時空のゆがみなんて気にするな。
新入生にして新会員、ピカピカのニューカマーにして廃人ならぬハイジならぬ俳人、大雅です。
ペンネームではない、俳号だ(ドヤ
…とはいえ、実際のところは、本名の下の名前でしかありませんが。うふふ。誰だかわかっちゃいますね、これ。こわいこわい。
初めての投稿なのでながーく書いちゃいました。許して。
さてさて、この「名称未定」なる奇奇怪怪にして面妖極まる創作集団にわたしが加入してから、少しが経ちました。
第一印象から相も変わらずここは変人ばかりで面白い、かつ、普段あほなことばっかり言ってる先輩が(誰とは言いません)総会になると急に真剣そのものの顔を見せるという具合でして、
なにここイケメンの香りがする。みなさんイケメン。ううん、もはやイエメン。きゃっ。
新入生としてちやほやされている間はなかなかに楽しいものですが、
さくらさくらは飛花落花、楓が青々とした若葉をつけ、松の花が天高くいきり立つ季節を経て
今や空梅雨明け近しとなってきましたので
そろそろ本腰を入れてわたしも「創作」に目覚めねばならないようです。
俳句を投稿したとして、では果たしてどの程度の方がわたしの俳句をわかってくれるのか、そこにはもちろん不安があります。
しかし、わたしはひとりの俳人としてなるべくやりたくないことがあるのです。
それは、自分の俳句にあれこれと自分で説明を付けて理屈っぽくしてしまうこと。
説明すれば意味はわかってくれるかもしれません。しかし、一句をもってすべてを語る俳句的精神がくすんでしまうのです。
だから、わたしの句、およびいろいろな俳句は、まず初めに、解説なしで読むことをおすすめします。
俳句は季語と切れ字(や、かな、けりなどの詠嘆その他意味の切れ。「切れ痔」ではない)がいのちです。
それらを最大限に活用して、ひとつのものごとをズバッと言い切る、
あるいはただそこにある物象を、ずん、と石碑のように置き示す。
時に軽やかに、時に力強く、そして時に徹底的な客観写生によって自然・人事をとらえる。
それをあえて十七文字というきわめて少ない字数の世界に閉じ込めて、逆説的に無限の広がりと内奥をつくりだす。
そういうもんが、俳句なのであります、などとえらそうなことを言ってすみません俳人ガチ勢の方々にあやまります(テヘペロ
まあわたしも心の中ではガチ勢でありますが。
いつか名実ともに俳人となりたいものです。
とはいえ、せっかく創作サークルに入ったのですし、俳句以外にも小説とか詩とかやってみたいな。やってみようかな。高校の頃はやってましたけど、「俳句一本でいく!」と四月に決めました。はい、もう進路変更です。いいんです。
だってわたし若いんですもの。まよってまよって、意外と別なところに落ち着くことがあったって、いいでしょ。
えー、ここで一句(などという俳人は見たことありませんが)
いつまでも名称未定たる溽暑 大雅
ではでは、長くなりましたが、ごきげんよう。
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01:13 |
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