これから絵を描き始める人へ
長い春休みが終わり, 春光うららかな季節になりました. 大学には珍しく人があふれ, 新生活に胸を躍らせてその純粋な目を輝かせた一回生が, 南部構内を賑わしています. 不安を抱きながらも名称未定の扉をたたく新入生の初々しさは, たいへん趣深いものです. 今はやる気と活力に満ち溢れた彼らは, やがて堕落し, 1か月もたてば徐々にこのキャンパスから姿を消していくわけですが, 欲望に染まり闇へと堕ちていく彼らの姿にはカタルシスを禁じ得ません.
さて, 今回はしっちーがブログをお送りします. 私は二年前の春からイラストを描いているのですが, 描き始めた頃からずっと作画崩壊に悩まされています. そして最近になって, いい加減作画崩壊に決着をつけようと, 人の顔と人体の描きかた, その構造を一から学び直すことにしました.
初心に立ち返って絵の描き方というものを見直していると, 私としては色々と思うところがあります. 今回はその辺りを語ることにし て, テーマは「これから絵を描き始める人へ」としましょう. ちょうど, 名称未定に新しく入って絵を描き始めようと思っている読者も多いことでしょう. 具体的に絵の描き方を細かく述べるわけではなく[註1], 絵を描く上での抽象的で精神的な方針を語りたいと思います. ただし私は一枚絵しか描かないものですから, 漫画等のことはよくわからないもので, 一枚絵以外に関しては微妙に当てはまらないこともあるかもしれません. 逆に, イラストだけでなく創作全般に当てはまることもあるかもしれません.
まずは絵を描く上で最も重要なことをお話ししましょう.
もっと, 熱くなれよおおおおおおおおお!!!
この一言に尽きます. 誰しも自分の好きなものを描いているときは本気になれるはずです. 例えば美少女が好きなのであれば, いま描いている美少女に対して手を抜くことはできないでしょう. 髪の毛のなびき方はこうでなければならないとか, 太腿のラインはこうでなければならないといった直接的なこだわりが出てくるだけでなく, その少女が着ている服のデザイン, 周囲の背景, 環境光や構図などに関してもこだわりたくなるのではないでしょうか. その「美しく表現したい」という, 煮えたぎるマグマのような心の熱さを自覚し、何よりも大切にしてください. これこそ, 絵を描く上での最大のエネルギーです.
誰しも, 自分が愛してやまない存在が何か一つはあるはず. 建物を愛し, それを描くことに熱くなる人. ある特定のキャラクターを愛し, それを描くことに熱くなる人. あるいは, 特定のシチュエーションや人間関係といった, 形のないものを愛する人もいるでしょう. 自分が愛してやまぬ, それに関して底なしに熱くなれるものを探してみてください. [註2]
熱い血を燃やし続けている限り, 作品の質は上がり続けるはずです. それは至極当然のことで, 熱くなっていればいま描いている作品に手を抜くことなどできるわけもなく[註3], 書店やネットにいくらでも転がっているイラスト講座を見ないわけにはいかないからです. 強制的かつ自動的に, 画力や表現力, 作品の内容は磨かれざるを得ない. もっと熱くなれよ. 熱い血燃やしていけよ. 人間熱くなったときが, 本当の自分に出会えるんだ!だからこそ, もっと, 熱くなれよぉおおおおおおお!!!
絵を描く上で重要なことをもう一つ語っておきます. 絵描きの道を志す人は, ほぼ例外なく人の顔から練習を始め, 次に全身を描く練習をすることでしょう. 建物マニアや風景マニアでもない限りは背景は後回しになることと思います. そして, 背景を苦手とし, 人物が(背景に比べれば)得意だという人が多いように思います. 要するに人体が基本的かつ簡単なものであると思っている人をよく見かけるのですが, これが重大な誤解であることは指摘しておかねばなりません.
この世界に, 人体より複雑な物体は存在しません. これは声を大にして, フォルティシシモ[註4]にして言いたいところです. 所詮円柱や直方体程度の集まりに過ぎず, 機械的に作図してしまえる背景と比べれば, 人体は多数の骨と筋肉が絡み合った複雑な構造を成し, 直立ポーズですら一筋縄ではいきません.[註5] それだけでなく, その骨と筋肉はつねに動き, また外力の影響を受けながら複雑怪奇な様相を示します. 人体の構造を知ってもなお, 人体を描き切るには不十分です. 例えば人がボールを投げている絵を描こうにも, ボールを投げるときに人体にどういう外力が働き, それに骨と筋肉はどう呼応するか(どういう位置にあって, どういう方向を向き, 筋肉はどのくらい膨張しているか)を知らなければなりません. 構造だけでなく, 個別のポーズにおいてその構造がどう挙動するかを知る必要があります. [註6]
ですから, 人の顔や全身をうまく描けなくても落ち込まないでください[註7]. あなたが挑んでいるのはラスボスです. ゲームの序盤にラスボスに挑むようなものです. 勝てるわけがない. 一瞬で文字通り粉砕されます. むしろ正確に描ける方がおかしいのであり, 背景・風景(物体)の方が圧倒的に単純で簡単です.
