fc2ブログ
 

 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
サークルについて詳しくはこちらへ→公式WEBサイト

2021-10

  • «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • »

読書欲

 はじめまして、十月中旬担当の西桜と申します。今回は読書に関する悩みについて書きます。

 さて、それは小説がなかなか読み始められないことです。小学六年生の頃にお小遣いをもらい始めて以来、常に小説を買っては買ったその日にまず一旦読んで、その後その本の好きなフレーズ、落ち着く会話を何十回も読み返していました。当時はまだ本に回せる金額が少なく、大学生になれば毎日のように小説を買っては読む日々をおくれると夢想していました。その大学生となった今はどうでしょう。基本YouTubeを見て、残りは課題をこなす毎日。小説を買っても積読行き。あの頃の熱意はどこに消えたのでしょうか。マクスウェルの悪魔に僕の中のエネルギーを読書するエネルギーにもう少しまわしてもらうよう頼んでみます。

Edit 14:10 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

設定についての雑記

 11日はきっと上旬。ということでこんにちはこんばんは、10月上旬担当有末ゆうです。いえい!
 時の流れは速いもので、もう10月も三分の一を過ぎました。私もさっさとブログを書いてしまわねばと額に汗かきただいまキーボードをたたいているわけですが、しかし一体何を話したものでしょうね。前回担当させていただいたときは盛大にネカマ妄想ムーブをさせていただいたわけですし、今回は真面目に創作の話でもしましょうか。
 私はこのサークルで小説なぞを書かせていただいているわけですが、例会中の雑談で時折話題にされたりされなかったりする事柄として、プロットを立てるか立てないか問題みたいのがあります。私のみるところ「たてないかなー(明確に書き出したりしないという意味において)」という人が多そうですが、まあ短編中心に書いているということもあって、それも自然な気がします。二万字ていどのものでしたら頭の中で話を組み立てれば破綻はあまりしないという実感がありますので。
 で、私はどうかって話ですね。私はこの頃ちゃんとプロットなるものを立てて(書き出したりして)話を書こうかなという方向でやらせていただいてます。なにって最近は書いたものを出すと、書いてることと書きたいことが違うという事がよくありまして、ならば一度設計図を書き出して勘案して吟味してよし、と書き出せばまあ上手くいくかな、という考えているところです。実際にどうなるかは分からないところですけどね。
 そして、最近プロットと共によく考えようと思っているのが設定です。これは最近書いているものてきに設定をよく練っておく必要があるというところもあるのですが、しかし設定を大学ノート十四ページくらいに渡って書いてみると、執筆中になんだか安心して筆を進められるという実感があります。ここがどんな場所であり、このひとがどんな人物であるか。設定として書かれたことが百あったとして、三十しか使わないという事はきっとあると思います。でもその三十はきっと他の七十を媒介にして結びついている三十であって、背後に広がる設定のネットワークに支えられたものになっているはずです。そのために、設定を練っておけば書いているときに「あれ、これってこことの整合性どうなってるんだろう」とか、「この学校ってどういう場所になるんだ?」とか、あんまり悩まなくて済むようになってます(今のところ)。だから何を書くにしても、設定を練るのは良い事じゃないかなあと思いますね、はい。あと、結構楽しいんですよ、ノートに色々書き出すの。設定ノートなんて誰に見せるわけでもない、半分落書き帖じみたものになってまして、そこに妄想を弾けさせるのはいいものです。きっと他人に見られたら恥ずかしくって死んじゃいますが。どう考えてもこんなん話に書かんやろ、ってとこまで広げていくとしかし物語の世界の解像度は増してきまして、「あれ、これ使えるな」というアイディアも予期しないところから飛び出てきたりします。そしてその設定とにらめっこしながらプロットをたてて話を完成させていくわけですね。まあそれでほんまに上手くいくのかなんて、正直分からないんですけどね。でも楽しいですよ。楽しむのが一番ってとこありますからね、創作って(たぶん)。
 というわけで今回は真面目に(真面目か?)うろんな創作論について書かせていただきました。まーこんなのずぶの素人が適当書いてるものですからね、「有末とかいうのがなんか言ってら、ははっ」と笑い飛ばしてもらえばいいのかなと思います、はい。
 というわけでみんながみんな、みんなの仕方で楽しい創作ライフを! 
 それでは十月上旬担当の有末ゆうでした。またねっ!

Edit 20:40 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉24 訂正

おはようございます。9月下旬担当の葱です。気になっている言葉24の①「野戦病院」で、「仮設病院」が「仮説病院」になっていました。不注意をここに訂正いたします。推敲の大切さを思い知りました。

Edit 08:02 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉24

9月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

① 野戦病院
 なぜ「仮説病院」「臨時病院」ではなく、「野戦病院」ということばを先に思いついたのですかね。コロナ対策を戦いに例えることが多いからですかね。

② 透明人間
 私は先行き不透明人間ですね。

③ カクテル療法
 「混合療法」などではなく、あえてカクテルというのはなぜですか。

④ 感染防止のため
 それ以外の目的があるようにしか思えない掲示もありますね。

⑤ ○○大は授業課題が少なくていいね
 課題はやるより見つける方が難しいですよ。

以上です。こんなに小さなことにかみつくとはどうかしていますね。病んではいないのでご安心を。

Edit 07:23 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

覚え間違い

「今日授業でほら、最近使うやん、なんていうか、あれ、あの黒板の代わりみたいな……」
「え? ホワイトボードのこと?」
「うーん、違う。守護者みたいな感じの名前の……」
「守護者⁈ カッコイイもんがあるんやね!」
「うーん、……、なんやったかな? ああ! 思い出した! 機械の名前はプロテクターや」
 ……うん、思い出したとこ悪いけど、それはたぶん。

 プロジェクター。

「あ、TVでさだまさし歌ってる」
「へえー、さだまさし。北の国からとか?」
「ううん。『君の目が貫いた♪ 僕の胸を真っ直ぐ♪』って」
 ……ああ、それはたぶん。

すだまさき。(似てません?)

覚え間違いって面白いなあ、そう思う今日この頃で御座います。
以上ナカジマ杓子でした。

Edit 22:04 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ちょっとだけ

ㅤ皆様、はじめまして。
ㅤ9月上旬のブログを担当します、たろとと申します。新参者ですが、ひとつお付き合い願えると幸いです。

ㅤさて、ブログを担当しようということになってから、ブログのネタを探してはみたのですが、これが何もない。毎日昼前に起きて、昼食をとったら昼寝、夕飯前に起きて入浴・夕飯を済ませたら、音楽を聴いて寝落ち。こんな生活しか送ってないんですから、ネタが落ちている訳もなく。
ㅤウンウンと唸っておりましたが、先日高校時代の友人から遊びの誘いを受けました。同じことを繰り返す日々に飽きた私は、日程を即決し、昨日会ってまいりました。この友人というのが、浮世離れした人で、会って早々「精神に身体がついてこないから、思念体になりたい 」と。その後も(これは比喩ですが)書物になりたいだとか、隠居したいだとか、とても大学2回生が話す言葉ではない発言がポンポン飛び出てくるのです。私はそれが妙に面白くて、ケタケタ笑いながら聞いておりました。
ㅤそうしていたら、今度は少しばかり思想の話になりまして。ところで、私は幼少期から究極の現実主義者でした。何事にもリアリティを求め、自分が実現不可能な目標は掲げない質でした(この反動で創作は厨二なんでしょうね)。一方の友人は、夢想主義。2人の思想はほぼ真反対を向いていました。だけれど、会話はどことなく心地よくて、気がつけば、2時間も話しこんでおりました。
ㅤこの話を通して、だからなんだと結論づけるつもりはないですが、存外自分とは違う考えの持ち主との方が話が弾むのかな、とかいう所感を述べさせていただきます。

ㅤブログ担当をなんとか回せる程度の話題になってくれた友人には感謝しかありません。まあ、当の本人は、このブログの存在すら知らないんですが。

ㅤでは、私たろとの担当はこの辺で。
ㅤ今後ともよろしくお願いいたします。

Edit 10:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

超歌舞伎のお話

 まだ八月ですよね。八月ですよね。ですよね(圧)。
 
 折角八月下旬の担当になったのですし、8月31日が誕生日の初音ミクさんのお話でもしようと思っていたら、九月になってしまって、本当にすみません。なんだろ、毎回謝ってる気がs
 そうこうしている間に、京都南座で超歌舞伎を見に行くことになりまして、そうだその話を書こうと思い立ったわけです。
 超歌舞伎とは、伝統的な歌舞伎とデジタルが融合した新しい歌舞伎です。具体的に書きますと、ミクさんと歌舞伎役者さんたちが演じる歌舞伎です。バーチャルシンガーのミクさんと現実の歌舞伎役者さんがどのように一緒の舞台に立つかといいますと、舞台上に大きな電子パネルが置かれまして、そこに出てきます。

 当日、朝十時頃。胸を躍らせながら京都南座に着くと、そこは既に独特の雰囲気。ミクさんの法被を着た人、キャラTを身に着けた人、中には日本人形サイズのミクさんドールを持っている人まで。こちらのテンションも上がります。
 しばらくして開場すると、皆一斉にグッズ売り場へ。さながらコミケ会場です。それなりの長蛇の列を乗り越え、ペンライトやアクリルキーホルダー等をゲット。ペンライトは超歌舞伎中に使えます。
 演目は、御伽草紙戀姿絵(おとぎぞうしこいのすがたえ)。ミクさん扮する七綾太夫と、中村獅童さんが演じる源頼光との恋物語です。七綾太夫の正体は、平将門の娘、七綾姫。将門を討ち取った頼光に敵討ちするため遊女となって近づきましたが、本当に恋に落ちてしまいます。その後、盗賊に殺されかけた七綾太夫は、日本を魔界にしようとする物の怪の手により、頼光を恨む女郎蜘蛛へと変容し……。
 

 まじで面白かったです。語彙力が消失してますが、本当に面白かったです。劇中歌の「ロミオとシンデレラ」も、大変話に合っていて、更に好きな曲となりました。
 九月中は概ねやっているようなので、もし興味が湧いたもの好きな方がいらっしゃいましたら、是非見てみてください。リンク張っておきます。
https://chokabuki.jp/minamiza/

