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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
サークルについて詳しくはこちらへ→公式WEBサイト

2024-03

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専門外のことを学ぶこと

 こんにちは、二月中旬担当なのに、すっかり忘れて下旬の更新になってしまったdouble quarterです。
 もう春休みに入ってしばらく経ちますが、あっという間にここまで時間が過ぎてしまったなという感じです。私は半年後に待ち構える院試に向けてぼちぼち勉強をしているところですが、そればかりだとさすがに気が滅入ってしまいます。そういったとき私は専門外の一般書を読んで新しい刺激を取り入れる、ということをします。(今の時期にこんなことをしていて大丈夫なのでしょうか?)学問はより深く知るためにはどんどんコストが増大していきますが、入り口をさらっと見渡す程度だとちょっとの時間で割と面白い話が知れて楽しいからです。まあその分専門の人からすれば浅はかで正確でない理解も多いのだろうとは思いますが。
 私が今読んでいるのは、神経科学に関する本で、特に自由エネルギー原理を主題に据えたものです。元々神経科学には興味があったのですが、医学の知識はなかったので尻込みしていました。しかし一般書とは素晴らしいもので、専門家がかみ砕いて我々にもわかるようにしてくれています。自由エネルギー原理というのは神経科学の理論の一つで、確率分布から定義される自由エネルギーを最小にするように脳が予測分布や確率の重み付けを生成して外界を認知したり、動作を制御したりしている、という脳のはたらきを統一的に理解しうる理論です。(間違っていたらごめんなさい)
 こういうことを学ぶのは楽しいのですが、専門分野をもっている一大学生としては、こうして学んだことの中には結構誤解していることがあるのだろうな、とつい考えてしまいます。実際私の専門分野についてネット記事や動画などを見ていて「そうではないんだけどな……」と思ってしまうことは少なくありません。しかしいざ正しい説明をしようと考えてみると、それに必要な前提知識を準備するのが大変すぎて、だからこういう書き方なのだろうなと勝手に納得してしまう部分もあります。
 翻って、私が専門外の分野に触れて何か考えているとき、専門の人からすれば的外れに見えるのだろうなと考えてしまいます。確かに形式的に言えばそうなるのだが、それでは本質を捉えられていない、ということもしばしばあるでしょう。そういうときの相手のむずむずした感覚を想像して、勝手に自分もむずむずしてしまいます。しかしそうしてばかりもいられません。適度に間違いを恐れず色々学んで色々考えていきたい、というありきたりな結論で締めさせていただきます。

Edit 11:19 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

傑作選について

2月初旬担当のナカジマ杓子です、こんにちは。

現在名称未定では、内部誌100号記念を祝して、傑作選企画を進めています(ごめんなさい、私ではなく後輩が進めてくれています)。まあ傑作選といっても、対象は現役会員の作品に限ってますし、「○○さんの作品の中では、これが一番いい」という選び方、つまり会員全員の作品が選ばれるようになっているので争いにはなりません。平和です。内輪の内部誌だしね。

とはいえ自作が投票にかけられるのは事実で、キンチョーすることはします。「え? あの作品がそんな人気なんだ」とか、「自信あったのに、全然届いてなかったんだ……」とか、いろいろ発見があって楽しい。個別の作品に関して感想会を開くことはありましたが、作品同士で優劣をつけることは従来あんまりなかったので。

特に複雑な気持ちになるのは、一回生の頃書いたものが、三回生で書いたやつに負けた時。「あれ? わたし下手になってる?」ってなります。技量というより、題材や勢いで選ばれることもあるので一概にそうとも言い切れないのですが、ちょっと凹みます。
でも、他者の目線で評価を貰える機会は貴重なので、せっかくだから正直なところを聞きたい。

私の作品の投票をしてくれる皆さま、(駄文をまた読むのは大変だと思うけれども、)どうか忖度なしで投票してくれると嬉しいなぁ。

Edit 11:47 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

未解決問題

 一月下旬ブログ担当の帆貝です。一月下旬担当です。これを書いている現在は二月三日、つまり節分ですね。ということは明日からは春になります。いやあ危ないところでした。なんてたって春になったらそれはもう二月ですからね。なんとか間に合ってよかったです。
 大変申し訳ございませんでした。
 それはそうと、現在、私はテストが終わりましてレポートも提出し終わりましたので、いよいよ春休みとなりました。うん? 「春」休み? 
 話が逸れました。いよいよ笑いあり涙ありの二回生が終わりまして、たぶんおそらくMaybePerhapsProbably来年からは三回生になれます。これぞまさに解放。自由。私は今、自由です。多少のバイトこそあれどこれから二か月やりたいことだけやって生きていくそんな最高の日々が待っているのです。ここまでの文章を見てみると、まさに自由が溢れていますね。
 これからは朝起きたら既に一限が終わっている絶望も、勉強しようと思っていた土日を寝て過ごす虚無感も、二限と三限の間にある長い昼休みにやることがなく呆然としながら途端に一人ぼっちの自分に気づいて無性に悲しくなることもないのです。なんとまあ圧倒的幸福!!
 私は昨日、テストが終わった直後、踊るようにカラオケに向かい、音痴が悪化している己に直面して少し悲しくなりつつも、こんなこと許されるのも今だけだよなあと言う過去の自分への優越感に酔いしれていました。テストの前の睡眠不足を解消し、朝早く目覚めて、そして、今。
 私は自由です。
 自由すぎました。
 テストで正された生活習慣によりやけに一日が長く感じます。テスト勉強の邪魔をし続けたゲームもものの数分で飽きてしまい、また次のゲームにそして飽きてまた次への繰り返し。椅子に座り小説を書き始め、なんかちゃうなあと感じながらまだ時計が進まないことにため息をつき、ベッドに寝転び、またスマホを開いて数分で閉じる。
 なんだこれと、私は今の今まで思っていました。
 本来、私が一月下旬ブログ担当になったのはテスト勉強の息抜きとしてやろうと思っていたものでした。けれど、実際にはテスト勉強もなあなあになり、なあなあで進めているせいで、どんどん間に合わなくなりという悪循環のせいで時間が生まれず、こんなことになってしまったのです。あの時、あんなに私の生活を邪魔し続けた数々の娯楽は自由になった私を楽しませてはくれませんでした。
 未解決問題。
 なぜテストが終わったにもかかわらず私は未だ頭を悩ませているのでしょうか。
 わかります。
 そのうちこの何もしない生活に慣れていって、やることがない虚無感に打ちひしがれることもなくなっていくのでしょう。自分が四月になった途端に忙しくてやってられないとかいう馬鹿げたことを言っているのが目に見えるようです。
 こういう考察からもわかる通り、まあギャップの問題なのでしょう。あれ解決してしまった?
 無量空処ってこんな感じなのでしょう。流石に五条先生に失礼な気もしますが。
 というわけでここに宣言します。私はこれからの春休みの間にできるだけ多くの小説を仕上げます。実際、この春休み中に某小説投稿サイトにて連載を始めます。ここで宣伝するのはなんか違う気がするのでやりませんが、それ以外にもネタはいろいろあるので、食らいつくそうと思います。春休みの成果は覚えていれば次のブログ担当回にて報告しようと思います。
 自由っていいなあ!!

Edit 16:20 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

新年の挨拶と抱負

あけましておめでとうございます。
今年の会長にならせていただいたRyeです。新年と同時に出すように下書きを考えようと思っていたのですが、だらだらゲームをしていたらもう元日も終わってしまう頃になってしまい、下書きはゼロでここまできてしまいました。


これまで会長のようなまとめるようなことはやってきたことはなく、あまり向いているとは感じてはいないです()。また、自分は文字書き側の視点が一切わからないのでその点でも迷惑をかけるかもしれません。なので頼りない部分が多くなるとも思いますが、少し多めに見てください、何でもし(略)。

現時点での会長としての抱負は、あまり変化は起こさず基本的に様子見しようと思っています。抱負としてあるまじき気もしますが、抱負は「心の中の計画や決意」なので抱負ではあるでしょう()。前述の通り、会長を全うするだけで精一杯だと思うので、次に繋げられるよう頑張りたいと思います。ただ一つ、部誌などで文字書きと絵描きがコラボされているようなものが何かできればなとも思っていますが、まだ深く考えていないので現状維持を抱負としたいと思います。
(コロナでの変化は前々会長の中島さんや前会長のカトムさんが頑張ってくださったので現状維持でも大丈夫だと信じています。)


新年早々にブログをあげようと思えば、いつのまにか元日の24時になってしまいました。しかも、まだ一月内部誌用の絵の色塗りも新年用の絵も描けていません。とりあえずブログは元日中にあげれてよかったです()。なるべく前々からしていかないといけないですね。最早それが抱負なのかもしれません。

新年早々、地震と物騒な年ではありますが、なるべくミスなく会長を全うしますのでどうぞ今年も宜しくお願いします。

Edit 00:35 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

ブログタイムアタック

 お初にお目にかかります。京と申します。読み方は「きょう」です。「かなどめ」ではないので、どうかお間違えなさらず。

 この文章を書いているのは、2023年12月31日23時27分でございます。なんと、あと30分もすれば2024年になってしまう、そんな時間です。皆さまは、2023年にやり残したことはないでしょうか。私はあります。はい、そうです。まさしく、このブログです。何を隠そう、私はブログの12月中旬の担当なのです。12月中旬担当がこんな時間にブログを書いているわけです。この文章から伝わるかどうかはわかりませんが、ものすごく焦っています。どれくらい焦っているかというと、『ドラえもん』に出てくる、締め切りに追われるあの漫画家ぐらい焦っています。だって、ブログを書いている間に日付が変わるかもしれないわけですよ。そんなことになってしまうと、年越しそばを年を越してから食べなければならなくなります。それでは、カップラーメンがそばに代わっただけのただの夜食です。どっちにしろ健康に悪いです。(24時まであと16分)

 なら、こんな無駄口をたたかず、さっさと本題に移って書きたいことを全部書いちまえ、という声が聞こえてきそうですね。私もそうしたいのは、山々です。ですが、それには、ひとつ大きな問題があるのです。それは、書くネタがないということです。(24時まであと9分)

 …唯一にして、最悪の問題ですね。私も非常に頭を悩ませております。皆さんもご一緒に悩ませてください。しかも、このブログは、私の一発目のブログですよ。一発目のブログで、書くネタがないという話をするとは思ってもいませんでした。だって、ブログに限らず、普通、初めての執筆は何を書こうか迷うものではないといけないと思うんです(どの口が言うのだろうか)。なので、それを書くことがないというのは、他に、ブログを書きたいと思っていた人に失礼だと思ってしまうんですね。というわけで、何かネタを探す旅に出てきます。(24時まであと1分)

 京は、ネタを探しに出て行った!!

 「ネタの番人」に出会った!!

 ネタの番人:「ここを通りたければ我を倒してから行くがよい!!!」
 
 ネタの番人は編集者を繰り出した!!
 
 編集者の締め切りを早める!!
 
 京は、やられてしまった…

 駄目でした。レアアイテムの「ネタ」がドロップするダンジョンを探索するにはレベルが足りていなかったようです。これも、一回生をさぼり続けていた代償ですかね。今度挑戦するときまでには、適正レベルまで上げておくようにします。今回のブログはここまでです。深夜テンションなので、かなりひどいものになっている可能性が大ですが、それでもお読みくださった方々には、感謝です。現在時刻は、12月31日24時28分。何とか2023年までには間に合いましたね。いやー、アブナイアブナイ。それでは、私は、年越しそばを食べてきます。

追記
 皆さま、よいお年を!

Edit 00:29 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

2023年お疲れさまでした

こんにちは、西桜です。
ついこの前未定の会長になったはずなのに、もう次に譲ることになりました。やったー!

と冗談はさておき(線引いた場合、どこが冗談に該当するんですかね)、2回生での編集からそうですが、ここまでやってこれたのは先輩、後輩方、そして同回のdouble quarter君、暮四君のおかげです(二人ともWEB管、編集お疲れさまでした!)。

入会からの振り返りになりますが、一回生の頃は同回ほとんどいないし、緊張するなあ、どうしようかなあと思っていました。3人以上の電話があまり得意でない僕はオンライン例会もあんまり参加しないしで来年どうしようとぼんやり思っていました。それでも2回生からは本格的に対面例会になり、気づけば毎週参加するようになっていました。2回生の終わりからは色々あって小説を書くモチベが平均的に上がり、自分としてはそれなりに満足するものが書けるようになって、作品を出すこともより楽しくなりました。3回生では会長(とコミケ担当で)それまで以上に未定での活動が多くなり、だんだん愛着もわいてきて、今では未定が、京大で有数の落ち着ける場所になりました。





とNF前の僕はなかなか恥ずかしいものを書いていました。それで別のものを書こうと思いましたが、コミケで疲れたのでこのままでいきます。

未定での活動も折り返し(博士行けばまだ伸びるぞ!)になりましたが、これからもほどほどに頑張っていこうと思います。
ではではよいお年を。

Edit 23:52 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

夢のベール

 大学を休んだ日の午前、電車を降りて改札を出て連絡デッキを歩いていると、視線を送られているような奇妙な感覚に陥った。ふと顔をあげると、駅に掲示されている広告と目が合う。等間隔に並んだ広告はそれぞれ、クリスマスシーズンのイベントやレストランのメニュー、ホリデーのギフトといった似通った主張をしていた。1週間前までは一部紅葉スポットの宣伝をしていたのに。葉を落とした木々は今頃涙も落としているのではないだろうか。
 とはいえ、クリスマスだし各々の企業やお店は、人々にお金を落としてもらおうと必死なんだろう。現に今私が向かっているのも百貨店で、そこでプレゼントを買おうとしているのだから。

 若干雨が降っていたが、連絡デッキから行けば屋根もあるので傘を開かずに百貨店の2階に移動できる。2階はコスメがメインの階だから今回は都合が良かった。

 自動ドアを通って百貨店の中に入ると、どんよりとした空とは対照的な明るさに目が眩みそうになる。赤や緑、そして雪を思わせるような装飾が施された店内や、それぞれのブランドのコスメカウンターに配置されたホリデーシーズンのコスメは、店内の照明でより一層輝いていた。目的のブランドのコスメカウンターは向かって右側に見える。買ってきて欲しいと頼まれていたリップは品番が映るように事前に写真をとっていた。スマホの写真を開いてリップの色の番号を確認しつつカウンターに向かう。

