石鹸学
こんにちは。
もう九月も三十一日、早いものですね(←自分では突っ込みません)
最近名称未定の例会や活動にあまり顔を出せてないのでちょっと寂しいです。
しかもこのブログ読むと結構暇だったことがばれるので何とも……
それはさておき、創作関係のネタは四回生にもなるといい加減尽きるのでラノベとラノベアニメの話をします。
私はアニメを見始めてからずっと疑問に思っていることがありました。
同じようなラノベアニメがひたすらアニメ化されてるのはなぜだろう、と。
まあ普通にキャラが可愛いとかハーレムが好きとかそういう層は一定数いるんでしょうが、
それだけでは納得いかなかったので色々アニメを見たり原作を読んだりしてある程度の結論を得ました。
まず議論の前提として、今から話題に上げる作品が多く共有する特徴を挙げたいと思います。
・男主人公の周りに女子がいっぱいいて、多数から恋愛的な意味での好意を向けられる(あまりその中の一人が選択されることはない)
・ラッキースケベ描写がやたら多い
・主人公はすごい力を持っているが、話が始まるときは実力を認められていなかったり馬鹿にされたりしている
・学園もの
・異能力バトルする
・主人公が周囲の問題を次々と解決していく
という辺りでしょうか。ネットスラングで「石鹸枠」と呼ばれていて、たぶん正式名称とかないので私も以下「石鹸枠」と呼ぼうと思います。
私はアニメで石鹸枠の存在を知ったのですが、基本的に以下の流れに沿っていたと思います。
まずメインヒロインと邂逅(ラッキースケベ)し、その後バトルして実力をヒロインに認めてもらいます。早いときはすでにヒロインは主人公に好意を抱いていることをほのめかす描写があります。
その後主人公の実力を認めた学園の組織に編入されて何かの問題を解決することになります。
で、その過程でメインヒロイン以外の女の子の問題を解決したり助けたりしてどんどんハーレムを拡大していき、
最終的にきりのいいところでアニメは最終回を迎えます。
別にこのストーリーラインが悪いと言う訳ではないのですが、似たような作品が多数あるので陳腐に感じてしまいます。
ではなぜこのようなアニメがたくさんあるかというと、話は原作に移ります。
なぜならラノベアニメは原作が売れてるからアニメ化しているからです。
いくつかの作品の原作を読むと、おおむね壮大な世界観があります。で、大体アニメ化されているということは十巻前後出ているので大きなストーリーもあります。それらの原作同士は(少なくともアニメに比べれば)互いの類似性は低く、独自のおもしろさがあります。実際、何作か原作を読んでおもしろいと思うものと思わないがありました。
ただアニメの一クールの話数では原作を三~四冊しか消化出来ないので、どうしてもその辺が尻切れトンボになり、原作の良さをうまく表現出来ないことが多いです。で、さらに後の展開には続くけどアニメでは拾えない話などをカットしたり、尺の都合で話をカットしたりをした結果、似たような部分(石鹸的な部分)だけが残ってしまったのではないか、と私は推測しています。
ではなぜ石鹸的部分が多数のラノベにあってアニメでも残り続けるかというと、分かりやすいからです。
(そもそも純粋な石鹸的部分が好きな層がどのくらいいるかは私は知りませんのでその層がいっぱいいたらこの議論は崩壊しますが)
基本的にラノベ・アニメ問わず冒頭で求められているのは「作品の雰囲気・世界観、登場人物のキャラクター性を示す」ということです。ラッキースケベをするとまず「あ、これはラブコメなんだな」と分かりますし、非日常的な出来事なので(石鹸枠では日常的に起こってますがw)それに対する反応でキャラクター性の一端を示すことが出来ます。で、世界観とかそれで示せなかったキャラクター性はおおむねその次のバトルで表現できます。
メインヒロイン以外のヒロインの問題を解決していくフェイズは、順当にヒロイン紹介と仲間を増やすイベントを兼ねています。ただ、毎回ヒロインが主人公に恋愛的好意を持つことで帰着するので類似感が増しているのではないでしょうか。また、その先で発生するラブコメパートが類似しているためさらに類似感が増していると思われます。まあ、ラブコメが類似しているのは世にラブコメ作品が無数にある以上石鹸枠だけの問題ではないので仕方ないでしょう。
そんな訳でまとめると
①そもそも各原作は違う話ではあるが、構造的に便利という事情で石鹸的要素が共有されている
②アニメ化の都合で石鹸的要素が強まって残ってしまう
ということになると思います。私としては石鹸的要素は前菜とか付け合わせ、というぐらいの認識で見れば楽しめるという感じです。
ぶっちゃけ石鹸枠を見ない人には何のこっちゃという記事ですいません。
最後に、私がおもしろいと思った作品を紹介して終わります。
銃皇無尽のファフニール
原作は主人公の記憶喪失の葛藤が描かれていてそれがとても気に入りました。記憶喪失前の自分と喪失後の自分、違う人を好きになったけどどうしよう、という話です。
精霊使いの剣舞
敵役に主人公をレベリング(?)してくる元鞘だった闇精霊がいるんですが、彼女の目的が気になってアニメを見ていたら何も明かされずに終わって悲しくなったので原作を読みました。敵役が魅力的です。
もう九月も三十一日、早いものですね(←自分では突っ込みません)
