京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2017-05

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黄金週間が終わった? お前は何を言っているんだ?

俺たちの休日は、まだまだこれからだ!

曜日も大学に行かなければならなくなり、休日の数が半減した奇山です。
やれやれですね。

さて、新歓時期がそろそろ終わりを迎え始め、未定の例会に来ている一回生も見慣れたメンバーになりつつありますね。

我々の新歓飲み会(的な物)もそろそろでしょうか。

締切も近づいておりますが、新入生の人も原稿出していいんですよ!

ということで、今回は新入生向け?

原稿を出すのはややハードルが高いにしても、我がサークルはペンネームで呼び合うという習慣になっているので、新入生たちも各々ペンネームを決めるころですかね。
ちなみに、ペンネームを決めるのに時間を掛け過ぎると、ペンネームが決まってからも本名で呼ばれ続ける事態が発生します。お気をつけて。

あと、上回生の名前と顔がまだまだ一致しないと思いますが、基本的には近い学年と役職持ちの人から覚えて行けば良いと思いますし、わからなければ「アンタ誰?」とか訊けばいいと思います。
ちなみに俺は、例会でパソコン開いて艦これやってる人間です。当てはまる人間が多過ぎて判別不能ですね。これだからこのサークルは。

上回生は普段はだらだらと過ごしていますが、創作論をふっかけると案外楽しく乗って来ます。
持論がある人は遠慮なくいけばいいんじゃないでしょうか。
腐っても年単位で創作を続けてる人間たちなので、皆ひとつふたつ何かしら秘めているモノがあって面白いですよ。

というかんじで。
たまには当たり障りのないブログを書く奇山でした。

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創作論を書くと思った? 残念!


どうも、奇山です。テストまっただ中です。

普段は頼まれもしないのに創作論を繰り広げる俺ですが、それだけにみなさんもう聞き飽きてると思うので、今回は創作論は広げない方向でいきます。

まぁ、一言だけ言及しておくなら、作りたい作品は『綺麗事を謳う作品』ですね。
現実が厳しいなんてことは誰だって知っているので、創作はそれに燦然と立ち向かうべき、というのが俺の持論です。

で、何を書くかと言うと、好きな作品について考察したいと思います。
NFで高槻がグレンラガンについて熱く語っていた感じです。

俺が好きな作品は「交響詩篇エウレカセブン」です。

2005年ごろに放送していた、全50話のロボットアニメですね。

何が好きかと言うと、主人公が成長するのを見るのが好きなんです。

鼻水垂らして叫びまくってたガキくさい主人公が、最終回ではキリッと決めてるというのが良いんです。

もうまるで別人のようになってるのに、全然それを感じさせない。

全体のテーマは「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」という主人公の父親が遺した言葉が示しているのですが、この言葉の意味を主人公がちょっとずつ噛みしめて成長していくのを見せるのが、非常に上手い。

主人公(レントン)は最初、寂れた田舎町である自分の故郷を嫌悪し、反乱軍でありながら皆のヒーローであるゲッコーステイトに、エウレカという少女との出会いを通して加入することになります。
主人公の行動原理となる感情は、「憧れ」と「恋」です。
将来の閉ざされた田舎町から、自由の象徴である空賊へと入ったわけですね。

ここから、ゲッコーステイトの実態に失望したり、空賊として戦い追っ手を殺さなければならないという現実を突きつけられて苦悩するなど、様々な出来事を経るのですが、詳しいイベントを書くのは憚られるので、台詞を抜粋します。細部は異なるかもしれませんが、お許しを。

「自由とは与えられるものではない」
「よく見ておけレントン、これが自由を勝ち得たものの責任だ!」
「自分が惚れた女ぐらい――奪ってきやがれ」
「これが罪だというのなら、僕はそれを背負おう。それでも君に、会いにいかなきゃならないんだ!」

本当に手に入れたい物は、ねだっていてはいけない。他者を蹴散らしてでも、勝ち取らねばならない。そして、それに付随する責任から、目を背けてはいけない。

こうして、単なる自由への憧れと恋から旅立った少年は、それを手にすることの難しさ、責任の重さを学び、そしてそれでも欲しい物に手を伸ばす強さを得る――と、そういう成長の物語なのです。

