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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
サークルについて詳しくはこちらへ→公式WEBサイト

2023-06

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こんにちは、西桜です。

さて、何を書こうかなと5,6個分を少し読んだところ、どれも面白い内容で新入生の方々がブログを書くのをためらわれるかもと思って、緩衝材的な貧相なものを書こうと思います。はい、言い訳です。

と前置きしても、まだ書く内容が思いつかないので、ここ最近買った本(≠読了)を書いていこうかなと思います。

1 九マイルは遠すぎる
 海外の推理小説です。悲劇シリーズなどと同様に、ガチガチの推理小説で、一ひねり加えた推理小説をよく読む自分としては逆に新鮮で面白かったです。この作品の探偵は安楽椅子探偵で、タイトルにもなっている「九マイルは遠すぎる」が一番それを体現していて僕のお気に入りです。こんな推理小説を書いてみたいですね。

2 沈黙のパレード
 探偵ガリレオシリーズの最新作です。僕が理系を目指した原因の一つでもありますね。読んでいて一番感じたのは、登場人物の加齢です。そのためどこかもの悲しさを受けました。

3 パプリカ
 とりあえず買っただけです。映画にもなっていて、その予告PVがとても奇妙に仕上がっていて、まずは原作の小説を読んでみたいと思って買いました。

4 狂骨の夢
 五分の一くらい読みました。怪異を可憐に解き明かす様が気に入っていてもっと読みたいのですが、前作の魍魎の匣を読んだ後の衝撃でしばらく何も手に着かなかったのが気がかりで今は読むのが怖いです。

先輩たちと話してていつも実感するのですが、作品の感想、批評はとても難しいですね。それでは。

Edit 15:25 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

穴埋め

 たとえば地面に敷かれているタイルがありますが、一つ一つの正方形のタイルが規則正しく並べられて行列を作るなか、なんらかの事情でちょこんと一つ、そこからはみ出してしまうものがあることでしょう。九×九で並んでいるのに、八十二個目が居心地悪そうにぽつんと敷かれていることがあるでしょう。そういうときはその八十二番目の彼をそっと取り去ってしまいたくなります。あるいは壁にトビズムカデが這っているとき、彼女の脚が一本、欠けていることがあります。そういうときは手作りの脚をいっぽん、そっと差し上げたくなります。あるいは本棚に真ん中の巻だけ欠けて並んでいる漫画、駐輪場で枠の中から一台だけはみ出している自転車、ナッツバターおにぎりだけが品切れになっているコンビニの陳列棚、一室だけ空洞になっている組み立て式アパートメント、たった一つだけ、これ見よがしに浮き出ているエンターキー。そうした、どこかちぐはぐなかんじを覚えさせるものの並びを、どうしても均してしまいたくなるときって、あると思います。つい先日の二月二十九日も、なんとなしに気持ち悪くかんじてしまったりしました(二月二十九日生まれの方、ごめんなさい……!)。そういうのって、文章を書くときにも感じてしまうことです。どうしても一文字+句点が次の行に来てしまうとき、これをどうにか改行させないように、あるいは次の行がもっと長くなるように文章を推敲したりします。だけどいざ読んでみると、べつにそういう改行ってあまり気にならないんですよね。書いているときの、ともすれば無意味なこだわりなのかもしれません。あと、隣り合った行で句読点の位置が変にそろってしまうときも、なぜか違和感を覚えてしまいます。これってどっちかっていうとちぐはぐではなくて均整のとれている文な気がするんですけれど。結局のところ、わたしは歪なものにも整ったものにも気持ち悪さを感じてしまう人間なわけで、いやはや難儀なものです。正三角形は多分苦手で、鈍角をもつ三角形も結構苦手。直角もうーん。てなわけで。
 さて、この文章を書いている今日は休日で、数年ぶりにわたしがかつて所属していたサークルのブログを見てみたら、2022年四月上旬の分が欠けていました。歪ですね。きっとこのときの担当者だった誰かがさぼっちまったんだろうなあって思ったんですが、はて、この年ってわたしは何回生だったろうと思って計算してみると三回生でした。そうして過去に思いを巡らせようとすると、するするその頃の記憶が引き出されてきました。そうだった、わたしが三回生のころ――その二年ほど前に新型コロナウイルスという感染症が広まり始めて課外活動もいくぶん制限されていたのですが――そのころにはいろいろな制限がなあなあにされて、それなりに自由に活動ができるようになり始めていたんでした。わりと、対面とかでの新歓もできるようになっていたんだった。っていうか、四月上旬のブログなんて重要もいいところじゃないですか、それをさぼるなんて、どんな人なんだろうってそれわたしだったー! なにやってんだわたし、ブログさぼってんじゃあねえですよ!
 とはいっても、もう六年も経った今、責任をとるもくそもないっていうか、べつに会長に怒られた覚えもないですしね、うん。といっても、じぶんのせいでブログ更新が歯抜けになってるっていうのもなー、とおもっちゃって。それで、ちょこちょこっとツール使って入ってみたら、なんか更新日時のデータをいじって書き込むことができそうでした。ラッキー。今の顔も知らないWEB管さんには申し訳ないけれども、穴埋めしちゃうぜ☆ってなわけでいまこれを書いています。六年越しの穴埋め。ロマンがあるなあと思うとともに、そんなことしたって六年前にこれが見れるようになるわけでもないんですけどね。まあ、ただの自己満足です。六年も前の記事を漁ろうっていう酔狂な読者くんたち見てるー?(古いか。)
 そんなわけで、2022年四月上旬の担当はわたしです。わたしだったんです。あのときのペンネームを今書くのはちょっと恥ずかしいですね。でも書きましょう、だってあのころのわたしはそうして署名するんですから。
 ではでは今回はこのへんで。担当は有末ゆうでした。またねっ!

Edit 16:38 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

大学生活のしのぎ方 2022

3月下旬担当の葱です。今回は1回生向けのアドバイスを書きます。説教臭くて申し訳ありません。

1 自力
身近な人にSOSを出すのは大切です。しかし、大学は助けてくれませんから、基本は自力解決です。

2 新目標
3回生からは就活です。受験の次は就職を目標にしてください。チームでやり遂げた経験、困難を乗り越えた経験、工夫して成功させた経験があるとよいはずです。(私はどれもありません)

3 授業時間外が大事
宿題が出されなくても、参考文献を読んだり、自分で語学参考書をやったりすべきです。大学では、課題は自分で見つけるものだと思います。

4 高校時代のもの
高校時代の参考書は、家庭教師のアルバイトなどをする人は残しておくといいはずです。語学の授業ではCDプレイヤーを使うこともあるので、持っている人は下宿に置くといいかと。

5 交通ルール
田舎の感覚で自転車を走らせると危険です。自転車で歩道を行くのはあきらめた方がいいです。ベルは決して鳴らしてはいけません。

6 当たり前を当たり前に
ごみのポイ捨てをしない、授業に遅刻しない、授業中寝ない、正しい敬語を使うなどを徹底してください。就活中の付け焼刃ではぼろが出ます。

7 起床就寝時間
生活リズムが乱れ、朝起きられなくなる人もいます。休みの日も起床就寝時間を同じにしましょう。

8 食事
自動販売機で買わずにマイボトルを。昼食は自分で作った方が安くて早くすみます。

9 周囲
身近な級友、先輩をお手本に努力しましょう。

10 語学
授業に出ているだけでは足りません。自分で勉強しましょう。フレーズを何度も音読することで、読むスピードも上がります。脳科学に基づく英語習得については、本学の先生でもあった、青谷正妥先生のyoutubeや著作をご参考に。

以上です。長々と失礼しました。

Edit 15:10 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

新歓とか

 ほしい本があるのだと彼女が言ったから、わたしは彼女を隣にのせて、軽のイグニッション・キーを回した。さして暑くもないはずだったけれど、むっとした空気がわたしに空調のつまみを回させていた。朝の十時すぎから降り始めた予報外の雨は、止みそうになかった。

「先輩が教えてくれたの、あそこのブックオフに売ってたって」

 彼女はそう言って、珍妙な作家の名前と、そのわりに平凡な小説の名前を口にした。

「通販で買えばよかったんじゃない」わたしは言った。「そっちのほうが楽だし、そうしていれば服も濡れなかった」

わたしは、ハンカチで肩を拭う彼女を見た。駐車場を少し歩くだけとはいえ、一本の傘でどうにかしようと考えたのが間違いだった。

「言えてる」彼女は乾いた笑い声をあげた。「だけどこだわりはどうしようもないものだから。それに」彼女はサイドブレーキをおろす私を見る。「今、言っても遅いでしょう。あるいは引き返そうか。肩口を濡らすだけの散歩が好み?」

「悪くはないね、それも」

「嘘ばっかり」

 クリープ現象が、ゆっくりと車を運んだ。

 
 早咲きの桜は、まだ散るようなそぶりを見せていなかった。彼女はぼんやりと窓の外を眺めて、雨に濡れた花弁と黒々とした枝を目で追っているようだった。

「春だね」

 彼女は言った。わたしは曖昧に返事をした。「ああ、うん」

県道はあまり混んでいなかった。わたしたちの住む家から三キロほど離れたブックオフにはすぐ到着し、がら空きの駐車場には苦労もなく車を停めることができた。

「ゆうは来る? それとも待ってる、車で?」

 シートベルトを外しながら、彼女はわたしに尋ねた。べつだんほしい本もなかった。ただ、待っている理由もとくにはなかった。

「いくよ」


 店内に入るなり、彼女はわたしをおいてお目当てのフロアへと向かって行った。本の趣味は違うのだから、追ってもあまり意味はなかった。服に付いた水滴を払って、中古のCDコーナーへと向かった。家にはプレイヤーなどなかったけれど。

 
 時間がかかる買い物ではないだろうと思っていたけれど、彼女がわたしに声を掛けてきたのは数十分後の事だった。ちょっとした手提げほどの大きさのレジ袋は、直方体に膨らんでいた。

「随分買ったね」

「何度も来るのは面倒だし」

「どうせいくらかは積むんでしょ」

「いつでも参照する権利を得るんだよ。本を買うっていうのはそういうことだから」

 わたしは、彼女の部屋の中の百を超える“権利”とやらを思った。

 雨は、まだ降り止んでいなかった。わたしは店の外に置かれている傘立てを見遣って、首を傾げた。わたしたちの傘が消えていた。

「盗まれたんだ」

 彼女がつぶやいた。盗まれたといっても所詮はビニール傘のことで、大した被害とも言えなかった。

 傘立てには、他に何本ものビニール傘がささっていた。わたしの手は自然と、そのうちの一本に伸びかけた。しかし、不意に疑問が頭をよぎった。誰がわたしたちの傘を盗ったのだろうか。

 雨が降り始めたのは、十時を少し過ぎた頃のことだった。今から五時間も前の事だ。そんな時間、店の中にとどまっている者もいないだろうし、あるいは、傘もささず外をほっつき歩いている者もないだろう。だから、不意に降り始めた雨に、しかたなくわたしたちの傘を盗ったというわけではない。しかし、ならば盗人は、この店に来る段階では傘を持っていたはずなのだ。だから、盗人は何らかの理由で傘が使えなくなったために、わたしたちの傘を盗ったということだろう。その理由とは何か。

簡単だ、彼、ないし彼女もまた、傘を盗まれたのだ。

 わたしは五時間前の事を思った。この店の開店時間は、十時からだ。雨が降り始めたのはその少し後の事だったし、その雨は予報外のものだった。きっと、開店と共に店にやってきたとある客は数十分かけて古本を買い込んだのだろう。そしてその客は、もしかしたらレジ袋を買わなかったのかもしれない。予報外の雨に本が濡れるのは、好ましくない。その人物の手は、傘立てに伸びたのだろう。そうして傘を盗まれた者は、別の傘を盗んだ。そうして傘を盗まれた者もまた……。

 そして、その連鎖の先に、わたしたちがいるのだ。

 わたしは傘立てから手を引っ込めた。隣に立つ彼女は困ったような顔をしていた。

「本、濡れちゃうかも……」

「レジ袋に入れてあれば、大丈夫だよ」

「でも……」

「ならわたしのカバンに入れよう。防水性だし」

「風邪ひくよ」

「すぐ車だよ」

「だけど」

「いいんだよ」わたしは言った。「これでいいんだ」

 帰り道、小さくくしゃみをした彼女は、恨めしそうな顔で「だれが盗ったんだろう」と考え込んでいた。どうでもいいでしょう。わたしはおざなりにそう言ったけれど、彼女は納得しないようだった。

「さっきさ、あたしたちが店に付いたとき」彼女は言った。「駐車場に、長野ナンバーの車があったんだ。きっと雨が降る以前から走ってたんだと思う、今日。それで、なんとなくブックオフに寄って、思いがけず一杯本を買ったんじゃないかな。車から店に向かうときには、短い距離だったからそんなに気にしなかったけど、本を抱えると都合が違ったんだ。だからあたしたちの傘を盗ったんじゃない?」

 彼女は、また小さくくしゃみをした。

 わたしは彼女の説に、否定も肯定もしなかった。

 桜の花弁が一枚、雨に打たれながら宙を舞っていた。

◆◇◆◇

 新幹線に乗ってしまえば、地元までは35分で行けるはずでした。だけどわたしはなにか血迷って、普通列車で紀伊半島をぐるりと回って帰る道を選んだのです。これを書いているのは三月十七日。まあ、十七日でも解釈次第では三月上旬でしょう。ほら、二桁目を四捨五入すれば。

 京都から名古屋まで、十五時間ほどかけて帰っています。それだけ時間があれば小説の一冊くらいかんたんに読めてしまうというもので、わたしはさきほどロス・マクドナルドを一冊読了しました。ロスマクはハードボイルド派の重鎮ですが、わりあい本の入手難易度が高くて悩ましい所。本屋なんかに行くとたいていチャンドラーは揃っているのですが、ロスマクは見かけませんね。古本まつりでポケミスを漁れ!

