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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
サークルについて詳しくはこちらへ→公式WEBサイト

2023-01

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微妙な気遣い

 上旬を過ぎてしまい申し訳ありません、ナカジマ杓子です。

 いきなりで申し訳ないんですが、最近気になっていること。それはMicrosoftからのメッセージ。

 まず背景として、私は(特に理由なく)WIFIの接続を手動で行う設定にしています。なので、当然自宅と大学とでいちいちネットワークをつなぎ直さなくてはいけない。でもときどき設定を忘れたままでMicrosoftEdgeを開いてしまう事があるんです。WIFIがつながってないとEdgeの検索機能も使えないので、WIFIを繋ぐように求めるメッセージが出ます。

 「接続されていないようですね」。

 分かりますか、このメッセージの微妙な気遣いが。「接続してください」ではないんです。「接続されていないようですね」です。

そう、この言い方は幼稚園の先生が「たっくん、遊ぶ時間は終わったよ~。絵本はどうすればいいんだっけ~?」と聞いてくれるあの感じです! 「絵本をしまってね」だと強制なのでたっくんは従わない。あえて遠まわしに伝えることで、本をしまうという行為がまるで自発的なものであるかのように錯覚させる高等技術! Edge凄い!

 ありがたいと同時に、「オレ、もう大人……」とも思います。 以上、ナカジマ杓子でした。


 

Edit 23:43 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ぼくのなつやすみ

理学部一回生の帆貝梨香です。何を書けばいいのかわからないので、近況報告でもしておきます。
さて、夏休みがやってまいりました。高校の時は二週間ほどしかありませんでしたので、二か月という長さにはびっくりしています。かといって暇というわけでもなく、現在、私はバイト中心の生活を送っていまして、何分、それが午後にあるものですから、完全に昼夜逆転しています。朝日を浴びなきゃ寝れません。これの何が困るかといいますと、休みの日に遊びに行けないのです。京都といえば、世界文化遺産が各地に点在していまして、それを住んでいれば好きな時に巡れるじゃん! というのが私がここに来た理由なのですが、ほとんど行けていません。起きる時間には既に、閉まりかけの時間になっているのです。

というわけで、夏休みなのに、寝るか働くかしかしていない私ですが、いよいよやってまいりましたお盆休み。先日、嵐山に行きました。渡月橋を見たり、竹林小路を見たりと、そこそこ充実した一日を送れたのですが、いやはや、暑すぎます。京都の夏をなめていました。京都に住んでらっしゃる方はもしかしたらわからないのかもしれませんが、体感では私の地元である宮崎よりも暑いです。はてはて、こうなったらもう秋以降しかないなと思いはじめたのですが、そうこう言っていたら、いつまでもどこにも行かないような気がしてなりません。

そう明日でいいやと先延ばしにしていたこのブログのようにね!

この人、八月上旬担当だったんですよね。大変申し訳ございません。

意を決して、楽しい夏休みにするぞー!

