旅行の思い出
『シュメッハ』:ウル第三王朝に出現した宇宙人。三年にわたり人類と交流をしたが、その後人類から自分たちについての記録や記憶を全て抹消して立ち去った。
一月の上旬を過ぎて、そういえば十二月上旬の担当分を書いていなかったなあ、と思い出しました、有末ゆうですごめんなさい。何も書かないというのもよろしくないので、一月以上経ってはいますが担当分を書かせていただきたいと思います。
とはいっても何を書くべきだろうか、何も案が浮かばなかったのでキーワードを探すべくぶっとい辞書をぺらぺらめくっていたのですが、そんな折に見つけたのが冒頭の単語でした。シュメッハ。語源にはシュメールがあるのでしょうか、そんなことを思いながら説明文を読んで、わたしはちと首を傾げました。シュメッハと呼ばれる宇宙人たちは地球から自らの記録や記憶を全て消し去ったのに、どうして辞書にその名が残っているのだろう。
もしかするとなにか、フィクションの中の単語かもしれません、私は検索サイトで『シュメッハ』と調べてみました。ミハエル・シューマッハ。ヒットするのは高名なレーシングドライバーの名前ばっかり。
いくつか他の辞書をあたってみると、シュメッハという単語が載っているのは私が最初に調べた辞書だけでした。あまりポピュラーなことばではないようです。
出版社に電話してみると、手元の辞書にはその言葉は掲載されていないですね、と返された。
「じゃあ私のこれは一体なんなんですか?」
『んー、ああ、そうだ、それ何版ですか?』
「初版ですけれども、1956年発行」
『あー、はいはい、ちょっと待ってくださいね』がさごそ。『ありました、ありました。えーっと、うん、初版だけに掲載されてますね、それ』
「他にはない?」
『ええ、そのようですね』
「でも、減るものなんですか、収録されてることばって」
『場合によりけりですけども……あ、上善さん!』
出版社の人は誰かを呼びかけました。
『編集長です、この辞書の、初代の』上善如水、という人物がこの辞書を編んだそうです。『これについてなんですけれど……』
『ああ』しゃがれた声でした。『うん? おかしいな、こんな単語を載せた覚えはなかったんだが……それに第二版で消した記憶もないが……』
誰かの悪戯かもしれん。上善さんは困惑したような声でそう締めくくった。
悪戯だろうか。そうではない気がしました。このことばは実在する。漠然とした確信、その時、私は誰かに呼ばれた気がしました。誰に?ーーあるいは、ことばに。
教授なら何か知っているかもしれない。私の師匠はメソポタミア研究の第一人者なのですが、彼女ならわかるかもしれないと思って連絡をとってみると、今は中東で単身フィールドワークをしていて、連絡はうまくとれないと助手の方に言われてしまいまいした。大分長期にわたる調査のようで、ブログを早々に書いてしまいたい私にとって、到底待てるような時間ではありません。私は彼女に直接会うべく、中東へと飛びました。
私の勝手なイメージとして、この地域は年がら年中剣呑な雰囲気が漂っていると思っていたのですが、あにはからんや随分とのんびりした場所で、聞き込みをするにしても親切な人が多かったです。日本人の目撃証言はすぐに集まりまして、教授の居場所は三日で割れました。私はヒッチハイクでその地へ向かい(3回ほど騙されかけて危ない目に遭いました)、フィールドワーク中の教授に出会いました。
「シュメッハについて何かご存知ですか?」
私がそう聞くと、彼女は顔をこわばらせました。
「どうしてそのことばを知っている?」
「辞書に、あって」
「どの辞書?」
私が例の辞書の名前を出すと、教授はゆるゆるとかぶりを振りました。
「悪戯よ。……タチの悪い、悪戯」
「先生、あなたは何か知っているのですね」
「何も知らないわ、知るはずがない。そんなことば」
「それは嘘でしょう」
その時、私の携帯電話がこの地に来てから初めて震えました。国際電話のようです。番号は知らないもの。
「もしもし」
『有末さん?』
「ええ、そうですけれど。あなたは?」
『セシマシルカと申します』
瀬島標華、という文字だと説明されました。
「どなたですか?」