 ハードボイルドなんかを読むと、どうしても文章に影響をうけてしまうなあと思うのですが(まあ上記のやつもそんなとこ……ほんまか?)、ただかっこつけてる感じになるだけです。べつに自分の書くものの主人公は孤独でもないし、抑圧されてもいないし、タフでなければならない理由もありません。強くなくても生きていけているし、優しくなくても許されています。それはおそらく他の小説に影響を受ける時もおんなじで、西尾維新の語り部じみた言い訳と戯言を紡がなければいけない人物を書いているわけでもないのにだらだら述懐させてしまうし、矢部崇をまねて無駄に文章だけ気持ち悪くしてしまう。東川篤哉をまねたユーモアは空回りして、『氷』の技巧に失敗する。べつに模倣は悪い事ではぜんぜんないけれど、どうしてそうした文章を書くのかを、もっと考えた方がいいんだろうなと思う今日この頃です。というか、そうして文章を模倣していく中で自分の書くものと文章のスタイルが一致していくんだと思いますけどね、普通。そうでもないかも。すくなくともわたしはそうで、そしてほかにもそうしたひとはいるんだろうなとおもうところで、まあ何が言いたいってとにかく書け! ってとこですよね。読め、書け! ○○って作家の小説を読んで文章に悪い影響を受けた。いいじゃないですか、その悪癖を飼いならして血肉にしましょう。戯言だけどね。

 そういえば新入生の皆さん、合格おめでとうございます! 新生活が始まって人間関係の構築に悩むところかもしれませんが、とりあえずサークル入っとけば趣味の合う友人が見つかるかもです。学部の友達とかはね、学部によってはまあできませんから(例:文学部……わたしだけか?)。

 というわけで当サークル『名称未定』も新入生を随時募集しております。漫画、小説、詩、短歌、イラスト、常人には理解できない論文まで、二次元単色媒体の創作ならなんでもかかってこいのゆるいサークルです。感染症の為今はオンライン(discord)を中心に活動中でして、Twitterやホームページにサーバーリンクがございますので、ご興味のある方はぜひいらしてください(当サークルはインカレサークルではありませんので、ご了承ください)。
 
 ちなみに🉐情報。去年から対面活動を復活中です。新歓を対面で出来るかどうかは未定ですが、普段の活動では対面も一部行っておりますよっと。

 ではではサークルの宣伝を申しましてこのあたりで。担当は有末ゆうでした。またねっ!

Edit 00:46 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

解釈するということ

“Virtual”という単語を耳にする機会が、以前よりも格段に増えてきました。
手垢のついた言説にはなりますが、この”Virtual”という単語の正しい意味をご存じでしょうか?
”Virtual Reality”はしばしば「仮想現実」と訳されますから、「仮想的な」あたりを思い浮かべた方も多いのではないでしょうか。そう思いながら嘗て使っていた英単語帳を捲ってみれば、”Virtual”の項目には第一の訳語として「実質的な」という言葉が登場します。「仮想的な」と「実質的な」というのは、類語、というよりもむしろ対義語のようなもので、この2つの訳語が並んでいる様子には、違和感を覚えずにはいられません。
あるVirtual Reality関連の書籍でもこの問題に触れて、日本語文化内に適切な訳語がないため、苦肉の策で「仮想的な」などと訳している、という旨のことが語られています。
試しにGoogleで検索をかけてみれば、訳語に「バーチャル」と表示され苦笑いするほかありません。

しかし、文化的相違と翻訳の試みが引き起こすこのような問題は何も”Virtual”という単語に限った話ではなく、明治時代には西洋の言葉を翻訳する際に対応する日本語が存在しないため多くの新造語が生まれたというのはご存知の通りです。
翻訳においてこのような相違を埋める手立てには、上で述べたような近似的な訳出、新語の造語の他に、カタカナ語のような借用語を用いるという手段もあるでしょう。
しかし、翻訳を「意味の解釈」の過程の一種だと定義するならば、新語の造語や借用語の使用は問題の形を書き換えただけで、表現の本質的な意味は何ら解釈されていません。
例えば、”individual”を「個人」という新造語で置き換えたところで、「個人」という単語の意味が別のすでに意味の分かっている日本語で説明されなければ、この単語が解釈されたことにはなりません。同様に、”lens”を「レンズ」と書き換えたところで、その実物を見たり、原理や利用方法を説明されたりしなければ、この単語が解釈されたことにはなりません。
すなわち、ある単語を解釈するには、意味が分かっている別の単語に置き換えるか、あるいは意味が分かっている別の単語を複数用いて具体的な説明を与えるか、そうでなければ百聞は一見に如かずとばかりに言葉に頼らない説明をするか、のいずれかしかありません。
立場を変えて言い換えれば、言葉を理解するには、別の言葉を用いるか、見るなどの言葉に頼らない体験によって理解するかしかない、ということです。しかし、言葉を理解するために別の言葉を用いるとしても、そのためにはそれに用いる「別の言葉」の方を理解している必要があります。これを理解するにはそのまた別の言葉が必要で、と無限ループになってしまいますから、どこかで必ず言葉に頼らない意味の理解が必要になります。

いわゆる「言語の文化的相違」というもののなかにはここに起因するものも多いことでしょう。言語を使わずに体験などによって理解される概念と、それらの言語的な組み合わせによって理解できる概念しか言葉として用いることができないのですから、住む地域の気候や産業、歴史文化の違いなどによって得られる体験が違えば、言語に存在する概念にも当然違いが生じます。

では、同じ言語を使っている人たちの間では、概念は完全に共有されているのでしょうか?もちろん答えは否です。「雪」といったとき、関西出身の私と、東北地方出身の誰それが想起するそれは全く異なっているでしょうし、「権利」という言葉を聞いたときに思い浮かべる概念的イメージは、工学部の私と法学部の方々とでは随分と異なっていることでしょう。
その中で、ある程度の共通部分を持っているからこそ、私たちは同じ言語を話す者として問題なく意思疎通を行うことができますし、ある程度の差異があるからこそ、嚙み合わない会話に歯痒い思いをすることもあるのです。

そしてこのことは、文章を書く、ということを趣味に活動している私たちのような人間にとっても、非常に重要な意味を持ちます。
現代文の講義を高等学校で受けた方なら誰しも、「この表現の解釈は読者にゆだねられている」という表現を耳にしたことがあるでしょう。ですが、先の議論を踏まえれば明らかなように、文章に登場するほとんどの単語の解釈は読者の過去の体験や経験に大きく依存しているものであって、むしろ、その意味が一意に定まるように、言い換えれば表現から想起される対象のイメージが読者の経験や体験によらず概ね一致するように文章を書く、ということの方が至難の業なのです。
この問題を回避する方法は、私が思いつく限り4つ存在します。
1つ目は、詳細な記述によって解釈の誤差範囲をできる限り小さくする、というものです。単純明快な手法ながら、文章が異常に冗長になってしまうなどいくつかの致命的な課題を抱えています。
2つ目は、解釈の差異を許容することです。たとえば文芸作品では、物語の描く対象に対する表現をある程度抽象化し、具体的な表象については読者に一任する、というものがしばしば存在します。こういった作品は、映画などの他の媒体によって映像化されると、見る人の間で「自分の描いていたイメージと違う」というようなことが起こりがちではありますが、そういった点まで含めてこのような作品の特性ということができるでしょう。
3つ目は、事前に意味の合意がとれた語彙を使用する手法です。論文やレポートのような科学的な文章を書く際にしばしば用いられる方法で、例えば「この分野で『河川』といえば以下の定義を満たすものを指す」というように用語の意味や指し示す対象をあらかじめ定義しておくことで、冗長性を回避しつつ表現の一意性を担保します。
4つ目は、文章の対象集団を一定の作品経験や知識を持つ人々に限定する、という手法です。
サブカルチャーの分野で一時期話題に上っていた「小説家になろう」に投稿されるいわゆる「なろう系」と呼ばれる作品群がわかりやすい例でしょう。これらの作品は、いわゆる「ドラクエ」を連想させる西洋中近世の世界観と「魔法」や「ギルド」といった概念が、それぞれ非常に似通った形で登場します。これらの単語がさす対象の作品間の類似性は、これらを映像化した諸作品を見てみれば明らかです。
「中近世ヨーロッパ」という非常に曖昧な世界観表現と、「魔法」という一見して想起する対象が個人の作品経験によって大きく左右されそうな言葉が、なぜこのようにほとんど同等の概念を指す存在としていくつもの異なる作品に登場するのでしょうか。それはこれら作品の著者と想定される読者集団がみな、「ドラクエ」に代表されるRPGといくつかの著名な中世ファンタジー作品の作品経験を共有しているからにほかありません。
それらの作品経験という前提があってこそ、「魔法」といえばこういうもの、「ギルド」といえばこういうもの、といった表現に対する概念の一意性が、詳細な説明を行わずとも保証されているのです。
作品経験を前提にした表現、というのは何もこれに限った話ではありません。たとえばイギリスではよくシェイクスピアの作品になぞらえた表現が用いられますが、シェイクスピアという劇作の中での表現を用いることで、その作品経験を持つ人にとっては、言葉の指示内容を限定しやすくなる効果があるでしょう。
日本語作品から例を挙げるならば、「水中で逆立ちした格好の遺体」と表現すると、想起されるイメージにはばらつきが出るかもしれませんが、「犬神家の一族のような」という言葉を付け加えるだけで、作品経験を持つ人にとってはイメージが一意に定まる、というようなものです。
作品経験以外の知識を前提とする例としては、料理本などに現れる「少々」などの曖昧な表現がこれにあたるでしょう。私のような料理をしたことがない人間にとってはそれが0.1gなのか10gなのかまるで見当もつきませんが、料理に慣れている人間にとってはその言葉が示す意味内容がある程度共有されているはずです。

では、私たちが文章を書くときに取るべき手法は上の4つのうちどれでしょうか。これは当然一つに定めるべきものではなく、状況によって使い分け、時には組み合わせて使っていくべきものです。しかしどのような手法をとるにしろ、「言葉」に対する概念の一意性というものは案外自明ではないものであって、自分が書いている文章は、そのまま自分の思った通りに解釈されてくれるものではない、というのは肝に銘じておくべきでしょう。

長くなりましたが、このあたりで今回は終わりにさせていただこうと思います。この文章がどのくらい私の思った通りに解釈されるのか、まるで分かったものではありませんが、春休みの暇に任せた書き散らしが、正確に解釈される必要もありませんね。それではまたいつか。

Edit 18:31 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

毎日絵を描いて今日で26日経った

最近のことについて綴ろうと思っていたが、ブログ担当を名乗り出た後にこの上ないネタを自分が持っていたことに気づいた
そう、タイトルにもある毎日絵のことである


元より、私は絵が描きたかった
他人の絵を見ても納得できなかった諦めの悪さに苛まれ続けていた
だから最近覚悟を固めて毎日描くことにした
(と、いってもこれはたまたまテスト準備などがない状態だから出来た話かもしれない
しかし在学中に継続的に絵を描く習慣を身に着けようとしたことは幸運なのだろう)