と、俺は思ったわけです。
ただ、これは作品中に明示されているわけではなくて、俺がこのアニメを二周三周と見る中で感じ取ったものなので、あくまで俺の意見なのですが。

それを感じ取らせるための対比や細かな台詞の一致が非常に上手だと思うのです。

そしてなにより、そんな細かいことを考えずに見ても普通に熱血なロボットアニメとして面白いというのも大きい。
あくまでメッセージは副次的に裏に裏に示されていて、本編の楽しさをまったく阻害していない。
それが良い。非常に良い。

というわけで、興味を持った方、ぜひ見ましょう。なんならDVDをお貸しします。
なに、ほんの25時間程度です。すぐです。

はい、以上、結局なんか創作論っぽいことを言ってしまったような気もする奇山でした。

Edit 07:37 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

奇山流小説の書き方

書くといっておいてずっと放置してたのを思い出したので

今日書く内容でこのシリーズはラストです

今回の内容は、「面白い小説を書くには」です。むしろ俺が教えて欲しいですね

まぁ、これだけだと範囲が広すぎて手のつけようがないので、今回は「そもそも面白さは必要なのか」と「セントラルクエスチョン」について話をしようと思います

では、始めます

くどいようですが、あくまで奇山流、俺の考え方です

◇◆◇◆◇◆◇◆

そもそも面白さは必要か

さて、このブログを俺の自己紹介が載ってる約三年前まで遡った奇特な方が居ればご存知かもしれませんが、俺は小説でもっとも大事なファクターは面白さだと思っています

なぜか

答えは明快、面白くない小説はそもそも読んでもらえないからです

未定では提出さえすれば誰かが最後まで読んでくれるので忘れがちなのですが、元来小説は読者が読みたいから読むものです
作者が書けたら読者が読まねばならないという法はありません

すなわち、我々作者は読者様に頭を下げて、小説を読んでもらう立場にあるのです

時々勘違いしている人がいるのですが、その内容がどんなに高尚だろうが神に匹敵する文学だろうが、読まれない小説なんぞゴミ以下の価値しかありません
読者に媚びることを拒否するのは誇りでもなんでもない、ただの傲慢です。そんなプライドは捨ててしまえばよろしい
あるいは、もはやそれは出力する必要がないので寝る前にベッドの中で存分に空想しておけばよいでしょう

読者になにかを伝えたいと思うのなら、すなわち、小説に小説としての意義を与えようとするのなら、その小説は面白くなければならないのです


◇◆◇◆◇◆◇◆


さて、盛大に持論をぶちまけてすっきりしたので、技巧の話に移ります

まず、「セントラルクエスチョン」です

セントラルクエスチョンというのは、「読者がその小説を最後まで読む際の原動力となる疑問」のことです

これだけだとよくわからないと思うので、いくつか具体例を挙げます

・恋愛小説において:主人公が想い人と結ばれるのか否か
・バトル物において:主人公はいかにして敵を倒すのか、あるいは、倒されてしまうのか
・推理物において:犯人は誰か、トリックはなにか、あるいは、動機はなにか

これでもよくわからないという場合は、「どんなシーンが出たらその小説は完結か」を考えるとよいでしょう
ラブコメなら主人公と相手が結ばれれば終わりでしょうし、バトル物ではラスボスを倒せば終わり、推理物は犯人を見つけて謎を解明すれば終わりです。

この、いわば「物語の中心となるシーン」に対して、「そこを見たい(知りたい)と読者に思わせる」ことをセントラルクエスチョンというのです

はい

そんなの、どんな小説にだってあるわい、と思った方、素直に挙手
俺も最初この概念を知ったときは思いました

だってこれ、つまりは見せ場のことじゃないですか

……違います

大事なことなので二度言います


読者に「見せ場をみたいと思わせること」をセントラルクエスチョンと言うのです



推理小説で説明するのが一番わかりやすいので、推理小説で説明します
まず簡単に、架空のストーリーを作りますね

・とあるツアー旅行である島へとやってきた主人公たち
・しかし、天候の悪化により本土へと帰ることが不可能に。閉じ込められる
・そんな中起こる、不可解な密室殺人
・探偵の主人公、謎を解き明かし犯人を見つけて無事エンド

