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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2023-10

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夏休みの話

 こんにちは、double quarterです。

 ついこの前新学期が始まったと思っていたのに、気付けばもうすっかり暑い季節になってしまいました。私は個人的に夏が好きですが、それでもこの蒸し暑さは堪えますね。
 さてそんな夏の楽しみと言えば、夏休みです。しかし私は大学生ですので夏休みの前に期末試験というものがあります。もうこの時期は期末レポートやら復習やらに追われ、ひたすらタスクを消化する日々です。そうして家にこもってふと外の快晴を眺めると、どうしてもまだ来ぬ夏休みに思いを馳せてしまいます。
 これだけやらなければならないことが目の前にあると、やりたいことばかりが浮かんできます。何せ大学生の夏休みは二ヶ月もありますので、それだけ膨大な時間があれば何でもできるし何でもやりたい気持ちになってきます。
 しかし残酷な話として、そうやって高めに高めた期待を夏休みに入った私は裏切るということを経験的に知っています。結局夏休みに入ってみると思ったより気持ちは続かないし、何だかんだで怠惰な日々を送り、最終的に大したことはできないものです。それがわかっているのに期待を寄せ続けることがやめられないのですから救えません。
 しかしこれは私が悪いのではなく、脳が悪いのです。行動を促す脳内物質としてドーパミンがあります。しかしドーパミンは何かに期待しているときに分泌されるものであり、実際に何かをしているときの分泌量はそれに比べると少ないです。つまりこれは動機を生み出すためのホルモンというわけです(専門外の雑な理解ですので間違っているかもしれませんが)。これを考えると、夏休みに期待し続け、最後には自分に失望する在り方は生物として仕方の無いものに思えてきます。
 さて、言い訳はこのくらいにしておきましょう。ここで一つ考えたのは、「どの時期の自分が一番夏休みを満喫しているのか」ということです。普通に考えれば夏休みが一番楽しいと思われるのですが、実際の所最初の数週間で何と言うか張り合いがなくなって飽きてしまいます(私が夏休み家に引きこもっているからだと言われれば否定できないのですが)。それを考えると、夏休みに焦がれてひたすら夏休みにしたいことを考えている時期が一番幸せなのではないかと思えてきます。ゲームは箱を開けているときが一番ワクワクする、というやつですね。
 夏休みは蜃気楼みたいですね。必死に追いかけたのにそこに着いてもオアシスはない。湿った土くらいはあるかもしれませんが。しかも夏休みに入ってしまったら蜃気楼すら見えなくなってしまいます。なんと残酷な話でしょうか。
 小中学生の頃はもっとダイレクトに夏休みを楽しめていた気がするのですが、経験を伴わない夏休みの概念に当てられて自分の夏休みを疑い始めたのが終わりの始まりだったのでしょうか。夏休みに入ったら少し童心に返って虫取りでもしてみるのが良いのでしょうか。海や山に行ったり、遠くに旅行に行ったりしてみれば、少しは変わるかも知れません。……今これを考えて面倒だな、と思ってしまった私は、やっぱりずっとクーラーが効いた部屋にいるのでしょう。

Edit 23:06 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

季節の匂いと音の話

 こんにちは、double quarterです。

 もう丸一ヶ月ほど前の話ですが、京都に雪が降りました。私は雪国の出身なので雪を見ると実家を思い出します。冬の夜のツンとした冷たい匂いや、雪に反射して鈍く光る夜にちょっとした郷愁を覚えるほどです。
 雪に限らず季節には独特な匂いがあります。私は花の香りはあまり好きではなく、むしろ土や草、雨の匂いなんかに惹かれます。特に夏の雨に濡れたコンクリートの匂いなんかは、懐かしさを伴って夏の良さが押し寄せてくる感じがします。夏は晴れも良いですが私はあえて夕立を支持したいですね。都会はコンクリートに覆われているのでコンクリートの熱気と相まってどこかムワっとした雨の匂いがします。しかし私はどちらかというと雨に濡れた土の匂いの方が好きですね。
 なぜ好きなのかを説明するのは難しいですが、一つ思い当たる人間の性質があります。匂いに関する記憶は強いとよく言われます。その言葉に無意識に影響されているのか、本当に記憶しやすいのかはわかりませんが、ともかく私はこうして小さい頃に嗅いでいた匂いに懐かしさや心地よさを覚えることが多いというのはなんだか納得できる気がします。

