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 京大公認創作サークル「名称未定」の公式ブログです。
サークルについて詳しくはこちらへ→公式WEBサイト

2023-04

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将来は未定、活動は無限

 明けましておめでとうございます。1月上旬担当の葱です。本年も創作サークル名称未定をよろしくお願いします。今回は、去年の活動、今年の活動の予想について述べます。
 昨年は感染症対策のため、対面の活動ができませんでした。食堂で集まって例会をするのではなく、毎週discordというチャットアプリで会話していました。コミックマーケットや合宿などのイベントも中止になりました。一見無味乾燥に見えますが、自主的に合評会を行ったり、お題をもうけて小説・イラストを創作するなど、オンライン上でもいろいろな創作活動を楽しめました。いかなる状況であっても創作は可能であり、それが心の支えになることがよくわかる1年でした。
 今年の予定は未定です。3月のNFもどうなるかはわかりません。しかし、去年はオンラインで活動できたのですから、今年も無事に1年間創作できるのではないかと信じております。
 最後に、去年我々を支えてくださった皆さん、今年お世話になる皆さんに感謝いたします。また、春が来て新会員の方にお会いできるのを楽しみにしております。不安な日々が続きますが、皆さんお体にはお気をつけて。

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あけましておめでとうございました

 令和三年の元旦の空は、関東地方から九州地方に渡り太平洋側は広く快晴となりました。内陸にある私の家の近くでも今年は初日の出が見られると聞いて、つい先程、着込みに着込んで拝みに行きました。
 おはようございます。令和二年十二月上旬担当であった入ヶ岳です。当時は「すぐ書くから」というようなことを言っていましたが、考えていた内容が思ったように文にならず、このように新年まで持ち越すはめになりました。申し訳ないことですし、前年の荷物を今年へ持ち込むのは良くなかろうということで、今さらながら筆を執らせていただきます。
 さて、全ては散歩がてらのことです。令和三年一月というこの瞬間にわざわざ初日の出を拝むというのは、ご来光を前に祈るということは、何らかの含むところを持ちそうなものですが、私個人に限っては何も考えてはおりません。ただ朝は晴れるそうだと知って、なら日の出が見えるじゃないかと、思った時には目覚ましをかけていました。七年程前、引っ越してすぐの元旦にも同じことをしています。
 空は実際よく晴れましたが、その分非常に寒い朝です。分厚いセーターに毛のコート、革の手袋をして、首元にはマフラーを巻きましたが、顔の冷たさだけはどうにもならず、時々両手で耳を覆って吹く風を凌ぎながら住宅地を歩きました。
 東の稜線を見るには家から少し離れて、下り坂を望む開けた空き地に出なくてはなりません。七年前に覚えたことです。ところがいざ坂道まで足を伸ばしてみますと、知らぬ間に新しい駐車場が出来ていまして、昔とは景色から違っておりました。恐らくこの辺りという場所へ立ってみたものの、舗装のせいで位置がずれたのでしょうか、どうにも心もとない視界の狭さでしっくり来ず、それ以前に大した用もなく長居するべき場所ではありませんでしたので、少し下がった位置の空き地、というよりただの砂利道に陣取って日の出を待つこととしました。
 背後の空には月が照っています。まだ夜の光り方でした。朝焼けた空はどこか薄ぼんやりとしていまして、これが六時四十五分頃のことです。
 調べたところ日の出の予想時刻は午前七時五分頃とのことでしたが、私の住む辺りは住宅地の近くまで山が伸びてきていますからこれは当てになりません。実際私が立っていた場所も数十メートル先には小高い丘と竹藪があり、その奥にも稜線が遠く視界の果てまで広がっていました。この竹藪が曲者で、恐らく太陽の通り道を塞いでしまっているだけでなく、朝焼けの色すら通さないせいで一体どこが最も明るいのか、つまり、どこから太陽が昇ってくるのかもよく分かりません。仕方なくぼうっと「そのあたり」を眺めて時間を過ごしました。
 ずっと手袋をして携帯も見ないので時間が分かりませんが、町の遠くから鐘の音が聴こえたのは、つまりそれが朝の七時だったということなのでしょうか。
 にわかに竹藪の向こうが煌めいてまいりました。稜線の向こうに日が昇り始めたのです。太陽そのものは案の定隠れてしまっていますが、あの竹藪というのが案外に捨てたものではなく、背に受けた陽光の作る黄金色の鱗粉のような木漏れ日を私に見せてくれました。少し上には端切れのような小さな雲が、朝焼けの空よりも濃い桃色に照って浮かんでおりまして、風の強い朝ですから、それらが見る見る形を変えていくのもまた面白い眺めでした。
 数分ほどはそれを見て過ごし、正直なところ朝の散歩としてはかなり満足していたのですが、眼前の明かりに反して吹く風はいよいよ冷たく、いずれにせよ元日から風邪を引いては堪らないということで早々に撤収することとしました。日の出と竹藪に背を向けて坂を上っていきますと、白んだ西の空では沈みかけの月がとっくに光を失っていました。

 最後に種明かしをしておきましょう。帰る途中の上り坂にはある高さを境に光の分かれたところがありまして、後ろの空を振り返ると、そこには馬鹿馬鹿しいほどはっきりと太陽が浮かんでいたのです。
 思わず笑みが浮かびました。先程まで私の立っていた場所は左右に視界が広い一方で、その位置の低さから目の前の竹藪に日の出を阻まれてしまっていたのですが、少し上れば視界こそ狭いものの竹藪は邪魔をしなくなり、実を言うとその狭い視界の先にこそ太陽は昇ったのでした。
 思えば七年前にも竹藪越しに初日の出を見たのであればあんな新鮮味を感じるはずもないわけで、昔の私の方が陣取りとしては正しかったこととなります。駐車場にはおれずとも、どうせ人通りの無い早朝ですからすぐ横の道端にでも突っ立っておけばよかったのです。なので今までつらつらと述べてきたことは、単に天体観測に失敗した私の照れ隠しに過ぎないというわけでした。皆さんも来年以降初日の出を拝む時には、何より高い場所に立ち、日が昇る方角をしっかりと把握しておきましょう。
 それではお別れに、煌々と照る太陽を見て愉快になった私が撮った初日の出の影の写真をお見せしようと思います。太陽そのものも綺麗ではあるのですが手元の携帯ではうまく撮れませんし、あまり見すぎると目が痛くなってしまいますので。

 というわけで、あけましておめでとうござい、ました。


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夜は短し


みなさん、こんにちは。
12月下旬担当の光彩です。

年も暮れ、本格的な冬がやってきました。蛇口から出てくる水の、なんと冷たいこと。
人よりも寒がりな自覚がありますが、一方で私は真冬の持久走の授業が好きでした。体を動かしてだんだんとあたたまっていく感覚が好きなのです。
今では自主的に走ろうと思うことはほぼありませんが、わざわざ寒いなか歩くのが好きです。春休み(といっても2月なので)の寒い日に、時間があるときには3時間ほど市中を歩き回ります。行き先も目的も特にありませんが、はじめての道で新しいものを発見するのが一番の楽しみです。

さて、今年は残念ながらいろいろなことが滞りがちになってしまいましたが、みなさんの歩みは阻まれませんでしたか。
たとえ暗中模索でも、行き先や目的がなくても、時にはとりあえず歩いてみることも大切かもしれないな、と思います。
はじめての道で新しいものを発見することが、少しでもみなさんの力になりますよう。
そして、新しい年が、どうか誰もが歩きやすい年となりますように。

それでは、どうぞよいお年をお迎えください。お読みいただきありがとうございました。


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思い出の味

12月中旬担当の葱です。遅くなってすみません。今回は突然ながら、実家に住んでいた時の思い出の味について書きます。

①卵焼き
 母は毎日少しずつ趣向を変えた卵焼きを出してくれました。かにかまやソーセージを入れたり、焼き加減を変えてみたりさまざまでした。何よりも、焼き立ての卵焼きはおいしかったですね。

②キンカンの砂糖漬け
 受験前、冬期講習のお弁当にはいつもキンカンの砂糖漬けを入れてくれました。甘くてすっとする味があって、お昼時の楽しみでした。

③のっぺ
 私の故郷の郷土料理なのかもしれません。冬になるとよく食べました。里芋、ニンジンなどをかつおだしで煮たものです。薄味ながら、やわらかく煮てあって、冬のごちそうでした。

④田造り
 煮干しを甘辛い醤油で炒め、そこにごまやドライフルーツを混ぜて出してくれました。お正月はおせちが終わっても、パクパクと食べたものでした。

⑤あん餅
 家族で餅つきをすると、スプーンであんこをすくって、さっとくるんで食べました。つきたてはおいしかったですね。

⑥芋栗きんとん
 我が家のおせちはこれが入ります。ゆでたサツマイモをクリの形にしたものです。ゆずの酸味を散らしてあって、甘さと酸味が絶妙でした。

年末にふと実家の味を思い出し、書きたくなったので書いてみました。

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気分だけでもNF

こんにちは、葱です。今回は、延期になったNF(11月に行われる本学の学園祭)のかわりに、コロナ以前のNFの様子を思い出して書きます。

前夜祭
➀5限後に、会場となっている吉田南構内の教室に合流し、展示場と会員スペースを区切る壁を作ります。机の上に段ボールを組み、その間に段ボールをわたして壁を作り、模造紙で表面を覆います。
②販売する冊子や企画の物品を並べます。
商品例:過去の外部誌、NF用冊子、個人誌、ポストカード
企画:短歌、塗り絵、自由お絵かき、リレー小説、四コマ漫画にセリフを入れる、キャラ創作(属性を書いた3種のカードを一枚ずつ引き、それに合うキャラクター設定を考える)
③23時ごろには終了します。遅くまで残ってしゃべるのもOKです。

開催中
展示場:事前に決めたシフトで、会員2人がレジ・展示説明を行います。1日に1シフト2時間が4つあります。
会員スペース:会員はしゃべったり、各自の作業をしたり、会員の持ち込んだマンガを読んだりします。もちろん、自分のシフト以外は来なくてもかまいません。卒業生の先輩方が来られるともりあがります。
10時開店、18時閉店です。その後は集まった会員で食事に行ったり、ボードゲームをしたり、創作講座をしたりなど、楽しく過ごします。

最終日
最終日は教室をもとの状態にまで戻します。19時ごろから、教室で打ち上げをします。王将の餃子やスーパーの総菜、スナック菓子を食べ、夜中まで麻雀などをして楽しみます。

片づけ日
10時から13時ごろまでかけて、片付けます。ごみを集積所まで運び、NF用荷物を会員に預け、教室をきれいにして終わります。

打ち上げ
12月上旬に打ち上げの飲み会があります。四条の飲食店で飲んで食べて、希望者は2次回のカラオケで朝まで歌います。

以上が例年の本会のNFでした。コロナが激しい現在、どれもできそうにありません。気分だけNFを思い出すしかできないのは悲しいです。

Edit 20:58 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

「登場人物」について

いいですか。11月20日は、中旬です。中旬なのです。はい、復唱。ハツカハチュウジュン。……更新遅くなってしまってすみませんでした。

さて、秋と言えばスポーツの秋、食欲の秋など色々ありますが、皆様はどのような秋をお過ごしでしょうか。私は紛れもなくゲームの秋ですね。9月末にリリースされた某音ゲーと、某オープンワールドRPGにすっかりはまってしまいまして、授業の50倍くら頑張っております。あと麻雀にもはまりました。順調に堕落の道を進んでおります。単位落とさないよう気を付けます。



先程あえて外したのが、読書の秋。創作サークルに参加している時点で大体察せられると思うのですが、もれなく読書が大好きです。秋どころか一年中読んでる気がしますが、秋は気候がいいですし、何となく読書が捗る感覚があります。秋の夜更けまでゆっくり読書、とかやってみたいですね。これ書き終わったらしましょうかね。

そんな読書について、思うこと。私はライトノベルから純文学まで乱読することが多いのですが、ライトノベルと文学作品の最たる違いは登場人物の描き方かなと思います。ライトノベルの登場人物は、「キャラクター」として性格や属性(?)をはじめから決められていて、それに基づいて物語の中で動いている、という気がします。言い換えるなら、プロフィール帳(懐かしい)に、性格や好き嫌い等を記せると言えばいいでしょうか。一方の文学作品は、プロフィール帳には収まりきらない人間のごちゃごちゃどろどろした部分を描こうとしてる風に思います。そういう作品を読んでいると、人間は、そう簡単にセオリー通り動かないのだなと考えさせられます。一周回って、何を考えているのか分からないこともありますが。

どちらがいいというわけではないと思いますが、私は、心情描写に力を入れて書こうとしていることが多いです。出来てるかは知りません……。

以上、ちょっとした話でした。読んでくださりありがとうございました。

Edit 16:49 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

空白の時間

11月上旬担当になりました、八朔です

二週目はまだギリギリ上旬だと思うんです

前記事を書いたのが実に……二年前くらいですかね
途中で改名を思い立ったので、過去の記事は「八坂」タグをご覧ください(最後の記事テンション高くないですか?)

