NFリレー小説【三日目】
こんにちは、美崎です。
リレー小説が連日盛り上がってくれて、企画者たる僕は大変うれしいです。
さて三日目は、イワシとしてのオオサンショウウオが意識の海で漂うお話になっております。
では、お楽しみください。
リレー小説が連日盛り上がってくれて、企画者たる僕は大変うれしいです。
さて三日目は、イワシとしてのオオサンショウウオが意識の海で漂うお話になっております。
では、お楽しみください。
●11月24日(土)
創世記758年、世界は闇に包まれていた。
細かいことはどうでもいい。ただ“世界は闇に包まれている”という、その事実だけが重要であるのだ。文明が一度滅び、自然に還ったこの創世記において、“闇に包まれている”というのはすなわち“何も見えない”ということを表していた。人類の目は確実に退化していった。
しかし、人類は完全には失明していなかった。人類が唯一見ることを許されたもの、それは……
闇の中に沈みながら、世界は無に還ったわけではない、創世記以前―光の下で生物が生きては死に、人類が文明を作っては滅び、あらゆる創世と破壊が繰り返された昔の世界を同じように、確かに“生物”のようなものはそこに存在し、活動していた。
しかし“彼ら”に“体は無かった”いや、「体」を持つということを確認できない闇の中で「体」と「意識」が遊離し、「体」(=実体)が無に、「意識」が世界を支配した。
――そこで目が覚めた。
「また……あの夢か……」
いつも通りの悪夢を見て、いつも通りに布団から這い出す。いつも通りに朝食を食べ、いつも通りに歯を磨き、いつも通りに家を出る。
こうしていつも通りの一日が始まる
――はずだった。
しかし、そう、うん。特に何もなく終わった。人生は劇的なんていうが、そんなのは嘘だ。人生は警戒に常識の中でしかすすまない。
なんてことをかいているとき、電話がかかってきた。
番号は000-0000-0000
静かに切った。出るわけがない。
――はずだった。
「……こ……ます……」声がしていた。思わず一度しまった電話を取り出す。
「……き……え……すか……」声がしていた。間違いなく電話は切った。声がするはずはないのに
――はずだった。
電話はもうならなかった。確かに。
しかし今度はドアががんがんと鳴り響いた。
無視する。ドアの次は何だというのだ。
――音がして頭上を見ると、大きな金ダライが。
ふと気が付くと、闇の中にいた。
金ダライが頭上に落ちてきたところまでは覚えている。
しかし、ここは一体どこなのだ?
重力を感じなかった。ただそこに在る感覚だけが、私の意識の底を支えていた。私は一歩を踏み出してみようとした肉体のかけめぐる電流は、私の意識にそれらしい感覚を与えてくれた。
ここは「意識の海」だ。あらゆる意識という名の海水が無限にふりつもった場所だ。例えるなら、私はその海を泳ぐ一匹のイワシだった。
私は足――たぶん意識の“ヒレ”――を動かして、ぬめぬめとして重苦しい海中を進み始めた。
目が慣れてくると、そこは確かに水中であるとわかった。正確に言えば、京都市北区雲ケ畑の出合橋近くの川底であった。
私は一匹のオオサンショウウオだった。
意識の海の中にいたはずの私はなぜかオオサンショウウオであり、私の小さな脳みそではそこが何であるか理解できなかった。そう、自我と呼ばれるものが私に無かったせいか、私の意識は川底の様に深層へと降りて行った。
再び気づくと電話が鳴っている。私は電話を取った。
「もしもし……」
「私だ」聞いたことのない声だった。
「誰ですか?」
「私のことはお前もよく知っているだろう」
いきなり電話をかけてイタズラをしていると思い切ろうとした。すると
「待て」とこちらの動きを知っている様に話しかけてきた。
「誰なんだよ」
「私は神である」
「かみ!?」イタズラもここまでタチが悪いと疑わしくなる。
「そう。ここはお前の精神世界であり、私はお前に話しかけている」
「何? ここはどこなんだ?」
「ここは念の海。別名意識の海ともいう」
「何言っているんだ」
「すべてお前が望んだのだ。ここはお前の望んだ世界なのだ」
