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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
サークルについて詳しくはこちらへ→公式WEBサイト

2021-10

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ちょっとだけ

ㅤ皆様、はじめまして。
ㅤ9月上旬のブログを担当します、たろとと申します。新参者ですが、ひとつお付き合い願えると幸いです。

ㅤさて、ブログを担当しようということになってから、ブログのネタを探してはみたのですが、これが何もない。毎日昼前に起きて、昼食をとったら昼寝、夕飯前に起きて入浴・夕飯を済ませたら、音楽を聴いて寝落ち。こんな生活しか送ってないんですから、ネタが落ちている訳もなく。
ㅤウンウンと唸っておりましたが、先日高校時代の友人から遊びの誘いを受けました。同じことを繰り返す日々に飽きた私は、日程を即決し、昨日会ってまいりました。この友人というのが、浮世離れした人で、会って早々「精神に身体がついてこないから、思念体になりたい 」と。その後も(これは比喩ですが)書物になりたいだとか、隠居したいだとか、とても大学2回生が話す言葉ではない発言がポンポン飛び出てくるのです。私はそれが妙に面白くて、ケタケタ笑いながら聞いておりました。
ㅤそうしていたら、今度は少しばかり思想の話になりまして。ところで、私は幼少期から究極の現実主義者でした。何事にもリアリティを求め、自分が実現不可能な目標は掲げない質でした(この反動で創作は厨二なんでしょうね)。一方の友人は、夢想主義。2人の思想はほぼ真反対を向いていました。だけれど、会話はどことなく心地よくて、気がつけば、2時間も話しこんでおりました。
ㅤこの話を通して、だからなんだと結論づけるつもりはないですが、存外自分とは違う考えの持ち主との方が話が弾むのかな、とかいう所感を述べさせていただきます。

ㅤブログ担当をなんとか回せる程度の話題になってくれた友人には感謝しかありません。まあ、当の本人は、このブログの存在すら知らないんですが。

ㅤでは、私たろとの担当はこの辺で。
ㅤ今後ともよろしくお願いいたします。

Edit 10:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

初めまして

ああ寒い寒い…………。というわけで、本日の雪予報のお時間です。

 最近、といっても1年スパンのゆっくりとした流れなのですが、映画を観ることがとても増えました。高校三年生の前半に、友達と「ミッドサマー」を観た後キリスト教の聖句を暗唱して二人で狂ったように笑ったり(高校がキリスト教系の学校でした)、「メイドインアビス」の劇場版を見て開口一番、主人公一行の一人を撮る上からのアングルが扇情的だったと述べたら「気持ちわる」と言われたり。高三の後半には精神的に参っており、10月に塾の宿題を全部ポアして、神戸でリバイバル上映していた「リズと青い鳥」を一人で観て一人で帰りました。ツイッターで持て囃されてる映画か追っていた漫画・アニメの劇場版しか観ていないのが一目でわかるラインナップですね。とはいえ、やはり話題になるだけあるのでしょう、どの映画も恐ろしくクオリティが高く、その時の記憶が鮮明に甦るような、良い体験になりました。そして大学生になっても変わらず、劇場版プリンセスプリンシパルとかシンエヴァといった、いわゆる話題の映画しか観ていないわけですが、この一年間を通して、映画を観るごとに、これは本当に暴力的なものだなあとつくづく思います。120分に凝縮された映像の完成度、骨まで響く音響効果。薄暗く、息が潜められた、スクリーン以外のものが全て排除された120分。こういう「場」は簡単に人を飲み込むからです。映画を構成する情報はあまりにも膨大であり、に存在するものを一度に全て掬い取ることは不可能であり、人はどこに注目するべきか、あるいはどこにも注目せず、その場の全体の雰囲気をただ受け止めるか、という選択を迫られます。そこに罠があります。受動的に映画を甘受する姿勢を持った人間に、いかに気持ちよく「感動」や「興奮」をお届けするか、映画を作っている人たちは分かっているんでしょうね。付き合いで観に行ったどうでもいい映画の、寒い家族愛を押し出してくるような映画で、「感動的」な大音量のBGMに押し出されるようにして涙を溢してしてしまった人は少なくないのではないでしょうか。私は単純な人間なので人生で数度そういうことがあり、かなり悔しかったことを覚えています。かなり恥ずかしい。あれで自分はその映画に感動したのだと錯覚してしまう人も多いんでしょうね。涙を流したからといって、それはなんの証明にもならないと思うんですが。個人的に、心を大いに動かされる映画は、かえって人に涙を流させないんではないかと思いますね。涙腺を狙うのではなく心を狙いすましているというか。それとも、単に私がそれらの映画を受け止める気概を持って望んだからというだけの、こちら側の感受性の問題なのでしょうか。
 暴力によって、本来であれば否定しているようなものを受け入れさせられるのは忸怩たる思いになります。それが本当に気づくべきことであれば良いのですが、大体は無批判に受け入れてはいけないものであったりするので。ただ、暴力によって心にするすると入り込んでくる言葉、意味。その快楽には抗い難いものがあるのも事実です。
 つい先日観た「劇場版 レヴュースタァライト」。これは暴力の話です。
 
