にしないではなかった。お名前を挙げる事で却って漏れる愚を懼れるものであるが、衷心より御礼を申し上げます。
つーわけで、本年もよろしくね☆

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新年を迎えるにあたって

12月下旬担当のいとらです。

新年まで、あと残りわずかとなりました。みなさんは、どのような年末を過ごしていらっしゃるでしょうか?
今年一年を振り返ると、本当に色々なことがあったなと、つくづく思います。受験勉強に始まり、大学入試と、高校の卒業式。春には、京都大学に入学して、一人暮らしを始めて、名称未定に入会して……それからの大学生活は、数えきれないほどたくさんの思い出に溢れています。することなすこと初めての事ばかりで、新しい刺激の連続でした。
もう、高校に通っていたのが、遠い昔のように感じられます。

しかし、いざ今年が終わるとなると、この一年の間、私は何をなせたのだろうか、と不安になります。去年の自分から、成長できているのか、と。
大学に入って、新しく友達もできました。勉強にも取り組んで、新しい知識を身に着けました。小説だって、それなりに書いてきました。確かに、この一年間で得たものはたくさんあります。それでも、もっと何かできたんじゃないか、そんな、後悔のような、焦りのような、もやもやした気持ちが心に浮かんでくるのです。

……いえ、まだ間に合います。
まだ、少しだけ時間は残されています。

焦燥感に駆られるように、私は今年やり残したことを消化し始めます。
手始めに、読みかけだった小説を手に取りました。ずっと、読もうと思いながら、今に至っているのです。今年中に片を付けないと。
次に、料理に取り掛かりました。この春に一人暮らしを始めて、当初の予定では、今頃は料理上手になっているはずでした。だけど結局、外食やら絶食やらで、自分で料理することはあまりなく、いまだに「得意料理は納豆ごはん!」という有り様。年越しに向けて、何か一つでも、レベルアップしていたかったのです。

私はそれらをやり終えて、席に座って一息つきます。と、目の前にあったのは、一冊の数学書。夏頃に、兄弟から借りたものでした。
はぁ、と、一つの溜め息。
彼に少しでも追いつこうと思って借りたはいいものの、ほんの数ページ読んだだけで、それ以降は手付かずになっていたのでした。これじゃ、いつまでたっても、追いつけないどころか、差が広がっていくばっかりです。
私は、意を決して、数か月ぶりに、この本を開きます。
難しい数式に、慣れない用語。1ページ読み進めるのに、小説のときとは比べ物にならないくらいの時間がかかります。このままだと今年中に読み切ることなんて無理だ、という雑念を振り払い、私は本の内容に集中します。

そして、気づけば、時計は0時を回っていました。

結局、読み進められたのは、たったの20ページでした。
今年、……いえ、去年のうちにやりきれなかった悔しさもありながら、それでも少しだけ、晴れやかな気持ちになっていました。少なくとも20ページ分は、去年の自分より、成長できているのですから。

そんな、ちょっぴり慌ただしかった年末と、すがすがしい気持ちで迎えた新年を、しみじみと思っていると、ふと、去年やり残したことがまだあったのに気づきました。

……そう、このブログを書くことです。

というわけで、執筆が遅れてしまい、すみませんでした。
新年、明けましておめでとうございます。
今年が、みなさんにとって、よい年になりますように。

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11月祭ふりかえり


みなさん、こんにちは。
11月祭の企画責任者を務めておりました、光彩です。

終幕からはや1週間以上が経ってしまいましたが、11月祭レポートをお届けいたします。
とはいいつつも、私はレポートができるほど会場におりませんでしたので、雰囲気だけでもお伝えできればと思います。

会誌頒布について。
ありがたいことに、既刊は3日目、企画本は4日目にすべて売り切れました。
これほど多くの方々に会誌を手にとっていただける機会は、11月祭よりほかにありません。
減っていく在庫の山を見ながら、作り手としてよりよいものを、と身が引き締まる思いがいたしました。
会員たちの力作が詰まった作品集、みなさんの心に響くものがあれば幸いです。

企画コーナーについて。
リレー小説、絵しりとり、俳句創作、お絵かきコーナー、塗り絵にキャラクター創作。さらには、漫画の吹き出しを埋める企画まで。
多くの来場者の方々が、それぞれに力作を残していってくださいました。
最終日には、壁一面をみなさんの作品が埋め尽くし、はがすのがもったいないと感じられるほど。
お越しくださった方々が(あるいは会員たちも)、充実した時間を過ごされていたようで、私としても嬉しく思います。

11月祭の4日間、大きなトラブルもなく、無事に終わりを迎えることができました。
ご来場いただいたすべての方々に、心より感謝申しあげます。
また、私が企画責任者という大任を務めあげることができたのは、ひとえに会員のみなさんのご助力あってこそです。
ほんとうに、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

それでは、師走のせわしい折、寒さも厳しくなってまいりましたが、どうかみなさんが暖かに過ごされますよう。お読みいただきありがとうございました。


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気になっている言葉⑥

 12月上旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について述べます。
➀ ブタゴリラ
 藤子不二雄を批判したいのではありませんが、そこまでけなしたあだ名をつけなくてもよいでしょう。
② 背中を押す
 最近の歌で濫用されていますが、そんなに背中を押されたら転んでしまいます。
③ 自転車及び原動機付自転車
 あの恐ろしい自転車回収車は、「自転車及び原動機付自転車を放置している場合は京都市により撤去します」と言います。なぜ、わかりやすく「自転車やバイク」と言わないのでしょう。
④ 歴史的に見て中国は…
 史料も見ずに過去の中国を今の中国とつなげるより、漢文を読んだ方が楽しいですよ。
⑤ べとつく
 べたべたという擬態語が動詞化したのか、べとつくという動詞をべとべとという擬態語にしたのか、どちらが先なのでしょう。
⑥ 布団が吹っ飛んだ
 一番実生活で使えないおやじギャグです。使う状況があっても困りますが。
⑦ スマートフォン
 持っている我々はスマートになりましたかね。
⑧ ご飯とおかず
 ご飯の「ご」は取っても意味が通じるのに、おかずの「お」は取ると意味が通じません。一体、おかずという言葉は何からできているのでしょうか。
⑨ 言っちゃ悪いがね
 その言葉が悪いと思っていれば言えないはずです。言っている時点で矛盾しています。
⑩ あらへん、あれへん
 どちらも「~ない」という意味ですが、関西人はどう使い分けているのでしょうか。

 こんなに小さなことにかみつく私はどうかしているのでしょうか。健康そのものですからご安心ください。

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数学談話 ~無限の大きさを掴む~

11月下旬担当のいとらです。

先日、NF企画本にて、『愛の数式』というタイトルで作品を載せました。数学が好きな少年少女の告白を描いたものなのですが、2ページしかなかったこともあり、数学に触れていない人にとっては、あまりに不親切な内容になってしまいました。
そこで、今回このブログという場をお借りしまして、『愛の数式』を読み解くのに必要な数学的事実を解説することにします。
もちろん、ネタバレにならないようにも、ここでは純粋な数学について述べるにとどめますし、『愛の数式』を読まれない方にも楽しんでいただけるようになっております。

構成としましては、一般の方が苦手とするであろう論理式や数学的な言い回しは極力控え、口語的な表現を意識しました。また、具体例を用いるなど、冗長な部分をあえて多く入れることで、数学書のような堅苦しさを減らし、純粋な読み物として楽しめるように心がけました。そのうえで、数学的な厳密さについては尊重しましたので、数学らしさは残せているかと思います。

今回の内容
・集合の濃度
・可算集合と非可算集合
・カントールの定理と対角線論法

※ここでは、自然数は1以上の整数としています。



まず、集合の濃度と呼ばれるものについて説明する。
集合の大きさを比較するとき、有限集合の場合はその要素の数を考えればいいが、無限集合の場合はそのままだと比較できない。そこで、いったん有限集合について考察しよう。
集合の要素の個数が等しいということは、それぞれのすべての要素に一対一対応がつけられるということである。例えば
集合{0,1,2}と{10,100,1000}の間では
(0→10)、(1→100)、(2→1000)と対応付けることができる。
写像の言葉を使えば、集合AとBの要素の個数が等しいことと、AからBへの全単射が存在することは同値であるということだ。

ここで、写像の言葉を整えておく。
写像とは、ある集合Aの任意の要素を写像先の集合Bのある要素へと写すものである。一般的には、関数に近い(同義とする派閥もある)。具体例を挙げると、
A={0,1,2}
B={2,3,4,5}
としたとき、
f:A→Bを
f(0)=3、f(1)=5、f(2)=3
とすれば、fは写像となる。
一方、
f(0)=3、f(1)=5
だけだと、これは写像ではない。なぜならば、Aの要素である2をどこに写すかがわからないからである。

