向き不向きとか分相応とか適材適所なこと
もう4回生です。
浪人中にも少しは御絵描きをしてはいましたが、色々と創作活動をし始めたのは主に大学に入ってからですからもう4年目です。その程度とはいえ、創作をしていると分かってくるのが、「描きたいもの」と「描きやすいもの」の差です。
例えばフランク永井やささきいさおみたいな低い声の人がいたとして、
その人がいくら山下達郎や小田和正に憧れても
テクニックはともかくあの高音で歌うことは出来ない、みたいな。
いちいち例に挙げる人が古いねどうもw
自分の場合、その肉体的限界が曲線。
どんなに頑張っても流麗な自由曲線ってのが引けなくて。
ペンがどうとかってんじゃなくて、鉛筆でもそうなんで
どうもキレイな曲線描けないDNAが存在してるみたいで。
特に長い髪はムリ。他の部分だったら細かい線を重ねてなんとか描いてますが、
髪はやっぱ一本線じゃないとダメじゃないですか。
あ、あと巨乳もキレイな円弧を描けないとムリだ(笑)。
~(中略)~
その一方で短いストロークしか描けないってのを開き直って
味にしちゃえって描いてるのが今の絵柄なワケで。
眼の大きさとかバランスとかテクニカルな部分なら
結構変更も効きますが、線だけはもうこの線しか描けませんねえ。
低い声の人が無理して高音の曲を歌うくらいだったら
低音を活かした曲で勝負した方がいいんじゃないかなと。
少しは自覚がありますが、まだ経験の浅い身としては、あっさりとそこに限界を見出してしまうと言うのもダメな気がする訳で(※海野先生ほどのキャリアのある方なら話は別です)、引き際というか諦めをどこに見出すのかというのも難しいですね。
単語リレー、続けます。前回記事はこれ。
>価値観
受験生時代によく言われた事として、「『価値感』ではなく『価値観』だ」ということがありました。比較的受験生が使いがちな誤字なんだそうです。主に現代文や英文解釈の先生に言われましたね。他方、英作文の講師が堂々と黒板に『価値感』と書いていたこともありました。自分の中で間違わないようにするための理屈として「価値を見出すものの観方」という意味で覚えていました。そうやってより砕けた日本語に変換できるかどうか、ということはこういう誤字の回避の他にも正しい意味の理解にも繋がるものですよね。逆に難しい表現に変換すると言うのは小説での表現の幅を持たせる為に行ったりもします。とはいえ、私自身それほど語彙が豊富な訳ではないので、執筆中はネット上の『類義語辞書』のサイトに相談しながら書いています。文明の利器最高!
<八墓ゆう>
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