最強無敵? 図書委員会! #2
最強無敵? 図書委員会! #2
すぐそこ、図書室(2)
すぐそこ、図書室(2)
WEB小説を読む時は、部屋を明るくして部屋を明るくして読むようにしましょう。
図書委員長との約束ですよ?
「今って試験前だっけ?」
「だとしたら、私も常葉君もこんなことをしている場合ではないのでは?」
「だよな」
放課後である。
今は初夏も近づく五月の終わりで、恭介と天理は穏やかな日の差す廊下を歩いていた。
何の為に?
勿論、昼休みに無情にも告げられた〈CASE1〉の事態に対処する為である。
「それにしても……、この時期にこんな本をチョーエンって一体なんなんだよ……」
恭介は手にした紙――今回のミッションの子細が書かれている――を見て溜息をつく。特にそこに書かれた本のタイトルの所を見て。
天理はそんな恭介の様子は意にも介していない様子だ。
「さあ? 私は犯人ではないのでわかりかねますね」
「知ってるよ」
チョーエン。図書長期延滞者のことを恭介たち図書委員の間では略してこう呼ぶ。
〈CASE1〉とはすなわち図書委員が解決すべき問題の第一、図書長期延滞者の発生を示すコールであり、これが告げられるとその日の図書当番の人間は延滞者の元へ図書返却を促し、可及的迅速に当該人物の図書返却を達成させねばならない。
「ここだね、2年A組」
「そうですね」
二人して扉の前に立つ。
共に一年生である二人にとっては上級生の教室。
その前に立ち、ほんの少しの緊張を感じる。
同じ学校の生徒、と言う枠組みを共有しているにしても、学年が違うと言うことは別の社会に所属しているに等しい。すなわち恭介たち二人はここでは余所者である。
「開けるよ」
意を決して、扉を開く。
果たして、目的の人物はそこにいた。
2年A組、出席番号42番、神奈川圭介。空手道部所属の二年生部長であるというプロフィールまでは図書室の登録データから閲覧できた。
空手部主将という看板をそのまま下げたかのようながっしりとした体つきが、制服のブレザーをはち切れんばかりに盛り上げている。
椅子に座っている神奈川と、彼の目の前の机に腰掛けた、これも同じく二年生だろう、女学生が談笑をしている。
恭介は彼女のことも知っていた。空手部の男子部長と女子副部長が男女の仲で、通称『二年生最強カップル』と呼ばれているのはこの学校に於いては割と普遍的な常識なのである。故に男が神奈川圭介である以上、女は同じく空手部所属の千葉智恵子だろうということは容易に想像できた。
二年生最強カップル――その名は決して伊達でも何でもない。事実として、彼らの通った後に時折みられる哀れな挑戦者の亡骸の上に積み上げられた、確かな実力を伴った通り名である。
よもや図書の返却要請をしに来ただけの一介の図書委員を相手に何か乱暴を働くようなこともあるまいとは思うが、自分より明らかにゴツい体つきの神奈川と、素人にもなんとなく分かる力強い雰囲気を持っている千葉を前にして恭介は一瞬怯んだ。
その一瞬で、天理が前へ進み出ていた。
「神奈川先輩、で間違いありませんね?」
「ん……、ああ、確かにオレが神奈川だが、アンタは?」
恭介が止める間もなく――いや、そもそも止める必要など欠片もないのだが――天理は神奈川に声をかける。
筋骨隆々とした空手部部長は天理のことを一瞥すると、面倒くさそうにそう訊ね返した。
「図書委員会から参りました。天川天理と申します。それから彼が、」
「常葉恭介っす」
天理がこちらへ話を振ってきたので恭介も一応名を名乗る。
「で、図書委員がオレに何か用か?」
「いえ、まさかお忘れと言うことも無いとは思うのですが、先輩が借りられている本が未返却のまま期限を過ぎて長くなっておりますので、返していただけるようお願いに来た次第です」
「本……?」
そう言って思い出すような仕草をする神奈川。
一秒、また一秒と伸びていく沈黙に、恭介と天理の表情が少しずつ引きつる。
そんな三人の様子を面白がるように見ていた千葉が、からかうような声を上げた。