次に、写像fが単射であるとは、写像元の要素が異なれば、写像先の要素も異なる、ということである。
例えば、上の集合、AからBへの写像では、
f(0)=2、f(1)=3、f(2)=5
とすれば、これは単射である。

写像fが全射であるとは、
写像先のどの要素についても、それに写される写像元の要素がある、ということである。
例えば、BからAへの写像では
f(2)=0、f(3)=1、f(4)=1、f(5)=2
とすれば、これは全射となる。

そして、写像fが全単射であるとは、fが全射でありかつ単射であることを言う。
単射、全射、全単射については、wikipediaの『全単射』のページに載っている図を見れば、イメージが付きやすいだろう。

上の集合の要素の個数の話に戻ろう。
A={0,1,2}からB={10,100,1000}への写像fを
f(0)=10、f(1)=100、f(2)=1000
とすると、fは全単射になる。そして実際、このAとBでは、要素の個数は等しい。
一方、A={0,1,2}、B={2,3,4,5}とすると、AからBへの全単射は、どう頑張っても作れない。つまり、AからBへの全単射は存在しないと言える。そして実際、AとBでは要素の個数が違う。
このように、有限集合の場合、要素の個数が等しいことと、全単射が存在することは同値であることが理解できるだろう。
さて、この話を無限集合にも応用しよう。有限集合では、要素の個数と呼んでいたが、無限集合を含めた集合の場合は、「濃度」という用語を用いる。

<定義>
集合AとBの濃度が等しい ⇔ AからBへの全単射が存在する

ここで、AとBの濃度が等しく、BとCの濃度も等しいならば、AとCの濃度も等しい。
なぜならば、AからBへの全単射をf、BからCへの全単射をgとすると、この2つの合成関数であるg◦fはAからCへの全単射となるからである。

具体例を挙げよう。
1.整数全体の集合と、偶数全体の集合は濃度が等しい。
(証明)
f(n)=2nとおけば、これは整数全体から偶数全体への全単射である。

2.自然数全体の集合と、整数全体の集合は濃度が等しい。
(証明)
f(n)={
-n/2        nが偶数の場合
(n-1)/2      nが奇数の場合
}
とすれば、fは自然数全体から整数全体への全単射となる。

ここで、非常に有用な定理を1つ紹介しよう。

<ベルンシュタインの定理>
集合Aと集合Bについて、AからBへの単射が存在し、またBからAへの単射も存在するとき、AからBへの全単射が存在する。

ここでは、この定理の証明はせずに、実際に使っていくことにする。

3.自然数全体と、2つの自然数の組全体(自然数a,bを使って(a,b)と表せるものの集合)は濃度が等しい。
(証明)
f(n)=(n,1)を自然数全体から2つの自然数の組全体への写像とすると、fは単射である。
一方、2つの自然数の組全体から自然数全体への写像gを、g((n,m))=2^n×3^mと定義すると、素因数分解の一意性により、gは単射となる。
よって、ベルンシュタインの定理により、自然数全体から、2つの自然数の組全体への全単射が存在する。

ちなみに、同じ方法で、自然数全体と、n個の自然数の組全体の濃度が等しいことも示せる。

4.自然数全体と正の有理数全体は濃度が等しい。
(証明)
正の有理数は、2つの互いに素な自然数の組(p,q)を用いて一意的に表せるので、正の有理数から、2つの自然数の組全体への単射が存在する。また、3.より、2つの自然数の組全体から自然数全体への単射が存在するので、これらを合成すると、正の有理数から自然数への単射が構成できる。
一方、自然数から有理数への単射は自明に存在する。
よって、ベルンシュタインの定理より、自然数全体から正の有理数への全単射が存在する。

5.自然数全体と有理数全体の濃度は等しい。
(証明)
4.より、自然数全体から正の有理数全体への全単射fが存在する。
また、g(n)=-f(-n)とすれば、gは負の整数全体から負の有理数全体への全単射となる。
整数全体から有理数全体への写像hを
h(n)={
f(n)     n>0の場合
0       n=0の場合
g(n)     n<0の場合
}
とすれば、hは全単射となる。2.より、自然数全体と整数全体の濃度は等しいので、自然数全体と有理数全体は濃度が等しい。

さて、ここまで紹介したすべての集合は、自然数と濃度が等しかった。このように、自然数と濃度が等しい集合のことを、可算無限集合、あるいは単に可算集合と呼ぶ。では、可算集合ではない無限集合はないのだろうか?

実は、冪集合というものを作ると、もとの集合よりも濃度が真に大きい、つまり、冪集合ともとの集合の間には全単射が存在しないことが知られている。ここで、冪集合についても説明しておこう。
集合Aが与えられたとき、Aの冪集合とは、「Aのすべての部分集合を集めた集合」である。慣習的に、Aの冪集合のことをP(A)と表す。
具体例を挙げよう。
A={0,1,2}
とする。このとき、
P(A)={φ,{0},{1},{2},{0,1},{1,2},{2,0},{0,1,2}}
である。
A∈P(A)、φ∈P(A)であることに注意しよう。
この冪集合は、初学者にとっては戸惑いやすいものだろう。というのも、冪集合は、「集合の集合」だからである。しかし、冪集合は集合論の中でも、とても重要な役割を果たしている。その1つが、上にも述べた、冪集合はもとの集合よりも、濃度が真に大きいという性質だ。このことは冪集合の最も重要な性質の1つであり、カントールの定理と呼ばれている。もう一度、定理として書き出しておこう。

<カントールの定理>
任意の集合Aについて、AからP(A)への全射は存在しない。

(証明)
背理法を使って示す。
集合Aから、その冪集合P(A)への全射fが存在すると仮定する。
ここで、Aの部分集合(つまりP(A)の要素でもある)Bを、次のように定義する。
B={a∈A|a∉f(a)}
fはAからP(A)への写像なので、a∈Aに対して、f(a)∈P(A)であるが、言い換えれば、f(a)はAの部分集合であるということである。aはAの要素なので、f(a)がaを要素に持っている場合もあるかもしれないし、持っていない場合もあるかもしれない。そこで、Bをf(a)がaを要素に持っていないようなaを集めた集合と定義してみたわけである。
さて、このようなBを定義すると、fを全射であると仮定したので、f(b)=BとなるようなAの要素bが存在する。そうすると、次のような疑問が浮かぶだろう。すなわち、
Bはbを要素に持つのか? という問いである。
(i)
b∈Bとしてみよう。
Bの定義を思い出すと、x∈Bのとき、x∉f(x)である。当然x=bのときにもこれが成り立つはずである。b∈Bなので、b∉f(b)。
B=f(b)となるようにbを定義したのだから、
b∉Bとなる。
しかし、一番最初にb∈Bとしたはずなのだから、これは矛盾になってしまう。
(ii)
今度は、b∉Bとしてみる。
Bの定義を思い出すと、x∉f(x)のとき、x∈Bである。ここで、f(b)=Bだったのだから、b∉Bを書き換えると、b∉f(b)である。よって、xの部分にbを当てはめると、b∈Bが得られる。
しかし、最初にb∉Bとしたわけだから、やっぱり矛盾してしまう。

(i)、(ii)の結果をまとめると、b∈Bとしても、b∉Bとしても、どちらの場合も矛盾が起きてしまう。つまり、背理法の仮定が誤りだったということなのだから、AからP(A)への全射が存在する、としたことが間違いだったということだ。
よって、AからP(A)への全射は存在しない。当然、AからP(A)への全単射も存在しない!