『例の辞書を編んだ一人ですよ。もうあの会社はやめているんですけれども。編集長から連絡がありましてね、久しく』
「なにかご存知なんですか、あの単語について?」
『あれを掲載したのは私です』
頭の中で冷たい電流がはしりました。
「本当に⁉︎」
『嘘なんてつきません』
「一体なんなのですか、あの単語って?」
『書かれている以上のことはありませんよ』
「でもおかしいでしょう、あれが辞書に載っていること自体、そして瀬島さん、あなたがあのことばを知っていること自体」
そのときでした。隣に立っていた教授がかっと目を見開いて叫びました。「セシマ⁉︎」
「え、あ、ちょっと、先生!」
教授は私からスマホをもぎ取ると、マイクに向かって怒鳴りつけるような声をあげます。「シルカ、シルカなの?」
『あらら、久しぶりな声ですね、洋子』
瀬島さんの楽しそうな声が聞こえる。
「シルカ、あんた一体いまどこにいるのよ」
『さあね。どこにいるんだろうね、私って』
「信号の音、救急車のサイレン、そこは日本よ。雑踏ね、ざわめきが聞こえる。近くで広告が流れているーーTVCMね、それが流れるのは名古屋だけ、そう考えるとわかってくるーー今、あなたの周りで車がカーブを描くように走行している音がする、ロータリー交差点でしょう、そう、あなたは名古屋駅前にいる」
『そう思うならば、そう思えばいい』
その瞬間、風を切る音が聞こえました。波が砕ける音も。
「海……?」
私は呟きました。と、次の瞬間には巨大なエンジンの唸り声が響く、飛行機が飛び立っていく音。かと思えば明らかに日本ではない雑踏の音がする、ニーハオ、という声が聞こえる、次の瞬間には大河の流水の音、どこかで祈りの声が聞こえる、スパイスの香りを幻視するーー気がつけばまた違う場所の人混みの中、私の知らない場所ーーいいや。
私は知っている、このざわめきを。土埃をあげるバイク、露天の主人が張り上げる声、はしゃぎ回る子供たちの黄色い声、どこかで銃声が聞こえているーーあの街だ。つい数時間前までいた、あの街。
「どこにいるの、シルカ!」
雑踏の音が消え去った。残るは荒涼とした大地に吹き荒ぶ風の音と、教授の悲痛な叫び声だけ。なんで私は教授の持っている電話から出る音が聞こえていたんでしょうか。
気がつけば電話は切れていたようです。
それでも、瀬島標華の声は聞こえたんです。
『ここよ。そしてあの場所へ』
風の音が変わりました。そして、耳の奥で薄いガラスのようなものが割れた、そう幻覚しました。その途端に世界はクリアーになって、私は、息を深く吐きました。知らず、緊張していたようです。
教授は、私のスマートフォンを持った手をだらんと下げて、奥歯を噛み締めながら震えていました。
「ジッグラトへ」
教授は掠れた声で言いました。
「ジッグラトへ行きなさい。そこでシルカが待っているから」
私は尋ねます。
「ジッグラトって、ここからどれくらいですか?」
「車で二日ほどよ」
「あー、ちょっときびしいですね、それは」
教授は眉を顰めました。
「どうして?」
「三日後テストなんで。それまでに日本に帰らなきゃ」
教授は目をまんまるに見開きました。そして、けらけらと笑い出しました。
「ああ、それはいい意趣返しだ!」
日本に戻る飛行機の窓から、遠く西の方、大地と空を繋ぐように、一筋の真っ赤な光が伸びているのを目の当たりにしました。私だけのようでした、それが見えているのは。
「フィッシュ、オア、チキン」
平和そうな顔をした乗務員さんが機内食を運んできてくれました。私がフィッシュと答えますと、二十センチくらいの大きさの焼き魚がでん、とお皿に乗せられました。
そのときでした、西の空に伸びる光の筋がぐいと曲がり、秒速三十万キロの速さで私の目の前の魚に命中しました。
魚の目が、ぎょろりとうごきました。
そして小さな口をぱくぱく動かし、シルカの声が叫ぶのです。
『ジーザス!』
私は微笑みました。私も叫ぶのです。
「南無三!」
魚ははじけて飛び散りました。隣に座っていた男の人がびっくりしたような顔をしていました。
不思議な物事は意外と身近に落ちてるものです。みなさんも一度自分のまわりをぐるりと見渡してみてはいかがでしょうか。それでは。有末ゆうでした。