最近名称未定の例会や活動にあまり顔を出せてないのでちょっと寂しいです。
しかもこのブログ読むと結構暇だったことがばれるので何とも……
それはさておき、創作関係のネタは四回生にもなるといい加減尽きるのでラノベとラノベアニメの話をします。
私はアニメを見始めてからずっと疑問に思っていることがありました。
同じようなラノベアニメがひたすらアニメ化されてるのはなぜだろう、と。
まあ普通にキャラが可愛いとかハーレムが好きとかそういう層は一定数いるんでしょうが、
それだけでは納得いかなかったので色々アニメを見たり原作を読んだりしてある程度の結論を得ました。
まず議論の前提として、今から話題に上げる作品が多く共有する特徴を挙げたいと思います。
・男主人公の周りに女子がいっぱいいて、多数から恋愛的な意味での好意を向けられる(あまりその中の一人が選択されることはない)
・ラッキースケベ描写がやたら多い
・主人公はすごい力を持っているが、話が始まるときは実力を認められていなかったり馬鹿にされたりしている
・学園もの
・異能力バトルする
・主人公が周囲の問題を次々と解決していく
という辺りでしょうか。ネットスラングで「石鹸枠」と呼ばれていて、たぶん正式名称とかないので私も以下「石鹸枠」と呼ぼうと思います。
私はアニメで石鹸枠の存在を知ったのですが、基本的に以下の流れに沿っていたと思います。
まずメインヒロインと邂逅(ラッキースケベ)し、その後バトルして実力をヒロインに認めてもらいます。早いときはすでにヒロインは主人公に好意を抱いていることをほのめかす描写があります。
その後主人公の実力を認めた学園の組織に編入されて何かの問題を解決することになります。
で、その過程でメインヒロイン以外の女の子の問題を解決したり助けたりしてどんどんハーレムを拡大していき、
最終的にきりのいいところでアニメは最終回を迎えます。
別にこのストーリーラインが悪いと言う訳ではないのですが、似たような作品が多数あるので陳腐に感じてしまいます。
ではなぜこのようなアニメがたくさんあるかというと、話は原作に移ります。
なぜならラノベアニメは原作が売れてるからアニメ化しているからです。
いくつかの作品の原作を読むと、おおむね壮大な世界観があります。で、大体アニメ化されているということは十巻前後出ているので大きなストーリーもあります。それらの原作同士は(少なくともアニメに比べれば)互いの類似性は低く、独自のおもしろさがあります。実際、何作か原作を読んでおもしろいと思うものと思わないがありました。
ただアニメの一クールの話数では原作を三~四冊しか消化出来ないので、どうしてもその辺が尻切れトンボになり、原作の良さをうまく表現出来ないことが多いです。で、さらに後の展開には続くけどアニメでは拾えない話などをカットしたり、尺の都合で話をカットしたりをした結果、似たような部分(石鹸的な部分)だけが残ってしまったのではないか、と私は推測しています。
ではなぜ石鹸的部分が多数のラノベにあってアニメでも残り続けるかというと、分かりやすいからです。
(そもそも純粋な石鹸的部分が好きな層がどのくらいいるかは私は知りませんのでその層がいっぱいいたらこの議論は崩壊しますが)
基本的にラノベ・アニメ問わず冒頭で求められているのは「作品の雰囲気・世界観、登場人物のキャラクター性を示す」ということです。ラッキースケベをするとまず「あ、これはラブコメなんだな」と分かりますし、非日常的な出来事なので(石鹸枠では日常的に起こってますがw)それに対する反応でキャラクター性の一端を示すことが出来ます。で、世界観とかそれで示せなかったキャラクター性はおおむねその次のバトルで表現できます。
メインヒロイン以外のヒロインの問題を解決していくフェイズは、順当にヒロイン紹介と仲間を増やすイベントを兼ねています。ただ、毎回ヒロインが主人公に恋愛的好意を持つことで帰着するので類似感が増しているのではないでしょうか。また、その先で発生するラブコメパートが類似しているためさらに類似感が増していると思われます。まあ、ラブコメが類似しているのは世にラブコメ作品が無数にある以上石鹸枠だけの問題ではないので仕方ないでしょう。
そんな訳でまとめると
①そもそも各原作は違う話ではあるが、構造的に便利という事情で石鹸的要素が共有されている
②アニメ化の都合で石鹸的要素が強まって残ってしまう
ということになると思います。私としては石鹸的要素は前菜とか付け合わせ、というぐらいの認識で見れば楽しめるという感じです。
ぶっちゃけ石鹸枠を見ない人には何のこっちゃという記事ですいません。
最後に、私がおもしろいと思った作品を紹介して終わります。
銃皇無尽のファフニール
原作は主人公の記憶喪失の葛藤が描かれていてそれがとても気に入りました。記憶喪失前の自分と喪失後の自分、違う人を好きになったけどどうしよう、という話です。
精霊使いの剣舞
敵役に主人公をレベリング(?)してくる元鞘だった闇精霊がいるんですが、彼女の目的が気になってアニメを見ていたら何も明かされずに終わって悲しくなったので原作を読みました。敵役が魅力的です。
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