この証明は、カントールの対角線論法とも呼ばれ、非常に有名である。

さて、この事実を使うと、自然数全体から実数全体への全射が存在しないということが示せる。ここでは、次の三段階に分けて証明しよう。
第一段階:自然数の冪集合から、実数全体への単射を構成する。
第二段階:実数全体から、自然数の冪集合への単射を構成する。
第三段階:自然数から実数への全射が存在しないことを示す。

第一段階
自然数の部分集合Mから、0と1を並べた数列を作ることを考える。
数列{Rn}を
Rn={
0      n∉Mの場合
1      n∈Mの場合
}
と定義する。
例えば、M={2,3,5,6}であれば、
Rn={0,1,1,0,1,1,0,0,……}
となる。また、Mが奇数の自然数を集めた集合の場合、
Rn={1,0,1,0,1,0,1,0,……}
のようになる。
当然、もととなる部分集合Mが異なれば、できる数列{Rn}も異なる。
この数列をもとに実数を構成する。
r=0.1×R1+0.01×R2+0.001×R3+0.0001×R4+……
と定義しよう。
これは、無限小数の第n桁をRnとした実数である。
そうすると、Rnの値は0か1なのでrはきちんと存在し、また数列{Rn}が異なれば、実数rも異なる。
例えば、Mを奇数の自然数全体の集合とすれば、Mから作られる実数rは
r=0.10101010…… =10/99
である。
この方法で自然数の部分集合から実数を作った場合、異なる自然数の部分集合からは異なる実数ができることがわかる。よって、これは自然数の部分集合全体(つまり自然数の冪集合)から実数への単射となる。

第二段階
実数全体から、有理数の部分集合全体(つまり有理数の冪集合)への写像fを
f(r)={q∈Q|q < r}     (Qは有理数全体の集合)
と定義する。つまり、ある実数rに対して、rより小さいすべての有理数を集めた集合をf(r)とするのである。
このとき、実数r,sがr≠sのとき、rとsの間には何らかの有理数が存在する(このことを有理数の稠密性と言う。厳密な証明はしない)ので、f(r)とf(s)は違う集合となる(例えば、r < sとした場合、r < q < sとなるような有理数qを取ってくれば、q∉f(r)、q∈f(s)となる)。
すなわち、このfは実数全体から有理数の冪集合への単射である。
前に見たように、有理数全体の集合は可算集合、つまり、自然数全体への全単射が存在する。そのため、有理数の冪集合から自然数の冪集合への全単射も存在する。
さっき構成した実数全体から有理数の冪集合への単射fと合わせると、実数全体から、自然数の冪集合への単射が構成できる。

第三段階
第一段階と第二段階から、自然数の冪集合から実数全体への単射と、逆に実数全体から自然数の冪集合への単射が存在することがわかったので、ベルンシュタインの定理より、実数全体から自然数の冪集合への全単射が存在する。
さて、自然数全体から自然数の冪集合への全射は存在しないのだった(カントールの定理!)。仮に、自然数全体から実数全体への全射が存在したとすると、今作った実数全体から自然数の冪集合への全単射と組み合わせることで、自然数全体から自然数の冪集合への全射が構成できることになってしまう。これはカントールの定理に矛盾する!
よって、自然数全体から実数全体への全射は存在しない。

ここまでの議論から、実数は、自然数とは対応させられないほど多くあることがわかるだろう。このように、自然数よりも大きい濃度を持つ集合のことを、非可算集合と呼ぶ。直観的には、非可算集合である実数と、可算集合である有理数では、無限の大きさが違うと言える。
ちなみに、数学基礎論において、有理数から実数を構成するときには、この「実数のほうが有理数よりも濃度が大きい」という性質がネックとなる。「実数とは何ですか?」 と聞かれたときに、有限個の有理数を並べただけでは足りない。つまり、無限個の有理数を使わないと、実数を構成できないのである。
一般的な実数の構成方法は大きく分けて2つある。
1つは、有理コーシー列を用いる方法である。これは、「ある実数に収束する有理数の数列全体」を実数とするものだ。その基本的な考え方は今回の第一段階で考えた数列{Rn}に似ている。
もう1つは、デデキント切断を用いる方法である。今回の第二段階で考えたfを使えば、f(r)こそがrを表すデデキント切断である。このデデキント切断の1つ1つを実数と呼ぶことにするのである。
ここではこれ以上のことは述べないが、興味のある方はぜひ調べてみてほしい。

今回のまとめ
集合には濃度と呼ばれる集合の大きさのようなものがある。
自然数、整数、有理数はすべて可算集合であり、濃度が等しい。
冪集合はもとの集合よりも濃度が大きくなる。
実数は自然数の冪集合と濃度が等しく、自然数よりも濃度が大きい。
実数を捉えるためには、無限個の有理数が必要である。

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「ドット絵」への挑戦

11月上旬担当のあしたしです。

後期の講義が始まってあっという間に11月となってしまいました。

後期は講義数が少なく、フリーな時間が結構取れるので、イラストを書く時間をもっと増やせられそうです。

さて、タイトルの 「ドット絵」への挑戦、についてです。

自分のイラストはどこか写実性を求める傾向があり、リアルであればあるほど優れていると考えてしまうことがあります。(というか、プロのイラストレーターを真似しようとするといったほうがいいかも)

しかしリアルであればよいという考えが最近打ち砕かれています。

例えばレトロなゲームなどで使用される「ドット絵」。

イラストレーターの豊井さんは、ドット絵アニメを作っている方で、ネットでこれを見たとき本当に感動しました。(ぜひ見てみてください!)

技術的に言えば、ドット絵は単に解像度の低い、現代では「遅れた」技法だともいえます。

しかし、ドット絵にはドット絵の魅力があります。

まずは、過去にファミコンで使われていたことで(おそらくこれが原因で)、ノスタルジックな作風に仕上げられること。

それから解像度が低いことが逆にうまく作用して、絵の中の道具や人物に想像の余地をあたえること。

特に後者についてですが、最近のイラスト界でよく制作されている3DやCGグラフィック、そして自分が固執していた「リアル」な表現は、何もかもはっきりくっきり表現してしまうという特徴があります。

この特徴はもちろん長所にもなりますが、そもそも現実にないことを描く自分にとっては、見る人に想像力を掻き立てないという点で短所にもなっていました。

そしてこの短所が実は結構大きなものだということにも最近気づき始めています。

こうした理由から、今では「リアル至上主義」を改め直しているところです。

もちろんこれまでの(初心者なりの)自分の作風は維持しつつ、様々な技法を学んでいくことで、さらに表現の幅が広がるのかなあと思います。

余談ですが、ドット絵ってドットを一個一個打っていくので、これまでのイラストの書き方と全然違い、新鮮でとても楽しいです。(ピクセル数を上げればめちゃくちゃ大変な作業ですが)

こんな感じで、短いですが終わります。

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気になっている言葉⑤

 こんにちは、10月下旬担当の葱です。今回も気になる言葉について書きます。
➀ 豚汁
 とんじると読むのか、ぶたじると読むのか、人によってさまざまです。地域的な差なのか、年齢の差なのか、どちらなのでしょう。ちなみに、三重県西部ではぶたじると読み、じるにアクセントがあります。

②ボーっと生きてんじゃねえよ
 チコちゃんよ、先の見えない大学生にそのセリフは傷つくから、やめてくれ。

③超絶
 語源は何でしょうか。何かの省略か、絶対に超をつけただけなのか、気になります。

④我が国
 何か違和感を覚えます。自分が生きていない大和政権や縄文時代の列島を、我が国と言う気にはどうしてもなれません。

⑤刺さる
 琴線に触れるという意味で刺さるという言葉を使う人がいます。例えば、「逃げ恥のあのセリフが刺さった」のように。しかし、昔は刺さる、というのは傷ついたという意味でした。いつから感動した、の意味が加わったのでしょうか。

⑥先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ
 〇戸黄門でしばしば言われるセリフです。まず、副将軍という地位は存在しません。また、あらせられるぞ、よりいらっしゃるぞ、と言う方が自然だと思われます。

⑦理解できない
 理解するつもりもないのに、初めから理解できないを連発してはいけません。私も反省しております。

⑧家庭的
 人によって家庭のイメージは人それぞれですが、家庭的という形容詞はいったい何を意味するのでしょうか。

⑨祝令和
 元号が変わっても、我々が怠けていたら新しい時代などやってきません。変に盛り上がらずに仕事をしましょう。

 こんなに小さなことにかみつく私は、どうかしているのでしょうか。健康そのものですからご安心ください。

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「題を求めて失恋を詠ずるということ」

みなさま、ごきげんよう。10月中旬担当のゆっくりです。今回も、普段おぼろげながら脳裡に彷徨う由無し事を書きつける機会を賜りました。お付き合い下されば幸いです。
取り留めも内容も無い文章ですので、意図していることを【要旨】して冒頭に掲げました。
思量されることはここに尽きていると思います。

【要旨】
 失恋歌を、過去の文学作品を通じて自ら概念化し再構成して詠じてみせる営みは、我々世界史の根底に流れる普遍的な感情に接触し、その歴史的連関の中に自己を揺蕩わせる営為である。迸る激情は、その中で理性と融和し、調和され、慰撫される。

