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清水幾太郎と西田幾多郎が時々ごっちゃになる

岩波新書で出ている「論文の書き方」(清水幾多郎著)がおもしろかったので紹介です。

まだ読み終えてないのですが、半分くらい読み終えた所感をまず書いてみます。彼の語りのなかで、画家と文筆家の創作プロセスの比較・分析が何度かでてきます。この本自体は論文(=ある種の文章)を書くことを念頭において書かれているわけですが、絵描きにとっては逆に絵、とくに一枚絵を描くプロセスについての分析と見ることもできそうです。


清水が学生時代に専門誌での外書紹介文をつくるアルバイトの中で一定の長さの短文を作る訓練をしてきて、そこでの経験から長い文章を書く際も「短文の積み重ね(p.17)」によってものを書くようになったと語っています。その短文の位置づけとして、清水は次のように、全体と部分が相互に循環するようなイメージをのべています。

長い文章は一つの機械のようなもので、沢山の短文は、相寄って機械を組み立てている部分品のようなものである。・・・(中略)・・・部分品がなければ、機械は出来ない・・・(中略)・・・けれども、はじめに機械全体のイメージがなかったら、どんな部分品を作ったらよいか、その見当もつかない筈である。・・・(中略)・・・短文が長い文章の前提であると言うとき、別の意味で、長い文章が短文の前提であるという真実を認めているのである。(p.17-p.18)


そして、

絵画の展覧会へ行くと、・・・(中略)・・・小さなデッサンが並べられていることがある。・・・(中略)・・・私は画家の生活というものをまったく知らないが、美しい大きな油絵を描く前に、画家は何十枚も何百枚も地味な小さなデッサンを研究しているに違いない。・・・(中略)・・・あの短文というのは、特に、長い文章の前提としての短文というのは、絵画における小さいデッサンに相当するように思う。(前掲書p.21-p.22)


と絵描きとのリンクが示唆されるわけです。そう、その辺が頭を使うところで、楽しいところでもあるのですよね。なかなかみっちり考え抜いた全体のイメージを作り上げるところまでいかないですが、その「全体のイメージ」に合わせて描く人物のもつ小物・服装・髪型・年齢性別といった要素を選んでいく過程はなんとなくでも経ている気がします。(思い描いていてもいざ描いてみるとショボーン('・ω・`)となってしまうのですけどね・・・。)そういえば菅野博士の「快描教室」でも絵を描く前の「妄想」の重要性が細かな描写の技術と併せて力説されていたっけ。物書きどうし考えることはつうじているものなのだな、と感じます。細部の表現を模索した成果は、全体としての完成形イメージが的確に表現できたときにこそぱぁっとはじけ広がるのでしょうね。せっかくだから行きつくところまでいきたいものです。


んー、考えすぎて頭からガスが出てきました。読み進められたらその辺も踏まえてもう少し続きを書きます。たぶん。

[端本昴]

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