ファイト+サーでファイター
どうも、よしけむです。
図書委員の続きはまたいずれ近いうちに必ずや、そんな呪詛めいたことを書きつつ久々に只のエントリです。宇宙人未来人異世界人的な何かを期待している方には残念なことですが、只のエントリです。
ブログ界の暗黙の了解として、「短い応答ならコメントで。長い応答ならトラックバックで」というものがあるらしいです。いや、僕もブロガーとしては非常にゆるーくやっているだけの甘甘人間なんで、実際の所どういう運用使い分けをするのがベストなのかはよく分かっていません。
ただ、端本さんの呟きから続いているいくつかの話が少し面白そうなので、長めの文章で反応してみむとてするなり。
てなわけで、よしけむの23rdエントリはコモンセンスとオリジナリティの境界線について。
お暇な方はわずかばかりお付き合いいただければ幸い。
図書委員の続きはまたいずれ近いうちに必ずや、そんな呪詛めいたことを書きつつ久々に只のエントリです。宇宙人未来人異世界人的な何かを期待している方には残念なことですが、只のエントリです。
ブログ界の暗黙の了解として、「短い応答ならコメントで。長い応答ならトラックバックで」というものがあるらしいです。いや、僕もブロガーとしては非常にゆるーくやっているだけの甘甘人間なんで、実際の所どういう運用使い分けをするのがベストなのかはよく分かっていません。
ただ、端本さんの呟きから続いているいくつかの話が少し面白そうなので、長めの文章で反応してみむとてするなり。
てなわけで、よしけむの23rdエントリはコモンセンスとオリジナリティの境界線について。
お暇な方はわずかばかりお付き合いいただければ幸い。
さて。件の端本さんのエントリで話題になっているのはフェンサーという単語ですね。
ここ一年ほど名称未定TRPG部会で遊んでいるゲームはソードワールド2.0というものでして、このゲームを遊ぶ上でプレイヤーが自分のキャラクターに持たせることの出来る技能の一つにフェンサーというものがあります。このゲームにおける主な特徴としては軽装備で蝶のように舞い蜂のように刺す。相手の攻撃は全部躱す。自分の攻撃は全部当てる。会心の一撃(クリティカル)を狙える。という辺りでして、漢字を当てるなら軽戦士。俊敏な動きでヒットアンドアウェーを狙うタイプの技能です。ただし、ゲームのルール設定上、ねらい所がヒットアンドアウェーでも前衛担当になりがちです(多くの場合充分に役をこなせます)。
正直な話、今までフェンサーの意味なんて考えたことがなかったのですよ、僕は。ゲームの用語というのは語源がめちゃめちゃな場合も多いので、パッと理解できるのは理解するし、直感的にピンと来ないものはそのまんまスルーして飲み込んじゃうっていうことが、僕の場合は多いです。例えば某Tから始まる有名シリーズにはセルシウスという氷の精霊がいますが、語源を考えると「うん?」って首を捻りたくなります。そういうのもあるんで、あんまり考えないことにしています。
しかしながら、これだけ話が盛り上がると気になるのも人情というモノ。それでは英和辞典を引いてみましょうか。
フェンシングの選手、というのは確かに軽装備で戦う軽戦士のイメージと合いそうです。では更にこの語源である動詞を引いてみましょうか。