そもそも、絵を描く、描いたという状態はどこからどこまでを指すのだろうか
絵の完成は本人にしかわからない
未完成状態に見えたとしても、完成したというのならそれは一つの作品として評価されるべきだし、自分もその評価から逃げてはいけない(と私は思う)


SNSは素直なので、甘えた作品はあまり閲覧されない
インターネットは諦めが悪い人にはとことん厳しい
よって、私はまじめにペン入れをすることをやめた
永遠にスクロールして細部までこだわることをやめた
何よりも、久しぶりにペンタブを触るもので、画面の中の筆と自分の感覚が一致する保証すらなかった


だから、tegaki_dtから描き始めた
このサービス、アプリはキャンバスサイズ固定、回転不可、レイヤーなし、消しゴムなし(背景色で消す)、色は二色までしかストックできず、それ以上の色のヒステリー機能はwindowsデフォルトのもの、これもアプリを落とすたびにリセットというとても制限されたツールである
フォトショップはキャンバスの回転がないのでこれは実質フォトショップかもしれない
消しゴムの有無や回転などでMSペイントがまともに見える驚愕のツールであるが、作品はすぐにツイートできるというのがツールの一番の特徴である


最初から毎日投稿を意識していたわけではない
はじめの段階では引き返せたからだ
ただ、自分の手癖、経験値と観察眼、頭の中の理論で自分はどこまで描ける状態なのか
あとは、この情けなさはどこに葬れば良いのか、
そういったことを試したのが毎日投稿の一日目であった

1日目 玲音 serial experiments lain
1日目 玲音 serial experiments lain

絵を描くことは一種の諦めを内包している
それは頭の中で無限に広がるイメージを絞り、紙に落とし込み、どこまでも陳腐化させる作業である
そうしていく中でいやでも気に入らない絵が出来る、もっと頑張れたはず、という絵が出てくる


当然、時間をかけないとSNSで絵は伸びないし注目されない
出来るなら毎日のようにハイクオリティな絵を上げたい
二時間くらいで背景まで描きこんだイラストを仕上げたいと思う
しかし毎日投稿のタイムリミットは厳しい
素人にはそんなことはそうそう無理であることを、宣言した段階で日々味わうことになる


よしんば何日も時間をかけて描いたとしても、描き上げた時点で納得のいくものだったとしても、時間が経つにつれて自分にとって陳腐なものに写るようになる
そうした諦めと失望の先に、自分の望むものがあるのかすら現段階ではわからない
ただ、毎日前の画題よりは、昨日の絵よりは、改善できるところがないかどうか考えながら描くしかない
その先に自分の望んだものがあるはずである
ひいひい言いながら日々そう願っています

5日目 窓付き ゆめにっき
5日目 ゆめにっき 窓付き

7日目 ラピスラズリ 宝石の国
7日目 宝石の国 ラピスラズリ


13日目 パワー チェンソーマン
10日目 パワー チェンソーマン

17日目 七草にちか シャニマス
17日目 七草にちか シャニマス

21日目 花芽すみれ ぶいすぽっ!
21日目 花芽すみれ ぶいすぽっ!

25日目 チルノ 東方Projects
25日目 チルノ 東方Projects

追記:2022/02/20 日付情報の修正と絵の追加

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思い出の味

2月上旬担当の葱です。今回は思い出に残る食べものの話をします。内部誌のネタに困ると、いつも「思い出の味」と称して、食べものの話を書きますが、今回もそうです。

1 鳥のしょうゆあげ
本学食堂ルネのメニューです。このサークルは、コロナ前はルネで夕食を食べながら例会をしていました。そこでいつもこれを食べていました。小鉢以外で一番安いおかずだから食べていたのですが、いつしかはまっていました。薄く広い鶏肉をカラッと揚げたもので、食べるとしょうゆ味がほんのり広がるという、唐揚げとはまた違った味でした。黙食せずに、会員同士とりとめもない話ができていたのが何とも懐かしいです。

2 ミラノ風ドリア
百万遍交差点にあるサイゼリヤのメニューです。院生の先輩と読書会をした後は、必ずそこで夕食をおごってもらっていました。とろけたチーズとご飯の相性がよくて、いつも注文していました。先輩方と夜遅くまで学問の話をしていたのが思い出されます。

3 梅干しと白米
母方の祖父母の家で夕食をいただくと、祖父母はご飯のお代わりをすすめてくれました。炊き立てのご飯と自家製の梅干しは、いつもおいしかったのです。夕食の終わりごろには、祖父はお酒を(徳川家康の金言を書いた湯のみで)飲みながら、しばしば私に教訓めいた話をしていました。祖父の教訓は、今でもご飯の味とともに、ときたまよみがえってきます。

4 菓子パン
GWに実家で田植えがあります。その休憩のときに、親戚の人々とあぜで菓子パンを食べています。特に理由はないのですが、私は普段はほぼ菓子パンを買いません。しかし、晴れた青空の下で、都会の喧騒を離れて、皆と菓子パンを食べていると、ほがらかな気持ちになります。

5 茶の菓
曾祖母が好きなお菓子でした。抹茶味のウエハースでクリームをはさんだものでした。兄が京都から帰ると、いつもこれを買ってきていました。それを見舞いついでに持って行って、曾祖母と一緒に食べていました。デパ地下で見かけると、そのことを思い出します。

以上です。食べ物の記憶は、個人的な思い出と不可分に結びついていますね。飢えてはいませんので、ご安心ください。

Edit 08:38 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

大雪

1月下旬担当の葱です。
「京都の雪景色、なんてきれいなのでせう」と人は言うかもしれません。しかし、住んでいる人間には大変です。ということで、21日金曜日の大雪について書きます。

20日木曜午後から、雨が雪に変わり始めました。窓の外が薄暗くなり、だんだんと雪の粒が見えてきました。みるみるうちに、本格的な雪になりました。17時ごろに帰ろうかと思ったのですが、雪がやまず、待ってもやまないのであきらめて帰りました。折り畳み傘では、胸から下は雪がかかってばかりです。冷たく強い風が吹き、靴の中は雪に濡れて冷え、帰るのも大変です。

21日、起きると、雪が積もっていました。誰かの足跡をたどって、のそのそと歩きます。雪景色を楽しむ暇はありません。普段は自転車が歩道を走っているのが恐ろしいのですが、今日は自転車より滑る方が恐ろしいです。さすがに今日は自転車も少なかったですが。「なぜアスファルトの雪は、土の上の雪より早く溶けるのか」と思いつつ、何とか大学につきました。

室内でも冷気が窓越しにやってきます。雪はいっこうにやみません。ようやく12時半過ぎに雪がやみ、日差しが出ました。困ったのはこの後です。雪がとけて川になって流れていけばいいのですが、とけかけたまま道に散乱しています。うっかり踏むとこれがまた冷たい。また、軒下を通ると雪どけ水を浴びます。雪は結局は雨であることがよくわかります。

18時すぎに帰宅です。雪が解けた分だけ気温も下がったように感じます。さて、帰り道に雪だるまを多数見かけました。周りの雪が解けた中で、ひとり残っている雪だるまに、寂しさを感じていました。それから、幼いころは雪がうれしかったのですが、今となってはただ面倒だとしか思わなくなりました。

帰宅して、暖房をかけ、正月の餅を食べ、「私はこんなにぬくぬくと暮らしていていいのだろうか」とふと思いました。

Edit 20:16 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

旅行の思い出

『シュメッハ』:ウル第三王朝に出現した宇宙人。三年にわたり人類と交流をしたが、その後人類から自分たちについての記録や記憶を全て抹消して立ち去った。

 一月の上旬を過ぎて、そういえば十二月上旬の担当分を書いていなかったなあ、と思い出しました、有末ゆうですごめんなさい。何も書かないというのもよろしくないので、一月以上経ってはいますが担当分を書かせていただきたいと思います。
 とはいっても何を書くべきだろうか、何も案が浮かばなかったのでキーワードを探すべくぶっとい辞書をぺらぺらめくっていたのですが、そんな折に見つけたのが冒頭の単語でした。シュメッハ。語源にはシュメールがあるのでしょうか、そんなことを思いながら説明文を読んで、わたしはちと首を傾げました。シュメッハと呼ばれる宇宙人たちは地球から自らの記録や記憶を全て消し去ったのに、どうして辞書にその名が残っているのだろう。
 もしかするとなにか、フィクションの中の単語かもしれません、私は検索サイトで『シュメッハ』と調べてみました。ミハエル・シューマッハ。ヒットするのは高名なレーシングドライバーの名前ばっかり。
 いくつか他の辞書をあたってみると、シュメッハという単語が載っているのは私が最初に調べた辞書だけでした。あまりポピュラーなことばではないようです。
 出版社に電話してみると、手元の辞書にはその言葉は掲載されていないですね、と返された。
「じゃあ私のこれは一体なんなんですか?」
『んー、ああ、そうだ、それ何版ですか?』
「初版ですけれども、1956年発行」
『あー、はいはい、ちょっと待ってくださいね』がさごそ。『ありました、ありました。えーっと、うん、初版だけに掲載されてますね、それ』
「他にはない?」
『ええ、そのようですね』
「でも、減るものなんですか、収録されてることばって」
『場合によりけりですけども……あ、上善さん!』
 出版社の人は誰かを呼びかけました。
『編集長です、この辞書の、初代の』上善如水、という人物がこの辞書を編んだそうです。『これについてなんですけれど……』
『ああ』しゃがれた声でした。『うん? おかしいな、こんな単語を載せた覚えはなかったんだが……それに第二版で消した記憶もないが……』
 誰かの悪戯かもしれん。上善さんは困惑したような声でそう締めくくった。
 悪戯だろうか。そうではない気がしました。このことばは実在する。漠然とした確信、その時、私は誰かに呼ばれた気がしました。誰に?ーーあるいは、ことばに。
 教授なら何か知っているかもしれない。私の師匠はメソポタミア研究の第一人者なのですが、彼女ならわかるかもしれないと思って連絡をとってみると、今は中東で単身フィールドワークをしていて、連絡はうまくとれないと助手の方に言われてしまいまいした。大分長期にわたる調査のようで、ブログを早々に書いてしまいたい私にとって、到底待てるような時間ではありません。私は彼女に直接会うべく、中東へと飛びました。
 私の勝手なイメージとして、この地域は年がら年中剣呑な雰囲気が漂っていると思っていたのですが、あにはからんや随分とのんびりした場所で、聞き込みをするにしても親切な人が多かったです。日本人の目撃証言はすぐに集まりまして、教授の居場所は三日で割れました。私はヒッチハイクでその地へ向かい(3回ほど騙されかけて危ない目に遭いました)、フィールドワーク中の教授に出会いました。
「シュメッハについて何かご存知ですか?」
 私がそう聞くと、彼女は顔をこわばらせました。
「どうしてそのことばを知っている?」
「辞書に、あって」
「どの辞書?」
 私が例の辞書の名前を出すと、教授はゆるゆるとかぶりを振りました。
「悪戯よ。……タチの悪い、悪戯」
「先生、あなたは何か知っているのですね」
「何も知らないわ、知るはずがない。そんなことば」
「それは嘘でしょう」
 その時、私の携帯電話がこの地に来てから初めて震えました。国際電話のようです。番号は知らないもの。
「もしもし」
『有末さん?』
「ええ、そうですけれど。あなたは?」
『セシマシルカと申します』
 瀬島標華、という文字だと説明されました。
「どなたですか?」
『例の辞書を編んだ一人ですよ。もうあの会社はやめているんですけれども。編集長から連絡がありましてね、久しく』
「なにかご存知なんですか、あの単語について?」
『あれを掲載したのは私です』
 頭の中で冷たい電流がはしりました。
「本当に⁉︎」
『嘘なんてつきません』
「一体なんなのですか、あの単語って?」
『書かれている以上のことはありませんよ』
「でもおかしいでしょう、あれが辞書に載っていること自体、そして瀬島さん、あなたがあのことばを知っていること自体」
 そのときでした。隣に立っていた教授がかっと目を見開いて叫びました。「セシマ⁉︎」
「え、あ、ちょっと、先生!」
 教授は私からスマホをもぎ取ると、マイクに向かって怒鳴りつけるような声をあげます。「シルカ、シルカなの?」
『あらら、久しぶりな声ですね、洋子』
 瀬島さんの楽しそうな声が聞こえる。
「シルカ、あんた一体いまどこにいるのよ」
『さあね。どこにいるんだろうね、私って』
「信号の音、救急車のサイレン、そこは日本よ。雑踏ね、ざわめきが聞こえる。近くで広告が流れているーーTVCMね、それが流れるのは名古屋だけ、そう考えるとわかってくるーー今、あなたの周りで車がカーブを描くように走行している音がする、ロータリー交差点でしょう、そう、あなたは名古屋駅前にいる」
『そう思うならば、そう思えばいい』
 その瞬間、風を切る音が聞こえました。波が砕ける音も。
「海……?」
 私は呟きました。と、次の瞬間には巨大なエンジンの唸り声が響く、飛行機が飛び立っていく音。かと思えば明らかに日本ではない雑踏の音がする、ニーハオ、という声が聞こえる、次の瞬間には大河の流水の音、どこかで祈りの声が聞こえる、スパイスの香りを幻視するーー気がつけばまた違う場所の人混みの中、私の知らない場所ーーいいや。
 私は知っている、このざわめきを。土埃をあげるバイク、露天の主人が張り上げる声、はしゃぎ回る子供たちの黄色い声、どこかで銃声が聞こえているーーあの街だ。つい数時間前までいた、あの街。
「どこにいるの、シルカ!」
 雑踏の音が消え去った。残るは荒涼とした大地に吹き荒ぶ風の音と、教授の悲痛な叫び声だけ。なんで私は教授の持っている電話から出る音が聞こえていたんでしょうか。
 気がつけば電話は切れていたようです。
 それでも、瀬島標華の声は聞こえたんです。
『ここよ。そしてあの場所へ』
 風の音が変わりました。そして、耳の奥で薄いガラスのようなものが割れた、そう幻覚しました。その途端に世界はクリアーになって、私は、息を深く吐きました。知らず、緊張していたようです。
 教授は、私のスマートフォンを持った手をだらんと下げて、奥歯を噛み締めながら震えていました。
「ジッグラトへ」
 教授は掠れた声で言いました。
「ジッグラトへ行きなさい。そこでシルカが待っているから」
 私は尋ねます。
「ジッグラトって、ここからどれくらいですか?」
「車で二日ほどよ」
「あー、ちょっときびしいですね、それは」
 教授は眉を顰めました。
「どうして?」
「三日後テストなんで。それまでに日本に帰らなきゃ」
 教授は目をまんまるに見開きました。そして、けらけらと笑い出しました。
「ああ、それはいい意趣返しだ!」