改めて自己紹介をさせてもらうと、未定では主に絵を投稿したりしていました
ただ、この二年くらいは元々少なかった未定での活動が更に少なくなり、小説をいくつかほど出したりしましたが年間で換算すると……立派な幽霊部員ですね

残念なことに今年はNovember Festivalこと11月祭がありません
2020年度の第62回京都大学11月祭は幻となったのです

思えば学祭の中身がそうであるように、各人の過ごし方も三者三様でした
学祭を巡って楽しむ人もいればサークルのスペースに居座り夜な夜な麻雀卓を囲む人、京都は退屈だといって旅行に行く人もいました

学期末にはまだ遠く、一年を振り返るには適切な、そんな京大生の日常の中にぽっかりと現れる、長期休暇のようなバカンスとも違う不思議な時間
全てを巡るにはとても時間が足りないような四日間の祭典もいざ行けないとなるとさみしい気もします

ところで、「バカンス」とはフランス語のvacanceをカタカナで表したものです
vacanceは英語のvacationとvac-が共通していますよね?
このvac-はラテン語のvacare=to be emptyから派生したもので、真空はvacuumで、欠員はvacancyというように「空っぽ」という意味が根底にあります
何も考えずにボーっとできるのは至福の時間であり、基本的人権だと個人的におもうんですよね

私がボーッとしている間に積み上がったものは数多く、朽ちていったものも同様です
水の呼吸を習得した代わりに、一回生で履修していたドイツ語は欠片も思い出せなくなりました

つまるところ、この二年の間でまあ色んなことがありました

「京大生は留年してから本番」というまことしやかな噂、一度は耳にしたことありませんか?

そうです……この記事の作者がその当人になりました……

今でも思い出すのが、入学した後の学科のガイダンスで

「あなたと、あなたの隣に座ってる二人の三人に一人が留年することになります」

と言われたことです

記憶がおぼろげなのですが、右隣は同じ学年で留年して、左隣は私より先に留年してたかも知れません

留年は良くないです

この記事にたどり着いた皆さんは、頑張って大学を出ましょう!!!

Edit 22:48 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

膏薬はどこにでも

10月下旬担当の鏡蛍と申します。はじめまして、こんにちは。
こんにちはと言っておきながらこれをご覧になっている方は今何時にアクセスしていらっしゃるのか少し不安になってきてしまいました。文書や録音など情報が受け取られる時間帯が特定できない媒体ではいつも挨拶に困ってしまいます。

朝の挨拶は何時から何時、昼の挨拶は何時から何時まで、というのはしばしば他愛無い無駄話の話題にも上がりますが、夕方過ぎから未明頃まで使える「こんばんは」が一日に占める時間的な割合が最も高いように思えます。すなわちこれは、とりあえず「こんばんは」と書いておくのが最も適切である可能性が高いということを示しています。では改めて、こんばんは。

……と、いうのはこのページへのアクセス数が時間帯によらず一定である、などという非自明な仮定をもとにした詭弁にすぎません。私はよく理屈っぽい人間だなどと言われることがありますが、こんな猫の餌の足しにもならないような言葉をつらつらと並べるのが「理屈っぽい」というのなら、それは困った性癖というものです。

さてそんな私ではありますが、理屈ばかりに拘泥して生きているわけでもありませんし、そんなふうに生きていくわけにもいきません。人並みにノスタルジアのような感傷に心を酔わすことも間々あるかもしれません。
しかし私は実家住まいの未成年なので遠く思い馳せるべき故郷も時間軸の負方向に懐かしむべき昔もそれほど持ち合わせてはいません。私がそのセンチメントを抱くのは、野辺に咲く花でも祖父母の家にある古い器械でも、ましてや卒業アルバムでもありません。それは例えば僅かに煤け、しかし適切に清掃管理されていて朽ちてはいない公園のベンチであったり、半年前に流行った音楽を耳元で流しながら不意に目に入る窓の向こうの変哲のない街並みであったりします。この感傷は一体何でしょう。

人文科目のレポートを書く時のように四半時間ほど腕を組んでじっと考えてみました。結論としては、きっとそれはあるべきものがあるべき姿でそこにある違和感のない”一様さ”への感傷なのでしょう、というのが私の答えです。
その場面をそのまま16:9のワイドフレームにあてはめて後に見返したときに懐古に浸ることができるだろう場面、そんな未来から現代を眺めるような仮想的ノスタルジアを私は感じていたのかもしれません。

いつだったかある有名な神社に両親に連れられて行ったとき、その山深さと水の流れの中に立っていた一種コントラストさえ生み出してしまいそうなほど鮮烈な橙色の真新しい鳥居を私が好めなかったのは、きっとその鳥居が風景の一様さを侵していたからなのでしょうね。

なんて、これも「早まった一般化」。詭弁になってしまいそうですから、これくらいにしておきましょうか。では、おやすみなさい。

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気になっている言葉⑯

10月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀社会人
 社会人の「社会」は何を意味しているのですか。社会に属さない人間はいないはずですが。

②アベノミクス
 レーガノミクスは1980年代にすでにあったのに、なぜ「~ミクス」をマネする首相が安倍首相までいなかったのですかね。

③スコラ的な学問
 スコラ学に否定的な意味が加わるのはいつからですかね。

④国民の税金を無駄遣いするな
 自分たちの税を政治家が有効活用すべきだという考えはどうやって生じたのですかね。明治以前はどう考えていたのやら。

⑤高校時代の○○容疑者は~
 事件と関係ないことまで詮索しないでおきましょう。

⑥オンデマンド教材
 オンデマンド=見たいときにいつでも、という意味です。漢語で訳すとどうなりますかね。

⑦価値観の多様化した時代
 自分の生きている時代ゆえに価値観が多様に見えるのだと思います。後の人が現在を見れば、特定の価値に縛られた時代に見えるかもしれません。

⑧主人がいつもお世話になっております
 妻は部下ではありませんから、不思議な言い方です。

⑨対話
 ただ二人で話しているのは対話ではないように思いますがね。最近濫用されているように思います。

⑩リケジョ
 初出はどこですかね。

こんなに小さな言葉が気になる私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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ディオゲネス氏の話

 どうも皆さんこんにちは。十月上旬担当のナカジマ杓子と申します。指を二本も犠牲にしなくてはコーンスープも作れない、ポンコツ野郎のわたくしですが、どうぞよろしくお願いします。さて、今回もたいした目算もなく立候補したせいで、何書こうかなー、と悩んでおります。創作サークルのブログなので、創作論を語るべきなのかもしれませんが、語れるほどのものもなく。しゃあない、我が家のかわいいペットたちのお話でお茶を濁すと致しましょうか。
 うちでは一匹のヒキガエルが飼われております。裸同然のまま、竪穴式住居で寝起きするという、その質素さ。年がら年中虚空を見つめて思索にふける、その知性。二つの美質に敬意を表し、我々は彼をディオゲネス氏と名付けました。
 井の中の蛙でありながら、あえて哲学という大海に飛び込んだ理性のカエル、ディオゲネス氏。しかし、そんな彼にもワイルドな一面はちゃあんと残っているのです。それは、動くものなら何でも餌だと思い込むという性癖。動く、すなわち餌。大きいか、小さいか。生物か、無生物か。そんなことは彼にとっては些末な事なのでしょう。指でも、箸でも、なんにでも食いつきます。
 そんな彼のお気に入りは、隣人のティ―タイム氏(亀)。暇さえあれば、「これ、食えっかな?」という目で見つめております。いやいやいやいや、、敵いませんって。彼、あなたよりよっぽど強いんですよ。甲羅シールドでの絶対防御、強力無比な噛みつき攻撃(人の指を食いちぎれるらしいです)。そんな無謀はやめときなさい、ってな感じで黙って見過ごしてました。
 そんなある日の事。何気なくティ―タイム氏の水槽を見たら、なんと!脱走を果たしたディオゲネス氏が、縁に乗っかってるじゃないですか!鋭い視線で獲物をにらみつけ、今にもダイブせんと体を前後に揺すっております。ワンツー、ワンツー。……冗談じゃない!慌てた私が氏の視界を強制シャットアウト。魅力的過ぎる隣人の姿が消えてしまうと、彼は理性のカエルに戻り、おとなしくケージに戻りましたとさ。(その後厳重な脱走対策がとられました)
 以上、グダグダ書きましたが、よい子のみんな、無謀はよくない、理性を保とうぜ、というお話です(←無理やり)。
 よーわからんお話に最後までお付き合い下さり、誠にありがとうございました!
 
