日記を書くのが苦手です
六月上旬担当の入ヶ岳です。度重なる遅延とすっぽかしを経て、恥ずかしながら本日投稿までたどり着きました。にしてはブログタイトルが舐めすぎかもしれませんが、ブログと日記は違うということで、悪しからずご了承ください。
幼稚園頃の朧気な思い出ですが、私は一時期自分のことを「ウチ」と呼んでいました。きっかけは一体何だったのか、大阪に住んでいた従姉妹の影響かもしれませんし、同じ組や近所の女の子から口調が移ったのかもしれません。何か信念を持ってそうしていたというわけではなく、ただその時の私には「ウチ」という響きがしっくり来たのだと思います。私が「ウチ」だったのはごく短い間、恐らく一ヶ月未満で、その後の私は数年の間「ぼく」でした。どういう心境で再び一人称を変えたのかは思い出せないのですが、それを言ったら「ウチ」の前が何だったのかも分かりません。四歳、五歳の記憶というのは普通、それくらいあやふやなものかと思います。
別に大きな事件ではありませんが、そうした幼少の記憶がふと思い出されるのは、懐かしくも楽しい体験です。その日の夕食の席で、家族にも雑談の種として「ウチ」の件を語ってみました。すると目の前に座る母親は首を傾げ、「そんな時期があったとは覚えていない」と言うのです。しまった、と思いました。私はてっきり、母も私の一人称について何か覚えていると思っていたのです。しかしこう否定されてしまうと、あれがはたして本当にあったことなのかすらも怪しくなってきます。私はかつて少しの間一人称を変えたのかもしれませんし、変えたという誤った記憶を抱えているだけなのかもしれません。一人の古い記憶ほど当てにならないものもそう無いでしょう。過去に自信を持てなくなったのが、何より寂しいことでした。
記憶をはっきり留めておきたいのなら、四六時中ビデオを回せば良いのかもしれません。しかしそれで見えるのは世界の外面、その中にいる人間の人となりまでは残りませんから、なんだか不十分な気もします。では、小さい頃から日記でも書いておくというのはどうでしょう。人によってはある程度有効な気がします。ですが私の場合は、日記というのがどうにも苦手で書く気になれません。続かないというのもありますが、その日あったことについて、自ら改めて語り直すのが躊躇われるのです。何があったか、ならまだ書けます。今日の夕食はアジフライでした。これが書いているうちにアジの開きに変わるようなことはありません。しかし形にならぬ思考や心情は、刻一刻と移ろう上にひどく複雑です。たとえば、今日は街でたまたま友人と会ったとしましょう。私はその時嬉しかったのでしょうか、気まずかったのでしょうか。あるいはただの一言で語り得ぬ心情がそこにあったのだとしたら、「嬉しかった」と書くだけでは不正確ということになります。しかし難儀なことに、私の心情は書いたものに追従する形で変化します。違うと思いつつも一度「嬉しかった」と書けば、何となく嬉しかったような気がしてきて、他の複雑なあれこれは捨象され形を失うのです。思考の整理とはまた違う、これは歪曲に近い。数年後の私が日記を見返した時、そこに残るのは「嬉しかった」という実体の無い文字列でしかありません。
あるがままを書く、というのがそもそも不可能なことは理解しているつもりです。私自身、そんな究極を求めているわけではありません。作文は常に選択と解釈を伴いますから、書かれていることは徹底的に著者の主観、推敲された物語と言えるでしょう。しかし、捏造は選択でも解釈でもない。「私は怒っている」と日記に書く私は、多分怒っていません。根深い悪癖として、私は現実を文字に起こそうとした時、事実あったことよりも物語としての骨格に拘ってしまうのです。自らの内心を吐露する気も、生活を写し取る気もきっとありません。常に物語としてより良い像を求めている。あるいは求めるものなど無く、ただ自分と向き合うことから逃げているだけなのかもしれません。私が「ウチ」の件を家族に伝えたのは夕食の席でなく休日の午後です。私はその時「しまった」なんて思わなかった。しかしそう書いた方が、物語のテーマは伝わりやすいでしょう、読者に。つまり私は現実を書いているように見せかけて、書きたい虚構を初めから据え置いている。本当に悪い癖です。ありがちなことなのだとして、私はあって良いことだと思いません。
私は日記を書くのが苦手です。自分が書いた自分の主観を、主観であるとすら信じられないからです。文字にしていない記憶とて抗い難く歪んでしまいますが、文字だけは特に恐ろしい。それでも克服すべきとは思っていますので、こうしてキーボードを前に両手を揉み合わせつつ、考え考えブログを書いています。「ウチ」の件は、既に記憶から霧散しつつあり、瑣末事であるからこそ書こうという気になったのですが(なってない! 後付けで理由を書くな。私はこの文章を、記事を仕上げた果てに調味料のように挟み込んでいる。しかしこの一文を私は消さずにおきたいと思う)、残念ながら今回もあまり上手くいっていません。
