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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2022-07

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作品遍歴

 はじめまして。7月中旬担当の谷川慶(たにがわけい)と申します。理学部1回生です。ゆっくり書いたり描いたりしていきたいと思ってますので、これからどうぞよろしくお願いします。

 今年の4月に入学したばかりだと言うのに、「なるほど、これが大学生か。楽しいなあ」などと思いながらのらりくらりと過ごしていたら、もう前期が終わってしまいそうです。そして御多分に漏れず落単の危機に瀕し、期末試験直前のこんな時期になって、「なるほど、これが大学生か。単位欲しいなあ」などと思い始めているわけです。

 さて、初めてのブログなので何を書こうかと悩みましたが、私は自己紹介も兼ねて、自分が今までどんな作品や創作物に触れてきたか、という作品遍歴を書こうと思います。同じ作品を知っている人から話しかけられやすくなるんじゃないか、という友好上の作戦であり、ただの自分語りでもあります。初回から作品名をバンバン出しまくるのはどうかとは思いましたが、何でも書いていいという言葉を信じてまとめてみることにします。

 小学校低・中学年の頃は斉藤洋さんの本を読み漁っていました。全作品読破してやろうとしていた覚えがあります。読みやすいものから高学年向けのものまで数多くあるので飽きずに次から次へと読んでました。他には岡田淳さんの本や『ダレン・シャン』シリーズですかね。高学年では『獣の奏者』とかを読んでいた記憶がありますが、小学生の記憶は割と薄くなってしまっていてあんまり覚えてないです。漫画はワンピース、名探偵コナン、ドラえもんとかメジャーなものを。ゲームはポケモンBW、BW2世代です。

 中学生になると、自分で文庫本を買って一般文芸を読み始めるようになりました。ラノベや純文学のような作品は少なかったですが、なるべくジャンルや作者にこだわらずに幅広く読もうという信条のもと、まあ色々と読みました。小中学生の頃が今までで一番読書していた時期だと思います。中でも印象深いのは辻村深月さんの『冷たい校舎の時は止まる』です。2日で読み切るほど面白かったのに加え、これがデビュー作なのかよ、という強烈な驚きがありました。ベテランならまだしもデビュー前からこんな大長編書くって、どんなだよ……っていう衝撃です。実際はもっと長いものを書く作家さんもたくさんいるのですが、中学生の自分にとってはこれが衝撃で、小説家という存在の凄さを初めて意識した作品でした。2年連続この本で読書感想文を書くくらい好きで(考え直すのが面倒だっただけ)、今でも辻村さんの作品はよく読みます。漫画は引き続きジャンプ系のワートリ、ヒロアカとか今でも読み続けている作品など有名どころを。他にも父が持っていた手塚治虫の火の鳥やブラックジャック、星野之宣さんのブルー・ワールドや星を継ぐものを読みました。ゲームは妖怪ウォッチやぷよぷよテトリスをしていて、特にこれ以降はぷよテトにしか熱中してません。

 高校生になると勉強に偏り始め、あまり本は読まなくなりました。本を読まない一方で1年の頃は『アンナチュラル』などのドラマを観ることが多かったのですが、2年になってから急速にアニメにはまりだし、そして今も抜け出せない沼の中にいます。特に影響を受けたのは『CLANNAD』と『宇宙よりも遠い場所』で、この2つには総合表現としてのアニメーションの力を見せつけられました。今でも毎クール7作品くらいは見ていて、過去作含め他にも好きなアニメ作品は山ほどありますがキリがないのでここらで止めておきます。

 ずいぶん長くなってしまいましたが、最後に最近読んだ本や今読んでいる本、漫画を挙げてみます。

・伴名練『なめらかな世界と、その敵』  ・宇佐見りん『推し、燃ゆ』  ・魚豊『チ。―地球の運動について―』

 こんなまとまりのない自己主張文1本だけ出しておくのも何とも小恥ずかしいので、可及的なるはやで2回目を書く機会が来ることを願っています。それでは!

Edit 13:25 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

朝三暮四

 七月上旬担当の暮四です。今年度より名称未定に入会しました。お見知りおきをどうぞよろしくお願いいたします。私にとって初めてのブログ、何を書くべきか悩みましたが、ここは無難に、普段から私が書いているような形で日記を投稿いたします。

・梅宮大社へ花菖蒲を見に行った。その日は梅雨のど真ん中だったけれど雨は降らなかった。花菖蒲は雨に濡れていると相場が決まっているので残念。少し雨を待ってみたが、自分が傘を持っていないことに気がついたので帰った。

・美術館が好きだ。これを人に言うとよく誤解されるのだが、別に絵画が好きだというわけではない。嫌いでもないけれど。そうではなくて、絵画を見ることが好きなのだ。絵画の前に立つと、自分と絵画の間には緊張した静謐みたいなものが生まれる。その中でのみ私は私の身体を少しだけ忘れて、私の内部を見つめることができる。だからきっと絵画を見るのが好きというのも間違いで、絵画を通して自分自身を見つめ直すのが好きなんだろうな。そして絵画から目を離したときの、緊張が解けて現実に戻ってくる感じも、そんなに嫌いじゃない。