Edit 02:01 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ちょっとだけ

ㅤ皆様、はじめまして。
ㅤ9月上旬のブログを担当します、たろとと申します。新参者ですが、ひとつお付き合い願えると幸いです。

ㅤさて、ブログを担当しようということになってから、ブログのネタを探してはみたのですが、これが何もない。毎日昼前に起きて、昼食をとったら昼寝、夕飯前に起きて入浴・夕飯を済ませたら、音楽を聴いて寝落ち。こんな生活しか送ってないんですから、ネタが落ちている訳もなく。
ㅤウンウンと唸っておりましたが、先日高校時代の友人から遊びの誘いを受けました。同じことを繰り返す日々に飽きた私は、日程を即決し、昨日会ってまいりました。この友人というのが、浮世離れした人で、会って早々「精神に身体がついてこないから、思念体になりたい 」と。その後も(これは比喩ですが)書物になりたいだとか、隠居したいだとか、とても大学2回生が話す言葉ではない発言がポンポン飛び出てくるのです。私はそれが妙に面白くて、ケタケタ笑いながら聞いておりました。
ㅤそうしていたら、今度は少しばかり思想の話になりまして。ところで、私は幼少期から究極の現実主義者でした。何事にもリアリティを求め、自分が実現不可能な目標は掲げない質でした(この反動で創作は厨二なんでしょうね)。一方の友人は、夢想主義。2人の思想はほぼ真反対を向いていました。だけれど、会話はどことなく心地よくて、気がつけば、2時間も話しこんでおりました。
ㅤこの話を通して、だからなんだと結論づけるつもりはないですが、存外自分とは違う考えの持ち主との方が話が弾むのかな、とかいう所感を述べさせていただきます。

ㅤブログ担当をなんとか回せる程度の話題になってくれた友人には感謝しかありません。まあ、当の本人は、このブログの存在すら知らないんですが。

ㅤでは、私たろとの担当はこの辺で。
ㅤ今後ともよろしくお願いいたします。

Edit 10:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

初めまして

ああ寒い寒い…………。というわけで、本日の雪予報のお時間です。

 最近、といっても1年スパンのゆっくりとした流れなのですが、映画を観ることがとても増えました。高校三年生の前半に、友達と「ミッドサマー」を観た後キリスト教の聖句を暗唱して二人で狂ったように笑ったり(高校がキリスト教系の学校でした)、「メイドインアビス」の劇場版を見て開口一番、主人公一行の一人を撮る上からのアングルが扇情的だったと述べたら「気持ちわる」と言われたり。高三の後半には精神的に参っており、10月に塾の宿題を全部ポアして、神戸でリバイバル上映していた「リズと青い鳥」を一人で観て一人で帰りました。ツイッターで持て囃されてる映画か追っていた漫画・アニメの劇場版しか観ていないのが一目でわかるラインナップですね。とはいえ、やはり話題になるだけあるのでしょう、どの映画も恐ろしくクオリティが高く、その時の記憶が鮮明に甦るような、良い体験になりました。そして大学生になっても変わらず、劇場版プリンセスプリンシパルとかシンエヴァといった、いわゆる話題の映画しか観ていないわけですが、この一年間を通して、映画を観るごとに、これは本当に暴力的なものだなあとつくづく思います。120分に凝縮された映像の完成度、骨まで響く音響効果。薄暗く、息が潜められた、スクリーン以外のものが全て排除された120分。こういう「場」は簡単に人を飲み込むからです。映画を構成する情報はあまりにも膨大であり、に存在するものを一度に全て掬い取ることは不可能であり、人はどこに注目するべきか、あるいはどこにも注目せず、その場の全体の雰囲気をただ受け止めるか、という選択を迫られます。そこに罠があります。受動的に映画を甘受する姿勢を持った人間に、いかに気持ちよく「感動」や「興奮」をお届けするか、映画を作っている人たちは分かっているんでしょうね。付き合いで観に行ったどうでもいい映画の、寒い家族愛を押し出してくるような映画で、「感動的」な大音量のBGMに押し出されるようにして涙を溢してしてしまった人は少なくないのではないでしょうか。私は単純な人間なので人生で数度そういうことがあり、かなり悔しかったことを覚えています。かなり恥ずかしい。あれで自分はその映画に感動したのだと錯覚してしまう人も多いんでしょうね。涙を流したからといって、それはなんの証明にもならないと思うんですが。個人的に、心を大いに動かされる映画は、かえって人に涙を流させないんではないかと思いますね。涙腺を狙うのではなく心を狙いすましているというか。それとも、単に私がそれらの映画を受け止める気概を持って望んだからというだけの、こちら側の感受性の問題なのでしょうか。
 暴力によって、本来であれば否定しているようなものを受け入れさせられるのは忸怩たる思いになります。それが本当に気づくべきことであれば良いのですが、大体は無批判に受け入れてはいけないものであったりするので。ただ、暴力によって心にするすると入り込んでくる言葉、意味。その快楽には抗い難いものがあるのも事実です。
 つい先日観た「劇場版 レヴュースタァライト」。これは暴力の話です。
 