ここでもやはりポイントになりそうなのはフェンシングですね。どうやらソードワールド2.0のフェンサーはフェンシングのイメージが強く反映されたもののようです。フェンシングというスポーツ自体がある種の護身術から発展してdefenceの関連単語をその名に冠した歴史があるのではないかと推察します。フェンシングは一応己の身と名誉を守るスポーツ、という見解が存在するのもその裏付けになるのではないでしょうか。
では何故フェンシングで軽戦士を代表させるようなことになっているか。これは恐らく軽戦士という単語自体が日本のRPG業界の造語だからではなかろうか、とよしけむは愚考します。
歴史的なことはあんまり詳しくないので触れたくないのですが、恐らく軽戦士という概念はWikipediaに紹介されている軽装歩兵というやつが該当するのでしょう。戦士という言い方をしていないのは、そもそも国家権力その他の軍勢の一部として働く「兵」であることが前提だからでしょう。
ソードワールド2.0を初めとして、いわゆるファンタジー世界を舞台とするゲームのモデルイメージは恐らく中世でしょう。剣と魔法の世界。その魔法要素については錬金術や魔女裁判が行われており、拳については言わずもがな。拳銃という圧倒的な殺傷力がこの世に生を受けるかどうかと言う程度の時代が世界観としてロマンに満ちあふれていることは、僕の中では疑いようがないこととなっています。
ただし、歴史とゲームでは大きな違いがある。いわゆる冒険者というような職業――つまり権力に縛られず、魔物を倒し、人の世の平和を護りながらお金を稼いで生きていく荒くれ者たちの存在――は無かっただろうということです。
戦士というのはとりもなおさず兵ないし傭兵であり、隊列や作戦行動に組み込まれた上で戦うのが大前提であった。
となれば、軽戦士などという単語が実際の歴史の中で生まれなかっただろうことも想像に難くありません。
因みに軽装歩兵は英語で言うところのlight infantryだそうで、ゲームの用語としては長すぎる上に歩兵っていうと何となくゲームのイメージと合わない(というかRPGではなく中世戦略SLGに成ってしまう)ような気がするのは僕だけでしょうか?
ただ一方でゲームをデザインする上では攻撃を全て受け止める重武装の重戦士がいる反対側で蝶のように舞い蜂のように刺すヒットアンドアウェー型の身軽な戦士という立ち位置があった方が面白みが出る、と言う考え方から軽戦士というものが生み出されたわけで……、それに与えられた名前がフェンシングであるというのは至極納得が出来ることのような気がするのです。
こんなことをつらつらと考えておりますと。
フェンサーがフェンシングであることに気付かなかったのは、自分の鈍さに反省しなければならない点だと感じて成らない今日この頃であります。フェンサーといわゆる軽戦士というのはイメージ的には割とピタリとあって、フェンシングという"つなぎ"を噛ませて想像するにこの言葉のイメージ合致度はかなり高い。惜しむらくは日本に於いては「フェンシング」という言葉は一般的であってもその選手のことを決して「フェンサー」と呼ぶことがないと言う程度のことでしょうか。いやはや、この名付けは上手く考えられたものだとほとほと思いました。
ことTRPGのような想像力で勝負を駆ける世界、或いはラノベ(イラストも一応入るけど)などでは、言葉がでクリティカルにイメージを喚起するということが割と重みを持つと思うのです。
全ての創造活動が何らかの模倣を礎にしている、というのは良く言われる話ですが、同じロジックで行くならば全ての想像(読解)活動が何らかの連想を礎にしているということも言えないでしょうか?