1、はじめに
 少年時代、私が短詩型文学に仄かに憧れを抱いたのは、何故だろうか。それは、決して感情の発露を留めるだとか、誰かに想いを伝達する…といったものではなかった。
 『伊勢物語』の在原業平や、『源氏物語』の光源氏(実を言うとその息夕霧をより好んでいたのだが)のような、あるいは、騎士道物語の中の中世騎士、あるいは中国の士大夫…あのような世界への憧憬によるものだったのかも知れない。いわゆる芸術用語で言うところのミメーシスというやつで、私の作る俳句なり短歌には、大抵の場合、その背後には宇治川や、カンタベリー大聖堂の香りが燻っていた。
 学部、大学院と、幾つかの文学的なサークルを渡り歩いてきたが、あまり馴染めなかった。科学としての実証文学の洗礼を本格的な文学経験に先行して受けてしまったからであろうと推察できよう。なればこそ、訓詁の道を直走る…理性に固まってしまった私の文学経験の中で、本サークル共同体が紡ぐ短歌や、詩、小説などに巡り合えたことは、私がもう一度、創作主体の土俵に導かれる契機となった。我々によくよく諒解されるように、作品の等身大の作者を日常に知る時、作者が死ぬことはない。なんとなれば、解釈性を問題とした場合、表現と理解の場がそれなりになだらかであれば、表現内容に潜む言葉の意図が、主体の過程中に関与しているからである。それは、もしかすると文体論への入り口かもしれない。いつぶりだろう、感情を短歌に乗せる…といった営為に私を引き戻すには十分なエネルギーを産んだように思う。ご交誼に改めて感謝申し上げたい。

2、ハウ・ツー失恋歌
 枕が長くなってしまった。さて、本稿に与えられた課題は、失恋歌の私的ハウ・ツーに関して何をかをものすことである。要するに、感情の発露を、題(枠)に載せる試みに、如上両者は統合される。
 我々の詠物詠賦の創作動機として、以下の二点を挙げることが出来る。
①感銘的な景物について、その感動を文字の内に封ずる営み。
②劇的に内に湧いてくる感情を、言葉や文字にして外へと出す営み。
今回、話題となるのは②である。
自らに劇的に湧いてくる感情、試みに、失恋を例に取ろう。大抵の場合、失恋の病は複合的で、感受性は限界まで高まる。何を知覚しても、内なるカウンターと反応せざるを得ない。そして、その反応は激烈な苦痛を副産物とする。
この、エネルギーを、創作へと昇華させようというのが、今回の題目である。
その、過程について、以下に卑見を弄する。
(イ)好きな文学主体に成りきる。これは、平安貴族でも、共和政ローマの政治家でも、アラビアンナイトの夢と魔法のファンタジー、中世騎士でもよろしい。個人的に、近代以降にはロマンを(あまり)感じないので、中世までくらいが穏当だろう
(ロ)図書館に行って、その人の著作を渉猟する。「これだ!私の思っていることは!」と思ったら、キレイにB6カードに取る。まだ見ぬ芸術作品の構成要素を製作するつもりで。たおやかに。
(ハ)そこで、その作品の底に流れる感情に触れる。これこそ、悠久の歴史の中で今の自分の琴線に触れる「言葉」なのだ。形式を異にすれど、脈々と流れて来たもの。それは、個別具体の形をしていても、その心に抱いた感情と反応して、我々の前に姿を現す。それを知るための、博捜なのだった。
(ニ)ここからは、もう正直に詠ずるだけなのだが、せっかくなので、全く同じテーマにせず、少しオマージュしてみる。要するに、取っ掛かり、横溢する感情の入れ物を用意してみるのである。
(ホ)データベースなどで、その取っ掛かり周辺の語彙を調べてみる。何やら、今度は実体レベルで琴線に触れる歌がある…
ここまで決まってしまえば、他の言葉は好きなように詠めばいい。
何が大事かというと、語の意味作用を用いて、論理的に世界を眼前に再構成してみせることなのだ。この時、解体される分脈とそうでない分脈が弁別されれば、しめたものだ。それらの架け橋を発明することが眼目であると言い換えてもよいからである。

3、むすびにかえて
この行為の薬効は、ほとばしる感情を、一度、理性と融和させることが出来る点に存する。
一度お気に入りの人物の気持ちを自分で追体験し、名だたる英雄が、「なぁ、(貴方の名前である!)、貴方ねぇ、それはね、生きてる限り、みんなそうなんだヨ。」と語りかけて来る。それをもう一度、ほどく段階。感情を、言葉で発言させようとする段階において、フリードリヒ・シラーの『人間の美的教育について』の言を借りれば、感性衝動と理性衝動との融和が果たされ、調和の取れた《遊戯》に至る…ということだろう。この時人間は、完全で(ギリシャの神々のような)自由な存在となるのだという。
 時枝誠記氏的に重ねて言えば、以下の言辞を借りることで足れりと為せよう。
  概念化と云ふことは、一切の事實を客観化することであって、たとへ自己の感情情緒をも、この過程によって客観化され對象化される。従つて、「悲し」と云ふ語は、自己の切實な悲哀感情を表し得ることは勿論、自己の過去の經験即ち表象的な悲哀感も、又他人の悲哀感をも概念化することによって表出し得る。
                                                  (時枝誠記『言語本質論』岩波書店1983年)
この通時的な、営み、「この生は普遍に向けての陶冶過程である」などという新人文主義的な――なればこそ彼らはギリシャ・ローマへの回顧に腐心したのかもしれない――歴史的連関の中に身をたゆたわせた時、中世ロマンス騎士道や、『源氏物語』の登場人物は、次にどのような人に出会うのだろう。己が作品に込められた、誠実さ、崇高さ、高潔さを言祝ぐべき対象を配置する神の意図――と、差し当たり言っておく――は、先に我々が感じた感情の原型と、同じ位相に存する気がしないでもない。
 
 以上である。しょうもない妄想を垂れ流すことをお許しいただいた(お許しいただいていないかも知れない)各位に、そして、これまた妄言にお付き合いいただきましたあなたに!篤く御礼を申し上げます。
 秋冷の砌、何卒お身体をお労り下さいますよう。それでは、恐々謹言。

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神絵師の利き腕を食べたい

お久しぶりです、のぼるです。
担当じゃないですけど台風で暇なので書きます。


インターネットでは神絵師の利き腕食べるという表現がありまして(あるのか?)、
まあ腕食ったら絵が上手くなるやろみたいな意味ですよね。

しかし現実では神絵師の利き腕は手に入りづらい代物であり、
食べて本当に上手くなったという報告もほぼ見つからず、
デマじゃないかと言われています。


そこでこのブログでは、
神絵師の腕を食べずとも絵が上手くなる方法について書いていきたいと思います。



練習、です。




さっきの前置きいる?

まー、このサークルに入って上達したいという気持ちだけはずっとあって、
どうすれば絵が上手くなるのかを考えてたわけですね。

実際私の絵の上手さをどう評価するかはお任せしますが、(当然自分では下手と思ってます)
一回生の頃よりは上手くなっているので、
どういうことをしていたのかを語ろうと思います。



1 これまでやってきたこと

一~三回生の頃はとりあえず量が足りないと思ってなるべく毎回会誌に作品を出していました。
模写や、ネットに書いてあった練習法を試したりしましたがイマイチ効果が見えず、というか、続きませんでした。
もしあのまま続けることができれば上手くなっていたかもしれませんが、やる気の出ないものはやれないので無意味な議論です。

当初からたくさん描け!と言われてたのもあり、本番こそが練習!みたいなノリで色々描いた気がします。
思うに、筋トレするのにまず最低限の体力いるよね、的なものなのである程度までは好きにたくさん描くのが良いんでしょう。
あと、下手でも完成させろ!とも言われており、これら2つはかなり重要なアドバイスでした。

四回生くらいから真面目に模写したような気がします。
去年は手足が描けないと思ったので、とある漫画作品に出てくる手や足を模写していきました。
長続きはしませんでしたが、一話から数話で出てきたすべての手足のカット(数百?)を模写しました。
漫画はそこそこランダムな角度やポーズの身体の絵が出ており、しかもいくつか似たパターンもあるので、
自分の絵にもすぐに使いやすい良い資料だと思います。

そして今年は、絵柄の調整と身体全体、漫画のコマ割などを練習したかったので、
また別の漫画作品を模写しました、4~5ヶ月は続いてたと思います。
ここ1ヶ月はposemaniacsというサイトで、ランダムなポーズを素早く描く練習と、
ポーズや角度の引き出しを増やすことを意識して練習しています。

と、ここまで長々と語ってしまいましたが、
とにかく重要なことは、

自分が何の目的で(何を上達したくて)練習するかを明確にして描くべきということです。

それがない内はやみくもに量を描いて、何ができて何ができないのかをある程度はっきりさせるまで頑張ろうということです。
↑これが一番たいへんじゃね?と思いますが…


2 練習サイトや参考書について

大学受験時もよくこの手の質問がありましたが、好きにすればいいと思います。
ただ、サイトを見つけたり本を買って満足、というパターンを自分を含めたくさん見てきたのでご注意。
サイトに関しては上で書いた、posemaniacsのランダムポーズ、30秒ドローイングなどを利用します。
本は好きなイラストレーターさんの塗りの本を持っています。

何を練習したいか意識してから見つければ良いと思います。
最近はツイッターやピクシブでも山程ありますし。

個人的には、極論世の中で流行ってるもの存在するものが良い教科書と思っているので、
線画は例えば漫画を模写すれば良いし、塗りも人気ある誰かを真似すれば良いと思います。


3 まとめ

まとめるほど何かを語ってませんが、疲れたので〆です。
本当は3,4もあったけど

神絵師の腕は市場では手に入らない!