「けーちゃん、こないだ借りてたじゃないの。まあ、忘れるってくらいなんだからどうせ読んでないんだろうけれども。ほら、『漫画……」
「『漫画・チャート式数II+B』です。お忘れと言うことはさぞや大切にしまわれていたのでしょうね」
千葉の言いかけたタイトルを引き継ぎ、天理がやや怒気を孕んだ声を放つ。
が、恭介も怒る天理の気持ちは良くわかるのだった。
はっきり言って、長期延滞者に取り立てに来て最も腹の立つパターンがこれなのである。すなわち、延滞者が本の存在を忘れている場合。
何らかの理由で読むのが遅くなってしまい読んでいる途中で期限が来てしまった、というのならまだ同情の余地もある。そう言った延滞者にはまず貸し出し延長制度の紹介をし、更にどうしても延滞が続くようなら個別に相談、等色々と対応を取ることが出来る。
だが、本人が本を借りたことを勝手に忘れる。
こればかりは図書委員の力ではいかんともしがたいのだ。
それに、そもそも返す気もないのに本を借りているのではないかという疑念さえも浮かんでくる。
図書委員冥利に尽きないことこの上ない。
「ん、ああ、そう言えばそんなのを借りたような気も……」
そう言いながら机の中をごそごそとやる神奈川。
折れ曲がったノート、しわくちゃになったプリント、恐らく普段机の中に放置したまま帰宅するのだろうと思われるものたちが次々と取り出され、一体どうやって収納されていたのかと不思議に思うほどの物が机上に積み上げられた末にその本は取り出された。
机の奥に無理矢理押し込まれていたのか、曲がり癖がついているが、幸いなことに折れ曲がり等は無いようだった。黄色い表紙に赤のタイトル。参考書とは思えないような可愛いキャラクターがペンと三角定規を持って正弦曲線を遠近法の彼方から延々と描いているイラストはシュールにさえ思える。タイトルロゴは丸っこい文字で『漫画☆チャート式数II+B』と謳っていた。
そもそも何故図書室に置いてあったのか眉根を押さえたくなるような本だが、長期延滞リストに上がっていた本に間違いない。
貸出日や現状から推測するに恐らく一ヶ月ぶりに日の目を見ただろうその本を差し出しながら、神奈川が言った。
「じゃあ、これ返しといてくれよ」
天理が答えた。
「お断りします」
「はあ?」
神奈川が呆れた様な声を上げる。
そう、これがこの仕事の味噌である。
あくまで、彼ら図書委員の仕事は催促であり、延滞図書の奪還であるとか本人の意志と無関係なところで図書の返却手続きのみを行うわけではないのだ。
手練手管を用いて図書長期延滞者、通称チョーエンに対して「本を返却しよう」という意思を持たせると共に図書を返却せしめねばならない。
これが意外と面倒くさい、というのは恭介は既に前回の初仕事の際に嫌と言うほど思い知っている。
ただ取りあげるだけならば簡単であるというのに、何故にこのように回りくどい仕組みを取っているのか、一度委員長に尋ねてみようと思っているのだが未だその機会は訪れていない。
「なんでよ? あなたたち、これを催促しに来たんでしょ? ならあなたたちが返しておいてくれればすべて丸く収まるんじゃないの?」
芝居がかった大袈裟さで驚きを露わにし、千葉が声を上げた。
が、天理はそれを冷たく無視すると神奈川の方へ真っ直ぐに言い放った。
「その本を借りたのは誰ですか? 私ですか? 先輩ですか? 先輩ですね。ならばそれは先輩自身の手で返却が為されるべきです」
眉一つ動かさずにそれだけのことを淡々と述べる天理は、まるで一つの機械のようだった。恭介と話していた時にあった柔らかさは今の彼女からは一切感じられない。
日頃の彼女と今日の彼女を比べてみるとただただ驚くことしか出来そうにない。
「つまり、アンタはオレの代わりにこの本を返却してくれっていうちょっとしたお願いも聞けない図書委員だと、そう言いたいわけか」
今度は脅そうと言うつもりなのか、声にほんのわずかな怒気と凄みを孕ませて神奈川が言う。
そのまま恭介の方へも視線をチラリと向ける。
「……なんてったっけ、そっちのお前も同じ意見なのか?」