・二十歳になった。成人年齢は十八歳に引き下がってしまったので、二十歳というものはお酒とたばこが買えるようになる以上の意味を持たなくなってしまった。それでもやはり二十歳というのは、何か象徴的な節目であるような気がしている。慣れないお酒を呷りながら、昔のことを思い出す時間が少しだけ増えた。

・最近、たびたびマスクを取っている。もちろん人が密集しているときや、だれかと話すときはつけているけれど、周りに誰もいない、静かな夜を散歩しているときなんかはつけるのも馬鹿らしいと思ってしまう。すると、雨上がりのコンクリートから蒸し上がるあの匂いや、茂った草木の青い匂いがよく感じ取れるようになる。ここ数年忘れかけていた匂いだ。夏がもうすぐそこまで来ている。

・雲間から零れた月光に照らされた紫陽花の露や、今出川通りの先に沈む曖昧な色の夕暮れを眺めると俳句を詠みたくなる。きっとそれは単純な表現欲だと思うのだけれど、いざ俳句が作られると、よりよい句をしよう、より評価される句にしようという思いが頭をもたげてくる。有り体に言えば自己顕示欲だ。他人の介入する余地などなく、完全に自分のために何かを作ることが出来たのはいつまでだったろうと考えている。

・「変身」という小説を書いた。フランツ・カフカの「変身」がモチーフ。ところどころにカミュの「異邦人」も引用している。実存主義小説の観点から、自己同一性と自由意志について疑問を投げかける意図で書いた。思春期の男の子が秩序みたいなものに対し反抗的になることと、ある外交販売員が巨大な毒虫になることには、いったいどんな違いがあるのだろう?

・この前下宿を出る際に、玄関からふと部屋を振り返ってみた。廊下の先にある扉は開けっぱなしになっていて、そこから自分の部屋が見える。半分開いたカーテンが、雨の朝の鈍色の光を招き入れている。鈍重な空気に満たされた部屋の中で、整頓されていないあれこれが散乱している。その様子は、失くしてしまった誰かを連想させた。この部屋は誰も失ったことがないのに不思議に感じた。雨の日の空っぽな部屋には、何も失うことなしに喪失の概念だけが存在している。

・先日、横断歩道で立ち往生をしている車椅子のご老体を見かけたので、移動をお手伝いしてそのままお宅の前まで車椅子を押していった。ご老体は細い路地を何本も奥へ入っていったところのアパートに一人暮らしをしていらして、その部屋の前にはいくつかの段差があった。お礼にいくつかの飴を頂いて、帰り道に感じていたのは、罪悪感であった。きっと私たちの社会は色々なものを路地裏に詰め込んでしまっていて、今日私は隠されてしまっていたそれに気づいた形だ。裏返せば私は今まで気づいていなかったのだ。一人暮らしのご老体があまりに不親切な社会な構造というか、あり方の中で暮らしていることに。頂いた飴は、少し酸っぱかった。

・例えば、踏切を待っているとき。あるいは信号や、お会計でもいい。とにかく何かを待っているとき、もしもその時間が永遠に続いたらどうなるのだろうかとふと思う。つまり、電車がいつまでも来なかったら。いつまでも信号が赤だったら。前の人の買い物かごの中身がいつまでも減らなかったら。そんなことを考えている。昔からの癖だ。きっと他の人は待ちくたびれて去ってしまうだろう。でも私は、なんとなくだけど、一人で待ち続けているのではないかと思う。理由はないけれどほとんど確信に近い。でもやっぱり現実の踏切は間もなく開いて、それに少しがっかりしている自分がいる。

・暮四というペンネームについて。きっと気づく人も多いと思うが、「朝三暮四」という故事成語から来ている。夏目漱石が「漱石枕流」という故事成語から名前を取ったのを真似た。「朝三暮四」は目先の利益にばかりとらわれる、という意味だが、これをペンネームに取ったのは自分に対する戒めであり、また皮肉でもある。あとは単純に「暮四」という漢字のイメージが好きだ。暮れた茜色の空を背景に、鴉の影が四つばかり浮かんでいる。

・エッセイや日記のノンフィクション性は、どこまで担保されるのだろうか。そもそも完全なノンフィクションなんて存在するのだろうか。きっと、フィクションとノンフィクション、つまり現実と虚構は対立概念ではないし、両立しうる。世界は現実と虚構に二分されるのではなく、それらが不可分に混ざり合って存在している。現実の中にも虚構は点在するし、虚構の中にもグラデーションのように現実は混ざり込んでいる。松尾芭蕉だって、現実に虚構を織り交ぜながら「おくの細道」を書いた。だからこの日記にも、真に本当のことなんてないのかもしれない。

Edit 23:31 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:安野深砂
中旬:西桜
下旬:氷崎光 です。

 

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