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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2020-08

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「時日表記に辞んでみること」

ごきげんよう☆彡1月中旬担当のゆっくりです!
構成員各位におかれましては、昨年は大変お世話になりましたことを深く感謝申し上げます。本年も皆様おひとりおひとりにとりまして、充実した一年となりますよう祈念申し上げます。今回もどうかお付き合い下されば幸いです♪
さて、今回のトピックは以下の通り。
①時日表記の再現前性――その、あまりにもおぼろげな――
②未来への確からしさ――その、あまりにもさやけくあれと――
 修士論文を終える。伴った辛酸は筆舌に尽くしがたい。しかし、通過儀礼として重要な経験だったと思う。病気も挟んだとはいえ、6年もの歳月をかけたにしてはあまりに乏しいものだが、一つのステップにしたい。
 たくさんの史料や、先行研究の束、ノート、B6カードを眼下にしている。よせばいいのに、日付を振ってあるものも多い。それらは、スキャンを経たことで、今一度の時間性を帯す。時日表記の持つ呪力は、形態素単位よりも漠然とし、自らを包み込む時代的気質をそこに再現前する。現代においては、写真、通話、記録などに、頼みもしないのに打刻される。それらの参照可能性は、概ね、こちらの意思に拘束されないことが多く、必要性の堤防を氾濫する。
 個人的な能力の限界か、2年以上前のイベントに対しては、その前後関係は曖昧である。それは私の専攻する実証史学の史料批判の必要性と、大略その根源性を一にする。時日表記を見た瞬間、脳内では数直線が形成される。自身の様々な想い出が、その数直線に極めて曖昧に座標を取る。この中途半端な確実性と、自身の意識から乖離した提示とが、脳内で傷む。果たして、過去は幻想だった。エクリチュールの持つ代補性の横溢、すなわち、肥大化して宿主を、いや、母屋から庇にかけて襲来するこの幻想に、立ち向かう術を私は知らない。ただし、救いを求めることは許されようか。
 卑近な例で恐縮だが、修士論文を作成していて、私は極限状態だった。何事にもよらず堪え性のない私が、研究室でひたすら古記録、古文書から平安時代後期の歌人や漢詩人の政治的事績のデータを取り、パソコンに打ち込む。下宿への途上、東方に暁闇を見やりながら、自分の認知能力の低下すら実感できなくなっていた。しかし、《救い》がなかった訳ではない。修士論文を提出後には、指導教授と夕飯をご一緒させていただく。史料を、和歌を、漢詩を読んでも、何が正しくて何が不確定か、全く融解し切っていた私には、それが茜差す久方の《出口》だったのかも知れない。
 2001年にゲームボーイアドバンスというハードで任天堂から発売された『ナポレオン』というゲームがある。そこでジヌディーヌ・オージュローという指揮官(シャルル・ピエール・フランソワ・オージュローをモデルとする)が口にする「未来への光がオレには見える」というセリフが少年の時分より好きだった。今回愚見は、悠久に至る未来への本質性を心に戴いていながら、そうした直線運動が取れないほどの満身創痍状態の中、眼前に像を為したものである。
 ≪イマ・ココ≫をきちんと認識することに越したことはなかろう。しかし、その営為は必ずしも優しい行為ではない。これ以上は素人がものすに無用だろう。
 この数カ月、確実に、そして着実に螺旋階段を下っていた。しかし、究極的には孤独なのだが、同行者、いや、すれ違う人々を目にしないではなかった。お名前を挙げる事で却って漏れる愚を懼れるものであるが、衷心より御礼を申し上げます。
つーわけで、本年もよろしくね☆

Edit 07:33 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

「題を求めて失恋を詠ずるということ」

みなさま、ごきげんよう。10月中旬担当のゆっくりです。今回も、普段おぼろげながら脳裡に彷徨う由無し事を書きつける機会を賜りました。お付き合い下されば幸いです。
取り留めも内容も無い文章ですので、意図していることを【要旨】して冒頭に掲げました。
思量されることはここに尽きていると思います。

【要旨】
 失恋歌を、過去の文学作品を通じて自ら概念化し再構成して詠じてみせる営みは、我々世界史の根底に流れる普遍的な感情に接触し、その歴史的連関の中に自己を揺蕩わせる営為である。迸る激情は、その中で理性と融和し、調和され、慰撫される。