一月の上旬を過ぎて、そういえば十二月上旬の担当分を書いていなかったなあ、と思い出しました、有末ゆうですごめんなさい。何も書かないというのもよろしくないので、一月以上経ってはいますが担当分を書かせていただきたいと思います。
とはいっても何を書くべきだろうか、何も案が浮かばなかったのでキーワードを探すべくぶっとい辞書をぺらぺらめくっていたのですが、そんな折に見つけたのが冒頭の単語でした。シュメッハ。語源にはシュメールがあるのでしょうか、そんなことを思いながら説明文を読んで、わたしはちと首を傾げました。シュメッハと呼ばれる宇宙人たちは地球から自らの記録や記憶を全て消し去ったのに、どうして辞書にその名が残っているのだろう。
もしかするとなにか、フィクションの中の単語かもしれません、私は検索サイトで『シュメッハ』と調べてみました。ミハエル・シューマッハ。ヒットするのは高名なレーシングドライバーの名前ばっかり。
いくつか他の辞書をあたってみると、シュメッハという単語が載っているのは私が最初に調べた辞書だけでした。あまりポピュラーなことばではないようです。
出版社に電話してみると、手元の辞書にはその言葉は掲載されていないですね、と返された。
「じゃあ私のこれは一体なんなんですか?」
『んー、ああ、そうだ、それ何版ですか?』
「初版ですけれども、1956年発行」
『あー、はいはい、ちょっと待ってくださいね』がさごそ。『ありました、ありました。えーっと、うん、初版だけに掲載されてますね、それ』
「他にはない?」
『ええ、そのようですね』
「でも、減るものなんですか、収録されてることばって」
『場合によりけりですけども……あ、上善さん!』
出版社の人は誰かを呼びかけました。
『編集長です、この辞書の、初代の』上善如水、という人物がこの辞書を編んだそうです。『これについてなんですけれど……』
『ああ』しゃがれた声でした。『うん? おかしいな、こんな単語を載せた覚えはなかったんだが……それに第二版で消した記憶もないが……』
誰かの悪戯かもしれん。上善さんは困惑したような声でそう締めくくった。
悪戯だろうか。そうではない気がしました。このことばは実在する。漠然とした確信、その時、私は誰かに呼ばれた気がしました。誰に?ーーあるいは、ことばに。
教授なら何か知っているかもしれない。私の師匠はメソポタミア研究の第一人者なのですが、彼女ならわかるかもしれないと思って連絡をとってみると、今は中東で単身フィールドワークをしていて、連絡はうまくとれないと助手の方に言われてしまいまいした。大分長期にわたる調査のようで、ブログを早々に書いてしまいたい私にとって、到底待てるような時間ではありません。私は彼女に直接会うべく、中東へと飛びました。
私の勝手なイメージとして、この地域は年がら年中剣呑な雰囲気が漂っていると思っていたのですが、あにはからんや随分とのんびりした場所で、聞き込みをするにしても親切な人が多かったです。日本人の目撃証言はすぐに集まりまして、教授の居場所は三日で割れました。私はヒッチハイクでその地へ向かい(3回ほど騙されかけて危ない目に遭いました)、フィールドワーク中の教授に出会いました。
「シュメッハについて何かご存知ですか?」
私がそう聞くと、彼女は顔をこわばらせました。
「どうしてそのことばを知っている?」
「辞書に、あって」
「どの辞書?」
私が例の辞書の名前を出すと、教授はゆるゆるとかぶりを振りました。
「悪戯よ。……タチの悪い、悪戯」
「先生、あなたは何か知っているのですね」
「何も知らないわ、知るはずがない。そんなことば」
「それは嘘でしょう」
その時、私の携帯電話がこの地に来てから初めて震えました。国際電話のようです。番号は知らないもの。
「もしもし」
『有末さん?』
「ええ、そうですけれど。あなたは?」
『セシマシルカと申します』
瀬島標華、という文字だと説明されました。
「どなたですか?」
『例の辞書を編んだ一人ですよ。もうあの会社はやめているんですけれども。編集長から連絡がありましてね、久しく』
「なにかご存知なんですか、あの単語について?」