Edit 02:30 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

『ペンは剣よりも強し』かもだが筋肉にはかなわない

どうも皆さん。八朔です。
七月末担当だったのですが、僕の中ではまだ七月末なのでセーフです。
前回の記事から9か月経ちました。そして私は大学院に進学しM1になりました。留年と浪人と遅生まれで24才になったM1です。
M1だろうがなんだろうが色々な締め切りをぶち破っております。テカテカの大学院一回生。イェイ。はは。

かれこれ京都大学に足を踏み入れてから五年と五か月になりました。
ニコニコの中学一年生が高校三年生で進路に悩むくらいの頃。
母の腕に抱かれていた親戚の赤ちゃんもそろそろ目が据わってくるくらいじゃないでしょうか。
入学当時にそれなりの数いた知り合いは一人また一人と減り、研究室を変えたこともあり気がつけばガチで同じ学科だった人と話さなくなりました。
友達がいないわけじゃないんですよ。Twitterのフォロワーとか、LINEのアカウント知ってるし。でも何なんでしょうかねこのモヤっとする感情は。
同窓会で再会でもするんでしょうかね。もう未来に託すことにしました。

やはり現実は世知辛い。せめてフィクションの中でくらい夢を見たいものですが、夢を見るのも一苦労です。
予備知識は勿論流行りや名作をチェックしなければならない。時間が足りないのはそうとして、それを行うにはやはり体力がないといけない。
なので最近部屋が広くなったのでプランクトレーニングなるものをやっています。体幹が鍛えられるので基礎体力の向上が望めるんですね。
走るのが嫌で、縄跳びをしようと縄を買ったものの飛ぶ場所がなく物置にしまってしまった私にも出来そうです。

スマホは普段は集中力や記憶力を低下させる悪魔として四六時中私の脳を心地よくハッキングしているわけですが、こういう日課の定着には役に立ちます。
畳の上だと肘をついても痛くないのはありがたいのか毎回疑問に思いながらアプリを起動します。早くヨガマットを買わねば。

「ヨウイスタート。プランク、ロクジュウビョウ」
アプリを起動すると、抑揚が変な機械音声でガイドを出してくれます。
「開始。腰をしっかり上ゲましょう。」
励ましお小言も忘れません。こっちは必死なので聞いていません。
「残り10秒。ナイン。ハチ。セブン。ロク」
なぜ奇数の時だけ英語なんだ?早く終われと念じます。
「ゴ、ヨン、サン、ニ、イチ」
そこは普通のカウントダウンなんだ。と思ったころには
「次のセットです。ストレートアームプランク、ヒャクニジュウビョウ」
新しい地獄が待っています。

……

「ピーフィロロロリ」
一通りセットを終えたら、安っぽいファンファーレで祝ってくれます。嬉しいもんですよ。でもサイドプランクは何時になってもしんどいかな。
台所に行ってプロテインを手持ちミキサーでしっかり水に混ぜて飲み干します。しかしミキサーに粉がつくので結構な頻度でそれを舐めることになります。
最近ココアよりリッチショコラの方が不味くないことに気づきました。でも比較的マシというレベルの議論なので、自分の舌は一般のそれと乖離しすぎてないかたまに心配になります。
ちなみに牛乳を混ぜると普通においしいのですが、エンゲル係数がすごくなっちゃうので最近は水道水一択です。
あまり過剰にプロテイン=タンパク質を摂取すると腎臓に負担がかかるらしいのですが、筋トレ後だし何より私はガリガリなので多分大丈夫でしょう。
こうして充足感を得た私は布団に向かいます。消化が不安ですがまあいいでしょう。明日も頑張れる気がしてきました。

……

原稿は?

1日が27時間あればと思います。

Edit 23:29 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

夜とにんにく。それとあの子。

 こんにちは。こんばんは。そして、はじめまして。この度初めてブログを担当させていただく有末ゆうです。初めてこの場に出てくるという事で恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、暖かい目で見ていただければうれしいです。
 さて、わたしも創作サークル「名称未定」に在籍しているという事で執筆活動をしているのですが、最近、創作というのは時として狂気じみてくるなぁ、という事を思います。
 つい先日、久しぶりに午前五時に目を覚まして、柄にもなくテンションが上がっていました。普段は十時ごろにもそもそと布団から這い出るような生活をしているわたしにとってそれは非常に珍しいことで、よしよし今日は調子がいいぞと顔を洗ってにんまり笑い、普段は摂らない朝食を口にしました。バターを塗ったトーストとブラックコーヒー、それと昨日作っていたゆで卵がこんなにおいしいんだと驚いたものです。
 さて、調子がいい日は早々に執筆にとりかかるに限ります。わたしは五年程愛用している薄汚れたノートパソコンを立ち上げて、傍らに置いたうすっぺらいノートに書きつけたうすっぺらいプロットとにらめっこしながら、キーボードをぱちぱちとやってうすっぺらい小説を書いていました(自分でうすっぺらいなんていうのはいけませんね。大作を書いていたと胸を張りましょう)。そのうちに部屋を照らす白い日差しはその光量を増し、わたしの背中はじっとりと汗ばみ始めます。扇風機を「強」にして風を感じながら、小説の中で私立探偵を動かしていたわけなのですが、この探偵たちがなかなか勝手に動き回る。わたしは彼らに手綱をつけて何とかコントロールしようとしていたのですが、どうやらわたしに騎手の才能は無いようです。やれやれ、今回も物語の構造がめちゃくちゃになりそうだ、わたしは自嘲気味なため息を吐いて、ファイルを閉じました。明日はきっと、今日の進捗を無に帰す作業になるんだろうと思って。
 そう、わたしの頭の中にはなんの疑問も無く、「明日」という言葉が浮かんでいました。なぜって、デスクの白い天板は夕焼けの朱色に染まっていたんですから――そこでわたしは、はっとして背後の窓を振り返ったのです。夏の太陽は西へ傾き、立体感のある、しかし薄い雲の前を二羽の鴉がゆっくりと横切っていきました。時計を見れば、既に六時を回っています。飲まず食わずで十二時間以上駄文をこしらえていたってわけで、まったく、狂気の沙汰です。
 疲労に、頭の奥がぴりぴりとしびれるような感覚がしていました。わたしは腕を伸ばして肩の凝りをほぐしてやり、流しへと向かいました。よほど汗をかいていたんでしょう、ぬるく、薬品臭い水道水でさえ驚くほどおいしく飲めました。干からびた体に水を与えてやると今度は胃の方が文句を言い始めます。トーストとコーヒー、それと一つのゆで卵で一日を乗り切れる程、わたしの身体は燃費がいいってわけじゃないみたいです。この時間ならまだ、馴染みのラーメン屋は開いているはずでした。
 わたしは部屋着を脱いで、外用のTシャツとデニムパンツを身に着けました。髪の毛は――誰に見せるわけでもありません――紺色の夏用キャップで隠します。きっとラーメン屋の店主はわたしの髪の事なんて詮索しやしないでしょう。
 財布とハンカチをバッグに入れて、わたしは部屋の外に出ました。外の暑さは日中のそれの残り香みたいなもので、風もあった分、過ごしやすそうです。おいしいラーメンが食べられそうでした。大学入学以来使っているスポークのぐにゃりと曲がった自転車も、心なし嬉しそうです。いい夕べだね、相棒。
 わたしは東大路通を一キロほど南へ向かい、例のラーメン屋へとたどり着きました。馴染みの店員さんの笑顔に迎えられて食券を買い、カウンターに通されます。店主のにーちゃんはいつも通りのとびきりの笑顔を向けてくれました。彼のえくぼで、ぴりぴりと疲れていた頭の奥がほぐされたような気分になりました。わたしは気をよくして、追加で缶ビールを注文してみたりしました。ラーメンがやってくる前に350ミリリットルのそれを飲み干し、腹の奥から滲み出してくる熱に酔います。店主のにーちゃんが「はいよー! おまたせ!」と叫んでわたしの前に並らーめんを置きます。とんこつ醤油で、鶏油をたっぷりかけたやつ。わたしは躊躇なんてしないでおろしにんにくを三匙放り込みました。明日、予定なんてものはないんですから。世の中には溶かさないでにんにくのライブ感を楽しむ宗派もあるようですけど、わたしからすればそれは邪道です。にんにくをぐにゃぐにゃと溶かして、濃厚なスープに姿を消した彼の、隠し切れない面影を楽しむんです。それがいいんじゃあないですか。スープのしみ込んだほうれん草を咀嚼して、麺を啜りました。酒の後の麺。安っぽくて、俗っぽくて、だけど最高の贅沢。それから五分間、わたしはばかみたいにラーメンを掻っ込んで、ご飯も追加してもりもり食べました。それはきっと、今日っていう日の肯定でした。
 店を出ると、もうとっぷりと日は暮れていました。お酒を飲んで自転車を漕いだらいけないな、なんていう順法精神は、幸いにも酔った頭の中に残ってくれていたようでした。わたしはスタンドを上げて、自宅に向けて歩き出そうとしました。その時でした。
「ゆう……?」
 ためらいがちな声が、わたしを呼びました。わたしは振り返りました。そこには一人の女の子が立っていました。いつからか、わたしがめっきり会おうとしなくなっていた子。わたしは、それで、酔いから醒めてしまいました。
「……久しぶり」わたしは軽く手を挙げました。彼女は少し安心したように微笑みました。
「ねえ、ゆう、今ひま? ちょっと歩かない?」
 わたしは三秒間だけ考えて、それで、頷きました。夜の東大路通は、あんがい人が多かった。
「最近、どう」
 元気だよ。
「授業とか」
 順調。
「今日、何してたの」
 なにも。
 二百メートルほど歩いて、信号で停まった時、彼女はわたしに湿っぽいまなざしを向けました。わたしは、目を逸らしました。向かいのスーパーは閉め作業を始めているようでした。
「ねえ、ゆう」
 何。
「今日、あたしの家さ、掃除したんだ。来ない?」
 どこか寂しさを感じさせる声でした。わたしはかぶりを振りました。
「さっき、わたし、にんにく食べちゃって。いっぱい」
「そ、か」
 わたし達の目の前の車道を、大型のトラックが駆け抜けていきました。彼女は眦を拭いました。排気ガスが目に染みたんでしょう。きっと、そうなんでしょう。
「ねえ、ゆう。あたしたち、もう、昔には戻れないのかな」
 わたしは彼女に微笑んで、ゆるく、首を横に振りました。信号が青になりました。わたしは自転車にまたがって、ペダルを一杯に踏み込みました。からっとした夜風が、突然、強く吹きました。キャップが空に舞いました。だけど、わたしは振り返らなかった。
「にんにくごと、愛してやれるからさぁ!」
 彼女の弱々しい叫び声が聞こえました。わたしは遠ざかっていくその声に、小さく、「もう、諦めてよ」と呟きました。彼女には、聞こえなかったでしょう。
 わたしはふと、目元をこすってみました。乾ききっていました。
 浅く、笑いました。
 家に帰って、ウイスキー・ソーダで酔いなおしましょう。それが正しい、今日の終え方です。
 わたしは、ペダルをまた、強く踏み込みました。月の大きな夜でした。

