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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2009-04

その懐で眠りにつく

 一度書いて投稿した記事がサーバー落ちで消えた白藤です。「下書きを保存しました」という表示は嘘だったのですか、fc2……。

 教会ネタが出たので便乗。
 私はキリスト教的な意味で神様がいると思ったことはありませんが、教会建築や儀式の美しさ、荘厳さ、信ずる者の敬虔な心には胸を打たれるものがあります。創作欲が掻き立てられますね。
 よしけむさんがどのような教会をご覧になったのかは存じませんが、観光先として名の知れた教会は、敬虔な祈りの場というよりは、歴史と、感謝、畏敬、悲しみを記憶する場という性質を色濃く備えています。過去代々の君主や聖職者、文学者が半分、そしてヨーロッパが急速に脱宗教化していった時代(カトリック再興などについては横においておくとして)、つまり国民国家の勃興以後の時代の追悼碑的なものが残りの半分のスペースを占めている、というのが私の印象です。特に後者は、その期間の短さに比べると非常に多くのものがあります。純粋に神と人とを繋げるための要素とはいうと、それらに比べると、ぐっと少なく感じられます。
 薄明かりに包まれた、ひんやりと肌を撫でる空気の中に足を踏み入れると、ため息をつきたくなるほど荘厳な気配を感じます。かつて、今ほど教会がそれらのものに埋め尽くされていなかった時代、人は美しくかたどられた透かし彫りから差し込む光に神を見たのでしょう。現代においても、敬虔な方はそうなのかもしれません。けれど、教会中に刻まれた文字を読んだ後、もう一度高い天井を見渡すと、そこには神が佇んでいるのではなく、その国の歴史や、その中を一瞬にして通り過ぎていった人々の想いが、降り積もっているような気がするのです。

 上で教会建築などに創作欲を掻き立てられると書きましたが、実は物語に落とそうとして成功したことはありません。その存在はあまりに複雑で、とても小説に書き込めるものではないのです。少し違うかもしれませんが、事実は小説よりも奇なり、ということでしょうか。

 下に、上述の人々の感情の記憶(歴史学界隈の人間はこれを集合的記憶と読んだりしますが)の例を書いています。話としては脇に逸れているので、詳しくは追記で。

Edit 21:37 | Trackback : 0 | Comment : 4 | Top

ゲームで許されること It's a riddle-riddled world

どうも、よしけむです。
最初に言っておきますけど、ソフ倫とかは全く関係ない話です。
今日は、ゲームと小説での物語の組み立て方について下らないことをつらつらと書いてみようかと思います。お暇な方はお付き合いいただければ幸い。

Edit 18:48 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top

ジブン、それオモロイなぁ

エントリタイトルは関西弁のイントネーションでよろしくお願いします。
どうも、よしけむです。
今日は、「自分のキャラに言わせたい台詞」についてぼちぼちと下らないことを語ろうかなぁと思っておりますので、お暇な方はお付き合いいただければ幸い。

Edit 23:06 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

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