京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2017-11

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幼女論

 どうも,しっちーです.ここ数日で本格的に冬っぽくなり,重装備が必要な季節となりました.ポケモンGO廃人1) たる私にとっては非常に辛い季節です.寒さに耐えながら何時間もポケモンを探して歩き回っていると,指先は凍り付き2) ,文字通り体の芯まで冷やされるわけですが,まあいいでしょう.


 さて,そろそろ年の瀬も近づき,今年の私の作品を見返していると,やはり幼女ばかりであることに気づかされます.NFの創作屋さんにも何作品か投げましたが,塗り絵を除いて全て幼女だった気がします.私はなぜ幼女ばかり描いているのか?私は何を求めて絵を描いていて,幼女はそれをどう満たしているのか?私はそんな問いに直面せざるを得ません.幼女とは何か──この記事では,そこを考察してみたいと思います3)

 第一に,幼女は基本的に少女的な可愛さを持ちます.私は幼女を描くことによって,その少女的な可愛さに癒され,「あぁ^~こころがぴょんぴょんするんじゃあ^~」という状態になりたいわけです.これは確かに大きな要素であり,私が幼女を描く理由の8割くらいを「少女的可愛さ」が占めます.しかし,これだけでは幼女を描く理由にはなりません.なぜなら,単に可愛いものを描いたり見たりしたいのならば,一般的によく描かれる女子高生でも描いていればいいからです.

 第二に,幼女は「子供らしい純粋さ」を持ちます.私は多分,その純粋さに触れて癒されることを求めています.悪い意味で大人になってしまい,心が歪み汚れきってしまった私は,幼女の穢れなき目で見つめられて浄化されて灰燼になりたいとか思うわけです.この辺はあまり上手く表現できませんが,ともかく純粋無垢さというのは,私にとって強力な癒しであるようです.

 以上のように私は,多分「少女的可愛さ」と「純粋無垢さ」を求めています4).これが当てはまるのは大体幼女ですが,例えば世間知らずのお嬢様とか,森の妖精とかも該当するといえるでしょう.実際,私はよく,そういうキャラを創作して描きます.


 「少女的可愛さ」というのはこれまで多くの人々が追い求めてきたもので,その実体は比較的はっきりしています.例えば『ご注文はうさぎですか?』にわかりやすく凝縮されていますし,その少女的可愛さによる癒しの力は,「あぁ^~こころがぴょんぴょんするんじゃあ^~」というスラングとともによく知られています.しかし「純粋無垢さ」というのは随分とぼんやりとしたものです.「純粋である」とは,一体どういうことでしょうか.綺麗な心とは一体何でしょう.「汚れがない」「歪みがない」とも言えますが,この混沌とした世界の中で,何が真っ当で,何が汚れ歪んでいるのかなど,簡単にはわかりません.

 ただまあ,「純粋とは何か」よりも「『純粋ではない』とは何か」の方が考えやすいのは確かなようなので,色々「汚れたもの」を考えてみましょう.まず思いつくのは,別に卑猥でも何でもない物体を,「何か卑猥なものに見える」と言い出し,極端な場合「けしからんから規制しろ」とか言い出す人々でしょうか.自分が汚れた色眼鏡をかけていて,汚れた色眼鏡を通して物を見るからそれが汚れているように見えるだけなのに,物そのものが汚れていると信じて疑わない人々です.

 こういう「滅茶苦茶な解釈」は純粋なものの対極にあるといっていいでしょう.twitterでよく見かける,ツイートに謎の解釈を加えてよくわからないことをリプライで語りだすクソリプマン.別に何でもない普通の言葉を,自分に対する悪口と解釈する被害妄想狂.自分に向けられた嫌悪をツンデレ的反応と解釈するストーカー.色々見かけますが大体精神的な病気です.

 次に思いつくのは,「悪い意味で大人になった人たち」でしょうか.例えば,別に意味のない,それがあることで誰かが得をするわけでもないマナーとかルールとかを,「みんながそうしているから」というだけで盲目的に従い,そのマナーやルールに従わない者を,「空気を読め」と言いながらヒステリックに攻撃する人々が挙げられます5).滑稽な,思考停止した典型的日本人です .その場に幼女がいたら,きっと「どうしてそんなルールがあるの?」とでも,鋭い問いをぶつけることでしょう.