何を真似するか意識して練習しよう!

なるべく完成作品をたくさん出そう!

のぼるはポーマニと漫画の模写が最強の練習と思ってる!


以上です、グダッとここらで終わります。やる気と要望があれば続き書くかもです。

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ブログとは…

どうも、xyzw、あるいは九尾谷夫(くおたにお)と呼ばれている者です。物性物理学と呼ばれる分野で研究活動に勤しむかたわら、趣味で小説を書いています。
これまでずっと一人で書き続けてきたので、こうしてサークルに入って創作の苦楽を知る仲間と交流できるのは望外の喜びです。とりわけ夜を徹して行われる合評会においては、毎回きわめて専門的かつ高度な話題による白熱した議論が繰り広げられており、傍で聞いているだけでもたいへん勉強になることが多く、創作の励みになっています。
〆切に追われるというのも初めてのことで、ヒイヒイ言いながら作品を書き上げるのもなかなか新鮮な体験でした。これからは原稿を落とすことなくコンスタントに投稿していければと思います。
ところで、ブログを書くなんて初めてのことなので、これ以上何を書いてよいか思いつかず、埋め草に拙いながら小話を書かせていただきました。感想をいただけると(正直怖くもありますが)ありがたいです。
※元ネタはネットで拾った論文です。(http://www.sist.ac.jp/~shinba/quantumsuicide.pdf)



題:写身
 発明家のY博士は、長年の苦心の末に、これまで不可能とされていた空間転移装置の開発に成功した。
 それは人ひとりがすっぽり入る大きさの筒状の装置で、二機で一組になっていた。一方の装置の中に入ってスイッチを押すと、亜光速でもう一方の装置へと移動できるのだという。
 Y博士によれば、理論上どれほど空間的に離れた場所であっても、二つの装置の間を行き来することが可能であるらしかった。
「これさえあれば、車も、船も、飛行機も必要ありません。転移装置のある場所なら、世界中どこへでも一瞬で行くことができるのです。この発明によって、化石燃料の枯渇や道路の渋滞、そして交通事故といった、現代社会が抱える難題は一気に解決することでしょう」
 詰めかけた報道陣によるカメラのフラッシュを浴びながら、Y博士は画面越しの聴衆に向けて自信に満ちた表情で語る。
「では、本日お集まりの皆さまに、人類の歴史における記念すべき瞬間をお見せしましょう」
 そう高らかに告げると、Y博士は空間転移のデモンストレーションのために、自ら発明した装置の中に入っていく。会場にある装置と対になる装置は、その場から200キロメートル離れた場所に、衆人環視のもと設置されていた。
 舞台に設置された大画面のモニターには、先ほどからその対となる装置の様子が中継されている。装置の中に誰も入っていないことは、すでに公証人のもとで確認が行われていた。これから起きることが、単なるマジックでないことを証明するためだ。
 ふたたび大量のフラッシュが焚かれ、真っ白な光の中に装置の中に乗り込む博士の輪郭がくっきりと浮かびあがる。その顔には、この発明のために費やしてきた膨大な労苦の跡がありありと刻み込まれていた。
 やがて控えていたアシスタントによって装置の蓋が閉じられ、博士の姿が見えなくなると、会場のざわめきがいっそう大きくなった。しばらくして、中にいる博士の声が無線を通じて会場にこだまする。
「今からカウントダウンを始めます」
 会場中の、そして画面越しに見守る世界中の人々が装置に注目する。そして、
「5,4,3,2,1──スイッチオン」
 博士の掛け声とともに、バン、とすさまじい破裂音が鳴り響く。直後、ぶしゅうううう、と装置の脇から大量の蒸気が排出された。もうもうと立ちのぼる白煙が、天井の空調機に吸い込まれていった。
 そうして一連の動作を終えた装置は、そのまま死んだように沈黙してしまう。そこから何の変化も起きず、会場は水を打ったようにしんと静まり返った。
 すわ失敗か──観客席の最前列に座る博士のパトロンたちの間に緊張が走る。
 だが、次の瞬間、
「やあやあ、どうです。見事に転移できたでしょう」
 朗々たる声が響き渡る。もう一方の装置の映像に、蓋を開けて出てきたのは、先ほどと寸分違わぬY博士の姿だった。
 一転して、会場は驚きと歓喜にわっと沸き上がる。仰々しい礼服を着たパトロンたちも、この時ばかりはみな子供のように破顔して、お互いに手を握り合っていた。

 こうして、デモンストレーションは見事な成功を収めた。
 これからはまったく新しい、すばらしい時代がやって来るにちがいない。科学の力が引き起こした奇跡を目の当たりにした誰もが、そんな確信を胸に抱き始めていた。

                     ■

「やれやれ……どうにか無事に終えることができたよ」
 延々と続いた記者会見と懇親会の後、誰もいなくなった会場で、Y博士は装置の中に残ったわずかな塵を拾い集めていた。
「やはり、レーザー光の強度が足りないようだ。まだまだ改良の余地があるな」
 そんなことをぶつぶつと呟きながら、博士は黙々と塵を集めていく。そして、用意しておいた小さな紙封筒にそれを入れていった。
「こんなものが残ることが知られてしまえば、みな安心して転移装置を使うことができないからね」
 装置の中を掃除し終えると、博士はふうと息をつく。そして会場の外へと向かい、人目につかない会場の裏手で、懐からオイルライターを取り出した。
「これからは私の番だ。きみはゆっくりと休むがいい」
 そう言って、集め終えた塵の入った袋を跡形もなく燃やしてしまうと、Y博士はそのまま夜の闇へと消えてゆくのだった。
(了)

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合宿振り返り

こんにちは、いろりです。半月前のことですが合宿を振り返ろうと思います。マジでただの駄文です。
初日
確か遅刻者なしでした。
電車に乗って、乗り継いで、バスに乗って出石。そばを食べました。小皿にそばが少量のせられていて、各自食べる分だけ小皿を頼むという感じでした。そば屋の雰囲気もよさげで店の前には鯉が泳いでいました。なんやかんやとしていると城崎温泉行きのバスがやって来る時間に。
そば屋しか行ってないんだが?
日程くんだの誰だよマジで・・・・・・そばはうまかったが、出石に寄る必要はあったのだろうか・・・・・・バス代も安くないのに・・・・・・まあ決めたのは僕なんですが。
ちょこっと残った時間でそのあたりをふらりとしました。小京都でした。高校生がワークショップしてましたね。高校生のもてなしてくれるワークショップに行く機会はあまりないので、時間があれば行ってみたいなと思いました。あ、もちろん取材的な意味で。JKと喋りたかったわけではありません、とか書くとJKと喋りたかったことになってしまうので、書きません。書きましたけど。
で、城崎到着。
さっそく宿へ。良いところでした。それからはみなさん温泉巡りしたり、部屋に残ったり。温泉はすごいところなのかと思っていたのですが意外と普通でした。けっこう普通の大衆浴場。
で、夕飯。
おしゃれなお店で食べました。ロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシア口ツマロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアロシアの話は面白かったです。ロシアの歴史を調べてみようかなと思いました。たぶんちゃんと調べます。あ、別にラリった訳でも当てつけとかでもないです。ロシア。一つだけ口ツマ(くちつま)が混ざっています。
その後、宿へぞろぞろと帰るのですが、カラカラカラカラと下駄を鳴らす浴衣の人間がたくさんいました。温泉街だなぁ。ロシア。温泉街をテーマにして何か一本書きたくなりましたね。たぶんちゃんと書きます。
その後、批評会、であってますかね。批評会をしました。
翌朝、朝食です。和食でした。ロシア。
それからチェックアウトしてふらふら。
マリンワールドへ。
ペンギンとかアシカとかいました。カツオアイス、でしたっけ? マグロアイスかも。まあそういう名物があったらしいんですけど食べ損ねました。食べたかったです。
城崎へ帰って、電車に乗って京都へ!
お疲れ様でした。解散。
楽しかったです。来年も参加したいなぁとおもいましたまる
ロシア