 ここで最近不満なのがマスクです。ご時世なので仕方の無いことではあるのですが、マスクをしていると季節の匂いというものがわかりません。私は季節の匂いを人目を気にせず堂々と道を歩きながら堪能したいがためにマスクを外したいとすら思っているほどです。
 最近は人が密集していない外の空間ではマスクを着けなくても良いみたいな風潮ができつつあるので、散歩中人目を気にしながらマスクを外して外の匂いを楽しんでいたりします。早く大手を振ってノーマスク散歩ができるようになることを願っています。

 さてまた話は変わりますが、私は季節の音も好きです。と言っても大体は生き物の声なのですが。例えば京都の夏はとにかくセミがうるさいです。クマゼミが多いのでしょうね。一時期はその辺の木に近づくと耳が痛くなるくらいの音量で啼いていました。
 夏の風物詩としてセミも良いのですが、私は夏の夜と言えばカエルの声が好きです。アマガエルの合唱には心地よさを感じます。人によってはうるさいと感じることもあるでしょうが、私は昔から聞いているのでその中でも割と普通に寝られる程度の、心地よい音に感じられます。
 秋は言わずもがな虫の声が聞きたくなりますね。毎年のように「虫のこえ」の一節を思い出して「ウマオイはどんな鳴き声だったかな」などと調べては忘れてを繰り返しています。私は夏が好きなので初秋には夏が終わる寂しさを覚えます。その切なさも含めて虫の声にはエモさ(この表現しか浮かびませんでした)を感じますね。
 冬は日本海側なら良く天気が荒れますね。私も基本的には悪天候は嫌いですが、家の中でぬくぬくと見る悪天候だけは好きです。雪が吹き荒れる窓の外を横目に、風の唸る音を聞きながら本を読むのが最高です。夏の嵐でも同じですね。

 とまあなんだか徒然草みたいな文章になってしまいました。今年の夏はまだ遠いということで、この辺で話を締めさせていただきます。

Edit 22:13 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

進化心理学の話

 こんにちは、double quarterです。

 突然ですが私は最近進化心理学という考え方にはまっています。ということで今回のテーマは進化心理学です。あたかじめ言っておくと、進化心理学の考え方には批判もありますのであまり鵜呑みにせず、あくまで私が最近考えたこと、ということでお許しください。(ネットで調べた程度の知識と自分で考えたことが混じっているのでお気をつけください)

 進化心理学とは大雑把に言えば、人の心理的な傾向が進化によって形づくられているという考え方のことです。定義は色々あるみたいですが、今回の話ではざっくりこのくらいの意味で取り扱います。

 具体例は色々ありますが、本能に近く進化の影響を受けやすい部分として恋愛についての話を取り上げましょう。
人は遺伝子的に遠い人のことを好きになりやすいという話を聞いたことはないでしょうか。これは遺伝的に近い交配が起こると不利な劣性形質(今は潜性形質と言うらしいですね)が遺伝しやすくなり、結果的に子孫を残しにくくなることによります。これは遺伝の仕組みと強く結びついているので進化との関係がわかりやすい例ですね。
ルックスで人を選ぶ際も、人に好まれるルックスというものにはある程度普遍的な傾向があります。これは卵が先か鶏が先かみたいな話になるのですが、進化心理学的に説明がつきます。人には普遍的な美醜感覚が備わっており、それにより良いルックスを持っている人が優秀な遺伝子を持つ人と交配することができ、子孫は生存に有利になるという仕組みになっていると考えれば納得が行きます。(このシステムは人間以外の一部の動物にも見られるものです。鳥の間で結構飾り羽根の綺麗さで優劣がつくのが一例ですね) もし美醜感覚があまりにも人それぞれだったらこのシステムは破綻し、乱雑な交配が起こることでしょう。
 逆に好まれない例を挙げると、皮膚疾患などは悪い印象を与えやすく、時には感染性に関わらず人を遠ざけてしまうこともあります。恋愛に限らず、初対面の人の印象としても影響があるでしょう。これも進化心理学で説明できます。天然痘という病気を知っている方も多いでしょう。天然痘を発症すると顔や身体にできものが大量にできます。他にも強い致死性を持つ病気として皮膚疾患が症状の一つである病気は古くからいくつもあったのでしょう。こうした重大な病気を避けるために、皮膚疾患を持つ人を避けるように進化的な圧力がかかったと考えられます。

