徒然なるままに、ひぐらし
ブログ11月中旬担当の陽鳥です。寒くなり、NFも近づいてきましたがいかがお過ごしでしょうか。
オフセット本に引き続き、先日は企画・ぽえちゅ・イラストの〆切もあり、もうNFなのか~という感じがしています。
ええと、なに書きたいのか迷走気味なのですが。
最近いろいろと、人の考えを聞いてみたいなーと思うことがあります。〆切にむけてお話を考えてたり、後期が始まって新しい授業で読んだ作品に影響されたりしているように感じます。
一つは、オマージュとか二番煎じとか二次創作とかの境界について。
わたしは以前から、好きな曲からイメージして書いたりとかこっそりちょこちょこやっているのですが、何か(とりわけ、誰かの作品や言葉など)にインスピレーションを受けて創作する、ということの是非……と言うとオーバーですが、受け止め方について。かく側からも見る側からも。
わたしは文学を専攻しているので(いちおう)、授業でもテキストを読んでいるときに、「この部分はほかにこういう人のこういう作品があってそれを踏まえていますね~」みたいな話が出てきます。パロディまではいかないけどそんな感じです。 なので寧ろ、ほかの作品を要素としてちりばめておくのは自分の作品を深める方法の一つ、みたいな感覚だったのですが、どうなのかなと思い始めました。あと単純に自分の好きなものを主張したいだけっていうのもありますが……。一方で、二次創作には原作に対する敬意びびりからなかなか手を出せていないので、二次創作をする人にもその感覚を訊いてみたいきがします。
もう一つは、ゆりばらについて。
企画本も何とか出したいなーってテーマ決まったあたりからいろいろ考えていたのですが、考えるほどにわからなくなる感じがもう……笑
なんというか、企画本という性質上原稿内容の範囲がなかなか難しかったんじゃないかと思って、どんな感じでほかの方が書いてらしたのか訊いてみたいです。以前百合学基礎論みたいのが開かれていたように記憶していますがだんだん理系な感じになってわからなくなったので、またゆりばらを復習(?)したいとも思います。
あと、一番新鮮(?)な話。長くなったので畳みました。
先日授業で、How to Become a Writer『作家になる方法』(Lorrie Moore)という短編を読みました。
簡単に言うと、ハウツー本みたいな文章で作家になろうとしている女性について描いています。小さいころに簡単なお話を書いて親や先生に見せるけれど相手にされなくて、その後大学で児童心理学を専攻するけど間違えて入った創作クラスみたいなところでだんだん書くのに必死になって、ずっと誰からも作品を評価されないまま、みたいな感じです。
自分の作品を創作ゼミで朗読して、頭がおかしいんじゃないの?って言われたり、 ハウツー本風なので、地の文が「コメディに徹するべきなのです」「面白い男の子とデートすることです」みたいな書き方で読者からすると彼女のすることは全部物書きのためのように見えたり、いろんな努力をしたり苦しんだりしても登場するあらすじはあんまり面白そうじゃなかったり……コメディでとても皮肉が効いている作品なのですが、ある種救いのない終わりなので後味が悪いような、何ともいえないきもちになります。
主人公の自己陶酔な感じ、学校のパーティで「作家なんでしょ?」って聞かれて、うまく答えられないけれど小難しそうなことを並べてたり、最後の場面で「作家ってよく落ち込むんじゃないの」、と訊かれて「時には落ち込むわ(中略)小児麻痺を抱えているようなものよ」と答える感じを、わたしはいわゆる「痛い」と感じたというのがなんとも言えない気持ちの正体かなと思いました。またしかし、よく考えたら「自分では面白いと思っても他人からしたらくだらないものを書いている」という部分がまさにわたし自身だったのでちょっとショックを受けました。
「あなたの唯一の幸福は、真夜中、汗でわきの下を湿らせ、心臓が高鳴るのを感じながら、まだ誰も見たことのないような、新しいものを描くことなのです。自分が天才だと思えるとき、あなたは、はかなく、不確かな、束の間の陶酔感にとらわれてしまうのです。」
という一節があるのですが、誰もがこういう感覚を覚えたことはあるのではないでしょうか(笑)わたしの場合天才とまでは思わなくても頑張った達成感とか、他人の評価はどうあれわが子は可愛いみたいな気持ちになることはあります。
その授業では、話全体の解釈としては彼女は"unsuccessful"とだいたいの学生・教授が考えていましたが、writerってどこからどこまでなのかを考えれば、彼女は書き続けているから"She became a writer"ともいえるはずです。自分がはたしてどこに立っているのか、足元がわからなくなってとても興味深いと思ったので、ブログの場を借りて紹介させていただきました。
ちなみにこの作品、調べてみたら『セルフ・ヘルプ』(白水Uブックス)という短編集のほか、『80年代アメリカ女性作家短篇選』(新潮社)にも入ってるみたいです。わたしに言ってもらえれば英語も翻訳も渡せますが、興味があればぜひ読んで、何か聞かせていただけると嬉しいです。
あと最後にとてもかっこいい皮肉。先生に物語を出したらプロットのセンスないねって返ってきた、それに対する一言が"Plots are for dead people, pore-face."というものでした。ちなみにこの主人公、この後も周りからずーっとプロットが下手って言われ続けてました。ぜひplotを辞書引いてみてください。