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気になっている言葉 ④

 9月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀この紋所が目に入らぬか。こちらにおわすお方をどなたと心得る。先の副将軍水戸光圀公にあらせられるぞ、頭が高い、控えおろう。
 「〇戸黄門」で毎回のように言われるセリフです。「この紋所が目に入らぬか」と言って、権力の象徴である徳川の紋を振りかざして人を土下座させるのは高圧的にもほどがあります。しかも、「頭が高い、控えおろう」と急に言われて、誰もそれに文句を言わないのは奇妙です。

②姉妹○○
姉妹都市、姉妹版など、セットになったものを表す際には、姉妹○○と言います。セットになっているのを表すならば、兄弟○○でもいいはずなのに、なぜ兄弟○○とは言わないのでしょうか。

③負けたら死んだも同然
 あるスポーツ選手が、インタビューで「負けたら死んだも同然です。」と言っていました。その人が試合に全力で打ち込んでいることを言いたいのはわかるのですが、死ぬということがいかに重いことかを考えると、いささか不適切に思われます。

④~でよかった説ある
 言葉はなるべく簡潔に言う必要がありますから、「~でよかっただろう」とはっきり言う方がいいでしょう。

⑤コスプレ
costume playは時代劇の意味であるのに、なぜ日本語では仮装の意味になったのでしょうか。

⑥嫌いな芸能人ランキング
 週刊誌がたまにやっていますが、そんな非生産的なものよりも明るい話をしましょう。

⑦○○は性格が悪い
 テレビやTwitterでのちょっとした発言や、真偽の不明な週刊誌記事から判断して、ある芸能人の性格が悪いと言う人がいます。しかし、その芸能人とは多くの場合接触しないのですから、視聴者がわざわざ芸能人の性格を論じる必要はないでしょう。そのようなことを考えずに歌や演技を見ていた方が楽しいはずです。

⑧大正デモクラシー
 植民地支配をしながら培われた民主主義は民主主義と言えるのでしょうか。

⑨おいおいと泣く
 本当においおいと言いながら泣いている人を見たことがありません。おいおいは、何を表しているのでしょうか。

⑩バイト、パート
バイトはドイツ語、パートは英語のpart time workerです。カタカナ語になった際に、両者にはどういう違いがあるのでしょうか。

こんなにいろいろな言葉にかみつく私はどうかしているのでしょうか、病んではいないのでご安心ください。

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「慰霊や鎮魂を営むということに関する雑感」

ごきげんよう。8月中旬担当のゆっくりと申します。今回は、最近ちょっとだけ思ってみたことを、文章にしてみました。読み辛かろうとは存じますが、お許しください。ではでは、お付き合い下されば幸いです☆

本邦に生を享けて、この時期ほど、《一般的な》「慰霊」とか、「鎮魂」とか、そのような事を意識せざるを得ない時期も中々になかろう。テレビニュースなどの媒体では、我々はかかる営みの殆どを眼前にすることができる。その中で、短歌、俳句を含む文学営為をもまま目にする。
ところで、このようなムードや営みは、何も現代に生きる我々の専売特許であった訳でもない。当然だが、武力を用いた闘争は、死者を伴う。これは、神武東征、藤原仲麻呂の乱、治承・寿永の内乱、南北朝の動乱などを例に挙げるまでもなく、あらゆる武力衝突の最中には死者が生じ、その時々の信仰の形式と様式に従ってその魂が鎮められてきたのである。

ここで、筆者が長年疑問としていたある定式がある。それは、《文学=鎮魂》と呼ばれる定式である。元々、民俗学や宗教史において語られていた人々の信仰の發露としての様式は、なんだか社会科学の定式のような――そう、非常に高度に学問的に純化された――香りさえする。言うまでもなく、様式はそれまでの営みから掬いあげられるものに過ぎない。このような疑問を持ちつつ――疑問、というより、この高度な定式のあまりの純度の高さに、行為主体としての自覚がどこか《ふわふわ》としていて――茫漠と過ごしていたのだが、ここ最近、佐伯真一氏のご論考[1]を拝読するにつけ、つらつらと雑考を胸中に膿むに至りて、恥ずかしげもなく開陳するものである。

佐伯氏に、『平家物語』を題材として、生者が死者を鎮魂・慰霊する[2]ことに関する考察がある。各論についてはご紹介する能力がないのは全く無念なことであるが、すなわち、生者から死者に向けられる言葉は、一様に怨霊を讃えるばかりでなく、説得、威圧などの様々な作用を持つ。という説である。
また、兵藤裕己氏の以下のようなご論考[3]も、大変魅力的である。すなわち、霊は《ヨリマシ》=語り手に憑依し、《モノ語り》をさせる。という所論である。俳句や短歌において、作中主体が死者である場合には、この類型が該当しよう。
『平家物語』の時代には、神道、儒教、仏教、道教などが混淆の様を呈しているのは明らかであろう。

十把一絡げに慰霊や鎮魂といっても、様々な様式や形式が、800年前から人々の信仰に在ったということが確認できればよい。『平家物語』に関する論考を選んだ行論上の必然性はない。ただ単に、筆者の専攻に近かった。それだけである。
かかる諸論を念頭に、我々はどのように我々の慰霊を自覚して行為すればよいのだろう。重要なことは、曖昧模糊とした手続きを一個包装とせずに、自らのどのような営みが、霊や個人へのどのような想いや祈りと、どのような様式や形式において連関し、どのように遂行可能なのか…について、《割と》真剣に考えてみることであろう。

信仰や想いと、様式や形式と…どちらが先行するかと問われると、「相互補完」…という、これまた逃げの一手を打つしかない。ただし、緩やかに相互規定をしているのだから、信仰と理性的手続きとは、互いに規定し、荘厳し合う。
叙上の様な想い遣りを踏まえて、今季も私は招魂復魄に従事し、先祖のお寺に参る。「礼と云い、礼と云う。玉帛を云わんや」(『論語』陽貨篇)ではないが、血の通った儀礼を営まなければならない。なにより、都会生活でボロボロになった自己規定のために。そう、これらの営みも、結局は現世と常世の関係から語られることを逃れられない。そして、私の未熟な精神は、前者を重視する。現在の私のお盆の形態など、頽廃しきったものである。だからこそ、自己規定なりの儀礼を全うすることで、自己規定は達成されねばならない…[4]

以上、愚にもつかない雑感を述べてしまった。「『平家物語』と、お前のしょーもない考えと、必然性を寄越せ!」と問われると、申し訳の仕様もない。
ただ、自らが行っている様々な宗教的行為をもう一度分析してみると、その多様さと雑駁さ、無秩序さとに驚かされる。『平家物語』の時代の人々も、きっと、多様な信仰を持っていたのだ。更に言い訳をすると、本稿は元々、中世人の鎮魂・慰霊に現代人が如何に寄り添うか、そのパラレルさにシンクロしたいという欲求の、遠く昔からの《応答》を、21世紀にどのように現出せしめるか、であったのだが、水は低きに流れ、素より能力も何もなく。あまり人の悪口〈あっこう〉も書きたくないし…
800~900年前の人々の想いに寄り添うには、理性(お勉強)が足りませぬ[5]。向後の課題と致しとうございまする。
末筆となりましたが、拙文掲載の機会をお与え下さった関係各位に、そしてお付き合いくださった皆様に、篤く御礼を申し上げます。
それでは、猛暑の砌、お身体をお労り下さいませ。恐々謹言。

[1]佐伯真一氏「『平家物語』と鎮魂」(鈴木彰氏・三澤裕子氏編『いくさと物語の中世』汲古書院2015年に所収)
[2]「鎮魂」や「慰霊」の語義は時代によって推移するという点に関しては、坂本要氏「「鎮魂」語の近代――「鎮魂」語疑義考 その1――」(『比較民俗研究』第25号、2011年)を参照。いかなる言葉も、そのフレームから逃れ得るものではないが、本稿では「生者が死者に対して祈る種々の営み。」という程の意味で用いる。
[3]兵藤裕己氏『平家物語の読み方』筑摩書房2011年(初版は『平家物語〈語り〉のテクスト』筑摩書房1998年)
[4]「葬送・追善を行うことが権力継承を示す〈政治〉たることはいつの時代も同じである。」(上島享氏「法勝寺創建の歴史的意義」(『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会2010年、初出は2006年、492頁)を読んだ時、身体を貫いた感動をまだ覚えている。
[5]いうまでもなく、文学は文化諸階層の精華であり、それら集中的反映と凝縮である。世阿弥を論ずるまでもなく、理性が大部分を占めるのは全く当然のことであって、「事物を言祝ぐ力を既に失っているのではないか」と思わせるような営為とそれらを珍重する風潮には、差し当たり抗っておきたい。

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気になっている言葉 ③

 8月上旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀教務
 先生方や学生が「教務に出しておいてください」、「教務にレポート出しに行かねば」などと言うと、なぜ「さん」をつけないのか気になります。学生のみならず先生よりも年上の教務さんもいらっしゃるのに、役職名で呼び捨てにしては失礼でしょう。