上級生、それも筋骨隆々のスポーツマンに睨み付けられて、その視線の鋭さに一瞬思考が止まる。
が、口は素直にいつもの言葉を復唱していた。
「それがオレたち図書委員の仕事ですから」
慣れって恐ろしい、と思わざるを得ない。無論本能は目の前の上級生が恐くて恐くて仕方なかったりするのだが、そんなこととは無関係に脳髄に染みつけられた図書委員の職務内容は勝手に滑り出していた。嗚呼恐ろしきは図書委員会の訓練かな。
「ほほう……」
神奈川の態度がより一層迫力を増すのを感じ、恭介は慌てて付け加える。
「ま、まあ、実際この本にもこう書かれていますし」
そう言って恭介は昼休みから偶々持ちっぱなしだった本を咄嗟に取り出す。『ニッポン人の常識95』。
「曰く、『テメエのケツははテメエで拭え』」
それは恭介の本心だったのだが、勿論本の中にそんな口の悪い言葉が書かれているはずもなければ、今このタイミングで言うべき言葉でもないだろう。
当然のごとく、神奈川の怒気が益々膨らむのがわかる。
何故そんな言葉が口を突いて出てしまったのか、恭介は自分の脊髄を呪った。
がたり、と椅子をわずかに鳴らして神奈川が立ち上がる。その凶暴な双眸がこちらを見下ろしている。流石は空手部部長。ゴツい体は伊達でもでも何でもなく、正面から向き合って立つと恭介のことをアタマ一つ分ほど見下ろす恰好になる。
ああ、色々終わった。
反省するべきはどこか。自分のうかつな言動か。今回あまり天理と打ち合わせせずに来てしまったことか。チョーエンの発生を見てしまったことか。或いはそもそもこの図書委員会という無茶苦茶な委員会に入ってしまったことからだろうか。
高校に入ってからのわずかひと月ほどのスクールライフが走馬灯のごとく恭介の脳裏を駆けめぐり。
「待ってください」
唐突に、自分の腕が後ろ向きに信じられない勢いで引っ張られるのを感じた。
気がついたら恭介の体は二歩、三歩と後ろに下がっており、彼と神奈川との間に華奢な背中が見える。
「よもやと思いますが暴力、ですか?」
天理が鋭い視線で神奈川を見上げていた。
《続く》
「だとしたら、私も常葉君もこんなことをしている場合ではないのでは?」
「だよな」
放課後である。
今は初夏も近づく五月の終わりで、恭介と天理は穏やかな日の差す廊下を歩いていた。
何の為に?
勿論、昼休みに無情にも告げられた〈CASE1〉の事態に対処する為である。
「それにしても……、この時期にこんな本をチョーエンって一体なんなんだよ……」
恭介は手にした紙――今回のミッションの子細が書かれている――を見て溜息をつく。特にそこに書かれた本のタイトルの所を見て。
天理はそんな恭介の様子は意にも介していない様子だ。
「さあ? 私は犯人ではないのでわかりかねますね」
「知ってるよ」
チョーエン。図書長期延滞者のことを恭介たち図書委員の間では略してこう呼ぶ。
〈CASE1〉とはすなわち図書委員が解決すべき問題の第一、図書長期延滞者の発生を示すコールであり、これが告げられるとその日の図書当番の人間は延滞者の元へ図書返却を促し、可及的迅速に当該人物の図書返却を達成させねばならない。
「ここだね、2年A組」
「そうですね」
二人して扉の前に立つ。
共に一年生である二人にとっては上級生の教室。
その前に立ち、ほんの少しの緊張を感じる。
同じ学校の生徒、と言う枠組みを共有しているにしても、学年が違うと言うことは別の社会に所属しているに等しい。すなわち恭介たち二人はここでは余所者である。
「開けるよ」
意を決して、扉を開く。
果たして、目的の人物はそこにいた。
2年A組、出席番号42番、神奈川圭介。空手道部所属の二年生部長であるというプロフィールまでは図書室の登録データから閲覧できた。
空手部主将という看板をそのまま下げたかのようながっしりとした体つきが、制服のブレザーをはち切れんばかりに盛り上げている。
椅子に座っている神奈川と、彼の目の前の机に腰掛けた、これも同じく二年生だろう、女学生が談笑をしている。
