創作者たち
皆様こんにちは。創作サークル「名称未定」で、本年の会長を務めさせていただいております入ヶ岳と申します。STARTという名前で絵を描くこともあります。
今回は4月上旬の記事ということで、例えば新入生の方々へ向けて勧誘の言葉など述べてみるのも良いかと思うのですが、私はもう少し回りくどく、「創作活動の仲間」という主題で少々文字を書き連ねさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
世間では、多くの方が創作活動を趣味や仕事とされています。ここ京都大学でもそれは例外ではなく、キャンパスを歩く人々の中にも、きっと創作活動が好きな方がいらっしゃるはずです。
しかし、ただ歩いているだけでは、同好の士にめぐりあうことは出来ません。創作活動の仲間を見つけるためには、何かサークルなどに入ってみたり、例えば創作サークル、そうです皆様、名称未定、創作サークル「名称未定」を、どうぞよろしくお願いいたしま――
この勧誘の、どこが回りくどいのでしょう。短絡的でいけませんね。まずもって、何故創作活動の仲間を見つけなければならないのか、その理由が示されていないではありませんか。
正直に申し上げまして、名称未定で行っているような「紙面に印刷できる創作活動」というのは、概ね一人でも可能な分野だと思われます。小説、イラスト、漫画、詩、俳句、短歌、評論、などなど。もちろん合作という楽しみが存在しますし、事実名称未定ではそのような活動も行っています。しかし私は、創作者の集まる意味は別にあると思っているのです。
まず、これは名称未定というサークルに限った話ですが、締切があります。これは重要です。特に、私のように尻に火がつかない限り徹底的に動かないような人間にとっては。周りの会員が作品を投稿していく環境に身を置くことで、ようやく重い腰を上げるのです。
次に、作品の意見交換が出来るという点があります。一人で作品を作った時、それが鑑賞者にどう受け取られるのか、あるいは、何か自分に見えない悪い点が存在しないかと、心配になりませんか。私はなります。私はなるのです! 故に、作品を読んでもらって感想を言って、私も自分が何を表現したかったか述べて、時に全く予想していなかった切り口から改善点が見つかったりするのが、とても嬉しい。創作活動において一番恐ろしい瞬間は「作りたいものが無くなった」と感じた時で、二番目は「これ以上良くならないのではないか」と感じた時であると、私は思っています。自分が何を作りたいか知っているのは自分だけですが、創作者は絶対鑑賞者にはなれませんから、人に見てもらうというのは非常に重要なことではないでしょうか。(ちなみに、見せる相手は基本的に創作者か、一定以上に熟達した鑑賞者が良いと思われます。小説を読まない友人に私の書いた小説を読ませたところで……何だそれは、双方への拷問か?)
これまで創作活動をしてきたけれど、大学で創作活動をする同士が欲しいという方。これから創作活動をしたくて、一緒に歩いていく仲間がいればと思う方。創作活動に興味を持っているのでしたら、創作サークル「名称未定」はきっと良い活動場所になることかと思います。兼サークルも問題ないです、私は3つ兼ねています。どなたも是非、新歓を覗いてみてください。水曜18時15分からカフェテリアルネ2階にて、5月以降も毎週そこで活動していますのでいつでもどうぞ。
というわけで改めまして、そうです、皆様名称未定を、創作サークル「名称未定」をどうぞよろしくお願いいたします。おはようございます、大きな声と変なサークル名で失礼いたします、創作サークル「名称未定」でござい――
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