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虚無感と春風

3月上旬担当の鏡蛍です。こんばんは。
春休みの折り返しの季節、初春の穏やかになりつつある気候に背中を向けて家で引きこもってばかりいる日々が続いているのがきっと私だけではないと信じています。
旅行にでも行くことができれば気も晴れるのかもしれませんが、まだまだ社会情勢も中途半端であまり派手な外出は控えるようともいわれるいわば摩擦係数の高い状況下では、私の弱い意志の力で体を外に引きずりだすのはどうにも無理があります。

従ってアルバイトや習い事、その他の強制力が働かない限りはずっと家にいることになるのですが、しかしこの生活にはある一つの大きな課題が付きまといます。
それはすなわち「虚無」です。家に一日中いるという生活は、本を読んだり、コンピュータを触ったり、勉強したり、人によってはアニメやドラマにゲーム、趣味など意外とすることはいくらでもあるものです。もし休暇の長さが1週間足らずであれば、それだけでも十分に充実した日々を過ごすことができるでしょう。しかし休みに入ってひと月を超えてくると話は変わってきてしまいます。
本を読んでいてふと集中が切れた時や録画したアニメを見終えた時、不意に「虚無感」というものに襲われることがあります。別段暇なわけでもなく、場合によっては読書や勉強など、客観的に見て意味のあると思われる時間の使い方をしているにもかかわらず、です。
今回はこの「虚無」というものについて、少しだけお話ししたいと思います。

なぜ虚無感が生まれるのか、それはひとつには、自分が現在行っている行為に本質的な意味を見出せないことに原因があるように思えます。人が虚無感、虚しさを覚えるのは、代表的には自分のしてきた行為や努力が水泡に帰してしまうことが分かった時ではないでしょうか。
例えば、やらなければならないと思い時間をかけて取り組んでいた課題が、実は不要だとわかった時、私たちは押し寄せるような疲労感と脱力感、そして虚無感を味わうでしょう。ではこの「長期休暇の虚無」も同じ理由によるものなのでしょうか。
違う、ということは、上で説明したことと照らせばほとんど明らかなはずです。この長期休暇の虚無というのは、行動それ自体が無意味かどうかとは無関係なのですから。

ではこの虚無感の原因とは何なのでしょう。ここで虚無感の原因として有名なものをもう一つ上げてみましょう。
それはすなわち慣れ、飽きです。「来る日も来る日も同じ仕事、同じ日々の繰り返しで嫌になる」なんていうセリフは、少なからずどこかで聞いたことがあるでしょう。まさしくこれは同じことを繰り返した飽きによる虚無感であるといえます。繰り返しばかりの日々を送っていると、その毎日にだんだんと積極的または本質的な意味を見出せなくなってしまうというのは、分からない道理ではないでしょう。刺激の少ない長期休暇において、これと同じような状態になってしまうということは十分にありえます。読書や趣味的活動をしてもなんとなく集中できないのは、すなわちそれに(読書や趣味に、というよりも刺激の少ない状況それ自体に)飽きてしまっているからなのです。

しかし虚無感の原因にはもう一つ大きなものがあるのではないか、と私は思います。
それはすなわち、「リアルタイム性のある活動」の欠如です。そもそも普段、趣味以外の「飽き」の影響を受けにくい物事を行う時に、いちいちその本質的な意義を問うことなどありません。なぜなら往々にしてその必要性は明らかだからです。以下でその例を見てみましょう。

なぜコンビニでアルバイトをしている大学生は、レジに並ぶ来店客に応対するのでしょう。なぜ一人暮らしの大学生は晩御飯の買い物に行くのでしょう。なぜ授業を受けている大学生は教授の講義をメモに取るのでしょう。なぜ大学生は明日締め切りのレポートを書くのでしょう。
考えるまでもありません。それは、「今すぐにそうしなければ問題が何らかの発生することが分かっているから」です。ここでいう「今すぐに」というのは数分から数時間まで状況によりさまざまですが、とかく本質的にそれをすることが自分自身の人生にとって価値があるかなどということはさておいて、今しなければならないことというのが与えられているからこそ、人間はその作業に従事しうるのです。
「それをしなければ問題が発生するのだから、それをすることには価値がある。だから自分がいまやっていることは無駄な行為ではない。」
そうしてその行為を正当化することで、人は虚無感を覚えることなく生活を送ることができるのです。

そして上の議論の対偶(もちろん正確な意味ではありません。自然言語による伝達に論理的厳密性を求めてはいけません)を取れば、最初に提示した問の答えが導かれます。
私が、私たちが長期休暇中の自己研鑽のような本来有意義な諸活動に対して虚無感を感じてしまうのは、「それを行わなかったとして明示的に問題が発生しないような活動であるから」なのです。

……なんて、3月の風のように乾いた文章で論理立てて私のここ数日に言い訳をしたところで、誰かが報いてくれるわけではありません。やっぱり理屈っぽい性格というのは利のないものですね。
きっとより時間的深度を持った視点を持つことができれば、諸行為についてそれを今やらなければならないことだと自らに納得させることも可能なのでしょうが、今のところ私にそれを実行するいいアイデアはありません。誰か知っていたら教えてください。

ただ最後に、「3月上旬担当」のブログ、というのは一つの「今やらなければならないこと」として、私の長期休暇の虚無をかき消すのに少しは役に立った、ということだけは書き添えておくことにしましょう。

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