 さてまたルックスに関わる話題になってしまうのですが、世の中には高身長男性を優遇する傾向があります。私は身長が低いのでその辺はついつい意識してしまうのですが、どうやら低身長より高身長が良いものとする傾向は人類に普遍的なようです。これは男性は体格が大きければそれだけ力も強く体力もあり、労働に適していたということの表れと理解できるでしょう。
 同性に対する嫉妬という観点ではまた面白い研究結果があります。
 “魅力があり、肉体的に優位で、社会的に力を持つライヴァルに対してもっとも不安を感じていた男性は、自分たちの身長が高ければ高いほど、嫉妬を感じにくかった。(Short men are the jealous type, March 13, 2008)” この結果は言ってしまえば自己肯定感に身長という要素が有意に関わってきているということです。身長という一見無関係な要素が心理に大きく影響を与えていることがはっきりしていて驚きです。
 “この研究では、ほとんどの女性は他の女性の身体的魅力に嫉妬を感じていたが、中ぐらいの身長の持ち主はほとんど嫉妬を感じにくかった。(Your height dictates how jealousy strikes, Universities of Groningen and Valencia, March 13, 2008)” この結果は男性の例に対して非自明に思えます。これについては、” 平均的な身長の女性はもっとも繁殖力が強く健康的な傾向にあるから、似た特徴を持つ女性に対して脅威を感じにくい傾向にあった。(Short men 'are the most jealous’, March 12, 2008)”という仮説があります。性役割的な話になりこの辺は昨今センシティブなので少し怖いですね。ただ生物としての進化に対する人類社会の発展の勢いを考えれば、進化が時代に追いつかないということはもっともだと思います。“時代遅れ”な考え方が遺伝的に残るのも納得です。
 他にもいくつか例はありますが、これだけ見ても身長は他者への印象を大きく左右するということがわかります。

 しかし実際問題人の意志決定を考えてみると、当然遺伝的な要素だけでなく後天的な要素も大きく関わってくるでしょう。これについては遺伝子で決まり、それについては後天的に学習する、という感じに分けられるものでもありません。どちらも欠かせない要因です。ですから社会的、環境的要因を無視するべきではなく、また進化心理学的な要因も当然考慮すべきだと思います。
 過去はこうだったが現在は違うだとか、人間には理性があるから意識改革をすれば差別を改善できるという素朴な考えに反して、我々の行動や思考における無意識や本能の占める割合というのは驚くほど大きいものです。人間の進化及び進化で獲得された心理というものを蔑ろにしていてはきっとどこかで他者理解の壁に突き当たってしまうことでしょう。人間の理性、論理性への信頼を一度忘れてみると面白いことに気づけるかもしれません。

Edit 22:56 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

私にとっての小説の面白さ

こんにちは、double quarterと申します。

 入会して初めて書く文章になるので色々悩みましたが、この機会に自分にとっての小説というものを見つめ直してみようかと思いました。ということで私にとっての小説の面白さを書いていこうと思います。

 人それぞれ小説を読む理由は違うと思います。しかし単純に読んでいて楽しいからという理由の人は多いでしょうし、それが全ての理由でなくとも少なからず皆そうだと思います。また現実から離れたいという理由で読む人もいれば、逆に現実の自分を見つめるきっかけになる場合もあるでしょう。
 私の場合は色々と変遷してきました。小さい頃は物語は基本何でも好きで、ジャンルをあまり気にせず気になったもの、与えられたものを読んでいました。それからしばらく小説から少し離れていたのが、最近になって小説の魅力を再発見しました。

 現在の私にとって小説の魅力というものは、端的に言えば自分の中にある矛盾を突きつけられることです。というよりそういう小説を好んでいると言った方が適切かもしれません。単純に矛盾を突きつけられることを考えると苦しいばかりではないかと思われるかもしれません。しかし無意識の自己矛盾に切り込むということはすなわち新しい考えの導入であり、それに自分なりの答えを(時に小説の力を借りて)出すということは非常に刺激的な営みだと思います。
 しかし同時に小説のその側面を重要視するのであれば評論や哲学書の方が効率的なのではないかとも思えてきます。実際内面に切り込む作品というものは哲学書からインスピレーションを受けている場合も多いです。もちろん私にとってはそれらも同じ理由で刺激的なのですが、一方で小説にしかない魅力というものもあるのではないかとも思っています。今回この文章を書くにあたってその辺も含めて一度色々と考えてみました。

