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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2020-01

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「時日表記に辞んでみること」

ごきげんよう☆彡1月中旬担当のゆっくりです!
構成員各位におかれましては、昨年は大変お世話になりましたことを深く感謝申し上げます。本年も皆様おひとりおひとりにとりまして、充実した一年となりますよう祈念申し上げます。今回もどうかお付き合い下されば幸いです♪
さて、今回のトピックは以下の通り。
①時日表記の再現前性――その、あまりにもおぼろげな――
②未来への確からしさ――その、あまりにもさやけくあれと――
 修士論文を終える。伴った辛酸は筆舌に尽くしがたい。しかし、通過儀礼として重要な経験だったと思う。病気も挟んだとはいえ、6年もの歳月をかけたにしてはあまりに乏しいものだが、一つのステップにしたい。
 たくさんの史料や、先行研究の束、ノート、B6カードを眼下にしている。よせばいいのに、日付を振ってあるものも多い。それらは、スキャンを経たことで、今一度の時間性を帯す。時日表記の持つ呪力は、形態素単位よりも漠然とし、自らを包み込む時代的気質をそこに再現前する。現代においては、写真、通話、記録などに、頼みもしないのに打刻される。それらの参照可能性は、概ね、こちらの意思に拘束されないことが多く、必要性の堤防を氾濫する。
 個人的な能力の限界か、2年以上前のイベントに対しては、その前後関係は曖昧である。それは私の専攻する実証史学の史料批判の必要性と、大略その根源性を一にする。時日表記を見た瞬間、脳内では数直線が形成される。自身の様々な想い出が、その数直線に極めて曖昧に座標を取る。この中途半端な確実性と、自身の意識から乖離した提示とが、脳内で傷む。果たして、過去は幻想だった。エクリチュールの持つ代補性の横溢、すなわち、肥大化して宿主を、いや、母屋から庇にかけて襲来するこの幻想に、立ち向かう術を私は知らない。ただし、救いを求めることは許されようか。
 卑近な例で恐縮だが、修士論文を作成していて、私は極限状態だった。何事にもよらず堪え性のない私が、研究室でひたすら古記録、古文書から平安時代後期の歌人や漢詩人の政治的事績のデータを取り、パソコンに打ち込む。下宿への途上、東方に暁闇を見やりながら、自分の認知能力の低下すら実感できなくなっていた。しかし、《救い》がなかった訳ではない。修士論文を提出後には、指導教授と夕飯をご一緒させていただく。史料を、和歌を、漢詩を読んでも、何が正しくて何が不確定か、全く融解し切っていた私には、それが茜差す久方の《出口》だったのかも知れない。
 2001年にゲームボーイアドバンスというハードで任天堂から発売された『ナポレオン』というゲームがある。そこでジヌディーヌ・オージュローという指揮官(シャルル・ピエール・フランソワ・オージュローをモデルとする)が口にする「未来への光がオレには見える」というセリフが少年の時分より好きだった。今回愚見は、悠久に至る未来への本質性を心に戴いていながら、そうした直線運動が取れないほどの満身創痍状態の中、眼前に像を為したものである。
 ≪イマ・ココ≫をきちんと認識することに越したことはなかろう。しかし、その営為は必ずしも優しい行為ではない。これ以上は素人がものすに無用だろう。
 この数カ月、確実に、そして着実に螺旋階段を下っていた。しかし、究極的には孤独なのだが、同行者、いや、すれ違う人々を目にしないではなかった。お名前を挙げる事で却って漏れる愚を懼れるものであるが、衷心より御礼を申し上げます。
つーわけで、本年もよろしくね☆

Edit 07:33 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

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