かわいい小説には
さてさて本格的に冬が到来し寒さが厳しくなってまいりました。こんばんは、炬燵もないのに暖房つけない主義で凍えている現井です。夜はかなりつらいです。だがつけない。
先日の会長のブログが素晴らしすぎて、これはもう一発ネタかまして逃げるしかないとか思ったのですがネタが見つからぬまま気付けば中旬を過ぎていました、ので、諦めて適当なことでもだらーと書いてみます。思いつくままに書くので支離滅裂ですすいません。
先日の会長のブログが素晴らしすぎて、これはもう一発ネタかまして逃げるしかないとか思ったのですがネタが見つからぬまま気付けば中旬を過ぎていました、ので、諦めて適当なことでもだらーと書いてみます。思いつくままに書くので支離滅裂ですすいません。
最近ふとした拍子に、「なぜ書くのか」を考えます。私はなぜ小説を書くのか。
これはけっこう複合的な問題で、わざわざ小説を選択した理由とか、そもどうして創作するのかとか、いろいろな切り口で答えていける気がしますが、ごちゃごちゃするので、今回は「私は何がしたくて書いているんだろう」と考えてみることにします。
結論から言うと、答えは「大事にしたいものを形にしたい、できればそれを見てほしい」になるんだと思います。
私が書くきっかけはいつでも、「こういうのが好き!」という単純な衝動です。それもけっこう具体的なことが多いです。「空見上げて爪先立ってる子が書きたい」とか「ススキきれい」とか、「声変わり前の少年の喉のラインすげー好き」とか。でも突然こんなの言われたって何が何だかわかんないですよね。特に最後。自分でも字面で見ると理解不能です。だから、というと間が飛んでる気もしますが、だから書くんです。お話の中に落とし込んで、その空気の中でしか語れない「好き」を大事にしたいんだと思います。
訴えたい立派なテーマなんてないです。いや、ささやかなテーマもあるっちゃありますが、大事にしますが、私が何よりも書きたいのは夏の色とか朝の匂いとか、あるいはそれよりもっとちっちゃなことです。あまりに小さくて、気づいてもらえないことも多々あります。でもそれはそれでいいというか、仕方ないとも感じます。多くの人にとって、取るに足りない小さなことでしょうから、何となく作品の雰囲気を楽しんでもらえたら、それで十分だったりします。
私は私のためにしか書けないなあ、というのが最近の思いです。誰かのために、読者に考えさせるために、楽しんでもらうために、なんて、私には無理です。いつだって私は自分のことで手いっぱいで、だから自分に向かって、「自分はこういうのが好きなんだ」って確認しながら書いています。突き詰めれば、私一人で完結してしまうことも可能です。誰にも聞こえない独り言にすることだってできます。つまり自己満足です、残念ながら。
でもやっぱり寂しい。自分一人で閉じるのは寂しい。自分一人でなんて閉じていられなくて、自分の大事にしたいものを、誰かにも共有してもらいたくて、必死で書く。伝えようとする。伝えたいことが欠けるようじゃ本末転倒だから、大事なものの形は一切の妥協も容赦もなしに、それ以外で何とかわかってもらいやすいよう、読者の視線を考えてじたばたする。そんなわがままです。書くってそのままわがままだったりします、私の場合。
私の書く物語の、最終的に行きつく場所は私です。私を出発して、私に帰ってきます。勝負は、その旅の間に、どれだけ人と話をすることができるだろうかってことだと思います。「私、こういうのが好きなんですけど、どうでしょう……?」と。わかり合えるか、決裂するかはわかりません。わかり合わねばならないわけでもありません。ただ、人の視界に入って、好きなだけしゃべって立ち去るなんてお行儀の悪いことはしたくない。短くていい、対話がしたい。そこで大事なものを共有できて、物語が少しだけ大きくなって、私のもとに帰ってきたら、それ以上の幸せはきっとない。今はまだ長旅ができなくて、ちょろちょろと近所をうろつくばかりですが。いつか出たいもんです、大冒険。