②コミュ障
 初めての人とうまくなじめない、うまく話せない、面接で焦って話せないなどを、こう言います。実際に、「コミュニケーション障害」という障害があるかは存じませんが、障害者の苦労も知らずに、手軽に障害を僭称するのは失礼ではありませんか。

③ますらおぶりは男性的で素朴で力強いさまを表す言葉
 ますらおぶりが男性的なさまを表すのはいいとして、なぜ男性的と素朴と力強いが結びつくのでしょうか。例えば、女性でも素朴な人、力強い人も多いです。また、男性でも優美な人やか弱い人も多いです。なぜ男性的、素朴、力強いという一連の形容を我々はセットで考えるのでしょうか。

④wifi難民
 今回はこの奇怪な言葉の起源を考えます。
 2008年頃、住居がなくネットカフェを転々とする貧しい人を意味する「ネットカフェ難民」という言葉が出ました。これが国内ニュースで「難民」と言う言葉が使われるようになった起源かもしれません。
 そして、2011年の東日本大震災のときに、電車が止まって帰れない「帰宅困難者」という言葉が出て、略して「帰宅難民」と言われるようになりました。その後の経緯は知りませんが、それ以降「難民」が濫用されて、今や「○○難民」は「○○がなくて困る人」という意味になりました。そのうちの一つが、wifi難民です。まとめると、「ネットカフェ難民」で使われ始めた難民の語が、「困難者、困難民」の略に使われたのではないかという仮説です。論証ができていないので、詳しい方は教えてください。

⑤変人は誉め言葉です
 「変人」と言われれば誰もが傷つきます。確かに、一部では変人を「破天荒な人生を送った成功者」、「周りに流されず己の信じる研究をやり続けた人」の意味で用います。また、「変人がノーベル賞を取りやすい」という受賞者にはなはだ失礼な言葉もあります。しかし変人の本来の意味は、奇妙なことをする、あるいはそれをやめられない人のことです。奇妙な行動をやめられない人は、激しく悩んで変人と言われることを恥じますから、周りで変人という言葉を濫用されたらつらいでしょう。変人は誉め言葉、という言葉を聞くと、私はむしずが走ります。

 些細な言葉にかみつく私はどうかしているのでしょうか。病んではいませんからご安心ください。

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こんにちは、はじめまして。7月下旬担当、名称未定1回生の桄太です。

ちなみにHNは“こうた”とよみます。
もちろん常用漢字ではなく、さらにPC・スマホの変換でも出てこない漢字でして…自分でも打ち込む面倒さを感じつつ、他会員さんのお手を煩わせてしまうことに申し訳なさでいっぱいです。
面倒でしたら「木光」で十分ですので…ってここでする話じゃないかもですね。


それではタイトルの話に。

早いことにもう7月末ということですが、みなさんは、夏、感じてますか?

暑いし、クーラーは大活躍だし、蚊も飛んで、台風も来て、個人的には祭りにも行きました。
「夏」要素はなかなか揃っているようです。なにしろ7月ですからね。

しかし、ここで問題が。

私のココロはまだ、「夏」を認識できていないんですよ!!!
大問題です!!

なんせ私は生粋の夏生まれ、「夏」の概念が猛烈に好きな人間なんですよね。「夏」を毎年楽しみに生きているわけです。
それがぼんやりと7月に突入、課題やテストに追われ今に至るまで「夏」の実感を得られず…。「夏」の判定が出ないことにも、「夏」だと思えないまま大好きな7月を過ごしてしまうことにも悲しみが募ります。

基本的には、「夏」には実感があります。みなさんはいかがでしょう?
「あぁ夏だ、夏が来た、私は夏の中にいる!」と感じる瞬間が夏の初めにはありませんかね?けっして自然界にはない、自分の中での季節の断絶と転換の瞬間です。いうなればパラダイムシフトとは大げさでしょうか。

その瞬間を得られていない私は、どうしても「夏、まだかなぁ」と思ってしまいます。その度に頭に浮かぶのはカレンダー。
「7月下旬は夏じゃないのか…?」と冷静な私が呟きます。なんともむず痒くって、この記事を書いている次第です。

果たして私に「夏」は来るのでしょうか。個人的には夏休みに入ればなんとかなると信じているんですが…。
夏を感じるためのいい方法があれば、ぜひ教えていただきたいところです。

(夏っぽい話の1本や夏っぽい絵でもかけばいいんでしょうかね、名称未定会員らしく…)


それでは短いながら今回はこのあたりに。テスト勉強に戻ります笑 桄太でした。

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ポカポカ温まりたい...温まりたくない?

どうも、7月中旬担当、新1回生にして名称未定のケモナー枠(自称)の、だいぽん!と申します。普段呼ぶ時は「!」は付けなくても構いませんので「だいぽん」と気軽にお呼び頂ければ反応します。

さあさあ、今年も暑い夏がやってきましたね。京都の夏は特にヤバイと聞いていましたが、7月中旬でもう死にそうです。大丈夫か?
そんな暑い中では冷房が必須となって参ります。しかしそんな中、こう思ったことはありませんか?

「冷房ガンガンかけて布団にくるまって寝たい!」

このような声をツイッターでたまに見かけます(実際に「冷房 布団」などとツイッターで検索するとかなりヒットしますよ)。
なぜだ?わざわざ冷房をきつめにかけなくても、素っ裸(ないし下着だけ)で寝たほうが電力の消費も抑えられるのでは?しかし、そう単純な話では無いと思います。

先述のこの電力の過剰使用のような行為は、「布団にくるまる」こと自体が目的なのでしょう。僕が思うに、人間というのは、何かに包み込まれて温まりたい生き物なのです。

人間は哺乳類ですが、他のほとんどの哺乳類と比べて圧倒的に持っていないものがあります。

「毛」です。

犬を見てください。猫を見てください。豚も牛も、イルカも...あっ...コイツは例外だったわ。そう、皆、毛で体を覆われています。だいぽんがケモノに魅力を感じる所以の1つでもあります。一方人間はどうだ?いくら毛深い人でも、チワワより毛深い人はまずいないでしょう。知らんけど。
人間は、毛をあまり持っていない代わりに、持ち前の頭の良さで服を発明しました。そう。僕たちはもう既に、「服」というものに包み込まれているのです。街中を歩いていても、全裸で歩いている人はいないじゃないですか(まあこれは、法律的に全裸で歩いたら捕まるというのもあるけど)。

ですから、何かに包み込まれて温まりたい、という感性は、もはや人間が先天的に持っているものと言っても過言ではないでしょう。

今年の合宿は城崎。やっぱり温泉ですよね。春夏秋冬楽しめるのが温泉。暑い夏ですが、ポカポカ温まってみるのはいかがでしょうか。


こんな支離滅裂な妄想ですが、読んでくれてありがとうございました。次回のブログ担当は8月下旬なので、その時は北海道の合宿(気球サークル)での出来事について語る事になりそうです。ではでは。

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高校時代のノスタルジー

6月下旬担当のいとらです。私の中ではまだ6月。もう大学に入って3ヵ月になろうとしています。時間が流れるのは早いなと、最近よく感じるのです。

先日、母親が私の母校のパンフレットの写真を送ってきました。「京都大学合格!」みたいな感じで、私のインタビューが載っているんですよ。結構恥ずかしかったです。あの時の私はなんでこんなことを言ってしまってるんだろう、みたいな、もどかしい気持ちになるわけです。

まあそれは置いといて。そのパンフレットにある少女の写真も載っていたんです。その子もまた有名な私立大学に進学していて、私と同じようにインタビューを受けていたみたいです。その子がその大学に進学したことを初めて知りましたね。へえ、と結構驚きました。

私の母校は中高一貫校なんですが、その子と私は中学・高校の6年間で一度も同じクラスになったことはなかったんです。だからそんなに多く話をしたわけでもないんですけど、そのパンフレットを見て私はなぜか懐かしさのような気持ちが込み上げてきたんです。あの優しさ、あの笑顔。思い出すたびに、胸が締め付けられて痛くてたまらない。

無性にその子と話したくなって、高校時代の友人でその子の連絡先を持っている人にお願いしました。その人と話す中でもますます高校時代を思い出して、ノスタルジーに襲われました。今はあの子からの連絡待ちです。

こっちに引っ越してきて新しい人間関係もできて、充実した生活を送っていると思っていたんですけど、やっぱり6年間も過ごした学校のことは心に染みついていたんだな、と身をもって感じました。あの日々が今の自分の一部を作っていることを想いながら、これからの大学生活を楽しんでいきたいものです。

