灼熱から逃げられない
どうも御無沙汰しております、現井です。最近は溶けて蒸発するのが先か、黒炭と化すのが先か、真剣に心配しています。日陰が暑いってどういうことなんでしょう。
こういう時は引きこもって創作活動がはかどりますね、と笑顔で言っておいてどうでもよいことをだらっと。
こういう時は引きこもって創作活動がはかどりますね、と笑顔で言っておいてどうでもよいことをだらっと。
唐突ですが私は日本装束が好きです。現代的な和服も良いですが、最近はもっぱら平安装束です。直衣とか狩衣とか水干とか女房装束(十二単)とか、高校古文の授業で読みだけ習ったりするあれです。
昔の装束は、服の種類から始まって生地、色、柄に至るまで、場面、階級、年齢、既婚・未婚の別などでかなり細かく定められていました。そしてまた服の色柄種類の組み合わせにも法則があり……と、とにかくややこしい。
で、なんでこんなことを言い始めたかといいますと、創作において現実にどこまで沿うべきか、が悩ましいと感じるのです。
装束を調べて、テンションが上がって、どばっと描きなぐる。しかしどこまで忠実に描くか。ありのままの装束が好きだから派手な改造はしたくない、だからって髪型まで忠実に再現してしまうとコミックイラスト要素弱くてどうしても地味になる、だいたい調べるたびに自分の間違いに気づくんだから今さら忠実とか考察とかしてもでもなんちゃって装束はいやだ、なんてぐるぐると。
結果、狐耳の生えた金髪少年がスタンダードな水干をほぼそのまま着込むという謎の構図が出来上がるのです。切ない。
こういう葛藤は、絵描きさんにも字書きさんにもある程度あるんじゃないかな、と思います。
特にファンタジー要素の強いものは何から何まで作者が規定できますね。服装や慣習や言語から、気候や生き物や魔法や、はては太陽の数まで、作者の自由です。どういう気候だとどういう民族の傾向があるとか、物理法則にどの程度まで逆らうかとか、世界を根本から構築するっていうのは大変な作業です。
とは言っても、じゃあ実際創作するときに、そんな壮大なことを考えているかというと、そうでもない気がします。
こういうのかきたい! と思う。かきたいものについてばっかり考える。そのうち、そのかきたいものを取り巻く風景なり世界なりがぼんやり見えてくる。というか無理にでも見つける。
あとはもう勢いと体力と愛情。こだわるところはこだわって、余りは適当になじませる。適当も大事です。
どうしようかと立ち止まるより、とりあえず譲れないものだけ握りしめて、あちこち走り回ってみて、自分なりのバランスを見つけるのが一番かもしれませんね。
まとめ:みんな水干着ようよ!
昔の装束は、服の種類から始まって生地、色、柄に至るまで、場面、階級、年齢、既婚・未婚の別などでかなり細かく定められていました。そしてまた服の色柄種類の組み合わせにも法則があり……と、とにかくややこしい。
で、なんでこんなことを言い始めたかといいますと、創作において現実にどこまで沿うべきか、が悩ましいと感じるのです。
装束を調べて、テンションが上がって、どばっと描きなぐる。しかしどこまで忠実に描くか。ありのままの装束が好きだから派手な改造はしたくない、だからって髪型まで忠実に再現してしまうとコミックイラスト要素弱くてどうしても地味になる、だいたい調べるたびに自分の間違いに気づくんだから今さら忠実とか考察とかしてもでもなんちゃって装束はいやだ、なんてぐるぐると。
結果、狐耳の生えた金髪少年がスタンダードな水干をほぼそのまま着込むという謎の構図が出来上がるのです。切ない。
こういう葛藤は、絵描きさんにも字書きさんにもある程度あるんじゃないかな、と思います。
特にファンタジー要素の強いものは何から何まで作者が規定できますね。服装や慣習や言語から、気候や生き物や魔法や、はては太陽の数まで、作者の自由です。どういう気候だとどういう民族の傾向があるとか、物理法則にどの程度まで逆らうかとか、世界を根本から構築するっていうのは大変な作業です。
とは言っても、じゃあ実際創作するときに、そんな壮大なことを考えているかというと、そうでもない気がします。
こういうのかきたい! と思う。かきたいものについてばっかり考える。そのうち、そのかきたいものを取り巻く風景なり世界なりがぼんやり見えてくる。というか無理にでも見つける。
あとはもう勢いと体力と愛情。こだわるところはこだわって、余りは適当になじませる。適当も大事です。
どうしようかと立ち止まるより、とりあえず譲れないものだけ握りしめて、あちこち走り回ってみて、自分なりのバランスを見つけるのが一番かもしれませんね。
まとめ:みんな水干着ようよ!
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