 ……なんていう妄想をなんの臆面もなく書けてしまうわけなんです、しばらく創作なんてやつをやっていると。いや、まったく狂気の沙汰です(それともそんなのはわたしだけなのでしょうか)。というわけで今回はこの辺で。皆さんお元気で。わたしは元気です。いぇい! 担当は二回生の有末ゆうでした。それでは。ごめんね。さようなら。

Edit 22:11 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

毎日暑い

 どうも皆さんこんにちは! ナカジマ杓子でございます、ということで、今回もどうぞお付き合いください。
 いやあ、最近は暑いですね。午後二時くらいに出歩くと本当に体が焼けこげるようで、嫌になります。空を見上げれば明るい太陽が輝いていて、なんだてめえは、俺を殺す気か、直射日光という名の殺人光線バンバン出しやがって、高みの見物かコラァ、こっちまで下りてこいや、タイマンで決着つけてやる、なんてことを思うわけです。暑いのは明らかにコンクリートの照り返しですし、完全に因縁つけてるだけですが、まあ、お天道様はきっと心が広いので許して下さることでしょう。
 暑いといえば、怖いのは熱中症ですね~。外で運動するときは水分と塩分を忘れずに。私は小学生のころ、炎天下を走り回っていた時にめまいと頭痛を覚えまして(たぶん軽度の熱中症)、木陰で休むわ~、となったことがあります。兄が倒れたので慌てた弟が、とりあえず手に持っていた霧吹き(カブトムシ用)をぶしゅぶしゅ顔面に吹きかけてくれたのがいい思い出であるとともに、今でも感謝しております。細かい水滴が眼とかに入って苦しかったけど、涼しいことは涼しかったぜ!、という感じです。
 水分摂取というと、ついついキンキンに冷えた茶ばかり飲んでしまいがちですが、あんまりやるとお腹を壊します(個人の感想です)。湯気の立つお茶もたまには美味しい。五臓六腑に染みわたります。
 ということで、何のテーマもありませんが、今回はどうかこの辺で。皆さんのご健康をお祈り申し上げます。

Edit 11:01 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉㉓

こんばんは、7月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について述べます。

① 世の中にたえて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし
 最近自転車が怖くて、世の中にたえて自転車のなかりせば・・・と言いたくなりますね。

② 状況を見て総合的に判断する
 たまに判断先延ばしを意味するときがありますね。

③ 感染、観戦
 日本語ではこれらが同じ音ですから、オリンピック関係のニュースはややこしく聞こえますね。

④ 平年並みの気温
 平年が異常気象ですから、ものすごく暑いという意味か、そこまでという意味か迷います。

⑤ 人流
 コロナが終わってもこの言葉は定着しますかね。

以上です。こんなに小さな言葉にかみつくとはどうかしていますね。病んではいませんからご安心を。

Edit 20:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

初めまして

ああ寒い寒い…………。というわけで、本日の雪予報のお時間です。

 最近、といっても1年スパンのゆっくりとした流れなのですが、映画を観ることがとても増えました。高校三年生の前半に、友達と「ミッドサマー」を観た後キリスト教の聖句を暗唱して二人で狂ったように笑ったり(高校がキリスト教系の学校でした)、「メイドインアビス」の劇場版を見て開口一番、主人公一行の一人を撮る上からのアングルが扇情的だったと述べたら「気持ちわる」と言われたり。高三の後半には精神的に参っており、10月に塾の宿題を全部ポアして、神戸でリバイバル上映していた「リズと青い鳥」を一人で観て一人で帰りました。ツイッターで持て囃されてる映画か追っていた漫画・アニメの劇場版しか観ていないのが一目でわかるラインナップですね。とはいえ、やはり話題になるだけあるのでしょう、どの映画も恐ろしくクオリティが高く、その時の記憶が鮮明に甦るような、良い体験になりました。そして大学生になっても変わらず、劇場版プリンセスプリンシパルとかシンエヴァといった、いわゆる話題の映画しか観ていないわけですが、この一年間を通して、映画を観るごとに、これは本当に暴力的なものだなあとつくづく思います。120分に凝縮された映像の完成度、骨まで響く音響効果。薄暗く、息が潜められた、スクリーン以外のものが全て排除された120分。こういう「場」は簡単に人を飲み込むからです。映画を構成する情報はあまりにも膨大であり、に存在するものを一度に全て掬い取ることは不可能であり、人はどこに注目するべきか、あるいはどこにも注目せず、その場の全体の雰囲気をただ受け止めるか、という選択を迫られます。そこに罠があります。受動的に映画を甘受する姿勢を持った人間に、いかに気持ちよく「感動」や「興奮」をお届けするか、映画を作っている人たちは分かっているんでしょうね。付き合いで観に行ったどうでもいい映画の、寒い家族愛を押し出してくるような映画で、「感動的」な大音量のBGMに押し出されるようにして涙を溢してしてしまった人は少なくないのではないでしょうか。私は単純な人間なので人生で数度そういうことがあり、かなり悔しかったことを覚えています。かなり恥ずかしい。あれで自分はその映画に感動したのだと錯覚してしまう人も多いんでしょうね。涙を流したからといって、それはなんの証明にもならないと思うんですが。個人的に、心を大いに動かされる映画は、かえって人に涙を流させないんではないかと思いますね。涙腺を狙うのではなく心を狙いすましているというか。それとも、単に私がそれらの映画を受け止める気概を持って望んだからというだけの、こちら側の感受性の問題なのでしょうか。
 暴力によって、本来であれば否定しているようなものを受け入れさせられるのは忸怩たる思いになります。それが本当に気づくべきことであれば良いのですが、大体は無批判に受け入れてはいけないものであったりするので。ただ、暴力によって心にするすると入り込んでくる言葉、意味。その快楽には抗い難いものがあるのも事実です。
 つい先日観た「劇場版 レヴュースタァライト」。これは暴力の話です。
 
 「レヴュースタァライト」は、「ラブライブ!」シリーズなど、「美少女がいちゃついてたら、嬉しい」という人間の最も素朴な感情に訴えかける作品を多く生み出すことで有名なブシロード系列のアニメ作品です。「レヴュースタァライト」も多分に漏れず、名前がある登場キャラクターは女性のみ。メインキャラクターである9人の「舞台少女」が、たった一つの「スタァ」の座を巡って「オーディション」に挑む……というのがざっくりとしたあらすじです。実は、私はアニメ版が放送された時はそれを観ておらず……、というのも、私はそういった「女の子たちが親愛の表現として身体的に軽度の接触を行うにもかかわらず、その親愛自体への掘り下げが不透明である」ような、言ってしまえば「百合営業」的な百合表現に食傷気味であったことが私に「レヴュースタァライト」を敬遠させたのでした。断っておきたいのは、私は決していわゆる「百合営業」が嫌いなわけではなく、むしろ、そういったものを消費することで命を繋いできたということです。
 マズローの欲求五段階説というものをご存知でしょうか?人間の欲望は、その低次の(より切実な)欲望が満たされてから生まれてくる、という言説です。すなわち、「美少女がいちゃいちゃしているのが見たい」という欲求が満たされて初めて、「美少女の関係性をもっと掘り下げてほしい」「二人の関係性に名前をつけたい」「二人の関係性が既存の概念のどれにも当てはまらず、名前がつけられないくらい掘り下げられてほしい」「女女の関係性だけ取り出した同人誌が読みたいなあ」「同人誌で〜〜てほしい付き合ってなくてもいいから」「公式で殺し合ってほしいなあ」といった、より高次の欲求が表出してくるのです。私はその時、女女がイチャイチャするソシャゲなどを既にやっており、恒常的に女女の素朴なイチャイチャが得られる環境下にあったため、女女がイチャイチャするだけでは食指が動かなかったのでした。
 そうして「レヴュースタァライト」を観る機を逃し、その数年後にやった劇場版もスルーしようとしていた私でしたが、「劇場版 レヴュースタァライト」の感想にこんな一文があるのを見かけました。

「レヴュースタァライトは百合ではなくBL」

で、出たーーーーー!!!!!!!!!!
 「百合ではなくBL」個人的には百合とBLを二元論の両輪に挙げることからしてナンセンスだなと思いますが、この言説の是非については置いておいて、こういうように形容される百合には、必ずと言っていいほど「暴力」と「相互理解」の概念が付随します。これは観るしかないと、腕をまくって鑑賞しにいったわけです。コピーには「”劇場”でしか味わえない{歌劇}体験」とありました。
 
 観た結果としては、これは暴力の物語でした。そしてその内実は最初に期待していた以上に大きかったわけです。確かにこれは、”劇場”でしか味わえない…………というか、どこで観たとしてもそこは”劇場”であったな、と思います。なぜなら、そこに暴力があるからです。「劇場版 レヴュースタァライト」における暴力とは、実際に登場人物たちが交わす言葉や刃でもあり、グロテスクなバロック調キリンが登場人物に求めるものであり、映画において常に行われていた”暴力”でもありました。”暴力”そのものが映画のテーマに据えられ、脚本から演技から映像から、映画を構成する要素を全て”暴力”を振るうことを前提に組んでいるということです。映画においても歌劇においても、暴力……舞台を現実と切り離すことで、劇中において、この世においてさまざまに関連し合い存在している何かしらが持つ文脈、持つ意味を、それのみ取り出して観客の心に狙い撃つということができる。”暴力”を行使され、スクリーンの外側は全て暗闇の中に置かれ、観客はその前でただただ”意味”を浴びせられることしかできません。キャラクター間での暴力もまた”暴力”であり、もしかすれば素面であれば否定されたかもしれないことが押し通される、心に突き立てられる……。本当に凄い。凄すぎて地に臥すしかない。
 私はこの映画をみて、「正しい”暴力”のふるい方」の一端を観たような気がします。あるいはこれもまた、劇場の暴力にやられた単純な私の錯覚に過ぎないのかもしれませんが。
 