 

Edit 22:56 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

花言葉

 こんにちは。9月上旬担当のヒサメと申します。名前の由来は、クリアするまでゲーム世界に閉じ込められる某有名アニメに、自分が入ったらどんな名前がいいかと考えて選んだものです。関係ないですが私は小説勢です。ブログなるものを書くのは人生初めてですので、どうぞお手柔らかに。
 などと言っているうちに、9月上旬の担当にも関わらず上旬が終わりかけているという。申し訳ないです……。小説なら1000字程度あっさり越えてしまうのですが、それ以外で文章を書くとなると意外と大変ですね。

 突然ですが、皆様は花言葉ってご存知ですか。大体の方はご存知な気がしますが、正確な定義は、一つ一つの花に、それぞれふさわしい象徴的な意味を持たせたもの、だそう。薔薇は愛、月桂樹は勝利、栄誉等々。意味の由来も、花の特徴や神話など様々です。日常では会話のきっかけに、創作では小話、伏線から主題にまで使えるスグレモノ。私もよく調べます。また、花には「誕生花」というものも存在するそうで。1年365日全ての日に、それぞれ対応する花があるそうです。自分の誕生日に対応する花や花言葉を調べてみるのも、楽しいですね。
 最近では、トウワタという赤く可愛らしい花の花言葉が、「心変わり」「私を行かせて」と知って、背筋がぞくりとしました。「心変わり」は毒性を持つことから、「私を行かせて」は、綿毛のついた種が風に乗って飛ぶ様が由来であるそうな。

 字数が余っているので、一番好きな花言葉の由来を語ります。
 昔々、ナルキッソスという美少年がおりました。その美しさは多くのニンフや妖精を惹きつけますが、ナルキッソスはいずれも冷たくはねのけます。これに怒った神は、他人を愛すことの出来ないナルキッソスが、自分だけを愛するように変えてしまいました。
 ある日ナルキッソスが泉の水面を見ると、そこには目を見張るような美しい少年がいるではありませんか。ナルキッソスは水面に映った自分自身に恋し、寝食をも忘れ、ついにやせ細って死んでしまいました。水面の自分の像に近づいた結果池に落ちたという説もありますが、兎にも角にも死にました。そして、ナルキッソスが死んだ跡には、水仙の花が咲いていました。そう、水仙の花言葉は「自惚れ」なのです。ついでに、ナルシシズムの語源でもあります。

 他にも沢山の花と花言葉があります。気が向いたら調べてみてくださいね。最後になりましたが、ここまで読んでくださったあなたにベルフラワーを贈ります。読んでくださりありがとうございました。

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覚えられないですよね、名前


名前。みなさん持ってますか、自分の名前。私は持っています。8月下旬担当の巨神兵です。

 さて、私は人間の名前を覚えるのが苦手です。自己紹介の最初に名前を言う人がほとんどだと思いますが私は人の自己紹介の最初の方にぼーっとしていることが多いので肝心の名前を覚えられないことが多いです。先にどんな特徴を持った人間なのかを知ったうえで名前を提示された方が定着率が高そうな気がするのですが、どうして自己紹介では先に名前を言うのでしょうね。
 学名やIUPACのような命名法がある物は名前が分からなくても特徴から名前を推定できますし覚えやすいのですが人間にはそういった命名法がありません。一人一人地道に覚えていかなくてはいけないのです。確率が最も高いからといって名前の分からない人に佐藤さんと呼びかけてみるわけにはいきません。人間のくせに手を煩わせおって。
 人間の名前はその人が赤ちゃんの時、つまり指ししめす物が完成する前につけられてしまうのでその人の特徴とは無関係です。一方、身の回りにある物の名前は、その物があって、それから名前がつけられるので名前と物の特徴に関連をつけることができます。現実の人間に対してそれができるのは戒名ぐらいです。

 創作物の中の人間に関してはどうでしょうか。キャラクターの造形とその名前の間には関連性があるべきなのでしょうか。主人公や悪役にはそれぞれ相応しい名前があると思いますし私は名前を適当につけるよりかはそのキャラクターに相応しい名前をつけたい派です。読む側にも作者がどうしてその名前を選択したのかを考えるという楽しみ方がありますしね。そう思う一方で、現実には人間とその名前は関係ないはずでキャラクターの名前がそのキャラクターをびったし表しているというのはあまりに物語すぎるような気もします。まあ、どういう物をつくりたいのかで使い分けるべきなのでしょうね。

 現実の物で言うとあだ名がキャラクターに相応しい名前にあたるでしょうか。私の巨神兵という名もさるお方からいただいたものですが、これは私の身体的特徴を反映した名前です。ですがあまり怖がらないでください、少し体躯が大きくビームが出るだけなので。

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ワカゲの至り

どうも皆さんこんにちは。8月中旬担当の、ナカジマ杓子と申します。さて、何書こうかな、と考えますと、これが驚くほど浮かばない。自分の薄っぺらさに愕然とする。悲しくなって爪を噛む。こんなことならブログなんぞ引き受けなきゃよかったという話になるんですが、引き受けてしまったものは仕方ありません(っていうか立候補ですからね!)。自虐ネタでお茶を濁すといたしましょう。
一生に一度の不覚といえば、初恋の人に鼻毛が出ていると指摘されたことにつきますが、詳しく書くと顔面から火炎が放射され、近隣住民の方々に多大なるご迷惑をおかけすることになるのでやめておきます。じゃあほかに何か、というと、私の場合、「知らない言葉を知ったかぶって失敗する」パターンが多い。特に小学生時代は「ムツカシイ言葉を知っている=頭がいい」と思い込んでいたので、うる覚えの言葉をめちゃくちゃに使っていました。よくあんなんでコミュニケーションが成立したなと思います。
例えば、小三の頃。
私「ねえ、地球温暖化って英語でなんて言うか知ってる?」 友人「知らん」 私「サブプライムローン問題って言うんだよ!」
はい、阿保ですね。当時の自分の首根っこ掴んで「グローバルウオーミングじゃ、馬鹿垂れ!」って叫びたくなります。まあ、この時は友人が、「へー」って流してくれたので、恥はかかずに済んだから、まだましです。同じく小三ぐらいの時だったかと思いますが、私には「経済的」という単語がカッコよく見えて仕方がなかった時期があるのです。
友人「給食おいしかったね」 私「うん、とても経済的だったね」  かみ合ってません。
友人「宿題多いな~」 私「まったくもって経済的ではないよね」 これもかみ合ってません。
そんな具合で「経済的」を連呼して得意になっていた私ですが、栄光(?)の日々もいつしか終わりを迎えます。
友人「ねえ、経済的ってどういう意味?」
この問いにナカジマ少年がどう答えたかはご想像にお任せします。ただ、「彼の背中には冷たい汗が流れた」とだけ描写しておきましょう。
よくわからんことを延々と書いてきましたが、ネタもつきたのでこの辺で。最後まで読み通してくださった方(そんな人物が地球上に存在していればですが)、誠にありがとうございました!さようなら!

Edit 11:42 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑮

8月上旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀ご遠慮ください
 遠慮は、深く考えてやめる、という自発的な行為です。「ご遠慮ください」は、本来自発的な行為を他者に求め、禁止の意味を表しています。日本語独自の表現ですかね。

②go to トラベル
 旅行に行く、という意味で、英米人はgo to travelというのですかね。

③暑さ寒さも彼岸まで
 異常気象の昨今は、何といえばいいですかね。

④ノーベル賞受賞の○○教授
 なぜノーベル賞を取る前から評価しないのですか。

⑤たまには息抜きも必要
 息抜きすることも思いつかないほど打ち込みたいものです。

⑥美脚
 日本で言われ始めたのはいつですか。

⑦批判が集まる
 SNSのない時代には、世間からの批判は何から知ったのですかね。

⑧ドラえもん
 どら焼きが好きという設定からドラえもんという名前ができたのか、その逆か、どっちですかね。

⑨歴史的に見て○○(国名)は~
 その国の古代と今を無批判につなげるのは、超歴史的な見方ですよ。

⑩ファンは一番の批判者
 最近悪用されている気がします。

こんなに小さな言葉にかみつく私は、どうかしていますね。病んではいませんから、ご安心ください。

Edit 08:21 | Trackback : 0 | Comment : 0 | Top

気になっている言葉⑭

7月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀島国根性
 インドネシア語や英語には、それに対応する言葉があるのですか。

②文系人間、理系人間
 文理で人を分類する言い方は、いつから出てきたのですか。

③自粛要請
 自粛しないと店舗の名前を公表されるなどの、強制力を伴った自粛要請もあります。その場合は、要請ではなく、要求や命令と言った方がいいですね。

④ネットの口コミ
本来口コミは、マスコミには出ない口での評判、という意味だったはずです。しかし、今の口コミはネットで集約され、口コミが口にとどまりませんね。

⑤日本人は外来の文化を柔軟に適応させた
 どこの国でもそうだと思います。他の国も、自国文化と外来文化をうまく調和させてきたはずです。

⑥喫茶、喫煙
 なぜ喫茶の喫は「きっ」、喫煙の喫は「きつ」と読むのですか。

⑦日本を洗濯いたしそうろう
 坂本龍馬の時代に、洗濯の第一義は服を洗うことなのか、別の意味だったのか、どちらでしょう。

⑧ブルガリア・ヨーグルト
 日本人はブルガリアと言えばヨーグルトを連想します。では、ブルガリア人は、日本と言えば何を連想するのですか。

⑨チャーミング
 日本語のチャーミングは、英語の原義と違うように思います。エドはるみを見るとつくづく思います。

⑩ソーシャルゲーム
 ソーシャルゲームは日本語では何になりますかね。まさか「社会的ゲーム」ではありますまい。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。
 

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気になっている言葉⑬

7月上旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀ステイホーム
 よく考えると、この言葉は家があることを前提にしています。家のない人にはどうせよと言うのでしょうか。

②PE
 なぜ小学校の英語活動では体育を略してPEとして教えるのですか。physical educationはそこまで長くないと思うのですが。

③列島が泣いた
 日本人全体を日本列島で代表してとらえる言説はいつから生まれたのでしょう。まさか伊能忠敬の地図製作のころからではありますまい。

④起こる、起きる
 「起こる」と「起きる」の使い分けにはどんな法則があるのでしょう。

⑤エスニック料理
 東南アジアの民族料理風の料理をエスニック料理と言います。しかし、直訳すると民族的料理ですから、何とも奇妙に見えます。

⑥卒業
 本来「業を卒(お)える」ですから、何かを終えて去っていくことを指す言葉であるはずです。しかし、最近は単に番組のMCを引退するときなどに、「4月で番組を卒業される○○さんは~」などと言い、単にやめることを意味するようになっていますね。

⑦人間力
 そんな得体のしれないものを求められても困りますよ。

⑧元祖、本家
 元祖と本家で争っているのをよく見かけますが、どう違うのですか。

⑨コロナ禍
 この言葉の初出はどこですか。最近急に使われ始めた気がします。

⑩新しい時代
 去年からよく聞きます。ですが、本当に新しい時代が始まったかは、始まった瞬間ではなく、100年後くらいにわかるものだと思います。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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オリキャラの名前の話

こんにちは、リアルタイムではこんばんは、6月下旬担当の青戸奏です。
このブログでは、初めましてになります。というか、どのブログも自分にとっては初めましてです。

突然ですが、自分のペンネームの苗字パート「青戸」は「アオノベ」と読みます。一応本名由来ではありますが、正直キャラクターに名前をつけるのと同じ感覚で名付けました。というのも、そのまま「アオト」もしくは「アオド」と読ませたくなかったのです。この謎の拘りのおかげで、割と気に入っています。

(敬語で文章を書くのが違和感あるので、ここからは外すぞっ☆)

さて、この流れでオリジナルキャラクターの名前について書こうと思う。
自分は、上記の通り特殊な──実際に会ったことがない、珍しい、または現実にいないであろう、聞いたこともない創作の(かつ、じゃなくて、または)──苗字をつけるのが好きだ。(逆に、名はよくある名前をつけがち。)
理由は明快、カッコいいから。
個人的なお気に入りは、東雲。響き自体はダントツに好きというわけでもないけれど、この漢字でこの読みというのが、おそらくストライクの理由だ。「簡単な漢字+特殊読み」がツボ。

──余談だが、原則、自分のキャラでは名前が被らないようにしている。しかし、ある時気づくと「東雲オトハ」という名前のキャラが、名の漢字が違うとはいえ、すっかり忘れていて二人存在していた。しかもどっちも主役級。この時「ああ、この名前好きなんだな」と実感した。余談おわり。

珍しい苗字がカッコイイ、というよりはカッコイイ苗字を考えると珍しくなる、の方が近いのかもしれない。
名が体を表す、は自分の場合あまり当てはまらない。意味よりは、字面と響きが大事。けれど、苗字の中の漢字を対にしたり(朝夜、悠瞬などなど)、複数人で揃えたり(木火土金水とか)するのは大好きである。

名前に謎の拘りを持つと、ネーミングが楽しい。しかし、一部のキャラは名前が降ってくるまで待つ必要がある。──我ながら矛盾を感じる。でもやっぱり、ビジュアルにしっくりこない名前というのは存在するのだ。

また、このサークルに入って短編を考える機会が増えたが、その場合そもそも名前をつけないということが起こり始めた。きっと、ビビッとくる名前が思いつくより先に作品が出来上がってしまうからだろう。この場合、特徴や作品タイトルでキャラを呼ぶしかなくなる──言い方を変えれば、名前がなくてもそのキャラを指すことは可能ではある。が、それでは何となく寂しい。
今描いている作品に登場する二人にも名前をつけられていない。至急考えようと思う。え、降ってくるのを待つんじゃないのかって?降ってくるには、まず考える必要があるのだ。これは名前に限った話ではないが、なかなかシビアなシステムである。


思いつくままに書いてしまったので、まとまりのない文章になってしまったがネタが切れたのでそろそろ終わろうと思う。ブログならではの〆方なんかは知らないので、それでは!

