石鹸の香りが一番無難
朝晩ちょっぴし毛布が恋しく、街の至る所に金木犀の香り漂う季節となりました。大学生の遅い夏も今日で終わりを告げますね……どうも、悲愴感に襲われている現井です。珍しく担当期間内(最終日)に書いております。
以下、またたらたらと長いです。
ここ数日はなかなか気持ちの良い秋晴れが続いておりまして(今日は微妙でしたが)、気温的にも過ごしやすく何をするにも良い季節ですが、なんというか、私は個人的にこの時期ってちょっとだけ苦手です。
なぜ苦手か。
金木犀が咲いているから。ほとんどコレのせいです。おそらく。
愛でる人もずいぶん多い金木犀の花の香りですが、私は小学校時代から苦手でした。原因はよくわかりません。ただ、学校や道端で金木犀の香りを嗅ぐたびに、センチメンタルというか、それこそ悲愴感に襲われるような気がします。あるいは追いつめられてどうしようもない気分。気持ちが上を向くことはまずありません。おかげでこの時期ってなんとなく憂鬱なことが多いです。もともと根暗とかそういうことは言っちゃいけない。
金木犀好きの友人にそのことを告げたところ、過去に金木犀とリンクする形で嫌なことがあったんじゃないかと言われました。しかし記憶を辿ってみてもそういうエピソードは見つかりませんでした。謎です。
でも、においと記憶が強く結びついているということは実際ぼちぼちあることのようですね。脳の嗅覚をつかさどる部分と記憶をとどめておく部分が近所だからだみたいなことを昔聞いた気がしますが難しいことは忘れました。その時の記憶はにおいに結びつかなかったようです。
私も身に覚えがあります。街中などでふと懐かしいようなにおいを嗅いで、なんだっけなんだっけと散々悩んで、「ああ、あれのにおいだ」とたどり着いてすっきりする経験。割と多いです。最近で言うと、バイト先の拭き掃除のときのにおいがばあちゃん家のにおいが同じだと気付きました。古びた木が濡れて強く香るにおい。バイト先、江戸時代の建物なんですが。
自然のにおいでいうと、春先の湿気を多分に含んだ黒い土が掘り起こされてむっと鼻孔に充満するにおいとか、うだる炎天下に葉先を黄色くしながら夏草が茂る空き地のむせるような草いきれとか、決していい香りじゃないんですけど好きです。あと百合とかの花粉の粉っぽいにおい。
そういう身近でありふれたにおいって、特別鮮明なエピソードなんかはほとんど想起しないのですが、長年の付き合いのたまものでしょうか、漠然となにかしらのイメージを個々人にもたらすような気がします。もちろんそのイメージは人それぞれですが。
そして私の場合は金木犀が漠然とよくないイメージをもたらすようです。なんか金木犀に申し訳なくなってきた
とまあここまでくどくどにおいの話をしてきたんですが、においって、創作上ではちょっと表現しづらいですよね。小説でも漫画でもドラマでも音楽でも、視覚・聴覚から得られる情報に比べて、嗅覚による情報を示すことってすごく少ない気がします。表現が難しいと同時に、けっこう、スルーしがちな情報なのかなあとも思います。もったいないなあと。
でも、たとえ作中ににおいがにおいとして出てこなくても、作品そのものにはひとつひとつにおいがあるな、と感じます。
うまく言えないのですが、雰囲気とかカラーとかいうのと同じものだと思われます。ある人の作品に漂う独特の感触を、私はよく「○○さんのにおいがする」と表現します。実際に嗅覚に刺激を感じるわけでもないし具体的に何かのにおいをイメージするわけでもないのですが、どうしても「におい」と言いたくなります。変態じゃないです。変態じゃないです決して。
言い換えれば「その人らしさ」とでもいうんでしょうか。「男くさい」「人間くさい」と言ったりしますし、雰囲気とにおいって結びつきやすいのかもしれません。
もう昨年度のことになりますが、パスティーシュ企画が一部の会員間で盛り上がりました。他人の文体をまねて小説を書く企画。どんなに他人をまねてみたところで、個々人のにおいというのは案外嗅ぎ分けられるもので、感慨深かったのを覚えています。
特別主張したいことがあるわけでもなくだらだら綴っているのでどこで終わればいいかわからなくなってきましたが、みなさん、自分のにおいを大切にしましょうね。体臭と同じで、たぶんそのにおいはその人にしかないもので、そう簡単には変わらないという気がします。においの好みなんて百人十色です。蓼食う虫も好き好きです。へこたれずに大事に育てていってください。