背景が難しくみられる一方で, 人体を比較的簡単に思われるのは, 単に熱くなれるか熱くなれないかの問題に過ぎないと私は思います. 特定のキャラクターを愛し, それを描くことに熱くなれる人は多い一方, 背景や風景に熱くなれる人は比較的少数です. つまり単純に背景を描くモチベーションが弱く, 多少壁にぶつかっただけで心が折れてしまうのではないかと私は思うのです.
そこで, 背景に対して熱くなれないという人は, 背景をキャラクターの服と同等に考えてみてください. 背景は服と同じく, キャラクターを引き立てるものであり, 本質的な(絵の中での役割での)違いはありません. 自分の愛して止まないキャラクターに醜い服を着せることはできるでしょうか. いや, できないはずです. それと同様に, 自分の愛するキャラクターを醜い背景で囲み, 粗末なステージに立たせることはできないはずです. そう考えてみれば, 背景に対しても熱くなれる──いや, 熱くならざるを得ないのではないしょうか.
背景に限らず, その絵の中にある全要素についても同様のことがいえます. そうして, 自分の愛する存在の周囲に存在するあらゆるものに対して, 燃え尽きるほどにこだわり続けていれば, きっと幅広い画力が得られることでしょう.
長くなりましたが, 私が語るべきことは以上です. 私はそこまで絵が上手いわけでもないので, 以上を参考にしたところで神絵師になれるとは限りませんが, 私程度のちょっとした画力であれば(簡単にとは言いませんが)得られるのではないかと思います.
絵を描くことに特別な才能は要りません. 一般的に言われるような先天的な美的センスは全く必要ありません. 思い通りに描けないのはセンスがないからではなく, 単にいま描こうとしている物体をちゃんと理解していないからです. それは知識の問題でしかありません. 知らないものを描けるわけがない. ただそれだけの簡単な問題に, センスなどといいうものを持ち出すのは極めてナンセンスです. 繰り返しますが, 絵を描くことに才能など必要なく, 絵描きの世界への扉は誰に対しても開かれています. ただあなたが表現したいと望むか否か. 熱くなるか熱くならないか. それだけに過ぎません.
[註1] 具体的な描き方・技法についてはたいして絵の上手くない私に聞くよりは, pixiv等に数多ある, 神絵師たちの書いた講座を読んだ方がよい.
[註2] 探してみて, などと簡単に言っているが, これは決して簡単なことではない. 例えばR18なものが好きだったとして, それを描くことに熱くなるのは(周囲の人々の目があるので)勇気のいることである. 自分が好んで描いていたはずのものが, 本当は描きやすかったから描いていたに過ぎなかったとか, 流行に従っているに過ぎなかったということもあるだろう. こういったノイズ(欺瞞)を排し, 自分が心の底から愛せるものを探すには, じっくりと自分自身を見つめ直す必要があると思う.
[註3] 締め切りによる制約のためできないこともある.
[註4] fff
[註5] 正面から水平に眺めた直立の人体なら描ける者は多いと思うが, 全てのアングル(水平角度0~180°, 垂直角度-90~90°)を正確に描ける者はそういないだろう. 少なくとも私は描ける自信は全くない. 最も簡単なはずの直立ポーズですらこの難度である.
[註6] あるポーズにおいて骨や筋肉はどう挙動するかを覚え, そこから解剖学の知識により体の輪郭線と起伏を計算するよりは, 初めから計算結果(体の輪郭線と起伏がどうなるか)を覚えてしまった方がシンプルである. 要するに「このポーズをこのアングルから見ればこう見える」というパターンをひたすら暗記するわけだが, 絵を描くものはまず例外なくこの思考回路で人体を描いているのではないか, と私は考えている. つまり人体を正確に作画崩壊なく描くには, ひたすらパターンを覚えればいいのでは, という結論に達する. 一般的に言われる「画力」の本質とは結局のところ, 膨大な知識の塊と, それを補助する物体への理解(理解したうえで覚えた方が楽なのは言うまでもない)であると私は思う.
