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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2009-02

あなたのお名前なんてーの?

お晩です。八墓です。
名称未定の例会は毎週水曜日の18時くらいからです。
が、今日は時期が時期なこともあって、来てた人数はいつもの半分以下、ルネ閉店前の解散などという珍しい事態でした。


その対象が本物の子供ならば尚更ですが、作品に登場するキャラクターの名づけというのは難しいですね。
個人的に避けたいのは、まず「特定の個人を連想させ得る名前」。政治家、スポーツ選手、芸能人などと同じで稀有な姓でおこりうるものだと思ってます。
例えば、木佐貫、仁志、下柳、里崎、東出、立浪、岩隈、等。
見る人が見れば分かりますが全て野球選手ですね。ある程度知ってる人なら、これだけでも全員の顔と名前が一致すると思います。
逆に、「普通にいそうな名前」というのもちょっと避けたい。主にゲーム作品に多数出演している某声優さんも、「あまりそこらにいなさそうな名前のキャラを演じたのが多い」と言ってました。

外人名というかカタカナ名でも前者の方は少しは意識します。例えば、「シュワルネェネッガー」と言えばもはやカリフォルニア州知事しか連想されませんし。
でも後者の方はいまいちピンとこない。これは、私が日本に住んでいる日本人である以上ある意味当たり前だとも言えます。
そんな訳で、カタカナ名を付ける際は、「日本語としての語感」を重視している癖が私の場合などはあります。もしかしたら外国人の方からすればものすごく奇妙なネーミングをしている可能性も否定できない……

未定ではなく個人で描いている「かこもん!」という作品(※ごく稀に出張版のようなものを未定の冊子に掲載する場合もあります…)の登場キャラは露骨にモデル、というか元ネタがいるため比較的名付けのハードルは低かったのですが、それでもそれなりに難航した経緯がありましたね。
不思議な事ですが、名付けた時点ではそれほどの思い入れがなくても、しばしば時と共に情がキャラクターにうつってきます。同時に、良い感じに動いてくれるようになります。
妄想癖のケがあるだけ、とか言われるかもしれませんが、やはり名前は二次元のキャラクターにとっても重要なもの、より納得のいく作品を描(書)けるようになる為にも良い名付け親であろうと思いますよ。

ちょっと強引かな……

<八墓ゆう>

Edit 02:23 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top

いーつかーって何時?

ブログ初書きの端本昴です。

 最近考えてる絵の練習論を文章化してみようと思います(仰々しく言わんと描けばいいじゃん、と自分でも思うんですけどね・・・・。手より頭が先に動く性質なんです)
 絵の練習ってめんどい。ただのべっと描きちらすのは気楽で楽しい。
 でも、 漠然と描いていると結構細かいところで困ってしまいます。上向いた顔の両サイドのラインは?怒鳴ってるひとの顔の輪郭は?浴衣の袖はどう垂れるんだ?中学生くらいの子の着るような可愛い服のデザインは?腕の肉の付き方ってどうなってる?etc......
 資料を見て模写したり静物デッサンぽいことをやってみるけれど作業自体が退屈に感じてしまい(変なところで完璧主義なんですよね・・・)、長続きしない。で、描けるもののストックが乏しいままなんとなく描くと、「左頬を手前に向けて」「微笑んで」「座っている」「女の子」ばかりに落ち着いてしまいそうになる。練習→退屈→描けるものが増えない→ぱっと描けなくてイラッと→思い出して練習→退屈・・・の無限ループ。にはまってしまうとしばらく描く気が失せてしまいます。
 
 絵の練習としてぱっと思いつくのは部分的なデッサン・アタリをざっと採る練習・デフォルメの仕方を模索する・といったところか。そしてそれらとは違う平面に載る描きとして、作品や原稿を作る・キャラデザをする・スケッチをするとかがある。前者から得られる(気がする)ものが、今の自分には切実に欲しい。前者に属する作業は、「こう手を動かすと(筆遣い・画材の選択も含め)こう描ける」「こう描くとこういう印象の物になる」という経験を積み重ねること。それを身体に徐々に染み付かせていって、後者の描きのなかですっと使えるものにしていくことで、描きたいものを描きたいように描ける境地に近づけるのではないかしらん。