 コスメカウンターのあたりをうろうろしていると、美容部員に番号札を発券するよう促された。平日の昼間だが7人ほど待っているようだ。キャリーケースを引いた観光客らしき集団が私の前に並んでいた。手持ち無沙汰で、番号札を片手にあたりを見回す。すると、他の客も皆、目的の店に向かって歩いて、買おうと決めたものを買っている人が多くて、なんとなく立ち寄りました、というような人は少なそうに見えた。みんなプレゼントをあげる相手がいるのかな。クリスマスムードに乗せられて、プレゼントを買い終えたら自分のものを見ようかと思っていたけれど、そんな浮かれた気持ちは、なんだか萎えてしまった。まぁでも、クリスマスムードを纏い華やかな街を歩いて店内の商品を見るのはすごく好きだったから、妹のプレゼントを買うという目的があって救われた気がしなくもない。私が買ったコスメを受け取って妹が喜ぶ姿を想像したら、なんだかどうでも良くなってしまった。展示品でリップの色を確認すると、普段妹がつけている色で、きっといつも通り似合うんだろうなと思って口元が綻んだ。
 わかってる、百貨店のクリスマス商戦に乗せられていることも。いつもより豪華な包装がただの紙だってことも。クリスマスを純粋な目で見るには大人になりすぎているし、割り切ってビジネスチャンスというふうに見るには私は子どもすぎるらしかった。

 クリスマスの魔法が解けて、ただの口実に見えるようになったのはいつからだろうか。
記憶にある最古のクリスマスといえば、幼稚園の頃のクリスマスだ。通っていた幼稚園では二学期が終わるのがいつも12月24日だったので、終業式は幼稚園の近くにある大聖堂で行われていた。横の「おともだち」と手を繋ぎながらぞろぞろと列を成して大聖堂まで歩いて礼拝する。当時は生真面目だった私は、クリスマスはイエスキリストの誕生日、主を讃える日なのだ、と子どもながらに神父の話に耳を傾け、讃美歌を歌い、冬休み期間中のみんなを守ってくださいとお祈りをした。
 クリスマスは私にとって神秘的なものだった。その時に神父さんからもらった十字架のネックレスはすっかり錆びてしまった今も持っている。


 神秘性のベールは剥がれた。高校1年生の時のクリスマス、家族で関東の某テーマパークに行った時だった。12月24日のクリスマスイブ当日をパークで過ごせることを数ヶ月以上前からすごく楽しみにしていて、クリスマスグッズやぬいぐるみの衣装を買おうと意気込んでいた。しかし、実際にパークを訪れると、クリスマスのメインのグッズはほぼ売り切れてしまっていた。かなり期待をしてしまっていた分、ショックを受けたし、浮かれていた自分が馬鹿みたいだなと虚しくなった。

 そこから、徐々に世の中のイベントに対する見方は変わっていった。企業にとってイベントはビジネスチャンスでしかなく、イベントに乗じて商品が売れ、利益になれば良い。だからイベント当日までシーズン限定商品を売っておく必要はない。そのイベントが終われば価値を失う商品を、売れ残るリスクを抱えてまでしてギリギリまで残すのは企業からすればナンセンス。利益団体なのだから当然の話だ。
 今年のハロウィン前日の夜、某ドーナツショップに立ち寄った際にハロウィン仕様のドーナツたちが在庫終了したことを知らせる掲示を見ても、もともとはハロウィンのドーナツたちが並んでいた場所に某モンスターたちのドーナツが並んでいても、もう私は驚かなくなっていた。


 こんなことを書きつつも、クリスマスシーズンに一人で街を歩くのは好きだった。普段から夜の都会を歩くのが好き。暗い空にビルの窓から漏れる無数の灯りが煌めいていて、他の人の顔も見えづらい。働いている人、遊んでいる人、飲み歩いている人、いろんな人々が行き交う街はまるで生き物のようで、その都会の海の中を一人で歩いて、私は密かに高揚感を覚えていた。クリスマスシーズンになると、普段歩いている街がクリスマス用のイルミネーションで華やかに彩られ、街全体の空気が浮き足立って、より景色が鮮やかになる様子に心惹かれていた。もちろん、幼い頃に感じていたような、全てが叶いそうに思える夢のような感覚や心が踊る期待感や待ち遠しさはないけれど、クリスマスのお祭りムードや、世間の人々が浮かれている空気感を、退屈な日常にもたらされる変化のうちの一つとして楽しんでいた。なのに、今年はどうも味気なく思えてしまった。

 「38番の方〜」

 美容部員の高めの声が聞こえた。私の番号が呼ばれたのだ。手元の番号札を確認して美容部員に渡す。

 「何をお探しでしょうか」

 「マキシマイザーの29番です、妹にプレゼントしたくて」

 「わかりました。おかけになってお持ちください。お色味の確認をさせいただきますね」

 引いてもらった椅子に腰掛けてしばらくすると美容部員がテスターを持って戻ってきた。

 「こちらで大丈夫でしょうか」

 テスターのリップのスパチュラを滑らせた美容部員の手首をみる。正直、私は使ったことがないので色味なんて見てもわからなかったけれど、色の番号は間違いない。

 「はい、大丈夫です」

 先に会計を行うらしく、座っているドレッサーで会計を済ませた。

 「それでは包装してまいりますので、もうしばらくお待ちください」

 「ありがとうございます。ホリデー限定のこの包装でお願いしてもいいですか」

 妹から先ほどLINEで送られてきた画像を見せると、美容部員は

 「かしこまりました」

 と言って、商品を取りにいった。


 しばらくして商品を受け取った私は、美容部員に見送られながらコスメカウンターに背を向けて歩く。喜んでくれるかな。自分のものを買ったわけじゃないのに、なんとなくワクワクしながら百貨店を後にした。

 駅に向かって歩いていると、道ゆく人の中に外国人のカップルを見つけた。彼らはクリスマス仕様の街に目をくれることもなく、ただお互いを見ていた。そこでふと思ってしまった。
 彼らにとって、いや、多くの人々にとって、クリスマスそれ自体は目的ではなく、ただの口実なんだ。子どもが親に普段は買ってもらえないものをプレゼントとしてねだる口実、家族でいつもよりちょっと良いお店で食事をする口実、友達と出かける口実、カップルが普段は金銭的にも気持ち的にもできないロマンチックなデートをする口実。
クリスマスは、人々の消費欲を解放するための口実なのかもしれない。


 「えー、先生もうサンタさんからプレゼントもらえないのー」

 「私もう22歳だからね、大人になるともらえないんだ。」

 目の前にいる10歳の女の子は私が家庭教師をしている生徒で、まだサンタクロースが家にやってくると信じているような物言いをしていた。夢をわざわざ与えるような嘘を付くのは気が引けるが、夢を壊すのも違うし、なんにせよ、お母様を困らせそうだったので余計なことは言わないことにする。気づけば、「与えてもらう側」から「与える側」になりつつあったらしい。

「Aちゃんはいい子だからね、きっとサンタさんが来てくれるよ」

 嬉しそうな顔をして「わーい」と言っている生徒を見ていると、急に視界が歪んだ。私は目を大きく開けて瞬きをし、顔をわずかに上げた。

 「サンタさん、今も見てるかもよ。お勉強頑張ったらいいものくれるかもよ」

 もう私は、サンタさんが来ないことを知っているし、クリスマスそれ自体に心を踊らせることもできない。だからせめて、幼い子どもに、夢を持たせ続け、神秘性を感じとってもらう手段として利用する。今勉強をするモチベーションになるなら、私にとってこの嘘は有用だし、夢を見るという経験で育つ感性もあるだろう。

 「……、本当に?」

 頭のどこかで声がした。濡れた紙にポトッとインクが落ちて広がるように、心に黒い染みが広がる。その染みが目の前の生徒に侵食しないように、私は教科書の問題に目を向けた。

「はい、じゃあここの作図やってみようね、コンパスある?」


 バイトを終えて帰宅したその日の夜、プレゼントを妹の机に置いた私は、ソファでスマホを触っていた。妹はバイトで父親は飲み会、部屋には母親と二人だった。

 「ねぇ、24日デパートにクリスマスケーキ買いに行っていい?アイシャドウなくなってきたからそれ見に行くついでにさ」

 「あ、じゃあママもついて行こうかな。ママもデパコスのアイシャドウ欲しいけど、どれ買えばいいのか分からないのよね。せっかく高いの買うならちゃんと選びたいじゃない。」

 「じゃあ一緒に行こ、似合いそうなやつ一緒に選ぼう」

 ちゃんと下調べしなきゃな。まずどのブランドがいいだろう。ふと、一人でクリスマスムード漂う街を歩いている時よりも幾分か心が華やいでいる自分に気づいた。

 そうか、私自身もクリスマスそれ自体を目的にはできなくなっていたんだ。今もこうして、クリスマスをダシに予定を作り、それを楽しみにしている。

 「やっぱデパートっていいよね。クリスマスの次はバレンタインか~、去年行ったよね、チョコレート博。あれ今年も行きたいな。」

 「あれ休日すごく混むじゃない。お仕事有給とって平日に行くのがいいかも」

 「え、いいの。」

  「いいよ。あの時期うちの会社どうせ暇なんだし。美味しいチョコレート買って二人でこっそり食べちゃおう」

 「最高ね、楽しみ」

 自室に戻ると、何ヶ月か前に買ったアドベントカレンダーが机の横に立てかけてあるのに気づいた。中にはチョコレートが入っているアドベントカレンダーだったが、もう10日分ほど未開封のまま置いておかれてしまっている。
 でもイベントは楽しむ手段だから。一日一つずつというルールは守りたい人は守れば良いし、私は食べたいときに食べればいいか。せめて、クリスマス当日に24の数字を開けられるように調整しよう。気分的な問題だけど。

Edit 03:26 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

色々な色

 どうも、氷崎です。
 まずは皆さん、NFお疲れ様でした! 久しぶりに元のスタイルのNFで、物凄く盛況でしたね! まぁ僕はこのスタイルのNFは初めてなんですが……。
 お客さんもたくさん来てくださって良かったです。色々あった企画もいろんな人が楽しんでやっていただけたようで何より。

 さーて、何の話をしましょうかねぇ(ネタがない)……。

 ……そうだ、では色の話をしましょう!
 今回私はイラスト本に作品を出したのですが(ゆるゆる動物図鑑、の片方)、その時に色は結構悩みながら選んだのですよね。デフォルメされた動物たちに本物の色も考慮して最終的にどの色を注ぐのか。その過程でいろんな色について知ることが出来ました。
 今回はその一部を共有させていただきましょう。
・メロン
皆さんこれを聞いて何色が思い浮かびました? 緑? ですよね~
実は西洋でメロン、と言った場合の色は白みのオレンジ色。赤肉種のマスクメロンの果肉の色なんですね~
分かるかい!
・杏子色とアプリコット
杏子の実が熟した色が杏子色。アプリコットはその英訳ですが、杏子色よりも濃度や彩度が高いです。同じ色のはずなのにどうしてこういうことになっているのかと言うと、杏子を生や乾物として食す日本と、ジャムやコンポートにする欧米の違いだとか。なるほどなぁ~
・ウォード
タデ科の二年生植物タイセイ(大青)の青色。西洋では古代ローマ帝国時代から青色染料として用いられてきました。しかし発色性や堅牢性に乏しく、インド藍の輸入とその流行に伴って徐々に衰退。なんと今となっては絶滅色とされています。色も絶滅するのか……。ちなみにチリアンパープルとかも染色法が廃れてしまって、今は完全再現できないらしいですね。
・エヴァーグリーン
常緑樹の葉の色。ややくすんだ深緑色。”常緑”だからか、西洋においては「永遠不滅」の象徴とされています。よく似た色である日本の常磐(ときわ)色も日本で同じような象徴とされているのは興味深いところ。
・バーガンディとブルゴーニュ
ブルゴーニュは皆さん聞いたことのある方も多いと思いますが、フランス南東部の地方名ですね。ワインの有名な土地ですが、これらの色名は両方ともこのワインの色を指します。同じものの名前なのに区別されているのは(なおかつ違う色であるのは)、輸送や保管の問題でワインが劣化した結果、英国ではバーガンディ(ブルゴーニュの英語読み)と呼ばれる黒く濁った色になったからであるとか。

 いや~奥深い世界ですねぇ。ちなみに画家の名前の付いた色など、固有名詞を冠した色の名称なども調べてみると面白いですよ(フェルメールブルー・ルノワールピンクなど)。紹介しきれないのでここでは割愛させていただきます。

Edit 23:30 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

NF当日!

