なんちゃってラジオ「心理学マン」
梅の花も咲き満ちる頃ですね。二月も半ばを過ぎて街の通りを歩いていると、ふっと花の匂いが鼻をかすめます。辺りを見渡せば、咲きはじめの白い梅の枝が、見知らぬ家のレンガ塀の向こうから差し伸ばされています。そんなときに出会う庭木としての一本の梅の匂いと、実を取るために世話されている梅園の梅の匂いは、違っているように感じます。満開の梅園の木の下に立つと、はちみつに似た匂いが降ってくる気がするのです。品種の違いでしょうか。花そのものの匂いに、花と同じくらい身近なその実を加工した食べ物の匂いが無意識にオーバーラップしてくるからかもしれません。
匂いは、目に見えるものよりずっと言葉に言い表すことが難しい分、心の中でつけられている日々の記録に十分には位置付けられていないように思います。時間軸の目盛りの上を、匂いの記憶がふわふわと手から離れた風船のように滑っているのです。だから、現在のもとへその記憶の風船が気ままに近寄ってきて、いま目の前にしているものの匂いにときどき、重なるのかもしれません。
本来二月下旬の担当であった私がこんな時期にブログを更新しているのは、私のカレンダーでは二月が続いていたからです。ほかの月が三十一日、少なくても三十日はあるにも関わらず、申し訳程度に閏年があるとはいえ、二月にだけ二十八日しかないというのはおかしいと思いませんか。暦というのは、社会の統治者が民衆の生活を支配するために作るものです。フランス革命後の新政府では新たな暦が作られました。明治維新後の日本は、欧米の新思想とともに、その太陽暦を取り入れました。大学生の春休みは数日分、権力者によって不当に搾取されているのです。私達の大切な時間を資本家から奪還しようではありませんか。
ここまで、リスナーの皆さんからのお便りのコーナーでした。次は『街角ことばキャッチ』のお時間です。このコーナーでは、日々の生活の中で出会った、ちょっと面白いことばの使い方を紹介していきたいと思います。第一回目の今日のテーマは、「心理学マン」です。
大学の試験期間前の平日のことでした。私が大学構内を歩いていると、こんなことばが生きのいいトビウオのように耳に飛び込んできました。「俺、心理学マンになるから」
私の目が吸盤のように吸い付いつけられた先には、一回生か二回生の元気な感じの青年がいました。彼はそのセリフを、友人に向かって言ったのでした。
心の琴線に触れるのは、ことばとことばの組み合わせの物珍しさです。いままで聞いたことがない、でもなんとなく腑に落ちることば。いつのまにか言い古されて慣用表現化していたことばから未知の生物のように脱皮したことば。状況をぴったり言い表していて、気持ちよくて、でもよく考えたらそのことばの使い方、普通じゃなくない? と疑問がむくむく湧き上がってくるような、誤用と新しい用法の間をさまようことばです。
きっと「俺、心理学マンになるから」という表現は、「俺、テストをパスするために、これからたくさん心理学の勉強をするから」という意味合いなのでしょう。そこで「心理学マン」は、「心理学マスター」と同じフィーリングで使われているのでしょう。でも、「心理学」と「○○マン」の結合なんて初めて聞いたのに、どうしてこうもしっくりはまるのでしょうか。「○○マン」のほかの用法を探っていきましょう。スパイダーマン、バットマン、アンパンマン、スーパーマン、ウルトラマン……。前三つと後ろ二つのグループに分けてみましょう。前半グループは、「○○」の部分を外見と能力のモチーフにし、「○○」と一体化しています。外見と能力が「○○」に特化しているとも言えるでしょう。一方、後半グループは特性は「マン」のまま能力値だけが爆上がりしていると言えます。挙げる用法が少ないままいささか独断的に判断してしまいますが、この場合「心理学マン」は前半グループの使われ方に属していると考えられます。つまり「心理学マン」は、高い能力が心理学にシフトしているわけです。
ここまでは、「心理学マン」と「心理学マスター」はほぼ重なる概念と言っていいでしょう。しかし先述の青年が「マスター」ではなく「マン」を選んだということは、青年の中に「マン」と「マスター」の異なる位置付けがあったはずです。青年の中に積み上げられたことばの地層が、「マン」を選び取らせたのです。そして私の中の、青年からつながった地層が、そのことばを受け入れさせたのです。「マン」は先程も言ったように、能力だけでなく外見さえも「○○」と一体化しています。人間のまま知識だけ「○○」に習熟した「マスター」よりも、「○○」にその身と人生を捧げる存在といえるのではないでしょうか。つまり「心理学マン」は、「マスター」よりも心理学に密着すること甚だしいのです。「マスター」が客観的な研究者目線だとしたら、「マン」は主体的に心理学を実践する存在といえるかもしれません。
もう一面、「マン」から広がる地平があります。前半と後半のグループの共通点は、その超人的な能力で平凡な人々を助けるヒーローであることです。どちらかというと壮年や老人の渋さを連想させる「マスター」と、「マン」の持つ若さと華々しさ、圧倒的なパワー。がむしゃらに心理学を修めた「心理学マン」の活躍は、心理学IIの単位を取るにとどまりません。その豊富な知識を生かして、一緒に講義を受けた友人が試験をクリアするために手を貸すことでしょう。「マン」の持つ意味の重なりは、そんな想像まで広げさせます。