 あとは偽善でしょうか.自分の本心に嘘をつく行為とも.例えば,「子供たちの未来のために」などときれいごとを言って政治活動をしていながら,その本心では「そんなことを言っている私はかっこいい」というつまらない優越感を求めているだけの人とか.あるいは,自分が不快に感じるというだけの作品に関して,「公序良俗に反するから規制しろ」と適当にそれっぽい理由を取り繕って叫ぶ人とか.いわゆる「意識高い系」もここに含まれるでしょう.口では努力だとか貢献だとか綺麗なことを言っていても,その本心はただの承認欲求であり,「大人たち」からよく見られたいだけに過ぎない.根底にあるのは100点のテストを親に自慢する小学生と何も変わらない態度です6)

 最後に絶望や学習性無力感を挙げておきましょう.鼠に電気ショックを加えるとその鼠は逃げようとしますが,それを逃がさず,電気ショックを加え続ける.すると,その鼠は,電気ショックからは逃げられないのだと絶望(学習)します.そして,逃げられる状況にあっても,電気ショックから逃げなくなり,電気ショックを受け入れるようになります.人間でいえば,ブラック企業からは逃れられないのだと絶望し,死んだ魚のような目をしながら働き続ける社畜が挙げられるでしょうか.こういうのもピュアな心の対極にあるものだと思います.

 さて,結局のところ,純粋とは何か,というのはよくわかりません.そもそも純粋というのは,「何かである」というよりは,「何でもない」ものかもしれません.幼女は何も知らないがゆえに,あらゆる精神的汚染から自由です.その心は何も描かれていない,真っ白なキャンバスみたいなものなのかもしれない.しかし,ただ一つ確実に言えることは,幼女の持つ純粋さというのは,ただ単にそれを見て癒されるだけのものではなく,我々にとって目指すべきものであり,ある種の憧れを含んだものであるということです7).ここまで挙げてきた汚れた人間になりたいと思う人はあまりいないでしょう .大多数の人々が,幼女のように純粋でありたいと願うのではないでしょうか8)

 とはいっても,この闇だらけの社会の中で,純粋であり続けることは簡単ではありません.わけのわからないルールを押し付けられ,それに従わされることもあるでしょう.ブラック企業に呑まれ,死んだ魚のような眼をして働き続けることもあるでしょう.圧倒的な権力や同調圧力に屈し,自分の本心を歪めてしまうこともあるかもしれません.不条理と矛盾に,「そういうものなのだ,それでいいのだ」と納得してしまうかもしれません.そして,何か凝り固まった信念に取り憑かれることもあるかもしれません.大学にいるうちはわりと汚れずにいられます.しかし,社会に出たら最後,我々は思考停止して,家畜のような「悪い意味での大人」になってしまうのかもしれません.


 幼女とは何か?今やその答えに至るときです.その少女的可愛さは,傷つき,疲れ切った心を癒してくれる.そしてその純真無垢さは,汚れてしまった心を浄化し,汚れる前の人間本来的な心のあり方を思い出させてくれる.幼女とは結局のところ,不条理と矛盾と混沌とに満ちたこの世界の中で,それでも腐らずに生きたいと願う人々にとっての,一服の処方箋なのではないでしょうか.


────────


この記事は12月上旬にアップロードする予定だったものですが,卒論に忙殺されていたため遅れてしまいました.申し訳ありません.

1) 誇張を含む.本当のポケGOガチ勢から見れば,私などちっぽけな存在である.
2) スマホを操作するため,手袋をつけるわけにはいかない.
3) ここで論じる幼女という言葉には,一切の性的または犯罪的な意味を含まない.私が幼女という言葉を用いるだけで,私がロリコンのように見られかねないが,別に私はロリコンではないし,性犯罪に走りたいと考えているわけでもない.私が性犯罪者のような邪悪な目で幼女を見ているわけではないというのは,念のためよく強調しておきたい.私は幼女(というよりは後述する広義幼女)を愛している.幼女に限らず,私は自分の描いた人物をすべて愛している.私は彼女らに幸せであってほしいとしか思っていない.そして,その幸せそうな,可愛らしい姿を見て癒されたいとしか思っていない.これは犯罪に手を染めるロリコンの態度とは全く異なる.彼らは幼女を,自らの快楽のための道具として扱っているに過ぎないのであり,そこに幼女への愛は存在しないのである.
4) この二つを満たすものを広義幼女とでも呼ぼう.なお,ごちうさの登場人物は広義幼女であるといってよい.
5) こういうのは「キッチュ」と呼ばれるものである.ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』参照.ちなみにこのキッチュ,私が今書いている卒論のテーマでもある.
6) 幼女も100点のテストを親に自慢するような真似をするだろう.しかし意識高い系の人々と決定的に異なるのは,圧倒的成長などときれいごとを言って表面を取り繕ったりはせず,自分が承認欲求のため,褒めてもらうために頑張ったことを素直に認める点である.
あと,私は様々な人々について偉そうに「汚れている」とか言っているものの,私は汚れていないと言う気はない.最初の方で述べたように,私も既に汚れているし,今後もっと汚染されうる.
7) 純粋さに憧れるとは言ったが,幼女のように,何も知らないことによって純粋になることは現実的ではない.現実的にどうすれば純粋であれるのかは,色々と方法は考えられるものの,長くなるし面白くないし説教臭いし書かないことにする.そういう真面目な話は嫌いだ.というか,要は人として正しくあればよいのだが,何が正しくて何が間違っているかなど簡単に語れるものではないし,語りたくない.
8) こういう言い方は反論を認めないみたいで嫌だが,多分「別に自分は汚れていてもいい」と言っている人々は,すでに汚れていると思う.

