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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2023-04

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「セリフ、難しい」

 こんにちは。十二月中旬担当の谷川慶です。
 突然ですが、自分はセリフを書くのが好きだなという自覚がありまして、地の文なんて一刻も早く切り上げてセリフが書きてえ! と思うこともしばしばあります。感情を表現するときに、できることなら、十の地の文より三のセリフで表現したい、なるべくリアルで感情の乗ったセリフが書きたいと思うタイプです。厄介です。そんなことにこだわってるから筆が進まないんだよまったく。
 もちろん、現実に近いリアルなセリフがその小説にとって常に良いとは限りませんし、話を進められればそれで良いという向きもあると思います。が、不自然なセリフよりは自然なセリフの方が良いはず――という精神で、自分がセリフについておぼろげに考えていること(や誰かの受け売り)を書いてみようと思います。

①噛み合わない
 人間、意外と相手の言ったことにまっすぐ返答することって少ない気がします。しょうもない話に逸れたり、一歩先を読んだ返しをしたり……。例えば「こんにちは」と挨拶されたとき。普通の人物、キャラなら「こんにちは」と返すでしょうが、それ以外の返答にしてやることでその人物の性格や感情が分かりやすく表せます。「あ……ども」「こん……あ、髪、切った?」「もう夕方だぞ、早く準備しろ」「ね、俺いつも思ってんだけど、『こんにちは』って並べ替えたら『ニコチンは』になんだよね」とか。ストーリーを進めるうえで必要なセリフだけ言うのでもいいのですが、一見関係ないと思っていたセリフが終盤で再登場したりしちゃう展開が私は好きなので――無駄話バンザイ。

②一貫性のある話し方をする
 話し方というのは人物ごとにみな違い、そして身についた話し方はなかなか変わらないものです。作品の中で、このキャラはこういう喋り方、という一貫性を作っておくのも当たり前ですが大切だと思ってます。というのも、その人にとって〈普通のセリフ〉があれば〈特別なセリフ〉も生み出せるからです。普段大人しい話し方をする人が荒い言葉を使えば、本当に心から怒っている、あるいは逆に冗談を飛ばしている、などの心情が伝わりやすくなります。ずっと敬語だった友人が、ふとタメを使えば、心を開いて仲良くなったことが印象的に伝わります。俗っぽく言えば、ツンツンツンツンデレみたいな感じです。徹底してツンツンした後のデレからしか得られない栄養があるのです。そのツンツン部分に妥協せず、一貫性を持たせることで、話の山場のデレの威力が上がるのです(何の話?)。

③既存の言葉を改造する
 人間、案外適当な言葉で話してますから、すでにある言葉、成句、ことわざなどを魔改造しちゃうこともあります。雑な例ですが「可及的なるはやで」「(朝飯前じゃなくて)昼飯前だぜ!」「おーい……もうそこの猫でいいや、手ぇ貸してくれ……」とか。

④口に出して違和感がないようにする
 これに関しては正直好みというか、口語に近ければ良いというものでもないので場合は選びますが、実際に人物が発する言葉なんだから現実で言っても違和感がない方がいいだろうとは思います。小説的な面白さを全否定している自覚、これあります。自分は小説を書いているときでも割と場面を画でイメージする方なので、現実世界でありえる話し方をなるべく再現したい派として、実際に声に出してみたりしてセリフを書き変えたりしています。しかし当然、表現としてあえて固い口調を選択したり、ストーリーのテンポを上げるために不要な部分をカットしたりしている場合もありますし、本当に現実の会話を再現したら、「あっ……」とか「えっと、その……」ばかりになってしまいますから、ま、ほどほどにってことです。

 と、ここまでどうちゃらこうちゃらと書き連ねてみましたが、こんなのは所詮小手先のこねくり回し、結局は書きたいように書くのが一番だと思います。ただ、せっかく何か喋らせるならこだわったほうが楽しいかなーと、そんな感じで僕はセリフと格闘してます。ところで、創作での会話術の前に、現実世界での会話術を誰か私に教えてください。それでは。