 「レヴュースタァライト」は、「ラブライブ!」シリーズなど、「美少女がいちゃついてたら、嬉しい」という人間の最も素朴な感情に訴えかける作品を多く生み出すことで有名なブシロード系列のアニメ作品です。「レヴュースタァライト」も多分に漏れず、名前がある登場キャラクターは女性のみ。メインキャラクターである9人の「舞台少女」が、たった一つの「スタァ」の座を巡って「オーディション」に挑む……というのがざっくりとしたあらすじです。実は、私はアニメ版が放送された時はそれを観ておらず……、というのも、私はそういった「女の子たちが親愛の表現として身体的に軽度の接触を行うにもかかわらず、その親愛自体への掘り下げが不透明である」ような、言ってしまえば「百合営業」的な百合表現に食傷気味であったことが私に「レヴュースタァライト」を敬遠させたのでした。断っておきたいのは、私は決していわゆる「百合営業」が嫌いなわけではなく、むしろ、そういったものを消費することで命を繋いできたということです。
 マズローの欲求五段階説というものをご存知でしょうか?人間の欲望は、その低次の(より切実な)欲望が満たされてから生まれてくる、という言説です。すなわち、「美少女がいちゃいちゃしているのが見たい」という欲求が満たされて初めて、「美少女の関係性をもっと掘り下げてほしい」「二人の関係性に名前をつけたい」「二人の関係性が既存の概念のどれにも当てはまらず、名前がつけられないくらい掘り下げられてほしい」「女女の関係性だけ取り出した同人誌が読みたいなあ」「同人誌で〜〜てほしい付き合ってなくてもいいから」「公式で殺し合ってほしいなあ」といった、より高次の欲求が表出してくるのです。私はその時、女女がイチャイチャするソシャゲなどを既にやっており、恒常的に女女の素朴なイチャイチャが得られる環境下にあったため、女女がイチャイチャするだけでは食指が動かなかったのでした。
 そうして「レヴュースタァライト」を観る機を逃し、その数年後にやった劇場版もスルーしようとしていた私でしたが、「劇場版 レヴュースタァライト」の感想にこんな一文があるのを見かけました。

「レヴュースタァライトは百合ではなくBL」

で、出たーーーーー!!!!!!!!!!
 「百合ではなくBL」個人的には百合とBLを二元論の両輪に挙げることからしてナンセンスだなと思いますが、この言説の是非については置いておいて、こういうように形容される百合には、必ずと言っていいほど「暴力」と「相互理解」の概念が付随します。これは観るしかないと、腕をまくって鑑賞しにいったわけです。コピーには「”劇場”でしか味わえない{歌劇}体験」とありました。
 
 観た結果としては、これは暴力の物語でした。そしてその内実は最初に期待していた以上に大きかったわけです。確かにこれは、”劇場”でしか味わえない…………というか、どこで観たとしてもそこは”劇場”であったな、と思います。なぜなら、そこに暴力があるからです。「劇場版 レヴュースタァライト」における暴力とは、実際に登場人物たちが交わす言葉や刃でもあり、グロテスクなバロック調キリンが登場人物に求めるものであり、映画において常に行われていた”暴力”でもありました。”暴力”そのものが映画のテーマに据えられ、脚本から演技から映像から、映画を構成する要素を全て”暴力”を振るうことを前提に組んでいるということです。映画においても歌劇においても、暴力……舞台を現実と切り離すことで、劇中において、この世においてさまざまに関連し合い存在している何かしらが持つ文脈、持つ意味を、それのみ取り出して観客の心に狙い撃つということができる。”暴力”を行使され、スクリーンの外側は全て暗闇の中に置かれ、観客はその前でただただ”意味”を浴びせられることしかできません。キャラクター間での暴力もまた”暴力”であり、もしかすれば素面であれば否定されたかもしれないことが押し通される、心に突き立てられる……。本当に凄い。凄すぎて地に臥すしかない。
 私はこの映画をみて、「正しい”暴力”のふるい方」の一端を観たような気がします。あるいはこれもまた、劇場の暴力にやられた単純な私の錯覚に過ぎないのかもしれませんが。
 