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これから絵を描き始める人へ

 長い春休みが終わり, 春光うららかな季節になりました. 大学には珍しく人があふれ, 新生活に胸を躍らせてその純粋な目を輝かせた一回生が, 南部構内を賑わしています. 不安を抱きながらも名称未定の扉をたたく新入生の初々しさは, たいへん趣深いものです. 今はやる気と活力に満ち溢れた彼らは, やがて堕落し, 1か月もたてば徐々にこのキャンパスから姿を消していくわけですが, 欲望に染まり闇へと堕ちていく彼らの姿にはカタルシスを禁じ得ません.

 さて, 今回はしっちーがブログをお送りします. 私は二年前の春からイラストを描いているのですが, 描き始めた頃からずっと作画崩壊に悩まされています. そして最近になって, いい加減作画崩壊に決着をつけようと, 人の顔と人体の描きかた, その構造を一から学び直すことにしました.

 初心に立ち返って絵の描き方というものを見直していると, 私としては色々と思うところがあります. 今回はその辺りを語ることにし て, テーマは「これから絵を描き始める人へ」としましょう. ちょうど, 名称未定に新しく入って絵を描き始めようと思っている読者も多いことでしょう. 具体的に絵の描き方を細かく述べるわけではなく[註1], 絵を描く上での抽象的で精神的な方針を語りたいと思います. ただし私は一枚絵しか描かないものですから, 漫画等のことはよくわからないもので, 一枚絵以外に関しては微妙に当てはまらないこともあるかもしれません. 逆に, イラストだけでなく創作全般に当てはまることもあるかもしれません.



 まずは絵を描く上で最も重要なことをお話ししましょう.
もっと, 熱くなれよおおおおおおおおお!!!
この一言に尽きます. 誰しも自分の好きなものを描いているときは本気になれるはずです. 例えば美少女が好きなのであれば, いま描いている美少女に対して手を抜くことはできないでしょう. 髪の毛のなびき方はこうでなければならないとか, 太腿のラインはこうでなければならないといった直接的なこだわりが出てくるだけでなく, その少女が着ている服のデザイン, 周囲の背景, 環境光や構図などに関してもこだわりたくなるのではないでしょうか. その「美しく表現したい」という, 煮えたぎるマグマのような心の熱さを自覚し、何よりも大切にしてください. これこそ, 絵を描く上での最大のエネルギーです.

 誰しも, 自分が愛してやまない存在が何か一つはあるはず. 建物を愛し, それを描くことに熱くなる人. ある特定のキャラクターを愛し, それを描くことに熱くなる人. あるいは, 特定のシチュエーションや人間関係といった, 形のないものを愛する人もいるでしょう. 自分が愛してやまぬ, それに関して底なしに熱くなれるものを探してみてください. [註2]

 熱い血を燃やし続けている限り, 作品の質は上がり続けるはずです. それは至極当然のことで, 熱くなっていればいま描いている作品に手を抜くことなどできるわけもなく[註3], 書店やネットにいくらでも転がっているイラスト講座を見ないわけにはいかないからです. 強制的かつ自動的に, 画力や表現力, 作品の内容は磨かれざるを得ない. もっと熱くなれよ. 熱い血燃やしていけよ. 人間熱くなったときが, 本当の自分に出会えるんだ!だからこそ, もっと, 熱くなれよぉおおおおおおお!!!



