湯治の旅
どうも、樹林です。
9月中旬、青森の温泉に浸かりに行ってきました。
その時考えたことなど。
神経痛はまだ患ってません。
9月中旬、青森の温泉に浸かりに行ってきました。
その時考えたことなど。
神経痛はまだ患ってません。
青森へは、大学に入学した年の夏にも行ったことがあります。
5年ぶりですか。
その時は恐山が目的地でした。
今回青森駅に着くと、何となく懐かしくて、5年前に立ち寄った
駅前の喫茶店など探してしまいました。
駅から、嘗ても乗った十和田湖行きのバスに乗り、
今回目指す蔦温泉へ。
以前来た時、いつかこんな山間の温泉宿で療養(?)してみたいと
思っていたのでした。
蔦温泉は、趣のある古い旅館です。
今回の旅は写真がありません。
カメラを持たずに旅に出るのは、一種の贅沢ではないかと思います。
誰もがデジカメや携帯のカメラを持つようになってから、
自分の目で景色を眺める時間が減ったように感じられることへの
反発かも知れません。
写真を作品として、その出来に徹底的に拘る人でなければ、
写真とは多くの場合誰かと共有するためにあるわけですよね。
そこにいない誰かか、或いは未来の自分か。
それが悪いというわけではないのですが、でも私は
自分の目で見ようと思ったのです。
自分のために残すということに関して言えば、
写真を残すより印象を残したいですね。
さて、話を戻しますと、この旅館は斜面に建てられているのか、
私の泊まる部屋まで行くのに、真っ直ぐな階段を80段あまり
上らなければなりませんでした。
到着したのは午後2時頃。
宿でゆっくりするのが目的の旅なので、食事の時間まで
辺りを散策したり温泉に浸かったりしていました。
ここの温泉は昔ながらの雰囲気で、洗い場には溜まったお湯と
手桶があるだけでした。
夕方には部屋で小説の構想を考えました。
旅館で小説を考えるなんて、文豪気取りですとも。
翌朝夜明けとともに起き、近くの蔦沼を見に行きました。
前日も見ましたが雨でしたし、早朝の水面を見てみたかったのです。
森の中の道を行くと、明るく開けた所があり、そこに沼があります。
この日はよく晴れていて、対岸の木立の向こうの赤い肌の山が
はっきりと見えました。
それが鮮明に水面に映り込み、そこに水があることがわからないほどでした。
沼を過ぎ、前日は通らなかった方の道を選んで森へ踏み込みました。
木陰に生える白いギョリンソウを、はじめて見ました。
緑の葉を持たない腐生植物なのですが、不思議な趣をしています。
その傍にあまりにも白く透けているために薄紫色にも見えるきのこが
生えていました。
なんていうか、森の妖精さんの集会所のようだと思わずにはおれません(笑)
そんな珍しい光景を見てしまった私はその後道を見失い、
引き返したために朝食の時間に若干遅れてしまったのでした。
この日はJR五能線に乗り、黄金崎不老ふ死温泉へ向かいました。
ワンマン電車が走るような鉄道の路線が好きな私も
事前に察知してはいなかったのですが、
五能線は海に沈む夕陽が見える素敵路線だったのですよ。
暮れ時に到着した艫作駅は、勿論改札のない、小さな駅でした。
しかし翌朝見れば、線路に面して花壇のある、こぎれいな駅でしたね。
この駅名が読めなかったばかりに切符を買うのに如何に苦労したことか。
この日のお宿は、建物は新しいのですが、前日の宿に劣らぬ不思議な造りです。
玄関から入ると3階で、その階で旧館と新館が繋がっており、
間違ったエレベーターで降りてしまうと、目的の場所にたどり着けなかったり
するのです。
この日は宿に着いてすぐに夕食をいただきました。
そこで茶碗蒸しが出たのですが、これが甘かったのです。
先日和歌山へ合宿に行った時も茶碗蒸しが出ましたが、
甘くなかったんですよね。
私は北海道出身です。
北海道では甘い茶碗蒸ししか食べたことがありません。
関西の茶碗蒸しが甘くないということはもう知っています。
しかしこちら(京都)に来てからことあるごとに
「茶碗蒸しって甘いものじゃない?」と聞いてみているのですが、
賛同を得られたことが一度もありません。
そこで茶碗蒸しが甘いのは北海道だけ、或いは自分の住んでた地域だけ
かも知れないと思い始めていたのですが、青森でも甘かったんですね!