 何も考えずに書くとまとまりがなくなってしまって困りますね。雪予報終わり。

Edit 23:14 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉㉒

こんばんは、6月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

①ドラえもんの秘密道具
 秘密にしていないのに、秘密と言わなくても。

②天才
 本人の努力を無視してしまうようで、使うのをついためらってしまいます。

③怖いもの知らずだった昔
 私はレジも電車も長机も怖くなかった昔に戻りたいものです。

④オンラインランチョン茶話会
 本学で行われているイベントです。早口言葉にちょうどいいですね。

⑤ドでかい、ド派手
 どういう条件なら形容詞にドがつきうるのですか。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心を。

Edit 19:03 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

アイデアについて

どうも皆さまこんにちは! 六月上旬を担当します、ナカジマ杓子と申します。大したことは書けませんが、何卒宜しくお願い致します。 さて、文字書きの片隅にも置けないような私ですが、一応小説もどきを書き散らすことを趣味としております。だた、最近非常に不思議な法則性を発見して、どういうことやろ? と首を傾げることしきりです。というのは、「他にやることがあるときに限って、書きたいアイデアが浮かんでくる」法則のことです。長期休みなんかに入るとわりとまとまって時間が取れるので、「この間に頑張ってっ書き上げるぞ!」と息巻いて机に向かうのですが、筆が遅々として進まない。それなのに、テスト期間になると、「あ、こんなのおもしろそう!(面白くない)」「こんなのやりたいなあ!」と変なアイデアばかり浮かぶ。ああ逆だったら最高なのに! と私はいつも思います。テストに対する逃避エネルギーが脳味噌を要らん方向に暴走させる、というのも原因としてあるでしょう。でもきっとそれ以上に大きいのは、時間がある時だと、アイデアをすぐ実行に移せてしまうということなんだろうと思います。よさそうなもんですが、実行に移した途端そのアイデアは色あせて、すごくしょうもなく見えてきます。いくらアイデアがあったって、自分にはそれを実現する腕がないという現実にすぐさまぶちあってしまうのです。膨らむ前に潰されたアイデアは、もう一切成長いたしません。逆にテスト期間中はアイデアを実行に移せないので、アイデアの種からアイデアが膨らむ。膨張する時間があるわけです。
 あー、もっと書くのが上手くなれば、こういうこともなくなるのかなあ、とうまい方々に是非とも聞いてみたいですね~。
 以上です。お付き合いいただきありがとうございました!

Edit 19:26 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

台詞を書くって難しい

 どうもこんにちは5月下旬担当のいとらです。
 小説を読むときに何に注目するかというのは人それぞれだと思いますが、私なんかだと台詞を中心に読んでいるところがありまして(もっと具体的にはキャラ同士の会話ですが)、そのため自分が書く小説においても台詞回しには力を入れるようにしています。私は小説をまともに書くようになってからかれこれ三年目(!?)に入ろうかというところですが、未だに台詞中心主義のようなものは自分の中に残っていまして、せっかくなのでこの場を借りて小説内の台詞について私が考えている事柄を書き連ねてみたいと思います。

 個人的な感触として、「」のついている会話文は、ほかの地の文と比べてリアリティが強い。というのも、地の文は描写というフィルターを通して書かれたものであるのに対して、会話文は作中の会話をそのまま貼り付けたものという印象があるからです。
 例えば、「Aさんは私を映画に誘った」という文章はあくまでもただの描写ですが、「Aさんは私に『映画に行かない?』と言った」となるとAさんの台詞が剥き出しで書かれることになります。
 上の例の前者と後者を見比べた時、後者の方が情報量が多いでしょう。どういう口調で、どういう表現を使って言ったのかが読者にも明らかなのです。こうなると、作者としては誤魔化しがきかないわけでして、「Aさんはこんな言い方をする人なのか?」というのを一々考えてしまいます。
『~しない?』という誘い方をAさんは果たしてするのか、「に」という助詞をAさんは言うのか、前に「できれば」とか「よかったら」のような婉曲表現はつけないのか、『見にいく』ではなく『行く』なのか、といったようなことが気になってしまうわけです。
 ほんの些細なことではあるわけですが、この書き方一つで作中の「事実」が変わってしまうと思うと気が抜けないんですね。そして、こういう細かいところの積み重ねが、作品全体の質感に関わってくるんじゃないかなぁというのが、私の思い、というかある種の信仰だったりします。
 まあ、実際の日常会話の場面なんて考えたら、一々助詞を入れるか入れないかなんて気にしてないんですけどね。言葉なんて一回言ってしまえばもう推敲なんてできませんし。
 そういえば昔、「めちゃくちゃ上手い会話文書く人でも、実際の会話が下手な場合も多い」というようなことを聞いたことがあり、それを聞いた当時は、「いやいや頭の中でいい台詞が思いつける人間が話すの下手なわけないじゃないか」などと思っていたのですが、今になって私はそのことを身に染みて実感しています。というのも、この二年間、小説内での会話の書き方はうまくなった自信がありますが、反比例するように普段の会話が致命的に下手になっている気がしているんですね。
 喋り終えてから「こういう表現にすればよかったな」と反省したりはするんですが、どうも口が動いている最中は頭が動かないみたいです。悲しいかな。
 え、反省ってどういうこと考えてるかって?
 ……助詞を入れるかどうかとかですよ。

Edit 23:37 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉㉑

5月中旬担当の葱です。遅くなってすみません。今回も気になっている言葉について書きます。

① ウイルス、ワクチン
ともに英語の発音とかけはなれています。なぜこのカタカナ語が定着したのですか。
② 謦咳に接する
昨今は飛沫感染が怖くてそれもできませんね。
③ 松葉括弧
≪≫を松葉括弧と言いますが、松葉には見えません。なぜこの名前なのですか。
④ 三密
これを聞くと壇蜜を思い浮かべるのは私だけですか。
⑤ 気になっている言葉
このコーナーは「気になっている言葉」ですが、言葉の考察ではなく、言葉をネタに一言いう謎のコーナーになっていますね。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

Edit 06:22 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑳

4月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

①自分らしく
 Jpopは「自分らしく生きよ」とよく言います。しかし、「自分らしく」生きられないことに悩む人よりも、「自分らしく」とはどういうものかがわからずに悩んでいる人の方が多いと思います。「自分らしく生きよ」と言われても、私はすこし戸惑ってしまいます。

②起て、飢えたるものよ
 革命家さん、飢えた人は空腹と絶望で動けないということがなぜわからないのですか。

③~ですが、~けど
 断定せずにこれで文章を終える人は多いです。しかし、その後に続くものがあいまいですから、はっきりとその後の内容も言った方がわかりやすいと思います。

④対面・オンライン
 対面の対義語は本来オンラインなのですか。

⑤若者
 ニュース番組を作る方、カメラに映っている人々をよく見ずに、人の群れをとりあえず「若者」と呼ぶのはやめてください。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

Edit 10:13 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑲

4月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

①なんで
「~なので」を「なんで」という人は多いです。しかし、「~なんで」は砕けた言い方ですから、きちんとした場であまり言わないほうがいいと思います。

②ご入学心よりお祝い申し上げます
すました顔で言われてもよく伝わりません。満面の笑みで飛び跳ねながら、「ご入学っ!心よりっ、お祝い申し上げますううう!!!」と言われたなら伝わると思います。そんな入学式のあいさつを誰も見たくないとは思いますが。

③ワクチン接種で日常が戻りつつあります
コロナ生活が続き、日常とは何だったのか忘れてしまいましたね。

④社会的距離を保とう
世間で言われている社会的距離よりももっと離れてほしいと思うのは私だけですかね。

⑤go to travel、stay home
なぜ標語は英語が多いのか疑問です。日本語でもっといい標語が作れないものですかね。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいないのでご安心ください。

Edit 19:50 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

後書きが書きたい!

 どうも皆さんこんにちは。四月上旬担当のナカジマ杓子と申します。
 それにしても、いやー、一年って早い! もうぴちぴちの新入生がやってくるのか、私はもう老害なのか、と毎日を憂鬱な気分で送っております。こんな愚痴こそが老害であるというご指摘は甘んじて受ける覚悟です。
 さて、今回の題は「後書きが書きたい!」なのですが、普通に、じゃあ書けよ、ってハナシですよね。でも、これがまた一筋縄ではいかないのです。 
 OB、OGの方の過去作やプロの方々の作品を見ると、面白い後書きがついてる。個人的には似鳥鶏先生の後書きなんかもう最高です。私もあんな風に、かっこよくて、ユーモア溢れ、読者に寄り添う後書きが書きたい! といつも思い、執筆中(執筆というのもおこがましいレベルかもしれませんが)には、あんなことを書いてやろう、こんなことも面白そうだ、と色々考えて、ムフフと笑う。
 しかし、しかしです。書きあがってみると、「あれ? この完成度の作品に立派な後書きが付くなんて、海老の胴体にタイの尻尾を付けて出すようなもんじゃないのか?」って気になってきて、「ああ、こんな面白くない作品を最後まで読む人なんていないんだ。最後に後書きなんて付けたって……」とすっかりやる気がなくなってしまいます。私見ですが、後書きというのは作者本人が読者に生の声をぶつける唯一の場であり、そこに何かを書くということは、やっぱり多くの読者を想定して初めてできることなのです。そんな特権を得られるよう、私も精進せなあかんなあ、と弱弱しい決意を固めたところで、短いですが今回のお話はおしまいです。
なんだか病んでる感じになってしまい申し訳ございません。それでは皆さん、また今度。

Edit 22:40 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

新歓例会とテーマについてのあれこれ

 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。3月下旬担当のいとらです。名称未定の会長をしています。

 本日3/31からdiscordにて新歓例会を実施します。サークルの紹介や、創作についての話、雑談などを行います。チャットのみでも、聞き専でも大丈夫です。詳しい参加方法は、名称未定のホームページやTwitterをご覧ください。新歓は4月いっぱいまで行うので、興味がある方はぜひのぞきに来てください。

 また、4/21には作品発表会を行います。これは、各々が作品をかいて、感想を言い合おうという企画です。
 テーマは「雷」「手料理」「共鳴」の三つです。これらのテーマを参考にしながら、自由に創作を楽しんでみましょう。三つすべてを織り交ぜるというのでも、一つだけ選んでかくというのでも、あるいはこれらのテーマとは関係なく創作してもらっても構いません。
 一ページ程度のものから、気楽にご参加ください。

