夏アニメオススメと引きこもりの屁理屈
『あまんちゅ!』と『天鏡のアルデラミン』を毎週楽しみに観ています。どうも、名称未定2回生・オオシロヤステルです。
ブログ担当は半年ぶりですかね。『受けなくてもいいタスクは受けない』が基本スタンスなのですが、今回はわざわざ立候補してこの7月中旬担当(書いた後上げ忘れて思いっきり下旬になってますが)を引き受けました。理由としては、ぶっちゃけ最初の一文をねじ込むためです。アニメを観て興味が湧いた会員の方、例会に来てくだされば毎週原作の第一巻を持参しているのでお気軽にお声がけください。喜んで布教しますんで。
さて、個人ブログではないここでは大っぴらな宣伝はできないゆえに、これ以上はこの文章では触れません。ここから本文と行きたいところですが……もう言いたいことは言ってしまったんですよねー。まあいつも通りよしなしごとをつらつら述べていきます。
突然ですが、自分は出不精です。「夏休みどこ行った?」という定番の質問に対して、なぜ遠出をしたことが前提にあるのかとずっと疑問に思っていました。自分の中で夏休みは死ぬほど本を読む期間と言う認識でした。
父親が多忙だったり母親が出不精だったり、かといって一緒に旅行に行くような友達もいなかったというのも一因でしょうが、何よりも自分は観光というものの楽しみがよく分からないんですよね。テレビで観光地の特集とか見ても「こんなにクソ暑いのによくもまあそんな人ごみの中で歩いてられんな」とかそんなひねくれたことしか思えません。
単純に旅行の経験がないから楽しむための作法も分かってないんじゃね?とも言えますが、それを結論とすると文量的にちょっと寂しいので、ここでは別の着地点を目指したいです。
出不精と最初に言ってはいますが、別に観光したことがないわけじゃありません。なにせここは日本が誇る観光都市・京都。半日で行って帰ってこれる距離ならまあ冷やかし半分に観に行くか、位の心もちにはなります。そこで昨年の夏休み、ずらっと並ぶ鳥居で有名なあの伏見稲荷神社へと行ってみました(動機は自分の好きな某作品の聖地だったからですがね)。そして抱いた感想としては、人多すぎィ!というところですかね。いやまあ、8月の日曜日なんていう一年間通しても屈指の書き入れ時にお邪魔したこちら側にも落ち度はありますがね。確かに千本鳥居は圧巻でしたよ。みっちり並んだ鳥居の朱が空間すら真っ赤に染め上げているようで素晴らしく幻想的でしたよ。その鳥居道に鳥居に負けず劣らずみっちり人が詰まってなけりゃね!その人ごみの中でも遠慮なく自撮り棒を振りかざすリア充(笑)がいなけりゃさらに良かったね!結果として、圧倒的人口密度にそりゃもう見事にその幻想をぶち殺されたわけですよ。
そこでふと思ったのです。観光というのはもしかしてこういう幻滅を繰り返すことにしかならないのでは?と。旅行欲を煽りに来る観光案内番組も、とても魅力的に映るドラマやアニメの舞台も、所詮は演出の産物です。当たり前ですが人払いはそれなりになされているし、こちらの懐事情など考慮せず最大限のサービスでもてなしてますし、魅力的な物語を載せてお送りしているわけですし。
そんなの当たり前じゃないか、そういう事情を呑み込んだうえで楽しめよ、と思われるかもしれませんね。まあ自分だってそうは思います。単純に自分の頭の中がガキンチョのままだから馬鹿みたいな幻想を持って、それで勝手に幻滅しているのだろう、というのは全くその通りです。まだまだ夢見たい年頃なんです、いやマジで。
しかしながら一方で、そういう事情、つまり演出の産物であることを分かってそれでも観光を楽しむ、というのは本当にできることなのか、とも邪推したくなるのです。
テレビで見せる観光地は演出の産物なのは明らかですが、実際の観光地だってもちろん演出の産物でしょう。何せ『観光地』です。観光に特化した地区であると明言しているのですから、観光客を楽しませるための仕掛けや配慮もたくさん用意されています。観光を楽しんでいる人は果たしてこうしたものも「所詮は演出」と割り切っているのでしょうか?そういう人もいるのでしょうが、そうできていない人がいわゆる聖地巡礼などで非観光地に赴いては迷惑をかけているのではないでしょうか。観光地でのこうした仕掛けや配慮を当然の物として非観光地に持ち出してしまう時点でそれが演出だと自覚できていないのではないでしょうか。
それに、そもそも観光に行く動機が『非日常的体験がしたい』というものなら、それは『観光は非日常的体験』というメディアの演出を割り切れていないのではないでしょうか。
また、観光地が非日常の場であるというのなら、もともとそこに住んでいた人々の日常は非日常の演出のために食いつぶされていくのではないでしょうか。そうなることを求めているのは、人々の観光への欲求ではないのでしょうか。
さて、ここまで読んで具体的なことは全然書いてないじゃんとか支離滅裂すぎるとかただのこじつけで観光叩きしたいだけだろ、と思った人もいるでしょう。正解です。これは出不精な非リア野郎が世間様が押し付ける『リア充な休日=旅行』みたいな固定概念に対して噛みついているだけの戯言です。負け犬の遠吠えとでも思っといてください。
さて、紙幅は十分埋まってるでしょうし、よしなしごとはこんなところで切り上げます。長文・乱文失礼致しました。