オフセット本に引き続き、先日は企画・ぽえちゅ・イラストの〆切もあり、もうNFなのか~という感じがしています。
ええと、なに書きたいのか迷走気味なのですが。
最近いろいろと、人の考えを聞いてみたいなーと思うことがあります。〆切にむけてお話を考えてたり、後期が始まって新しい授業で読んだ作品に影響されたりしているように感じます。
一つは、オマージュとか二番煎じとか二次創作とかの境界について。
わたしは以前から、好きな曲からイメージして書いたりとかこっそりちょこちょこやっているのですが、何か(とりわけ、誰かの作品や言葉など)にインスピレーションを受けて創作する、ということの是非……と言うとオーバーですが、受け止め方について。かく側からも見る側からも。
わたしは文学を専攻しているので(いちおう)、授業でもテキストを読んでいるときに、「この部分はほかにこういう人のこういう作品があってそれを踏まえていますね~」みたいな話が出てきます。パロディまではいかないけどそんな感じです。 なので寧ろ、ほかの作品を要素としてちりばめておくのは自分の作品を深める方法の一つ、みたいな感覚だったのですが、どうなのかなと思い始めました。あと単純に自分の好きなものを主張したいだけっていうのもありますが……。一方で、二次創作には原作に対する敬意
もう一つは、ゆりばらについて。
企画本も何とか出したいなーってテーマ決まったあたりからいろいろ考えていたのですが、考えるほどにわからなくなる感じがもう……笑
なんというか、企画本という性質上原稿内容の範囲がなかなか難しかったんじゃないかと思って、どんな感じでほかの方が書いてらしたのか訊いてみたいです。以前百合学基礎論みたいのが開かれていたように記憶していますがだんだん理系な感じになってわからなくなったので、またゆりばらを復習(?)したいとも思います。
あと、一番新鮮(?)な話。長くなったので畳みました。
先日授業で、How to Become a Writer『作家になる方法』(Lorrie Moore)という短編を読みました。
簡単に言うと、ハウツー本みたいな文章で作家になろうとしている女性について描いています。小さいころに簡単なお話を書いて親や先生に見せるけれど相手にされなくて、その後大学で児童心理学を専攻するけど間違えて入った創作クラスみたいなところでだんだん書くのに必死になって、ずっと誰からも作品を評価されないまま、みたいな感じです。
自分の作品を創作ゼミで朗読して、頭がおかしいんじゃないの?って言われたり、 ハウツー本風なので、地の文が「コメディに徹するべきなのです」「面白い男の子とデートすることです」みたいな書き方で読者からすると彼女のすることは全部物書きのためのように見えたり、いろんな努力をしたり苦しんだりしても登場するあらすじはあんまり面白そうじゃなかったり……コメディでとても皮肉が効いている作品なのですが、ある種救いのない終わりなので後味が悪いような、何ともいえないきもちになります。
主人公の自己陶酔な感じ、学校のパーティで「作家なんでしょ?」って聞かれて、うまく答えられないけれど小難しそうなことを並べてたり、最後の場面で「作家ってよく落ち込むんじゃないの」、と訊かれて「時には落ち込むわ(中略)小児麻痺を抱えているようなものよ」と答える感じを、わたしはいわゆる「痛い」と感じたというのがなんとも言えない気持ちの正体かなと思いました。またしかし、よく考えたら「自分では面白いと思っても他人からしたらくだらないものを書いている」という部分がまさにわたし自身だったのでちょっとショックを受けました。
「あなたの唯一の幸福は、真夜中、汗でわきの下を湿らせ、心臓が高鳴るのを感じながら、まだ誰も見たことのないような、新しいものを描くことなのです。自分が天才だと思えるとき、あなたは、はかなく、不確かな、束の間の陶酔感にとらわれてしまうのです。」
という一節があるのですが、誰もがこういう感覚を覚えたことはあるのではないでしょうか(笑)わたしの場合天才とまでは思わなくても頑張った達成感とか、他人の評価はどうあれわが子は可愛いみたいな気持ちになることはあります。
その授業では、話全体の解釈としては彼女は"unsuccessful"とだいたいの学生・教授が考えていましたが、writerってどこからどこまでなのかを考えれば、彼女は書き続けているから"She became a writer"ともいえるはずです。自分がはたしてどこに立っているのか、足元がわからなくなってとても興味深いと思ったので、ブログの場を借りて紹介させていただきました。
ちなみにこの作品、調べてみたら『セルフ・ヘルプ』(白水Uブックス)という短編集のほか、『80年代アメリカ女性作家短篇選』(新潮社)にも入ってるみたいです。わたしに言ってもらえれば英語も翻訳も渡せますが、興味があればぜひ読んで、何か聞かせていただけると嬉しいです。
あと最後にとてもかっこいい皮肉。先生に物語を出したらプロットのセンスないねって返ってきた、それに対する一言が"Plots are for dead people, pore-face."というものでした。ちなみにこの主人公、この後も周りからずーっとプロットが下手って言われ続けてました。ぜひplotを辞書引いてみてください。
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