 ところで、今回テーマを設定したわけですが、みなさんはテーマを決めてかくということに対してどういう風に感じているでしょうか。テーマがあるとかきづらいという方もいれば、逆にテーマがあった方がかきやすいという方もいると思います。
 私は後者側の人間です。私は主に小説を書いているのですが、物語の軸を作るのが苦手なんですね。なので、テーマとして一本軸が定まっていると、そこを取っ掛かりとして肉付けしていけるので、組み立てやすいのです。
 生来私は、ゲームをするときなどにも「制限」を加えてプレイするのが好きでした。例えば、卓球をするときには敢えてペンホルダーではなくシェイクハンドにしてみたりですとか、左手でラケットを持ったりしていました。この根本には、何かを極めるというのが苦手で、つい「新しいルール」での勝負で誤魔化してしまうという私の性格があるのだと思います。
 同様に、小説を書く時にも、何もない状態で「自分の書ける最高の作品を書いてください」と言われると困ってしまうわけです。その代わり「このテーマを扱った上で作品を書いてください」という条件が課されると、ぐっと気が楽になります。
 甘えてんじゃねえぞって? はいその通りです。本当は制限なしに自分の書ける最高のものを書くべきなんだろうなとは思うんですがね。
 とはいえ、創作に対するモチベーションは人それぞれですし、少なくとも自分が楽しめることが一番だとは思うので、こういう人がいてもいいのかなと思っています。

 長々と書きましたが、今回テーマを用意したのは、みなさんがかきやすいようにということです。
 うまくかけるかわからない、ということもあるかもしれません。ですが、まずは挑戦してみてほしいなと思います。ぜひ、私たちと一緒に創作の世界に足を踏み入れてみませんか?

Edit 17:46 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

大学生活のしのぎ方 2021

こんにちは、3月中旬担当の葱です。新入生向けに大学生活を送る上での注意点を述べます。

① 講義
自分で考えて自分で調べることが重要です。ただ受けて単位を取るだけではいけません。講義中は自分の考えや疑問を記録し、講義が終わってからそれを深めていかねばなりません。

② 英語
 毎週のリスニング課題や英語の授業では、英語力はあまり伸びません。青谷正妥(2012)『英語学習論』、朝倉書店、などを読んで、英語力を鍛えたほうがいいです。大学では語学を究める人が多くいます。時間がない、授業が不十分などを言い訳にしていられません。

③ 自転車
 京都は自転車走行に不便です。車道は危険、歩道は原則通行禁止で、自転車が通る場所がありません。地元の感覚で自転車を走らせると事故に遭います。

④ 食堂
 昼時は混むので避けたほうがいいです。本当に。

⑤ 自力救済
 最後に頼れるのは自分だけです。大学では、よほど親切な人がいない限り、誰も助けてくれません。

⑥ 当然のことは当然に
 ポイ捨て、居眠り、ベンチで寝る、頬杖をついて講義を聞く、などの、やってはならないことは、大学生になってもしてはいけません。

⑦ 5月病
 5月ごろには、理想と現実のギャップ、自分のやりたいことがわからなくなる、大学生活につかれるなど、精神的に疲れます。これを乗り越えるのは大変ですから、覚悟してください。
 
⑧ 進路
 就職活動は1回生のうちに始めるべきです。1回生のうちに、就職活動のハウツー本を読む、内定者座談会への参加などをしましょう。本格的には3回生の夏に始めましょう。大学院進学をする人も、3回生の冬までは就職も視野に入れましょう。

⑨ その他
 駐輪場でアンケートと称して人が近づいてきたら危険です。

以上です。新入生の方はお気をつけて。

Edit 12:03 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

虚無感と春風

3月上旬担当の鏡蛍です。こんばんは。
春休みの折り返しの季節、初春の穏やかになりつつある気候に背中を向けて家で引きこもってばかりいる日々が続いているのがきっと私だけではないと信じています。
旅行にでも行くことができれば気も晴れるのかもしれませんが、まだまだ社会情勢も中途半端であまり派手な外出は控えるようともいわれるいわば摩擦係数の高い状況下では、私の弱い意志の力で体を外に引きずりだすのはどうにも無理があります。

従ってアルバイトや習い事、その他の強制力が働かない限りはずっと家にいることになるのですが、しかしこの生活にはある一つの大きな課題が付きまといます。
それはすなわち「虚無」です。家に一日中いるという生活は、本を読んだり、コンピュータを触ったり、勉強したり、人によってはアニメやドラマにゲーム、趣味など意外とすることはいくらでもあるものです。もし休暇の長さが1週間足らずであれば、それだけでも十分に充実した日々を過ごすことができるでしょう。しかし休みに入ってひと月を超えてくると話は変わってきてしまいます。
本を読んでいてふと集中が切れた時や録画したアニメを見終えた時、不意に「虚無感」というものに襲われることがあります。別段暇なわけでもなく、場合によっては読書や勉強など、客観的に見て意味のあると思われる時間の使い方をしているにもかかわらず、です。
今回はこの「虚無」というものについて、少しだけお話ししたいと思います。

なぜ虚無感が生まれるのか、それはひとつには、自分が現在行っている行為に本質的な意味を見出せないことに原因があるように思えます。人が虚無感、虚しさを覚えるのは、代表的には自分のしてきた行為や努力が水泡に帰してしまうことが分かった時ではないでしょうか。
例えば、やらなければならないと思い時間をかけて取り組んでいた課題が、実は不要だとわかった時、私たちは押し寄せるような疲労感と脱力感、そして虚無感を味わうでしょう。ではこの「長期休暇の虚無」も同じ理由によるものなのでしょうか。
違う、ということは、上で説明したことと照らせばほとんど明らかなはずです。この長期休暇の虚無というのは、行動それ自体が無意味かどうかとは無関係なのですから。

ではこの虚無感の原因とは何なのでしょう。ここで虚無感の原因として有名なものをもう一つ上げてみましょう。
それはすなわち慣れ、飽きです。「来る日も来る日も同じ仕事、同じ日々の繰り返しで嫌になる」なんていうセリフは、少なからずどこかで聞いたことがあるでしょう。まさしくこれは同じことを繰り返した飽きによる虚無感であるといえます。繰り返しばかりの日々を送っていると、その毎日にだんだんと積極的または本質的な意味を見出せなくなってしまうというのは、分からない道理ではないでしょう。刺激の少ない長期休暇において、これと同じような状態になってしまうということは十分にありえます。読書や趣味的活動をしてもなんとなく集中できないのは、すなわちそれに(読書や趣味に、というよりも刺激の少ない状況それ自体に)飽きてしまっているからなのです。

しかし虚無感の原因にはもう一つ大きなものがあるのではないか、と私は思います。
それはすなわち、「リアルタイム性のある活動」の欠如です。そもそも普段、趣味以外の「飽き」の影響を受けにくい物事を行う時に、いちいちその本質的な意義を問うことなどありません。なぜなら往々にしてその必要性は明らかだからです。以下でその例を見てみましょう。

なぜコンビニでアルバイトをしている大学生は、レジに並ぶ来店客に応対するのでしょう。なぜ一人暮らしの大学生は晩御飯の買い物に行くのでしょう。なぜ授業を受けている大学生は教授の講義をメモに取るのでしょう。なぜ大学生は明日締め切りのレポートを書くのでしょう。
考えるまでもありません。それは、「今すぐにそうしなければ問題が何らかの発生することが分かっているから」です。ここでいう「今すぐに」というのは数分から数時間まで状況によりさまざまですが、とかく本質的にそれをすることが自分自身の人生にとって価値があるかなどということはさておいて、今しなければならないことというのが与えられているからこそ、人間はその作業に従事しうるのです。
「それをしなければ問題が発生するのだから、それをすることには価値がある。だから自分がいまやっていることは無駄な行為ではない。」
そうしてその行為を正当化することで、人は虚無感を覚えることなく生活を送ることができるのです。

そして上の議論の対偶(もちろん正確な意味ではありません。自然言語による伝達に論理的厳密性を求めてはいけません)を取れば、最初に提示した問の答えが導かれます。
私が、私たちが長期休暇中の自己研鑽のような本来有意義な諸活動に対して虚無感を感じてしまうのは、「それを行わなかったとして明示的に問題が発生しないような活動であるから」なのです。

……なんて、3月の風のように乾いた文章で論理立てて私のここ数日に言い訳をしたところで、誰かが報いてくれるわけではありません。やっぱり理屈っぽい性格というのは利のないものですね。
きっとより時間的深度を持った視点を持つことができれば、諸行為についてそれを今やらなければならないことだと自らに納得させることも可能なのでしょうが、今のところ私にそれを実行するいいアイデアはありません。誰か知っていたら教えてください。

ただ最後に、「3月上旬担当」のブログ、というのは一つの「今やらなければならないこと」として、私の長期休暇の虚無をかき消すのに少しは役に立った、ということだけは書き添えておくことにしましょう。

Edit 11:19 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

なぜ掛け算を先に計算するのか

はじめまして。2月下旬担当のたしゅです。
名称未定は創作サークルですが、今回は算数の話をします。


掛け算を先に計算するのはなぜかという疑問があります。
小学二年生のときに教わり、ルールだからと覚えさせられたこのルール。
正しく説明しろと言われたら、あなたはどうしますか?