こんにちは、西桜です。
今日のブログはそう、NFレポートです!
ということで当日らしくどういう会誌の販売をしているか、どういう企画をしているかなど記録がてら書いていきます。

〇会誌
今年販売する予定のものは以下の通りです!
・幻想組曲 Op.18
・幻想組曲 あと232号
・乱奏交響曲(企画本)
・伴奏組曲(イラスト本)
・ぽえちゅ
・ポストカード
・会員個人の作品
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幻想組曲 Op.18
 いわゆる7月外部誌ですね。本文はどうどうの150ページ越え! この量は初めて見ました。去年とかは80ページぐらいだったんで、出来たときはすごく驚きました。おかげで夏コミに持っていったときは肩をやられました。

幻想組曲 あと232号
 いわゆる11月/NF外部誌ですね。こちらも本文140ページくらいの大ボリュームとなっています。冬コミにもっていくときが心配ですね。

乱奏交響曲
 いわゆる企画本ですね。今回のテーマは「水中」となっていて、上限2ページのなかで「水中」をテーマにした作品たちが載っています。僕自身は
水中? ……入水自〇か!
という短絡的な思考でしたが、皆さん色々な「水中」を書いていて参考になりました。

伴奏組曲
 いわゆるイラスト本ですね。僕は作品を出しておらず特に語ることがないため、本当はお気に入りの作品をあげたいのですが、作品名をあげると他はどうなんだとかもう一人の僕がつぶやいてくるため自重します。
買った皆様がお気に入りを決めてください。

ぽえちゅ
 詩や俳句、短歌等々が載っています。こちらもお気に入りの作品名をあげたいのですが……自重します。
S__9183257.jpg

ポストカード
 今年だと上に挙げた会誌に載ったイラスト(それ以前のものはあまりよく知りませんが)のポストカードです。去年20枚買ったのを思い出しました。

会員個人の作品
 せっかくなので紹介しておきます。会員の暮四君が書いた長編小説を製本したものです。僕も紙折りを手伝ったので紹介しました。
〇企画
・セリフ埋め
 A4一枚程度の小説(または一部)で、穴抜きになったところを埋めてもらいます。軽く挙がったのを眺めたところ、書き下ろしのものが結構あって驚きました。
・キャラ創作
 お題を3枚引いて、キャラの設定などなどを書いてもらいます。
・一文小説リレー
 一文ごと別の人に書いてもらって物語を作ろうという、結果どうなるか分からない見切り発車の企画です。
あたりをやっています。(まだ全部そろってないのは内緒)

できればNFの中盤、終わりでも何か書きたいですね。(終わりは下旬担当の人に書いてもらおうかしら)。準備のあと教室に残って書いていたら、気づけば誰もいなくなってました……。

以上、学祭にワクワクして密かに盛り上がっている西桜でした。
ではでは。

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持病について

 実のところ自分は10月中旬のブログ担当だったのだけれど、何も書かずにもう11月になってしまった。それはひとつにはNF諸冊子の締切に追われていたからであり(ぜひ買いに来てね!)、もうひとつにはブログに書くネタが全く思い浮かばなかったからだった。どうしようか。とりあえず思いつくままに筆を走らせている。では、俺がここ数年患っている持病の話でもしようと思う。

 その持病は、簡単に言えば、ある一定の顔の形を保っていないと鈍痛が走るものである。眉は軽く持ち上げ、目は薄く開き、引き結んだ唇の両端は引き上げる。つまりは笑顔だ。微笑みと言ってもいい。高校生の頃、自分の笑顔の不恰好なことが嫌で、顔周りの筋肉をいじっていたら変な癖がついてしまった。この笑顔の表情を崩すと、顔全体に、まるでインクがじわじわと染みを作っていくように痛みが広がる。初めの方は耐えられない痛みではない。なんでもないように装うこともできる。しかし放っておくと痛みは徐々に広がり、2、3日も放置していると、痛みに思考が支配され、他に何も手につかないような状態になってしまう。
 もちろんこの痛みを、無理やり笑顔を作ることで誤魔化すこともできるのだ。そうしていればとりあえず痛みは治まる。でもそれはあくまで応急処置で、痛みを先延ばしにしているだけで。ずっとそんな状態にしていれば、筋肉の歪みがどんどん膨らんでいって、いずれ許容量を超え、激しい痛みが突発してきてしまう。それはもうとても辛い。一瞬死の影がちらつくくらいには。
 だから笑顔を誤って崩してしまったときは、あえてそのままにしておく。無表情に徹して、筋肉を安静にさせておく。痛いけど我慢だ。そして2、3日目の峠を越えると、痛みはスーッと治っていくのだ。そして俺の表情も次第に元に戻っていく。つまり笑顔に。こうやって、俺は俺の持病をやり過ごしている。
 もちろんずっと同じ表情でいることや、しくじったときに痛みを我慢することはある程度しんどい。でも慣れてしまえばそんなに苦痛でもない。日常の生活の中に組み込むこともできる。俺と同じような持病を抱えている人は相応にいるらしく、それ専門の病院に行けば治療してもらったり、薬をもらうこともできるそうだ。しかしそれにはお金もかかるし時間もかかる。治療中は表情筋を無闇に動かしてはいけないから、人との接触もだいぶ制限されるらしい。そうなると周りの人にも迷惑をかけてしまいかねない。そして俺の症状は、今のところそれほど酷くはない。悪化したらまた考えるけれど、とりあえず今は共存する道を選んでいる。

 これが俺のここ数年抱えている持病の話だ。こんな形であれ、持病について外に出すことができて、今はすっきりしている。今まではほとんど誰にも言っていなかったから。秘密が減って、少しだけ肩の荷が降りた。
 ここまで読んでくれてありがとうございます。あ、もちろん、この持病は比喩です。

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6月(に出したかった)ブログ

そういえば6月のブログを書いていなかったなとふと思い出し、10月の日記でも書こうとブログ原稿があるフォルダを開いてみたら、なんと6月の原稿が書いてありました。せっかくなので供養がてら置いておきます。
>>は現在の僕の感想です。

こんにちは、西桜です。ここ最近のことについてぼちぼち
・未定の方でのコミケのサークル参加が当選できたということで、8/13にコミケに行くことになりました。僕自身は即売会は何回か売り子としては参加したことはありますが、サークル代表としていくのは初めてなため、何かやり忘れてることがないか少しびくびくしています。でも初めてコミケに行くことになるので全て積分してやれば楽しみの方が勝っていますね。また東京に行くということなので、コミケの日の前後で中学高校の友達とも会おうと思っているのでそれも楽しみです。
>>なんとか終えられました。

・会員の人からNFの申し込みなどが載っているN-Free特別号をもらいました。ついこの前ゆうさんから2022年のものをもらった記憶があるんですがね(半年に一回NFやってるのかな)。今年は企画責任者ではないので、仕事は立て看の土台を新しく作り替えて、立て看作るまとめくらいなので気楽なのですが、結局色々めんどいなあと10月には思ってそうです。今年は教室で色々やりたいですね。
>>なんとか立て看板は完成しました。やったね。

・最近の例会等の活動について
新歓終わってからの話ですが、毎週なにかしら校正会や製本、企画などをやっていて、また来てくれる人数も二桁超えていて、二年前を思い返すと感激しています(僕も当時そこまで行っていたかと言われれば……)。
>>最近もあんま変わらずで嬉しいです。

・ある日、ふと携帯の電話履歴を見てみました。もともとスマホの通知は切っているので電話が来てもスリープしていると気づかないのです。すると一週間ほど前に知らないとこからの着信履歴がありました。その時、知らない電話番号のはずなのに寒気がしました。数秒経って、すべてが分かりました。電話番号の最初の三つの数字、それが京都大学のものだったのです。そしてかかっていた日付が公認届締め切りの当日だったのです。もしやなにかミスがあってそれを知らせに電話していたのではないか。そこまで考えが至った時、今年一番の冷や汗をかきました。電話履歴を見た時は夜の8時で図書館にいたのですが、何も手につかなくなって仕方なく帰りました。早く折り返しの電話をして何の電話か知りたいが、もう明日以降しかかけれない。そんなふうに焦燥を覚えながら下宿に戻っていました。
 そして下宿についてシャワーを浴びた後、少し冷静になって、まず本当に厚生課からなのか調べてみました(それまでは焦っていて調べもしませんでした)。電話番号を検索してみると、やっぱり京都大学のページが出てきて、あ……。そしてどこからかかってきたのかよく見てみました。すると、なんと厚生課からではなく、奨学課(学費免除の申請をしてました)からでした。サークルの問題から個人の問題へと落ち、そこで僕は一安心しました。(それはそれで焦るべきなのですが。次の日電話してみると、書類の不備だったのですが、その月中に出せばいいとのことでなんとかなりました)。
 長々と書きましたが、今は頻繁に電話履歴を見るようになりました(通知を入れればいいのでは?)
>>最近は大丈夫です。

こんな感じですかね。ではでは。

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最近あったこと

 こんにちは、double quarterです。
 ブログ担当になったは良いものの、長々と書けるだけの内容が手元になかったので、最近あったことをいくつか羅列してみることにします。

・単6電池
 ここ一年くらいでsurface(タブレット端末みたいに使えるノートパソコンの一種)を使うようになりました。当然書き込むためのペンを使っていたのですが、ついこの間電池が切れてしまいました。それまで一年くらい使い続けて一度も電池が切れたことがなかったので、てっきり電池なしで使えるものだと思っていました。それに周りでこの類いのペンを使っている人は皆充電式なので、中から電池が出てきて余計にビックリしました。
 これは電池を替えなければならないと思って使い終わった電池を取り出したところ、見たことのない細身の電池で表記も英語と中国語でした。調べてみるとこれは単6電池で、どうやら海外の規格の電池のようです。とはいえ電池くらい売っているだろうと高をくくって買いに行ったところ、なんと単5までしかありませんでした。まあ仕方ないとは思いつつも、単5は単5でどこに使われる需要があるのだろうかと訝しみながら撤退しました。
 その後某ショッピングサイトにて購入し、事なきを得ました。しかしそれまでの間も字を書く必要に迫られるタイミングはあり、そのおかげで指で字を書くのが無駄に上手くなった気がします。

・音楽イベントに行ってきた話
 先日紅楼jazzという東方ジャズアレンジのイベントに参加してきました。詳しい内容についてはそこそこマイナーな知識を要求する語りになってしまうので、ざっくり感想を書いていこうと思います。
 そもそも私は音楽イベントというものに生まれてこの方行ったことがありませんでした。偶然友人に誘われ、最初は行くか迷っていたのですが、こういう機会でもなければ行かないだろうと考え行く決意をしました。結果から書くと、参加して本当に良かったです。楽しかった。私は本当に挑戦しない質で、こういうイベントに参加するということは基本的にありませんでした。しかしまあやはりというか、行ってみると楽しいものですね。行ったことがないからという理由で行くか迷ったのなら、行ってみた方が良いですね。
 肝心のライブの内容でしたが、楽器を趣味で嗜んでいる身としてはプロの奏者の方の技術は凄まじいなと感じました。ああやって思った通りに音を出せたら楽しいだろうな、と思いつつ密かに私ももっとピアノを練習しようと思いましたね。それと音が想像以上に爆音で驚きました。途中の爆音サックスで鼓膜の危機を感じるほどでしたが、それも含めて楽しめた気がします。
 これ以上中身に踏み込むと、あの選曲がアツかったとかあの曲のピアノソロがエモかったとかの話を延々としてしまいそうになるので、この辺にしておきます。今回に続き、今後も新しい体験は定期的にしていきたいものですね。

・辛い物
 元々好きではあったのですが、最近これまでに増して辛い物を好んで食べるようになりました。辛いものは食べ続けるとどんどん耐性がついていくもので、最近では気付いたら一味を二十振りくらいしていることもあります。こういうことができるのも消化器官が健康な若いうちだけなので、今のうちに存分に食べておこうと思います。
 そんな日々の中で、ふとそもそもなぜ辛いものが美味しいと感じるのか疑問に思い調べてみました。辛味は味覚より痛みに近いという話も聞いたことがあったので、尚更疑問でした。調べてみるとどうやらβ-エンドルフィンという(間接的な)快楽物質が分泌されることで、通常の美味しさにより分泌されるそれと合わさり美味しさが増進されるのだそうです。そもそもこのβ-エンドルフィンという物質は、辛味による痛みを抑えるために分泌されるものらしく、言わばホメオスタシスをハックしたものと言えるかもしれません。この意味でサウナの“整い”に近いものがありますね。
 辛い物を美味しいと感じられるのは良いのですが、一方で一つ懸念もあります。それはどんどん中途半端な辛さでは満足できなくなっていることです。辛さを売りにしているお菓子の類いは、ここ最近で辛さが足りないと感じるようになってしまいました。柿の種をいくら食べてもほとんど辛味を感じられなかったときは何だか悲しかったです。そのうち辛いお菓子に自前で七味を振りかけて食べるようになるかもしれません。まあこの耐性もしばらく辛い物を食べず辛味受容体を使わないでいれば元に戻るらしいので、恋しくなったときや胃に限界を感じたときは検討してみることにします。
 これからさらに冷え込み鍋の季節になっていきますので、熱々の辛い鍋を食べるのが今から楽しみです。


 以上、日常のなんてことない話三連でした。

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なつかしさ について

 はじめまして。唐草伊於です。

 今年の夏はいつまでも暑くて、9月になってもまったく涼しくならず、おかげで9月いっぱいまで夏の気分のままでした。せっかくの休み、秋らしいことをして楽しもう、とか思っていたんですが……まだお月見ぐらいですね。秋はこれからのようです。

 唐突ですが、少し時を戻します。

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 お盆が明けて1週間ほど経った頃に、用事があって大学の近くまで行きました。
 授業があるときと同じように、出町柳から歩いて向かいます。焼けたアスファルトに短い影がくっきり映っていました。じりじりと熱い。京都の最高気温が連日35℃超えだった頃です。平日の昼間でしたが、私の他にその道を歩いている人はおらず、自転車が熱気をかき分けて走っていくぐらいでした。もう蝉も鳴いていません。今出川通から一本入った静かな路上で、止まりそうになる足を頑張って踏み出していました。

 ふと顔を上げて前方を見やったとき、

 緑が目に入ってきました。京都盆地をなす山々の一つです。その手前に大学の建物が少し見えて、あとは店や民家の並ぶ町の風景。
 なつかしい、と思いました。

 懐かしいというほどこの町には馴染んでいないはずです。大学に通いだしてまだ半年も経っていませんし、実家暮らしなのでここで暮らしたことはありません。それなのに、なぜか、自分の場所に帰ってきたような感じがしました。お盆の余韻も手伝っていたのでしょうか。

 この感覚を明確に表せる言葉が見つかりませんでした。

 リアルに体験していないものに対して近しい思いを抱けるのは、いち個人の想像力のせいなのか、それとも、そのモノに、景色に、実際に触れてきた人びとの思いに感応した結果なのか。不思議な感じです。

 釈然としないまま、なつかしい、とつぶやいてみるのでした。

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 後期の開始日に合わせるように気温が下がったのは驚きました。高い青空の下、構内で涼しい風を感じられるのはいいですね。
 授業も始まり忙しくなって、なつかしさなんて感じる暇はなくなりそうです。真夏の幻想だったのかもしれません。

 読んでくださり、ありがとうございました。

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時をかける城崎合宿レポ

 たくさん書ける(描ける)ってそれだけで才能ですよね。そうなりたい谷川です。

 先日、何とも信じ難い奇跡的なミラクルが偶然起こりました。リコリコ最終回をリアタイ視聴して余韻に浸りながら床に就いたその翌日。僕は以前から楽しみにしていた城崎への一人旅に行きました。一人で羽を伸ばすぞ、楽しみだなあと思いながら京都駅に着くと、なんと! 名称未定の皆様方がいるではありませんか! しかもそこにいる7人全員城崎に行くというのです。そのうえ旅館まで同じ! いやあ驚きました。すごい偶然もあるものですね。合宿しようなどとは考えていなかったのに、たまたま集まってしまうなんて……。これもシュタインズゲートの選択でしょうか。いやあびっくりびっくり……。