嬉しいですとも。甘い茶碗蒸しの方がおいしいです(主観)。
うなぎは入ってなくてもいいです。でも底に黄色い栗が入ってないと
茶碗蒸しじゃありません。
きっと日本のどこかに茶碗蒸しが甘くなくなる境界線があるのでしょうね。
ところで、お給仕されていて思ったのですが、女性の東北弁は
とても柔らかくて優しいですね。
でも時々聞き取れません……
夕食の後、温泉に浸かりました。
ここのお湯は、よく言えば黄金色に濁っていて、金属のにおいがします。
露天風呂からは真暗な海が見えました。
そして上を見上げた時、予期せずして、これまで見たことのないほど
沢山の星を見てしまったのです。
辺鄙な所だからでしょうか。海の上だから、或いは
気候の条件が良かったからかも知れません。
普段見えないような小さな星が鮮明に見えると、天球は星に埋め尽くされて
いました。
たぶん生まれてはじめて、天の川をはっきりと見ました。
天の川ってどうして星が集まって見えるか知っていますか?
なんでも、パンケーキ型をした銀河の細い側面に当たる部分だから、
特に多くの星が見えるそうですよ。
私は露天風呂に浸かりながら、自分は今銀河の側面の方を向いているのだな、
と感慨に浸ったのでした。
翌朝、また夜明けとともに起き、昨夜とは違う露天風呂へ向かいました。
そこは明かりがないため、日の出から日没までしか入れないのです。
これまで、私は温泉がそれほど好きだったわけではないんですよね、
と言ってももう信じてもらえないかも知れませんが。
少なくとも、朝風呂に入ったのは今回がはじめてです。
沼へ行くためなら早起きできても、朝風呂のためには出来ないと
思っていました。
でも変わりましたね。段々温泉が好きになってきたのでしょうか。
建物を出て海の方へ下ると、その露天風呂は海に臨む岩場にありました。
高波になると沈むそうです。
早起きした甲斐があり、一番乗りです。
立地もあり、早起きが非日常ということもあり、わくわくしましたね。
今回の旅行では、死ぬまでにやりたい100のことの4番
「(蔦温泉のような)温泉宿でゆっくりする」と24番
「天の川をはっきり見る」をクリアしたのでした。
あと東北で甘い茶碗蒸しに出会えたということもあり、
予期せぬ収穫のあった旅行でした。
追記の追記。
とあるインターネットリサーチによると、
北海道の家庭では「茶碗蒸しは甘い味付け」率が46%。
この率は次いで東北地方が高く、28%だそうです。
気になる方は「アンケー党 茶碗蒸し 甘い」とかで
検索してみてください。
茶碗蒸しが甘いのはこの地域に限ったことではなく、
どこでも少数派ながら「家庭では甘い味付け」派がいるようです。
中国地方でも16%と比較的高くなっていますね。
あと、北海道では変なものに砂糖を入れるという
指摘もあるようですが、私は
納豆には入れません。
麦茶にも入れません。
でも赤飯に入ってるのは甘い豆でした。
トマトにはたまにかけます。
そういえばポテトサラダも若干甘かったような……
でもこれらはその人、というかその家庭の好みですね。
茶碗蒸しも、半数に達していないあたり
好みの問題かもしれませんが。
因みに私は、プリンのカラメルは甘さ控えめで
苦味がないと嫌です。
甘いだけのプリンは高級感がありません(主観)。
つまり北海道人は何でも甘くなければ気が済まない
というわけではない、ということです。
5年ぶりですか。
その時は恐山が目的地でした。
今回青森駅に着くと、何となく懐かしくて、5年前に立ち寄った
駅前の喫茶店など探してしまいました。
駅から、嘗ても乗った十和田湖行きのバスに乗り、
今回目指す蔦温泉へ。