実は言うと、「ルールだから」という一見ごまかしているような説明は的を得ています。
実数は体であり、体の公理のひとつである分配法則は掛け算を先に演算するように求めています。
掛け算を先に計算しなければ分配法則が崩れ、掛け算を先に計算すれば分配法則が成り立つのです。
だから掛け算を先に計算するんだよ。小学生にこう教えても誰も納得しないでしょう。
だからなぜこのようなルールが生まれたかを説明するのが良いと思います。


いま1000円を持っていて、300円のものを買いました。残りは何円でしょう。

この問題は 1000 - 300 = 700と解くと思います。
ここで今度は、次の問題を考えましょう。

財布には合計1000円が入っていました。いま100円玉を3枚出して300円のものを買いました。財布にはいくら残っているでしょう。

この問題も1000 - 300 = 700と解けます。


さて二つの問題が主張していることは同じですが、形が違います。
一つ目の問題は電子決済で払っているようなもので、いかにも数字をいじっている感じがします。
しかし、二つ目は硬貨を意識した、より実用に即した問題であるといえます。
300円を出すというとき、100円玉を3枚だすという意味を込めて100×3円出すといっても良いでしょう。100 × 3 = 300なのだから筋は通っています。
ならば 1000 - 300 = 700を 1000 - 100 × 3 = 700 と書き換えるのも自然です。1000円があった。300円払った。残りは700円。これを二種類の書き方で書いているだけなのです。


お金に例えると、この計算が2700にならないのも頷けると思います。
掛け算は一つのものを、あえてバラバラにして数えるものなのです。
こういう事情があるから掛け算は先に計算するんだと説明すれば、子供も納得するのではないでしょうか。

Edit 15:39 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑱

皆さん、こんにちは、2月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

①他己分析
他人から自分を分析・評価してもらうことをいいます。アメリカ人に"What is takobunseki"と言われたら、takoをどう説明するか、迷いますね。

②ごはんおかわり無料
日本も豊かになったものですね。米が無料とは、いつみてもびっくりします。

③わかりっこない
 「こ」は一体何の短縮形なのですかね。

④新型コロナウイルス
新型とわざわざつけるからには、「旧型コロナウイルス」もあるのですか。

⑤よう~しない
古い本では標準語として使われていますが、今では関西弁にしか残っていません。いつから方言になったのですかね。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

Edit 18:00 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

鬼の話

 どうも皆さんこんにちは。ナカジマ杓子と申します。
 さて今回はといいますと、この間サークルで話題になった鬼の話について。まあ、鬼滅とか流行ってますし、二月、節分ですし、タイムリーっちゃあタイムリーなのでは、と小癪にも考えております。
 「来年の事を言えば鬼が笑う」とありますが、これ、どうして鬼が笑うんだろう、って話になりまして、なんでも鬼には未来予知ができるから、それができない人間を笑うんだそうでございます。へえー、鬼ってめっちゃ強いやん、あの筋肉に予知とか、まさに鬼に金棒やん(うまくない)とか思っていたのですが、あれ待てよ、それにしては鬼さんたち負け過ぎじゃね? とも感じるわけです。
 桃太郎、金太郎、一寸法師、全部でボコボコにされてますよ、あの人たち。 AUのCMに出てるメイン三人のうち二人ですからね。三分の二ってちょっとどうなのよ、という感じです。この分だと、花咲じじいや砂かけばばあへの勝利も危ぶまれますよ。あ、砂かけばばあは普通に強いのかな……。ちなみに私は長年この二人は夫婦なのではないかと疑っているのですが、どうにも確証がつかめません。粒上のものを投げるという奇行を生業とする高齢者同士、惹かれあったりはしないのでしょうかねえ。
 さて、話を戻しますと、未来予知ができるなら、相手がどう攻めてくるかなんて一発でわかるわけですし、いくらでも対処できるだろう、と。どうしても勝てない相手からは逃げればいいのに、と。三十六計逃げるに如かずと言いますし。酒吞童子とか、酒飲んでる場合じゃないですよ、飲んだら死ぬっちゅうねん。
 これはどういうことだろうなあとぼんやりしていましたら、一応これという仮説が生まれました。シェイクスピアの「マクベス」。予言を回避しようとすると、予言が成就してしまう、というあれです、運命とは結局変えられるものではない……。これを鬼にも適用すると、彼らの敗北にも納得がいこうというものです。どう行動しようが、予知には覆る余地がない(うまくない)。そのことを鬼たちが悟っていたのなら、これほど悲しいこともないでしょう。負けると予めと知っているのですから。酒を飲んでしまった酒吞童子の気持ちも今なら分かります。そんなん飲まなきゃやってられへんって。
 来年の事を言えば鬼が笑う。鬼たちが笑っているのは、「先のこと知っててもろくなことないよ」と知っているからだったのか……。
 なんか教訓っぽくなりましたが、それではそろそろこのへんで。最後までお読みいただいた皆様、誠にありがとうございました!

Edit 18:33 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑰

こんにちは、1月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

① 女性の社会進出
 外で働く女性が増えたことをこういいます。では、専業主婦は社会に出ていないことになりますが、では彼女らはどこに存在しているのですか。日本語の「社会」はよくわかりませんね。

②感染症対策を行ったうえで収録しました。
テレビやラジオで、このようなことわりを入れることがあります。いつから始まったのですか。

③東大生かつ○○
 東大生が大食いだったり、オタクだったりすると、このように言われることがあります。特に東大と関係ないことまで東大とつなげる必要はあるのですかね。

④自粛を要請する
 この表現は、文脈によって中止、延期、オンライン開催への変更など多様な意味を持ちます。あらゆるものを表せる便利な表現だから、本当は矛盾した言葉なのに、乱用されるのでしょう。また、英語では何と言うのですかね。

⑤対面授業
 コロナが普通の風邪レベルになったら、この言葉も死語になるのですかね。

こんなに小さな言葉にかみつくとは、私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心を。

Edit 15:28 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

喩えるならそれは

1月中旬担当の鏡蛍です。こんばんは。
お正月気分も醒めてしまってそろそろ入学試験の季節という頃ではありますが、肌を刺す空気はますます冷たく、外に出るたびに爪のせいで先が破れかかった安物の手袋を恨んでしまう今日この頃です。
お正月といえば今年は時勢柄初詣にも行けませんので楽しみといえば飽き足りるほどの食事くらいのもので、やはりお節料理の話題を欠かすことはできないのですが、このお節料理はご存知の通りその構成要素一つ一つが縁起物であって、そこにはいろいろな「いわれ」がこめられています。

例えば海老は、ヒゲを生やし腰が曲がった姿から長寿の象徴とされます。また伊達巻は巻物に似た形から学業成就を、数の子は子孫繁栄を意味しているといわれます。
これらはある意味、料理の見た目などを何か他のもので喩えているということです。この喩えるという行為は文を書くときにもしばしば問題になることであって、時に私の頭痛の種ともなります。(この「種」、というのも一つの喩えかもしれません。)
ということで今回は、「喩える」ということについてお話ししたいと思います。

比喩というものはなにも文学に限るものではなく、時には実用的な意味を持つものです。
たとえば物の見た目や食べ物の味を説明するなどのように一口に言葉では説明しづらいものを相手に伝えたいときがそうです。手垢のついた比喩を挙げてしまうならば、「血のような赤」「砂糖のような甘さ」「刺されるような痛み」などがこれにあたるでしょう。他にも「サイコロステーキ」だとか「浅葱色」、「盆地」、「スター俳優」、「ねずみ講」などのように言語に組み込まれている比喩表現も存在します。
そして言語に組み込まれているからには文化にも紐づけられているのであって、実際に上で挙げた「盆地」はその良い例でしょう。「盆地」は英語で”basin”ですが、これは洗面器という意味の言葉です。対象が同じでも想起するものが文化により異なるというのは非常に面白いことではないでしょうか。
このように比喩表現にはいわゆる「ありふれた表現」というものがたくさんあることが分かりますが、伝わりやすい比喩というものはそもそも多くの人に共通のもののはずなのですから、これは当然といえるでしょう。

しかし、ありふれた比喩が常に良い伝え方であるわけではありません。例えば雲を「わたがし」「わたあめ」に喩えて表現するのはいわゆるテンプレートな比喩の代表です。しかし「わたがしのような雲」という表現は、雲についていつでも使えるわけではありません。雨雲はもちろん、おぼろ雲やすじ雲、うろこ雲もこの比喩には適さないでしょう。またひつじ雲や入道雲、わた雲は「わたがし」に準えることができるかもしれませんが、この「ひつじ雲」、「わた雲」といった表現それ自体が優秀な比喩表現なので、文章中で子どもの無邪気さを表現したいような場合や心理的な描写に敢えて組み込みたい場合を除けば、この「わたがし」の比喩はあまり使いどころがないようにさえ私個人の感想としては思えます。(ちなみに「入道雲」というのは坊主頭(または坊主頭の妖怪)に見立てて名付けられたというのが通説のようです。これも良い比喩ですね)
どのような比喩がその場面に適しているかというのは、伝えたい相手や文章のジャンル、雰囲気によっても変わってくるものです。例えば同じ真っ赤な傘でも、推理小説やホラーであれば「血のような赤」が適切でしょうし、日常漫画なら「郵便ポストのような赤」が適切な場面もあるかもしれません。法学部同士の会話なら法律用語を、工学部同士の会話なら物理学の言葉を喩えに用いるのは大いに有効なことでしょう。しかしその比喩を別の人に使ってしまうと、全く通用しないというような場合もあるかもしれません。

説明の伝わりやすさという点もそうですが、やはり機知に富んだ会話や文章を望むなら、少しは捻りのある比喩を使いたいものです。ただこれは口で言うほど簡単なことではなく、上手い比喩というのはなかなか思いつきません。脣を蛭と喩えた川端康成のような真似はそうそうできるものではないのです。

また、狙って綺麗な表現を使おうとするとかえって伝わりづらくなってしまう場合というのもあります。
満天の星空を「降るような星空」と表現するのはありきたりな表現ですが、これが「星が話しかけてくるような空」というようにちょっと気取って言われることがあります。これはちょうど、船が夜間にライトを使ってモールス信号を送るように、たくさんの星がきらきらと明滅している様子を表現しているのでしょう。このような擬人法は文学的(というよりも「文学チック」?)ではありますからロマンチストには好まれますが、あまり多用するとかえって意味が伝わらなくなってしまうものの代表でもあります。
例えば「炎が踊っている」「雪が舞っている」は十分伝わりますが、「氷が踊っている」といわれてもなかなか情景が想像しづらいでしょう。これは静的な印象の強い「氷」を動的な様子を表す擬人法の「踊る」と安易に組み合わせたことが原因です。もちろん何か特殊な状況で氷が踊っているように感じられる場面というのはあるかもしれませんが、それならばもう少し説明が必要でしょう。

比喩には他にもメタファー(隠喩)やシネクドキ(提喩)、メトニミー(換喩)など様々な種類があります。「顔から火が出る」「黄色い声援」のような慣用句は隠喩の代表例ですね。提喩というのは抽象的な上位の言葉を使って下位の具体的な一つを表す(たとえば「花」と言って「桜」を表す)ことや、逆に具体的な言葉を使って抽象的な概念を表す(たとえば「パン」と言って「食糧」を表す)ことを意味します。換喩とは「坊主頭が走ってきた(実際に走ってきているのは坊主頭の人)」や「扇風機を回す(実際に回っているのは扇風機のプロペラ)」のように部分を以って全体を表すような喩えのことです。

他にも、文や修飾語を使ってより細かく比喩内容を表現することもあります。これは比較的簡単に新規性のある喩えを考えることができるので、いろいろと試してみると面白いかもしれませんね。
例えば「授業中に自分と同じ苗字の人が当てられたときの一瞬の焦りとその後のほっとするような安心感」を、「朝寝坊をしたと思ったら今日が休日だと気づいた時のような気持ち」と表現するのはどうでしょうか。
あるいは、「課題やテストにおいてわずかなミスで満点を逃したときの悔しさ」はどのように表現すればいいでしょう?「音楽ゲームでフルコンボを逃したときのような」だと状況が似すぎていてかえって比喩として優秀とはいえないかもしれません。「トランプのタワーをあと一歩のところで崩してしまったような」では状況が限定されすぎていますね。「上手に作れたオムライスで最後の盛り付けに失敗したときのような」などは、伝わる人には伝わるのではないでしょうか。
上手い喩えを考えるというのはなかなか難しいものです。冬の初め頃に時折ある暖かい日に外に出たときに「上着を一枚着せられたような感覚」になることがありますが、このような喩えは多くの場合、考えて思いつくのではなくその場面に実際に行き会った時に不意に浮かんでくるものなのでしょう。

それでは最後に一つ、質問をして終わりにましょう。喩えるならそれは、平安貴族の雅な歌合せのようなものかもしれません。
この冬の耐えがたい寒さを、あなたなら何に喩えますか?

