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台詞を書くって難しい

 どうもこんにちは5月下旬担当のいとらです。
 小説を読むときに何に注目するかというのは人それぞれだと思いますが、私なんかだと台詞を中心に読んでいるところがありまして(もっと具体的にはキャラ同士の会話ですが)、そのため自分が書く小説においても台詞回しには力を入れるようにしています。私は小説をまともに書くようになってからかれこれ三年目(!?)に入ろうかというところですが、未だに台詞中心主義のようなものは自分の中に残っていまして、せっかくなのでこの場を借りて小説内の台詞について私が考えている事柄を書き連ねてみたいと思います。

 個人的な感触として、「」のついている会話文は、ほかの地の文と比べてリアリティが強い。というのも、地の文は描写というフィルターを通して書かれたものであるのに対して、会話文は作中の会話をそのまま貼り付けたものという印象があるからです。
 例えば、「Aさんは私を映画に誘った」という文章はあくまでもただの描写ですが、「Aさんは私に『映画に行かない?』と言った」となるとAさんの台詞が剥き出しで書かれることになります。
 上の例の前者と後者を見比べた時、後者の方が情報量が多いでしょう。どういう口調で、どういう表現を使って言ったのかが読者にも明らかなのです。こうなると、作者としては誤魔化しがきかないわけでして、「Aさんはこんな言い方をする人なのか?」というのを一々考えてしまいます。
『~しない?』という誘い方をAさんは果たしてするのか、「に」という助詞をAさんは言うのか、前に「できれば」とか「よかったら」のような婉曲表現はつけないのか、『見にいく』ではなく『行く』なのか、といったようなことが気になってしまうわけです。
 ほんの些細なことではあるわけですが、この書き方一つで作中の「事実」が変わってしまうと思うと気が抜けないんですね。そして、こういう細かいところの積み重ねが、作品全体の質感に関わってくるんじゃないかなぁというのが、私の思い、というかある種の信仰だったりします。
 まあ、実際の日常会話の場面なんて考えたら、一々助詞を入れるか入れないかなんて気にしてないんですけどね。言葉なんて一回言ってしまえばもう推敲なんてできませんし。
 そういえば昔、「めちゃくちゃ上手い会話文書く人でも、実際の会話が下手な場合も多い」というようなことを聞いたことがあり、それを聞いた当時は、「いやいや頭の中でいい台詞が思いつける人間が話すの下手なわけないじゃないか」などと思っていたのですが、今になって私はそのことを身に染みて実感しています。というのも、この二年間、小説内での会話の書き方はうまくなった自信がありますが、反比例するように普段の会話が致命的に下手になっている気がしているんですね。
 喋り終えてから「こういう表現にすればよかったな」と反省したりはするんですが、どうも口が動いている最中は頭が動かないみたいです。悲しいかな。
 え、反省ってどういうこと考えてるかって?
 ……助詞を入れるかどうかとかですよ。

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