1、はじめに
 少年時代、私が短詩型文学に仄かに憧れを抱いたのは、何故だろうか。それは、決して感情の発露を留めるだとか、誰かに想いを伝達する…といったものではなかった。
 『伊勢物語』の在原業平や、『源氏物語』の光源氏(実を言うとその息夕霧をより好んでいたのだが)のような、あるいは、騎士道物語の中の中世騎士、あるいは中国の士大夫…あのような世界への憧憬によるものだったのかも知れない。いわゆる芸術用語で言うところのミメーシスというやつで、私の作る俳句なり短歌には、大抵の場合、その背後には宇治川や、カンタベリー大聖堂の香りが燻っていた。
 学部、大学院と、幾つかの文学的なサークルを渡り歩いてきたが、あまり馴染めなかった。科学としての実証文学の洗礼を本格的な文学経験に先行して受けてしまったからであろうと推察できよう。なればこそ、訓詁の道を直走る…理性に固まってしまった私の文学経験の中で、本サークル共同体が紡ぐ短歌や、詩、小説などに巡り合えたことは、私がもう一度、創作主体の土俵に導かれる契機となった。我々によくよく諒解されるように、作品の等身大の作者を日常に知る時、作者が死ぬことはない。なんとなれば、解釈性を問題とした場合、表現と理解の場がそれなりになだらかであれば、表現内容に潜む言葉の意図が、主体の過程中に関与しているからである。それは、もしかすると文体論への入り口かもしれない。いつぶりだろう、感情を短歌に乗せる…といった営為に私を引き戻すには十分なエネルギーを産んだように思う。ご交誼に改めて感謝申し上げたい。

2、ハウ・ツー失恋歌
 枕が長くなってしまった。さて、本稿に与えられた課題は、失恋歌の私的ハウ・ツーに関して何をかをものすことである。要するに、感情の発露を、題(枠)に載せる試みに、如上両者は統合される。
 我々の詠物詠賦の創作動機として、以下の二点を挙げることが出来る。
①感銘的な景物について、その感動を文字の内に封ずる営み。
②劇的に内に湧いてくる感情を、言葉や文字にして外へと出す営み。
今回、話題となるのは②である。
自らに劇的に湧いてくる感情、試みに、失恋を例に取ろう。大抵の場合、失恋の病は複合的で、感受性は限界まで高まる。何を知覚しても、内なるカウンターと反応せざるを得ない。そして、その反応は激烈な苦痛を副産物とする。
この、エネルギーを、創作へと昇華させようというのが、今回の題目である。
その、過程について、以下に卑見を弄する。
(イ)好きな文学主体に成りきる。これは、平安貴族でも、共和政ローマの政治家でも、アラビアンナイトの夢と魔法のファンタジー、中世騎士でもよろしい。個人的に、近代以降にはロマンを(あまり)感じないので、中世までくらいが穏当だろう
(ロ)図書館に行って、その人の著作を渉猟する。「これだ!私の思っていることは!」と思ったら、キレイにB6カードに取る。まだ見ぬ芸術作品の構成要素を製作するつもりで。たおやかに。
(ハ)そこで、その作品の底に流れる感情に触れる。これこそ、悠久の歴史の中で今の自分の琴線に触れる「言葉」なのだ。形式を異にすれど、脈々と流れて来たもの。それは、個別具体の形をしていても、その心に抱いた感情と反応して、我々の前に姿を現す。それを知るための、博捜なのだった。
(ニ)ここからは、もう正直に詠ずるだけなのだが、せっかくなので、全く同じテーマにせず、少しオマージュしてみる。要するに、取っ掛かり、横溢する感情の入れ物を用意してみるのである。
(ホ)データベースなどで、その取っ掛かり周辺の語彙を調べてみる。何やら、今度は実体レベルで琴線に触れる歌がある…
ここまで決まってしまえば、他の言葉は好きなように詠めばいい。
何が大事かというと、語の意味作用を用いて、論理的に世界を眼前に再構成してみせることなのだ。この時、解体される分脈とそうでない分脈が弁別されれば、しめたものだ。それらの架け橋を発明することが眼目であると言い換えてもよいからである。