 はい、ということで合宿レポートです。
 今年は3年ぶりの合宿として、城崎へ行ってまいりました。状況が良くなっているとは依然言い難いですが、徐々に徐々に規制も落ち着いてきたため、今回3年ぶりに行うこととなりました。といっても自分はただの1回生なので、何も決めていないし、当然ながら3年前のことなど一切知らないわけですが(先輩方ありがとうございました)。なお、過去の慣習にのっとって便宜上「合宿」という言葉を使いますが、厳密にはこれは合宿ではありません。偶然集まっただけなので。というわけで今年の合宿集団一人旅のレポートを軽くしていこうと思います。
※なお、この合宿は十分な感染対策や体調管理を行ったうえで実施しております。

 1日目

 京都駅から特急に乗り、城崎温泉駅へ。旅館に荷物を置いて、そこからは自由行動です。外湯を巡ったり、美味しいものを食べたり、山に登ったりと、グループでも単独でも、各人好きなように過ごしたみたいです。僕は頭が痛くて1時間ほど部屋で過ごしてましたが……その後は鴻の湯に入ったり、温泉卵を食べたり、猿回しを観たりと、楽しく過ごしました。余談ですが、神社でやっていた猿回しが終わったあと、某先輩は投げ銭としてスッと紳士的にお札を入れていましたが、僕はチキって小銭しか入れられなかったことを告白しておきます。

昼の城崎2022
(写真1)昼の城崎

 夜。夕食は豪華な蟹の懐石料理(?)でした。想像よりはるかに豪勢で、本物の蟹なんてほとんど食べたことがない一般大学生の僕には不釣り合いなほどでしたが、とにかくめちゃめちゃに美味しかったです。ありがとうございます。ある人々はカニとカニカマについての哲学的考察の話で盛り上がっていました。

夜の城崎2022

城崎蟹2022
(写真2・3)夜の城崎・蟹

 そして夕食が終わると再び自由時間。僕は一人で夜の城崎にくり出して、風呂上がりのコーヒー牛乳を楽しみ、夜風で涼み、外湯巡りをしていました。夜の城崎はこれがまた何とも良い雰囲気で、心が落ち着くんですよね。多くの人が休養に訪れるのも納得です。そうして外湯を3つほどまわって旅館に戻ると、先輩方の部屋では作品の合評会が勃発していたようでした。創作サークルは創作サークルらしく、創作サークルじみたことをしないといけないの! というわけではありませんが、先輩方の創作意欲の高さは本当にすごいですね。僕は黙って眺めながらさけとばを食べてました。ちなみに、高尚なことは何も言えませんが、僕はあの作品かなり好きです。

 2日目

 朝起きられるか分からないと散々言っていた面々でしたが、無事全員が時間通り集合し、朝食です。朝も和食の懐石で、これまたとても美味しかったです(食レポには定評がないのでご勘弁を)。食べ終わると再度自由行動。自分は城崎での最後の温泉として朝風呂へ。普段は朝風呂には入らないのでシャキッと目が覚めて大変新鮮な感じでした。旅館をチェックアウトして、またも自由行動。自由行動が多いというか食事以外はほぼ全て自由行動なので、誰が何をしていたのかあんまり分かってないです。

城崎御所の湯2022
(写真4)御所の湯

 昼は海鮮丼など、海の幸を食べた人が多いみたいですね。午後は城崎温泉に残る人と、城崎マリンワールドに行く人がいて、僕はせっかくだからとマリンワールドへ行きました。魚、結構好きなので。当然施設内でも自由行動。僕は単独で、イルカアシカショーを観たり餌やり体験をしたりセイウチの飛び込みショーを観たり……とあちこち駆けずり回りました。これがもう楽しいのなんの。家族連れがかなり多かったので、小さい子が無邪気にはしゃいでるのも非常に微笑ましい光景でした。ラストはアジの天ぷらを待っていたらバスの時間に遅れかけて危ないところだったりもしましたが、個人的にはとても行って良かったです。

城崎マリンワールド2022

城崎釣りをする会員2022
(写真5・6)城崎マリンワールド・釣りをする先輩方

 城崎温泉組は、色々と食べたり、短編喫茶なる喫茶店に入り浸ったりしていたみたいです(無知)。

城崎短編喫茶2022
(写真7)短編喫茶Un。とても良いところ

 最後は城崎温泉に戻り、お土産選び。ただまあお土産選びって難しいですよね。あげる相手、賞味期限、予算、持って帰れるか、そこでしか買えないものかどうか、などなど考えることが多くていつも難航します。そうして各々過ごしたのち、城崎温泉駅に集合。京都行きの特急に乗って京都駅へ行き、解散! 以上が3年ぶりの合宿でした。

 と、ここまで。さも自分がまとめ役か広報担当かのように書いてきましたが、前述のとおり実際は何も知らない1回生平凡会員です。にもかかわらず、快適に楽しい合宿ができたのは先輩方の事前準備のおかげです。先輩方、参加してくださった方、本当にありがとうございました! この上なく楽しかったです。願わくは、来年、再来年と……。できるといいですね。

 ではこの辺りで。どうか、勝手に合宿をした、と問題になりませんように。以上 合宿 集団一人旅レポートでした。
※この合宿は十分な感染対策や体調管理を行ったうえで実施しております。

(注)こちらは1年間僕のPCのローカルファイルで眠っていた2022年の合宿のレポートです。気づきましたでしょうか。まさか今年も城崎になるとは、去年は思ってませんでした。今年もものすごく楽しかったです。

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昔のおすすめのアニメ

ぎりぎり上旬の間に書けました()9月上旬担当のRyeです。

またブログに立候補したものの書くことがないので、僕が久しぶりに見たアニメの紹介でもします。

かなりニッチなアニメなんですが、「たまゆら」というアニメでかなりまったりとした日常系なんですよね。なので、好き嫌いはかなり分かれると思います。ざっくりとした内容は、亡くなったお父さんのカメラとともに幼少期に過ごした竹原でお父さんとの思い出を思い出していく、的な感じで、基本は学校生活を過ごしていくアニメです。最近はあまり見ないぐらいまったりとして人の暖かさが感じられるアニメなので、そういうのが好きな人やぼーっと見るのにかなりいいアニメだと思います。自分が好きだった部分はまったりとした暖かさしか言語化できないのでもはやそれ以外でおすすめポイントをあげれません()。

あとはただの自慢になるんですけど、このアニメの舞台が僕の実家なんですよね。アニメの作画もかなり良くてアニメを見てると現実での場所も連想できるんですよね。竹原は景観保護地区的なものがあってそこの街並みは小京都てきな景色だからアニメ中でもいい風景として働いてるんですよね。もし、たまゆらを見たならぜひ聖地巡りもして欲しいぐらい舞台を感じれます。

まあというわけでアニメのおすすめに見せかけたただの自慢話だったんですけど、暖かい日常系が好きならぜひ見て欲しいアニメなので、もし興味が湧けばdアニでアニメ、または漫画でぜひ見てください。

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初見で噛まずに言えた人は凄いと思います

 どうも、氷崎です。
 今、大阪の自然史博物館で恐竜博っていうのをやっていて、先日僕はそこに行ってきました。今回の目玉はずばり、「ズール・クルリヴァスタトル」という鎧竜です。この恐竜は頭から尾っぽの先まで見つかっている上に、鎧には皮膚が、尾には棍棒を支える腱などの軟組織までが化石として残っており、その完全度、保存状態の良さから鎧竜の進化を解明する大きな手がかりとなる貴重な存在らしいです。
 僕が面白いな、と思ったのはその学名です。「ズール」というのはどこから取られたかというと、あの名作映画「ゴーストバスターズ」に登場する門の神(犬みたいなやつ)からだと言うのです。理由は顔が似ているから。似てるかな……
 ちなみに下の「クルリヴァスタトル」はラテン語で「脛(すね)の破壊者」だそうです。厨二心をくすぐられますね。
 ということで(どういうことだよ)他に面白い学名とかないかな、と調べてみました。
・「ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ」(ニシローランドゴリラ):有名どころ。周囲の人に言いたくなります。
・「イグアナ・イグアナ」(グリーンイグアナ):上と同じ感じ。実はこの手の同じ単語を繰り返す学名は他にもあります。マンボウとか。
・「エクウス・キャバルス」(ウマ):日本語で「馬・馬」。単語は違っても繰り返す……
・「ニッポニア・ニッポン」(トキ):ザ・日本。でも一度絶滅してるんですよね。
・「カニス・ルプス・ファミリアス」(イヌ):ラテン語で「犬・狼・家族」の意。人と長い間一緒に暮らしてきた犬らしい学名ですね。
・「エリタクス・アカヒゲ」
・「エリタクス・コマドリ」:上が和名コマドリの学名で、下が和名アカヒゲの学名。学名を誤ってつけてしまったんですね(一説には送られてきた標本のラベルが逆だったとか)。ややこしい!
 他にも調べてみると色々出てきます。興味のある人は調べてみてはどうでしょうか。

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フィクションを描くことについて

どうも、7月下旬担当のいとらです。
今は8月? それも下旬の?
まあまあ、夏休みってなぜか時間が圧縮されるんで、実質3日遅れくらいじゃないですか?

とまあ冗談はさておき、最近小説を書きながら、あるいはそれ以外の時間、とみに考えることがありまして。何かというと、タイトルの通り、フィクションを描くってどういうことなのだろう、ってことです。
事の発端は今年の3月。私は新入生を騙したいというただ一心により、新歓冊子にあたかも私が卒業していなくなるかのようなこれまでの振り返りを載せました。その性格の悪さは置いておくとして、とにかく、その際に私は、在り得たかもしれない可能性の一つという"てい"でそれを書いたのですが、これがどうにも引っかかる。そもそも私は他の可能な世界なんて見たことないのに、今書いてる物語だってどこかに矛盾を内包していてそもそも存在可能性がないかもしれないというのに、なぜ当たり前のようにフィクションの世界を想像し、書くことができているのだろう、と。
可能世界意味論、という考え方があります。これは、ある言明の意味は、その言明が真となるような可能世界の集合によって規定されるというものです(と少なくとも私はこう定義しています)。この概念を数学的に書き換えれば、論理式の意味は、その論理式を満たすモデルによって定義されるということになり、であれば一階述語論理の完全性定理によってその正当性が保証されるだろうということで、私はある程度この考え方に納得していたわけです。
この考えに基づけば、フィクションの物語が表すものというのは、その物語で語られていることが真となるような可能世界の集合であると言えます。そう言い切ってしまうのも味気ないような気もしますが、可能世界の集合が我々の想像できないくらいに豊かであるのだと言われれば、納得もできましょう。
しかし、そもそも書かれているもの自体に矛盾が内包されてしまっていたら、話は別です。この場合、その物語を満たす世界など存在できませんから、その物語の意味は空ということになってしまいます。世の物語は大半が矛盾だらけ(私見)ですから、では本当に意味を持つ物語など、ほとんどないのではないか。だけど、我々は矛盾しているとわかっていても、そこから何か(感動とか教訓とか)を得ることはできるているわけで、こうなるといよいよフィクションを描くということの意味合いがわからなくなってきます。
この思索を突き詰めていくと、これはフィクションだけの問題ではありません。私たちが日常発している言葉であったり、あるいは厳密性が求められるような学問で交わされる言葉であっても同じことでしょう。もちろん現実世界を忠実に切り取れているのであればそこに矛盾は内包され得ないわけですが、そんなことは現実的に不可能なわけで、何を言うにしたってそれがナンセンスと化してしまう可能性を私は受け入れるしかないのか、というか受け入れる受け入れないの問題なのか、とそういうことまで考え始めてしまいます。
この話に結論はありません。何と言っても現在進行形で考えていることですから。
とはいえ少し思うのは、言葉には意味を超越した何らかの力(スピリチュアルな意味ではなく、単に人間の脳活動に影響を及ぼすという程度の意味です)があるのではということです。情報伝達を超えた何か。もしそういうものがあるのだとしたら、そこにこそ私が小説を書く意味も生まれてくるのでは、と。
たとえば、冒頭に書いた、「3日遅れくらいじゃないですか?」というのだって、1か月が3日であることはby definitionであり得ないわけですが、だからといってその言明から感じるものはあると思います(あってほしい……ユーモアとか)。そういうものを煮詰めていった先に、私の書きたい文章があるのではと、最近は考えています。
なんて、それこそフィクションみたいな言明ですが。

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この夏の話

 夏と言えばなんですか。そうボカロです。
 おや、創作サークルのブログを覗いたはずがなぜか急に音楽の話をされたんだけど……間違えたかなあと、ブラウザバックはやめてもらって、是非とも最後まで話を聞いていってほしいんですが、八月は頭に『ボカコレ』がありまして、中旬にはマジカルミライ大阪公演がありました。私は音楽を聞きながら執筆を行うことが多いので、よくこれらの音楽を聴いております。その中でボーカロイド──初音ミクというものの存在についての考察は文学的に価値があるものだと思いましたのでここに記しているわけです。
 初音ミクとは何か。この問いは数々のボカロPによって答えが与えられてきましたが、その解釈は決して一通りのものではありません。ある者は、文化そのものだと言い、ある者は『神』だと、そして、ある者は『Hero』と言いました。(カルチャ、初音天地開闢神話、HERO)
 当然、解釈の方法はこれらだけではないのは重々承知の事実なのですが、それら一つ一つを丁寧に分析していると全く違った方向に行きそうなのでここでは省略させていただきます。
 さて、では、私にとって初音ミクとは何か。
 初音ミクとは、私です。
 はたまた、こいつは変なことを言いだしたぞと言いたげな顔ですが、最後まで話を聞いていただきたい。
 初音ミクとは物語の語り手です。物語の語り手についての考察は既に七月外部誌内の拙作『還らぬ人』にて行っているので、そちらのほうもぜひ参考にしていただきたいのですが(流れるような宣伝、コミケ前にこの記事を出しておけばよかった!)、物語の語り手というのは非常に流動的な存在です。我々は語り手を我々そのものに委託して書くこともありますし、物語の中にある主人公に語りを任せることもあります。前者の場合は神の視点、後者の場合は主人公──Heroの視点です。どこかで見ましたね、この視点。
 初音ミクは時に姿を変えながら、数々の物語を紡いできました。それは私たちの姿に相違ないのではないでしょうか。私たちは幾度となく姿を変え、物語を紡いできました。そして、これからも紡いでいくことでしょう、我々の物語というのは我々に紡ぐ意思がある限り、不滅です。そして、初音ミクという存在はその存在があり続ける限り、不滅の歌姫として存在し続けるのです。果たして、我々に叩きつけるように物語を叫ぶ日が来るかどうかはわかりませんが、我々はある種の文化を紡いでいるのだという自覚──、そんな大層なものではありません、文化というのは我々が残していった作品群に連なる形でそこに横たわっているのです──、それをもって、私たちはこれからも世界を作っていきたいものです。私たちの歌声で。