以前来た時、いつかこんな山間の温泉宿で療養(?)してみたいと
思っていたのでした。
蔦温泉は、趣のある古い旅館です。
今回の旅は写真がありません。
カメラを持たずに旅に出るのは、一種の贅沢ではないかと思います。
誰もがデジカメや携帯のカメラを持つようになってから、
自分の目で景色を眺める時間が減ったように感じられることへの
反発かも知れません。
写真を作品として、その出来に徹底的に拘る人でなければ、
写真とは多くの場合誰かと共有するためにあるわけですよね。
そこにいない誰かか、或いは未来の自分か。
それが悪いというわけではないのですが、でも私は
自分の目で見ようと思ったのです。
自分のために残すということに関して言えば、
写真を残すより印象を残したいですね。
さて、話を戻しますと、この旅館は斜面に建てられているのか、
私の泊まる部屋まで行くのに、真っ直ぐな階段を80段あまり
上らなければなりませんでした。
到着したのは午後2時頃。
宿でゆっくりするのが目的の旅なので、食事の時間まで
辺りを散策したり温泉に浸かったりしていました。
ここの温泉は昔ながらの雰囲気で、洗い場には溜まったお湯と
手桶があるだけでした。
夕方には部屋で小説の構想を考えました。
旅館で小説を考えるなんて、文豪気取りですとも。
翌朝夜明けとともに起き、近くの蔦沼を見に行きました。
前日も見ましたが雨でしたし、早朝の水面を見てみたかったのです。
森の中の道を行くと、明るく開けた所があり、そこに沼があります。
この日はよく晴れていて、対岸の木立の向こうの赤い肌の山が
はっきりと見えました。
それが鮮明に水面に映り込み、そこに水があることがわからないほどでした。
沼を過ぎ、前日は通らなかった方の道を選んで森へ踏み込みました。
木陰に生える白いギョリンソウを、はじめて見ました。
緑の葉を持たない腐生植物なのですが、不思議な趣をしています。
その傍にあまりにも白く透けているために薄紫色にも見えるきのこが
生えていました。
なんていうか、森の妖精さんの集会所のようだと思わずにはおれません(笑)
そんな珍しい光景を見てしまった私はその後道を見失い、
引き返したために朝食の時間に若干遅れてしまったのでした。
この日はJR五能線に乗り、黄金崎不老ふ死温泉へ向かいました。
ワンマン電車が走るような鉄道の路線が好きな私も
事前に察知してはいなかったのですが、
五能線は海に沈む夕陽が見える素敵路線だったのですよ。
暮れ時に到着した艫作駅は、勿論改札のない、小さな駅でした。
しかし翌朝見れば、線路に面して花壇のある、こぎれいな駅でしたね。
この駅名が読めなかったばかりに切符を買うのに如何に苦労したことか。
この日のお宿は、建物は新しいのですが、前日の宿に劣らぬ不思議な造りです。
玄関から入ると3階で、その階で旧館と新館が繋がっており、
間違ったエレベーターで降りてしまうと、目的の場所にたどり着けなかったり
するのです。
この日は宿に着いてすぐに夕食をいただきました。
そこで茶碗蒸しが出たのですが、これが甘かったのです。
先日和歌山へ合宿に行った時も茶碗蒸しが出ましたが、
甘くなかったんですよね。
私は北海道出身です。
北海道では甘い茶碗蒸ししか食べたことがありません。
関西の茶碗蒸しが甘くないということはもう知っています。
しかしこちら(京都)に来てからことあるごとに
「茶碗蒸しって甘いものじゃない?」と聞いてみているのですが、
賛同を得られたことが一度もありません。
そこで茶碗蒸しが甘いのは北海道だけ、或いは自分の住んでた地域だけ
かも知れないと思い始めていたのですが、青森でも甘かったんですね!