 日本に戻る飛行機の窓から、遠く西の方、大地と空を繋ぐように、一筋の真っ赤な光が伸びているのを目の当たりにしました。私だけのようでした、それが見えているのは。
「フィッシュ、オア、チキン」
 平和そうな顔をした乗務員さんが機内食を運んできてくれました。私がフィッシュと答えますと、二十センチくらいの大きさの焼き魚がでん、とお皿に乗せられました。
 そのときでした、西の空に伸びる光の筋がぐいと曲がり、秒速三十万キロの速さで私の目の前の魚に命中しました。
 魚の目が、ぎょろりとうごきました。
 そして小さな口をぱくぱく動かし、シルカの声が叫ぶのです。
『ジーザス!』
 私は微笑みました。私も叫ぶのです。
「南無三!」
 魚ははじけて飛び散りました。隣に座っていた男の人がびっくりしたような顔をしていました。

 
 不思議な物事は意外と身近に落ちてるものです。みなさんも一度自分のまわりをぐるりと見渡してみてはいかがでしょうか。それでは。有末ゆうでした。

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一年間よろしくお願いします!

 どうもこんにちは。この度会長に就任しました、ナカジマです。
 まあ、会長になったと申しましても、能力が認められたわけでも、実績があるわけでもない名ばかり役職で、背後に一人や二人じゃない数の黒幕の気配を感じる毎日でございます。財布のひもを握る会計や、ノウハウを知る前会長、原稿を取り立てるとの名目で先輩をいじめる編集達etc……。頭が上がらないのは変わりません。ですから、もしこのサークルを乗っ取ろうと画策している人がいらっしゃいましても、私なんぞは放っておいて黒幕から狙うのがいいでしょうと、この場を借りて広く告知をしておきます。私を殺しても首がすげ変わるだけでして、何の意味もないのですから、どうか「附属図書館の屋上から西部課外活動棟を狙撃する」、「ルネのケバブプレートにあらかじめ猛毒を仕込んでおく」というような無意味なことをなさいませんよう。 因みに私が西部課外活動棟に現れるのは火曜日の午後7時ごろ、ルネには平日12時5分くらいに姿を見せると一応付け加えておきます。
 さて、卑屈なことばかり呟いていると本当に見放されそうなので、張り切って会長職を全うしてやろうという所存ですとは言っておきます。もとからいまいちコンセプトの定まらないこのサークルは、コロナ禍の影響もあってかいろんなところで青息吐息、これをなんとかできるところまで持っていくのが今期の課題となるでしょう。力不足も甚だしいので、どうか皆さんお力添えのほどよろしくお願いいたします。
 文章は人を表すとはよく言ったもので(誰か言っててほしい)、上記のように私は文章も人格もネトネトしていて、しまりに欠けると言えるでしょう。それでも精一杯やれることをやっていくので、どうかお付きあいくだされば。

 今回はこんなもんですね。ありがとうございました~。
 
 

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日常と非日常

こんにちは。名称未定会長のいとらです。

と、この名乗りも今日で最後となるわけです。明日からは次期会長が会長になります(トートロジー)。これからも私は会長と名乗ることはできますが、名称未定の歴史もそれなりに長いので、同じ称号を持つ人は大勢いますからね。この世界で唯一無二の存在たる「名称未定会長」と比べると、称号としての箔は弱まっている気がします。

ともかく、今日は大晦日、一年の締めくくりとなる日なわけですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は久しぶりに実家に帰り、餅つきだとか、おせちの準備だとか、結構年末らしいことをしております。一人暮らしだと季節感もなくなってしまいますからね、今日は○○の日だからあれやってこれやって、というのは割と新鮮な感じです。
しかし、昔は年の終わりと聞くとそれだけでテンションが上がっていたものですが、今はそんな感慨は全然わかなくなってしまいました。今日で今年が終わるからといって、世界の何が変わるというわけでもありませんし、年越しという事象にいまいち蓋然性を抱けないんですよね。何となれば年の境を夏にしたって問題ないはずですし、どの暦を使うかでいつが年明けかは変わってきます。なんなら、日本時刻での年明けとアメリカ時刻の年明けとで半日以上ずれているわけなので、年が変わる瞬間なるものも、他の任意の時刻と同等の価値しか持ちえないのではないか、なんて思ってしまいます。
まあ、あれこれ理由をつけてみましたけど、要するに特別な日に対する特別感を感じなくなったという話です。これは大晦日に限らず、他の祝日や年中行事全般に言えることなんですが、例えば年越しそばを食べることに関して、わざわざ年越しのときに食べなくてもいいじゃないか、そばくらい好きな時に食わせろ、とそんなことを思います。だから誕生日にケーキを食べようとは思わないですし、ハロウィンに仮装したいとはなりませんし、クリスマスにリア充を爆破したりはしません。そんなの、好きなときにすればいい話ですからね。リア爆しろ!
……冗談はさておき、実際のところ、普段できないことをするきっかけとして必要だというのもわかるんです。特別な日の特別感を味わうのもそれはそれで楽しいでしょうし。結局、私がそういう童心を忘れてしまったというだけの話です。

ところで、今年も色々なことがありましたね。甲子園とか、コミケとか、去年できなかったことが今年こそはと開催されました。京大ではなんとNFが今年二回も開催され(!?)、対面授業も段階的に再開されていきました。名称未定でも、制限付きですが対面での活動を行うようになりました。
しかし同時に、コロナの状況に振り回された一年でもありました。前々から企画していたイベントを中止せざるを得なくなることもあったでしょうし、大学は対面授業とオンライン授業を頻繁に切り換えたので、それに順応できずにいた人もいたかもしれません(私ですが)。

思えば現代人は文明の力によって、同じような日々を繰り返す環境を作り上げてきました。それは安定して豊かなものですが、同時に退屈なものだったりもします。その「日常」の中にあって、毎年味わえる些細な非日常というのは、なるほどうまくできたシステムなのかもしれません。同じ非日常でも、予測のできないものに振り回されるよりかは、毎年同じように祝える日があった方が楽しい気がします。ええ、リアルはフィクションより嫌なことが多いですからね。最近、そんなことを思います。

今年も、家族で大晦日を過ごせて幸せです。

そんなわけで、最近考えていた日常と非日常についてでした。みなさんは、年の瀬にはどんなことを思いますか?

そういえば、良いお年を、という表現は大晦日には使わないらしいですね。なんでも、「良いお年を」というのは今年やるべきことを終わらせて、良い新年を迎えてください、という意味なのですが、大晦日にはやるべきことは終えているはずだから、と言うような理由らしいです。まあ、私は今こうして今年中にやるべきものを書いてるんですけどね。あはは。

ただまあ、せっかくの大晦日にそんな細かいことを気にするのも馬鹿らしいので、ここはこの挨拶で締めると致しましょう。

よいお年を!

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日記

 12月中旬担当の西桜です。いまは12月中旬ですね。(白目)

 12月中旬と言えば何がありますか、そうサンタの日です。子供たちがクリスマスプレゼントを望み、男女の仲が深くなり、僕は涙を流す日です。実際僕が家に帰るときの駅の様子は僕にはつらいものでした。しかしみんなが暗い顔して歩いているよりかは健康的なのかなとも思います。

 書くこともないので少し日記でも書いてみようかなと思います。さて、僕は大学からの帰りにバスを使っています。そのバスには始点から30分ほど乗っていて、いつも席に座れるように少し早めに列に並ぶようにしています。というのもタブレットで勉強したり、ハードカバーの本を読んだりするには座ってやりたいからです。先日もいつものように一人で孤独を感じながら極寒の中バスを待っていました。ちょうど帰宅時間と重なっていたため、僕の後ろには30人ほど並んでいました。僕は前から8人目だったので、確実に座れるなあと心の中でガッツポーズをしていました。そのうちにバスはやってきて、バスの後ろの座席に座りました。今日は横に人が来るなあ、大きい人が来ると窮屈になるなあと思って発車を待っていると、不思議なことに横には誰も座りませんでした。最初は他の人の横に座っていったのでまあまあとみていましたが、残り空いている席が僕の横だけになってもまるでその空席が見えていないように立っていきました。確かに横が熱力学の本開いている人間は嫌だと思いますが、それにしても不自然でした。そしてバスは発車し、最初はかなり満杯だった車内も僕が下りる駅の一つ前にはもう4,5人が乗っている限りでした。まもなくバスは僕の降りるバス停に着きました。本を鞄にしまい席を立つと、同時にスーツ姿のサラリーマンも後ろで立ち上がりました。仕事大変だなあと思いながらバスを降り、家に向かって早歩きし始めました。寒空の雲に半隠れした月ほど美しいものはないなあとぼんやり考えていると、突然後ろから慌てたように肩を叩かれました。振り向くとさっきのサラリーマンが立っていました。
「おい、君!さっきバスで君の横に座っていた女の子が、下りた瞬間別の方向に歩いていったぞ!君の連れじゃないのか?」