という小説を書くとしましょう
このとき、見せ場は普通、探偵による謎解きのシーンになります

で、セントラルクエスチョンは、「謎解きを見たいと思わせるシーン」すなわち「謎が提示されるシーン」となります

つまり、密室殺人が起こるシーンのことですね

このシーン、セントラルクエスチョンを得て、読者は初めてこの小説を最後まで読むためのモチベーションを得ます
逆に言えば、このシーンに辿りつき、セントラルクエスチョンを得るまでの読者は、この小説の主題を読むモチベーションを持っていないということになります

つまり、ただそこに文章があるから読んでいるだけ、いつやめても問題ない状態なのです

会話文の面白さや文章の美しさで読ませるというのはもちろん可能ですが、それにしたって何のモチベーションも持たない読者に読んでもらえる文章を書くというのは、なかなかに難しいものです

推理小説をよく読む人はわかるかもしれませんが、あれの序盤、なんの事件も起きていない間の、ただただ人間関係を描写しているものというのはかなり読むのが苦痛です
あそこで読むのをやめた小説がいったいいくつあることか

ところで、推理小説を書く際の言葉に「死体を冒頭に転がせ」というものがあります

これは単純に、インパクトの強いシーンを頭に持ってきて読者の気を引こうというものなのですが、今のセントラルクエスチョンの観点から見ても、非常に大きなものがあります

すなわち、冒頭に死体を置く⇔事件を発生させておく ことにより、冒頭の段階で読者の中に「この事件の犯人、あるいは動機、被害者は誰なのだろう」というセントラルクエスチョンを植えつけることができるのです。
こうすれば、その後の人物紹介や状況説明も、読者にそれなりに興味を持って読んでもらうことができるでしょう

つまり、セントラルクエスチョンの概念を要約すると、こうなります




・読者が見せ場を見たいと思うような誘導をしていますか。そして、その誘導は作品の早い段階(できれば序盤)で行われていますか




そしてさらに、セントラルクエスチョンには付随する作用が一つあります

それは、「その小説のジャンルを示すことができる」という点です

例えば、

とある高校の文芸部。
そこに所属しているのは互いに幼馴染である男女四人。
それぞれが複雑に思いを寄せ合い、しかし互いに気を使って最後の一歩を踏み出せないでいる。

というような概要のストーリーを読んでいるとしましょう

さて、この物語のジャンルは何でしょう

ラブコメ、恋愛モノ、青春モノと思った方が多いですかね

では、この小説の冒頭にこんな文章があったとしたらどうでしょう

「まさか…まさか、こんなことになるなんて…。どうしよう…こんなの、だって、私…」
「私、殺す気なんてなかったのに…!」
「そうだ、隠さないと…。隠さないと…」
「そうだよ、この子が悪いんだもん。私、ずっとずっとあの人のことが好きだったのに。この子のせいで、あんな…」
「ふ、ふふ。ふふふ。ふふふふふ」

はい、サイコホラーか、ミステリーか、そんなかんじになりました

普通にさっきのストーリーを追ってて突然ヒロインの一人がこんな感じでもう一人のヒロインを殺したら、おそらく「超展開だあああ」と叫ばれるでしょうね
たとえ、作者がどんなに最初からミステリーのつもりで書いていたとしても、です

今の例のように、セントラルクエスチョンを冒頭に示すことによって、その小説の見せ場がいかなるものかを読者に想像させることができます
これにより、読者にその小説のジャンルを最初に示し、そのつもりで読んでもらうことが可能になるのです



さて、今回はこれで終わりですので、もう一度言葉を言い換えて纏めておきますね

・小説の「着地点」をあらかじめ読者に想定させておくことは大事である
・それも、その「着地点」を見たい、と思わせるように工夫せよ
・それにより、読者が飽きずにその物語を読んでくれるのと共に、作者が想定するその小説のジャンルと読者が考えたジャンルとの食い違いを防ぐことができる

以上でした

最近どうにも感想も書けず(読んではいます)、いまいち仕事してない感のある俺ですが、まぁこんなのでも誰かの役に立てば幸いです

あ、最後に一つだけ言っておくと、こんな理論をぐだぐだ読んでるより自分で千文字でも書いたほうがよほど力になりますよ(台無し)
こういう技巧は、「どうすれば面白くなるか」を自問しながら書いている限り、心配せずとも必ず身につきますから

ではでは

Edit 04:15 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

夏休みは死んだ…


そろそろ現実を見なければならないようだ……

さて、後期授業もそうですが、NFが迫っています

というより、NF原稿の締め切りが迫っています

未定各員、進み具合はいかがでしょうか

え? なに? 締め切りの話はするな?