ブログ担当は半年ぶりですかね。『受けなくてもいいタスクは受けない』が基本スタンスなのですが、今回はわざわざ立候補してこの7月中旬担当(書いた後上げ忘れて思いっきり下旬になってますが)を引き受けました。理由としては、ぶっちゃけ最初の一文をねじ込むためです。アニメを観て興味が湧いた会員の方、例会に来てくだされば毎週原作の第一巻を持参しているのでお気軽にお声がけください。喜んで布教しますんで。
さて、個人ブログではないここでは大っぴらな宣伝はできないゆえに、これ以上はこの文章では触れません。ここから本文と行きたいところですが……もう言いたいことは言ってしまったんですよねー。まあいつも通りよしなしごとをつらつら述べていきます。
突然ですが、自分は出不精です。「夏休みどこ行った?」という定番の質問に対して、なぜ遠出をしたことが前提にあるのかとずっと疑問に思っていました。自分の中で夏休みは死ぬほど本を読む期間と言う認識でした。
父親が多忙だったり母親が出不精だったり、かといって一緒に旅行に行くような友達もいなかったというのも一因でしょうが、何よりも自分は観光というものの楽しみがよく分からないんですよね。テレビで観光地の特集とか見ても「こんなにクソ暑いのによくもまあそんな人ごみの中で歩いてられんな」とかそんなひねくれたことしか思えません。
単純に旅行の経験がないから楽しむための作法も分かってないんじゃね?とも言えますが、それを結論とすると文量的にちょっと寂しいので、ここでは別の着地点を目指したいです。
出不精と最初に言ってはいますが、別に観光したことがないわけじゃありません。なにせここは日本が誇る観光都市・京都。半日で行って帰ってこれる距離ならまあ冷やかし半分に観に行くか、位の心もちにはなります。そこで昨年の夏休み、ずらっと並ぶ鳥居で有名なあの伏見稲荷神社へと行ってみました(動機は自分の好きな某作品の聖地だったからですがね)。そして抱いた感想としては、人多すぎィ!というところですかね。いやまあ、8月の日曜日なんていう一年間通しても屈指の書き入れ時にお邪魔したこちら側にも落ち度はありますがね。確かに千本鳥居は圧巻でしたよ。みっちり並んだ鳥居の朱が空間すら真っ赤に染め上げているようで素晴らしく幻想的でしたよ。その鳥居道に鳥居に負けず劣らずみっちり人が詰まってなけりゃね!その人ごみの中でも遠慮なく自撮り棒を振りかざすリア充(笑)がいなけりゃさらに良かったね!結果として、圧倒的人口密度にそりゃもう見事にその幻想をぶち殺されたわけですよ。
そこでふと思ったのです。観光というのはもしかしてこういう幻滅を繰り返すことにしかならないのでは?と。旅行欲を煽りに来る観光案内番組も、とても魅力的に映るドラマやアニメの舞台も、所詮は演出の産物です。当たり前ですが人払いはそれなりになされているし、こちらの懐事情など考慮せず最大限のサービスでもてなしてますし、魅力的な物語を載せてお送りしているわけですし。
そんなの当たり前じゃないか、そういう事情を呑み込んだうえで楽しめよ、と思われるかもしれませんね。まあ自分だってそうは思います。単純に自分の頭の中がガキンチョのままだから馬鹿みたいな幻想を持って、それで勝手に幻滅しているのだろう、というのは全くその通りです。まだまだ夢見たい年頃なんです、いやマジで。
しかしながら一方で、そういう事情、つまり演出の産物であることを分かってそれでも観光を楽しむ、というのは本当にできることなのか、とも邪推したくなるのです。
テレビで見せる観光地は演出の産物なのは明らかですが、実際の観光地だってもちろん演出の産物でしょう。何せ『観光地』です。観光に特化した地区であると明言しているのですから、観光客を楽しませるための仕掛けや配慮もたくさん用意されています。観光を楽しんでいる人は果たしてこうしたものも「所詮は演出」と割り切っているのでしょうか?そういう人もいるのでしょうが、そうできていない人がいわゆる聖地巡礼などで非観光地に赴いては迷惑をかけているのではないでしょうか。観光地でのこうした仕掛けや配慮を当然の物として非観光地に持ち出してしまう時点でそれが演出だと自覚できていないのではないでしょうか。
それに、そもそも観光に行く動機が『非日常的体験がしたい』というものなら、それは『観光は非日常的体験』というメディアの演出を割り切れていないのではないでしょうか。
また、観光地が非日常の場であるというのなら、もともとそこに住んでいた人々の日常は非日常の演出のために食いつぶされていくのではないでしょうか。そうなることを求めているのは、人々の観光への欲求ではないのでしょうか。
さて、ここまで読んで具体的なことは全然書いてないじゃんとか支離滅裂すぎるとかただのこじつけで観光叩きしたいだけだろ、と思った人もいるでしょう。正解です。これは出不精な非リア野郎が世間様が押し付ける『リア充な休日=旅行』みたいな固定概念に対して噛みついているだけの戯言です。負け犬の遠吠えとでも思っといてください。
さて、紙幅は十分埋まってるでしょうし、よしなしごとはこんなところで切り上げます。長文・乱文失礼致しました。
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