[註7]顔に関しては骨の可動部が顎しかないため, まだ捉えやすい部類に入る. 表情筋の話をすると多少複雑にはなるが. 顔は骨や筋肉を立体的に考えて, パターンに頼らずに一から計算するのが現実的に可能な物体である. 人の顔を立体的に捉えるうえで, ヒトカク(http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/index.html)が非常に参考になる.
さて, 今回はしっちーがブログをお送りします. 私は二年前の春からイラストを描いているのですが, 描き始めた頃からずっと作画崩壊に悩まされています. そして最近になって, いい加減作画崩壊に決着をつけようと, 人の顔と人体の描きかた, その構造を一から学び直すことにしました.
初心に立ち返って絵の描き方というものを見直していると, 私としては色々と思うところがあります. 今回はその辺りを語ることにし て, テーマは「これから絵を描き始める人へ」としましょう. ちょうど, 名称未定に新しく入って絵を描き始めようと思っている読者も多いことでしょう. 具体的に絵の描き方を細かく述べるわけではなく[註1], 絵を描く上での抽象的で精神的な方針を語りたいと思います. ただし私は一枚絵しか描かないものですから, 漫画等のことはよくわからないもので, 一枚絵以外に関しては微妙に当てはまらないこともあるかもしれません. 逆に, イラストだけでなく創作全般に当てはまることもあるかもしれません.
まずは絵を描く上で最も重要なことをお話ししましょう.
もっと, 熱くなれよおおおおおおおおお!!!
この一言に尽きます. 誰しも自分の好きなものを描いているときは本気になれるはずです. 例えば美少女が好きなのであれば, いま描いている美少女に対して手を抜くことはできないでしょう. 髪の毛のなびき方はこうでなければならないとか, 太腿のラインはこうでなければならないといった直接的なこだわりが出てくるだけでなく, その少女が着ている服のデザイン, 周囲の背景, 環境光や構図などに関してもこだわりたくなるのではないでしょうか. その「美しく表現したい」という, 煮えたぎるマグマのような心の熱さを自覚し、何よりも大切にしてください. これこそ, 絵を描く上での最大のエネルギーです.
誰しも, 自分が愛してやまない存在が何か一つはあるはず. 建物を愛し, それを描くことに熱くなる人. ある特定のキャラクターを愛し, それを描くことに熱くなる人. あるいは, 特定のシチュエーションや人間関係といった, 形のないものを愛する人もいるでしょう. 自分が愛してやまぬ, それに関して底なしに熱くなれるものを探してみてください. [註2]
熱い血を燃やし続けている限り, 作品の質は上がり続けるはずです. それは至極当然のことで, 熱くなっていればいま描いている作品に手を抜くことなどできるわけもなく[註3], 書店やネットにいくらでも転がっているイラスト講座を見ないわけにはいかないからです. 強制的かつ自動的に, 画力や表現力, 作品の内容は磨かれざるを得ない. もっと熱くなれよ. 熱い血燃やしていけよ. 人間熱くなったときが, 本当の自分に出会えるんだ!だからこそ, もっと, 熱くなれよぉおおおおおおお!!!
絵を描く上で重要なことをもう一つ語っておきます. 絵描きの道を志す人は, ほぼ例外なく人の顔から練習を始め, 次に全身を描く練習をすることでしょう. 建物マニアや風景マニアでもない限りは背景は後回しになることと思います. そして, 背景を苦手とし, 人物が(背景に比べれば)得意だという人が多いように思います. 要するに人体が基本的かつ簡単なものであると思っている人をよく見かけるのですが, これが重大な誤解であることは指摘しておかねばなりません.
この世界に, 人体より複雑な物体は存在しません. これは声を大にして, フォルティシシモ[註4]にして言いたいところです. 所詮円柱や直方体程度の集まりに過ぎず, 機械的に作図してしまえる背景と比べれば, 人体は多数の骨と筋肉が絡み合った複雑な構造を成し, 直立ポーズですら一筋縄ではいきません.[註5] それだけでなく, その骨と筋肉はつねに動き, また外力の影響を受けながら複雑怪奇な様相を示します. 人体の構造を知ってもなお, 人体を描き切るには不十分です. 例えば人がボールを投げている絵を描こうにも, ボールを投げるときに人体にどういう外力が働き, それに骨と筋肉はどう呼応するか(どういう位置にあって, どういう方向を向き, 筋肉はどのくらい膨張しているか)を知らなければなりません. 構造だけでなく, 個別のポーズにおいてその構造がどう挙動するかを知る必要があります. [註6]
ですから, 人の顔や全身をうまく描けなくても落ち込まないでください[註7]. あなたが挑んでいるのはラスボスです. ゲームの序盤にラスボスに挑むようなものです. 勝てるわけがない. 一瞬で文字通り粉砕されます. むしろ正確に描ける方がおかしいのであり, 背景・風景(物体)の方が圧倒的に単純で簡単です.