仕方ありませんね。じゃあ単位の話でも…

嘘です

さて

現実逃避が大好きな未定メンバーのみなさん
メーリスが回ってるかと思いますが、公木くんがどうも10月5日に飲み会(もどき)を企画しているらしいです
もう少し現実から目を背けたいかたは是非どうぞ

未定は別に酒飲めなくても問題ない(実際、俺とかフーフーさんとか現井さんとかほとんど飲まないです)し、悪酔いした人が絡んでくることもないので、気楽に参加していいと思います

未定はプライベートの絡みもそこまで多くないので、というか例会に来る奴も全体から見るとあまり数居ないので、こういう集まりは結構珍しいですね

俺個人の考えですが、わざわざサークルに入って人間関係に気を揉むのもアホらしいので、未定内での人間関係は適当でいいんじゃないでしょうか

まぁ、もともとぼっち属性持ちばっかが集まったサークルなので、そこまで普段から会話が盛り上がるわけでもないサークルですが、逆に考えるんだ、別に無言でいても良いサークルなんだ、たぶん

楽しさとか売りにするサークルは多いですが、俺は敢えてこの「「サークル内ぼっち」の状態を許容される」という我がサークルの美点を推していきたいですね
どうでしょう? ダメですか。ダメですね

あまりしょうもないことを言って会長を怒らせると怖いので、そろそろ失礼します

Edit 23:31 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top

裏を書くということ

テスト直前、修羅場ど真ん中の奇山です。え? もう夏休み? HAHAHAそんなやつは爆発すればいいのに。

書いてるのが明け方なのも手伝ってややテンションがあれですが、まぁいつもどうり無駄に真面目なことをだらだら語ります。

さて、先日俺の小説が燃えました。

いや何の話かというと、サークル内で俺の小説に感想を募った結果、サークル内部の感想掲示板が大炎上してちょっと俺の心が折れかけたという話なのですが。
その中でふと考え直したことがあったので自分のメモも兼ねてここに書きます。

今回俺が書いたのはアンドロイドと人間と神をテーマにした小説だったのですが、多かった意見に「人間の定義があいまいすぎる」という指摘がありました。
まあこれはあの話の根幹に関わるというのもあるのですが、それ以外の視点からもこの指摘は非常に重要だったと思います。

なにかというと、「神やアンドロイドを書くなら『人間』をちゃんと書かねばならない」ということです。

また、俺がこの小説を書くにあたって資料集めの段階で読んだアンドロイドに関する本の中で、次のようなことが書かれていたことも覚えています。
『アンドロイドを研究するということは、人間を研究するということ』

神やアンドロイド――人間に似ていながら人間とは違う存在を描くということは、人間とは何かを描くということでもあるというお話です。
もう少し踏み込んだ意見にするなら、『神やアンドロイドを書くのなら、人間について述べねばならない』と言ってもいいかもしれません。

一般化します。

『ある事柄を描こうと思うのであれば、その事柄の逆の事柄をこそ丁寧に描かなければならない』

『正義』を書きたいのであれば『悪』を。
『理想』を書きたいのであれば『現実』を。
『真実』を書きたいのであれば『嘘』を。

書きたいものを直接書くのではなく、その逆を書くことで書きたいものを浮かび上がらせる、そんな手法も存在するのです。
むしろ、この観点を失っていると独りよがりで押し付け的な、心に響かない自己満足の小説が出来上がる可能性が高いとさえ言えるかもしれません。

ということで。

テーマの見せ方の一つの手法のお話でした。

Edit 04:17 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

5月の担当は
上旬:作者代理人
中旬:オシヤス
下旬:伏屋
です。

 

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