あけましておめでとうございました
令和三年の元旦の空は、関東地方から九州地方に渡り太平洋側は広く快晴となりました。内陸にある私の家の近くでも今年は初日の出が見られると聞いて、つい先程、着込みに着込んで拝みに行きました。
おはようございます。令和二年十二月上旬担当であった入ヶ岳です。当時は「すぐ書くから」というようなことを言っていましたが、考えていた内容が思ったように文にならず、このように新年まで持ち越すはめになりました。申し訳ないことですし、前年の荷物を今年へ持ち込むのは良くなかろうということで、今さらながら筆を執らせていただきます。
さて、全ては散歩がてらのことです。令和三年一月というこの瞬間にわざわざ初日の出を拝むというのは、ご来光を前に祈るということは、何らかの含むところを持ちそうなものですが、私個人に限っては何も考えてはおりません。ただ朝は晴れるそうだと知って、なら日の出が見えるじゃないかと、思った時には目覚ましをかけていました。七年程前、引っ越してすぐの元旦にも同じことをしています。
空は実際よく晴れましたが、その分非常に寒い朝です。分厚いセーターに毛のコート、革の手袋をして、首元にはマフラーを巻きましたが、顔の冷たさだけはどうにもならず、時々両手で耳を覆って吹く風を凌ぎながら住宅地を歩きました。
東の稜線を見るには家から少し離れて、下り坂を望む開けた空き地に出なくてはなりません。七年前に覚えたことです。ところがいざ坂道まで足を伸ばしてみますと、知らぬ間に新しい駐車場が出来ていまして、昔とは景色から違っておりました。恐らくこの辺りという場所へ立ってみたものの、舗装のせいで位置がずれたのでしょうか、どうにも心もとない視界の狭さでしっくり来ず、それ以前に大した用もなく長居するべき場所ではありませんでしたので、少し下がった位置の空き地、というよりただの砂利道に陣取って日の出を待つこととしました。
背後の空には月が照っています。まだ夜の光り方でした。朝焼けた空はどこか薄ぼんやりとしていまして、これが六時四十五分頃のことです。
調べたところ日の出の予想時刻は午前七時五分頃とのことでしたが、私の住む辺りは住宅地の近くまで山が伸びてきていますからこれは当てになりません。実際私が立っていた場所も数十メートル先には小高い丘と竹藪があり、その奥にも稜線が遠く視界の果てまで広がっていました。この竹藪が曲者で、恐らく太陽の通り道を塞いでしまっているだけでなく、朝焼けの色すら通さないせいで一体どこが最も明るいのか、つまり、どこから太陽が昇ってくるのかもよく分かりません。仕方なくぼうっと「そのあたり」を眺めて時間を過ごしました。
ずっと手袋をして携帯も見ないので時間が分かりませんが、町の遠くから鐘の音が聴こえたのは、つまりそれが朝の七時だったということなのでしょうか。
にわかに竹藪の向こうが煌めいてまいりました。稜線の向こうに日が昇り始めたのです。太陽そのものは案の定隠れてしまっていますが、あの竹藪というのが案外に捨てたものではなく、背に受けた陽光の作る黄金色の鱗粉のような木漏れ日を私に見せてくれました。少し上には端切れのような小さな雲が、朝焼けの空よりも濃い桃色に照って浮かんでおりまして、風の強い朝ですから、それらが見る見る形を変えていくのもまた面白い眺めでした。
数分ほどはそれを見て過ごし、正直なところ朝の散歩としてはかなり満足していたのですが、眼前の明かりに反して吹く風はいよいよ冷たく、いずれにせよ元日から風邪を引いては堪らないということで早々に撤収することとしました。日の出と竹藪に背を向けて坂を上っていきますと、白んだ西の空では沈みかけの月がとっくに光を失っていました。
最後に種明かしをしておきましょう。帰る途中の上り坂にはある高さを境に光の分かれたところがありまして、後ろの空を振り返ると、そこには馬鹿馬鹿しいほどはっきりと太陽が浮かんでいたのです。
思わず笑みが浮かびました。先程まで私の立っていた場所は左右に視界が広い一方で、その位置の低さから目の前の竹藪に日の出を阻まれてしまっていたのですが、少し上れば視界こそ狭いものの竹藪は邪魔をしなくなり、実を言うとその狭い視界の先にこそ太陽は昇ったのでした。
思えば七年前にも竹藪越しに初日の出を見たのであればあんな新鮮味を感じるはずもないわけで、昔の私の方が陣取りとしては正しかったこととなります。駐車場にはおれずとも、どうせ人通りの無い早朝ですからすぐ横の道端にでも突っ立っておけばよかったのです。なので今までつらつらと述べてきたことは、単に天体観測に失敗した私の照れ隠しに過ぎないというわけでした。皆さんも来年以降初日の出を拝む時には、何より高い場所に立ち、日が昇る方角をしっかりと把握しておきましょう。
それではお別れに、煌々と照る太陽を見て愉快になった私が撮った初日の出の影の写真をお見せしようと思います。太陽そのものも綺麗ではあるのですが手元の携帯ではうまく撮れませんし、あまり見すぎると目が痛くなってしまいますので。