──超のつく余談、というか追伸? アニメの次回予告で、毎回最後に主役が決まったセリフ言うタイプ、結構好きです。次回予告で本編と(ほぼ)関係のない面白トークが繰り広げられるタイプと同じくらい好きです。

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気になっている言葉⑫

こんにちは、6月中旬担当の葱です。今回も気になった言葉について書きます。
➀ヘゲモニー
 英語だと「ヒジェマニー」になるのに、なぜ日本語読みするとこうも違うのですか。

②サクサク進む
 作業などがスムーズに進むさまをサクサクといいます。最初は食感の意味だったはずなのに、いつからスムーズなさまを意味するようになったのでしょう。

③転換の時代
 十年以上そう言われていますね。私たちは、「今が転換点だ」と言って、その場をぐるぐる回っているのですかね。


④~論
 思い込みや独断を~論と呼ぶのはいかがなものでしょう。論というのは、根拠に基づき論理だてた、読み手を説得する文章のことのはずです。

⑤清楚
 中国語では「はっきり」という意味ですが、なぜ日本語と意味が違ってしまったでしょう。

⑥新春シャンソンショー
 やっているのを見たことがありません。また、ちゃんと発音できたことがありません。

⑦バスガス爆発
 そんな悲惨な事故を早口言葉にしなくても。

⑧イクメン
 育児をする男性のことをイクメンと言うのに、育児をする女性をイク女と呼ぶ人はいませんね。

⑨シェイシェイ
 謝謝をカタカナで「シェイシェイ」と書いてあるのをよく見ます。しかし、実際の発音は「xiexie」で、「シィエシィエ」に近いのに、なぜこのようにカタカナ語表記されるのですか。

⑩デカルト以来の西洋合理主義は~
 たまに現代文の問題で見かけた文章ですが、そんなに簡単にまとめてはいけませんよ。

こんなに小さなことにかみつく私は、どうかしていますね。病んではいないのでご安心ください。
追記 前回「聖徳太子は7人の話を同時に聞き分けた」と書きましたが、諸説あるようです。何人なのか未確認です。

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日記を書くのが苦手です

 六月上旬担当の入ヶ岳です。度重なる遅延とすっぽかしを経て、恥ずかしながら本日投稿までたどり着きました。にしてはブログタイトルが舐めすぎかもしれませんが、ブログと日記は違うということで、悪しからずご了承ください。


 幼稚園頃の朧気な思い出ですが、私は一時期自分のことを「ウチ」と呼んでいました。きっかけは一体何だったのか、大阪に住んでいた従姉妹の影響かもしれませんし、同じ組や近所の女の子から口調が移ったのかもしれません。何か信念を持ってそうしていたというわけではなく、ただその時の私には「ウチ」という響きがしっくり来たのだと思います。私が「ウチ」だったのはごく短い間、恐らく一ヶ月未満で、その後の私は数年の間「ぼく」でした。どういう心境で再び一人称を変えたのかは思い出せないのですが、それを言ったら「ウチ」の前が何だったのかも分かりません。四歳、五歳の記憶というのは普通、それくらいあやふやなものかと思います。
 別に大きな事件ではありませんが、そうした幼少の記憶がふと思い出されるのは、懐かしくも楽しい体験です。その日の夕食の席で、家族にも雑談の種として「ウチ」の件を語ってみました。すると目の前に座る母親は首を傾げ、「そんな時期があったとは覚えていない」と言うのです。しまった、と思いました。私はてっきり、母も私の一人称について何か覚えていると思っていたのです。しかしこう否定されてしまうと、あれがはたして本当にあったことなのかすらも怪しくなってきます。私はかつて少しの間一人称を変えたのかもしれませんし、変えたという誤った記憶を抱えているだけなのかもしれません。一人の古い記憶ほど当てにならないものもそう無いでしょう。過去に自信を持てなくなったのが、何より寂しいことでした。

 記憶をはっきり留めておきたいのなら、四六時中ビデオを回せば良いのかもしれません。しかしそれで見えるのは世界の外面、その中にいる人間の人となりまでは残りませんから、なんだか不十分な気もします。では、小さい頃から日記でも書いておくというのはどうでしょう。人によってはある程度有効な気がします。ですが私の場合は、日記というのがどうにも苦手で書く気になれません。続かないというのもありますが、その日あったことについて、自ら改めて語り直すのが躊躇われるのです。何があったか、ならまだ書けます。今日の夕食はアジフライでした。これが書いているうちにアジの開きに変わるようなことはありません。しかし形にならぬ思考や心情は、刻一刻と移ろう上にひどく複雑です。たとえば、今日は街でたまたま友人と会ったとしましょう。私はその時嬉しかったのでしょうか、気まずかったのでしょうか。あるいはただの一言で語り得ぬ心情がそこにあったのだとしたら、「嬉しかった」と書くだけでは不正確ということになります。しかし難儀なことに、私の心情は書いたものに追従する形で変化します。違うと思いつつも一度「嬉しかった」と書けば、何となく嬉しかったような気がしてきて、他の複雑なあれこれは捨象され形を失うのです。思考の整理とはまた違う、これは歪曲に近い。数年後の私が日記を見返した時、そこに残るのは「嬉しかった」という実体の無い文字列でしかありません。
 あるがままを書く、というのがそもそも不可能なことは理解しているつもりです。私自身、そんな究極を求めているわけではありません。作文は常に選択と解釈を伴いますから、書かれていることは徹底的に著者の主観、推敲された物語と言えるでしょう。しかし、捏造は選択でも解釈でもない。「私は怒っている」と日記に書く私は、多分怒っていません。根深い悪癖として、私は現実を文字に起こそうとした時、事実あったことよりも物語としての骨格に拘ってしまうのです。自らの内心を吐露する気も、生活を写し取る気もきっとありません。常に物語としてより良い像を求めている。あるいは求めるものなど無く、ただ自分と向き合うことから逃げているだけなのかもしれません。私が「ウチ」の件を家族に伝えたのは夕食の席でなく休日の午後です。私はその時「しまった」なんて思わなかった。しかしそう書いた方が、物語のテーマは伝わりやすいでしょう、読者に。つまり私は現実を書いているように見せかけて、書きたい虚構を初めから据え置いている。本当に悪い癖です。ありがちなことなのだとして、私はあって良いことだと思いません。
 私は日記を書くのが苦手です。自分が書いた自分の主観を、主観であるとすら信じられないからです。文字にしていない記憶とて抗い難く歪んでしまいますが、文字だけは特に恐ろしい。それでも克服すべきとは思っていますので、こうしてキーボードを前に両手を揉み合わせつつ、考え考えブログを書いています。「ウチ」の件は、既に記憶から霧散しつつあり、瑣末事であるからこそ書こうという気になったのですが(なってない! 後付けで理由を書くな。私はこの文章を、記事を仕上げた果てに調味料のように挟み込んでいる。しかしこの一文を私は消さずにおきたいと思う)、残念ながら今回もあまり上手くいっていません。

 こんな人間ではありますが、創作は私にとって大変楽しい営みです。それはなぜか。現実を無視できるからでしょうか。きっと違います。小説は何でも書けますが、何を書いてもいいわけではないからです。現実に起こる出来事と物語は常に影響しあい、共鳴しています。もちろん、自分の内心から目を背けてもいられません。むしろ強く向き合うことになるでしょう(創作サークルのブログとして念の為に述べておきます。本記事、特にこの前後に書かれた創作に纏わるあれこれは、あくまで私がそう思っているというだけです。これは半分予防線ですが、半分は「こう考えなければいけない」と思ってほしくないが故の補足です)。
 私が好きなのは、物語が本質的に作者である私自身からも束縛されないという点です。それが創作であるならば、私は当初の構想と違う物語が描かれるのを恐れなくて良いのです(全く思い通りに書けないとなるとやはり歯痒いですし、もう少し手綱を握っていたいとは思いますが)。初めに書きたかったことから作品が歪んでくるのは茶飯事です。しかし、書きたくないものが書き上げられた経験は私の場合ありません。まあ多分、書きたくないものが書かれようとしている時はまず完成できていないのでしょうが。
 机に向かって小説を書いていると、まだ見ぬ白紙の中にふと書きたい一節を発見することがあります。前から書きたいと思っていた物語と自然に繋がりを見せ始めることもあります。あるいは、全く私の意識していなかった知らない物語が、ふいに目前へ立ち上がってくることもあります。想定外でありながら、気付けばそれらを書きたいと思う自分がいるのです。その時私は、「自分はこれが書きたかったのか」と眼を見開きます。今まで知らなかった、これから大好きになる物語を読んだ時の気持ちにも似ています。大きな喜びの一つです。
 あるいは私はここでも、創作という舞台においてすらも、書いたものに内心を合わせるという過ちを犯してしまっているのかもしれません。それを否定はできないでしょう。しかし、過去の内心を塗り替えることと、新しく物語を編んでいくことは私には別物に見えます。今まで自分の意識の内に存在しなかったものを彫り出し、それをうつくしいと、胸の内に温めて育て上げたいと初めて思えたのならば、それこそが豊かさであると信じたいのです。

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気になっている言葉⑪

5月下旬担当の葱です。遅くなってすみません。今回も気になった言葉について書きます。
➀ 幼稚園からやりなおせ!
 「やり直させてください」とつい言いたくなりますね。
②中二病
 日本と学校制度の違う英米人には、何と訳せば伝わるでしょうか。
③地盤・かばん・看板
 英語にも同様の表現はありますかね。
④バブル時代
 バブルがはじけるまでの時代を、特徴を持った1つの時代としてとらえる言説は、いつから生じたのですか。
⑤ファシズム
 同調圧力の意味で誤用されている気がしますね。例えば、浅田真央に感動せよという同調圧力が働くのを「真央ちゃんファシズム」と言ったりしますが。
⑥我が国
 国は誰のものでもないから、「我が国」という言葉は奇妙に見えませんか。
⑦全員一致の深イイ話
 全員一致でその話を深いと思う必要はあるのですか。
⑧聖徳太子は7人の話を同時に聞き分けた。
 一人ずつ話せば済む話ではありませんか。
⑨愛と勇気だけが友だちさ
 何があったのですか、アンパンマンさん。
⑩キレる
 本来は激怒するの意味だったのに、今では普通に怒ることをキレるといい、激怒することをガチギレすると言いますね。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんから、ご安心ください。

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不眠症

5月上旬担当のいとらです。

世間では新型コロナウイルスが騒がれているようですね。京都大学でも五月以降の授業が全てオンラインになり、まともに外出して人と会うことなどできない状況となっています。ずっと家にこもっているというのもなかなかストレスの溜まりますよね。