 絵を描く上で重要なことをもう一つ語っておきます. 絵描きの道を志す人は, ほぼ例外なく人の顔から練習を始め, 次に全身を描く練習をすることでしょう. 建物マニアや風景マニアでもない限りは背景は後回しになることと思います. そして, 背景を苦手とし, 人物が(背景に比べれば)得意だという人が多いように思います. 要するに人体が基本的かつ簡単なものであると思っている人をよく見かけるのですが, これが重大な誤解であることは指摘しておかねばなりません.

 この世界に, 人体より複雑な物体は存在しません. これは声を大にして, フォルティシシモ[註4]にして言いたいところです. 所詮円柱や直方体程度の集まりに過ぎず, 機械的に作図してしまえる背景と比べれば, 人体は多数の骨と筋肉が絡み合った複雑な構造を成し, 直立ポーズですら一筋縄ではいきません.[註5] それだけでなく, その骨と筋肉はつねに動き, また外力の影響を受けながら複雑怪奇な様相を示します. 人体の構造を知ってもなお, 人体を描き切るには不十分です. 例えば人がボールを投げている絵を描こうにも, ボールを投げるときに人体にどういう外力が働き, それに骨と筋肉はどう呼応するか(どういう位置にあって, どういう方向を向き, 筋肉はどのくらい膨張しているか)を知らなければなりません. 構造だけでなく, 個別のポーズにおいてその構造がどう挙動するかを知る必要があります. [註6]

 ですから, 人の顔や全身をうまく描けなくても落ち込まないでください[註7]. あなたが挑んでいるのはラスボスです. ゲームの序盤にラスボスに挑むようなものです. 勝てるわけがない. 一瞬で文字通り粉砕されます. むしろ正確に描ける方がおかしいのであり, 背景・風景(物体)の方が圧倒的に単純で簡単です.

 背景が難しくみられる一方で, 人体を比較的簡単に思われるのは, 単に熱くなれるか熱くなれないかの問題に過ぎないと私は思います. 特定のキャラクターを愛し, それを描くことに熱くなれる人は多い一方, 背景や風景に熱くなれる人は比較的少数です. つまり単純に背景を描くモチベーションが弱く, 多少壁にぶつかっただけで心が折れてしまうのではないかと私は思うのです.

 そこで, 背景に対して熱くなれないという人は, 背景をキャラクターの服と同等に考えてみてください. 背景は服と同じく, キャラクターを引き立てるものであり, 本質的な(絵の中での役割での)違いはありません. 自分の愛して止まないキャラクターに醜い服を着せることはできるでしょうか. いや, できないはずです. それと同様に, 自分の愛するキャラクターを醜い背景で囲み, 粗末なステージに立たせることはできないはずです. そう考えてみれば, 背景に対しても熱くなれる──いや, 熱くならざるを得ないのではないしょうか.

 背景に限らず, その絵の中にある全要素についても同様のことがいえます. そうして, 自分の愛する存在の周囲に存在するあらゆるものに対して, 燃え尽きるほどにこだわり続けていれば, きっと幅広い画力が得られることでしょう.



長くなりましたが, 私が語るべきことは以上です. 私はそこまで絵が上手いわけでもないので, 以上を参考にしたところで神絵師になれるとは限りませんが, 私程度のちょっとした画力であれば(簡単にとは言いませんが)得られるのではないかと思います.

 絵を描くことに特別な才能は要りません. 一般的に言われるような先天的な美的センスは全く必要ありません. 思い通りに描けないのはセンスがないからではなく, 単にいま描こうとしている物体をちゃんと理解していないからです. それは知識の問題でしかありません. 知らないものを描けるわけがない. ただそれだけの簡単な問題に, センスなどといいうものを持ち出すのは極めてナンセンスです. 繰り返しますが, 絵を描くことに才能など必要なく, 絵描きの世界への扉は誰に対しても開かれています. ただあなたが表現したいと望むか否か. 熱くなるか熱くならないか. それだけに過ぎません.





