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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2014-07

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RIB!

こんにちは、燕子花です。暑いですねー、まだ7月ですけど。8月もあるんですよー。まだまだ暑い日は続きますよー。

ところでタイトルのRIBですが、

Edit 16:34 | Trackback : 0 | Comment : 2 | Top

人間の同一性について

二回の白澤です。
本当は自己紹介がてら創作論とか書きたかったのですが、一年ほどここに所属していてもあまり蓄積されてこなかったのであまり語れることはありません。強いて言えば、「考えるより書く」ということを大事にしています。

それはさておき、ちょっと前に友達と「人間の同一性」をめぐって議論になったのでそれについて書きたいと思います。簡単に言いますと、「人間は何をもって同じ人間と言えるのか」ということです。

そもそもの発端はドッペルゲンガー(ここでは人間と出会うと体を乗っ取ってしまう幽霊的なもの)について話していたときです。ドッペルゲンガーがある人物を乗っ取り、その人物になりきろうとした場合、最終的にそいつは本人になるのでしょうか。私はそうなるとは思えませんが、友達によると同じ環境で育つことによって徐々に中身も漸近していくのだそうです。

ところで、人間は「人格」「記憶」「体」の三つにより構成されているとみることが出来ます。ではこのうちのどれが欠けていれば違う人間となり、どれがそろっていれば人間ではないのでしょうか。よく「外見で人を判断してはいけない」「人間は外見より中身だ」というようなことは言われますし、「体」ぐらいは異なっても同じ人間と言えるような気もします。記憶についてはどうでしょうか。記憶喪失になった人を同じ人間として見ることは出来るでしょうか。とはいえ記憶喪失になった人間に対して「お前はもう元のお前ではない」と言い放つことは問題があるような気がします。最後に「人格」ですが、これについてはわかりづらいです。記憶の違いや体の違いは客観的な基準で判断できますが、そもそも人格については主観的にしか「異なる」という判断が下せない気がします。さらに人間の人格は変わりゆくものです。ドッペルゲンガー的なものが出てこなくても、衝撃的な事件に直面するなどすれば人格が変わることはありえる気はします。

というようなことを議論していたらすごい時間が経つのが速かったです。また、この議論で気が立って無関係の友達に議論をふっかけて論破しようとし、非常に迷惑がられたこともありました。結論を出すことはなかなか難しいですが、議論をすることは楽しかったです。

Edit 00:05 | Trackback : 0 | Comment : 5 | Top

あっはっはもう7月ですねー。(ぱくり

時空のゆがみなんて気にするな。
新入生にして新会員、ピカピカのニューカマーにして廃人ならぬハイジならぬ俳人、大雅です。
ペンネームではない、俳号だ(ドヤ

…とはいえ、実際のところは、本名の下の名前でしかありませんが。うふふ。誰だかわかっちゃいますね、これ。こわいこわい。


初めての投稿なのでながーく書いちゃいました。許して。
さてさて、この「名称未定」なる奇奇怪怪にして面妖極まる創作集団にわたしが加入してから、少しが経ちました。
第一印象から相も変わらずここは変人ばかりで面白い、かつ、普段あほなことばっかり言ってる先輩が(誰とは言いません)総会になると急に真剣そのものの顔を見せるという具合でして、
なにここイケメンの香りがする。みなさんイケメン。ううん、もはやイエメン。きゃっ。

新入生としてちやほやされている間はなかなかに楽しいものですが、
さくらさくらは飛花落花、楓が青々とした若葉をつけ、松の花が天高くいきり立つ季節を経て
今や空梅雨明け近しとなってきましたので
そろそろ本腰を入れてわたしも「創作」に目覚めねばならないようです。

俳句を投稿したとして、では果たしてどの程度の方がわたしの俳句をわかってくれるのか、そこにはもちろん不安があります。
しかし、わたしはひとりの俳人としてなるべくやりたくないことがあるのです。
それは、自分の俳句にあれこれと自分で説明を付けて理屈っぽくしてしまうこと。
説明すれば意味はわかってくれるかもしれません。しかし、一句をもってすべてを語る俳句的精神がくすんでしまうのです。
だから、わたしの句、およびいろいろな俳句は、まず初めに、解説なしで読むことをおすすめします。


俳句は季語と切れ字(や、かな、けりなどの詠嘆その他意味の切れ。「切れ痔」ではない)がいのちです。
それらを最大限に活用して、ひとつのものごとをズバッと言い切る、
あるいはただそこにある物象を、ずん、と石碑のように置き示す。
時に軽やかに、時に力強く、そして時に徹底的な客観写生によって自然・人事をとらえる。
それをあえて十七文字というきわめて少ない字数の世界に閉じ込めて、逆説的に無限の広がりと内奥をつくりだす。
そういうもんが、俳句なのであります、などとえらそうなことを言ってすみません俳人ガチ勢の方々にあやまります(テヘペロ

まあわたしも心の中ではガチ勢でありますが。
いつか名実ともに俳人となりたいものです。


とはいえ、せっかく創作サークルに入ったのですし、俳句以外にも小説とか詩とかやってみたいな。やってみようかな。高校の頃はやってましたけど、「俳句一本でいく!」と四月に決めました。はい、もう進路変更です。いいんです。
だってわたし若いんですもの。まよってまよって、意外と別なところに落ち着くことがあったって、いいでしょ。


えー、ここで一句(などという俳人は見たことありませんが)


いつまでも名称未定たる溽暑 大雅


ではでは、長くなりましたが、ごきげんよう。

Edit 01:13 | Trackback : 0 | Comment : 3 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:日比谷
中旬:安野
下旬:西桜 です。

 

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