追記
これを書いていた時、耳が一瞬キーンとなりました。なんでしょうね。

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逆に今こそジャンプを読もう

 こんにちは!戸賀丘御影です。とがおかみかげと読みますが中二臭くて恥ずかしいなと思い始めたので僕のことはダニエルと呼んでください。よろしくお願いします。

 言いたいことはタイトルの通りです。みなさん、週刊少年ジャンプを読みましょう。僕は7,8年ほどジャンプを読み続けているんですが、だからこそ言えます。今までジャンプ作品に触れてこなかった方も、気に入った作品だけを単行本で追っている方も、昔はジャンプを読んでたけど何となくフェードアウトしちゃった方も、今この瞬間がジャンプの読み始め時です。
 ここ数年で、ジャンプの連載陣はガラリと変わりました。こち亀、ナルト、BLEACH、銀魂、リボーンといった長寿タイトルが次々と連載終了し(お疲れ様でした......本当に......"夢"を......ありがとうございました......)、跡を継ぐようにして呪術、チェンソ、鬼滅などの若手漫画が台頭しました。そう、鬼滅、鬼滅です。鬼滅の刃という作品は、50年以上続くジャンプ作品の系譜に、ある新たな連載スタイルの可能性を示してみせました。それは、「パッと流行ってパッと終わる」という、短期集中型の連載スタイルです。
 鬼滅の刃は2016年〜2020年までの4年間連載し、単行本は23巻で完結しています。4年、23巻という数字を見るとそれなりに長く思えるかもしれませんが、これを「ジャンプの超人気作品」だと思って見ると、極めて小さな数値であることが分かります。歴代の長寿作品の23巻がどうだったかを考えると、ワンピースではルフィ達はまだアラバスタにいますし、ナルトではまだサスケが木の葉隠れの里を抜けようとしている途中ですし、こち亀はまだ昭和です。このことを鑑ると、鬼滅は「人気作品は長く続いて長く売れるべき」というジャンプ旧来のセオリーに対してのアンチテーゼの役割を果たしたと言えます。
 これは何も、鬼滅だけが変わり種だったという話をしているのではありません。鬼滅に次いでジャンプ読者に電撃を与えたチェンソーマンも11巻で第一部が完結し、ジャンプを去っています(第二部はジャンプ+で連載予定です)し、そして何より、現在の連載陣は若い芽で溢れています。ワンピースと現在休載中のHUNTER×HUNTER以外に10年以上連載している作品が無く、全21作品の1/3となる7作品が今年に入ってから連載開始していて、去年から連載している作品も含めれば全体の2/3の14作品に上ります。つまり、今のジャンプは、「1年で1/3のタイトルが刷新される新陳代謝お化け雑誌」であると言えます。
 このことにより、今のジャンプは新規読者に優しい仕様となっています。読み始めて1年経てば、1/3の作品は「連載開始当初から読んでいる馴染みの漫画」になっているわけですから。なのでみなさん、ジャンプを読みましょう。壁はそこまで高くありません。創刊から50年以上経つ日本有数の漫画雑誌と言うと敷居が高く感じられますが、今回お伝えしたように、ジャンプは新しい時代の新しい読者の心を掴むために日々変わり続けています。あとは、あなたが一歩踏み出すかどうかです。あなたの心の中にいる少年少女に問いかけてください。ーーージャンプを読んでみないか?ーーーと。

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就職活動

こんばんは、11月上旬担当の葱です。今回は就職活動で気づいたことを書きます。

① 将来を考えるのは就活生になってからでいいのか
自己分析や企業研究をしている人を「就活生」と呼びます。一般に、2回生の秋から「就活生」になるといいます。しかし、自分や社会について知らなくていいとは思いません。なぜなら、自分や社会を知ることは、人間として生きるうえで重要なはずだからです。入試後すぐから、自分の過去をふりかえったり、社会で起きていることを知ったりする必要があると思います。(受験生になってから勉強を始めるのではなく、中学生になってから勉強した方がいいのと似ているかもしれません。)

② 躊躇なくいえる自分の強みは少ない 
  面接の自己PRでは自分の強みを言わねばなりません。 「同じ間違いをしない」「こつこつ努力する」などの強みを思いつくことがあります。しかし、自分の過去を見直すと、その強みとは真逆のことをよくしており、自分の強みが見つかりません。私は研究者になることをあきらめているので、「粘り強くやり遂げる」「計画的に進める」などの強みはありません。

③ 周りに支えられていたこと
  自己分析のために自分の過去を振り返ると、自分を支えてくれた人のことがありありと思い出されます。自分の強みは思いつかず、自分も誰かの支えになりたいと思うばかりです。

④ 長期的な視点は難しい
 大学入学後、先のことを考えずにいたら、大学院生になっていました。先を考えるのは難しいですが、必要なことです。職を得た後も、これからどうするかを考えながら、仕事をしたいですね。

以上です。まとまりが悪くて申し訳ございません。

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好きな言葉

 どうも皆さんこんにちは! ナカジマ杓子と申します。
 さて、もう十月も最終日。十月下旬担当としては、何か書かねばなりません。今回はちょっと趣向を変えて、好きな言葉について話しましょうか。(割とこのブログでは主流派? のテーマですし)。
本当に個人的な意見ですので、何を言っているのかわからん方が多いだろうと予想しますが、そんなことは知りません。読め、或いは読み飛ばせ。

私が好きな言葉No.1は「連中」です。こんなに優しさにあふれた言葉もあんまりないと思うんです。
「連中」という言葉が指すのは、発話者の属する集団とは別の集団、分かりあえない他者達であることが多い。ですが、「連中」という響きにはその他者を「敵」としてみなすのではなく、「自分とは違うけど、あんまり理解できないけれど、まああいつらはあいつらだから。向こうで楽しくやればいいさ」というような一種、消極的寛容がちらと覗く気がするのです。
 「あの連中は昔からああなのさ。我々とは違うけれども悪くない」
こんなニュアンスを読み取って勝手に嬉しくなっているのが、私という名の人間で、これからもどうぞよろしくです。

好きな言葉No.2はなんといっても「猛者」ですね~。だって、「モ」と「サ」しか言ってないのに、しっかり「猛者」してるんですからね。なんなら「もっさり」の略語でもおかしくないような響きなのに、しっかり「猛者」をしてるんですから、これはもう褒めなきゃあダメでしょう。モササウルス。モサーメデス。ああ、いつの日か「猛者」と呼ばれてみたい……。

以上を踏まえまして、私が最も好む集団と言うのが浮かび上がってくるようです。「猛者連中」。最強の響きだ。どんな連中なんだろう? 我々こそは「猛者連中」である、という方は、是非とも私にご一報を。握手をさせてもらいに行きます。

というわけで今回はこの辺で。どうもありがとうございました!

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読書欲

 はじめまして、十月中旬担当の西桜と申します。今回は読書に関する悩みについて書きます。

 さて、それは小説がなかなか読み始められないことです。小学六年生の頃にお小遣いをもらい始めて以来、常に小説を買っては買ったその日にまず一旦読んで、その後その本の好きなフレーズ、落ち着く会話を何十回も読み返していました。当時はまだ本に回せる金額が少なく、大学生になれば毎日のように小説を買っては読む日々をおくれると夢想していました。その大学生となった今はどうでしょう。基本YouTubeを見て、残りは課題をこなす毎日。小説を買っても積読行き。あの頃の熱意はどこに消えたのでしょうか。マクスウェルの悪魔に僕の中のエネルギーを読書するエネルギーにもう少しまわしてもらうよう頼んでみます。

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設定についての雑記

 11日はきっと上旬。ということでこんにちはこんばんは、10月上旬担当有末ゆうです。いえい!
 時の流れは速いもので、もう10月も三分の一を過ぎました。私もさっさとブログを書いてしまわねばと額に汗かきただいまキーボードをたたいているわけですが、しかし一体何を話したものでしょうね。前回担当させていただいたときは盛大にネカマ妄想ムーブをさせていただいたわけですし、今回は真面目に創作の話でもしましょうか。
 私はこのサークルで小説なぞを書かせていただいているわけですが、例会中の雑談で時折話題にされたりされなかったりする事柄として、プロットを立てるか立てないか問題みたいのがあります。私のみるところ「たてないかなー(明確に書き出したりしないという意味において)」という人が多そうですが、まあ短編中心に書いているということもあって、それも自然な気がします。二万字ていどのものでしたら頭の中で話を組み立てれば破綻はあまりしないという実感がありますので。
 で、私はどうかって話ですね。私はこの頃ちゃんとプロットなるものを立てて(書き出したりして)話を書こうかなという方向でやらせていただいてます。なにって最近は書いたものを出すと、書いてることと書きたいことが違うという事がよくありまして、ならば一度設計図を書き出して勘案して吟味してよし、と書き出せばまあ上手くいくかな、という考えているところです。実際にどうなるかは分からないところですけどね。
 そして、最近プロットと共によく考えようと思っているのが設定です。これは最近書いているものてきに設定をよく練っておく必要があるというところもあるのですが、しかし設定を大学ノート十四ページくらいに渡って書いてみると、執筆中になんだか安心して筆を進められるという実感があります。ここがどんな場所であり、このひとがどんな人物であるか。設定として書かれたことが百あったとして、三十しか使わないという事はきっとあると思います。でもその三十はきっと他の七十を媒介にして結びついている三十であって、背後に広がる設定のネットワークに支えられたものになっているはずです。そのために、設定を練っておけば書いているときに「あれ、これってこことの整合性どうなってるんだろう」とか、「この学校ってどういう場所になるんだ?」とか、あんまり悩まなくて済むようになってます(今のところ)。だから何を書くにしても、設定を練るのは良い事じゃないかなあと思いますね、はい。あと、結構楽しいんですよ、ノートに色々書き出すの。設定ノートなんて誰に見せるわけでもない、半分落書き帖じみたものになってまして、そこに妄想を弾けさせるのはいいものです。きっと他人に見られたら恥ずかしくって死んじゃいますが。どう考えてもこんなん話に書かんやろ、ってとこまで広げていくとしかし物語の世界の解像度は増してきまして、「あれ、これ使えるな」というアイディアも予期しないところから飛び出てきたりします。そしてその設定とにらめっこしながらプロットをたてて話を完成させていくわけですね。まあそれでほんまに上手くいくのかなんて、正直分からないんですけどね。でも楽しいですよ。楽しむのが一番ってとこありますからね、創作って(たぶん)。
 というわけで今回は真面目に(真面目か?)うろんな創作論について書かせていただきました。まーこんなのずぶの素人が適当書いてるものですからね、「有末とかいうのがなんか言ってら、ははっ」と笑い飛ばしてもらえばいいのかなと思います、はい。
 というわけでみんながみんな、みんなの仕方で楽しい創作ライフを! 
 それでは十月上旬担当の有末ゆうでした。またねっ!

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気になっている言葉24 訂正

おはようございます。9月下旬担当の葱です。気になっている言葉24の①「野戦病院」で、「仮設病院」が「仮説病院」になっていました。不注意をここに訂正いたします。推敲の大切さを思い知りました。

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気になっている言葉24

9月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

① 野戦病院
 なぜ「仮説病院」「臨時病院」ではなく、「野戦病院」ということばを先に思いついたのですかね。コロナ対策を戦いに例えることが多いからですかね。

② 透明人間
 私は先行き不透明人間ですね。

③ カクテル療法
 「混合療法」などではなく、あえてカクテルというのはなぜですか。

④ 感染防止のため
 それ以外の目的があるようにしか思えない掲示もありますね。

⑤ ○○大は授業課題が少なくていいね
 課題はやるより見つける方が難しいですよ。

以上です。こんなに小さなことにかみつくとはどうかしていますね。病んではいないのでご安心を。

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覚え間違い

「今日授業でほら、最近使うやん、なんていうか、あれ、あの黒板の代わりみたいな……」
「え? ホワイトボードのこと?」
「うーん、違う。守護者みたいな感じの名前の……」
「守護者⁈ カッコイイもんがあるんやね!」
「うーん、……、なんやったかな? ああ! 思い出した! 機械の名前はプロテクターや」
 ……うん、思い出したとこ悪いけど、それはたぶん。

 プロジェクター。

「あ、TVでさだまさし歌ってる」
「へえー、さだまさし。北の国からとか?」
「ううん。『君の目が貫いた♪ 僕の胸を真っ直ぐ♪』って」
 ……ああ、それはたぶん。

すだまさき。(似てません?)

