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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
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2023-03

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待つ日々にたえて貴方のあらざれば

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
 僕がこんな和歌の書かれた手紙を桜の樹の下で拾ったのは、大学入学直前の春の日のことでした。
その日、僕はこれから始まる新生活に心躍らせ、半ば浮き足立ちながら散歩をしていました。下宿から琵琶湖疎水に沿って道を下り、東鞍馬口通りを少し過ぎる。そこには小さな公園があり、その隅に、満開の桜の樹がありました。僕は、多くの日本人がそうであるように、桜の吸引力に引き寄せられて花を見上げました。しかし数分もすればその光景にも見飽きてしまい、視線をふと下げる。すると視界の端、桜の樹の根元に、薄い桃色をした手紙が落ちているのを認めたのです。
 僕は少し迷ってから、それを拾い上げました。誰かの落とし物ならそのままにしておくべきかもしれないけれど、いつか散った桜の花びらにそれが埋もれてしまうのではないか、とふと考えたのです。その手紙を広げると、先の和歌が。在原業平の歌。ただ書いてあるのはそれだけで、送り主も、宛先もありません。そこで僕は、ふと思いつきで鞄からペンを取り出し、その和歌の隣にこう書き付けて、手紙を元の場所に戻しました。
「世の中にたえて桜のなかりせば花に埋もるる消息もなし 暮四」
 そして次の日。僕は昨日の手紙のことが気になって、またあの桜の樹へと足を向けました。するとやっぱりあの手紙が。拾い上げて中を見ると、「消息も花もなければ君と我交わらざらん泥濘む轍 白戸」
 この日から、この手紙を通して、白戸さん(筆跡から多分女性でした)との和歌の詠み合いが始まったのです。
 それから一週間ほど経った頃でしょうか。大学の入学式の前日。その頃には、白戸さんとの手紙を通じた詠み合いはほとんど日課になっていました。もう桜の花は散りかけていたため、手紙は花びらに埋もれていました。その日の歌は「あくる日のいつか散る花にべもなく来たる夕陽が照らすその時」僕はなんとなく違和感を覚えました。なんだか言葉のチョイスが不自然で、意味も通りづらい。そしてふと気づきました。折句です。句の頭文字を取ると、「あいにきて」。僕は何と返せばいいか分からず、その日はそのまま手紙を元に戻しました。
 次の日も、随分と迷いましたが、結局はあの桜の樹へは行きませんでした。入学式がありましたし、多分そこにいるだろう白戸さんに会ったとして、どんな顔でどんな会話をすればいいのか分からなかったから。あとは単純に、白戸さんと会うことが漠然と怖かったのです。
 そこから、白戸さんとの詠み合いはなくなりました。桜は完全に散り、手紙も消えてしまいました。無論、私はあの日のことを後悔することになります。
 だから、と繋げるのは少しおかしな話ですが、私は今度の紅萌祭で配るビラの裏に、この話をベースにした、白戸さんに関する小説を書きました。ペンネームも白戸にしてあります。何か、まるで桜の樹の下で手紙を拾うような巡り合わせで、彼女に僕のことが伝わるように。

Edit 22:12 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

昔馴染み

どうもこんにちは。3月上旬担当のいとらです。

……そう、上旬担当なのです。
本当は3月10日くらいには書こうかなと思っていたんですけどね。最近思ったよりも忙しく、酒を飲んだり、酒を飲んだり、車を運転したり、酒を飲んだりしていたら今日になっていました。と、この並びだとまるで酩酊状態で運転しているかのようですけども、それぞれの読点の間に一日が経過しています。いやあ、一日って短いもんですね。
とまあ、私の堕落っぷりについてはこのくらいにして。

さて、その二番目の「酒を飲んだり」についてですが、具体的には高校の頃の友人二人と会っていました。二人は高校の部活の同期です。ところが、この部活について説明するのは少し面倒でして、一言で説明するならば、工作全般を扱う部活という感じです(部活名についてはあえて書きませんけれども、キラキラネームのような名前だったとだけ記しておきます)。「何でもあり」という点については名称未定と似ているのですが、活動内容は微妙に重なっているところが少なく、部活では例えば木を切ったり機械を作ったりプログラミングしたりしていました。それに加えて私たちの代では、ボードゲームをしたりクイズをしたりと好き勝手していて、どちらかと言うと大学のサークルに近かったのかなと思います。
そんな部活の同期とは、高校の卒業後もそれなりに仲良くしていたのですが、前に会ったのがいつだったかと思い出してみると、そういえばその時「まだお酒飲めないよね」みたいな話をしていましたから、私が二十歳になる前、つまり二年以上も前ということになるらしいのです。二年というのは長いもので、お互いどんな風に呼び合っていたかとか、どういう口調で喋っていたかとかを忘れてしまうほどです。特に私なんかはすっかり大学生活に染まってしまっていますから、前と同じように喋れるだろうかと不安でもありました。
二人とは大学の前で待ち合わせして、近くの店で食事をし、酒を飲み交わし、それから街を練り歩きました。私の地元は温泉街が繁華街となっているようなところで、大学生らしき集団が大声で騒ぎながら足湯に浸かったりしていました(私たちもそのような集団の一つだったかもしれません)。そうやって街を歩きながら、最近どんなことしてたかとか、卒業後どうするのかとか、そういう話をしました。こんな風に会うのも今後は難しくなるんだろうな、なんて話も。気が付けば遠慮なんてものはなくなっていて、最近はめったに出ない方言も使っていました。
やっぱり、二人は私にとってかけがえのない人たちなんだなって思います。
大学に入ってから、私はいろんな人に会って、こんなにも個性的な人たちがいるんだと驚かされ続けてきました。それでも、二人の個性は大学で出会った人たちと比べても引けを取らないくらいに際立っているように感じて、それは今回、会って話をしていても変わらないどころか一層増すばかりで、これは単に仲がいいからそう感じるだけなのか、あるいは偶然特徴的な人と出会っていたのだろうか、なんて考えます。特別でない人なんていない、という言明もありますけれど、それだけで片付けてしまうのも味気ありませんから、ここではそれに加えて、私たちは人と関わりながら育つ中で、その人の特別さに一際価値を置くようになるのではないか、という仮説でも立ててみることにしましょう。検証は、今後の人生でするとして。

もとはと言えば、卒業すると会いづらくなるからというので、わざわざ地元に集まったのですけど、どういうわけか、この春の間に今度は二人が京都に来てくれるということになりました。
いやあ、また忙しくなりますね。

Edit 20:55 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

 

今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:小倉
中旬:暮四
下旬:double quarter です。

 

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