[註1] 具体的な描き方・技法についてはたいして絵の上手くない私に聞くよりは, pixiv等に数多ある, 神絵師たちの書いた講座を読んだ方がよい.
[註2] 探してみて, などと簡単に言っているが, これは決して簡単なことではない. 例えばR18なものが好きだったとして, それを描くことに熱くなるのは(周囲の人々の目があるので)勇気のいることである. 自分が好んで描いていたはずのものが, 本当は描きやすかったから描いていたに過ぎなかったとか, 流行に従っているに過ぎなかったということもあるだろう. こういったノイズ(欺瞞)を排し, 自分が心の底から愛せるものを探すには, じっくりと自分自身を見つめ直す必要があると思う.
[註3] 締め切りによる制約のためできないこともある.
[註4] fff
[註5] 正面から水平に眺めた直立の人体なら描ける者は多いと思うが, 全てのアングル(水平角度0~180°, 垂直角度-90~90°)を正確に描ける者はそういないだろう. 少なくとも私は描ける自信は全くない. 最も簡単なはずの直立ポーズですらこの難度である.
[註6] あるポーズにおいて骨や筋肉はどう挙動するかを覚え, そこから解剖学の知識により体の輪郭線と起伏を計算するよりは, 初めから計算結果(体の輪郭線と起伏がどうなるか)を覚えてしまった方がシンプルである. 要するに「このポーズをこのアングルから見ればこう見える」というパターンをひたすら暗記するわけだが, 絵を描くものはまず例外なくこの思考回路で人体を描いているのではないか, と私は考えている. つまり人体を正確に作画崩壊なく描くには, ひたすらパターンを覚えればいいのでは, という結論に達する. 一般的に言われる「画力」の本質とは結局のところ, 膨大な知識の塊と, それを補助する物体への理解(理解したうえで覚えた方が楽なのは言うまでもない)であると私は思う.
[註7]顔に関しては骨の可動部が顎しかないため, まだ捉えやすい部類に入る. 表情筋の話をすると多少複雑にはなるが. 顔は骨や筋肉を立体的に考えて, パターンに頼らずに一から計算するのが現実的に可能な物体である. 人の顔を立体的に捉えるうえで, ヒトカク(http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/index.html)が非常に参考になる.

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残響の失地王

ここ数日で一気に寒くなり, 冬らしくなってきましたが, 皆様いかがお過ごしでしょうか. 朝は冷気が上着を貫通する程度に冷え込み, また夜も日に日に長くなり, 一限への出席がつらい季節となりました. 布団によって蝕まれていく単位, 寒風に混じって聞こえてくる留年の足音. どうも, しっちーです.

「しっちーって誰だろう」「しっちーとは何だったのか(哲学)」という読者もいるでしょうから, まず簡潔に自己紹介でも記しておきます.
◆名称未定の新入生(2015年度)
◆工学部地球工学科の三回生. 土木勢. うたろう氏とは同じ学科.
◆イラストを描く人. 漫画は描いたことはなく, 一枚絵を生産する.
◆NFイラスト本の表紙を描いていた人. あとNF名称未定企画で後ろに絵を貼っていた人. 胸焼けしそうなくらいガーリーで甘ったるいもの(キャラクターに限らず, 服や小物なども含む)が非常に好き[註0]. 作品は大体そういう要素を含む.
◆絵以外の趣味はぷよぷよとかゲーム音楽とか. ちなみにぷよぷよサークルにも入っており, そっちで会長を務めたりNFで企画を出したりもしていた.

 *

 御託を並べるのはここまでとして, 他の記事に倣い, 徒然なるままに何かを垂れ流すことにしましょう. 何を語るか割と迷うところではありますが, 今回はとりあえず絵に関する話題, 「リバーブ効果」なるものについて語ることにします.

 リバーブは残響を意味します. おそらく皆さんのお使いのメディアプレイヤーにその機能がついていることでしょう. 音楽に残響がかかり, 室内(浴室といえばもっとわかりやすい)でその音が反響しているように聞こえるエフェクトのことです. これをかけることで, 何かその音楽が, より「良く」なったように思える. どう「良い」のかは私の貧弱な音楽語彙では表現しかねますが, ともかく何かクオリティが向上している感じがあるわけです.

 なぜそう感じるのか?何年も前, 私が幼い頃[註1]に聞いた話なので色々と不確かですが, どうもリバーブによって音に「ぼかし」をかけることで, 聞く者にとって音が理想的に解釈されるらしいのです. これはミロのヴィーナスみたいな現象です. ミロのヴィーナスは腕のない石像ですが, 腕がないことによってむしろ価値が上がっているとされています. つまり, 腕がないことによって, 見る者が理想通りの腕を想像できるがゆえに, クオリティが向上してしまったわけです. リバーブに関してもこれと同様のことが起こっているらしい.