僕のような字書きが何かを読み手に伝えたい時、或いはTRPGの舞台で他のプレイヤーやGMとともに物語を紡いでいく時、同じ世界を共有する上で大切なことは、相手が分かることを言うということだと思うのです。その言葉が相手の想像の範疇に収まること、何のことか伝わること、これはとても大切なことです。
例えば
なんてことをしても、誰もついてこられない作者の自己満足になるだろうことは想像に難くありませんよね。変なところで不必要なオリジナリティを求めて読者の理解を拒むような姿勢を見せてしまうのは本末転倒、と言いたいのですよ。
え? じゃあオリジナリティを出すのは行けないことだとでも言う気かと思われるかも知れません。そんなことは、勿論無いわけですよ。仮に上記のアブソリュートマスターという職業がある世界を書くとしても、その職業の存在理由が物語の根幹に深く根ざしたモノで、主人公の解決すべき問題と大きく関わって物語の中心歯車である、なんて展開をしていくのなら、大歓迎ですよ。いろいろな要素を積み上げた結果として他の誰もやらないような独創的な結果に行き着く、その過程をきちんと描ききるのなら、それはきっと素晴らしいモノになるのではないでしょうか。
だけど例えば物語に殆ど関わらない村人Aの職業が実はアブソリュートマスターで、なんか単語は出てきたけどあとで触れられることは一切無かった、となれば全く意味がないし意味不明なんですよ。そういう……副成分とでも言いましょうか。脇を固めるバックグラウンドイメージの部分は、みんなが持っている共通認識をうま~い具合に引き出せる描写でリアリティを出せたらいいなぁ、と思うんですよね。そうしなければ説明がやたら多くなって変にだらける、なんてことにも成りかねませんしね。
今まで誰もやったことのないこと。というのはどういうことかと考えた時に。ソレは果たして
今まで誰も思いつかなかったこと、なのか。
今までもこれからも他の誰もやる必要を感じないこと、なのか。
はとても重要だと思うんです。
変に独創性を追求していくと、誰もやっていない、というその一点にばかり目を奪われて全く無意味なことをあたかも意味があるように言って変なことをし出すというようなことに陥る危険性があるんですよねー。「オレ、天才じゃね?」って思った時は多くの場合は何か変な勘違いをしているんですよね……。いやはや、その辺りのラインを見極めて、有意義な活動をしていきたいなと思います。
この辺りで話の区切りも宜しいようで。
それではこれにて失礼。
忘れるところだった単語リレー。
>パソコン
皆さんとパソコンとの出会いはいつでしょうか?
僕は小学校4年生の頃。世間にWindows98旋風が吹き荒れるほんのわずか前に我が家にパソコンがやって来たような記憶があります。MacOS漢字Talk7.5だったんじゃないかなぁ……。その辺りの記憶は曖昧ですが、ボォーンっていう起動音は今でも懐かしく覚えています。ジャジャーン!っていうWindows95の起動音は言わずもがなですよ。
そんな僕にとってはSCSIであるとか3.5インチFDであるとかMOだとか、ダイヤルアップ接続だとかの事柄は常識なのですが、良く同年代の人相手にジェネレーションギャップを感じることがあります。MOって知らない人多いんですね。フラッシュメモリに席巻された書き換え可能メディア界では、まあ仕方のないことなのでしょうけれども。
いろいろなことに触れる機会があった自分の周囲の環境に感謝するべき、なんでしょうね。
あ、因みにそんな僕はUSBフラッシュメモリをUSBって略すのは嫌いなタイプです。せめてUSBメモリって呼ぼうよ!
ここ一年ほど名称未定TRPG部会で遊んでいるゲームはソードワールド2.0というものでして、このゲームを遊ぶ上でプレイヤーが自分のキャラクターに持たせることの出来る技能の一つにフェンサーというものがあります。このゲームにおける主な特徴としては軽装備で蝶のように舞い蜂のように刺す。相手の攻撃は全部躱す。自分の攻撃は全部当てる。会心の一撃(クリティカル)を狙える。という辺りでして、漢字を当てるなら軽戦士。俊敏な動きでヒットアンドアウェーを狙うタイプの技能です。ただし、ゲームのルール設定上、ねらい所がヒットアンドアウェーでも前衛担当になりがちです(多くの場合充分に役をこなせます)。
正直な話、今までフェンサーの意味なんて考えたことがなかったのですよ、僕は。ゲームの用語というのは語源がめちゃめちゃな場合も多いので、パッと理解できるのは理解するし、直感的にピンと来ないものはそのまんまスルーして飲み込んじゃうっていうことが、僕の場合は多いです。例えば某Tから始まる有名シリーズにはセルシウスという氷の精霊がいますが、語源を考えると「うん?」って首を捻りたくなります。そういうのもあるんで、あんまり考えないことにしています。