 「レヴュースタァライト」は、「ラブライブ!」シリーズなど、「美少女がいちゃついてたら、嬉しい」という人間の最も素朴な感情に訴えかける作品を多く生み出すことで有名なブシロード系列のアニメ作品です。「レヴュースタァライト」も多分に漏れず、名前がある登場キャラクターは女性のみ。メインキャラクターである9人の「舞台少女」が、たった一つの「スタァ」の座を巡って「オーディション」に挑む……というのがざっくりとしたあらすじです。実は、私はアニメ版が放送された時はそれを観ておらず……、というのも、私はそういった「女の子たちが親愛の表現として身体的に軽度の接触を行うにもかかわらず、その親愛自体への掘り下げが不透明である」ような、言ってしまえば「百合営業」的な百合表現に食傷気味であったことが私に「レヴュースタァライト」を敬遠させたのでした。断っておきたいのは、私は決していわゆる「百合営業」が嫌いなわけではなく、むしろ、そういったものを消費することで命を繋いできたということです。
 マズローの欲求五段階説というものをご存知でしょうか?人間の欲望は、その低次の(より切実な)欲望が満たされてから生まれてくる、という言説です。すなわち、「美少女がいちゃいちゃしているのが見たい」という欲求が満たされて初めて、「美少女の関係性をもっと掘り下げてほしい」「二人の関係性に名前をつけたい」「二人の関係性が既存の概念のどれにも当てはまらず、名前がつけられないくらい掘り下げられてほしい」「女女の関係性だけ取り出した同人誌が読みたいなあ」「同人誌で〜〜てほしい付き合ってなくてもいいから」「公式で殺し合ってほしいなあ」といった、より高次の欲求が表出してくるのです。私はその時、女女がイチャイチャするソシャゲなどを既にやっており、恒常的に女女の素朴なイチャイチャが得られる環境下にあったため、女女がイチャイチャするだけでは食指が動かなかったのでした。
 そうして「レヴュースタァライト」を観る機を逃し、その数年後にやった劇場版もスルーしようとしていた私でしたが、「劇場版 レヴュースタァライト」の感想にこんな一文があるのを見かけました。

「レヴュースタァライトは百合ではなくBL」

で、出たーーーーー!!!!!!!!!!
 「百合ではなくBL」個人的には百合とBLを二元論の両輪に挙げることからしてナンセンスだなと思いますが、この言説の是非については置いておいて、こういうように形容される百合には、必ずと言っていいほど「暴力」と「相互理解」の概念が付随します。これは観るしかないと、腕をまくって鑑賞しにいったわけです。コピーには「”劇場”でしか味わえない{歌劇}体験」とありました。
 
 観た結果としては、これは暴力の物語でした。そしてその内実は最初に期待していた以上に大きかったわけです。確かにこれは、”劇場”でしか味わえない…………というか、どこで観たとしてもそこは”劇場”であったな、と思います。なぜなら、そこに暴力があるからです。「劇場版 レヴュースタァライト」における暴力とは、実際に登場人物たちが交わす言葉や刃でもあり、グロテスクなバロック調キリンが登場人物に求めるものであり、映画において常に行われていた”暴力”でもありました。”暴力”そのものが映画のテーマに据えられ、脚本から演技から映像から、映画を構成する要素を全て”暴力”を振るうことを前提に組んでいるということです。映画においても歌劇においても、暴力……舞台を現実と切り離すことで、劇中において、この世においてさまざまに関連し合い存在している何かしらが持つ文脈、持つ意味を、それのみ取り出して観客の心に狙い撃つということができる。”暴力”を行使され、スクリーンの外側は全て暗闇の中に置かれ、観客はその前でただただ”意味”を浴びせられることしかできません。キャラクター間での暴力もまた”暴力”であり、もしかすれば素面であれば否定されたかもしれないことが押し通される、心に突き立てられる……。本当に凄い。凄すぎて地に臥すしかない。
 私はこの映画をみて、「正しい”暴力”のふるい方」の一端を観たような気がします。あるいはこれもまた、劇場の暴力にやられた単純な私の錯覚に過ぎないのかもしれませんが。
 