嬉しいですとも。甘い茶碗蒸しの方がおいしいです(主観)。
うなぎは入ってなくてもいいです。でも底に黄色い栗が入ってないと
茶碗蒸しじゃありません。
きっと日本のどこかに茶碗蒸しが甘くなくなる境界線があるのでしょうね。
ところで、お給仕されていて思ったのですが、女性の東北弁は
とても柔らかくて優しいですね。
でも時々聞き取れません……
夕食の後、温泉に浸かりました。
ここのお湯は、よく言えば黄金色に濁っていて、金属のにおいがします。
露天風呂からは真暗な海が見えました。
そして上を見上げた時、予期せずして、これまで見たことのないほど
沢山の星を見てしまったのです。
辺鄙な所だからでしょうか。海の上だから、或いは
気候の条件が良かったからかも知れません。
普段見えないような小さな星が鮮明に見えると、天球は星に埋め尽くされて
いました。
たぶん生まれてはじめて、天の川をはっきりと見ました。
天の川ってどうして星が集まって見えるか知っていますか?
なんでも、パンケーキ型をした銀河の細い側面に当たる部分だから、
特に多くの星が見えるそうですよ。
私は露天風呂に浸かりながら、自分は今銀河の側面の方を向いているのだな、
と感慨に浸ったのでした。
翌朝、また夜明けとともに起き、昨夜とは違う露天風呂へ向かいました。
そこは明かりがないため、日の出から日没までしか入れないのです。
これまで、私は温泉がそれほど好きだったわけではないんですよね、
と言ってももう信じてもらえないかも知れませんが。
少なくとも、朝風呂に入ったのは今回がはじめてです。
沼へ行くためなら早起きできても、朝風呂のためには出来ないと
思っていました。
でも変わりましたね。段々温泉が好きになってきたのでしょうか。
建物を出て海の方へ下ると、その露天風呂は海に臨む岩場にありました。
高波になると沈むそうです。
早起きした甲斐があり、一番乗りです。
立地もあり、早起きが非日常ということもあり、わくわくしましたね。
今回の旅行では、死ぬまでにやりたい100のことの4番
「(蔦温泉のような)温泉宿でゆっくりする」と24番
「天の川をはっきり見る」をクリアしたのでした。
あと東北で甘い茶碗蒸しに出会えたということもあり、
予期せぬ収穫のあった旅行でした。
追記の追記。
とあるインターネットリサーチによると、
北海道の家庭では「茶碗蒸しは甘い味付け」率が46%。
この率は次いで東北地方が高く、28%だそうです。
気になる方は「アンケー党 茶碗蒸し 甘い」とかで
検索してみてください。
茶碗蒸しが甘いのはこの地域に限ったことではなく、
どこでも少数派ながら「家庭では甘い味付け」派がいるようです。
中国地方でも16%と比較的高くなっていますね。
あと、北海道では変なものに砂糖を入れるという
指摘もあるようですが、私は
納豆には入れません。
麦茶にも入れません。
でも赤飯に入ってるのは甘い豆でした。
トマトにはたまにかけます。
そういえばポテトサラダも若干甘かったような……
でもこれらはその人、というかその家庭の好みですね。
茶碗蒸しも、半数に達していないあたり
好みの問題かもしれませんが。
因みに私は、プリンのカラメルは甘さ控えめで
苦味がないと嫌です。
甘いだけのプリンは高級感がありません(主観)。
つまり北海道人は何でも甘くなければ気が済まない
というわけではない、ということです。
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