覚え間違いって面白いなあ、そう思う今日この頃で御座います。
以上ナカジマ杓子でした。

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ちょっとだけ

ㅤ皆様、はじめまして。
ㅤ9月上旬のブログを担当します、たろとと申します。新参者ですが、ひとつお付き合い願えると幸いです。

ㅤさて、ブログを担当しようということになってから、ブログのネタを探してはみたのですが、これが何もない。毎日昼前に起きて、昼食をとったら昼寝、夕飯前に起きて入浴・夕飯を済ませたら、音楽を聴いて寝落ち。こんな生活しか送ってないんですから、ネタが落ちている訳もなく。
ㅤウンウンと唸っておりましたが、先日高校時代の友人から遊びの誘いを受けました。同じことを繰り返す日々に飽きた私は、日程を即決し、昨日会ってまいりました。この友人というのが、浮世離れした人で、会って早々「精神に身体がついてこないから、思念体になりたい 」と。その後も(これは比喩ですが)書物になりたいだとか、隠居したいだとか、とても大学2回生が話す言葉ではない発言がポンポン飛び出てくるのです。私はそれが妙に面白くて、ケタケタ笑いながら聞いておりました。
ㅤそうしていたら、今度は少しばかり思想の話になりまして。ところで、私は幼少期から究極の現実主義者でした。何事にもリアリティを求め、自分が実現不可能な目標は掲げない質でした(この反動で創作は厨二なんでしょうね)。一方の友人は、夢想主義。2人の思想はほぼ真反対を向いていました。だけれど、会話はどことなく心地よくて、気がつけば、2時間も話しこんでおりました。
ㅤこの話を通して、だからなんだと結論づけるつもりはないですが、存外自分とは違う考えの持ち主との方が話が弾むのかな、とかいう所感を述べさせていただきます。

ㅤブログ担当をなんとか回せる程度の話題になってくれた友人には感謝しかありません。まあ、当の本人は、このブログの存在すら知らないんですが。

ㅤでは、私たろとの担当はこの辺で。
ㅤ今後ともよろしくお願いいたします。

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超歌舞伎のお話

 まだ八月ですよね。八月ですよね。ですよね(圧)。
 
 折角八月下旬の担当になったのですし、8月31日が誕生日の初音ミクさんのお話でもしようと思っていたら、九月になってしまって、本当にすみません。なんだろ、毎回謝ってる気がs
 そうこうしている間に、京都南座で超歌舞伎を見に行くことになりまして、そうだその話を書こうと思い立ったわけです。
 超歌舞伎とは、伝統的な歌舞伎とデジタルが融合した新しい歌舞伎です。具体的に書きますと、ミクさんと歌舞伎役者さんたちが演じる歌舞伎です。バーチャルシンガーのミクさんと現実の歌舞伎役者さんがどのように一緒の舞台に立つかといいますと、舞台上に大きな電子パネルが置かれまして、そこに出てきます。

 当日、朝十時頃。胸を躍らせながら京都南座に着くと、そこは既に独特の雰囲気。ミクさんの法被を着た人、キャラTを身に着けた人、中には日本人形サイズのミクさんドールを持っている人まで。こちらのテンションも上がります。
 しばらくして開場すると、皆一斉にグッズ売り場へ。さながらコミケ会場です。それなりの長蛇の列を乗り越え、ペンライトやアクリルキーホルダー等をゲット。ペンライトは超歌舞伎中に使えます。
 演目は、御伽草紙戀姿絵(おとぎぞうしこいのすがたえ)。ミクさん扮する七綾太夫と、中村獅童さんが演じる源頼光との恋物語です。七綾太夫の正体は、平将門の娘、七綾姫。将門を討ち取った頼光に敵討ちするため遊女となって近づきましたが、本当に恋に落ちてしまいます。その後、盗賊に殺されかけた七綾太夫は、日本を魔界にしようとする物の怪の手により、頼光を恨む女郎蜘蛛へと変容し……。
 

 まじで面白かったです。語彙力が消失してますが、本当に面白かったです。劇中歌の「ロミオとシンデレラ」も、大変話に合っていて、更に好きな曲となりました。
 九月中は概ねやっているようなので、もし興味が湧いたもの好きな方がいらっしゃいましたら、是非見てみてください。リンク張っておきます。
https://chokabuki.jp/minamiza/

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『ペンは剣よりも強し』かもだが筋肉にはかなわない

どうも皆さん。八朔です。
七月末担当だったのですが、僕の中ではまだ七月末なのでセーフです。
前回の記事から9か月経ちました。そして私は大学院に進学しM1になりました。留年と浪人と遅生まれで24才になったM1です。
M1だろうがなんだろうが色々な締め切りをぶち破っております。テカテカの大学院一回生。イェイ。はは。

かれこれ京都大学に足を踏み入れてから五年と五か月になりました。
ニコニコの中学一年生が高校三年生で進路に悩むくらいの頃。
母の腕に抱かれていた親戚の赤ちゃんもそろそろ目が据わってくるくらいじゃないでしょうか。
入学当時にそれなりの数いた知り合いは一人また一人と減り、研究室を変えたこともあり気がつけばガチで同じ学科だった人と話さなくなりました。
友達がいないわけじゃないんですよ。Twitterのフォロワーとか、LINEのアカウント知ってるし。でも何なんでしょうかねこのモヤっとする感情は。
同窓会で再会でもするんでしょうかね。もう未来に託すことにしました。

やはり現実は世知辛い。せめてフィクションの中でくらい夢を見たいものですが、夢を見るのも一苦労です。
予備知識は勿論流行りや名作をチェックしなければならない。時間が足りないのはそうとして、それを行うにはやはり体力がないといけない。
なので最近部屋が広くなったのでプランクトレーニングなるものをやっています。体幹が鍛えられるので基礎体力の向上が望めるんですね。
走るのが嫌で、縄跳びをしようと縄を買ったものの飛ぶ場所がなく物置にしまってしまった私にも出来そうです。

スマホは普段は集中力や記憶力を低下させる悪魔として四六時中私の脳を心地よくハッキングしているわけですが、こういう日課の定着には役に立ちます。
畳の上だと肘をついても痛くないのはありがたいのか毎回疑問に思いながらアプリを起動します。早くヨガマットを買わねば。

「ヨウイスタート。プランク、ロクジュウビョウ」
アプリを起動すると、抑揚が変な機械音声でガイドを出してくれます。
「開始。腰をしっかり上ゲましょう。」
励ましお小言も忘れません。こっちは必死なので聞いていません。
「残り10秒。ナイン。ハチ。セブン。ロク」
なぜ奇数の時だけ英語なんだ?早く終われと念じます。
「ゴ、ヨン、サン、ニ、イチ」
そこは普通のカウントダウンなんだ。と思ったころには
「次のセットです。ストレートアームプランク、ヒャクニジュウビョウ」
新しい地獄が待っています。

……

「ピーフィロロロリ」
一通りセットを終えたら、安っぽいファンファーレで祝ってくれます。嬉しいもんですよ。でもサイドプランクは何時になってもしんどいかな。
台所に行ってプロテインを手持ちミキサーでしっかり水に混ぜて飲み干します。しかしミキサーに粉がつくので結構な頻度でそれを舐めることになります。
最近ココアよりリッチショコラの方が不味くないことに気づきました。でも比較的マシというレベルの議論なので、自分の舌は一般のそれと乖離しすぎてないかたまに心配になります。
ちなみに牛乳を混ぜると普通においしいのですが、エンゲル係数がすごくなっちゃうので最近は水道水一択です。
あまり過剰にプロテイン=タンパク質を摂取すると腎臓に負担がかかるらしいのですが、筋トレ後だし何より私はガリガリなので多分大丈夫でしょう。
こうして充足感を得た私は布団に向かいます。消化が不安ですがまあいいでしょう。明日も頑張れる気がしてきました。

……

原稿は?

1日が27時間あればと思います。

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夜とにんにく。それとあの子。

 こんにちは。こんばんは。そして、はじめまして。この度初めてブログを担当させていただく有末ゆうです。初めてこの場に出てくるという事で恥ずかしい気持ちでいっぱいですが、暖かい目で見ていただければうれしいです。
 さて、わたしも創作サークル「名称未定」に在籍しているという事で執筆活動をしているのですが、最近、創作というのは時として狂気じみてくるなぁ、という事を思います。
 つい先日、久しぶりに午前五時に目を覚まして、柄にもなくテンションが上がっていました。普段は十時ごろにもそもそと布団から這い出るような生活をしているわたしにとってそれは非常に珍しいことで、よしよし今日は調子がいいぞと顔を洗ってにんまり笑い、普段は摂らない朝食を口にしました。バターを塗ったトーストとブラックコーヒー、それと昨日作っていたゆで卵がこんなにおいしいんだと驚いたものです。
 さて、調子がいい日は早々に執筆にとりかかるに限ります。わたしは五年程愛用している薄汚れたノートパソコンを立ち上げて、傍らに置いたうすっぺらいノートに書きつけたうすっぺらいプロットとにらめっこしながら、キーボードをぱちぱちとやってうすっぺらい小説を書いていました(自分でうすっぺらいなんていうのはいけませんね。大作を書いていたと胸を張りましょう)。そのうちに部屋を照らす白い日差しはその光量を増し、わたしの背中はじっとりと汗ばみ始めます。扇風機を「強」にして風を感じながら、小説の中で私立探偵を動かしていたわけなのですが、この探偵たちがなかなか勝手に動き回る。わたしは彼らに手綱をつけて何とかコントロールしようとしていたのですが、どうやらわたしに騎手の才能は無いようです。やれやれ、今回も物語の構造がめちゃくちゃになりそうだ、わたしは自嘲気味なため息を吐いて、ファイルを閉じました。明日はきっと、今日の進捗を無に帰す作業になるんだろうと思って。
 そう、わたしの頭の中にはなんの疑問も無く、「明日」という言葉が浮かんでいました。なぜって、デスクの白い天板は夕焼けの朱色に染まっていたんですから――そこでわたしは、はっとして背後の窓を振り返ったのです。夏の太陽は西へ傾き、立体感のある、しかし薄い雲の前を二羽の鴉がゆっくりと横切っていきました。時計を見れば、既に六時を回っています。飲まず食わずで十二時間以上駄文をこしらえていたってわけで、まったく、狂気の沙汰です。
 疲労に、頭の奥がぴりぴりとしびれるような感覚がしていました。わたしは腕を伸ばして肩の凝りをほぐしてやり、流しへと向かいました。よほど汗をかいていたんでしょう、ぬるく、薬品臭い水道水でさえ驚くほどおいしく飲めました。干からびた体に水を与えてやると今度は胃の方が文句を言い始めます。トーストとコーヒー、それと一つのゆで卵で一日を乗り切れる程、わたしの身体は燃費がいいってわけじゃないみたいです。この時間ならまだ、馴染みのラーメン屋は開いているはずでした。
 わたしは部屋着を脱いで、外用のTシャツとデニムパンツを身に着けました。髪の毛は――誰に見せるわけでもありません――紺色の夏用キャップで隠します。きっとラーメン屋の店主はわたしの髪の事なんて詮索しやしないでしょう。
 財布とハンカチをバッグに入れて、わたしは部屋の外に出ました。外の暑さは日中のそれの残り香みたいなもので、風もあった分、過ごしやすそうです。おいしいラーメンが食べられそうでした。大学入学以来使っているスポークのぐにゃりと曲がった自転車も、心なし嬉しそうです。いい夕べだね、相棒。
 わたしは東大路通を一キロほど南へ向かい、例のラーメン屋へとたどり着きました。馴染みの店員さんの笑顔に迎えられて食券を買い、カウンターに通されます。店主のにーちゃんはいつも通りのとびきりの笑顔を向けてくれました。彼のえくぼで、ぴりぴりと疲れていた頭の奥がほぐされたような気分になりました。わたしは気をよくして、追加で缶ビールを注文してみたりしました。ラーメンがやってくる前に350ミリリットルのそれを飲み干し、腹の奥から滲み出してくる熱に酔います。店主のにーちゃんが「はいよー! おまたせ!」と叫んでわたしの前に並らーめんを置きます。とんこつ醤油で、鶏油をたっぷりかけたやつ。わたしは躊躇なんてしないでおろしにんにくを三匙放り込みました。明日、予定なんてものはないんですから。世の中には溶かさないでにんにくのライブ感を楽しむ宗派もあるようですけど、わたしからすればそれは邪道です。にんにくをぐにゃぐにゃと溶かして、濃厚なスープに姿を消した彼の、隠し切れない面影を楽しむんです。それがいいんじゃあないですか。スープのしみ込んだほうれん草を咀嚼して、麺を啜りました。酒の後の麺。安っぽくて、俗っぽくて、だけど最高の贅沢。それから五分間、わたしはばかみたいにラーメンを掻っ込んで、ご飯も追加してもりもり食べました。それはきっと、今日っていう日の肯定でした。
 店を出ると、もうとっぷりと日は暮れていました。お酒を飲んで自転車を漕いだらいけないな、なんていう順法精神は、幸いにも酔った頭の中に残ってくれていたようでした。わたしはスタンドを上げて、自宅に向けて歩き出そうとしました。その時でした。
「ゆう……?」
 ためらいがちな声が、わたしを呼びました。わたしは振り返りました。そこには一人の女の子が立っていました。いつからか、わたしがめっきり会おうとしなくなっていた子。わたしは、それで、酔いから醒めてしまいました。
「……久しぶり」わたしは軽く手を挙げました。彼女は少し安心したように微笑みました。
「ねえ、ゆう、今ひま? ちょっと歩かない?」
 わたしは三秒間だけ考えて、それで、頷きました。夜の東大路通は、あんがい人が多かった。
「最近、どう」
 元気だよ。
「授業とか」
 順調。
「今日、何してたの」
 なにも。
 二百メートルほど歩いて、信号で停まった時、彼女はわたしに湿っぽいまなざしを向けました。わたしは、目を逸らしました。向かいのスーパーは閉め作業を始めているようでした。
「ねえ、ゆう」
 何。
「今日、あたしの家さ、掃除したんだ。来ない?」
 どこか寂しさを感じさせる声でした。わたしはかぶりを振りました。
「さっき、わたし、にんにく食べちゃって。いっぱい」
「そ、か」
 わたし達の目の前の車道を、大型のトラックが駆け抜けていきました。彼女は眦を拭いました。排気ガスが目に染みたんでしょう。きっと、そうなんでしょう。
「ねえ、ゆう。あたしたち、もう、昔には戻れないのかな」
 わたしは彼女に微笑んで、ゆるく、首を横に振りました。信号が青になりました。わたしは自転車にまたがって、ペダルを一杯に踏み込みました。からっとした夜風が、突然、強く吹きました。キャップが空に舞いました。だけど、わたしは振り返らなかった。
「にんにくごと、愛してやれるからさぁ!」
 彼女の弱々しい叫び声が聞こえました。わたしは遠ざかっていくその声に、小さく、「もう、諦めてよ」と呟きました。彼女には、聞こえなかったでしょう。
 わたしはふと、目元をこすってみました。乾ききっていました。
 浅く、笑いました。
 家に帰って、ウイスキー・ソーダで酔いなおしましょう。それが正しい、今日の終え方です。
 わたしは、ペダルをまた、強く踏み込みました。月の大きな夜でした。