「心理学マン」の変身姿ってどんなだろう。頭に電極がついて、夢を食べるバクみたいに口をとんがらせた仮面をかぶっているのだろうか。そんな想像にふけりながら、長い春休みを送っています。
匂いは、目に見えるものよりずっと言葉に言い表すことが難しい分、心の中でつけられている日々の記録に十分には位置付けられていないように思います。時間軸の目盛りの上を、匂いの記憶がふわふわと手から離れた風船のように滑っているのです。だから、現在のもとへその記憶の風船が気ままに近寄ってきて、いま目の前にしているものの匂いにときどき、重なるのかもしれません。
本来二月下旬の担当であった私がこんな時期にブログを更新しているのは、私のカレンダーでは二月が続いていたからです。ほかの月が三十一日、少なくても三十日はあるにも関わらず、申し訳程度に閏年があるとはいえ、二月にだけ二十八日しかないというのはおかしいと思いませんか。暦というのは、社会の統治者が民衆の生活を支配するために作るものです。フランス革命後の新政府では新たな暦が作られました。明治維新後の日本は、欧米の新思想とともに、その太陽暦を取り入れました。大学生の春休みは数日分、権力者によって不当に搾取されているのです。私達の大切な時間を資本家から奪還しようではありませんか。
ここまで、リスナーの皆さんからのお便りのコーナーでした。次は『街角ことばキャッチ』のお時間です。このコーナーでは、日々の生活の中で出会った、ちょっと面白いことばの使い方を紹介していきたいと思います。第一回目の今日のテーマは、「心理学マン」です。
大学の試験期間前の平日のことでした。私が大学構内を歩いていると、こんなことばが生きのいいトビウオのように耳に飛び込んできました。「俺、心理学マンになるから」
私の目が吸盤のように吸い付いつけられた先には、一回生か二回生の元気な感じの青年がいました。彼はそのセリフを、友人に向かって言ったのでした。
心の琴線に触れるのは、ことばとことばの組み合わせの物珍しさです。いままで聞いたことがない、でもなんとなく腑に落ちることば。いつのまにか言い古されて慣用表現化していたことばから未知の生物のように脱皮したことば。状況をぴったり言い表していて、気持ちよくて、でもよく考えたらそのことばの使い方、普通じゃなくない? と疑問がむくむく湧き上がってくるような、誤用と新しい用法の間をさまようことばです。
きっと「俺、心理学マンになるから」という表現は、「俺、テストをパスするために、これからたくさん心理学の勉強をするから」という意味合いなのでしょう。そこで「心理学マン」は、「心理学マスター」と同じフィーリングで使われているのでしょう。でも、「心理学」と「○○マン」の結合なんて初めて聞いたのに、どうしてこうもしっくりはまるのでしょうか。「○○マン」のほかの用法を探っていきましょう。スパイダーマン、バットマン、アンパンマン、スーパーマン、ウルトラマン……。前三つと後ろ二つのグループに分けてみましょう。前半グループは、「○○」の部分を外見と能力のモチーフにし、「○○」と一体化しています。外見と能力が「○○」に特化しているとも言えるでしょう。一方、後半グループは特性は「マン」のまま能力値だけが爆上がりしていると言えます。挙げる用法が少ないままいささか独断的に判断してしまいますが、この場合「心理学マン」は前半グループの使われ方に属していると考えられます。つまり「心理学マン」は、高い能力が心理学にシフトしているわけです。
ここまでは、「心理学マン」と「心理学マスター」はほぼ重なる概念と言っていいでしょう。しかし先述の青年が「マスター」ではなく「マン」を選んだということは、青年の中に「マン」と「マスター」の異なる位置付けがあったはずです。青年の中に積み上げられたことばの地層が、「マン」を選び取らせたのです。そして私の中の、青年からつながった地層が、そのことばを受け入れさせたのです。「マン」は先程も言ったように、能力だけでなく外見さえも「○○」と一体化しています。人間のまま知識だけ「○○」に習熟した「マスター」よりも、「○○」にその身と人生を捧げる存在といえるのではないでしょうか。つまり「心理学マン」は、「マスター」よりも心理学に密着すること甚だしいのです。「マスター」が客観的な研究者目線だとしたら、「マン」は主体的に心理学を実践する存在といえるかもしれません。
もう一面、「マン」から広がる地平があります。前半と後半のグループの共通点は、その超人的な能力で平凡な人々を助けるヒーローであることです。どちらかというと壮年や老人の渋さを連想させる「マスター」と、「マン」の持つ若さと華々しさ、圧倒的なパワー。がむしゃらに心理学を修めた「心理学マン」の活躍は、心理学IIの単位を取るにとどまりません。その豊富な知識を生かして、一緒に講義を受けた友人が試験をクリアするために手を貸すことでしょう。「マン」の持つ意味の重なりは、そんな想像まで広げさせます。
「心理学マン」の変身姿ってどんなだろう。頭に電極がついて、夢を食べるバクみたいに口をとんがらせた仮面をかぶっているのだろうか。そんな想像にふけりながら、長い春休みを送っています。
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