背景が難しくみられる一方で, 人体を比較的簡単に思われるのは, 単に熱くなれるか熱くなれないかの問題に過ぎないと私は思います. 特定のキャラクターを愛し, それを描くことに熱くなれる人は多い一方, 背景や風景に熱くなれる人は比較的少数です. つまり単純に背景を描くモチベーションが弱く, 多少壁にぶつかっただけで心が折れてしまうのではないかと私は思うのです.
そこで, 背景に対して熱くなれないという人は, 背景をキャラクターの服と同等に考えてみてください. 背景は服と同じく, キャラクターを引き立てるものであり, 本質的な(絵の中での役割での)違いはありません. 自分の愛して止まないキャラクターに醜い服を着せることはできるでしょうか. いや, できないはずです. それと同様に, 自分の愛するキャラクターを醜い背景で囲み, 粗末なステージに立たせることはできないはずです. そう考えてみれば, 背景に対しても熱くなれる──いや, 熱くならざるを得ないのではないしょうか.
背景に限らず, その絵の中にある全要素についても同様のことがいえます. そうして, 自分の愛する存在の周囲に存在するあらゆるものに対して, 燃え尽きるほどにこだわり続けていれば, きっと幅広い画力が得られることでしょう.
長くなりましたが, 私が語るべきことは以上です. 私はそこまで絵が上手いわけでもないので, 以上を参考にしたところで神絵師になれるとは限りませんが, 私程度のちょっとした画力であれば(簡単にとは言いませんが)得られるのではないかと思います.
絵を描くことに特別な才能は要りません. 一般的に言われるような先天的な美的センスは全く必要ありません. 思い通りに描けないのはセンスがないからではなく, 単にいま描こうとしている物体をちゃんと理解していないからです. それは知識の問題でしかありません. 知らないものを描けるわけがない. ただそれだけの簡単な問題に, センスなどといいうものを持ち出すのは極めてナンセンスです. 繰り返しますが, 絵を描くことに才能など必要なく, 絵描きの世界への扉は誰に対しても開かれています. ただあなたが表現したいと望むか否か. 熱くなるか熱くならないか. それだけに過ぎません.
[註1] 具体的な描き方・技法についてはたいして絵の上手くない私に聞くよりは, pixiv等に数多ある, 神絵師たちの書いた講座を読んだ方がよい.
[註2] 探してみて, などと簡単に言っているが, これは決して簡単なことではない. 例えばR18なものが好きだったとして, それを描くことに熱くなるのは(周囲の人々の目があるので)勇気のいることである. 自分が好んで描いていたはずのものが, 本当は描きやすかったから描いていたに過ぎなかったとか, 流行に従っているに過ぎなかったということもあるだろう. こういったノイズ(欺瞞)を排し, 自分が心の底から愛せるものを探すには, じっくりと自分自身を見つめ直す必要があると思う.
[註3] 締め切りによる制約のためできないこともある.
[註4] fff
[註5] 正面から水平に眺めた直立の人体なら描ける者は多いと思うが, 全てのアングル(水平角度0~180°, 垂直角度-90~90°)を正確に描ける者はそういないだろう. 少なくとも私は描ける自信は全くない. 最も簡単なはずの直立ポーズですらこの難度である.
[註6] あるポーズにおいて骨や筋肉はどう挙動するかを覚え, そこから解剖学の知識により体の輪郭線と起伏を計算するよりは, 初めから計算結果(体の輪郭線と起伏がどうなるか)を覚えてしまった方がシンプルである. 要するに「このポーズをこのアングルから見ればこう見える」というパターンをひたすら暗記するわけだが, 絵を描くものはまず例外なくこの思考回路で人体を描いているのではないか, と私は考えている. つまり人体を正確に作画崩壊なく描くには, ひたすらパターンを覚えればいいのでは, という結論に達する. 一般的に言われる「画力」の本質とは結局のところ, 膨大な知識の塊と, それを補助する物体への理解(理解したうえで覚えた方が楽なのは言うまでもない)であると私は思う.
[註7]顔に関しては骨の可動部が顎しかないため, まだ捉えやすい部類に入る. 表情筋の話をすると多少複雑にはなるが. 顔は骨や筋肉を立体的に考えて, パターンに頼らずに一から計算するのが現実的に可能な物体である. 人の顔を立体的に捉えるうえで, ヒトカク(http://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/index.html)が非常に参考になる.
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