こんな人間ではありますが、創作は私にとって大変楽しい営みです。それはなぜか。現実を無視できるからでしょうか。きっと違います。小説は何でも書けますが、何を書いてもいいわけではないからです。現実に起こる出来事と物語は常に影響しあい、共鳴しています。もちろん、自分の内心から目を背けてもいられません。むしろ強く向き合うことになるでしょう(創作サークルのブログとして念の為に述べておきます。本記事、特にこの前後に書かれた創作に纏わるあれこれは、あくまで私がそう思っているというだけです。これは半分予防線ですが、半分は「こう考えなければいけない」と思ってほしくないが故の補足です)。
私が好きなのは、物語が本質的に作者である私自身からも束縛されないという点です。それが創作であるならば、私は当初の構想と違う物語が描かれるのを恐れなくて良いのです(全く思い通りに書けないとなるとやはり歯痒いですし、もう少し手綱を握っていたいとは思いますが)。初めに書きたかったことから作品が歪んでくるのは茶飯事です。しかし、書きたくないものが書き上げられた経験は私の場合ありません。まあ多分、書きたくないものが書かれようとしている時はまず完成できていないのでしょうが。
机に向かって小説を書いていると、まだ見ぬ白紙の中にふと書きたい一節を発見することがあります。前から書きたいと思っていた物語と自然に繋がりを見せ始めることもあります。あるいは、全く私の意識していなかった知らない物語が、ふいに目前へ立ち上がってくることもあります。想定外でありながら、気付けばそれらを書きたいと思う自分がいるのです。その時私は、「自分はこれが書きたかったのか」と眼を見開きます。今まで知らなかった、これから大好きになる物語を読んだ時の気持ちにも似ています。大きな喜びの一つです。
あるいは私はここでも、創作という舞台においてすらも、書いたものに内心を合わせるという過ちを犯してしまっているのかもしれません。それを否定はできないでしょう。しかし、過去の内心を塗り替えることと、新しく物語を編んでいくことは私には別物に見えます。今まで自分の意識の内に存在しなかったものを彫り出し、それをうつくしいと、胸の内に温めて育て上げたいと初めて思えたのならば、それこそが豊かさであると信じたいのです。
幼稚園頃の朧気な思い出ですが、私は一時期自分のことを「ウチ」と呼んでいました。きっかけは一体何だったのか、大阪に住んでいた従姉妹の影響かもしれませんし、同じ組や近所の女の子から口調が移ったのかもしれません。何か信念を持ってそうしていたというわけではなく、ただその時の私には「ウチ」という響きがしっくり来たのだと思います。私が「ウチ」だったのはごく短い間、恐らく一ヶ月未満で、その後の私は数年の間「ぼく」でした。どういう心境で再び一人称を変えたのかは思い出せないのですが、それを言ったら「ウチ」の前が何だったのかも分かりません。四歳、五歳の記憶というのは普通、それくらいあやふやなものかと思います。
別に大きな事件ではありませんが、そうした幼少の記憶がふと思い出されるのは、懐かしくも楽しい体験です。その日の夕食の席で、家族にも雑談の種として「ウチ」の件を語ってみました。すると目の前に座る母親は首を傾げ、「そんな時期があったとは覚えていない」と言うのです。しまった、と思いました。私はてっきり、母も私の一人称について何か覚えていると思っていたのです。しかしこう否定されてしまうと、あれがはたして本当にあったことなのかすらも怪しくなってきます。私はかつて少しの間一人称を変えたのかもしれませんし、変えたという誤った記憶を抱えているだけなのかもしれません。一人の古い記憶ほど当てにならないものもそう無いでしょう。過去に自信を持てなくなったのが、何より寂しいことでした。
記憶をはっきり留めておきたいのなら、四六時中ビデオを回せば良いのかもしれません。しかしそれで見えるのは世界の外面、その中にいる人間の人となりまでは残りませんから、なんだか不十分な気もします。では、小さい頃から日記でも書いておくというのはどうでしょう。人によってはある程度有効な気がします。ですが私の場合は、日記というのがどうにも苦手で書く気になれません。続かないというのもありますが、その日あったことについて、自ら改めて語り直すのが躊躇われるのです。何があったか、ならまだ書けます。今日の夕食はアジフライでした。これが書いているうちにアジの開きに変わるようなことはありません。しかし形にならぬ思考や心情は、刻一刻と移ろう上にひどく複雑です。たとえば、今日は街でたまたま友人と会ったとしましょう。私はその時嬉しかったのでしょうか、気まずかったのでしょうか。あるいはただの一言で語り得ぬ心情がそこにあったのだとしたら、「嬉しかった」と書くだけでは不正確ということになります。しかし難儀なことに、私の心情は書いたものに追従する形で変化します。違うと思いつつも一度「嬉しかった」と書けば、何となく嬉しかったような気がしてきて、他の複雑なあれこれは捨象され形を失うのです。思考の整理とはまた違う、これは歪曲に近い。数年後の私が日記を見返した時、そこに残るのは「嬉しかった」という実体の無い文字列でしかありません。