しかしながら、これだけ話が盛り上がると気になるのも人情というモノ。それでは英和辞典を引いてみましょうか。
fencer
1.フェンシングの選手、剣士、剣客。
2.障害を飛び越すよう訓練された馬。
3.柵を作る人
フェンシングの選手、というのは確かに軽装備で戦う軽戦士のイメージと合いそうです。では更にこの語源である動詞を引いてみましょうか。
fence 〔defenceの頭音消失形〕
1.囲いをめぐらす、柵をめぐらす。
2.防ぐ、守る
3.フェンシングをする。フェンシングのように攻防両面の戦いをする
4.論争相手をやりこめる、軽妙にあしらう
5.馬などが障害物を上手く飛び越す
ここでもやはりポイントになりそうなのはフェンシングですね。どうやらソードワールド2.0のフェンサーはフェンシングのイメージが強く反映されたもののようです。フェンシングというスポーツ自体がある種の護身術から発展してdefenceの関連単語をその名に冠した歴史があるのではないかと推察します。フェンシングは一応己の身と名誉を守るスポーツ、という見解が存在するのもその裏付けになるのではないでしょうか。
では何故フェンシングで軽戦士を代表させるようなことになっているか。これは恐らく軽戦士という単語自体が日本のRPG業界の造語だからではなかろうか、とよしけむは愚考します。
歴史的なことはあんまり詳しくないので触れたくないのですが、恐らく軽戦士という概念はWikipediaに紹介されている軽装歩兵というやつが該当するのでしょう。戦士という言い方をしていないのは、そもそも国家権力その他の軍勢の一部として働く「兵」であることが前提だからでしょう。
ソードワールド2.0を初めとして、いわゆるファンタジー世界を舞台とするゲームのモデルイメージは恐らく中世でしょう。剣と魔法の世界。その魔法要素については錬金術や魔女裁判が行われており、拳については言わずもがな。拳銃という圧倒的な殺傷力がこの世に生を受けるかどうかと言う程度の時代が世界観としてロマンに満ちあふれていることは、僕の中では疑いようがないこととなっています。
ただし、歴史とゲームでは大きな違いがある。いわゆる冒険者というような職業――つまり権力に縛られず、魔物を倒し、人の世の平和を護りながらお金を稼いで生きていく荒くれ者たちの存在――は無かっただろうということです。
戦士というのはとりもなおさず兵ないし傭兵であり、隊列や作戦行動に組み込まれた上で戦うのが大前提であった。
となれば、軽戦士などという単語が実際の歴史の中で生まれなかっただろうことも想像に難くありません。
因みに軽装歩兵は英語で言うところのlight infantryだそうで、ゲームの用語としては長すぎる上に歩兵っていうと何となくゲームのイメージと合わない(というかRPGではなく中世戦略SLGに成ってしまう)ような気がするのは僕だけでしょうか?
ただ一方でゲームをデザインする上では攻撃を全て受け止める重武装の重戦士がいる反対側で蝶のように舞い蜂のように刺すヒットアンドアウェー型の身軽な戦士という立ち位置があった方が面白みが出る、と言う考え方から軽戦士というものが生み出されたわけで……、それに与えられた名前がフェンシングであるというのは至極納得が出来ることのような気がするのです。
こんなことをつらつらと考えておりますと。
フェンサーがフェンシングであることに気付かなかったのは、自分の鈍さに反省しなければならない点だと感じて成らない今日この頃であります。フェンサーといわゆる軽戦士というのはイメージ的には割とピタリとあって、フェンシングという"つなぎ"を噛ませて想像するにこの言葉のイメージ合致度はかなり高い。惜しむらくは日本に於いては「フェンシング」という言葉は一般的であってもその選手のことを決して「フェンサー」と呼ぶことがないと言う程度のことでしょうか。いやはや、この名付けは上手く考えられたものだとほとほと思いました。
ことTRPGのような想像力で勝負を駆ける世界、或いはラノベ(イラストも一応入るけど)などでは、言葉がでクリティカルにイメージを喚起するということが割と重みを持つと思うのです。
全ての創造活動が何らかの模倣を礎にしている、というのは良く言われる話ですが、同じロジックで行くならば全ての想像(読解)活動が何らかの連想を礎にしているということも言えないでしょうか?