私なんかは、もとから引きこもり性でしたので、外出自粛ということ自体は大した苦痛ではないのです。図書館で借りたり、あるいは書店で買った本を日がな一日読みふける毎日を送っておりまして、ある意味充実した生活であると思います。ただ一点、最近私を悩ませているものがありまして。
それは「不眠症」です。
もともと私は不眠症質でして、ときたま夜に寝付けないなんてことはありました。しかし、最近は毎日のように眠れない日が続いています。しかも夜寝つきが悪いだけでなく、眠ってから三時間ほどで目が覚めてしまうということがしょっちゅうなのです。うまく眠れなかった次の日は、勉強も小説を書くのも捗らず、ほとほと困っているところです。
今では不眠症にもだいぶ慣れてしまい、不眠をそういうものとして諦めつつあります。寝れないときはさっさと起きてしまって、徹夜のつもりで一日過ごしたり、まあ割り切ってしまえば苦痛というほどでもないような気がしています(さすがにそんなことはないですが)。

さて、コロナ騒動で外出自粛が叫ばれている中、私のように不眠に悩んでいる人も少なくないのではないでしょうか。睡眠は生活サイクルと密接に結びついていますから、昨今の「外に出ない」「人と会わない」というのはことごとく生活サイクルを破壊するもので、睡眠にも悪影響を及ぼしかねないでしょう。
私は専門家でもなんでもありませんので、不眠症の対策などは何も言うことができません(というか知ってたら治してます)。しかし、何よりも大事なことは苦しみを理解してもらうことではないでしょうか。一人で抱え込んでふさぎ込むよりも、誰かに苦しみを共感してもらったほうがきっと気は楽になると思います。そのために私もこうして、自らのことを書いているわけですから。

不眠症に限らず、辛い状況が続いていますが、少しでも楽しく健やかに毎日を過ごせることを願っています。
それでは皆さま、良き眠りのあらんことを。

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気になっている言葉⑩

4月下旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。

➀いい大学に入る
 いい大学とは何なのか、わからなくなってきました。

②○○大学の○○容疑者
 大学生が罪を犯すと、大学名が出ます。東大・京大は特にクローズアップされます。犯罪に学歴は関係ないはずですが。

③ワンチーム
 「一丸となって」とは違うのですか。

④京大生が選ぶ偉人百人
 どこの大学の学生に選ばせても同じはずですから、わざわざ京大を冠しなくてもいいでしょう。

⑤軽薄短小
 つい自分のことかと思ってしまいます。

⑥ミッチーブーム
 今は炎上が怖くて、皇族にあだ名などつけられませんね。

⑦~さま、カウンターまでお越しください
 お店で「~さま」と呼ばれると、何とも妙な気がします。さん付けで十分だと思いますが。

⑧歴史的固有の領土
この言葉を聞くと、「ローマ市がヨーロッパを歴史的固有の領土だと主張し始めたらどうしようか」と思います。

⑨水神の祟り
 日本の神様は祟るという話を英語で欧米人にわかってもらうには、どう言えばいいでしょう。

⑩新婦様からの熱烈なアタック
 attackは本来攻撃の意味ですから、何とも変な気がします。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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気になっている言葉⑨

こんにちは、4月中旬担当の葱です。今回は、新入生向けに、大学の不思議な言葉について述べます。

➀オンライン講義
 ライオン講義に見えるのは私だけでしょうか。ついライオンのたてがみをつけた教授を想像してしまいます。

②一般教養科目(全学共通科目)
 単位は取り終えても教養が身についたのか私は心配です。

③変人は誉め言葉です
 いや、履歴書に書けない特性があっても得しません。

④何で私が○○大に?
 聞くまでもなく、周りの支えがあったからです。

⑤京大は変人が多い
 何でこういう偏見を持たれたのですか。変人であることは誉められたものではありませんのに。

⑥1回生
 関西では年生を回生と言います。この東西での違いはどこから生じたのですか。

⑦絶起
 寝坊して授業に出られないことを絶起(または寝ぶっち)と言いますが、何の略ですか。

⑧KULINE、KULASIS、KUMOI
順に、大学図書館蔵書検索サイト、大学情報の総合掲示板(履修登録などをする)、学生用メールサービスのことです。KUから始まるものが多すぎませんか。

⑨ピカピカの1回生
 今や私はカピピカの4回生です。

⑩自由の学風
 卒業式でコスプレできるというだけの意味ではないはずですが。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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おいで、はじめるよ


みなさん、こんにちは。
4月上旬担当の光彩です。

新年度を迎えても、春特有の賑々しさのない大学構内は、いささか寂しく感じられます。
授業の多くがお休みなので、まるで終わらない春休みのよう。
そして、終わりがなければ、はじまりもまた曖昧なもの。私も、進級したという意識がいまひとつありません。
だからこそ、あえてはっきりと、宣言させてください。
私たち、創作サークル「名称未定」は、新歓活動をはじめます。

毎週水曜日、18:30から、会員たちとおはなししませんか。
創作活動のこと、好きな作品のこと、なんでもかまいません。作品を持ち込んでいただいたら、感想ももらえるかも。
来るもの拒まず、去るもの追わず。気が向いたら、気が向いただけ、お好きなだけいらっしゃい。
少しでも楽しい時間を過ごしていただけたら幸いです。
公式Twitter、メールアドレスより、どうぞお気軽にお越しくださいませ。

それでは、不安ばかりがあおられる毎日ですが、どうか日の暖かさに頬が緩むような明るい気持ちでお過ごしください。お読みいただきありがとうございました。


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大学生活のしのぎ方

3月下旬担当の葱です。今回は、新入生向けに、大学での注意点について述べます。

➀教室の略称
 4共は吉田南4号館、1共は吉田南1号館、共東・共西は吉田南総合館東棟・西棟のことです。シラバスには略称しか書いていないので、教室を探す際はご注意ください。

②自転車
 正門前の東一条通の歩道を自転車で走らない、吉田南構内の正門に自転車で入らない、なるべく歩道を走らない、など自転車の乗り方にはご注意ください。田舎の人がいない道とは違って、京都は人が多いので、歩道を自転車で行くと危険です。また、歩行者に向かってベルを鳴らしてはいけません。道路交通法違反です。
 また、京都では歩道を自転車が前からも後ろからも走るので、2列になって歩くと危険です。

③教室移動
休み時間は15分です。吉田南と本部、北部構内を移動するには短いです。吉田南と本部構内の間の東一条通は、自動車や歩行者の通りも多く、なかなか渡れません。できるならば、無理に移動距離の長い授業の取り方をしない方がいいです。また、特に用事がなければ、自転車の通行の妨げにならないように、休み時間に出歩かない方がいいです。
 
④怪しいサークル
怪しいサークルに詳しい友によれば、見分け方は、
A 大学内のボックスやルネではなく、大学外の場所に連れていこうとする。
B 団体名の由来を聞いても、答えない、知らないふりをする。
C 合宿にしきりに誘う。(GWあるいは7月初)
D やけに公認団体であることを強調する。(公認団体でも怪しいサークルはあります。)
E 駐輪場などでアンケートなどと称して近づき、サークルの紹介をした後、連絡先を教えるようにしつこく求める。アンケート内容は、自転車のルールや、人生でがんばったこと、大学でやりたいこと、など普通の内容を聞いてくる。愛や神について聞いてくる団体はまれ。

⑤昼食
食堂も生協ショップも混みますから、昼食を持参した方がいいです。また、匂いがこもりますから、教室の中では食べない方がいいです。

⑥講義
学生のフリーペーパーで、「楽単」(楽に単位が取れる科目)と言われる科目もあります。ですが、履修人数制限がかかって履修できないことも多いので、おすすめはしません。
 私のおすすめは2つあります。
 1つは、加藤真先生の「生物自然史」です。実物の標本を見たり、文理融合的な話が聞けたりと、文系でも面白い生物学の講義です。
 もう1つは、柴山桂太先生の「社会経済システム論」です。経済学、社会学、政治学を融合させて現代世界を論じる講義です。わかりやすくてドラマチックで面白い話をぜひ一度。

⑦ 図書館
授業で紹介された参考文献は、早く借りましょう。テスト前には借りられて読めません。
テスト前は、図書館が人でいっぱいになるので、行かない方がいいです。(USJのアトラクションなみに人が並びます。)
また、図書の撮影は、著作権法違反です。

⑧ 寝坊
目覚ましを二つつけ、日光が入るようにカーテンを少し開けて寝ると、何とか起きられます。また、8時15分を過ぎると、大学は自転車でいっぱいになりますから、早めに登校した方がいいです。寝坊癖がつかないように。

⑨ 英語
英語の講義では不十分で、受験で得た貯金はすぐになくなります。gorillaという毎週のリスニングテストは、リスニング力の維持には少ないです。青谷正妥の英語勉強法(VOAを聞く、15秒考えて45秒話す練習など)がおすすめです。また、『京大学術語彙データベース基本英単語1110』は、毎週のテストが終わった後も使える優れた単語帳です。

⑩ 本の探し方
探し方はいろいろあります。
kuline(京都大学蔵書検索システム)やCiNii Articles(論文検索サイト)に関連ワード・先生の名前を入れる。
『~研究入門』と題した本を見る。
本の参考文献覧を見て、面白そうな本を探す。
『講座○○』(例 『岩波講座日本歴史』)を読む。

⑪ レポート
『理科系の作文技術』などを読むと書きやすいです。また、レポートを書くためには、普段の講義で疑問を持って、それを自分で調べておくことが必要です。講義に出ても板書を写すだけでは、7月に一からレポートを書くことになり、大変です。


⑫ 自力
 大学は大学に損害がなければ学生を助けません。困ったら、信頼できる先輩に相談してください。

以上長話を失礼しました。詳しく聞きたい方は、名称未定の新歓にお越しください。 

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バカは風邪を引かないなら

どうも、お久しぶりでございます。最近例会に全然行けてないだいぽんです。

最近は新型コロナウイルスが流行っていますが、皆様はしっかりと手洗いうがい、励行していますでしょうか(まあ、コロナウイルスは単に風邪のウイルスらしいっすけどね。笑)。2月中はずっとバイトで稼いでいました、というのも3月の上旬に四国遠征を予定していたからなんですよね。ところが、そこでトラブルが発生いたしました。

2月末。初めはバイト帰りの電車で、腰に妙な痛みを覚えたという感じでした。なんとなく自分の身に何が起こっているか察しつつも、それを受け入れたくない、どうせすぐに良くなるだろう、そう思っていた自分が何処かにいたんでしょうね。しかし、その判断は今思い返すと愚かだったと思っています。それから、「病状」はどんどん悪化して、腰の痛みに加えて寒気、頭痛は増すばかり。恐る恐る親と相談して、診療所に行った結果—————。

「インフルB、陽性ですね」

—————終わった。
ご存知の方も多いかと思いますが、インフルエンザにかかった場合、最低でも5日間の自宅療養が必要です。日数をカウントしたところ、なんとなんと、四国遠征の直前まで自宅療養しないといけないじゃないですか。病み上がりの状態で青春18きっぷで遠征するのはかなり危険、との判断に基づき中止せざるを得ませんでした。