「――ま、てな感じかな。どう思います? これ、この文章」
「んーそうね。なんて言えばいいんだろ。これブログのやつだよね? だよね。まあ一言で言うと……ちょっと分かりづらいかな」
「えぇー! まじですかぁ」
「なんかね……話が脇に逸れすぎだし、中身も浅い。自分で自分にツッコミいれてるのも読んでてイタイ。あと、偉そうにう――」
「あーはいストップ! オーバーキルです無理っす僕もうライフゼロです。分かりましたありがとざんしたぁ!」
「急に大声出さないでよこんなところで。せっかく今からお褒めの言葉も贈呈しようと思ってたのに」
「え、贈呈ナッシングですか。お褒め欲しいですお褒め。ほら、僕もおだてりゃ何とやら」
「どうしよっかなあ……あははっ、まあ私はこの文章けっこう好きだぜ、ってこと」
「何すか急に、だぜって」
「はいとにかく。早く修正してさ、間に合うよう――あ」
「あ……。投稿、しちゃいました」

Edit 12:43 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

エイサクの話

 10月です。後期です。当初の予定の五分の一も達成できないまま堕落した夏休みを過ごしてしまった、9月下旬担当の谷川慶です。

 更新が少し遅れたのには理由がありまして。ブログに出そうと書き上げた例の城崎のレポートを、諸事情により一旦封印することになってしまいまして、ブログにあげるものがなくなってしまったのです。そういうわけで、今回は突貫で仕上げた適当な日記でもあげることにします。


 夏休み前、吉田南の図書館でぶらぶらと本棚を見回っていると、一冊の本を発見しました。岩波文庫『二十四の瞳』でした。昭和初期から戦後の時代を舞台に、瀬戸内の一寒村に赴任した若い女性教師と十二人の生徒のふれあいの物語。名作といわれている作品らしい。その本が特段目立っていたわけではなかったのですが、「ああ聞いたことあるけど読んだことはないな」くらいの軽い気持ちで手に取りました。パラパラとめくっていると、一枚の紙が挟まっていることに気づきました。その紙には鉛筆でこんなことが走り書きしてありました。

「岩波文庫 G 212-1  ツボイエイサク」

 誰かの個人的なメモか職員さんの蔵書管理のメモが挟まれたままのかな、と思いました。そしてすぐ違和感を覚えます。あれ、二十四の瞳の作者ってそんな名前だったっけ。

 二十四の瞳の作者の名前は「壺井 栄(ツボイ サカエ)」でした。表紙と背表紙を見ると、はっきり書いてあったのです。
 「壺井 栄作」と。

 他の本を見てもすべて名前の最後が「作」になっています。どうやら岩波文庫は、人名の後にすぐ「作」や「訳」を書く流派のようでした。壺井と栄の間はスペースが空いているのに、栄の直後に作があったのでは、これは一連の下の名前だと勘違いしても仕方ありません。特に運が悪いことに、壺井栄は「栄作」というそれらしい名前になってしまうために、間違えてエイサクと読んでしまったのでしょう。壺井栄は女性なのに、一文字付くだけで「栄作」という明らかに普通の男性の名前になってしまうのも上手い偶然です。「芥川 龍之介作」なら絶対に「リュウノスケサク」などとは間違えなかったはずなのに。

 何かの縁だろう、とそのまま借りて帰って、二か月。結局読まずじまいのまま夏休みが明け、今日図書館に返却しました。もちろん紙は挟んだままで。もしかしたら、探しに行けばまだ紙が挟まってるかもしれません。

 はい、特に面白いオチはないです。この類の勘違い、ミステリーか何かの小ネタに使えるんじゃないかと思ったり思わなかったりしましたが、僕では上手く料理できそうにないので日記的な感じで雑然と書き残しました。

 封印した城崎レポートは、またしばらくしたら出すかもです。写真付きで結構頑張って書いたのでいつかはあげたいなあって思ってます。それではー。

Edit 00:16 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

作品遍歴

 はじめまして。7月中旬担当の谷川慶(たにがわけい)と申します。理学部1回生です。ゆっくり書いたり描いたりしていきたいと思ってますので、これからどうぞよろしくお願いします。