余談ですが、高校時代、プロの作家さんに言われた、「書かずにいられない病にかかったら君たちは作家だ」という言葉が今も忘れられません。書かなくてもいいんです。それでも書かずにはいられない。それが作家だと。
うん、いい感じに意味不明ですね。いいかげんお暇しましょう、失礼いたしました。
これはけっこう複合的な問題で、わざわざ小説を選択した理由とか、そもどうして創作するのかとか、いろいろな切り口で答えていける気がしますが、ごちゃごちゃするので、今回は「私は何がしたくて書いているんだろう」と考えてみることにします。
結論から言うと、答えは「大事にしたいものを形にしたい、できればそれを見てほしい」になるんだと思います。
私が書くきっかけはいつでも、「こういうのが好き!」という単純な衝動です。それもけっこう具体的なことが多いです。「空見上げて爪先立ってる子が書きたい」とか「ススキきれい」とか、「声変わり前の少年の喉のラインすげー好き」とか。でも突然こんなの言われたって何が何だかわかんないですよね。特に最後。自分でも字面で見ると理解不能です。だから、というと間が飛んでる気もしますが、だから書くんです。お話の中に落とし込んで、その空気の中でしか語れない「好き」を大事にしたいんだと思います。
訴えたい立派なテーマなんてないです。いや、ささやかなテーマもあるっちゃありますが、大事にしますが、私が何よりも書きたいのは夏の色とか朝の匂いとか、あるいはそれよりもっとちっちゃなことです。あまりに小さくて、気づいてもらえないことも多々あります。でもそれはそれでいいというか、仕方ないとも感じます。多くの人にとって、取るに足りない小さなことでしょうから、何となく作品の雰囲気を楽しんでもらえたら、それで十分だったりします。
私は私のためにしか書けないなあ、というのが最近の思いです。誰かのために、読者に考えさせるために、楽しんでもらうために、なんて、私には無理です。いつだって私は自分のことで手いっぱいで、だから自分に向かって、「自分はこういうのが好きなんだ」って確認しながら書いています。突き詰めれば、私一人で完結してしまうことも可能です。誰にも聞こえない独り言にすることだってできます。つまり自己満足です、残念ながら。
でもやっぱり寂しい。自分一人で閉じるのは寂しい。自分一人でなんて閉じていられなくて、自分の大事にしたいものを、誰かにも共有してもらいたくて、必死で書く。伝えようとする。伝えたいことが欠けるようじゃ本末転倒だから、大事なものの形は一切の妥協も容赦もなしに、それ以外で何とかわかってもらいやすいよう、読者の視線を考えてじたばたする。そんなわがままです。書くってそのままわがままだったりします、私の場合。
私の書く物語の、最終的に行きつく場所は私です。私を出発して、私に帰ってきます。勝負は、その旅の間に、どれだけ人と話をすることができるだろうかってことだと思います。「私、こういうのが好きなんですけど、どうでしょう……?」と。わかり合えるか、決裂するかはわかりません。わかり合わねばならないわけでもありません。ただ、人の視界に入って、好きなだけしゃべって立ち去るなんてお行儀の悪いことはしたくない。短くていい、対話がしたい。そこで大事なものを共有できて、物語が少しだけ大きくなって、私のもとに帰ってきたら、それ以上の幸せはきっとない。今はまだ長旅ができなくて、ちょろちょろと近所をうろつくばかりですが。いつか出たいもんです、大冒険。
余談ですが、高校時代、プロの作家さんに言われた、「書かずにいられない病にかかったら君たちは作家だ」という言葉が今も忘れられません。書かなくてもいいんです。それでも書かずにはいられない。それが作家だと。
うん、いい感じに意味不明ですね。いいかげんお暇しましょう、失礼いたしました。
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