3、むすびにかえて
この行為の薬効は、ほとばしる感情を、一度、理性と融和させることが出来る点に存する。
一度お気に入りの人物の気持ちを自分で追体験し、名だたる英雄が、「なぁ、(貴方の名前である!)、貴方ねぇ、それはね、生きてる限り、みんなそうなんだヨ。」と語りかけて来る。それをもう一度、ほどく段階。感情を、言葉で発言させようとする段階において、フリードリヒ・シラーの『人間の美的教育について』の言を借りれば、感性衝動と理性衝動との融和が果たされ、調和の取れた《遊戯》に至る…ということだろう。この時人間は、完全で(ギリシャの神々のような)自由な存在となるのだという。
 時枝誠記氏的に重ねて言えば、以下の言辞を借りることで足れりと為せよう。
  概念化と云ふことは、一切の事實を客観化することであって、たとへ自己の感情情緒をも、この過程によって客観化され對象化される。従つて、「悲し」と云ふ語は、自己の切實な悲哀感情を表し得ることは勿論、自己の過去の經験即ち表象的な悲哀感も、又他人の悲哀感をも概念化することによって表出し得る。
                                                  (時枝誠記『言語本質論』岩波書店1983年)
この通時的な、営み、「この生は普遍に向けての陶冶過程である」などという新人文主義的な――なればこそ彼らはギリシャ・ローマへの回顧に腐心したのかもしれない――歴史的連関の中に身をたゆたわせた時、中世ロマンス騎士道や、『源氏物語』の登場人物は、次にどのような人に出会うのだろう。己が作品に込められた、誠実さ、崇高さ、高潔さを言祝ぐべき対象を配置する神の意図――と、差し当たり言っておく――は、先に我々が感じた感情の原型と、同じ位相に存する気がしないでもない。
 
 以上である。しょうもない妄想を垂れ流すことをお許しいただいた(お許しいただいていないかも知れない)各位に、そして、これまた妄言にお付き合いいただきましたあなたに!篤く御礼を申し上げます。
 秋冷の砌、何卒お身体をお労り下さいますよう。それでは、恐々謹言。

Edit 16:46 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

「慰霊や鎮魂を営むということに関する雑感」

ごきげんよう。8月中旬担当のゆっくりと申します。今回は、最近ちょっとだけ思ってみたことを、文章にしてみました。読み辛かろうとは存じますが、お許しください。ではでは、お付き合い下されば幸いです☆

本邦に生を享けて、この時期ほど、《一般的な》「慰霊」とか、「鎮魂」とか、そのような事を意識せざるを得ない時期も中々になかろう。テレビニュースなどの媒体では、我々はかかる営みの殆どを眼前にすることができる。その中で、短歌、俳句を含む文学営為をもまま目にする。
ところで、このようなムードや営みは、何も現代に生きる我々の専売特許であった訳でもない。当然だが、武力を用いた闘争は、死者を伴う。これは、神武東征、藤原仲麻呂の乱、治承・寿永の内乱、南北朝の動乱などを例に挙げるまでもなく、あらゆる武力衝突の最中には死者が生じ、その時々の信仰の形式と様式に従ってその魂が鎮められてきたのである。

ここで、筆者が長年疑問としていたある定式がある。それは、《文学=鎮魂》と呼ばれる定式である。元々、民俗学や宗教史において語られていた人々の信仰の發露としての様式は、なんだか社会科学の定式のような――そう、非常に高度に学問的に純化された――香りさえする。言うまでもなく、様式はそれまでの営みから掬いあげられるものに過ぎない。このような疑問を持ちつつ――疑問、というより、この高度な定式のあまりの純度の高さに、行為主体としての自覚がどこか《ふわふわ》としていて――茫漠と過ごしていたのだが、ここ最近、佐伯真一氏のご論考[1]を拝読するにつけ、つらつらと雑考を胸中に膿むに至りて、恥ずかしげもなく開陳するものである。

佐伯氏に、『平家物語』を題材として、生者が死者を鎮魂・慰霊する[2]ことに関する考察がある。各論についてはご紹介する能力がないのは全く無念なことであるが、すなわち、生者から死者に向けられる言葉は、一様に怨霊を讃えるばかりでなく、説得、威圧などの様々な作用を持つ。という説である。
また、兵藤裕己氏の以下のようなご論考[3]も、大変魅力的である。すなわち、霊は《ヨリマシ》=語り手に憑依し、《モノ語り》をさせる。という所論である。俳句や短歌において、作中主体が死者である場合には、この類型が該当しよう。
『平家物語』の時代には、神道、儒教、仏教、道教などが混淆の様を呈しているのは明らかであろう。