 ……なんていう妄想をなんの臆面もなく書けてしまうわけなんです、しばらく創作なんてやつをやっていると。いや、まったく狂気の沙汰です(それともそんなのはわたしだけなのでしょうか)。というわけで今回はこの辺で。皆さんお元気で。わたしは元気です。いぇい! 担当は二回生の有末ゆうでした。それでは。ごめんね。さようなら。

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毎日暑い

 どうも皆さんこんにちは! ナカジマ杓子でございます、ということで、今回もどうぞお付き合いください。
 いやあ、最近は暑いですね。午後二時くらいに出歩くと本当に体が焼けこげるようで、嫌になります。空を見上げれば明るい太陽が輝いていて、なんだてめえは、俺を殺す気か、直射日光という名の殺人光線バンバン出しやがって、高みの見物かコラァ、こっちまで下りてこいや、タイマンで決着つけてやる、なんてことを思うわけです。暑いのは明らかにコンクリートの照り返しですし、完全に因縁つけてるだけですが、まあ、お天道様はきっと心が広いので許して下さることでしょう。
 暑いといえば、怖いのは熱中症ですね~。外で運動するときは水分と塩分を忘れずに。私は小学生のころ、炎天下を走り回っていた時にめまいと頭痛を覚えまして(たぶん軽度の熱中症)、木陰で休むわ~、となったことがあります。兄が倒れたので慌てた弟が、とりあえず手に持っていた霧吹き(カブトムシ用)をぶしゅぶしゅ顔面に吹きかけてくれたのがいい思い出であるとともに、今でも感謝しております。細かい水滴が眼とかに入って苦しかったけど、涼しいことは涼しかったぜ!、という感じです。
 水分摂取というと、ついついキンキンに冷えた茶ばかり飲んでしまいがちですが、あんまりやるとお腹を壊します(個人の感想です)。湯気の立つお茶もたまには美味しい。五臓六腑に染みわたります。
 ということで、何のテーマもありませんが、今回はどうかこの辺で。皆さんのご健康をお祈り申し上げます。

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気になっている言葉㉓

こんばんは、7月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について述べます。

① 世の中にたえて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし
 最近自転車が怖くて、世の中にたえて自転車のなかりせば・・・と言いたくなりますね。

② 状況を見て総合的に判断する
 たまに判断先延ばしを意味するときがありますね。

③ 感染、観戦
 日本語ではこれらが同じ音ですから、オリンピック関係のニュースはややこしく聞こえますね。

④ 平年並みの気温
 平年が異常気象ですから、ものすごく暑いという意味か、そこまでという意味か迷います。

⑤ 人流
 コロナが終わってもこの言葉は定着しますかね。

以上です。こんなに小さな言葉にかみつくとはどうかしていますね。病んではいませんからご安心を。

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初めまして

ああ寒い寒い…………。というわけで、本日の雪予報のお時間です。

 最近、といっても1年スパンのゆっくりとした流れなのですが、映画を観ることがとても増えました。高校三年生の前半に、友達と「ミッドサマー」を観た後キリスト教の聖句を暗唱して二人で狂ったように笑ったり(高校がキリスト教系の学校でした)、「メイドインアビス」の劇場版を見て開口一番、主人公一行の一人を撮る上からのアングルが扇情的だったと述べたら「気持ちわる」と言われたり。高三の後半には精神的に参っており、10月に塾の宿題を全部ポアして、神戸でリバイバル上映していた「リズと青い鳥」を一人で観て一人で帰りました。ツイッターで持て囃されてる映画か追っていた漫画・アニメの劇場版しか観ていないのが一目でわかるラインナップですね。とはいえ、やはり話題になるだけあるのでしょう、どの映画も恐ろしくクオリティが高く、その時の記憶が鮮明に甦るような、良い体験になりました。そして大学生になっても変わらず、劇場版プリンセスプリンシパルとかシンエヴァといった、いわゆる話題の映画しか観ていないわけですが、この一年間を通して、映画を観るごとに、これは本当に暴力的なものだなあとつくづく思います。120分に凝縮された映像の完成度、骨まで響く音響効果。薄暗く、息が潜められた、スクリーン以外のものが全て排除された120分。こういう「場」は簡単に人を飲み込むからです。映画を構成する情報はあまりにも膨大であり、に存在するものを一度に全て掬い取ることは不可能であり、人はどこに注目するべきか、あるいはどこにも注目せず、その場の全体の雰囲気をただ受け止めるか、という選択を迫られます。そこに罠があります。受動的に映画を甘受する姿勢を持った人間に、いかに気持ちよく「感動」や「興奮」をお届けするか、映画を作っている人たちは分かっているんでしょうね。付き合いで観に行ったどうでもいい映画の、寒い家族愛を押し出してくるような映画で、「感動的」な大音量のBGMに押し出されるようにして涙を溢してしてしまった人は少なくないのではないでしょうか。私は単純な人間なので人生で数度そういうことがあり、かなり悔しかったことを覚えています。かなり恥ずかしい。あれで自分はその映画に感動したのだと錯覚してしまう人も多いんでしょうね。涙を流したからといって、それはなんの証明にもならないと思うんですが。個人的に、心を大いに動かされる映画は、かえって人に涙を流させないんではないかと思いますね。涙腺を狙うのではなく心を狙いすましているというか。それとも、単に私がそれらの映画を受け止める気概を持って望んだからというだけの、こちら側の感受性の問題なのでしょうか。
 暴力によって、本来であれば否定しているようなものを受け入れさせられるのは忸怩たる思いになります。それが本当に気づくべきことであれば良いのですが、大体は無批判に受け入れてはいけないものであったりするので。ただ、暴力によって心にするすると入り込んでくる言葉、意味。その快楽には抗い難いものがあるのも事実です。
 つい先日観た「劇場版 レヴュースタァライト」。これは暴力の話です。
 
 「レヴュースタァライト」は、「ラブライブ!」シリーズなど、「美少女がいちゃついてたら、嬉しい」という人間の最も素朴な感情に訴えかける作品を多く生み出すことで有名なブシロード系列のアニメ作品です。「レヴュースタァライト」も多分に漏れず、名前がある登場キャラクターは女性のみ。メインキャラクターである9人の「舞台少女」が、たった一つの「スタァ」の座を巡って「オーディション」に挑む……というのがざっくりとしたあらすじです。実は、私はアニメ版が放送された時はそれを観ておらず……、というのも、私はそういった「女の子たちが親愛の表現として身体的に軽度の接触を行うにもかかわらず、その親愛自体への掘り下げが不透明である」ような、言ってしまえば「百合営業」的な百合表現に食傷気味であったことが私に「レヴュースタァライト」を敬遠させたのでした。断っておきたいのは、私は決していわゆる「百合営業」が嫌いなわけではなく、むしろ、そういったものを消費することで命を繋いできたということです。
 マズローの欲求五段階説というものをご存知でしょうか?人間の欲望は、その低次の(より切実な)欲望が満たされてから生まれてくる、という言説です。すなわち、「美少女がいちゃいちゃしているのが見たい」という欲求が満たされて初めて、「美少女の関係性をもっと掘り下げてほしい」「二人の関係性に名前をつけたい」「二人の関係性が既存の概念のどれにも当てはまらず、名前がつけられないくらい掘り下げられてほしい」「女女の関係性だけ取り出した同人誌が読みたいなあ」「同人誌で〜〜てほしい付き合ってなくてもいいから」「公式で殺し合ってほしいなあ」といった、より高次の欲求が表出してくるのです。私はその時、女女がイチャイチャするソシャゲなどを既にやっており、恒常的に女女の素朴なイチャイチャが得られる環境下にあったため、女女がイチャイチャするだけでは食指が動かなかったのでした。
 そうして「レヴュースタァライト」を観る機を逃し、その数年後にやった劇場版もスルーしようとしていた私でしたが、「劇場版 レヴュースタァライト」の感想にこんな一文があるのを見かけました。

「レヴュースタァライトは百合ではなくBL」

で、出たーーーーー!!!!!!!!!!
 「百合ではなくBL」個人的には百合とBLを二元論の両輪に挙げることからしてナンセンスだなと思いますが、この言説の是非については置いておいて、こういうように形容される百合には、必ずと言っていいほど「暴力」と「相互理解」の概念が付随します。これは観るしかないと、腕をまくって鑑賞しにいったわけです。コピーには「”劇場”でしか味わえない{歌劇}体験」とありました。
 
 観た結果としては、これは暴力の物語でした。そしてその内実は最初に期待していた以上に大きかったわけです。確かにこれは、”劇場”でしか味わえない…………というか、どこで観たとしてもそこは”劇場”であったな、と思います。なぜなら、そこに暴力があるからです。「劇場版 レヴュースタァライト」における暴力とは、実際に登場人物たちが交わす言葉や刃でもあり、グロテスクなバロック調キリンが登場人物に求めるものであり、映画において常に行われていた”暴力”でもありました。”暴力”そのものが映画のテーマに据えられ、脚本から演技から映像から、映画を構成する要素を全て”暴力”を振るうことを前提に組んでいるということです。映画においても歌劇においても、暴力……舞台を現実と切り離すことで、劇中において、この世においてさまざまに関連し合い存在している何かしらが持つ文脈、持つ意味を、それのみ取り出して観客の心に狙い撃つということができる。”暴力”を行使され、スクリーンの外側は全て暗闇の中に置かれ、観客はその前でただただ”意味”を浴びせられることしかできません。キャラクター間での暴力もまた”暴力”であり、もしかすれば素面であれば否定されたかもしれないことが押し通される、心に突き立てられる……。本当に凄い。凄すぎて地に臥すしかない。
 私はこの映画をみて、「正しい”暴力”のふるい方」の一端を観たような気がします。あるいはこれもまた、劇場の暴力にやられた単純な私の錯覚に過ぎないのかもしれませんが。
 
 何も考えずに書くとまとまりがなくなってしまって困りますね。雪予報終わり。

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気になっている言葉㉒

こんばんは、6月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

①ドラえもんの秘密道具
 秘密にしていないのに、秘密と言わなくても。

②天才
 本人の努力を無視してしまうようで、使うのをついためらってしまいます。

③怖いもの知らずだった昔
 私はレジも電車も長机も怖くなかった昔に戻りたいものです。

④オンラインランチョン茶話会
 本学で行われているイベントです。早口言葉にちょうどいいですね。

⑤ドでかい、ド派手
 どういう条件なら形容詞にドがつきうるのですか。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心を。

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アイデアについて

どうも皆さまこんにちは! 六月上旬を担当します、ナカジマ杓子と申します。大したことは書けませんが、何卒宜しくお願い致します。 さて、文字書きの片隅にも置けないような私ですが、一応小説もどきを書き散らすことを趣味としております。だた、最近非常に不思議な法則性を発見して、どういうことやろ? と首を傾げることしきりです。というのは、「他にやることがあるときに限って、書きたいアイデアが浮かんでくる」法則のことです。長期休みなんかに入るとわりとまとまって時間が取れるので、「この間に頑張ってっ書き上げるぞ!」と息巻いて机に向かうのですが、筆が遅々として進まない。それなのに、テスト期間になると、「あ、こんなのおもしろそう!(面白くない)」「こんなのやりたいなあ!」と変なアイデアばかり浮かぶ。ああ逆だったら最高なのに! と私はいつも思います。テストに対する逃避エネルギーが脳味噌を要らん方向に暴走させる、というのも原因としてあるでしょう。でもきっとそれ以上に大きいのは、時間がある時だと、アイデアをすぐ実行に移せてしまうということなんだろうと思います。よさそうなもんですが、実行に移した途端そのアイデアは色あせて、すごくしょうもなく見えてきます。いくらアイデアがあったって、自分にはそれを実現する腕がないという現実にすぐさまぶちあってしまうのです。膨らむ前に潰されたアイデアは、もう一切成長いたしません。逆にテスト期間中はアイデアを実行に移せないので、アイデアの種からアイデアが膨らむ。膨張する時間があるわけです。
 あー、もっと書くのが上手くなれば、こういうこともなくなるのかなあ、とうまい方々に是非とも聞いてみたいですね~。
 以上です。お付き合いいただきありがとうございました!