というわけで、あけましておめでとうござい、ました。

おはようございます。令和二年十二月上旬担当であった入ヶ岳です。当時は「すぐ書くから」というようなことを言っていましたが、考えていた内容が思ったように文にならず、このように新年まで持ち越すはめになりました。申し訳ないことですし、前年の荷物を今年へ持ち込むのは良くなかろうということで、今さらながら筆を執らせていただきます。
さて、全ては散歩がてらのことです。令和三年一月というこの瞬間にわざわざ初日の出を拝むというのは、ご来光を前に祈るということは、何らかの含むところを持ちそうなものですが、私個人に限っては何も考えてはおりません。ただ朝は晴れるそうだと知って、なら日の出が見えるじゃないかと、思った時には目覚ましをかけていました。七年程前、引っ越してすぐの元旦にも同じことをしています。
空は実際よく晴れましたが、その分非常に寒い朝です。分厚いセーターに毛のコート、革の手袋をして、首元にはマフラーを巻きましたが、顔の冷たさだけはどうにもならず、時々両手で耳を覆って吹く風を凌ぎながら住宅地を歩きました。
東の稜線を見るには家から少し離れて、下り坂を望む開けた空き地に出なくてはなりません。七年前に覚えたことです。ところがいざ坂道まで足を伸ばしてみますと、知らぬ間に新しい駐車場が出来ていまして、昔とは景色から違っておりました。恐らくこの辺りという場所へ立ってみたものの、舗装のせいで位置がずれたのでしょうか、どうにも心もとない視界の狭さでしっくり来ず、それ以前に大した用もなく長居するべき場所ではありませんでしたので、少し下がった位置の空き地、というよりただの砂利道に陣取って日の出を待つこととしました。
背後の空には月が照っています。まだ夜の光り方でした。朝焼けた空はどこか薄ぼんやりとしていまして、これが六時四十五分頃のことです。
調べたところ日の出の予想時刻は午前七時五分頃とのことでしたが、私の住む辺りは住宅地の近くまで山が伸びてきていますからこれは当てになりません。実際私が立っていた場所も数十メートル先には小高い丘と竹藪があり、その奥にも稜線が遠く視界の果てまで広がっていました。この竹藪が曲者で、恐らく太陽の通り道を塞いでしまっているだけでなく、朝焼けの色すら通さないせいで一体どこが最も明るいのか、つまり、どこから太陽が昇ってくるのかもよく分かりません。仕方なくぼうっと「そのあたり」を眺めて時間を過ごしました。
ずっと手袋をして携帯も見ないので時間が分かりませんが、町の遠くから鐘の音が聴こえたのは、つまりそれが朝の七時だったということなのでしょうか。
にわかに竹藪の向こうが煌めいてまいりました。稜線の向こうに日が昇り始めたのです。太陽そのものは案の定隠れてしまっていますが、あの竹藪というのが案外に捨てたものではなく、背に受けた陽光の作る黄金色の鱗粉のような木漏れ日を私に見せてくれました。少し上には端切れのような小さな雲が、朝焼けの空よりも濃い桃色に照って浮かんでおりまして、風の強い朝ですから、それらが見る見る形を変えていくのもまた面白い眺めでした。
数分ほどはそれを見て過ごし、正直なところ朝の散歩としてはかなり満足していたのですが、眼前の明かりに反して吹く風はいよいよ冷たく、いずれにせよ元日から風邪を引いては堪らないということで早々に撤収することとしました。日の出と竹藪に背を向けて坂を上っていきますと、白んだ西の空では沈みかけの月がとっくに光を失っていました。
最後に種明かしをしておきましょう。帰る途中の上り坂にはある高さを境に光の分かれたところがありまして、後ろの空を振り返ると、そこには馬鹿馬鹿しいほどはっきりと太陽が浮かんでいたのです。
思わず笑みが浮かびました。先程まで私の立っていた場所は左右に視界が広い一方で、その位置の低さから目の前の竹藪に日の出を阻まれてしまっていたのですが、少し上れば視界こそ狭いものの竹藪は邪魔をしなくなり、実を言うとその狭い視界の先にこそ太陽は昇ったのでした。
思えば七年前にも竹藪越しに初日の出を見たのであればあんな新鮮味を感じるはずもないわけで、昔の私の方が陣取りとしては正しかったこととなります。駐車場にはおれずとも、どうせ人通りの無い早朝ですからすぐ横の道端にでも突っ立っておけばよかったのです。なので今までつらつらと述べてきたことは、単に天体観測に失敗した私の照れ隠しに過ぎないというわけでした。皆さんも来年以降初日の出を拝む時には、何より高い場所に立ち、日が昇る方角をしっかりと把握しておきましょう。
それではお別れに、煌々と照る太陽を見て愉快になった私が撮った初日の出の影の写真をお見せしようと思います。太陽そのものも綺麗ではあるのですが手元の携帯ではうまく撮れませんし、あまり見すぎると目が痛くなってしまいますので。
というわけで、あけましておめでとうござい、ました。

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