 何も考えずに書くとまとまりがなくなってしまって困りますね。雪予報終わり。

Edit 23:14 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

オリキャラの名前の話

こんにちは、リアルタイムではこんばんは、6月下旬担当の青戸奏です。
このブログでは、初めましてになります。というか、どのブログも自分にとっては初めましてです。

突然ですが、自分のペンネームの苗字パート「青戸」は「アオノベ」と読みます。一応本名由来ではありますが、正直キャラクターに名前をつけるのと同じ感覚で名付けました。というのも、そのまま「アオト」もしくは「アオド」と読ませたくなかったのです。この謎の拘りのおかげで、割と気に入っています。

(敬語で文章を書くのが違和感あるので、ここからは外すぞっ☆)

さて、この流れでオリジナルキャラクターの名前について書こうと思う。
自分は、上記の通り特殊な──実際に会ったことがない、珍しい、または現実にいないであろう、聞いたこともない創作の(かつ、じゃなくて、または)──苗字をつけるのが好きだ。(逆に、名はよくある名前をつけがち。)
理由は明快、カッコいいから。
個人的なお気に入りは、東雲。響き自体はダントツに好きというわけでもないけれど、この漢字でこの読みというのが、おそらくストライクの理由だ。「簡単な漢字+特殊読み」がツボ。

──余談だが、原則、自分のキャラでは名前が被らないようにしている。しかし、ある時気づくと「東雲オトハ」という名前のキャラが、名の漢字が違うとはいえ、すっかり忘れていて二人存在していた。しかもどっちも主役級。この時「ああ、この名前好きなんだな」と実感した。余談おわり。

珍しい苗字がカッコイイ、というよりはカッコイイ苗字を考えると珍しくなる、の方が近いのかもしれない。
名が体を表す、は自分の場合あまり当てはまらない。意味よりは、字面と響きが大事。けれど、苗字の中の漢字を対にしたり(朝夜、悠瞬などなど)、複数人で揃えたり(木火土金水とか)するのは大好きである。

名前に謎の拘りを持つと、ネーミングが楽しい。しかし、一部のキャラは名前が降ってくるまで待つ必要がある。──我ながら矛盾を感じる。でもやっぱり、ビジュアルにしっくりこない名前というのは存在するのだ。

また、このサークルに入って短編を考える機会が増えたが、その場合そもそも名前をつけないということが起こり始めた。きっと、ビビッとくる名前が思いつくより先に作品が出来上がってしまうからだろう。この場合、特徴や作品タイトルでキャラを呼ぶしかなくなる──言い方を変えれば、名前がなくてもそのキャラを指すことは可能ではある。が、それでは何となく寂しい。
今描いている作品に登場する二人にも名前をつけられていない。至急考えようと思う。え、降ってくるのを待つんじゃないのかって?降ってくるには、まず考える必要があるのだ。これは名前に限った話ではないが、なかなかシビアなシステムである。


思いつくままに書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまったがネタが切れたのでそろそろ終わろうと思う。ブログならではの〆方なんかは知らないので、それでは!

──超のつく余談、というか追伸? アニメの次回予告で、毎回最後に主役が決まったセリフ言うタイプ、結構好きです。次回予告で本編と(ほぼ)関係のない面白トークが繰り広げられるタイプと同じくらい好きです。

Edit 21:09 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

こんにちは、はじめまして。7月下旬担当、名称未定1回生の桄太です。

ちなみにHNは“こうた”とよみます。
もちろん常用漢字ではなく、さらにPC・スマホの変換でも出てこない漢字でして…自分でも打ち込む面倒さを感じつつ、他会員さんのお手を煩わせてしまうことに申し訳なさでいっぱいです。
面倒でしたら「木光」で十分ですので…ってここでする話じゃないかもですね。


それではタイトルの話に。

早いことにもう7月末ということですが、みなさんは、夏、感じてますか?