まあ、じぶんのにおいくらい把握しておいて損はないんじゃないかなってお話でした(適当)。
以下、またたらたらと長いです。
ここ数日はなかなか気持ちの良い秋晴れが続いておりまして(今日は微妙でしたが)、気温的にも過ごしやすく何をするにも良い季節ですが、なんというか、私は個人的にこの時期ってちょっとだけ苦手です。
なぜ苦手か。
金木犀が咲いているから。ほとんどコレのせいです。おそらく。
愛でる人もずいぶん多い金木犀の花の香りですが、私は小学校時代から苦手でした。原因はよくわかりません。ただ、学校や道端で金木犀の香りを嗅ぐたびに、センチメンタルというか、それこそ悲愴感に襲われるような気がします。あるいは追いつめられてどうしようもない気分。気持ちが上を向くことはまずありません。おかげでこの時期ってなんとなく憂鬱なことが多いです。もともと根暗とかそういうことは言っちゃいけない。
金木犀好きの友人にそのことを告げたところ、過去に金木犀とリンクする形で嫌なことがあったんじゃないかと言われました。しかし記憶を辿ってみてもそういうエピソードは見つかりませんでした。謎です。
でも、においと記憶が強く結びついているということは実際ぼちぼちあることのようですね。脳の嗅覚をつかさどる部分と記憶をとどめておく部分が近所だからだみたいなことを昔聞いた気がしますが難しいことは忘れました。その時の記憶はにおいに結びつかなかったようです。
私も身に覚えがあります。街中などでふと懐かしいようなにおいを嗅いで、なんだっけなんだっけと散々悩んで、「ああ、あれのにおいだ」とたどり着いてすっきりする経験。割と多いです。最近で言うと、バイト先の拭き掃除のときのにおいがばあちゃん家のにおいが同じだと気付きました。古びた木が濡れて強く香るにおい。バイト先、江戸時代の建物なんですが。
自然のにおいでいうと、春先の湿気を多分に含んだ黒い土が掘り起こされてむっと鼻孔に充満するにおいとか、うだる炎天下に葉先を黄色くしながら夏草が茂る空き地のむせるような草いきれとか、決していい香りじゃないんですけど好きです。あと百合とかの花粉の粉っぽいにおい。
そういう身近でありふれたにおいって、特別鮮明なエピソードなんかはほとんど想起しないのですが、長年の付き合いのたまものでしょうか、漠然となにかしらのイメージを個々人にもたらすような気がします。もちろんそのイメージは人それぞれですが。
そして私の場合は金木犀が漠然とよくないイメージをもたらすようです。なんか金木犀に申し訳なくなってきた
とまあここまでくどくどにおいの話をしてきたんですが、においって、創作上ではちょっと表現しづらいですよね。小説でも漫画でもドラマでも音楽でも、視覚・聴覚から得られる情報に比べて、嗅覚による情報を示すことってすごく少ない気がします。表現が難しいと同時に、けっこう、スルーしがちな情報なのかなあとも思います。もったいないなあと。
でも、たとえ作中ににおいがにおいとして出てこなくても、作品そのものにはひとつひとつにおいがあるな、と感じます。
うまく言えないのですが、雰囲気とかカラーとかいうのと同じものだと思われます。ある人の作品に漂う独特の感触を、私はよく「○○さんのにおいがする」と表現します。実際に嗅覚に刺激を感じるわけでもないし具体的に何かのにおいをイメージするわけでもないのですが、どうしても「におい」と言いたくなります。変態じゃないです。変態じゃないです決して。
言い換えれば「その人らしさ」とでもいうんでしょうか。「男くさい」「人間くさい」と言ったりしますし、雰囲気とにおいって結びつきやすいのかもしれません。
もう昨年度のことになりますが、パスティーシュ企画が一部の会員間で盛り上がりました。他人の文体をまねて小説を書く企画。どんなに他人をまねてみたところで、個々人のにおいというのは案外嗅ぎ分けられるもので、感慨深かったのを覚えています。
特別主張したいことがあるわけでもなくだらだら綴っているのでどこで終わればいいかわからなくなってきましたが、みなさん、自分のにおいを大切にしましょうね。体臭と同じで、たぶんそのにおいはその人にしかないもので、そう簡単には変わらないという気がします。においの好みなんて百人十色です。蓼食う虫も好き好きです。へこたれずに大事に育てていってください。
まあ、じぶんのにおいくらい把握しておいて損はないんじゃないかなってお話でした(適当)。
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