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忍び寄る期末テスト

7月上旬担当のあしたしです。主にイラスト作成を行っていきます。よろしくお願いします。

先日、内部誌をいただいたのですが、自分の作品がしっかりと乗っていて少し感動した記憶があります。編集に携わった方ありがとうございます。

夏休みまであと1か月を切り、レポートや期末試験などの準備でいよいよ忙しくなってきましたね。自分もそろそろ準備しなければ…と思っているのですが、最近あることにはまってしまって、なかなかスタートできずにいます。

はまっているものというのは、動画制作と動画の編集です。いままでYouTubeなどでいろいろ動画を見ていたのですが、大学生になって突然「自分も制作側に回ってみたい」という謎の衝動にかられました。

それで実際にやってみると、かなり時間はかかりますが、うまくいき、すっかりはまってしまいました。一つのことに集中して周りが見えなくなる性格も相まって、睡眠時間もズンズンと減ってきています。

イラストの制作にも時間を回さないといけないので、時間配分と健康に気を付けないと…とつくづく感じます。

イラストといえば、ほかにもイラストの制作をしている方いらっしゃいますが、皆さんすごいレベル高くてびっくりしました。特に服のしわとか、髪の陰とか上手だなーと思いました。どうやったらうまく表現できるんでしょうか。ぜひ教えてほしいです。

以上、目的もなく自己紹介風につづってみました。では次の方にバトンタッチします。

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創作意欲の話

初めまして、たぶん6月中旬の担当だと思う1回生の春雨つくしです。絵を描くほうの人間で、高校時代は漫研に入ってはいましたが、漫画より1枚絵のほうが得意なタイプです。よろしくお願いします。

私は中高と一応絵を描く部活に入ってきて、またここで創作サークルに入ったわけなのですが、4月頭に愕然としたことがあります。

絵を描きたいという気持ちが薄い。それどころか漫画や小説を読む気力すら湧いてこない。ゲームのシナリオを開いても、途中で何故かしんどくなってしまいスキップを押してしまう有様です。
どういうことだ。

単にブランクを挟んだためのスランプなのか、受験疲れからコンテンツを消費する体力が落ちてしまったのか。しばらくすれば回復するかな?と思っていたのに、五月末になっても解消されない。半ば焦りつつも、高校時代の漫画をリメイクして提出しようとネームを切りつつ絵を描く努力をしていたのですが、あることをきっかけに突然創作意欲が復活しました。
そのきっかけとは何か。

新しい推しが出来たことです。

先日、コナンガチ勢の友人と連れ立ってコナンの映画を見に行きました。私はコナンをあまり良く知らなかったのですが、それでもとても面白かったです。事前情報で、このキャラ私の好きそうなタイプのキャラだなあ、と思っていたキャラにものの見事にはまりました。京極真はいいぞ。

友人から単行本を借りて読み、長文感想を送りつけ、同じ熱量で返してくれる友人に感謝し。気づけばソシャゲのストーリーも読めるようになり、そして不思議と、二次創作のみならず一次創作への意欲も湧いてきたのです。構図が思い浮かんだ時、「早く描きたい!」という気持ちが生まれたことがただ嬉しかった。創作者としてまだ死んでいなかったことに安心したのです。

ここまで創作意欲が劇的に回復したのは、映画という完成度の高い濃密な作品で、なおかつ自分にとって新鮮なものを摂取したからでしょうか。なんであれ、良い刺激になったことは間違いありません。自分はこれまで、あまりたくさんの作品に触れてきた方ではないので、もっと色々なものを読んでみたい。そう思います。

そんなこんなで私は今もなれないペンタブと悪戦苦闘しつつ元気に漫画をかいています。間に合うかはその……。し、締切延びないかな……。

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やりたいこと

はじめまして、新入部員の日葵です。前回の部誌で盛大に誤字ってた人です。見なかったことにしてほしいです……

大学生になって新しく始めてみたいことがたくさんありましたが、大学って意外と忙しいですね……まだ生活リズムがつかめてないです。とはいっても!受験の時よりは暇なのでちょっとずつ手を付けたいです。

まず漫画です。脳内でストーリーを作っても出力できなければその物語は存在しないも同然です。一枚絵しか描いたことない私にとって漫画を描くのはめちゃくちゃハードルが高いので、このサークルの締め切りをうまく活用して頑張っていきたいです。

そして動画!作ってみたいけどソフト入れるのめんどくさ…と思いまだ何も手を付けていません。今年の夏に簡単なものを1本くらい作りたいです。

あとモデリングです。1年ほど放置しているモデリングソフトをそろそろ使いこなせるようになりたいです。

でも本当にやりたいことは読書です。物語を描くというのは世の中の何よりも知識を必要とします。私はほとんど本を読まない人間なのでもう少し活字と仲良くなりたいと思います。最近は漫画を読むことさえ面倒くさいですが…。

やりたいことが色々ありすぎて毎日ワクワクしながら生きています。最近は今日帰ったらこれ描いてー明日は色塗ってーとか考えてたら授業が終わっています。レポートと締め切りと画力と闘いながら楽しく絵を描いていきたいです。

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気になっている言葉③

5月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。
➀ 号泣
 号とは本来声を上げて泣くことであるのに(2014年の市議会議員の号泣会見はまさに号泣です)、最近は号泣を大泣きするという意味で用い、声を上げていない場合にも用いているのが目立ちます。

②~すぎる
 本来状態や程度が通常の基準を超えて困るという困惑のニュアンスを含んでいたはずなのに、最近は「とても~」の代用に用いられているのが目立ちます。(例えば可愛すぎる○○、けなげすぎる○○)

③ ○○人に一人の美少女
 大変な美人をさすときに用いる表現です。最近は○○に入る年数が、1000年や20000年のように長くなってきました。私が幼いころは、10年に1度ということはあっても、ここまで強調して言うことはなかったのですが。

④ メンツ
 「体面、体裁」の意味であったのに、「メン」の共通性から「メンバー」の意味が付加されました。誤用ではないのでしょうか。

⑤コーデ
「コーディネート」の略で、「ヒルナ〇デス」などでしばしば用いられています。略するならば、「コーディ」というべきではないでしょうか。

⑥wifi難民
wifiがなくて困っている人々のことをさします。しかし、難民は本来もっと重いものです。故郷を追われ、住むところもなく、排外主義
におびえながら、各地を転々とし、どこからも受け入れてもらえない人々です。我々のように、難民多発地帯の中東からの石油で安穏と暮らしている人間が、ちょっと携帯電話がつながりにくいくらいで難民を僭称するのは、本当の難民に失礼です。世界が日本とアメリカとEUだけだと勘違いし、くだらないものを買って難民支援の寄付もせず、「世界史」とか「グローバル」とか言いながらアフリカや中東には何の関心もない我々は、もっと自分を恥じた方がいいでしょう。

⑦平成30年を振り返る
元号で区分するよりも、分野ごとに個別の指標を設けて時代区分を行った方が、理解しやすいと思います。例えば、音楽史で言えば、CD中心からネット配信、さらには2012年頃のスマートフオンの普及などで区分をした方が、なぜその曲が流行し、なぜそのCDが売れたのかがよくわかるようになります。また、経済で言えば、平成元年で区切るよりも、バブル崩壊、リーマンショックなどで区切ったほうが、よりわかりやすく景気動向が説明できます。元号に対する思い入れも世間には根強いですが、テレビ番組ではもっと別の区分を用いた説明も必要だと思います。

⑧元号は日本にしかない
日本にしかないもので、あってもうれしくないものも、あっても何も感じない者もあるのに、なぜ元号があるとうれしいのでしょうか。これをうれしそうに言う人を何人もテレビで見ましたが、そのあたりの論理的、説得的主張をしている人はいませんでした。別に年号不要論に立つわけではありませんが、元号がない国の人たちにそのあたりの感情をうまく説明できるようになりたいものです。

⑨自由の学風
「○○大学の卒業式でのコスプレは、自由の学風がエスカレートした結果」という誤報を見かけました。儀式の場でちゃんとした格好ができないのを恥ずかしく思う保護者も少なくありませんから、コスプレを学風の影響とするのは不適切です。また、少なくとも自由は奇行という意味ではありません。そもそも「自由の学風」という○○大学が掲げるスローガンは、実際の意味内容が誰にもわからず、抽象的で人によって意味するものが変わりますから、混乱を招かないためにも使うべきではありません。「自由の学風」という謎のお題目を掲げるよりも、学生がルールやマナーをしっかり守り勉学に励めば、自然とよくなるのではないでしょうか。

こんなにいちいち細かい言葉にかみつく私は大丈夫でしょうか。病んではいないのでご安心ください。

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今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:START
中旬:③
下旬:紅梅
です。

 

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