ところで、罹患の原因はすぐに判明しました。
「和泉セガの交流会行った人みんなインフルBやん」
そうTwitterで呟いたフォロワー。どうやら数日前このゲーセンで行われた交流会に、インフルBの感染者が居たようです。
「(そうか...つまりこの時からこうなることは避けられなかったんだ...)」ものすごい虚無感と喪失感が僕を襲いました。今まで僕は何の為にバイトしてきたんだよ。ふざけんじゃねえ。
しかしながら、インフルエンザにかかってしまったのは変えることの出来ない事実。僕は療養に最善を尽くしたとまではいわなくとも、それなりの療養生活を送りました。
いざインフルから回復すると、「四国遠征に行きたい」という思いが一層強くなりましたが、それは現実的ではありませんでした。結果、出発の日にちを遅らせて、四国全土を回る予定のところを、香川県だけ訪ねて帰ることにしました。
ここから香川県に行った時の写真を載せたいと思います。

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1、瀬戸大橋線快速マリンライナー

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2、高松駅

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3、お宿

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4、琴電こと高松琴平電気鉄道、瓦町駅にて

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5、現地のうどん

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6、戦利品の数々

といったところでしょうか、短縮版の遠征とはいえ、かなり充実していました。たったひとつ確かなことがあるとするならば、「姫路〜岡山を普通列車で行くのが一番暇だった」といったところでしょうか。

それはそうとして、だいぽんは今日から3月末まで、敦賀に免許合宿に行きます。今この記事は、特急サンダーバードの中で書いています。実は留年していないか心配でそれどころじゃないと言いたいところですが、折角の合宿。取るもんは取っとかないと。語学さえ落とさなきゃ農学部に留年はないから。知らんけど。
ほな、いってきます。

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無為に過ごした2月末のあれこれ

2月下旬担当のいとらです。

ブログ担当だということをすっかり忘れて、気づけばもう2月の最終日になっていました。今年が閏年だったおかげでギリギリセーフでしょうか。春休みに入ったときは、まだまだ時間はたっぷりあると思っていたのですが、思ったよりもあっという間です。
この2月29日という日付があるのは、実は4年に一度なんですよ。日数でいえば1461日に一度。計算してみると、私が2月29日という日を過ごすのは5回目だそうです。って言っても、多いんだか少ないんだかわかんないですね。とはいえ、この珍しさに興奮してしまうのも事実。正月や七夕は毎年ありますが、閏日はたった4年に一度なんですよ。次に閏年が来るときには、もう学部を卒業しちゃっています。まあ変なミスをしなければの話ですけど。

そういえば、先日、京大入試の二次試験がありましたね。今年入ってくる新入生が受験に来ていると思うと、何か不思議な気分ですね。去年までは私がそっち側でしたし。
懐かしいですね、大学受験。私はろくに勉強もしてこずに、むしろ大学入ってからのほうが数倍勉強しているという一般的に珍しい人種なのですが、それでも合格発表のときの緊張具合はよく覚えています。前日の夜はうまく寝付けず、当日は他に何も手がつかないような状態でした。今では京大にいるのが日常になってしまっていますが、それでもふと落ちていたらと思ってぞっとするほどです。

ところで、この受験というもの、あるいはより広く勉強というものは、高校生活を描く上で非常に面白い要素であるような気がします。
現代の高校生は、基本的に大学受験のために生きてるので(精一杯の皮肉)、勉強(それも受験のためのもの)は高校生にとっての義務であり、ほとんどの人がいやおうなしに勉強させられることになります。この結果生じる、「勉強することは良いことだし、積極的にやるべきである」という意識と、「勉強は嫌いで面倒くさい」という気持ちは、高校生の勉強との間の独特の距離感を作り出します。あいにく私は前者の意識が欠如していたのであまりわからないのですが、周りの人は程度の差こそあれ、テスト勉強や受験勉強などで、嫌々ながらも進んで勉強する、そんな様子が見られたように思います。
もう一つ重要な要素が、定期試験です。すべての生徒が、定期試験を受け、その結果に一喜一憂するというのは、学校生活における強制イベントとして扱いやすいですし、何より勉強の優劣を意識させられるわけですから、競争心や嫉妬心なんかが出やすいわけです。私が高校生のときは、定期テストが周りにアドバンテージをとる数少ない機会だったので、ありがたいと思っていたのですが、ともかく、生徒それぞれの意識が出やすい機会なんじゃないかなと思います。

脈絡もない話でしたが、最近思ったあれこれでした。
……結局間に合いませんでした。

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気になっている言葉⑧

2月中旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について書きます。
➀義理チョコ
 英訳は何が適切ですか。
②ため口
 「ため」の語源は何ですか。
③花見
 酒を飲むほうがメインですから、「花の下飲み会」と言った方が正しいです。
④超、めっちゃ
 超とめっちゃの用法に違いはありますか。
⑤武力行使
 戦争を知らない我々には、その言葉が何を意味しているかわかりにくくなりましたね。
⑥ドンマイ
 ドントマインドを略してドンマイというようになったのはいつからですか。
⑦日本人なら誰もが知っている○○
 勝手に日本人を定義するのはやめましょう。
⑧育児休暇
 育児は仕事以上にきついというのに、仕事上は休暇扱いされるのは、少し不思議ですね。
⑨新しい時代
 年号が変わっても、人間が進歩しなければ、新しい時代にはなりません。
⑩ユニバ
 関東ではUSJをUSJと言い、関西ではユニバと呼ぶようになったのはなぜですか。

こんなに小さなことにかみつく私はどうかしていますね。病んではいませんからご安心ください。

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春休みに頑張ること

2月上旬担当をすっかり忘れておりました、あしたしです。

春休みに入り、皆さんも自由な時間が増えるでしょう。
大学生は人生の夏休みといいますが、何も目標を持たずにダラダラ過ごすのはもったいない!

ということで次の学年になるに向けて春休みのうちに頑張ろうと思うことを綴っていこうと思います。

①絵の練習
1回生のときは2次創作、しかも既存の写真やイラストをアレンジする作品を多く書いていました。そのためっクオリティーは高められても、自分の実力はあまり高められていないような気がしていたため、何も水にしっかりかける練習を続けていきたいです。まずは体の構造・各部分のバランスから考えなければ・・・

②プログラミングの練習
情報系なのにプログラミングに苦手意識を持ってしまっていることをなんとか解決せねば・・・。今は参考書買って独学でPythonから始めています。(Pythonは比較的取り組みやすくて面白いからみなさんにもおすすめ!)

③動画制作の練習
完全に趣味。好きこそものの上手なれとはよくいったものです。

④バイトでめっちゃ稼ぐ
一ヶ月でバイトで24万稼いでいる友人がいて自分も変に燃えています。一日何時間入ればいいんだ・・・

⑤漫画の読破
漫画は一気に読む派なので、時間プラスある程度の気力を要します。それがいっぺんに手に入るのが大学生の長期休み。鬼滅読むぞ。

⑥生活習慣の改善
おそねおそおきはだいぶ改善されたが、健康と呼ぶにはまだまだ。祖母が「やっぱり最後は健康が一番」といっていたのを思い出しながらもうちょっと改善していきたい。


まだ頑張りたいことは色々あるけど、書き出したら終わらないのでこれくらいで。みなさんもなにか目標も持って取り組んでみてはいかが?

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気になっている言葉⑦

1月下旬担当の葱です。今回も気になった言葉について書きます。
➀母性本能
 母性本能という言葉はあっても、父性本能という言葉はあまり聞かないのはなぜでしょう。

②○○令和バージョン
 こう言って歌番組で歌を披露することがありますが、多くは通常版と変わりません。年号さえ新しくなれば、新しく聞こえるのですか。

③心霊写真
 幽霊写真と呼ばずに、心霊写真というのはなぜですか。

④おかいさん(お粥)、おつい(すまし汁)
 関西弁は、「ゆ」が「い」になることがありますが、言語学的にはどう説明するのですか。

⑤いただく
 「させていただく」のように謙譲語として使うときもあれば、「していただけますか」のように尊敬語として使う場合もあります。果たして敬語としてあっているのか、心配です。

⑥コメント
 暴言や悪口とは違います。

⑦このうどん、だしがきいていておいしいね
 英語では何と言うのですか。

⑧エモい
 エモーション、すなわち感情がこみあげるさまをエモいと言いますが、感無量とはどう違うのですか。

⑨ともだち
 なぜ一人でも複数形なのですか。

⑩総選挙
 コンビニで「人気スナック総選挙」、「人気お惣菜総選挙」などという企画がしばしばあります。選挙が人気投票の意味に使われるのを見たら、中江兆民は卒倒しますかね。

こんなに小さな言葉にかみつく私はどうかしていますね。健康ではありますのでご心配なく。

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「時日表記に辞んでみること」

ごきげんよう☆彡1月中旬担当のゆっくりです!
構成員各位におかれましては、昨年は大変お世話になりましたことを深く感謝申し上げます。本年も皆様おひとりおひとりにとりまして、充実した一年となりますよう祈念申し上げます。今回もどうかお付き合い下されば幸いです♪
さて、今回のトピックは以下の通り。
①時日表記の再現前性――その、あまりにもおぼろげな――
②未来への確からしさ――その、あまりにもさやけくあれと――
 修士論文を終える。伴った辛酸は筆舌に尽くしがたい。しかし、通過儀礼として重要な経験だったと思う。病気も挟んだとはいえ、6年もの歳月をかけたにしてはあまりに乏しいものだが、一つのステップにしたい。
 たくさんの史料や、先行研究の束、ノート、B6カードを眼下にしている。よせばいいのに、日付を振ってあるものも多い。それらは、スキャンを経たことで、今一度の時間性を帯す。時日表記の持つ呪力は、形態素単位よりも漠然とし、自らを包み込む時代的気質をそこに再現前する。現代においては、写真、通話、記録などに、頼みもしないのに打刻される。それらの参照可能性は、概ね、こちらの意思に拘束されないことが多く、必要性の堤防を氾濫する。
 個人的な能力の限界か、2年以上前のイベントに対しては、その前後関係は曖昧である。それは私の専攻する実証史学の史料批判の必要性と、大略その根源性を一にする。時日表記を見た瞬間、脳内では数直線が形成される。自身の様々な想い出が、その数直線に極めて曖昧に座標を取る。この中途半端な確実性と、自身の意識から乖離した提示とが、脳内で傷む。果たして、過去は幻想だった。エクリチュールの持つ代補性の横溢、すなわち、肥大化して宿主を、いや、母屋から庇にかけて襲来するこの幻想に、立ち向かう術を私は知らない。ただし、救いを求めることは許されようか。
 卑近な例で恐縮だが、修士論文を作成していて、私は極限状態だった。何事にもよらず堪え性のない私が、研究室でひたすら古記録、古文書から平安時代後期の歌人や漢詩人の政治的事績のデータを取り、パソコンに打ち込む。下宿への途上、東方に暁闇を見やりながら、自分の認知能力の低下すら実感できなくなっていた。しかし、《救い》がなかった訳ではない。修士論文を提出後には、指導教授と夕飯をご一緒させていただく。史料を、和歌を、漢詩を読んでも、何が正しくて何が不確定か、全く融解し切っていた私には、それが茜差す久方の《出口》だったのかも知れない。
 2001年にゲームボーイアドバンスというハードで任天堂から発売された『ナポレオン』というゲームがある。そこでジヌディーヌ・オージュローという指揮官(シャルル・ピエール・フランソワ・オージュローをモデルとする)が口にする「未来への光がオレには見える」というセリフが少年の時分より好きだった。今回愚見は、悠久に至る未来への本質性を心に戴いていながら、そうした直線運動が取れないほどの満身創痍状態の中、眼前に像を為したものである。
 ≪イマ・ココ≫をきちんと認識することに越したことはなかろう。しかし、その営為は必ずしも優しい行為ではない。これ以上は素人がものすに無用だろう。
 この数カ月、確実に、そして着実に螺旋階段を下っていた。しかし、究極的には孤独なのだが、同行者、いや、すれ違う人々を目にしないではなかった。お名前を挙げる事で却って漏れる愚を懼れるものであるが、衷心より御礼を申し上げます。
つーわけで、本年もよろしくね☆