 今年の4月に入学したばかりだと言うのに、「なるほど、これが大学生か。楽しいなあ」などと思いながらのらりくらりと過ごしていたら、もう前期が終わってしまいそうです。そして御多分に漏れず落単の危機に瀕し、期末試験直前のこんな時期になって、「なるほど、これが大学生か。単位欲しいなあ」などと思い始めているわけです。

 さて、初めてのブログなので何を書こうかと悩みましたが、私は自己紹介も兼ねて、自分が今までどんな作品や創作物に触れてきたか、という作品遍歴を書こうと思います。同じ作品を知っている人から話しかけられやすくなるんじゃないか、という友好上の作戦であり、ただの自分語りでもあります。初回から作品名をバンバン出しまくるのはどうかとは思いましたが、何でも書いていいという言葉を信じてまとめてみることにします。

 小学校低・中学年の頃は斉藤洋さんの本を読み漁っていました。全作品読破してやろうとしていた覚えがあります。読みやすいものから高学年向けのものまで数多くあるので飽きずに次から次へと読んでました。他には岡田淳さんの本や『ダレン・シャン』シリーズですかね。高学年では『獣の奏者』とかを読んでいた記憶がありますが、小学生の記憶は割と薄くなってしまっていてあんまり覚えてないです。漫画はワンピース、名探偵コナン、ドラえもんとかメジャーなものを。ゲームはポケモンBW、BW2世代です。

 中学生になると、自分で文庫本を買って一般文芸を読み始めるようになりました。ラノベや純文学のような作品は少なかったですが、なるべくジャンルや作者にこだわらずに幅広く読もうという信条のもと、まあ色々と読みました。小中学生の頃が今までで一番読書していた時期だと思います。中でも印象深いのは辻村深月さんの『冷たい校舎の時は止まる』です。2日で読み切るほど面白かったのに加え、これがデビュー作なのかよ、という強烈な驚きがありました。ベテランならまだしもデビュー前からこんな大長編書くって、どんなだよ……っていう衝撃です。実際はもっと長いものを書く作家さんもたくさんいるのですが、中学生の自分にとってはこれが衝撃で、小説家という存在の凄さを初めて意識した作品でした。2年連続この本で読書感想文を書くくらい好きで(考え直すのが面倒だっただけ)、今でも辻村さんの作品はよく読みます。漫画は引き続きジャンプ系のワートリ、ヒロアカとか今でも読み続けている作品など有名どころを。他にも父が持っていた手塚治虫の火の鳥やブラックジャック、星野之宣さんのブルー・ワールドや星を継ぐものを読みました。ゲームは妖怪ウォッチやぷよぷよテトリスをしていて、特にこれ以降はぷよテトにしか熱中してません。

 高校生になると勉強に偏り始め、あまり本は読まなくなりました。本を読まない一方で1年の頃は『アンナチュラル』などのドラマを観ることが多かったのですが、2年になってから急速にアニメにはまりだし、そして今も抜け出せない沼の中にいます。特に影響を受けたのは『CLANNAD』と『宇宙よりも遠い場所』で、この2つには総合表現としてのアニメーションの力を見せつけられました。今でも毎クール7作品くらいは見ていて、過去作含め他にも好きなアニメ作品は山ほどありますがキリがないのでここらで止めておきます。

 ずいぶん長くなってしまいましたが、最後に最近読んだ本や今読んでいる本、漫画を挙げてみます。

・伴名練『なめらかな世界と、その敵』  ・宇佐見りん『推し、燃ゆ』  ・魚豊『チ。―地球の運動について―』

 こんなまとまりのない自己主張文1本だけ出しておくのも何とも小恥ずかしいので、可及的なるはやで2回目を書く機会が来ることを願っています。それでは!

Edit 13:25 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:西桜
中旬:谷川
下旬:安野 です。

 

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