 何も考えずに書くとまとまりがなくなってしまって困りますね。雪予報終わり。

Edit 23:14 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

オリキャラの名前の話

こんにちは、リアルタイムではこんばんは、6月下旬担当の青戸奏です。
このブログでは、初めましてになります。というか、どのブログも自分にとっては初めましてです。

突然ですが、自分のペンネームの苗字パート「青戸」は「アオノベ」と読みます。一応本名由来ではありますが、正直キャラクターに名前をつけるのと同じ感覚で名付けました。というのも、そのまま「アオト」もしくは「アオド」と読ませたくなかったのです。この謎の拘りのおかげで、割と気に入っています。

(敬語で文章を書くのが違和感あるので、ここからは外すぞっ☆)

さて、この流れでオリジナルキャラクターの名前について書こうと思う。
自分は、上記の通り特殊な──実際に会ったことがない、珍しい、または現実にいないであろう、聞いたこともない創作の(かつ、じゃなくて、または)──苗字をつけるのが好きだ。(逆に、名はよくある名前をつけがち。)
理由は明快、カッコいいから。
個人的なお気に入りは、東雲。響き自体はダントツに好きというわけでもないけれど、この漢字でこの読みというのが、おそらくストライクの理由だ。「簡単な漢字+特殊読み」がツボ。

──余談だが、原則、自分のキャラでは名前が被らないようにしている。しかし、ある時気づくと「東雲オトハ」という名前のキャラが、名の漢字が違うとはいえ、すっかり忘れていて二人存在していた。しかもどっちも主役級。この時「ああ、この名前好きなんだな」と実感した。余談おわり。

珍しい苗字がカッコイイ、というよりはカッコイイ苗字を考えると珍しくなる、の方が近いのかもしれない。
名が体を表す、は自分の場合あまり当てはまらない。意味よりは、字面と響きが大事。けれど、苗字の中の漢字を対にしたり(朝夜、悠瞬などなど)、複数人で揃えたり(木火土金水とか)するのは大好きである。

名前に謎の拘りを持つと、ネーミングが楽しい。しかし、一部のキャラは名前が降ってくるまで待つ必要がある。──我ながら矛盾を感じる。でもやっぱり、ビジュアルにしっくりこない名前というのは存在するのだ。

また、このサークルに入って短編を考える機会が増えたが、その場合そもそも名前をつけないということが起こり始めた。きっと、ビビッとくる名前が思いつくより先に作品が出来上がってしまうからだろう。この場合、特徴や作品タイトルでキャラを呼ぶしかなくなる──言い方を変えれば、名前がなくてもそのキャラを指すことは可能ではある。が、それでは何となく寂しい。
今描いている作品に登場する二人にも名前をつけられていない。至急考えようと思う。え、降ってくるのを待つんじゃないのかって?降ってくるには、まず考える必要があるのだ。これは名前に限った話ではないが、なかなかシビアなシステムである。


思いつくままに書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまったがネタが切れたのでそろそろ終わろうと思う。ブログならではの〆方なんかは知らないので、それでは!

──超のつく余談、というか追伸? アニメの次回予告で、毎回最後に主役が決まったセリフ言うタイプ、結構好きです。次回予告で本編と(ほぼ)関係のない面白トークが繰り広げられるタイプと同じくらい好きです。

Edit 21:09 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:会長
中旬:暮四
下旬:氷崎 です。

 

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