あるがままを書く、というのがそもそも不可能なことは理解しているつもりです。私自身、そんな究極を求めているわけではありません。作文は常に選択と解釈を伴いますから、書かれていることは徹底的に著者の主観、推敲された物語と言えるでしょう。しかし、捏造は選択でも解釈でもない。「私は怒っている」と日記に書く私は、多分怒っていません。根深い悪癖として、私は現実を文字に起こそうとした時、事実あったことよりも物語としての骨格に拘ってしまうのです。自らの内心を吐露する気も、生活を写し取る気もきっとありません。常に物語としてより良い像を求めている。あるいは求めるものなど無く、ただ自分と向き合うことから逃げているだけなのかもしれません。私が「ウチ」の件を家族に伝えたのは夕食の席でなく休日の午後です。私はその時「しまった」なんて思わなかった。しかしそう書いた方が、物語のテーマは伝わりやすいでしょう、読者に。つまり私は現実を書いているように見せかけて、書きたい虚構を初めから据え置いている。本当に悪い癖です。ありがちなことなのだとして、私はあって良いことだと思いません。
私は日記を書くのが苦手です。自分が書いた自分の主観を、主観であるとすら信じられないからです。文字にしていない記憶とて抗い難く歪んでしまいますが、文字だけは特に恐ろしい。それでも克服すべきとは思っていますので、こうしてキーボードを前に両手を揉み合わせつつ、考え考えブログを書いています。「ウチ」の件は、既に記憶から霧散しつつあり、瑣末事であるからこそ書こうという気になったのですが(なってない! 後付けで理由を書くな。私はこの文章を、記事を仕上げた果てに調味料のように挟み込んでいる。しかしこの一文を私は消さずにおきたいと思う)、残念ながら今回もあまり上手くいっていません。
こんな人間ではありますが、創作は私にとって大変楽しい営みです。それはなぜか。現実を無視できるからでしょうか。きっと違います。小説は何でも書けますが、何を書いてもいいわけではないからです。現実に起こる出来事と物語は常に影響しあい、共鳴しています。もちろん、自分の内心から目を背けてもいられません。むしろ強く向き合うことになるでしょう(創作サークルのブログとして念の為に述べておきます。本記事、特にこの前後に書かれた創作に纏わるあれこれは、あくまで私がそう思っているというだけです。これは半分予防線ですが、半分は「こう考えなければいけない」と思ってほしくないが故の補足です)。
私が好きなのは、物語が本質的に作者である私自身からも束縛されないという点です。それが創作であるならば、私は当初の構想と違う物語が描かれるのを恐れなくて良いのです(全く思い通りに書けないとなるとやはり歯痒いですし、もう少し手綱を握っていたいとは思いますが)。初めに書きたかったことから作品が歪んでくるのは茶飯事です。しかし、書きたくないものが書き上げられた経験は私の場合ありません。まあ多分、書きたくないものが書かれようとしている時はまず完成できていないのでしょうが。
机に向かって小説を書いていると、まだ見ぬ白紙の中にふと書きたい一節を発見することがあります。前から書きたいと思っていた物語と自然に繋がりを見せ始めることもあります。あるいは、全く私の意識していなかった知らない物語が、ふいに目前へ立ち上がってくることもあります。想定外でありながら、気付けばそれらを書きたいと思う自分がいるのです。その時私は、「自分はこれが書きたかったのか」と眼を見開きます。今まで知らなかった、これから大好きになる物語を読んだ時の気持ちにも似ています。大きな喜びの一つです。
あるいは私はここでも、創作という舞台においてすらも、書いたものに内心を合わせるという過ちを犯してしまっているのかもしれません。それを否定はできないでしょう。しかし、過去の内心を塗り替えることと、新しく物語を編んでいくことは私には別物に見えます。今まで自分の意識の内に存在しなかったものを彫り出し、それをうつくしいと、胸の内に温めて育て上げたいと初めて思えたのならば、それこそが豊かさであると信じたいのです。
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