 第一に、小説は面白いです。これは同意していただけると思います。私は詳しい理由を知りませんが物語というものは普遍的に人をワクワクさせます。読みやすく、それでいてほどよく考えさせてくれるようなバランスを保っているからこそ、何かを問いかける小説というものは魅力的なのだと思います。
 とはいえこれについてはあまりに普遍的すぎて私が書いても陳腐になってしまいそうなので、深くは掘り下げないことにします。

 第二に、小説の没入という機能です。例えばトロッコ問題なんかを考えるとき、ただ問いを突きつけるだけだとそれはどうしても他人事になると思います。一方、小説を介して似たような状況を順を追って導入し、こうした問いを読者に投げかける場合はどうでしょうか。きっと読者は登場人物に親身になって考えます。それに留まらず、その後が小説で描かれれば、思いもよらなかった結論を目にしてまた考えが変わったりもするでしょう。
 言い換えれば、小説はifというものを現実味を伴って突きつけることができます。普段おかれている日常という舞台設定から切り離し、小説で用意された世界の中に読者を置くことで効果的に問いかけることができます。同じ物事に対しても、客観で考えるのと主観で考えるのとでは全く違います。体験できなければ考えもしないようなことを疑似体験できるというのはとても興味深いことだと思います。

 そして最後に三つ目は、意図的に読者の視点を歪ませていくことができるという点です。この書き方ではちょっと人聞きが悪いですね。具体例をあげます。有名な話ですと夏目漱石の「坊ちゃん」なんかが例としてあげられます。この作品は主人公が割と非常識的な行動をすることが多いのですが、読んでいると非常識だと思わずに読み進められてしまいます。(実際私も読んでいてほとんど違和感を覚えませんでした) 
 これにより一度自分から離れた考えで小説を読み、その後ふと別の登場人物の視点に立ったりその人の言を聞いたりして考えてみたら全く違う考えが浮かんでくることがあります。その自分の中に生じた相反する正しさというものをどう統合して取り入れるかというところに面白さがあると私は思います。
 私が良くとる手法としては、両者の主義主張の根底となるものをできるだけ深く掘り下げていき、どこで袂を分かったのか探るという方法です。(この場合前提として深いところでは皆共通する考えを持っているという仮定を用いているので、一般性に欠くという問題はありますがそこには一旦目をつむります。)その結果として実は片方の考えには論理的整合性が欠けていて、全くの思い込みもしくは社会的通念という(論理的でなかったり本能的だったりする)自然発生(理性による論理の対義語の意味)した考えだったという結論が導かれることがあります。
 その発見が根本的であればあるほど衝撃も強いです。例えば「絶対的価値だと思っていたものが絶対ではなかった」という発見がこの例としてあげられます。この辺りを具体的に説明すると長くなってしまいそうなので、また別の機会があれば言語化を試みたいと思います。
 またもちろんそうした登場人物への共感、視点の共有という誘導に揺らされないように抗いながら小説を読むということも楽しみ方の一つとなりえるでしょう。自分との違いを常に意識しながら読むことでそれは達成されます。その場合でもこう説明されたら確かにそう考えざるを得ないな、と考えが変わることなどは当然あると思います。結果としては全く考えが変わらなかったとしても自分とは違う価値観を知るということは当然面白いはずです。

 少々長くなってしまいましたが私の小説観は以上です。しかしこの手の文章を書いていると思うのですが、前提として持っている認識が異なる相手にこの文章で果たして伝わるのだろうかということが甚だ疑問です。実際私は高校時代に評論を読んでいて不親切さを感じることが多かったのですが、いざ自分がそれの真似事をしてみると全員に伝えることの難しさが身にしみてわかります。その辺の問題を突破されている物書きさん達の凄さを実感します。

 それでは最後まで読んでくださりありがとうございました。

Edit 20:30 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:小倉
中旬:暮四
下旬:double quarter です。

 

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