『あれを掲載したのは私です』
頭の中で冷たい電流がはしりました。
「本当に⁉︎」
『嘘なんてつきません』
「一体なんなのですか、あの単語って?」
『書かれている以上のことはありませんよ』
「でもおかしいでしょう、あれが辞書に載っていること自体、そして瀬島さん、あなたがあのことばを知っていること自体」
そのときでした。隣に立っていた教授がかっと目を見開いて叫びました。「セシマ⁉︎」
「え、あ、ちょっと、先生!」
教授は私からスマホをもぎ取ると、マイクに向かって怒鳴りつけるような声をあげます。「シルカ、シルカなの?」
『あらら、久しぶりな声ですね、洋子』
瀬島さんの楽しそうな声が聞こえる。
「シルカ、あんた一体いまどこにいるのよ」
『さあね。どこにいるんだろうね、私って』
「信号の音、救急車のサイレン、そこは日本よ。雑踏ね、ざわめきが聞こえる。近くで広告が流れているーーTVCMね、それが流れるのは名古屋だけ、そう考えるとわかってくるーー今、あなたの周りで車がカーブを描くように走行している音がする、ロータリー交差点でしょう、そう、あなたは名古屋駅前にいる」
『そう思うならば、そう思えばいい』
その瞬間、風を切る音が聞こえました。波が砕ける音も。
「海……?」
私は呟きました。と、次の瞬間には巨大なエンジンの唸り声が響く、飛行機が飛び立っていく音。かと思えば明らかに日本ではない雑踏の音がする、ニーハオ、という声が聞こえる、次の瞬間には大河の流水の音、どこかで祈りの声が聞こえる、スパイスの香りを幻視するーー気がつけばまた違う場所の人混みの中、私の知らない場所ーーいいや。
私は知っている、このざわめきを。土埃をあげるバイク、露天の主人が張り上げる声、はしゃぎ回る子供たちの黄色い声、どこかで銃声が聞こえているーーあの街だ。つい数時間前までいた、あの街。
「どこにいるの、シルカ!」
雑踏の音が消え去った。残るは荒涼とした大地に吹き荒ぶ風の音と、教授の悲痛な叫び声だけ。なんで私は教授の持っている電話から出る音が聞こえていたんでしょうか。
気がつけば電話は切れていたようです。
それでも、瀬島標華の声は聞こえたんです。
『ここよ。そしてあの場所へ』
風の音が変わりました。そして、耳の奥で薄いガラスのようなものが割れた、そう幻覚しました。その途端に世界はクリアーになって、私は、息を深く吐きました。知らず、緊張していたようです。
教授は、私のスマートフォンを持った手をだらんと下げて、奥歯を噛み締めながら震えていました。
「ジッグラトへ」
教授は掠れた声で言いました。
「ジッグラトへ行きなさい。そこでシルカが待っているから」
私は尋ねます。
「ジッグラトって、ここからどれくらいですか?」
「車で二日ほどよ」
「あー、ちょっときびしいですね、それは」
教授は眉を顰めました。
「どうして?」
「三日後テストなんで。それまでに日本に帰らなきゃ」
教授は目をまんまるに見開きました。そして、けらけらと笑い出しました。
「ああ、それはいい意趣返しだ!」
日本に戻る飛行機の窓から、遠く西の方、大地と空を繋ぐように、一筋の真っ赤な光が伸びているのを目の当たりにしました。私だけのようでした、それが見えているのは。
「フィッシュ、オア、チキン」
平和そうな顔をした乗務員さんが機内食を運んできてくれました。私がフィッシュと答えますと、二十センチくらいの大きさの焼き魚がでん、とお皿に乗せられました。
そのときでした、西の空に伸びる光の筋がぐいと曲がり、秒速三十万キロの速さで私の目の前の魚に命中しました。
魚の目が、ぎょろりとうごきました。
そして小さな口をぱくぱく動かし、シルカの声が叫ぶのです。
『ジーザス!』
私は微笑みました。私も叫ぶのです。
「南無三!」
魚ははじけて飛び散りました。隣に座っていた男の人がびっくりしたような顔をしていました。
不思議な物事は意外と身近に落ちてるものです。みなさんも一度自分のまわりをぐるりと見渡してみてはいかがでしょうか。それでは。有末ゆうでした。
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