書くといっておいてずっと放置してたのを思い出したので
今日書く内容でこのシリーズはラストです
今回の内容は、「面白い小説を書くには」です。むしろ俺が教えて欲しいですね
まぁ、これだけだと範囲が広すぎて手のつけようがないので、今回は「そもそも面白さは必要なのか」と「セントラルクエスチョン」について話をしようと思います
では、始めます
くどいようですが、あくまで奇山流、俺の考え方です
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そもそも面白さは必要か
さて、このブログを俺の自己紹介が載ってる約三年前まで遡った奇特な方が居ればご存知かもしれませんが、俺は小説でもっとも大事なファクターは面白さだと思っています
なぜか
答えは明快、面白くない小説はそもそも読んでもらえないからです
未定では提出さえすれば誰かが最後まで読んでくれるので忘れがちなのですが、元来小説は読者が読みたいから読むものです
作者が書けたら読者が読まねばならないという法はありません
すなわち、我々作者は読者様に頭を下げて、小説を読んでもらう立場にあるのです
時々勘違いしている人がいるのですが、その内容がどんなに高尚だろうが神に匹敵する文学だろうが、読まれない小説なんぞゴミ以下の価値しかありません
読者に媚びることを拒否するのは誇りでもなんでもない、ただの傲慢です。そんなプライドは捨ててしまえばよろしい
あるいは、もはやそれは出力する必要がないので寝る前にベッドの中で存分に空想しておけばよいでしょう
読者になにかを伝えたいと思うのなら、すなわち、小説に小説としての意義を与えようとするのなら、その小説は面白くなければならないのです
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さて、盛大に持論をぶちまけてすっきりしたので、技巧の話に移ります
まず、「セントラルクエスチョン」です
セントラルクエスチョンというのは、「読者がその小説を最後まで読む際の原動力となる疑問」のことです
これだけだとよくわからないと思うので、いくつか具体例を挙げます
・恋愛小説において:主人公が想い人と結ばれるのか否か
・バトル物において:主人公はいかにして敵を倒すのか、あるいは、倒されてしまうのか
・推理物において:犯人は誰か、トリックはなにか、あるいは、動機はなにか
これでもよくわからないという場合は、「どんなシーンが出たらその小説は完結か」を考えるとよいでしょう
ラブコメなら主人公と相手が結ばれれば終わりでしょうし、バトル物ではラスボスを倒せば終わり、推理物は犯人を見つけて謎を解明すれば終わりです。
この、いわば「物語の中心となるシーン」に対して、「そこを見たい(知りたい)と読者に思わせる」ことをセントラルクエスチョンというのです
はい
そんなの、どんな小説にだってあるわい、と思った方、素直に挙手
俺も最初この概念を知ったときは思いました
だってこれ、つまりは見せ場のことじゃないですか
……違います
大事なことなので二度言います
読者に「見せ場をみたいと思わせること」をセントラルクエスチョンと言うのです
推理小説で説明するのが一番わかりやすいので、推理小説で説明します
まず簡単に、架空のストーリーを作りますね
・とあるツアー旅行である島へとやってきた主人公たち
・しかし、天候の悪化により本土へと帰ることが不可能に。閉じ込められる
・そんな中起こる、不可解な密室殺人
・探偵の主人公、謎を解き明かし犯人を見つけて無事エンド
という小説を書くとしましょう
このとき、見せ場は普通、探偵による謎解きのシーンになります
で、セントラルクエスチョンは、「謎解きを見たいと思わせるシーン」すなわち「謎が提示されるシーン」となります
つまり、密室殺人が起こるシーンのことですね
このシーン、セントラルクエスチョンを得て、読者は初めてこの小説を最後まで読むためのモチベーションを得ます
逆に言えば、このシーンに辿りつき、セントラルクエスチョンを得るまでの読者は、この小説の主題を読むモチベーションを持っていないということになります
つまり、ただそこに文章があるから読んでいるだけ、いつやめても問題ない状態なのです
会話文の面白さや文章の美しさで読ませるというのはもちろん可能ですが、それにしたって何のモチベーションも持たない読者に読んでもらえる文章を書くというのは、なかなかに難しいものです
推理小説をよく読む人はわかるかもしれませんが、あれの序盤、なんの事件も起きていない間の、ただただ人間関係を描写しているものというのはかなり読むのが苦痛です
あそこで読むのをやめた小説がいったいいくつあることか
ところで、推理小説を書く際の言葉に「死体を冒頭に転がせ」というものがあります
これは単純に、インパクトの強いシーンを頭に持ってきて読者の気を引こうというものなのですが、今のセントラルクエスチョンの観点から見ても、非常に大きなものがあります
すなわち、冒頭に死体を置く⇔事件を発生させておく ことにより、冒頭の段階で読者の中に「この事件の犯人、あるいは動機、被害者は誰なのだろう」というセントラルクエスチョンを植えつけることができるのです。
こうすれば、その後の人物紹介や状況説明も、読者にそれなりに興味を持って読んでもらうことができるでしょう
つまり、セントラルクエスチョンの概念を要約すると、こうなります
・読者が見せ場を見たいと思うような誘導をしていますか。そして、その誘導は作品の早い段階(できれば序盤)で行われていますか
そしてさらに、セントラルクエスチョンには付随する作用が一つあります
それは、「その小説のジャンルを示すことができる」という点です
例えば、
とある高校の文芸部。
そこに所属しているのは互いに幼馴染である男女四人。
それぞれが複雑に思いを寄せ合い、しかし互いに気を使って最後の一歩を踏み出せないでいる。
というような概要のストーリーを読んでいるとしましょう
さて、この物語のジャンルは何でしょう
ラブコメ、恋愛モノ、青春モノと思った方が多いですかね
では、この小説の冒頭にこんな文章があったとしたらどうでしょう
「まさか…まさか、こんなことになるなんて…。どうしよう…こんなの、だって、私…」
「私、殺す気なんてなかったのに…!」
「そうだ、隠さないと…。隠さないと…」
「そうだよ、この子が悪いんだもん。私、ずっとずっとあの人のことが好きだったのに。この子のせいで、あんな…」
「ふ、ふふ。ふふふ。ふふふふふ」
はい、サイコホラーか、ミステリーか、そんなかんじになりました
普通にさっきのストーリーを追ってて突然ヒロインの一人がこんな感じでもう一人のヒロインを殺したら、おそらく「超展開だあああ」と叫ばれるでしょうね
たとえ、作者がどんなに最初からミステリーのつもりで書いていたとしても、です
今の例のように、セントラルクエスチョンを冒頭に示すことによって、その小説の見せ場がいかなるものかを読者に想像させることができます
これにより、読者にその小説のジャンルを最初に示し、そのつもりで読んでもらうことが可能になるのです
さて、今回はこれで終わりですので、もう一度言葉を言い換えて纏めておきますね
・小説の「着地点」をあらかじめ読者に想定させておくことは大事である
・それも、その「着地点」を見たい、と思わせるように工夫せよ
・それにより、読者が飽きずにその物語を読んでくれるのと共に、作者が想定するその小説のジャンルと読者が考えたジャンルとの食い違いを防ぐことができる
以上でした
最近どうにも感想も書けず(読んではいます)、いまいち仕事してない感のある俺ですが、まぁこんなのでも誰かの役に立てば幸いです
あ、最後に一つだけ言っておくと、こんな理論をぐだぐだ読んでるより自分で千文字でも書いたほうがよほど力になりますよ(台無し)
こういう技巧は、「どうすれば面白くなるか」を自問しながら書いている限り、心配せずとも必ず身につきますから
ではでは
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04:15 |
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