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年齢設定

八月上旬に間に合ってよかった、ナカジマ杓子です。

この頃は卒論そっちのけで小説ばかり書いていて、進捗によってその日の機嫌が変わる生活をしています。
夏コミの自作コピー本に向けて、ラノベ(的なもの)を書き書きしているのですが、最近ある壁を突破いたしましたので報告します。
ずばり、大学生が書けるようになりました。
これまではほぼ高校生、中学生が主役で、大学生は書いても「なんか違うな~」という気分だったのです。
しかし、今書いているのは大学生が主役! というか、登場人物ほぼ全員が大学生!
大学生書くの楽しい!
なぜ、大学生が書けるようになったのか。
それは、私にとって大学生活が過去のものとなりつつあるからだと思います。現在進行形の感情は意外と上手く言葉にできないものでして、「昔こんなんあったな~」くらいが書くのに丁度いい距離感である気がします。
大学生らしくあろうとしていた時期を乗り越え、「大学生ってこんなだよなぁ~」と振り返ることができるようになる。寂しい気もしますけれど、書けるものの幅が増えると考えれば、そう悪い事ばかりでもないでしょう。
書きあがったものは、いつかどこかで公開しますので、どうかご期待ください! 頑張りますんで。掛け合いとか超難しいですが、精一杯あがきます。
それでは今回はこの辺で! ありがとうございました。

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『変身物語』

本当に申し訳ないことに、ブログの担当を二か月近く失念しておりました、安野です。情けない。
ここ数週間の生活を振り返ってみたところで面白いネタもなく、己の感受性が錆びついたのか、本当につまらない生活を送っていたのか、暑さで思い出せないだけなのか、どれを取っても嫌だなと思いました。
 うむむ、今回はオウィディウスの『変身物語』の話をいたしましょう。
 『変身物語』とは、古代ローマの詩人オウィディウス(前43-後18)が書いた、ギリシア・ローマ神話の中でも特に人間や神が変身する物語を集めた詩集です。「ナルキッソスとエコー」や「アポロンとダプネー」などが含まれています。
 この『変身物語』の何がすごいのかというと、成立後二千年ほどにわたって文学作品や絵画作品の題材にされ続けてきたということです。例えばシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』ですが、これも『変身物語』の「ピュラモスとティスベ」という話をモデルにしていると言われています。あらすじを説明します。
親に反対されながらも恋人同士であったピュラモス(少年)とティスベ(少女)はある夜、家を抜け出し、町の外れで落ち合うことを決めます。ティスベが先にやってきてピュラモスを待っていましたが、そこへ一匹の獅子が現れました。彼女は逃げ、その途中で身に着けていたヴェールを落としてしまいます。獅子は牛を食べたばかりの血だらけの口でそのヴェールを引き裂き、立ち去りました。
さて、ピュラモスが遅れてやってくると、地面には獣の足跡があって、血の付いたティスベのヴェールが落ちています。彼はティスベが獅子に食べられてしまったと勘違いし、その場で剣を自分の脇腹に突き立てます。彼女の死に責任を感じて自殺しようと考えたのです。そこへ無事な姿のティスベが戻ってきますが、ピュラモスは既に虫の息。ティスベはふたりが死によって永遠に結ばれることを願い、自らも剣の上にうつぶせになりました。その願いは神々や親たちによって聞き届けられ、彼らが死んだすぐそばに生えていた桑の木は、彼らの血を吸い、黒い実をつけるようになりました。
「自殺する前に確認しろよ……」という感想しか出てこないのですが、オウィディウスの語り口は情景が目に浮かぶようで生き生きとしており、後世の作品に用いられたのも納得できる気がします。
 他にも、『変身物語』はダンテからピカソに至るまで様々な作家に影響を与えています。(私は今学期だけでダンテ、ギュスターヴ・モロー、マックス・クリンガー、ピカソのレポートに『変身物語』を使いました。多謝。)モチーフが分かると文学や絵画が数倍楽しめたりするので、お暇でしたらぜひ読んでみてください。
(参考文献:オウィディウス、1981、『変身物語 上』、中村善也訳、岩波書店)

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おれたちの七月はこれからだ!

 ある日お風呂で湯を沸かそうとしたら給湯器くんがうんともすんともいわなくなっていました。夏にしては涼しい日のことでした。熱いシャワーでも浴びようかとおもっていた夜のことでした。仕方なく水を浴びることになったわたしが静かにふるえていたのは、ひとつにはその冷たさのためで、もうひとつには冷蔵庫に冷やしてあるビールをきっと楽しめないのであろうという絶望のためでした。案の定、缶の表面に汗を浮かべたマルエフは苦みが際立っていて、わたしは寂しくなりました。そんな七月上旬担当の有末ゆうです。二十一日だからまだ上旬です。だって、わたしたちの七月はこれからじゃないですか。
 お風呂はいまだ治っていません。いまは業者さんが管理会社さんと相談して修理の手はずを整えているらしいですが、なるべく早くしてほしいなとおもいます。さもなければ、夏とはいえ、日々の水浴びのためにきっと体調を崩してしまうに違いありませんから。
 というのはうそです。わたしは身体がさほど強くもないので毎日水浴びなんかしていたら不調を通り越して死んじゃいます。じゃあ風呂に入らず日々を過ごしているのかっていったら、こんな夏にそんなことをしていたらさすがに大変なことになってしまいます。だから答えは簡単で、この頃は近所の銭湯に通っているのです。願わくはそのお金が管理会社さんに出してもらえることを。
 実をいえばこれを書いているいまも銭湯から帰ってきてすぐのことです。傍らにはアルコールがあって、スマホにはザリガニを味噌汁にする動画がたれ流されています。扇風機の風は強設定で、窓から吹き込む風はわりあい涼しいです。もう日付は変わっていました。悪くない夜です、外を走る喧しいオートバイの音も許せる程度には。
 今日の銭湯はバイト帰りに立ち寄ったものでした。わたしの勤務先はそれなりの繁盛店で、シフトに入ると毎度それなりにてんてこまいになりながら働いています。それまでのわたしはバイト帰りにコンビニに入ってビールと最安のカップ焼きそばを買ってなかばむしゃくしゃしながら胃に押し込んでいました。だけどこの頃は、まず銭湯に行きます。足を伸ばせる湯船とばかみてぇに熱いサウナで汗を流すとくそみてぇなお客様を相手にする仕事もそれなりに許せる気がしてきます。うそです、そんなにくそみてぇなお客さんはいません。ともあれ心が安らぐのは確かですけれども。そんな安らいだ心でいまこれを書いているのです。今後のことは忘れました、七月末が締め切りのレポート、七月最終週のテスト、夏休み明けに控えている研究報告、いずれ来る就活。
 ハイボールは楽に酔うにはうってつけでした。銭湯で血行がよくなってはなおさらです。そして、銭湯の近くの24時間やっているスーパーでは一平ちゃんがコンビニよりわりと安く売っていました。むしゃくしゃはしていません。心安らかにすすりました。だってまだ七月です。まだ七月の上旬なのです、わたしたちの七月はこれからなのです。だから、まだ大丈夫。まだ大丈夫なのです。そう、まだ大丈夫な有末ゆうでした。七月上旬のブログでした。それじゃあ、またね!

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夏休みの話

 こんにちは、double quarterです。

 ついこの前新学期が始まったと思っていたのに、気付けばもうすっかり暑い季節になってしまいました。私は個人的に夏が好きですが、それでもこの蒸し暑さは堪えますね。
 さてそんな夏の楽しみと言えば、夏休みです。しかし私は大学生ですので夏休みの前に期末試験というものがあります。もうこの時期は期末レポートやら復習やらに追われ、ひたすらタスクを消化する日々です。そうして家にこもってふと外の快晴を眺めると、どうしてもまだ来ぬ夏休みに思いを馳せてしまいます。
 これだけやらなければならないことが目の前にあると、やりたいことばかりが浮かんできます。何せ大学生の夏休みは二ヶ月もありますので、それだけ膨大な時間があれば何でもできるし何でもやりたい気持ちになってきます。
 しかし残酷な話として、そうやって高めに高めた期待を夏休みに入った私は裏切るということを経験的に知っています。結局夏休みに入ってみると思ったより気持ちは続かないし、何だかんだで怠惰な日々を送り、最終的に大したことはできないものです。それがわかっているのに期待を寄せ続けることがやめられないのですから救えません。
 しかしこれは私が悪いのではなく、脳が悪いのです。行動を促す脳内物質としてドーパミンがあります。しかしドーパミンは何かに期待しているときに分泌されるものであり、実際に何かをしているときの分泌量はそれに比べると少ないです。つまりこれは動機を生み出すためのホルモンというわけです(専門外の雑な理解ですので間違っているかもしれませんが)。これを考えると、夏休みに期待し続け、最後には自分に失望する在り方は生物として仕方の無いものに思えてきます。
 さて、言い訳はこのくらいにしておきましょう。ここで一つ考えたのは、「どの時期の自分が一番夏休みを満喫しているのか」ということです。普通に考えれば夏休みが一番楽しいと思われるのですが、実際の所最初の数週間で何と言うか張り合いがなくなって飽きてしまいます(私が夏休み家に引きこもっているからだと言われれば否定できないのですが)。それを考えると、夏休みに焦がれてひたすら夏休みにしたいことを考えている時期が一番幸せなのではないかと思えてきます。ゲームは箱を開けているときが一番ワクワクする、というやつですね。
 夏休みは蜃気楼みたいですね。必死に追いかけたのにそこに着いてもオアシスはない。湿った土くらいはあるかもしれませんが。しかも夏休みに入ってしまったら蜃気楼すら見えなくなってしまいます。なんと残酷な話でしょうか。
 小中学生の頃はもっとダイレクトに夏休みを楽しめていた気がするのですが、経験を伴わない夏休みの概念に当てられて自分の夏休みを疑い始めたのが終わりの始まりだったのでしょうか。夏休みに入ったら少し童心に返って虫取りでもしてみるのが良いのでしょうか。海や山に行ったり、遠くに旅行に行ったりしてみれば、少しは変わるかも知れません。……今これを考えて面倒だな、と思ってしまった私は、やっぱりずっとクーラーが効いた部屋にいるのでしょう。

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世の作品にはできて自分にはできないこと

 日比谷です。ブログ2回目です。
 自分は筆の遅い方なのでまだそんなに作品を出してないのですが、今は試みにと少し長めの構想を練っております。ただ、それなりに難点も多く、今回はその辺りを書いていこうかと思います。
 個人的な好みですが、物語の進捗に応じて壮大な背景設定が段々明かされていくパターンは楽しいものです。そう言った場合、長い間焦らされた伏線や考察の答え合わせがされていくような形になるので、パズルのピースがはまっていくような心地よさがあります。
 で、それを自分でもやってみたいと思ったわけです。まずは世界観を固めていきました。設定面もわりと考えたと思います。ですが、いざ本当の執筆活動に移ると壁にぶつかりました。というのも、作者だけがその世界の何たるかを知っているわけで、想定の読者との間に無視できない情報格差が生まれてしまうんですね。しかも、書き手としても設定面を少しずつ開示していこうという魂胆なので、余計に世界観が伝わりにくくなります。
 つまり、設定は細かくするだけでなく、読者がどう言った情報を求めていて、またどの順番で情報を開示していくと深みが出るのか、逆にどのような情報の出し方では誤解が生じるのかと言ったようなことも考慮に入れる必要があるわけです。
 幸いなことに、サークルに所属しているお陰ですぐにフィードバックが手に入ります。なんとか完成できるように、これからも試行錯誤の繰り返しにはなるでしょう。やっと、生の感想が手に入ることの有り難みがわかってきた感じです。
 というわけで、今回の雑記でした。また機会があれば書くつもりです。ではまた。

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オーディションに落ちた日、初めて煙草を呑んだ夜

 この話はフィクションだ。人物も、場所も、団体も、思考も出来事も、全部。全部作り物で、本当のことなんてひとつもない。この現実と同じように。

 オーディションに落ちた。俺が所属している軽音サークルのオーディション。他大学と合同で開かれる大きなライブに出られる権利を争うもので、一年の中で一番熱の入るオーディションでもある。結果は7位だった。11バンド中。上位4バンドがオーディション通過という扱いなので、その数字だけ見れば完敗といってもいいだろう。実際蓋を開けてみれば、通過したバンドとは2倍近く得点差をつけられていたのだから、俺のバンドが通過する余地はなかった。傍目には。
 でも、俺の気持ちはそうではなかった。首位通過とまではいかなくても、4位通過は十分ありえると思っていた。本番前もそう思っていたし、演奏後、結果発表のときまでその可能性は割と真面目に考えていた。そのぐらい俺は、バンドメンバーと磨き上げた演奏にそれなりの自信を持っていた。俺たちが作り上げたものには、それ程の価値が宿ると思っていた。だからこそ、結果を知ったときのショックもそれなりには大きかった。
 俺のバンドの演奏が終わった後、俺の友人のひとりが労いの言葉をかけてくれた。そして彼の言った言葉が、今でも俺のこころの奥に強い印象をもって残っている。
「お前のバンドは、他のメンバーが強すぎただけだから」
 彼は俺を慰めるつもりで言ったんだろうし、その気持ちには本当に感謝している。しかし、彼のその言葉は、俺の軸のようなものを大きく揺り動かした。真面に立っていられないほどの強い衝撃だった。ごまかすようにトイレの個室へと逃げ込んで、俺は深く息を吐く。
 そうか、結局俺は、あのバンドの中で一番下手糞だったんだな。
 そんなこと、気づかないわけなかった。最初から気づいていた。でも、俺は気づかないふりをしていた。そうでもしないと、俺があのバンドで、ベースを弾いている理由を見つけられなかったから。
 しかし彼の言葉は、俺のその欺瞞を見事に見抜き、そして糾弾したのだ。片利共生。その言葉が思わず脳裏に浮かぶ。俺は結局、他のバンドメンバーに寄生していただけじゃないのか。上手いバンドメンバーに囲まれて、いや囲わせて、自分も上手いんだと錯覚していたに過ぎないんじゃないか。実際そうだ。あのバンドメンバーたちを誘ったのは俺だし。
 じゃあもしも、彼らが俺以外のベーシストとバンドを組んでオーディションに挑んでいたら? そんな想像をして、思わずため息が漏れる。俺はそのとき、確かな質量をもって有り得た未来を頭に浮かべた。それは、彼らがオーディションに受かっていた、という未来。これはただの感傷でも、思い上がりでもない。思い返してみれば、普段の練習の中で、俺のミスを修正する時間が一番多かったように思う。先輩からのアドバイスでも、俺への改善案が一番量をとっていた。ならば、もしも彼らが俺よりも上手いベーシスト(そんなのサークル内にいくらでもいる)とバンドを組んで、俺に費やしていたはずの時間を、全体のクオリティーのために使っていたら? 100%とまではいかなくても、十分に彼らがオーディションに受かる可能性はあったのではないか?
 俺はトイレの個室を出て、洗面台の鏡を覗き見た。そこには酷い顔をした男が映っていた。しばらくは、友人やバンドメンバーがいる場所へは戻れなかった。