恭介は彼女のことも知っていた。空手部の男子部長と女子副部長が男女の仲で、通称『二年生最強カップル』と呼ばれているのはこの学校に於いては割と普遍的な常識なのである。故に男が神奈川圭介である以上、女は同じく空手部所属の千葉智恵子だろうということは容易に想像できた。
二年生最強カップル――その名は決して伊達でも何でもない。事実として、彼らの通った後に時折みられる哀れな挑戦者の亡骸の上に積み上げられた、確かな実力を伴った通り名である。
よもや図書の返却要請をしに来ただけの一介の図書委員を相手に何か乱暴を働くようなこともあるまいとは思うが、自分より明らかにゴツい体つきの神奈川と、素人にもなんとなく分かる力強い雰囲気を持っている千葉を前にして恭介は一瞬怯んだ。
その一瞬で、天理が前へ進み出ていた。
「神奈川先輩、で間違いありませんね?」
「ん……、ああ、確かにオレが神奈川だが、アンタは?」
恭介が止める間もなく――いや、そもそも止める必要など欠片もないのだが――天理は神奈川に声をかける。
筋骨隆々とした空手部部長は天理のことを一瞥すると、面倒くさそうにそう訊ね返した。
「図書委員会から参りました。天川天理と申します。それから彼が、」
「常葉恭介っす」
天理がこちらへ話を振ってきたので恭介も一応名を名乗る。
「で、図書委員がオレに何か用か?」
「いえ、まさかお忘れと言うことも無いとは思うのですが、先輩が借りられている本が未返却のまま期限を過ぎて長くなっておりますので、返していただけるようお願いに来た次第です」
「本……?」
そう言って思い出すような仕草をする神奈川。
一秒、また一秒と伸びていく沈黙に、恭介と天理の表情が少しずつ引きつる。
そんな三人の様子を面白がるように見ていた千葉が、からかうような声を上げた。
「けーちゃん、こないだ借りてたじゃないの。まあ、忘れるってくらいなんだからどうせ読んでないんだろうけれども。ほら、『漫画……」
「『漫画・チャート式数II+B』です。お忘れと言うことはさぞや大切にしまわれていたのでしょうね」
千葉の言いかけたタイトルを引き継ぎ、天理がやや怒気を孕んだ声を放つ。
が、恭介も怒る天理の気持ちは良くわかるのだった。
はっきり言って、長期延滞者に取り立てに来て最も腹の立つパターンがこれなのである。すなわち、延滞者が本の存在を忘れている場合。
何らかの理由で読むのが遅くなってしまい読んでいる途中で期限が来てしまった、というのならまだ同情の余地もある。そう言った延滞者にはまず貸し出し延長制度の紹介をし、更にどうしても延滞が続くようなら個別に相談、等色々と対応を取ることが出来る。
だが、本人が本を借りたことを勝手に忘れる。
こればかりは図書委員の力ではいかんともしがたいのだ。
それに、そもそも返す気もないのに本を借りているのではないかという疑念さえも浮かんでくる。
図書委員冥利に尽きないことこの上ない。
「ん、ああ、そう言えばそんなのを借りたような気も……」
そう言いながら机の中をごそごそとやる神奈川。
折れ曲がったノート、しわくちゃになったプリント、恐らく普段机の中に放置したまま帰宅するのだろうと思われるものたちが次々と取り出され、一体どうやって収納されていたのかと不思議に思うほどの物が机上に積み上げられた末にその本は取り出された。
机の奥に無理矢理押し込まれていたのか、曲がり癖がついているが、幸いなことに折れ曲がり等は無いようだった。黄色い表紙に赤のタイトル。参考書とは思えないような可愛いキャラクターがペンと三角定規を持って正弦曲線を遠近法の彼方から延々と描いているイラストはシュールにさえ思える。タイトルロゴは丸っこい文字で『漫画☆チャート式数II+B』と謳っていた。
そもそも何故図書室に置いてあったのか眉根を押さえたくなるような本だが、長期延滞リストに上がっていた本に間違いない。
貸出日や現状から推測するに恐らく一ヶ月ぶりに日の目を見ただろうその本を差し出しながら、神奈川が言った。
「じゃあ、これ返しといてくれよ」
天理が答えた。