Edit 15:58 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

将来は未定、活動は無限

 明けましておめでとうございます。1月上旬担当の葱です。本年も創作サークル名称未定をよろしくお願いします。今回は、去年の活動、今年の活動の予想について述べます。
 昨年は感染症対策のため、対面の活動ができませんでした。食堂で集まって例会をするのではなく、毎週discordというチャットアプリで会話していました。コミックマーケットや合宿などのイベントも中止になりました。一見無味乾燥に見えますが、自主的に合評会を行ったり、お題をもうけて小説・イラストを創作するなど、オンライン上でもいろいろな創作活動を楽しめました。いかなる状況であっても創作は可能であり、それが心の支えになることがよくわかる1年でした。
 今年の予定は未定です。3月のNFもどうなるかはわかりません。しかし、去年はオンラインで活動できたのですから、今年も無事に1年間創作できるのではないかと信じております。
 最後に、去年我々を支えてくださった皆さん、今年お世話になる皆さんに感謝いたします。また、春が来て新会員の方にお会いできるのを楽しみにしております。不安な日々が続きますが、皆さんお体にはお気をつけて。

Edit 09:51 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

あけましておめでとうございました

 令和三年の元旦の空は、関東地方から九州地方に渡り太平洋側は広く快晴となりました。内陸にある私の家の近くでも今年は初日の出が見られると聞いて、つい先程、着込みに着込んで拝みに行きました。
 おはようございます。令和二年十二月上旬担当であった入ヶ岳です。当時は「すぐ書くから」というようなことを言っていましたが、考えていた内容が思ったように文にならず、このように新年まで持ち越すはめになりました。申し訳ないことですし、前年の荷物を今年へ持ち込むのは良くなかろうということで、今さらながら筆を執らせていただきます。
 さて、全ては散歩がてらのことです。令和三年一月というこの瞬間にわざわざ初日の出を拝むというのは、ご来光を前に祈るということは、何らかの含むところを持ちそうなものですが、私個人に限っては何も考えてはおりません。ただ朝は晴れるそうだと知って、なら日の出が見えるじゃないかと、思った時には目覚ましをかけていました。七年程前、引っ越してすぐの元旦にも同じことをしています。
 空は実際よく晴れましたが、その分非常に寒い朝です。分厚いセーターに毛のコート、革の手袋をして、首元にはマフラーを巻きましたが、顔の冷たさだけはどうにもならず、時々両手で耳を覆って吹く風を凌ぎながら住宅地を歩きました。
 東の稜線を見るには家から少し離れて、下り坂を望む開けた空き地に出なくてはなりません。七年前に覚えたことです。ところがいざ坂道まで足を伸ばしてみますと、知らぬ間に新しい駐車場が出来ていまして、昔とは景色から違っておりました。恐らくこの辺りという場所へ立ってみたものの、舗装のせいで位置がずれたのでしょうか、どうにも心もとない視界の狭さでしっくり来ず、それ以前に大した用もなく長居するべき場所ではありませんでしたので、少し下がった位置の空き地、というよりただの砂利道に陣取って日の出を待つこととしました。
 背後の空には月が照っています。まだ夜の光り方でした。朝焼けた空はどこか薄ぼんやりとしていまして、これが六時四十五分頃のことです。
 調べたところ日の出の予想時刻は午前七時五分頃とのことでしたが、私の住む辺りは住宅地の近くまで山が伸びてきていますからこれは当てになりません。実際私が立っていた場所も数十メートル先には小高い丘と竹藪があり、その奥にも稜線が遠く視界の果てまで広がっていました。この竹藪が曲者で、恐らく太陽の通り道を塞いでしまっているだけでなく、朝焼けの色すら通さないせいで一体どこが最も明るいのか、つまり、どこから太陽が昇ってくるのかもよく分かりません。仕方なくぼうっと「そのあたり」を眺めて時間を過ごしました。
 ずっと手袋をして携帯も見ないので時間が分かりませんが、町の遠くから鐘の音が聴こえたのは、つまりそれが朝の七時だったということなのでしょうか。
 にわかに竹藪の向こうが煌めいてまいりました。稜線の向こうに日が昇り始めたのです。太陽そのものは案の定隠れてしまっていますが、あの竹藪というのが案外に捨てたものではなく、背に受けた陽光の作る黄金色の鱗粉のような木漏れ日を私に見せてくれました。少し上には端切れのような小さな雲が、朝焼けの空よりも濃い桃色に照って浮かんでおりまして、風の強い朝ですから、それらが見る見る形を変えていくのもまた面白い眺めでした。
 数分ほどはそれを見て過ごし、正直なところ朝の散歩としてはかなり満足していたのですが、眼前の明かりに反して吹く風はいよいよ冷たく、いずれにせよ元日から風邪を引いては堪らないということで早々に撤収することとしました。日の出と竹藪に背を向けて坂を上っていきますと、白んだ西の空では沈みかけの月がとっくに光を失っていました。

 最後に種明かしをしておきましょう。帰る途中の上り坂にはある高さを境に光の分かれたところがありまして、後ろの空を振り返ると、そこには馬鹿馬鹿しいほどはっきりと太陽が浮かんでいたのです。
 思わず笑みが浮かびました。先程まで私の立っていた場所は左右に視界が広い一方で、その位置の低さから目の前の竹藪に日の出を阻まれてしまっていたのですが、少し上れば視界こそ狭いものの竹藪は邪魔をしなくなり、実を言うとその狭い視界の先にこそ太陽は昇ったのでした。
 思えば七年前にも竹藪越しに初日の出を見たのであればあんな新鮮味を感じるはずもないわけで、昔の私の方が陣取りとしては正しかったこととなります。駐車場にはおれずとも、どうせ人通りの無い早朝ですからすぐ横の道端にでも突っ立っておけばよかったのです。なので今までつらつらと述べてきたことは、単に天体観測に失敗した私の照れ隠しに過ぎないというわけでした。皆さんも来年以降初日の出を拝む時には、何より高い場所に立ち、日が昇る方角をしっかりと把握しておきましょう。
 それではお別れに、煌々と照る太陽を見て愉快になった私が撮った初日の出の影の写真をお見せしようと思います。太陽そのものも綺麗ではあるのですが手元の携帯ではうまく撮れませんし、あまり見すぎると目が痛くなってしまいますので。

 というわけで、あけましておめでとうござい、ました。


53237.jpg

Edit 09:09 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

夜は短し


みなさん、こんにちは。
12月下旬担当の光彩です。

年も暮れ、本格的な冬がやってきました。蛇口から出てくる水の、なんと冷たいこと。
人よりも寒がりな自覚がありますが、一方で私は真冬の持久走の授業が好きでした。体を動かしてだんだんとあたたまっていく感覚が好きなのです。
今では自主的に走ろうと思うことはほぼありませんが、わざわざ寒いなか歩くのが好きです。春休み(といっても2月なので)の寒い日に、時間があるときには3時間ほど市中を歩き回ります。行き先も目的も特にありませんが、はじめての道で新しいものを発見するのが一番の楽しみです。

さて、今年は残念ながらいろいろなことが滞りがちになってしまいましたが、みなさんの歩みは阻まれませんでしたか。
たとえ暗中模索でも、行き先や目的がなくても、時にはとりあえず歩いてみることも大切かもしれないな、と思います。
はじめての道で新しいものを発見することが、少しでもみなさんの力になりますよう。
そして、新しい年が、どうか誰もが歩きやすい年となりますように。

それでは、どうぞよいお年をお迎えください。お読みいただきありがとうございました。


Edit 22:32 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

思い出の味

12月中旬担当の葱です。遅くなってすみません。今回は突然ながら、実家に住んでいた時の思い出の味について書きます。

①卵焼き
 母は毎日少しずつ趣向を変えた卵焼きを出してくれました。かにかまやソーセージを入れたり、焼き加減を変えてみたりさまざまでした。何よりも、焼き立ての卵焼きはおいしかったですね。

②キンカンの砂糖漬け
 受験前、冬期講習のお弁当にはいつもキンカンの砂糖漬けを入れてくれました。甘くてすっとする味があって、お昼時の楽しみでした。

③のっぺ
 私の故郷の郷土料理なのかもしれません。冬になるとよく食べました。里芋、ニンジンなどをかつおだしで煮たものです。薄味ながら、やわらかく煮てあって、冬のごちそうでした。

④田造り
 煮干しを甘辛い醤油で炒め、そこにごまやドライフルーツを混ぜて出してくれました。お正月はおせちが終わっても、パクパクと食べたものでした。

⑤あん餅
 家族で餅つきをすると、スプーンであんこをすくって、さっとくるんで食べました。つきたてはおいしかったですね。

⑥芋栗きんとん
 我が家のおせちはこれが入ります。ゆでたサツマイモをクリの形にしたものです。ゆずの酸味を散らしてあって、甘さと酸味が絶妙でした。

年末にふと実家の味を思い出し、書きたくなったので書いてみました。

Edit 20:31 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気分だけでもNF

こんにちは、葱です。今回は、延期になったNF(11月に行われる本学の学園祭)のかわりに、コロナ以前のNFの様子を思い出して書きます。

前夜祭
➀5限後に、会場となっている吉田南構内の教室に合流し、展示場と会員スペースを区切る壁を作ります。机の上に段ボールを組み、その間に段ボールをわたして壁を作り、模造紙で表面を覆います。
②販売する冊子や企画の物品を並べます。
商品例:過去の外部誌、NF用冊子、個人誌、ポストカード
企画:短歌、塗り絵、自由お絵かき、リレー小説、四コマ漫画にセリフを入れる、キャラ創作(属性を書いた3種のカードを一枚ずつ引き、それに合うキャラクター設定を考える)
③23時ごろには終了します。遅くまで残ってしゃべるのもOKです。