私には自我がない。ならば私の望む世界とは何なのだろう。神は偽物だと理解したが、私はどうしようとも思わなかった。彼もまた意識の海を漂っているナニかにすぎないのだ。私はそっと顔を上げてみた。新鮮な空気がそこにあった。
(11月24日―完―)
創世記758年、世界は闇に包まれていた。
細かいことはどうでもいい。ただ“世界は闇に包まれている”という、その事実だけが重要であるのだ。文明が一度滅び、自然に還ったこの創世記において、“闇に包まれている”というのはすなわち“何も見えない”ということを表していた。人類の目は確実に退化していった。
しかし、人類は完全には失明していなかった。人類が唯一見ることを許されたもの、それは……
闇の中に沈みながら、世界は無に還ったわけではない、創世記以前―光の下で生物が生きては死に、人類が文明を作っては滅び、あらゆる創世と破壊が繰り返された昔の世界を同じように、確かに“生物”のようなものはそこに存在し、活動していた。
しかし“彼ら”に“体は無かった”いや、「体」を持つということを確認できない闇の中で「体」と「意識」が遊離し、「体」(=実体)が無に、「意識」が世界を支配した。
――そこで目が覚めた。
「また……あの夢か……」
いつも通りの悪夢を見て、いつも通りに布団から這い出す。いつも通りに朝食を食べ、いつも通りに歯を磨き、いつも通りに家を出る。
こうしていつも通りの一日が始まる
――はずだった。
しかし、そう、うん。特に何もなく終わった。人生は劇的なんていうが、そんなのは嘘だ。人生は警戒に常識の中でしかすすまない。
なんてことをかいているとき、電話がかかってきた。
番号は000-0000-0000
静かに切った。出るわけがない。
――はずだった。
「……こ……ます……」声がしていた。思わず一度しまった電話を取り出す。
「……き……え……すか……」声がしていた。間違いなく電話は切った。声がするはずはないのに
――はずだった。
電話はもうならなかった。確かに。
しかし今度はドアががんがんと鳴り響いた。
無視する。ドアの次は何だというのだ。
――音がして頭上を見ると、大きな金ダライが。
ふと気が付くと、闇の中にいた。
金ダライが頭上に落ちてきたところまでは覚えている。
しかし、ここは一体どこなのだ?
重力を感じなかった。ただそこに在る感覚だけが、私の意識の底を支えていた。私は一歩を踏み出してみようとした肉体のかけめぐる電流は、私の意識にそれらしい感覚を与えてくれた。
ここは「意識の海」だ。あらゆる意識という名の海水が無限にふりつもった場所だ。例えるなら、私はその海を泳ぐ一匹のイワシだった。
私は足――たぶん意識の“ヒレ”――を動かして、ぬめぬめとして重苦しい海中を進み始めた。
目が慣れてくると、そこは確かに水中であるとわかった。正確に言えば、京都市北区雲ケ畑の出合橋近くの川底であった。
私は一匹のオオサンショウウオだった。
意識の海の中にいたはずの私はなぜかオオサンショウウオであり、私の小さな脳みそではそこが何であるか理解できなかった。そう、自我と呼ばれるものが私に無かったせいか、私の意識は川底の様に深層へと降りて行った。
再び気づくと電話が鳴っている。私は電話を取った。
「もしもし……」
「私だ」聞いたことのない声だった。
「誰ですか?」
「私のことはお前もよく知っているだろう」
いきなり電話をかけてイタズラをしていると思い切ろうとした。すると
「待て」とこちらの動きを知っている様に話しかけてきた。
「誰なんだよ」
「私は神である」
「かみ!?」イタズラもここまでタチが悪いと疑わしくなる。
「そう。ここはお前の精神世界であり、私はお前に話しかけている」
「何? ここはどこなんだ?」
「ここは念の海。別名意識の海ともいう」
「何言っているんだ」
「すべてお前が望んだのだ。ここはお前の望んだ世界なのだ」
私には自我がない。ならば私の望む世界とは何なのだろう。神は偽物だと理解したが、私はどうしようとも思わなかった。彼もまた意識の海を漂っているナニかにすぎないのだ。私はそっと顔を上げてみた。新鮮な空気がそこにあった。
(11月24日―完―)
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