 酒を飲もうと思った。もう何も考えたくなかった。帰りしな、スーパーで手当たり次第酒を買い込んだ。発泡酒も、チューハイも、日本酒も。酔えるなら何でもいいと思った。
 家に帰ってから、それらを全部胃の中に流し込んだ。それでも飽き足りず、冷蔵庫に残っていた酒も全部飲み干した。たぶん、人生で一番酒を飲んだと思う。
 それなのに、俺が思うようには酔えなかった。多少身体の浮遊感こそあれど、思考は一向に鈍らない。それどころか、より深いところまでずぶずぶと沈んでいく感覚さえあった。空いた酒缶や、瓶や、本棚の本、立てかけたベースなどが、俺を責め立てるようにこちらを見ているような錯覚があった。部屋が次第に小さくなって、俺を圧迫して押しつぶすように感じられた。もう俺は自分の部屋にいられなかった。外に出ようと思った。

 宛ら逃げるように夜に飛び出して、行く先もないまま街を歩いた。京都の夜は思った以上に静かだ。洛中の方ではあるいはそうではないかもしれないけれど、東山の夜はそれに見合った静謐を自身の底に秘めていた。俺は、普段の散歩でもそうしているように、琵琶湖疎水に沿うように緑道を南下した。俯きつつ、闇を分け入るように俺は歩く。はっきり見えるのは俺の足元だけだった。時折視界が明るくなって顔をあげると、それは道沿いに等間隔で配置されている誘蛾灯の光だった。まるで気が触れたように、羽虫がその灯りに何度も体当たりしていた。それにあわせて、バチバチッと鈍い音が数回鳴って、そして止んだ。羽虫は見えなくなっていた。
 哲学の道まで歩いてから、俺は引き返すことに決めた。それ以上行ってしまうと、帰るのが面倒臭い。そして何よりも、沈んだまま哲学の道を歩く自分の後ろ姿を想像して、心持ちが悪くなった。そんなの、まるで気取った厭世家だ。

 帰り道も半分を過ぎた頃、俺はその近くに、ある喫茶店があることを思い出した。もちろん日付を越したその時刻にやっている店なんてほとんどないが、その喫茶店は深夜に営業している。たぶん今もやっているだろう。このまま真っ直ぐ下宿に帰るのも癪なので、その喫茶店に寄ることに決めた。
 夜の星明かりよりささやかな電灯を頼りに階段を上って、喫茶店のドアを開ける。その日はいつもより繁盛しているらしかった。テーブル席や対面式のソファもほとんど埋まっていて、空いているのはカウンターの末席だけだった。バイトらしき女性に促されるままそこに座って、ブレンドコーヒーを注文する。その店は酒類も取り扱っているけれども、これ以上酒を飲む気分にはなれなかった。
 とりあえず持ってきた鞄には、暇を潰せるような代物は何も入っていなかった。普段は詩集や小説なんかをとりあえず入れているんだけど。今日に限って忘れてしまったらしい。運ばれてきたコーヒーをちまちまと呷りながら、俺はカウンターの木目をぼんやりと眺める。そして、また先ほどの思考が頭をもたげてきた。
 結局俺は、周囲の優しさに甘えて、周囲に依存していただけだったのか。思い当たる節は他にもあった。別に組んでいる固定バンドだって、俺がバンドメンバーに寄生しているだけなんじゃないか。そのバンドの、他の二人はとても上手い。サークル内でも一二を争う上手さだ。それに対して俺はどうだ? 上手くもない、かといってそれを覆せるほどの魅せる力もない。このバンドだって、他のバンドメンバーに甘えてるだけじゃないのか。
 バンドだけじゃない。哲学も、文学も、俺が今打ち込んでいるものは、本当に俺自身のものなのか? 周囲の人間に依存しているだけじゃないのか? 俺はこころの内を覗き込んでみる。俺の「やりたい」は、本当に、純粋に「やりたい」なのか? その裏には、一体何があるというんだ?
 隅々まで俺のこころを探索してみても、純粋なものは何もなかった。俺には、何もなかった。俺の中身は空虚な空洞、空っぽだった。俺は、周囲の優しい人間に生かされているだけだった。彼ら彼女らに、意味を与えられているだけだった。俺自身には、何もない。だから、俺はあれだけ必死に他人に寄生しているんだ。馬鹿みたいだな。何のために俺はここにいるんだろう。

 ふと顔をあげると、会計を済ませようとしているひとりの青年と目があった。俺は彼に見覚えがあった。というか、俺の友人だった。
 彼も今、俺に気づいたらしい。会計するのをやめて、わざわざ俺の横に座ってくれた。カウンターにいるバイトの女性に、紅茶を一杯追加注文していた。話相手になってくれるらしい。
 彼と二言三言会話をすると、彼は怪訝そうに言った。
「なんか今日、元気ないね」
 少しだけ驚いた。俺はできる限りいつも通りを装ったつもりだけど。そんなにわかりやすかったかな。何だかアンニュイを気取っているみたいで気恥ずかしい。
 俺がたいしたことじゃないと返して会話を続けていると、カウンターにいたバイトの女性もその会話に参加してきた。友人の彼は俺と違って人当たりがいいので、初対面のバイトさんともすぐ打ち解けていた。その二人の会話をぼんやりと流し聞く。会話のテーマは悲しさの対処法についてだった。
「僕は寝たらすぐ忘れちゃいますよ」彼が言った。女性は羨ましい、と笑った。俺も概ね同意見だと思った。
「私はとことん泣きますね。泣いたらすっきりするじゃないですか」
 彼女は続けてそう言った。それは、あまり共感できなかった。友人が「君は?」と訊くから、俺もようやく口を開く。
「俺は、ここ数年悲しくて泣いたことはありません。なんか涙って不自然じゃないですか。泣いたらすっきりするけれど、それは悲しさを無理矢理ごまかしてるような気がして、なんだか暴力的に感じるんです。だから俺は、悲しいときはひたすらその悲しみに向き合います。悲しみに極限まで浸るからこそ、乗り越えられるものがあると思う」
 そこまで言い終わってから、こころの中でなにかすとんと納得するようなものがあった。俺自身の言葉が、俺の心情を代弁して外に放出してくれた。
 そうか。俺が今日思考に沈んだのも、酒を浴びるほど飲んだのも、あてもなく放浪したのも、全部、悲しみに浸りたかったからなのか。俺は少しだけ、傷つきたかったんだ。
 そんな俺を横目に、友人がポケットから煙草を取り出した。貰い物なんですよねこれ、と呟きながら。
「煙草、要る?」
 彼は俺にそう訊いた。俺は普段煙草を吸わない。今後吸うこともないと思っていた。だけど。
 俺は軽く頷いて、白い筒を一本受け取る。今日はひたすらに、深く沈んでしまいたかった。今までのこととかこれからのこととか、そんなもの全てを忘れてしまいたかった。
 彼はライターで火を灯して、自身の煙草を吹かす。それにあわせて、バイトの彼女も自分の煙草に火を灯していた。俺は自分のライターなんて持っていないので、彼女からライターを借りる。カチカチと何度か指を弾いたけれど、ライターに火は点かなかった。自分の不器用さに辟易する。
 そんな俺を見かねて、彼女はカウンターから身を乗り出し、ライターをそっと俺の手から取り返した。そして俺の代わりに火をつけて、俺の煙草の先にそれを近づける。優しく火が移って、煙草の先から煙が出だした。
 ゆっくり息を吸う。煙が肺に充満していくのを感じる。これ以上いくと咳き込みそうだ、というところで吸うのを辞めて、煙を吐き出した。それは俺の視界を埋めるように育っていき、目に見えるもの全てを暈かしていく。曖昧な視界の中で、灰皿に灰を落とした。短くなっていく煙草を眺めつつ、俺は煙を吸って、吐いて、灰を落とすのを繰り返す。
 十分ほど経って、煙草はもう最初の三分の一くらいの長さになっていた。もう吸えなくなったそれを灰皿の底に押し付けて、俺はふと顔を上げる。窓の外に、薄い月が西の街へと引っかかっているのが見えた。

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皮粒って……何?

 どうも。氷崎です。
 先日、或る小説(隠すものでもないので言いますと中島らも先生の「永遠も半ばを過ぎて」)の中で、「皮粒(しぼ)」という単語が出てきました。
 しぼ……何?となったのは言うまでもありません。軽く状況を説明しますと、世界各国の古書を沢山所有している老院長が、主人公の内の一人に或る本の装幀の見事さを語っているところでした。「ほら、この黒モロッコ革はどうかね。いい皮粒が出とるだろう」と言うわけです。シボてのは何だ。革っていうのは脂でも出るのかなどと僕は思いましたね。その場にいたら主人公と同じく「こりゃあみごとなシボだ。いいシボです」と適当に同調していたに違いない。
 で、この皮粒てのは何なんだろうと思って、「皮粒」と調べると出てこない。稗粒腫という肌にできる白いブツブツばかりです。うわぁと思って「皮粒 しぼ」と調べると、ようやっとそれらしいのが出てきました。
 どうやら革独特の模様というか表情を指す名称らしいですね。あの表面にちりめん状に細かく寄った不規則なシワ模様のことです。回転ドラムに鞣した革を入れて攪拌させることで作るらしいです。現在ではなんと金属やプラスチックでもこの加工が用いられるらしく(そう言えばPS4とかのコントローラーにそんな意匠が施されていた記憶があります)、汚れや傷を目立たなくさせたり、滑り止めや触り心地の改善などの効果もあるようです。凄いですね、シボ。
 しかし一つ気になっているのはシボの漢字表記です。どこを調べても皺(しぼ)としか書いていないのです。皮粒という表記は見つからず、何なら表記以前に使われているものが出てきません。
 らも先生の造語なのでしょうか……
 という、まぁオチも何もない話でした。何か知っている人がいれば教えてほしいですね。それでは。

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サロメ

初めまして。安野深砂と申します。
今日は4月の30日です。ブログの話題を考え、思いつかず、引き延ばしていたらとうとう晦日の夕刻となってしまいました。
うーん、今回はサロメの話をすることにいたします。
「サロメ」というワード自体は誰しも一度は耳にしたことがあるでしょう。元ネタ(原典)は聖書の物語です。ざっと説明します。
サロメはガラリヤの王女でした。その血のつながらない父、ヘデロ王は自身が兄を追放して王位に就いたことを洗礼者ヨハネに非難され、ヨハネを投獄していました。サロメは舞の名手でもあり、宴席で彼女が舞うと、王は褒美にほしいものをなんでもやろう、と約束します。サロメは、母ヘロディアスにそそのかされてヨハネの首を所望しました。結局ヨハネは首を斬られ、その首は盆に載せられサロメとその母の元へ運ばれるのでした。
短縮するとこんなお話です。なかなかグロいですね。サロメの図像は中世あたりから描かれてきましたが、「サロメ」ブームが巻き起こるのは19世紀末のこと。ギュスターヴ・モローをはじめ、多くの作家がサロメをモチーフに作品を作ります。そこで描かれたのは聖書の、母にそそのかされて首を欲した少女ではなく、見る者を狂わせる「ファム・ファタール(運命の女)」の姿でした。妖艶に踊っていたり、首を自ら欲する仕草をしていたり、迫力のある女性像です。
オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』やオーブリー・ビアズリーの挿絵にも「ファム・ファタール」の要素が色濃く表れています。ワイルドのサロメは気が狂っているとしか思えないし、ビアズリーのサロメは絵としては美しいけれど、すさまじい表情をしています……。
私は今回の幻想組曲の表紙に、ワイルドとビアズリーの雰囲気のサロメを描いてみようとしたのですが、力量不足でしたわね。迫力に欠けます。
絵の技量については精進いたすこととして、今日はこの辺で失礼します。

文をまとめるのって難しい。文字書きさんはすごい……。

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THE FIRST SAKE

 4月中旬担当の谷川慶です。
 今は2023年4月前半の某日。時刻を見れば午後11時49分。僕はファミリーマート中西高野店の前の歩道橋でこの文章を書いています。スマートフォンをポチポチ操作しながら。リアルタイムです。
 時刻の数字が0時になれば、僕は20歳になります。今は11時52分。これから、初めてのお酒を飲もうと思います。20歳になった瞬間に購入するつもりです。今回は実況形式で、初めての飲酒のリポートをしたいと思います。巷では20にならないうちに酒を飲み、それがステータスであるかのように思っている人たちもまぁいますね。しかしながら僕は、ルールを守った上で、その中で工夫を凝らして人と違うことをする人の方が余程かっこいいと思ってますので、当然ながら未だ、お酒を喉に通したことはありません。まぁ単純に飲みたい気持ちも飲む機会もあんまりなかったですしね。そうこう書いていると57分です。では僕は今からファミリーマートに向かいます。続きは買ってから書くということで。