 描かなきゃ~と焦っているときには、後者の描きの中で無理やり前者の「練習」をこなそうとしているのだ。資料を見れば多くのものはそれなりに描けるわけで、描けたらそれをつい全部作品の中に盛り込みたくなってしまう誘惑に私は大抵の場合抗えません。それでいろいろな情報元から作られたごたまぜみたいな絵になってしまうのだなぁ・・・。上手い描き手さんは、描くことができるものをひけらかすのではなくて、「こんな感じを描きたい(描くことを求められてる)」というイメージを最大限描き表せるように手持ちの技術・記憶・想像力を制御して(見方をかえるとそういう制約の元で)作品を構成していくのだろう、と私は想像します。またそういう意味で、絵のリアリスティックさと絵の上手さは独立事象だと思っています。
 
 もっとも、練習は練習、作品作りとは違う物だね、とアプリオリに切り分けて意識してしまうとかえって上手くかけない気もします。練習は練習で楽しむ心の余裕(仕事じゃないんだし)は持っていたいとおもいます。
 結局思考モデルなんて、実際の人物・事件とは一切関係ありません、ぜんぶウソッパチです!!と言い切って脇においておくほうが健康なんでしょうね。
 以上。寝ます。端本昴でした。

P.S. 眠れなくなるBGM

歌のお姉さんの美声と裏腹の歌詞でガクガクブルブル(゜д゜)。

[端本昴]

Edit 06:46 | Trackback : 0 | Comment : 1 | Top

DMC! DMC!

 予定より一日遅れてしまいましたが、夏も春も宿題のない不届きな学部に所属している、雫(しずく)です。会計を担当しています。もっぱら字書きです。正式な名前は「絳河熾織(こうかしおり)」あるいは「徒桜の雫(あだざくらのしずく)」ですが、普段は「しずく」と呼ばれているので、ここでは雫と名乗りたいと思います。

 さて、タイトルの「DMC」ですが、昨年映画化された人気漫画作品の略称ではなく、僕が21日に参加したとある声優のライブのツアータイトルの略称です。諸事情により前日の睡眠が45分という状況で3時間激しい運動をし続けたので、今はあちこちに痛みを抱えています。
 ところで、いま話題に出した声優は、いわゆるアイドル声優の一人として認識されることが多いようです。手元の新明解国語辞典をひも解いてみると、アイドルの項には「限りなき崇拝/憧れ/寵愛の対象となるもの」と記されています。アイドルを漢語に直せば「偶像」になりますから、ファンはそのアイドルを「信仰」していると表現しても間違いではありません。では、その信仰はいったい何を担保として成立しているのでしょうか。言い換えれば、アイドルをアイドルたらしめているものはなんなのでしょうか。
 答えは様々にありましょうが、僕が出した結論は「個個(every)性」とでも表現されるものです。アイドルは、常にファン一人一人のことを顔を思い浮かべながら全体のことを考えている、そう思います。全体(all)だけでもなく、傑出した個(only)だけでもなく、その両方の調和を絶妙のバランスでもってしてみせることが、アイドルに課せられた大きな条件の一つだとは言えないでしょうか。でも、例証するのはやめておきます。恥ずかしいので。

 何故こんな話になってしまったのか自分でもよくわかりません。前回の投稿までの流れをぶっちぎってしまいましたが、御赦しください。だって、このネタで書くために、今日(昨日?)の日に投稿することにしたのですから。え、サークルの活動内容に関係ない? 名称未定は「every」を大切にするサークルです、と言いたかったことにしておいてのですよ、もちろん。


Edit 02:02 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:日比谷
中旬:安野
下旬:西桜 です。

 

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