 絵の話題は唐突に始まります. 絵を描く上では, 完成された線画よりもラフや構想段階の方が良かったというのはよくあること(というよりは, 人によっては常にそうなのかもしれない)です. なぜこんなことが起こるかというと, 何本もの線を乱雑に重ねて描いたラフ絵を見るとき, 人はその何本かある線のうち最も理想的な線を選び出して見てしまうため, 理想的な線で構成された完璧な絵が見えてしまう──というのは, 絵を描く人ならば一度は聞いたことがある話でしょう[註2]. この現象を, 私は自分の頭の中では「リバーブ効果」と呼んでいます. ただの個人的な造語です. 前述のリバーブと原理が同じだからこう呼ぶわけです.

 なぜ落描きが楽しく感じられるのか. それはリバーブ効果の賜物と言ってよいでしょう. 丁寧に清書したりも色塗りしたりもしない落描きは, リバーブ効果を受けて手間不相応に美しく映えます. 落描きの向こうに理想の線画が, ある種の幻覚として見えるわけです. その費用対効果たるや絶大なもので, 「落描きとラフを描くのは好きだがペン入れや塗りは好きではない」と言う絵師が多いのも頷けます. なお, 似たようなことが落描き/ラフのみならず構想段階でもあって, 「こんな絵/漫画が描きたいなあ」と構想している段階では素晴らしいものができそうで楽しくても, いざ手を動かしてみると思い通りにいかないというのは, よくあることだと聞きます. 一部が未確定な, 残響のようにぼんやりとした存在は, その先に理想を映すわけですね.

 ところで, ここまで書いておいて何ですが, 私は落描きが嫌いです. 最大の理由は作画崩壊で, デッサン力が極めて低い[註3]私が落描きをしたところで, あたり線が入り混じっていて作画崩壊した, 気持ち悪くて汚いものしかできないからなのですが, まあそこは置いておくことにしましょう. ここで語るべき理由はそっちではありません. 私は「絵を描くのが好き」というよりは, 「絵を磨き上げるのが好き」な人間です. 線一つ, 色一つに対して, これは見た者にとってどう映るだろうかとか, ここはこう修正した方が面白いんじゃないかとか, そういうことを延々と考えながら絵を丁寧に磨き上げていくことを好みます. 落描きというのは私にとっては, スルメをほとんど噛まずに飲み込むみたいな行為であって, これをやっていても中々テンションが上がらないのです.

 こんなことを言う人間は中々見かけないもので, これはもしや, どこかのラノベの主人公が持っている特殊能力のように, 私が特殊な画力を持っているのではないかという期待が湧いてきます. しかし, 現実はそんなに甘くはないようです. 確かにそういう人間は少数派ではあるけれど, 普通にどこにでもいるらしい. ある絵師がtwitterで呟いていたことですが, どうやら絵師には二つのタイプがあるらしいのです. すなわち, 絵のクオリティを高め, 磨き上げていくことに快感をもつイラストレーター系の絵描きと, 自分の考えたストーリーやネタを表現することに快感をもつ漫画家系の絵描きががいるのだと. もちろんこの中間というのもありますし, 前者α:後者βの混合みたいなのもあります. 私はイラストレーター系8:漫画家系2くらいの成分であるような気がしますが, 皆さんはどうでしょうか. 自分がどちらのタイプなのかを考えてみると面白いかもしれません.

 さて, 絵を描かない人にとってもわかりやすく, みたいなことを意識して書いていたら, 説明がくどくて長い[註4]割には内容が薄くて何が言いたいのかわからない, クソみたいな文章ができてしまいましたが, まあいいでしょう. ここまで読んでくれた方に感謝しつつ, これにて筆を置くことにします.



[0] 無論私がその可愛い服や小物を装備しても薄気味悪い生物にしかならないため, 現実にそういうものを収集しているわけではない. せいぜい店先に置いてあるものを「あぁ^~」とか思いながら眺めるだけである.
[1] 必ずしも幼少を意味しない. 精神的に今より幼かったあの頃.
[2] 清書の際には一本の線を選び出さねばならない. そこで理想的な線を選べなかったとき, 線画のクオリティはラフに劣ってしまう.
[3] 私の最大にして最悪の弱点である. 早く何とかしたいが, そもそも早く何とかできていたら苦労などしない.
[4] 感想文等を要求された時に限ってはこういう長ったらしいのを書きたいものである. ちなみにこの文章で原稿用紙7枚程度が埋まる.

Edit 22:35 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

11月の担当は
上旬:神無月
中旬:八橋
下旬:葱
です。

 

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