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新年を迎えるにあたって

12月下旬担当のいとらです。

新年まで、あと残りわずかとなりました。みなさんは、どのような年末を過ごしていらっしゃるでしょうか?
今年一年を振り返ると、本当に色々なことがあったなと、つくづく思います。受験勉強に始まり、大学入試と、高校の卒業式。春には、京都大学に入学して、一人暮らしを始めて、名称未定に入会して……それからの大学生活は、数えきれないほどたくさんの思い出に溢れています。することなすこと初めての事ばかりで、新しい刺激の連続でした。
もう、高校に通っていたのが、遠い昔のように感じられます。

しかし、いざ今年が終わるとなると、この一年の間、私は何をなせたのだろうか、と不安になります。去年の自分から、成長できているのか、と。
大学に入って、新しく友達もできました。勉強にも取り組んで、新しい知識を身に着けました。小説だって、それなりに書いてきました。確かに、この一年間で得たものはたくさんあります。それでも、もっと何かできたんじゃないか、そんな、後悔のような、焦りのような、もやもやした気持ちが心に浮かんでくるのです。

……いえ、まだ間に合います。
まだ、少しだけ時間は残されています。

焦燥感に駆られるように、私は今年やり残したことを消化し始めます。
手始めに、読みかけだった小説を手に取りました。ずっと、読もうと思いながら、今に至っているのです。今年中に片を付けないと。
次に、料理に取り掛かりました。この春に一人暮らしを始めて、当初の予定では、今頃は料理上手になっているはずでした。だけど結局、外食やら絶食やらで、自分で料理することはあまりなく、いまだに「得意料理は納豆ごはん!」という有り様。年越しに向けて、何か一つでも、レベルアップしていたかったのです。

私はそれらをやり終えて、席に座って一息つきます。と、目の前にあったのは、一冊の数学書。夏頃に、兄弟から借りたものでした。
はぁ、と、一つの溜め息。
彼に少しでも追いつこうと思って借りたはいいものの、ほんの数ページ読んだだけで、それ以降は手付かずになっていたのでした。これじゃ、いつまでたっても、追いつけないどころか、差が広がっていくばっかりです。
私は、意を決して、数か月ぶりに、この本を開きます。
難しい数式に、慣れない用語。1ページ読み進めるのに、小説のときとは比べ物にならないくらいの時間がかかります。このままだと今年中に読み切ることなんて無理だ、という雑念を振り払い、私は本の内容に集中します。

そして、気づけば、時計は0時を回っていました。

結局、読み進められたのは、たったの20ページでした。
今年、……いえ、去年のうちにやりきれなかった悔しさもありながら、それでも少しだけ、晴れやかな気持ちになっていました。少なくとも20ページ分は、去年の自分より、成長できているのですから。

そんな、ちょっぴり慌ただしかった年末と、すがすがしい気持ちで迎えた新年を、しみじみと思っていると、ふと、去年やり残したことがまだあったのに気づきました。

……そう、このブログを書くことです。

というわけで、執筆が遅れてしまい、すみませんでした。
新年、明けましておめでとうございます。
今年が、みなさんにとって、よい年になりますように。

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11月祭ふりかえり


みなさん、こんにちは。
11月祭の企画責任者を務めておりました、光彩です。

終幕からはや1週間以上が経ってしまいましたが、11月祭レポートをお届けいたします。
とはいいつつも、私はレポートができるほど会場におりませんでしたので、雰囲気だけでもお伝えできればと思います。

会誌頒布について。
ありがたいことに、既刊は3日目、企画本は4日目にすべて売り切れました。
これほど多くの方々に会誌を手にとっていただける機会は、11月祭よりほかにありません。
減っていく在庫の山を見ながら、作り手としてよりよいものを、と身が引き締まる思いがいたしました。
会員たちの力作が詰まった作品集、みなさんの心に響くものがあれば幸いです。

企画コーナーについて。
リレー小説、絵しりとり、俳句創作、お絵かきコーナー、塗り絵にキャラクター創作。さらには、漫画の吹き出しを埋める企画まで。
多くの来場者の方々が、それぞれに力作を残していってくださいました。
最終日には、壁一面をみなさんの作品が埋め尽くし、はがすのがもったいないと感じられるほど。
お越しくださった方々が(あるいは会員たちも)、充実した時間を過ごされていたようで、私としても嬉しく思います。

11月祭の4日間、大きなトラブルもなく、無事に終わりを迎えることができました。
ご来場いただいたすべての方々に、心より感謝申しあげます。
また、私が企画責任者という大任を務めあげることができたのは、ひとえに会員のみなさんのご助力あってこそです。
ほんとうに、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

それでは、師走のせわしい折、寒さも厳しくなってまいりましたが、どうかみなさんが暖かに過ごされますよう。お読みいただきありがとうございました。


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気になっている言葉⑥

 12月上旬担当の葱です。今回も気になっている言葉について述べます。
➀ ブタゴリラ
 藤子不二雄を批判したいのではありませんが、そこまでけなしたあだ名をつけなくてもよいでしょう。
② 背中を押す
 最近の歌で濫用されていますが、そんなに背中を押されたら転んでしまいます。
③ 自転車及び原動機付自転車
 あの恐ろしい自転車回収車は、「自転車及び原動機付自転車を放置している場合は京都市により撤去します」と言います。なぜ、わかりやすく「自転車やバイク」と言わないのでしょう。
④ 歴史的に見て中国は…
 史料も見ずに過去の中国を今の中国とつなげるより、漢文を読んだ方が楽しいですよ。
⑤ べとつく
 べたべたという擬態語が動詞化したのか、べとつくという動詞をべとべとという擬態語にしたのか、どちらが先なのでしょう。
⑥ 布団が吹っ飛んだ
 一番実生活で使えないおやじギャグです。使う状況があっても困りますが。
⑦ スマートフォン
 持っている我々はスマートになりましたかね。
⑧ ご飯とおかず
 ご飯の「ご」は取っても意味が通じるのに、おかずの「お」は取ると意味が通じません。一体、おかずという言葉は何からできているのでしょうか。
⑨ 言っちゃ悪いがね
 その言葉が悪いと思っていれば言えないはずです。言っている時点で矛盾しています。
⑩ あらへん、あれへん
 どちらも「~ない」という意味ですが、関西人はどう使い分けているのでしょうか。

 こんなに小さなことにかみつく私はどうかしているのでしょうか。健康そのものですからご安心ください。

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数学談話 ~無限の大きさを掴む~

11月下旬担当のいとらです。

先日、NF企画本にて、『愛の数式』というタイトルで作品を載せました。数学が好きな少年少女の告白を描いたものなのですが、2ページしかなかったこともあり、数学に触れていない人にとっては、あまりに不親切な内容になってしまいました。
そこで、今回このブログという場をお借りしまして、『愛の数式』を読み解くのに必要な数学的事実を解説することにします。
もちろん、ネタバレにならないようにも、ここでは純粋な数学について述べるにとどめますし、『愛の数式』を読まれない方にも楽しんでいただけるようになっております。

構成としましては、一般の方が苦手とするであろう論理式や数学的な言い回しは極力控え、口語的な表現を意識しました。また、具体例を用いるなど、冗長な部分をあえて多く入れることで、数学書のような堅苦しさを減らし、純粋な読み物として楽しめるように心がけました。そのうえで、数学的な厳密さについては尊重しましたので、数学らしさは残せているかと思います。

今回の内容
・集合の濃度
・可算集合と非可算集合
・カントールの定理と対角線論法

※ここでは、自然数は1以上の整数としています。



まず、集合の濃度と呼ばれるものについて説明する。
集合の大きさを比較するとき、有限集合の場合はその要素の数を考えればいいが、無限集合の場合はそのままだと比較できない。そこで、いったん有限集合について考察しよう。
集合の要素の個数が等しいということは、それぞれのすべての要素に一対一対応がつけられるということである。例えば
集合{0,1,2}と{10,100,1000}の間では
(0→10)、(1→100)、(2→1000)と対応付けることができる。
写像の言葉を使えば、集合AとBの要素の個数が等しいことと、AからBへの全単射が存在することは同値であるということだ。

ここで、写像の言葉を整えておく。
写像とは、ある集合Aの任意の要素を写像先の集合Bのある要素へと写すものである。一般的には、関数に近い(同義とする派閥もある)。具体例を挙げると、
A={0,1,2}
B={2,3,4,5}
としたとき、
f:A→Bを
f(0)=3、f(1)=5、f(2)=3
とすれば、fは写像となる。
一方、
f(0)=3、f(1)=5
だけだと、これは写像ではない。なぜならば、Aの要素である2をどこに写すかがわからないからである。

次に、写像fが単射であるとは、写像元の要素が異なれば、写像先の要素も異なる、ということである。
例えば、上の集合、AからBへの写像では、
f(0)=2、f(1)=3、f(2)=5
とすれば、これは単射である。

写像fが全射であるとは、
写像先のどの要素についても、それに写される写像元の要素がある、ということである。
例えば、BからAへの写像では
f(2)=0、f(3)=1、f(4)=1、f(5)=2
とすれば、これは全射となる。

そして、写像fが全単射であるとは、fが全射でありかつ単射であることを言う。
単射、全射、全単射については、wikipediaの『全単射』のページに載っている図を見れば、イメージが付きやすいだろう。

上の集合の要素の個数の話に戻ろう。
A={0,1,2}からB={10,100,1000}への写像fを
f(0)=10、f(1)=100、f(2)=1000
とすると、fは全単射になる。そして実際、このAとBでは、要素の個数は等しい。
一方、A={0,1,2}、B={2,3,4,5}とすると、AからBへの全単射は、どう頑張っても作れない。つまり、AからBへの全単射は存在しないと言える。そして実際、AとBでは要素の個数が違う。
このように、有限集合の場合、要素の個数が等しいことと、全単射が存在することは同値であることが理解できるだろう。
さて、この話を無限集合にも応用しよう。有限集合では、要素の個数と呼んでいたが、無限集合を含めた集合の場合は、「濃度」という用語を用いる。

<定義>
集合AとBの濃度が等しい ⇔ AからBへの全単射が存在する

ここで、AとBの濃度が等しく、BとCの濃度も等しいならば、AとCの濃度も等しい。
なぜならば、AからBへの全単射をf、BからCへの全単射をgとすると、この2つの合成関数であるg◦fはAからCへの全単射となるからである。

具体例を挙げよう。
1.整数全体の集合と、偶数全体の集合は濃度が等しい。
(証明)
f(n)=2nとおけば、これは整数全体から偶数全体への全単射である。

2.自然数全体の集合と、整数全体の集合は濃度が等しい。
(証明)
f(n)={
-n/2        nが偶数の場合
(n-1)/2      nが奇数の場合
}
とすれば、fは自然数全体から整数全体への全単射となる。

ここで、非常に有用な定理を1つ紹介しよう。

<ベルンシュタインの定理>
集合Aと集合Bについて、AからBへの単射が存在し、またBからAへの単射も存在するとき、AからBへの全単射が存在する。

ここでは、この定理の証明はせずに、実際に使っていくことにする。

3.自然数全体と、2つの自然数の組全体(自然数a,bを使って(a,b)と表せるものの集合)は濃度が等しい。
(証明)
f(n)=(n,1)を自然数全体から2つの自然数の組全体への写像とすると、fは単射である。
一方、2つの自然数の組全体から自然数全体への写像gを、g((n,m))=2^n×3^mと定義すると、素因数分解の一意性により、gは単射となる。
よって、ベルンシュタインの定理により、自然数全体から、2つの自然数の組全体への全単射が存在する。

ちなみに、同じ方法で、自然数全体と、n個の自然数の組全体の濃度が等しいことも示せる。

4.自然数全体と正の有理数全体は濃度が等しい。
(証明)
正の有理数は、2つの互いに素な自然数の組(p,q)を用いて一意的に表せるので、正の有理数から、2つの自然数の組全体への単射が存在する。また、3.より、2つの自然数の組全体から自然数全体への単射が存在するので、これらを合成すると、正の有理数から自然数への単射が構成できる。
一方、自然数から有理数への単射は自明に存在する。
よって、ベルンシュタインの定理より、自然数全体から正の有理数への全単射が存在する。

5.自然数全体と有理数全体の濃度は等しい。
(証明)
4.より、自然数全体から正の有理数全体への全単射fが存在する。
また、g(n)=-f(-n)とすれば、gは負の整数全体から負の有理数全体への全単射となる。
整数全体から有理数全体への写像hを
h(n)={
f(n)     n>0の場合
0       n=0の場合
g(n)     n<0の場合
}
とすれば、hは全単射となる。2.より、自然数全体と整数全体の濃度は等しいので、自然数全体と有理数全体は濃度が等しい。

さて、ここまで紹介したすべての集合は、自然数と濃度が等しかった。このように、自然数と濃度が等しい集合のことを、可算無限集合、あるいは単に可算集合と呼ぶ。では、可算集合ではない無限集合はないのだろうか?