暑いし、クーラーは大活躍だし、蚊も飛んで、台風も来て、個人的には祭りにも行きました。
「夏」要素はなかなか揃っているようです。なにしろ7月ですからね。

しかし、ここで問題が。

私のココロはまだ、「夏」を認識できていないんですよ!!!
大問題です!!

なんせ私は生粋の夏生まれ、「夏」の概念が猛烈に好きな人間なんですよね。「夏」を毎年楽しみに生きているわけです。
それがぼんやりと7月に突入、課題やテストに追われ今に至るまで「夏」の実感を得られず…。「夏」の判定が出ないことにも、「夏」だと思えないまま大好きな7月を過ごしてしまうことにも悲しみが募ります。

基本的には、「夏」には実感があります。みなさんはいかがでしょう?
「あぁ夏だ、夏が来た、私は夏の中にいる!」と感じる瞬間が夏の初めにはありませんかね?けっして自然界にはない、自分の中での季節の断絶と転換の瞬間です。いうなればパラダイムシフトとは大げさでしょうか。

その瞬間を得られていない私は、どうしても「夏、まだかなぁ」と思ってしまいます。その度に頭に浮かぶのはカレンダー。
「7月下旬は夏じゃないのか…?」と冷静な私が呟きます。なんともむず痒くって、この記事を書いている次第です。

果たして私に「夏」は来るのでしょうか。個人的には夏休みに入ればなんとかなると信じているんですが…。
夏を感じるためのいい方法があれば、ぜひ教えていただきたいところです。

(夏っぽい話の1本や夏っぽい絵でもかけばいいんでしょうかね、名称未定会員らしく…)


それでは短いながら今回はこのあたりに。テスト勉強に戻ります笑 桄太でした。

Edit 13:26 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

ポカポカ温まりたい...温まりたくない?

どうも、7月中旬担当、新1回生にして名称未定のケモナー枠(自称)の、だいぽん!と申します。普段呼ぶ時は「!」は付けなくても構いませんので「だいぽん」と気軽にお呼び頂ければ反応します。

さあさあ、今年も暑い夏がやってきましたね。京都の夏は特にヤバイと聞いていましたが、7月中旬でもう死にそうです。大丈夫か?
そんな暑い中では冷房が必須となって参ります。しかしそんな中、こう思ったことはありませんか?

「冷房ガンガンかけて布団にくるまって寝たい!」

このような声をツイッターでたまに見かけます(実際に「冷房 布団」などとツイッターで検索するとかなりヒットしますよ)。
なぜだ?わざわざ冷房をきつめにかけなくても、素っ裸(ないし下着だけ)で寝たほうが電力の消費も抑えられるのでは?しかし、そう単純な話では無いと思います。

先述のこの電力の過剰使用のような行為は、「布団にくるまる」こと自体が目的なのでしょう。僕が思うに、人間というのは、何かに包み込まれて温まりたい生き物なのです。

人間は哺乳類ですが、他のほとんどの哺乳類と比べて圧倒的に持っていないものがあります。

「毛」です。

犬を見てください。猫を見てください。豚も牛も、イルカも...あっ...コイツは例外だったわ。そう、皆、毛で体を覆われています。だいぽんがケモノに魅力を感じる所以の1つでもあります。一方人間はどうだ?いくら毛深い人でも、チワワより毛深い人はまずいないでしょう。知らんけど。
人間は、毛をあまり持っていない代わりに、持ち前の頭の良さで服を発明しました。そう。僕たちはもう既に、「服」というものに包み込まれているのです。街中を歩いていても、全裸で歩いている人はいないじゃないですか(まあこれは、法律的に全裸で歩いたら捕まるというのもあるけど)。

ですから、何かに包み込まれて温まりたい、という感性は、もはや人間が先天的に持っているものと言っても過言ではないでしょう。

今年の合宿は城崎。やっぱり温泉ですよね。春夏秋冬楽しめるのが温泉。暑い夏ですが、ポカポカ温まってみるのはいかがでしょうか。


こんな支離滅裂な妄想ですが、読んでくれてありがとうございました。次回のブログ担当は8月下旬なので、その時は北海道の合宿(気球サークル)での出来事について語る事になりそうです。ではでは。

Edit 07:40 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:たろと
中旬:ナカジマ杓子
下旬:葱
です。

 

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