開催中
展示場:事前に決めたシフトで、会員2人がレジ・展示説明を行います。1日に1シフト2時間が4つあります。
会員スペース:会員はしゃべったり、各自の作業をしたり、会員の持ち込んだマンガを読んだりします。もちろん、自分のシフト以外は来なくてもかまいません。卒業生の先輩方が来られるともりあがります。
10時開店、18時閉店です。その後は集まった会員で食事に行ったり、ボードゲームをしたり、創作講座をしたりなど、楽しく過ごします。

最終日
最終日は教室をもとの状態にまで戻します。19時ごろから、教室で打ち上げをします。王将の餃子やスーパーの総菜、スナック菓子を食べ、夜中まで麻雀などをして楽しみます。

片づけ日
10時から13時ごろまでかけて、片付けます。ごみを集積所まで運び、NF用荷物を会員に預け、教室をきれいにして終わります。

打ち上げ
12月上旬に打ち上げの飲み会があります。四条の飲食店で飲んで食べて、希望者は2次回のカラオケで朝まで歌います。

以上が例年の本会のNFでした。コロナが激しい現在、どれもできそうにありません。気分だけNFを思い出すしかできないのは悲しいです。

Edit 20:58 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

「登場人物」について

いいですか。11月20日は、中旬です。中旬なのです。はい、復唱。ハツカハチュウジュン。……更新遅くなってしまってすみませんでした。

さて、秋と言えばスポーツの秋、食欲の秋など色々ありますが、皆様はどのような秋をお過ごしでしょうか。私は紛れもなくゲームの秋ですね。9月末にリリースされた某音ゲーと、某オープンワールドRPGにすっかりはまってしまいまして、授業の50倍くら頑張っております。あと麻雀にもはまりました。順調に堕落の道を進んでおります。単位落とさないよう気を付けます。



先程あえて外したのが、読書の秋。創作サークルに参加している時点で大体察せられると思うのですが、もれなく読書が大好きです。秋どころか一年中読んでる気がしますが、秋は気候がいいですし、何となく読書が捗る感覚があります。秋の夜更けまでゆっくり読書、とかやってみたいですね。これ書き終わったらしましょうかね。

そんな読書について、思うこと。私はライトノベルから純文学まで乱読することが多いのですが、ライトノベルと文学作品の最たる違いは登場人物の描き方かなと思います。ライトノベルの登場人物は、「キャラクター」として性格や属性(?)をはじめから決められていて、それに基づいて物語の中で動いている、という気がします。言い換えるなら、プロフィール帳(懐かしい)に、性格や好き嫌い等を記せると言えばいいでしょうか。一方の文学作品は、プロフィール帳には収まりきらない人間のごちゃごちゃどろどろした部分を描こうとしてる風に思います。そういう作品を読んでいると、人間は、そう簡単にセオリー通り動かないのだなと考えさせられます。一周回って、何を考えているのか分からないこともありますが。

どちらがいいというわけではないと思いますが、私は、心情描写に力を入れて書こうとしていることが多いです。出来てるかは知りません……。

以上、ちょっとした話でした。読んでくださりありがとうございました。

Edit 16:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

空白の時間

11月上旬担当になりました、八朔です

二週目はまだギリギリ上旬だと思うんです

前記事を書いたのが実に……二年前くらいですかね
途中で改名を思い立ったので、過去の記事は「八坂」タグをご覧ください(最後の記事テンション高くないですか?)

改めて自己紹介をさせてもらうと、未定では主に絵を投稿したりしていました
ただ、この二年くらいは元々少なかった未定での活動が更に少なくなり、小説をいくつかほど出したりしましたが年間で換算すると……立派な幽霊部員ですね

残念なことに今年はNovember Festivalこと11月祭がありません
2020年度の第62回京都大学11月祭は幻となったのです

思えば学祭の中身がそうであるように、各人の過ごし方も三者三様でした
学祭を巡って楽しむ人もいればサークルのスペースに居座り夜な夜な麻雀卓を囲む人、京都は退屈だといって旅行に行く人もいました

学期末にはまだ遠く、一年を振り返るには適切な、そんな京大生の日常の中にぽっかりと現れる、長期休暇のようなバカンスとも違う不思議な時間
全てを巡るにはとても時間が足りないような四日間の祭典もいざ行けないとなるとさみしい気もします

ところで、「バカンス」とはフランス語のvacanceをカタカナで表したものです
vacanceは英語のvacationとvac-が共通していますよね?
このvac-はラテン語のvacare=to be emptyから派生したもので、真空はvacuumで、欠員はvacancyというように「空っぽ」という意味が根底にあります
何も考えずにボーっとできるのは至福の時間であり、基本的人権だと個人的におもうんですよね

私がボーッとしている間に積み上がったものは数多く、朽ちていったものも同様です
水の呼吸を習得した代わりに、一回生で履修していたドイツ語は欠片も思い出せなくなりました

つまるところ、この二年の間でまあ色んなことがありました

「京大生は留年してから本番」というまことしやかな噂、一度は耳にしたことありませんか?

そうです……この記事の作者がその当人になりました……

今でも思い出すのが、入学した後の学科のガイダンスで

「あなたと、あなたの隣に座ってる二人の三人に一人が留年することになります」

と言われたことです

記憶がおぼろげなのですが、右隣は同じ学年で留年して、左隣は私より先に留年してたかも知れません

留年は良くないです

この記事にたどり着いた皆さんは、頑張って大学を出ましょう!!!

Edit 22:48 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

膏薬はどこにでも

10月下旬担当の鏡蛍と申します。はじめまして、こんにちは。
こんにちはと言っておきながらこれをご覧になっている方は今何時にアクセスしていらっしゃるのか少し不安になってきてしまいました。文書や録音など情報が受け取られる時間帯が特定できない媒体ではいつも挨拶に困ってしまいます。

朝の挨拶は何時から何時、昼の挨拶は何時から何時まで、というのはしばしば他愛無い無駄話の話題にも上がりますが、夕方過ぎから未明頃まで使える「こんばんは」が一日に占める時間的な割合が最も高いように思えます。すなわちこれは、とりあえず「こんばんは」と書いておくのが最も適切である可能性が高いということを示しています。では改めて、こんばんは。

……と、いうのはこのページへのアクセス数が時間帯によらず一定である、などという非自明な仮定をもとにした詭弁にすぎません。私はよく理屈っぽい人間だなどと言われることがありますが、こんな猫の餌の足しにもならないような言葉をつらつらと並べるのが「理屈っぽい」というのなら、それは困った性癖というものです。

さてそんな私ではありますが、理屈ばかりに拘泥して生きているわけでもありませんし、そんなふうに生きていくわけにもいきません。人並みにノスタルジアのような感傷に心を酔わすことも間々あるかもしれません。
しかし私は実家住まいの未成年なので遠く思い馳せるべき故郷も時間軸の負方向に懐かしむべき昔もそれほど持ち合わせてはいません。私がそのセンチメントを抱くのは、野辺に咲く花でも祖父母の家にある古い器械でも、ましてや卒業アルバムでもありません。それは例えば僅かに煤け、しかし適切に清掃管理されていて朽ちてはいない公園のベンチであったり、半年前に流行った音楽を耳元で流しながら不意に目に入る窓の向こうの変哲のない街並みであったりします。この感傷は一体何でしょう。

人文科目のレポートを書く時のように四半時間ほど腕を組んでじっと考えてみました。結論としては、きっとそれはあるべきものがあるべき姿でそこにある違和感のない”一様さ”への感傷なのでしょう、というのが私の答えです。
その場面をそのまま16:9のワイドフレームにあてはめて後に見返したときに懐古に浸ることができるだろう場面、そんな未来から現代を眺めるような仮想的ノスタルジアを私は感じていたのかもしれません。

いつだったかある有名な神社に両親に連れられて行ったとき、その山深さと水の流れの中に立っていた一種コントラストさえ生み出してしまいそうなほど鮮烈な橙色の真新しい鳥居を私が好めなかったのは、きっとその鳥居が風景の一様さを侵していたからなのでしょうね。

なんて、これも「早まった一般化」。詭弁になってしまいそうですから、これくらいにしておきましょうか。では、おやすみなさい。

Edit 18:48 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑯

10月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀社会人
 社会人の「社会」は何を意味しているのですか。社会に属さない人間はいないはずですが。

②アベノミクス
 レーガノミクスは1980年代にすでにあったのに、なぜ「~ミクス」をマネする首相が安倍首相までいなかったのですかね。

③スコラ的な学問
 スコラ学に否定的な意味が加わるのはいつからですかね。

④国民の税金を無駄遣いするな
 自分たちの税を政治家が有効活用すべきだという考えはどうやって生じたのですかね。明治以前はどう考えていたのやら。

⑤高校時代の○○容疑者は~
 事件と関係ないことまで詮索しないでおきましょう。

⑥オンデマンド教材
 オンデマンド=見たいときにいつでも、という意味です。漢語で訳すとどうなりますかね。

⑦価値観の多様化した時代
 自分の生きている時代ゆえに価値観が多様に見えるのだと思います。後の人が現在を見れば、特定の価値に縛られた時代に見えるかもしれません。

⑧主人がいつもお世話になっております
 妻は部下ではありませんから、不思議な言い方です。

⑨対話
 ただ二人で話しているのは対話ではないように思いますがね。最近濫用されているように思います。

⑩リケジョ
 初出はどこですかね。

こんなに小さな言葉が気になる私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

Edit 19:32 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:たろと
中旬:ナカジマ杓子
下旬:葱
です。

 

最新記事

 
 

投稿者別

 
 

最近のコメント

 
 

アクセスカウンター

 

 

月別アーカイブ

 

 

最新トラックバック

 
 

リンク

 
 

QRコード

 

QR