実は、冪集合というものを作ると、もとの集合よりも濃度が真に大きい、つまり、冪集合ともとの集合の間には全単射が存在しないことが知られている。ここで、冪集合についても説明しておこう。
集合Aが与えられたとき、Aの冪集合とは、「Aのすべての部分集合を集めた集合」である。慣習的に、Aの冪集合のことをP(A)と表す。
具体例を挙げよう。
A={0,1,2}
とする。このとき、
P(A)={φ,{0},{1},{2},{0,1},{1,2},{2,0},{0,1,2}}
である。
A∈P(A)、φ∈P(A)であることに注意しよう。
この冪集合は、初学者にとっては戸惑いやすいものだろう。というのも、冪集合は、「集合の集合」だからである。しかし、冪集合は集合論の中でも、とても重要な役割を果たしている。その1つが、上にも述べた、冪集合はもとの集合よりも、濃度が真に大きいという性質だ。このことは冪集合の最も重要な性質の1つであり、カントールの定理と呼ばれている。もう一度、定理として書き出しておこう。

<カントールの定理>
任意の集合Aについて、AからP(A)への全射は存在しない。

(証明)
背理法を使って示す。
集合Aから、その冪集合P(A)への全射fが存在すると仮定する。
ここで、Aの部分集合(つまりP(A)の要素でもある)Bを、次のように定義する。
B={a∈A|a∉f(a)}
fはAからP(A)への写像なので、a∈Aに対して、f(a)∈P(A)であるが、言い換えれば、f(a)はAの部分集合であるということである。aはAの要素なので、f(a)がaを要素に持っている場合もあるかもしれないし、持っていない場合もあるかもしれない。そこで、Bをf(a)がaを要素に持っていないようなaを集めた集合と定義してみたわけである。
さて、このようなBを定義すると、fを全射であると仮定したので、f(b)=BとなるようなAの要素bが存在する。そうすると、次のような疑問が浮かぶだろう。すなわち、
Bはbを要素に持つのか? という問いである。
(i)
b∈Bとしてみよう。
Bの定義を思い出すと、x∈Bのとき、x∉f(x)である。当然x=bのときにもこれが成り立つはずである。b∈Bなので、b∉f(b)。
B=f(b)となるようにbを定義したのだから、
b∉Bとなる。
しかし、一番最初にb∈Bとしたはずなのだから、これは矛盾になってしまう。
(ii)
今度は、b∉Bとしてみる。
Bの定義を思い出すと、x∉f(x)のとき、x∈Bである。ここで、f(b)=Bだったのだから、b∉Bを書き換えると、b∉f(b)である。よって、xの部分にbを当てはめると、b∈Bが得られる。
しかし、最初にb∉Bとしたわけだから、やっぱり矛盾してしまう。

(i)、(ii)の結果をまとめると、b∈Bとしても、b∉Bとしても、どちらの場合も矛盾が起きてしまう。つまり、背理法の仮定が誤りだったということなのだから、AからP(A)への全射が存在する、としたことが間違いだったということだ。
よって、AからP(A)への全射は存在しない。当然、AからP(A)への全単射も存在しない!

この証明は、カントールの対角線論法とも呼ばれ、非常に有名である。

さて、この事実を使うと、自然数全体から実数全体への全射が存在しないということが示せる。ここでは、次の三段階に分けて証明しよう。
第一段階:自然数の冪集合から、実数全体への単射を構成する。
第二段階:実数全体から、自然数の冪集合への単射を構成する。
第三段階:自然数から実数への全射が存在しないことを示す。

第一段階
自然数の部分集合Mから、0と1を並べた数列を作ることを考える。
数列{Rn}を
Rn={
0      n∉Mの場合
1      n∈Mの場合
}
と定義する。
例えば、M={2,3,5,6}であれば、
Rn={0,1,1,0,1,1,0,0,……}
となる。また、Mが奇数の自然数を集めた集合の場合、
Rn={1,0,1,0,1,0,1,0,……}
のようになる。
当然、もととなる部分集合Mが異なれば、できる数列{Rn}も異なる。
この数列をもとに実数を構成する。
r=0.1×R1+0.01×R2+0.001×R3+0.0001×R4+……
と定義しよう。
これは、無限小数の第n桁をRnとした実数である。
そうすると、Rnの値は0か1なのでrはきちんと存在し、また数列{Rn}が異なれば、実数rも異なる。
例えば、Mを奇数の自然数全体の集合とすれば、Mから作られる実数rは
r=0.10101010…… =10/99
である。
この方法で自然数の部分集合から実数を作った場合、異なる自然数の部分集合からは異なる実数ができることがわかる。よって、これは自然数の部分集合全体(つまり自然数の冪集合)から実数への単射となる。

第二段階
実数全体から、有理数の部分集合全体(つまり有理数の冪集合)への写像fを
f(r)={q∈Q|q < r}     (Qは有理数全体の集合)
と定義する。つまり、ある実数rに対して、rより小さいすべての有理数を集めた集合をf(r)とするのである。
このとき、実数r,sがr≠sのとき、rとsの間には何らかの有理数が存在する(このことを有理数の稠密性と言う。厳密な証明はしない)ので、f(r)とf(s)は違う集合となる(例えば、r < sとした場合、r < q < sとなるような有理数qを取ってくれば、q∉f(r)、q∈f(s)となる)。
すなわち、このfは実数全体から有理数の冪集合への単射である。
前に見たように、有理数全体の集合は可算集合、つまり、自然数全体への全単射が存在する。そのため、有理数の冪集合から自然数の冪集合への全単射も存在する。
さっき構成した実数全体から有理数の冪集合への単射fと合わせると、実数全体から、自然数の冪集合への単射が構成できる。

第三段階
第一段階と第二段階から、自然数の冪集合から実数全体への単射と、逆に実数全体から自然数の冪集合への単射が存在することがわかったので、ベルンシュタインの定理より、実数全体から自然数の冪集合への全単射が存在する。
さて、自然数全体から自然数の冪集合への全射は存在しないのだった(カントールの定理!)。仮に、自然数全体から実数全体への全射が存在したとすると、今作った実数全体から自然数の冪集合への全単射と組み合わせることで、自然数全体から自然数の冪集合への全射が構成できることになってしまう。これはカントールの定理に矛盾する!
よって、自然数全体から実数全体への全射は存在しない。

ここまでの議論から、実数は、自然数とは対応させられないほど多くあることがわかるだろう。このように、自然数よりも大きい濃度を持つ集合のことを、非可算集合と呼ぶ。直観的には、非可算集合である実数と、可算集合である有理数では、無限の大きさが違うと言える。
ちなみに、数学基礎論において、有理数から実数を構成するときには、この「実数のほうが有理数よりも濃度が大きい」という性質がネックとなる。「実数とは何ですか?」 と聞かれたときに、有限個の有理数を並べただけでは足りない。つまり、無限個の有理数を使わないと、実数を構成できないのである。
一般的な実数の構成方法は大きく分けて2つある。
1つは、有理コーシー列を用いる方法である。これは、「ある実数に収束する有理数の数列全体」を実数とするものだ。その基本的な考え方は今回の第一段階で考えた数列{Rn}に似ている。
もう1つは、デデキント切断を用いる方法である。今回の第二段階で考えたfを使えば、f(r)こそがrを表すデデキント切断である。このデデキント切断の1つ1つを実数と呼ぶことにするのである。
ここではこれ以上のことは述べないが、興味のある方はぜひ調べてみてほしい。

今回のまとめ
集合には濃度と呼ばれる集合の大きさのようなものがある。
自然数、整数、有理数はすべて可算集合であり、濃度が等しい。
冪集合はもとの集合よりも濃度が大きくなる。
実数は自然数の冪集合と濃度が等しく、自然数よりも濃度が大きい。
実数を捉えるためには、無限個の有理数が必要である。

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「ドット絵」への挑戦

11月上旬担当のあしたしです。

後期の講義が始まってあっという間に11月となってしまいました。

後期は講義数が少なく、フリーな時間が結構取れるので、イラストを書く時間をもっと増やせられそうです。

さて、タイトルの 「ドット絵」への挑戦、についてです。

自分のイラストはどこか写実性を求める傾向があり、リアルであればあるほど優れていると考えてしまうことがあります。(というか、プロのイラストレーターを真似しようとするといったほうがいいかも)

しかしリアルであればよいという考えが最近打ち砕かれています。

例えばレトロなゲームなどで使用される「ドット絵」。

イラストレーターの豊井さんは、ドット絵アニメを作っている方で、ネットでこれを見たとき本当に感動しました。(ぜひ見てみてください!)

技術的に言えば、ドット絵は単に解像度の低い、現代では「遅れた」技法だともいえます。

しかし、ドット絵にはドット絵の魅力があります。

まずは、過去にファミコンで使われていたことで(おそらくこれが原因で)、ノスタルジックな作風に仕上げられること。

それから解像度が低いことが逆にうまく作用して、絵の中の道具や人物に想像の余地をあたえること。

特に後者についてですが、最近のイラスト界でよく制作されている3DやCGグラフィック、そして自分が固執していた「リアル」な表現は、何もかもはっきりくっきり表現してしまうという特徴があります。

この特徴はもちろん長所にもなりますが、そもそも現実にないことを描く自分にとっては、見る人に想像力を掻き立てないという点で短所にもなっていました。

そしてこの短所が実は結構大きなものだということにも最近気づき始めています。

こうした理由から、今では「リアル至上主義」を改め直しているところです。

もちろんこれまでの(初心者なりの)自分の作風は維持しつつ、様々な技法を学んでいくことで、さらに表現の幅が広がるのかなあと思います。

余談ですが、ドット絵ってドットを一個一個打っていくので、これまでのイラストの書き方と全然違い、新鮮でとても楽しいです。(ピクセル数を上げればめちゃくちゃ大変な作業ですが)

こんな感じで、短いですが終わります。

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