 午前0時1分です。購入してきました。ほろよいもも味です。缶を出して、レジの店員さんに「今11時59分じゃないですか。もうちょっと待ってもらっていいですか」と言ったら、「あ……なるほど」と。一応学生証も見せて確認してもらい、そうしている間に、スマホに表示したインターネット時報は0の表示を並べました。祝、20歳です。あ、ちょっと待ってください、今0時6分なんですが、友だちからLINEが来てるので、返信してきます。あとツイートも。歩きながら書いているうちに、部屋に着きました。ほろよいの缶が指先に冷たいです。

 0時21分です。あっという間に20歳の20分が終わりました。今隣におつまみとしてひとくちチーズとワッフル、麦茶を用意しました。お酒についてほとんど知識が無かったもんで、この時のためにある程度の下調べはしてあります。というのも多分自分はお酒にかなり弱いだろうからです。両親、祖父母はもとより、親族見渡しても酒が飲める人はほとんどいないため、僕は逆に飲める理由がこれっぽっちもないという遺伝的状況にあるのです。かなり隔世しないと隔世遺伝も望めません。ということでお酒に強い20歳をとうに迎えた諸先輩方を横目に、慎重に慎重を重ねて、ほろよいをゆーっくり飲んでみるという(自分からすれば)挑戦を決行しようとしているわけです。今から飲みます。

 甘っ。ももや。ほろよいはジュースってほんとにジュースやん。アルコールの嫌な感じもなく、甘いというそれ以上の感想が出てきません。しかしここで調子に乗ってはいけません。自分が酒に弱いというのは悪魔の実の能力者が泳げないのと同じくらい明らかなこと。物を食べつつ半分くらい飲んで様子を見ます。

 0時55分です。半分くらいまで飲みました。甘くてどんどん進みそうになりますが、ここは自分の容量把握のため。我慢します。一方で深夜だというのにパンとチーズはどんどん進みます。逆に体に悪いでしょう。しかし体感としては何も面白い感覚はないですね。明日1限ですが、ここらでアニメでも観つつ30分ほど間を取って様子を見てみます。何をそんなに慎重にと思っているそこの酒猛者のあなた。僕が誕生日の間だけは黙っていてください。

 何にも起きません。ただ、1時30分だというのに眠気が全くありません。まさかこれが……!? とまぁ全部飲んで早いとこ寝ます。しかし、あの、これは僕が常々思っていることなのですが、酒が美味いとかアルコールに依存性があるとか置いておいて……単純に"飲み物"を"缶やビン単位で"飲むって、多すぎじゃないでしょうか。酒だからそんなもんだと思いがちですが、飲み物を大量に胃に入れる行為だと考えれば、異常極まりなく感じます。自分は普段飲み物をたくさん飲むことをまずしませんから、350mlの缶1つ飲み干すこと自体かなりの苦労というか、非日常です。

 翌朝ではなく翌日です。現在午前11時7分の理6―401、2限の教室です。あれから、特に何もなく、酔った感じも顔が紅潮することもなく、至って普通でした。読んでる側は一瞬でしょうけど書いてる側は2回の睡眠を挟んでます。面白みはないですが、まぁほろよい1本はいけることが分かったということで良しとして、ここらで終わっときますかね。オチはないですが、元々オチやストーリーを作るために書いてないですから仕方ありません。この文章はほとんど校正や修正無しに書いた時のまま出してしまおうと思います。次は何を飲むのがいいんでしょう。とりあえず自分がどれくらいまでは飲めるのか調べないといけないのですが……次のステップは何がいいのか誰か教えてください。
 それでは。

(追記)今はさらに4日後の3限の教室です。これを書いとくのが定型というか様式美かなと思って書きたくなったので追記します。
 二十歳未満の飲酒は法律で禁止されています。人それぞれ置かれた状況は異なるでしょうが、二十歳未満の人はなるべくルールの範囲内で踊りましょう。

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春ですよー

こんにちは、西桜です。
新歓時期ですね。(4/1には書こうと思って忘れてた。今、4/5) 四月のさっぱりとした清々しい雰囲気を肌で感じるたびに、僕の陰鬱な心の奥底を思い出して胸が痛いです。

こんなこと書けるくらいに


というところで書き止まっていました。(現4/10) 何を書こうとしてたのでしょうか。もう四月上旬ぎりぎりですよ。気が付くと授業が始まっていて、二カ月ぶりにシャーペンを握った気がします。

さて、ここにたどり着いた物好きな新入生は過去のブログを見て、一体どういう方針で各々書いているのかと思われるでしょう。小説であったり、創作論、自分が好きなもの、日記などなど。答えは、特にない、自由です。(最低限のモラルは持ちましょう) つまり、僕が唐突にここで終わる意味不明なオチでもいいのです。ということで、新歓来てみて、居心地がよさそうなど思ったらこのサークル名称未定に入会してみるといいんじゃないでしょうか。

以上、会長のしょうもない駄文でした。

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卒業式のおもいで

 このごろはブログの期限をまもった覚えがとんとない。じつをいえばこの記事は三月下旬のものだけど、気が付けば新年度が本格的に始まっていた(略して新本格)。春休みって長いなあ大学生サイコーっておもっていたけれど、もう休みどころか残された大学生活の時間が短い。それでも創作サークルらしくよく創作のことをよく考えていたので、まあ、よしとしよう。
 小説を書くとき、アイデアを考える仕方は人それぞれだとおもうけれど、わたしは最近お布団にくるまって考えることが多い。寝る前とか、起きた後とか。そんなだから二度寝する。このまえ暗闇の中でぼぅっと考えていたら、中学時代のことをおもいだした。あの頃の自分はいまおもいかえせばまあ斜に構えた「イタいヤツ」だったのだけど、そんなだから友達らしい友達は少なかった気がする。うそ、結構いた。それでも放課後に遊んだりとか、毎日一緒にいたりするような人は少なかった。
で、悲しかったことがある。それは中学の卒業式後のことだった。教室に戻って担任の先生のありがたいおことばを承って、それなりにうるっとした。でも悲しかったのはそのことじゃなくって、お別れが済んで一度トイレに立ったとき、戻ってくるともう教室に誰もいなかった。こういうのってそれなりに居残ってなんか話したりするもんじゃないの? みんなどこいっちゃったの? わたしは寂しくなって下駄箱に向かった。べつにいいし。高校ではもっといけてるやつになってやる。それで卒業式の日に、みんなで涙を流すんだ。
 わたしは下駄箱に向かった。廊下では卒業生の川ができていた。みんなわやわや話してて、別れのおしゃべりとかわたしもしたかったのになとかおもった。下駄箱に辿り着いたとき、数学の先生がわたしの肩を叩いた。
「有末、おまえみんなと一緒にいかなかったのか?」
「え、どこっすか?」
「地下の一番奥だとおもうけど。前から予約されてたし」
 聞いてねぇ、とはいわなかった。いってもむだだし。やっぱわたしはぶられてたんだ、くそどもめ。わたしは「わっすれてましたー」といって踵を返した。現場を押さえなくちゃいけない。それでどうなるってわけじゃないけどさ。でも悔しいじゃんよ。わたしは階段を駆け下りて地下一階にいった。
 地下には会議室が四つあって、うちふたつはぶち抜きにできる。集会の時とかによく使うやつだ。どこのクラスも打ち上げをしているらしくって、扉からは卒業生が溢れて、揚げ物やあまいものの香りが漂っていた。わたしは一番奥の部屋に入った。向けられたのは、なんだこいつ、って目だった。めちゃ気まずい。でも幸いだったのは、それがわたしのクラスメイト達のそれじゃなかったことだった。部屋を間違えたらしかった。
 しかし、おかしかったのはその部屋が間違いなく「一番奥」だったことだった。先生の間違いだったのかな、とおもって他の部屋を探ったのだけど、全部別クラスのだった。いよいよ先生にだまくらかされたのだろうかとおもって、やっぱりあきらめて帰ろうとした。わたしの中学生活のおわり、こんなかよ。
 そうおもっていたら、視界の端を横切る影があった。別クラスの、それでもそれなりに仲良くしていた子だった。その子が階段を駆け下りて来たかとおもうと、くるっと回って、さらに階段を下りて行ったのだ。
 それでわたしはおもいだした。地下はもっと下に伸びていたんだった。わたしは彼女を追って走り出した。階段をひとっとびに駆け下りて、踊り場でターン。もう一つ下の階について、あの子がまだ下へ走っているのが分かった。だからわたしは彼女の背中について地下六階までたどり着いた。ここが一番下の階だった。彼女はわたしに気が付いている様子はなかった、廊下を駆けて行って、角を曲がった。その先にわたしのクラスメイト達がいる部屋があるはずだった。
 息を切らしていた。あたりまえだ、あんなに走ったんだから。わたしは締め付けるように痛むふくらはぎに鞭打って廊下を歩いた。上の階の喧騒はすっかり消え去り、換気扇の回る音が響いているだけだった。廊下には赤いじゅうたんが敷かれていた。それがさらに音を吸収しているようでもあった。
 角を曲がったとき、誰かにぶつかった。あの子だった。真っ青な顔をしていた。彼女はわたしを見上げると、すごい力で突き飛ばして階段の方へ駆け戻って行った。なんだよ、まったく。わたしは廊下の先をみた。ひとつの扉がそこにはあった。木製で、両開きのものだった、真鍮製の金色のノブは掠れた輝きを放っていて、表面にはいい現わしがたい模様が浅浮彫で刻まれていた。なんの声もしなかった。なんの音もしなかった。
 想起されるのは、さっき走り去ったあの子の顔だった。きっとあの子は扉を開いたんだ。
 わたしは扉の前に立った。でも、ノブを掴むことはできなかった。その代わりにわたしは右の耳を、ぴったりと扉に当てた。なにかが掠れるような音が聞こえた。ものを引きずるような、蛇が息を漏らすような。
 だからわたしは、これはだめだって確信したのだ。たぶん、この扉は開けちゃいけない。ここにいちゃいけない。わたしは立ち上がって駆け出した。
 目が覚めたのは、その瞬間だった。夢でした、お察しの通り。
 おもいかえせば怖くもなんともないけれど、やな夢だった事だけは確かだ。創作のことなんか考えて寝るからこんなになるんだ。
 そんな話を、朝、雑談がてら友人に話してみた。そしたら彼は「それならぼくのが怖い夢を見たよ」といった。
「それってのもさ、こーんくらいの」
 彼は、腕をいっぱいにのばした。さしわたり一メートル五十センチはあった。
「ニラがずるずるって出てきたんだよ、歯ぐきから」

以上、担当は有末ゆうでした。またね!

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待つ日々にたえて貴方のあらざれば

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
 僕がこんな和歌の書かれた手紙を桜の樹の下で拾ったのは、大学入学直前の春の日のことでした。
その日、僕はこれから始まる新生活に心躍らせ、半ば浮き足立ちながら散歩をしていました。下宿から琵琶湖疎水に沿って道を下り、東鞍馬口通りを少し過ぎる。そこには小さな公園があり、その隅に、満開の桜の樹がありました。僕は、多くの日本人がそうであるように、桜の吸引力に引き寄せられて花を見上げました。しかし数分もすればその光景にも見飽きてしまい、視線をふと下げる。すると視界の端、桜の樹の根元に、薄い桃色をした手紙が落ちているのを認めたのです。
 僕は少し迷ってから、それを拾い上げました。誰かの落とし物ならそのままにしておくべきかもしれないけれど、いつか散った桜の花びらにそれが埋もれてしまうのではないか、とふと考えたのです。その手紙を広げると、先の和歌が。在原業平の歌。ただ書いてあるのはそれだけで、送り主も、宛先もありません。そこで僕は、ふと思いつきで鞄からペンを取り出し、その和歌の隣にこう書き付けて、手紙を元の場所に戻しました。
「世の中にたえて桜のなかりせば花に埋もるる消息もなし 暮四」
 そして次の日。僕は昨日の手紙のことが気になって、またあの桜の樹へと足を向けました。するとやっぱりあの手紙が。拾い上げて中を見ると、「消息も花もなければ君と我交わらざらん泥濘む轍 白戸」
 この日から、この手紙を通して、白戸さん(筆跡から多分女性でした)との和歌の詠み合いが始まったのです。
 それから一週間ほど経った頃でしょうか。大学の入学式の前日。その頃には、白戸さんとの手紙を通じた詠み合いはほとんど日課になっていました。もう桜の花は散りかけていたため、手紙は花びらに埋もれていました。その日の歌は「あくる日のいつか散る花にべもなく来たる夕陽が照らすその時」僕はなんとなく違和感を覚えました。なんだか言葉のチョイスが不自然で、意味も通りづらい。そしてふと気づきました。折句です。句の頭文字を取ると、「あいにきて」。僕は何と返せばいいか分からず、その日はそのまま手紙を元に戻しました。
 次の日も、随分と迷いましたが、結局はあの桜の樹へは行きませんでした。入学式がありましたし、多分そこにいるだろう白戸さんに会ったとして、どんな顔でどんな会話をすればいいのか分からなかったから。あとは単純に、白戸さんと会うことが漠然と怖かったのです。
 そこから、白戸さんとの詠み合いはなくなりました。桜は完全に散り、手紙も消えてしまいました。無論、私はあの日のことを後悔することになります。
 だから、と繋げるのは少しおかしな話ですが、私は今度の紅萌祭で配るビラの裏に、この話をベースにした、白戸さんに関する小説を書きました。ペンネームも白戸にしてあります。何か、まるで桜の樹の下で手紙を拾うような巡り合わせで、彼女に僕のことが伝わるように。

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昔馴染み

どうもこんにちは。3月上旬担当のいとらです。

……そう、上旬担当なのです。
本当は3月10日くらいには書こうかなと思っていたんですけどね。最近思ったよりも忙しく、酒を飲んだり、酒を飲んだり、車を運転したり、酒を飲んだりしていたら今日になっていました。と、この並びだとまるで酩酊状態で運転しているかのようですけども、それぞれの読点の間に一日が経過しています。いやあ、一日って短いもんですね。
とまあ、私の堕落っぷりについてはこのくらいにして。