「お断りします」
「はあ?」
神奈川が呆れた様な声を上げる。
そう、これがこの仕事の味噌である。
あくまで、彼ら図書委員の仕事は催促であり、延滞図書の奪還であるとか本人の意志と無関係なところで図書の返却手続きのみを行うわけではないのだ。
手練手管を用いて図書長期延滞者、通称チョーエンに対して「本を返却しよう」という意思を持たせると共に図書を返却せしめねばならない。
これが意外と面倒くさい、というのは恭介は既に前回の初仕事の際に嫌と言うほど思い知っている。
ただ取りあげるだけならば簡単であるというのに、何故にこのように回りくどい仕組みを取っているのか、一度委員長に尋ねてみようと思っているのだが未だその機会は訪れていない。
「なんでよ? あなたたち、これを催促しに来たんでしょ? ならあなたたちが返しておいてくれればすべて丸く収まるんじゃないの?」
芝居がかった大袈裟さで驚きを露わにし、千葉が声を上げた。
が、天理はそれを冷たく無視すると神奈川の方へ真っ直ぐに言い放った。
「その本を借りたのは誰ですか? 私ですか? 先輩ですか? 先輩ですね。ならばそれは先輩自身の手で返却が為されるべきです」
眉一つ動かさずにそれだけのことを淡々と述べる天理は、まるで一つの機械のようだった。恭介と話していた時にあった柔らかさは今の彼女からは一切感じられない。
日頃の彼女と今日の彼女を比べてみるとただただ驚くことしか出来そうにない。
「つまり、アンタはオレの代わりにこの本を返却してくれっていうちょっとしたお願いも聞けない図書委員だと、そう言いたいわけか」
今度は脅そうと言うつもりなのか、声にほんのわずかな怒気と凄みを孕ませて神奈川が言う。
そのまま恭介の方へも視線をチラリと向ける。
「……なんてったっけ、そっちのお前も同じ意見なのか?」
上級生、それも筋骨隆々のスポーツマンに睨み付けられて、その視線の鋭さに一瞬思考が止まる。
が、口は素直にいつもの言葉を復唱していた。
「それがオレたち図書委員の仕事ですから」
慣れって恐ろしい、と思わざるを得ない。無論本能は目の前の上級生が恐くて恐くて仕方なかったりするのだが、そんなこととは無関係に脳髄に染みつけられた図書委員の職務内容は勝手に滑り出していた。嗚呼恐ろしきは図書委員会の訓練かな。
「ほほう……」
神奈川の態度がより一層迫力を増すのを感じ、恭介は慌てて付け加える。
「ま、まあ、実際この本にもこう書かれていますし」
そう言って恭介は昼休みから偶々持ちっぱなしだった本を咄嗟に取り出す。『ニッポン人の常識95』。
「曰く、『テメエのケツははテメエで拭え』」
それは恭介の本心だったのだが、勿論本の中にそんな口の悪い言葉が書かれているはずもなければ、今このタイミングで言うべき言葉でもないだろう。
当然のごとく、神奈川の怒気が益々膨らむのがわかる。
何故そんな言葉が口を突いて出てしまったのか、恭介は自分の脊髄を呪った。
がたり、と椅子をわずかに鳴らして神奈川が立ち上がる。その凶暴な双眸がこちらを見下ろしている。流石は空手部部長。ゴツい体は伊達でもでも何でもなく、正面から向き合って立つと恭介のことをアタマ一つ分ほど見下ろす恰好になる。
ああ、色々終わった。
反省するべきはどこか。自分のうかつな言動か。今回あまり天理と打ち合わせせずに来てしまったことか。チョーエンの発生を見てしまったことか。或いはそもそもこの図書委員会という無茶苦茶な委員会に入ってしまったことからだろうか。
高校に入ってからのわずかひと月ほどのスクールライフが走馬灯のごとく恭介の脳裏を駆けめぐり。
「待ってください」
唐突に、自分の腕が後ろ向きに信じられない勢いで引っ張られるのを感じた。
気がついたら恭介の体は二歩、三歩と後ろに下がっており、彼と神奈川との間に華奢な背中が見える。
「よもやと思いますが暴力、ですか?」
天理が鋭い視線で神奈川を見上げていた。
《続く》
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