十把一絡げに慰霊や鎮魂といっても、様々な様式や形式が、800年前から人々の信仰に在ったということが確認できればよい。『平家物語』に関する論考を選んだ行論上の必然性はない。ただ単に、筆者の専攻に近かった。それだけである。
かかる諸論を念頭に、我々はどのように我々の慰霊を自覚して行為すればよいのだろう。重要なことは、曖昧模糊とした手続きを一個包装とせずに、自らのどのような営みが、霊や個人へのどのような想いや祈りと、どのような様式や形式において連関し、どのように遂行可能なのか…について、《割と》真剣に考えてみることであろう。

信仰や想いと、様式や形式と…どちらが先行するかと問われると、「相互補完」…という、これまた逃げの一手を打つしかない。ただし、緩やかに相互規定をしているのだから、信仰と理性的手続きとは、互いに規定し、荘厳し合う。
叙上の様な想い遣りを踏まえて、今季も私は招魂復魄に従事し、先祖のお寺に参る。「礼と云い、礼と云う。玉帛を云わんや」(『論語』陽貨篇)ではないが、血の通った儀礼を営まなければならない。なにより、都会生活でボロボロになった自己規定のために。そう、これらの営みも、結局は現世と常世の関係から語られることを逃れられない。そして、私の未熟な精神は、前者を重視する。現在の私のお盆の形態など、頽廃しきったものである。だからこそ、自己規定なりの儀礼を全うすることで、自己規定は達成されねばならない…[4]

以上、愚にもつかない雑感を述べてしまった。「『平家物語』と、お前のしょーもない考えと、必然性を寄越せ!」と問われると、申し訳の仕様もない。
ただ、自らが行っている様々な宗教的行為をもう一度分析してみると、その多様さと雑駁さ、無秩序さとに驚かされる。『平家物語』の時代の人々も、きっと、多様な信仰を持っていたのだ。更に言い訳をすると、本稿は元々、中世人の鎮魂・慰霊に現代人が如何に寄り添うか、そのパラレルさにシンクロしたいという欲求の、遠く昔からの《応答》を、21世紀にどのように現出せしめるか、であったのだが、水は低きに流れ、素より能力も何もなく。あまり人の悪口〈あっこう〉も書きたくないし…
800~900年前の人々の想いに寄り添うには、理性(お勉強)が足りませぬ[5]。向後の課題と致しとうございまする。
末筆となりましたが、拙文掲載の機会をお与え下さった関係各位に、そしてお付き合いくださった皆様に、篤く御礼を申し上げます。
それでは、猛暑の砌、お身体をお労り下さいませ。恐々謹言。

[1]佐伯真一氏「『平家物語』と鎮魂」(鈴木彰氏・三澤裕子氏編『いくさと物語の中世』汲古書院2015年に所収)
[2]「鎮魂」や「慰霊」の語義は時代によって推移するという点に関しては、坂本要氏「「鎮魂」語の近代――「鎮魂」語疑義考 その1――」(『比較民俗研究』第25号、2011年)を参照。いかなる言葉も、そのフレームから逃れ得るものではないが、本稿では「生者が死者に対して祈る種々の営み。」という程の意味で用いる。
[3]兵藤裕己氏『平家物語の読み方』筑摩書房2011年(初版は『平家物語〈語り〉のテクスト』筑摩書房1998年)
[4]「葬送・追善を行うことが権力継承を示す〈政治〉たることはいつの時代も同じである。」(上島享氏「法勝寺創建の歴史的意義」(『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会2010年、初出は2006年、492頁)を読んだ時、身体を貫いた感動をまだ覚えている。
[5]いうまでもなく、文学は文化諸階層の精華であり、それら集中的反映と凝縮である。世阿弥を論ずるまでもなく、理性が大部分を占めるのは全く当然のことであって、「事物を言祝ぐ力を既に失っているのではないか」と思わせるような営為とそれらを珍重する風潮には、差し当たり抗っておきたい。

Edit 21:37 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
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です。

 

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