さて、その二番目の「酒を飲んだり」についてですが、具体的には高校の頃の友人二人と会っていました。二人は高校の部活の同期です。ところが、この部活について説明するのは少し面倒でして、一言で説明するならば、工作全般を扱う部活という感じです(部活名についてはあえて書きませんけれども、キラキラネームのような名前だったとだけ記しておきます)。「何でもあり」という点については名称未定と似ているのですが、活動内容は微妙に重なっているところが少なく、部活では例えば木を切ったり機械を作ったりプログラミングしたりしていました。それに加えて私たちの代では、ボードゲームをしたりクイズをしたりと好き勝手していて、どちらかと言うと大学のサークルに近かったのかなと思います。
そんな部活の同期とは、高校の卒業後もそれなりに仲良くしていたのですが、前に会ったのがいつだったかと思い出してみると、そういえばその時「まだお酒飲めないよね」みたいな話をしていましたから、私が二十歳になる前、つまり二年以上も前ということになるらしいのです。二年というのは長いもので、お互いどんな風に呼び合っていたかとか、どういう口調で喋っていたかとかを忘れてしまうほどです。特に私なんかはすっかり大学生活に染まってしまっていますから、前と同じように喋れるだろうかと不安でもありました。
二人とは大学の前で待ち合わせして、近くの店で食事をし、酒を飲み交わし、それから街を練り歩きました。私の地元は温泉街が繁華街となっているようなところで、大学生らしき集団が大声で騒ぎながら足湯に浸かったりしていました(私たちもそのような集団の一つだったかもしれません)。そうやって街を歩きながら、最近どんなことしてたかとか、卒業後どうするのかとか、そういう話をしました。こんな風に会うのも今後は難しくなるんだろうな、なんて話も。気が付けば遠慮なんてものはなくなっていて、最近はめったに出ない方言も使っていました。
やっぱり、二人は私にとってかけがえのない人たちなんだなって思います。
大学に入ってから、私はいろんな人に会って、こんなにも個性的な人たちがいるんだと驚かされ続けてきました。それでも、二人の個性は大学で出会った人たちと比べても引けを取らないくらいに際立っているように感じて、それは今回、会って話をしていても変わらないどころか一層増すばかりで、これは単に仲がいいからそう感じるだけなのか、あるいは偶然特徴的な人と出会っていたのだろうか、なんて考えます。特別でない人なんていない、という言明もありますけれど、それだけで片付けてしまうのも味気ありませんから、ここではそれに加えて、私たちは人と関わりながら育つ中で、その人の特別さに一際価値を置くようになるのではないか、という仮説でも立ててみることにしましょう。検証は、今後の人生でするとして。

もとはと言えば、卒業すると会いづらくなるからというので、わざわざ地元に集まったのですけど、どういうわけか、この春の間に今度は二人が京都に来てくれるということになりました。
いやあ、また忙しくなりますね。

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季節の匂いと音の話

 こんにちは、double quarterです。

 もう丸一ヶ月ほど前の話ですが、京都に雪が降りました。私は雪国の出身なので雪を見ると実家を思い出します。冬の夜のツンとした冷たい匂いや、雪に反射して鈍く光る夜にちょっとした郷愁を覚えるほどです。
 雪に限らず季節には独特な匂いがあります。私は花の香りはあまり好きではなく、むしろ土や草、雨の匂いなんかに惹かれます。特に夏の雨に濡れたコンクリートの匂いなんかは、懐かしさを伴って夏の良さが押し寄せてくる感じがします。夏は晴れも良いですが私はあえて夕立を支持したいですね。都会はコンクリートに覆われているのでコンクリートの熱気と相まってどこかムワっとした雨の匂いがします。しかし私はどちらかというと雨に濡れた土の匂いの方が好きですね。
 なぜ好きなのかを説明するのは難しいですが、一つ思い当たる人間の性質があります。匂いに関する記憶は強いとよく言われます。その言葉に無意識に影響されているのか、本当に記憶しやすいのかはわかりませんが、ともかく私はこうして小さい頃に嗅いでいた匂いに懐かしさや心地よさを覚えることが多いというのはなんだか納得できる気がします。

 ここで最近不満なのがマスクです。ご時世なので仕方の無いことではあるのですが、マスクをしていると季節の匂いというものがわかりません。私は季節の匂いを人目を気にせず堂々と道を歩きながら堪能したいがためにマスクを外したいとすら思っているほどです。
 最近は人が密集していない外の空間ではマスクを着けなくても良いみたいな風潮ができつつあるので、散歩中人目を気にしながらマスクを外して外の匂いを楽しんでいたりします。早く大手を振ってノーマスク散歩ができるようになることを願っています。

 さてまた話は変わりますが、私は季節の音も好きです。と言っても大体は生き物の声なのですが。例えば京都の夏はとにかくセミがうるさいです。クマゼミが多いのでしょうね。一時期はその辺の木に近づくと耳が痛くなるくらいの音量で啼いていました。
 夏の風物詩としてセミも良いのですが、私は夏の夜と言えばカエルの声が好きです。アマガエルの合唱には心地よさを感じます。人によってはうるさいと感じることもあるでしょうが、私は昔から聞いているのでその中でも割と普通に寝られる程度の、心地よい音に感じられます。
 秋は言わずもがな虫の声が聞きたくなりますね。毎年のように「虫のこえ」の一節を思い出して「ウマオイはどんな鳴き声だったかな」などと調べては忘れてを繰り返しています。私は夏が好きなので初秋には夏が終わる寂しさを覚えます。その切なさも含めて虫の声にはエモさ(この表現しか浮かびませんでした)を感じますね。
 冬は日本海側なら良く天気が荒れますね。私も基本的には悪天候は嫌いですが、家の中でぬくぬくと見る悪天候だけは好きです。雪が吹き荒れる窓の外を横目に、風の唸る音を聞きながら本を読むのが最高です。夏の嵐でも同じですね。

 とまあなんだか徒然草みたいな文章になってしまいました。今年の夏はまだ遠いということで、この辺で話を締めさせていただきます。

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 初めまして、初ブログ担当のRyeです。書くことはいつか思いつくだろうと担当になったものの、なにも思いつかずにほぼ下旬になってしまいました。とは言っても書かないといけないので、自分が好きなボカロの中で知名度はあまりないけど、ぜひ聞いてほしいものを紹介しようと思います。(知名度の有無は独断と偏見です。)

・イワシが土からはえてくるんだ
 題名から意味がよくわかりませんが、歌詞もかなり意味深で、理解はかなり難しい歌です。しかし、メロディはとても聞き心地が良いので、意味深な歌詞を理解してみたい人、もしくは歌詞はあまり気にしない人はぜひ一度聴いてみてほしいです。

・黒塗り世界宛て書簡
 この歌は多くの規制音が入っていて、多くの歌詞がわからないようになっていますが、その規制音自体を歌に取り込んでいて、非常に秀逸な作品です。また、規制されないダジャレや言い換え、規制音を逆手に取ったメッセージなどが多く含まれていて、歌詞だけでも非常に面白い作品です。

・竹
 BPM5~315という狂った曲です。竹のことを知りたくなったら聞いてみてください。

 全ての曲がYouTubeで聴けるので気が向いたら聴いてみてください。

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タイトル回収

 どうも初めまして、今回初ブログ担当の日比谷です。このサークルに入ってそろそろ1年というところでやっと担当です。これからはぼちぼち書いていこうと思います。

 さて、早速ですが「タイトル回収」っていいですよね。うまいタイトル回収は見るたびにテンションが上がります。例えば、タイトルが何を意味しているのかが急に分かったときとかですね。こういう場合のタイトルは、話の中の伏線ではなく、メタレベルにある伏線というべきなんでしょうか。適度に引っ張ってからいいタイミングでタイトル回収して、意味がつながるときのスッキリ感は半端じゃないです。それ以外だと、「タイトルを上手く折り込んだウィットの利いた発言」というタイプもありますかね。この場合はその時の状況に加えて、タイトルを含んでいることがセリフの存在感と印象を引き立てるという感じがします。

 個人的に忘れられないタイトル回収の話をしましょう(以下は映画「Back to the Future」のネタバレを含むので各自責任のもとでお願いします)。取り上げたいのはBack to the Future 3の結末の話なんですが、これはシリーズ三部作の本当に最後のシーンに当たります。Back to the Futureは端的に言えばタイムマシンをつかったドタバタ騒動のストーリーなんですが、まぁ伏線の貼り方と回収が見事な名作です。そして、3の最後では邦訳で「未来へはもう行ったの?」という呼びかけが出てきます。これが実は翻訳の落とし穴というか、一度原語版でみたときにはじめて気づいたのが、このセリフが英語版では「Back to the Future ?」だったということです。現在のハリウッド映画は、海外展開を見据えて英語前提の言い回しなんかを減らす傾向にあると聞いたことがありますが、このころはまだそういったアメリカン・ジョークのようなものが使い放題だったのでしょう。とにかく翻訳の結果、このタイトル回収は、大半の日本人にとってタイトル回収ではないんですよね。しかしそれが惜しいくらいのこのタイトル回収は上手いんです。映画の、しかもシリーズのラストを飾るシーンという文脈でのタイトル回収、これほど気持ちいい終わり方はないんじゃないかと思います。原語でこの映画を見た人のみが知ることのできる見事なタイトル回収、これが印象に残らないわけがないという感じです。

 タイトル回収について語るのもここまでにして、そろそろ終わりにしようと思います。次回出す作品では「タイトル回収」してみようかな。

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こんな寒い日に喜び駆け回る人はいるんですかね?

 お久しぶりです、氷崎です。
 近頃はどうも寒くていけませんね。まさか雪があんなに降るとは思いませんでした。一授業終えて外に出たらあたり一面真っ白になってるのだからそりゃ仰天するってもんです。
 それは置いといて、雪といえば僕が思い起こすのは童謡の「ゆき」です。あれの一節がどうにも気になっていました。その一節とは「犬は喜び庭駆け回り」。果たして犬は雪を喜ぶのだろうか、と。
 それをついに確かめる時が来たのでは、と僕はドキドキしながら家に帰りました。僕の家は庭で黒柴を飼っています。なので彼女の様子を見れば一目瞭然というわけなのです。うちの犬ころは元気一杯なので喜んでいるならそれこそ「庭駆け回」っているでしょう。
 家につくとあたりはしん、と静まり返っていました。雪は音を吸収してしまうのでそのせいかもしれません。そろりと玄関に向かいつつ庭を覗いてみると、そこに彼女はいませんでした。拍子抜けして家に入ると、彼女は家の中のゲージにいました。母によると僕がいない間の地元の外は、吹雪いてそれはもう大変なことになっていたらしく、母の判断で犬ころを家の中に入れることにしたそうです。雪の降り積もる外に番犬とはいえ放置するというのはあまりにもと言えばあまりにもなので、当然のことかもしれません。一応母に外での犬ころの様子を尋ねてみると、特に喜ぶこともなく小屋の中で大人しくしていたそうです。
 というかうちの犬でどうだったからといって、全ての犬にそれが当てはまるわけではないじゃないか、と父は言いました。ぐうの音も出ません。そもそもの考え方が的外れだったということでしょう。何故気づかなかったのか……。

 ちなみに「猫は炬燵で丸くなる」のは多分確実だと思います(猫飼ってないですけど)。「かまど猫」って言葉があるくらいなので。あ、でもこれも個猫(?)差があるのか……?

Edit 22:23 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

靴紐

最近の日記です。

・喫茶店で頼んだソフトクリームにさくらんぼがついていた。真っ白な背景に鮮やかなほどの赤。幼い子どものささやかないたずら心みたいだ。それを摘んで実をひと口で頬張ると、わずかな甘さと酸っぱさを感じる。割合に大きな種を吐き出してしまえばもうその味は残っていなくて、あとはひたすらに甘いソフトクリームがあるだけ。やっぱりいたずら心に似ている。

・月を見上げない日はないんじゃないか、と思う。夜になると、いや、昼の間も、ふと空を見上げて月を探してしまう。ドアの鍵を閉めるのと同じような、外出時のルーティーンになっている。自分が月に何を求めているのかは分からないけれど、毎回数秒は見上げてしまう。

・秋の終わり、夜の準備をしているような暗い水色の空に薄い月が浮かんでいた。俺は頭の中で「夕月夜小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ」と呟いた。自然に頭に湧いて出てきていた。確か紀貫之だったように思う。こういった風に、現実と詩歌が繋がる経験は気持ちがいい。そんなことをぼんやりも考えているうちに信号が青になって、俺は前を向く。

・昼の青空に浮かぶ月は世界の終わりによく似ている、と思う。その不釣り合いな感じというか、あり得なさがそう思わせているのかもしれない。というか月のこと書きすぎだろ。初恋か?

・世界は名前によって出来ていることを、最近強く実感する。アベリアの花も寒椿も、その名前を知ってから視界に飛び込む回数が増えた。特に椿なんかはあんなに鮮烈な色をしているのに、名前を知るまでは全く見えていなかった。もったいない。世界の名前を大事にしていきたい。でも、名前をつけずにいたいものも確かにあって、少し困ってしまう。

・靴紐を結ぶ。時計を合わせる。楽器のチューニングをする。世界に自分を合わせる行動。これらが苦手だ。靴紐はすぐ解けるし、時計やチューニングはすぐまたずれる。ただの不器用とかたづけてしまってもいいけれど、何か抽象的な意味を付与してもいい。とにかくこれらの行動をしているとき、なんだか少し寂しくなる。

・アンディウォーホル展に行った。ウォーホルは戦後アメリカの大衆消費社会を象徴する画家で、反復などの技法が有名。展示の仕方もそれに倣った意欲的なもので面白かった。特にキャンベルのトマト缶には感動した。まさか生で見られるとは思ってなかったな

・『蚊』という小説を書いた。一年前から構想だけはあって、最近ようやく形にできた。大人と子供、性愛と純愛、恋と信仰。様々な二項対立をそこに込めた。蚊と乳房は男女の間にあるそれらを表現するためのメタファーのつもりだった。しかしそれを他サークルの人に見せたところ、それはもう多種多様な解釈をされてしまって、思惑通りにメタファーを機能させるのは難しいと感じた。

・京セラ美術館で気に入った作品 
河合健二『曙光』
下村良之介『月明を翔く(弥)』
徳岡神泉『流れ』

・『冬蜂の死にどころなく歩きけり』村上鬼城の俳句。最近ひよんなことから知った句で、一目惚れしてしまった。そう、これなんだよ。俺は俳句にささやかな悲劇を求めている。

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今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:ナカジマ杓子
中旬:double quarter
下旬:氷崎光 です。

 

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