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台詞を書くって難しい

 どうもこんにちは5月下旬担当のいとらです。
 小説を読むときに何に注目するかというのは人それぞれだと思いますが、私なんかだと台詞を中心に読んでいるところがありまして(もっと具体的にはキャラ同士の会話ですが)、そのため自分が書く小説においても台詞回しには力を入れるようにしています。私は小説をまともに書くようになってからかれこれ三年目(!?)に入ろうかというところですが、未だに台詞中心主義のようなものは自分の中に残っていまして、せっかくなのでこの場を借りて小説内の台詞について私が考えている事柄を書き連ねてみたいと思います。

 個人的な感触として、「」のついている会話文は、ほかの地の文と比べてリアリティが強い。というのも、地の文は描写というフィルターを通して書かれたものであるのに対して、会話文は作中の会話をそのまま貼り付けたものという印象があるからです。
 例えば、「Aさんは私を映画に誘った」という文章はあくまでもただの描写ですが、「Aさんは私に『映画に行かない?』と言った」となるとAさんの台詞が剥き出しで書かれることになります。
 上の例の前者と後者を見比べた時、後者の方が情報量が多いでしょう。どういう口調で、どういう表現を使って言ったのかが読者にも明らかなのです。こうなると、作者としては誤魔化しがきかないわけでして、「Aさんはこんな言い方をする人なのか?」というのを一々考えてしまいます。
『~しない?』という誘い方をAさんは果たしてするのか、「に」という助詞をAさんは言うのか、前に「できれば」とか「よかったら」のような婉曲表現はつけないのか、『見にいく』ではなく『行く』なのか、といったようなことが気になってしまうわけです。
 ほんの些細なことではあるわけですが、この書き方一つで作中の「事実」が変わってしまうと思うと気が抜けないんですね。そして、こういう細かいところの積み重ねが、作品全体の質感に関わってくるんじゃないかなぁというのが、私の思い、というかある種の信仰だったりします。
 まあ、実際の日常会話の場面なんて考えたら、一々助詞を入れるか入れないかなんて気にしてないんですけどね。言葉なんて一回言ってしまえばもう推敲なんてできませんし。
 そういえば昔、「めちゃくちゃ上手い会話文書く人でも、実際の会話が下手な場合も多い」というようなことを聞いたことがあり、それを聞いた当時は、「いやいや頭の中でいい台詞が思いつける人間が話すの下手なわけないじゃないか」などと思っていたのですが、今になって私はそのことを身に染みて実感しています。というのも、この二年間、小説内での会話の書き方はうまくなった自信がありますが、反比例するように普段の会話が致命的に下手になっている気がしているんですね。
 喋り終えてから「こういう表現にすればよかったな」と反省したりはするんですが、どうも口が動いている最中は頭が動かないみたいです。悲しいかな。
 え、反省ってどういうこと考えてるかって?
 ……助詞を入れるかどうかとかですよ。

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気になっている言葉㉑

5月中旬担当の葱です。遅くなってすみません。今回も気になっている言葉について書きます。

① ウイルス、ワクチン
ともに英語の発音とかけはなれています。なぜこのカタカナ語が定着したのですか。
② 謦咳に接する
昨今は飛沫感染が怖くてそれもできませんね。
③ 松葉括弧
≪≫を松葉括弧と言いますが、松葉には見えません。なぜこの名前なのですか。
④ 三密
これを聞くと壇蜜を思い浮かべるのは私だけですか。
⑤ 気になっている言葉
このコーナーは「気になっている言葉」ですが、言葉の考察ではなく、言葉をネタに一言いう謎のコーナーになっていますね。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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気になっている言葉⑳

4月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

①自分らしく
 Jpopは「自分らしく生きよ」とよく言います。しかし、「自分らしく」生きられないことに悩む人よりも、「自分らしく」とはどういうものかがわからずに悩んでいる人の方が多いと思います。「自分らしく生きよ」と言われても、私はすこし戸惑ってしまいます。

②起て、飢えたるものよ
 革命家さん、飢えた人は空腹と絶望で動けないということがなぜわからないのですか。

③~ですが、~けど
 断定せずにこれで文章を終える人は多いです。しかし、その後に続くものがあいまいですから、はっきりとその後の内容も言った方がわかりやすいと思います。

④対面・オンライン
 対面の対義語は本来オンラインなのですか。

⑤若者
 ニュース番組を作る方、カメラに映っている人々をよく見ずに、人の群れをとりあえず「若者」と呼ぶのはやめてください。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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気になっている言葉⑲

4月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

①なんで
「~なので」を「なんで」という人は多いです。しかし、「~なんで」は砕けた言い方ですから、きちんとした場であまり言わないほうがいいと思います。

②ご入学心よりお祝い申し上げます
すました顔で言われてもよく伝わりません。満面の笑みで飛び跳ねながら、「ご入学っ!心よりっ、お祝い申し上げますううう!!!」と言われたなら伝わると思います。そんな入学式のあいさつを誰も見たくないとは思いますが。

③ワクチン接種で日常が戻りつつあります
コロナ生活が続き、日常とは何だったのか忘れてしまいましたね。

④社会的距離を保とう
世間で言われている社会的距離よりももっと離れてほしいと思うのは私だけですかね。

⑤go to travel、stay home
なぜ標語は英語が多いのか疑問です。日本語でもっといい標語が作れないものですかね。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいないのでご安心ください。

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後書きが書きたい!

 どうも皆さんこんにちは。四月上旬担当のナカジマ杓子と申します。
 それにしても、いやー、一年って早い! もうぴちぴちの新入生がやってくるのか、私はもう老害なのか、と毎日を憂鬱な気分で送っております。こんな愚痴こそが老害であるというご指摘は甘んじて受ける覚悟です。
 さて、今回の題は「後書きが書きたい!」なのですが、普通に、じゃあ書けよ、ってハナシですよね。でも、これがまた一筋縄ではいかないのです。 
 OB、OGの方の過去作やプロの方々の作品を見ると、面白い後書きがついてる。個人的には似鳥鶏先生の後書きなんかもう最高です。私もあんな風に、かっこよくて、ユーモア溢れ、読者に寄り添う後書きが書きたい! といつも思い、執筆中(執筆というのもおこがましいレベルかもしれませんが)には、あんなことを書いてやろう、こんなことも面白そうだ、と色々考えて、ムフフと笑う。
 しかし、しかしです。書きあがってみると、「あれ? この完成度の作品に立派な後書きが付くなんて、海老の胴体にタイの尻尾を付けて出すようなもんじゃないのか?」って気になってきて、「ああ、こんな面白くない作品を最後まで読む人なんていないんだ。最後に後書きなんて付けたって……」とすっかりやる気がなくなってしまいます。私見ですが、後書きというのは作者本人が読者に生の声をぶつける唯一の場であり、そこに何かを書くということは、やっぱり多くの読者を想定して初めてできることなのです。そんな特権を得られるよう、私も精進せなあかんなあ、と弱弱しい決意を固めたところで、短いですが今回のお話はおしまいです。
なんだか病んでる感じになってしまい申し訳ございません。それでは皆さん、また今度。

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新歓例会とテーマについてのあれこれ

 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。3月下旬担当のいとらです。名称未定の会長をしています。

 本日3/31からdiscordにて新歓例会を実施します。サークルの紹介や、創作についての話、雑談などを行います。チャットのみでも、聞き専でも大丈夫です。詳しい参加方法は、名称未定のホームページやTwitterをご覧ください。新歓は4月いっぱいまで行うので、興味がある方はぜひのぞきに来てください。

 また、4/21には作品発表会を行います。これは、各々が作品をかいて、感想を言い合おうという企画です。
 テーマは「雷」「手料理」「共鳴」の三つです。これらのテーマを参考にしながら、自由に創作を楽しんでみましょう。三つすべてを織り交ぜるというのでも、一つだけ選んでかくというのでも、あるいはこれらのテーマとは関係なく創作してもらっても構いません。
 一ページ程度のものから、気楽にご参加ください。

 ところで、今回テーマを設定したわけですが、みなさんはテーマを決めてかくということに対してどういう風に感じているでしょうか。テーマがあるとかきづらいという方もいれば、逆にテーマがあった方がかきやすいという方もいると思います。
 私は後者側の人間です。私は主に小説を書いているのですが、物語の軸を作るのが苦手なんですね。なので、テーマとして一本軸が定まっていると、そこを取っ掛かりとして肉付けしていけるので、組み立てやすいのです。
 生来私は、ゲームをするときなどにも「制限」を加えてプレイするのが好きでした。例えば、卓球をするときには敢えてペンホルダーではなくシェイクハンドにしてみたりですとか、左手でラケットを持ったりしていました。この根本には、何かを極めるというのが苦手で、つい「新しいルール」での勝負で誤魔化してしまうという私の性格があるのだと思います。
 同様に、小説を書く時にも、何もない状態で「自分の書ける最高の作品を書いてください」と言われると困ってしまうわけです。その代わり「このテーマを扱った上で作品を書いてください」という条件が課されると、ぐっと気が楽になります。
 甘えてんじゃねえぞって? はいその通りです。本当は制限なしに自分の書ける最高のものを書くべきなんだろうなとは思うんですがね。
 とはいえ、創作に対するモチベーションは人それぞれですし、少なくとも自分が楽しめることが一番だとは思うので、こういう人がいてもいいのかなと思っています。

 長々と書きましたが、今回テーマを用意したのは、みなさんがかきやすいようにということです。
 うまくかけるかわからない、ということもあるかもしれません。ですが、まずは挑戦してみてほしいなと思います。ぜひ、私たちと一緒に創作の世界に足を踏み入れてみませんか?

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大学生活のしのぎ方 2021

こんにちは、3月中旬担当の葱です。新入生向けに大学生活を送る上での注意点を述べます。

① 講義
自分で考えて自分で調べることが重要です。ただ受けて単位を取るだけではいけません。講義中は自分の考えや疑問を記録し、講義が終わってからそれを深めていかねばなりません。

② 英語
 毎週のリスニング課題や英語の授業では、英語力はあまり伸びません。青谷正妥(2012)『英語学習論』、朝倉書店、などを読んで、英語力を鍛えたほうがいいです。大学では語学を究める人が多くいます。時間がない、授業が不十分などを言い訳にしていられません。

③ 自転車
 京都は自転車走行に不便です。車道は危険、歩道は原則通行禁止で、自転車が通る場所がありません。地元の感覚で自転車を走らせると事故に遭います。

④ 食堂
 昼時は混むので避けたほうがいいです。本当に。

⑤ 自力救済
 最後に頼れるのは自分だけです。大学では、よほど親切な人がいない限り、誰も助けてくれません。

⑥ 当然のことは当然に
 ポイ捨て、居眠り、ベンチで寝る、頬杖をついて講義を聞く、などの、やってはならないことは、大学生になってもしてはいけません。

⑦ 5月病
 5月ごろには、理想と現実のギャップ、自分のやりたいことがわからなくなる、大学生活につかれるなど、精神的に疲れます。これを乗り越えるのは大変ですから、覚悟してください。
 
⑧ 進路
 就職活動は1回生のうちに始めるべきです。1回生のうちに、就職活動のハウツー本を読む、内定者座談会への参加などをしましょう。本格的には3回生の夏に始めましょう。大学院進学をする人も、3回生の冬までは就職も視野に入れましょう。

⑨ その他
 駐輪場でアンケートと称して人が近づいてきたら危険です。

以上です。新入生の方はお気をつけて。

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今月の担当

 

今月の担当日&担当者、のようなものです。これ以外の日にも、これ以外の人が更新したりします。

今月の担当は
上旬:日比谷
中旬:安野
下旬:西桜 です。

 

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