僕のような字書きが何かを読み手に伝えたい時、或いはTRPGの舞台で他のプレイヤーやGMとともに物語を紡いでいく時、同じ世界を共有する上で大切なことは、相手が分かることを言うということだと思うのです。その言葉が相手の想像の範疇に収まること、何のことか伝わること、これはとても大切なことです。
例えば
今度書くファンタジーの世界にはアブソリュートマスターという職業があって(以下略)
なんてことをしても、誰もついてこられない作者の自己満足になるだろうことは想像に難くありませんよね。変なところで不必要なオリジナリティを求めて読者の理解を拒むような姿勢を見せてしまうのは本末転倒、と言いたいのですよ。
え? じゃあオリジナリティを出すのは行けないことだとでも言う気かと思われるかも知れません。そんなことは、勿論無いわけですよ。仮に上記のアブソリュートマスターという職業がある世界を書くとしても、その職業の存在理由が物語の根幹に深く根ざしたモノで、主人公の解決すべき問題と大きく関わって物語の中心歯車である、なんて展開をしていくのなら、大歓迎ですよ。いろいろな要素を積み上げた結果として他の誰もやらないような独創的な結果に行き着く、その過程をきちんと描ききるのなら、それはきっと素晴らしいモノになるのではないでしょうか。
だけど例えば物語に殆ど関わらない村人Aの職業が実はアブソリュートマスターで、なんか単語は出てきたけどあとで触れられることは一切無かった、となれば全く意味がないし意味不明なんですよ。そういう……副成分とでも言いましょうか。脇を固めるバックグラウンドイメージの部分は、みんなが持っている共通認識をうま~い具合に引き出せる描写でリアリティを出せたらいいなぁ、と思うんですよね。そうしなければ説明がやたら多くなって変にだらける、なんてことにも成りかねませんしね。
今まで誰もやったことのないこと。というのはどういうことかと考えた時に。ソレは果たして
今まで誰も思いつかなかったこと、なのか。
今までもこれからも他の誰もやる必要を感じないこと、なのか。
はとても重要だと思うんです。
変に独創性を追求していくと、誰もやっていない、というその一点にばかり目を奪われて全く無意味なことをあたかも意味があるように言って変なことをし出すというようなことに陥る危険性があるんですよねー。「オレ、天才じゃね?」って思った時は多くの場合は何か変な勘違いをしているんですよね……。いやはや、その辺りのラインを見極めて、有意義な活動をしていきたいなと思います。
この辺りで話の区切りも宜しいようで。
それではこれにて失礼。
忘れるところだった単語リレー。
>パソコン
皆さんとパソコンとの出会いはいつでしょうか?
僕は小学校4年生の頃。世間にWindows98旋風が吹き荒れるほんのわずか前に我が家にパソコンがやって来たような記憶があります。MacOS漢字Talk7.5だったんじゃないかなぁ……。その辺りの記憶は曖昧ですが、ボォーンっていう起動音は今でも懐かしく覚えています。ジャジャーン!っていうWindows95の起動音は言わずもがなですよ。
そんな僕にとってはSCSIであるとか3.5インチFDであるとかMOだとか、ダイヤルアップ接続だとかの事柄は常識なのですが、良く同年代の人相手にジェネレーションギャップを感じることがあります。MOって知らない人多いんですね。フラッシュメモリに席巻された書き換え可能メディア界では、まあ仕方のないことなのでしょうけれども。
いろいろなことに触れる機会があった自分の周囲の環境に感謝するべき、なんでしょうね。
あ、因みにそんな僕はUSBフラッシュメモリをUSBって略すのは嫌いなタイプです。せめてUSBメモリって呼ぼうよ!
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- 日記
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